氷菓の実写版の評価が低い・ひどい理