2019年03月30日公開
2019年03月30日更新
映画 鬼畜のあらすじ・結末をネタバレ!松本清張原作の小説を映画化【岩下志麻】
1978年に公開された映画『鬼畜』は松本清張の原作小説『鬼畜』を映画化したものです。岩下志麻が怪演を見せたことでも有名な映画『鬼畜』のあらすじと今尚語り継がれる印象的な結末についてネタバレを最小限にしつつご紹介いたします。なにをもって「鬼畜」なのか、そして結末がどうして有名なのかなど初見の方も楽しめるように解説しますのでぜひご覧ください。ネタバレを含む項目は「ネタバレあり」と表記します。
映画 鬼畜とは?
松本清張の小説『鬼畜』が野村芳太郎監督によって映画化されているのをご存知でしょうか?岩下志麻さんや緒形拳さんの演技によって「胸くそが悪い」「映画としては最高だけれども後味が最悪」などと言わしめた1978年の映画『鬼畜』について、あらすじや有名な結末など初見の方でも楽しめる解説をいたします。
映画 鬼畜の作品情報
映画『鬼畜』は美空ひばり主演の『伊豆の踊子』(1954)や『黄色いさくらんぼ』(1960)、『ゼロの焦点』(1961)、『震える舌』(1980)などでお馴染みの昭和の巨匠である野村芳太郎監督によってつくられた映画です。子どもの些細な言動や大人たちが少しづつ狂っていく様を不気味に描いているのが特徴で、ラストの利一と宗吉のやり取りは未だにトラウマ級の結末だと名高いのです。
また余談ながら、野村芳太郎監督と主演の岩下志麻さんのタッグは『女の一生』(1967)や『影の車』(1970)や『疑惑』(1982)などでみられています。また、野村芳太郎監督自体が『砂の器』など松本清張の映画化やドラマ化に関わることも多く、映画『鬼畜』はその大きな流れの一作にあたります。
映画 鬼畜の予告編動画
映画『鬼畜』の予告編では、緒形拳さん演じる宗吉と岩下志麻さん演じるお梅、そして小川真由美さん演じる菊代の金銭と情愛が絡んだ修羅場からはじまり、子どもたちの「しょうちゃんはしんじゃったの」「りょうこはね、とうちゃんととうきょうにいってかえってこないんだ」といったセンセーショナルなセリフが幼児をあやす音色と共に心を抉ってきます。
この予告から鬼気迫る演出も野村芳太郎監督の得意とするところです。いったいどうしてそのようなセリフが飛び出すに至るのか、あらすじを次章では追っていきましょう。
映画 鬼畜のキャスト
映画『鬼畜』のキャストは当初『男はつらいよ』シリーズで寅さんを演じていた渥美清さんがキャスティングされる予定があったというタイトル通り「鬼畜」で計算高いキャスティングがなされています。その歪さや不気味さこそ映画『鬼畜』をより完成度の高い映画に仕上げた一因なのでしょう。
主演男優を務めた緒形拳さんはその気優しい雰囲気から結末の怪演までが評価され1978年度「キネマ旬報ベストテン」や第2回日本アカデミー賞主演男優賞をはじめ多くの賞をこの作品で受賞するなどの大躍進を見せました。また、21歳という若き日の大竹しのぶさんが出演しているのも見どころです。
- お梅(宗吉の妻)/岩下志麻
- 竹下宗吉/緒形拳
- 利一(菊代の長男)/岩瀬浩規
- 良子(菊代の長女)/吉沢美幸
- 庄二(菊代の次男)/石井旬
- 菊代(宗吉の妾)/小川真由美
- 阿久津(印刷工)/蟹江敬三
- 婦警(能登南警察署)/大竹しのぶ
映画 鬼畜のあらすじネタバレ
あらすじ:はじまりは喧騒から
映画『鬼畜』は3人の子どもたちを引き連れた母親が川越の印刷所に殴り込みをかけるシーンから幕を開けます。彼女の名前は菊代。印刷業界で盛況していた竹下宗吉の本妻ではなく妾さんです。彼女は工場の火事によって経営不振に陥り養育費を払おうとしなくなった宗吉に怒り、本妻であるお梅のいる川越へと乗り込んできたのです。
菊代はもともと飲み屋で働いていましたが、宗吉に愛され子どもを3人授かったことから専業主婦になり生活に困窮していました。そこで本妻のいる川越で直談判をし、子どもたちを自分で面倒を見るようにと訴えるのです。お梅は怒り心頭ながらも、自分の夫の不甲斐なさに泊まるなら勝手にしろと情けをかけます。
あらすじ:お母さんの夜逃げ
菊代は養育費を支払ってくれるまで居座るつもりでしたが、お梅という本妻が同じ屋根の下にいる気まずさと夜泣きをやめない子どもたちや庇ってくれない宗吉への腹立たしさから、子どもたちを置いてひとりでその場から夜逃げしてしまいます。翌日になって子どもたちはいよいよ母親がいなくなってしまった不安から「帰ろうよ」と父である宗吉に駄々を捏ね始め、宗吉もまた困惑するのでした。
宗吉からすれば、労働によって女性と子どもを養い父親としてのプライドをなんとか保っていたのに火事という事故によって名声が奪われ、そして愛している人々に見捨てられることが耐えきれなかったのでしょう。この後も宗吉はお梅に従う一方で、子どもたちへは父親面をし、そしてどうにか菊代を探し出して謝ろうとすらするのです。
その気弱さがお梅の気性の荒さと子どもたちとの絆、そして覆しようのない生活の困窮する実情と合間って展開をより悪い方向へと悪化させていきます。
あらすじ:他人の子ども
一方でお梅は自分が宗吉との間に子どもを成せなかった苦しみや妬みから「本当にあんたの子かしら」と宗吉に嫌がらせのような言葉を浴びせます。また、他人の子どもを押し付けられた恨みつらみも合間って、子どもたちの無邪気な反応や駄々に過剰に苛立ちをみせ、苛烈ないじめを行うのでした。
宗吉はそんな短気を起こすお梅に対して最初は子どもたちを庇い「あのおばさんには近寄らないように」と言付けますが段々とお梅の言葉や苦しい生活に心が窶れていきます。気の弱い宗吉や、本来なら気のいい姐さん女房であっただろうお梅が子どもたちと生活苦によって空回っていく様は狂気的でもあります。
ネタバレありあらすじ:口減らし
生活に困ったお梅はその責任を宗吉とその子どもたちに求め始めます。本来ならば工場の火事という如何ともしがたい事故からはじまってしまった生活苦であったのに、目の前にある食い扶持の多さや子どもたちの叶えられない願望への煮えたぎりもあって目が曇ってしまったのです。そうしてお梅は宗吉に対して「密かに子どもたちを殺してしまえ」と囁きはじめ、実際のプランニングまで用意しだします。
最初に衰弱し熱を出していた末っ子の庄二を。そして次は、宗吉自らが長女の良子を。そして結末のシーンをつくることになる長男の利一を、宗吉は父親としての愛情とお梅に対する男女仲の情愛に葛藤しながら確実に徐々に徐々に追い詰めていくのです。
ネタバレありあらすじ:弟はきっと星になったんだ
お梅を狂わせるきっかけとなったのはまだ自分ではろくに歩けない庄二の昼夜を問わない泣き声でした。庄二は幼児らしい仕草としてお梅の叱りつける通りには行動出来ず、与えられた食事をおもちゃにするなどしてお梅の善意を図らずやへし折っていきました。それは幼児にとっては当たり前のことでしたがお梅にはそれが許せません。
他人の子どもである庄二の大人の都合への理解のなさはやがて殺意に変わり、青酸カリによる毒殺を実際に毒物を仕入れて宗吉に示唆するまでになりました。そこへ栄養失調による高熱が重なり、ついに栄養失調の放置と少量の服毒をもってして庄二を死に追いやったのです。宗吉の弱気とお梅の放任によって引き起こされた庄二の死はふたりを「その気になれば子どもなど殺せるのだ」という実感とともに確実に狂わせていきます。
ネタバレありあらすじ:妹はきっとお金持ちにひろわれたんだ
庄二の荼毘に伏すまもなく、今度はお梅は目に見えて反抗の意をみせる長女の良子をやっかみ彼女も手にかけようとします。しかし、直に殺されるのを見殺しにすることが出来なかった宗吉は良子の「ある特性」を逆手にして東京のど真ん中で手を離し、置き去りにすることで死へと追いやろうとするのです。
この際に、良子は途中で薄々父親に引き離されることを感じ取り、健気にも父に甘えて離れないでくれるように頼みます。しかし、宗吉からすれば誰か他人に拾われて生き残れる可能性もある慈悲のある殺し方として「置き去り」はお梅との生活を保つためには必要であり、心を鬼にして東京タワーの展望台という自力では戻ってこれない場所に愛する我が子を置いてひとりで帰ってきてしまうのです。
しかし、女児であるという性別上の問題とまだ年端もいかない子どもであるという環境を考えれば希望的な憶測はあぶくのようなものであり、おそらくは良子は死に至ることは容易に想像が出来てしまいます。その甘えがあって結末の利一への選択に繋がってしまうのです。
映画 鬼畜の結末ネタバレ
この章では、映画『鬼畜』の有名なラストシーンに触れながら宗吉がただの気弱なニンゲンのままで「鬼畜」へと堕ちていく軌道をあらすじ紹介していきます。宗吉の選択を父親の慈悲とみるか、鬼の所業とみるかも見どころとなっていますので是非ご注目ください。
ネタバレあり結末:ふたりっきりの父子
庄二を手にかけたお梅と良子を手にかけた宗吉はいよいよ残った利一をも、「あの子は全て知っているに違いない」「自分たちの罪を世間にバラすに違いない」という疑心暗鬼から密かに殺すことにします。しかし父親としての情も残っている宗吉はお梅に任すことなく自分で始末をつけることを決断してしまい、最初は青酸カリによる毒殺を。そして失敗すると次は遠い能登の地で崖から宗吉を突き落とすべく旅に出ます。
しかし無邪気に父との旅を喜びつつ「父ちゃんはきっとぼくを殺せないよ」と父親の腹の底を見透かしたように甘える利一に宗吉は踏ん切りをつけられずに数日を利一の望むままに過ごしました。このままふたりっきりで菊代のように逃げることも出来たでしょう。しかし、宗吉は最後にお梅との生活を選び、利一を崖の下へと投げ出してしまうのです。
ネタバレあり結末:知らない他人
宗吉とお梅の罪は、利一が運よく生き残ったことと、利一が持っていた「あるもの」によって暴かれてしまい逮捕に至ります。刑事は当然の道理として父親との再会と真実の追求のためにふたりを引き合わせます。しかし、利一はここで動画のような「父ちゃんじゃない」という言葉を父に投げかけ、最後まで父親を庇うのです。これは父との決別であると同時に絆あってこそのセリフであり、映画史に残る衝撃のラストシーンとなりました。
映画 鬼畜の原作小説
映画『鬼畜』の原作は松本清張の短編集『詐者の舟板』(1957)になります。『詐者の舟板』は『捜査圏外の条件』『青のある断層』『発作』『喪失』『鬼畜』と表題作『詐者の舟板』の6本の短編小説が収録されており、筑摩書店から本が出ています。また、『鬼畜』は検事の河井信太郎から聞いた実話がベースになっており、実話の被告夫婦は獄中で発狂死したと伝えられています。
映画 鬼畜に関する感想や評価は?
鬼畜の感想①:心に刺さる映画
映画「鬼畜」の岩下志麻さんがとにかく恐ろしいんです。あの能面のような表情をみると鳥肌がたつんです。
— 頭痛のしいたけ君 (@kirai_shiitake) March 29, 2019
あとラストシーンで、息子が最後まで、父をかばう場面で
父親役の緒形拳さんの
「勘弁してくれー!」というセリフが心に刺さるんです。 涙がとまらなくなるんです。
各キャストの演技がとてもあらすじにマッチしていて印象深い、あるいはトラウマになったという感想は多く存在します。特に岩下志麻さんと緒形拳さんの演技について言及する声は後を絶ちません。
鬼畜の感想:2人の毒婦
コレ、トラウマになるから観ない方が良いと思うけど、こうして観ると、やっぱり名作だなぁ、、女優がまたいいなぁ上手いなぁ、、2人の毒婦との対比の正義の大竹しのぶが若過ぎてビックリだし。👉映画『鬼畜』(1978) https://t.co/b412o2HQ6O @YouTubeより
— とまとま (@tomatoma69) March 28, 2019
どんどんと堕ちてゆく大人たちと変わらない子どもたちから親への愛情が個性的なキャスティングによって明確化されている映画『鬼畜』を名作として挙げる感想は多く存在します。たくさんの人数が登場すると混乱しがちですがどの人物も象徴的でわかりやすいのも名作と呼ばれる秘訣でしょう。
鬼畜の感想おまけ:いっしょに観たい映画
『万引き家族』是枝裕和 著
— ようこ (@oceanchild70) March 25, 2019
純粋な幼心の逞しさ·····
40年程前に姉に連れられ映画館で観た「鬼畜」(原作 松本清張)のワンシーンと重なる場面が印象に残った。
スクリーンでも楽しみたいと思ったら近隣では既に上映終了してた^^;🍿🙈 pic.twitter.com/2LfmbmbKdx
この方は映画『鬼畜』と一緒に観るべき映画として是枝裕和さん作の『万引き家族』を挙げています。どちらも困窮する親たちに対する子どもたちの逞しさが印象的な作品で、重なるものが多いというのです。
印象に残るとなると、鬼畜(1978)、シャイニング(1980)、ダンサー・イン・ザ・ダーク(2000)、ミリオンダラー・ベイビー(2004)といった「下手すりゃトラウマ」級の映画が並びますが、もう一度観るかと言われると…。
— アカペラP (@acappellaP) November 9, 2018
この方は映画『鬼畜』を「トラウマになる映画」として紹介しています。陽気な音楽と共にグサグサと刺さっていくセリフたちはまさしくトラウマ級だと言って過言ではないのでしょう。
@dream_air27 松本清張作品の映画化をつぶさに観ている訳ではないのですが、砂の器 (1974)、鬼畜 (1978)、天城越え (1983)は良かったです(^_^)逆に悪かったのは・・・一つあるけど書かないでおこう(^^;
— リンダ(休止中) (@eigaeigaeiga) April 6, 2013
この方は松本清張の映画化作品を特集して挙げてくださっています。『砂の器』、『天城越え』は共に野村芳太郎監督が手がけた作品ですので、映画『鬼畜』で感性にフィットした方は是非とも他の野村芳太郎監督×松本清張作品にチャレンジしてみても面白いかもしれません。
映画 鬼畜のネタバレまとめ
映画『鬼畜』のあらすじや原作の紹介はいかがだったでしょうか?児童虐待や生活苦に関する現代でも十分に通じる問題が浮き彫りになっている本作は今観てもかなりのトラウマ級になるのではないでしょうか。
松本清張の観察力や野村芳太郎監督の描画力に惹かれたら別の作品も是非ともチャレンジしてみるときっと忘れられない体験ができることでしょう。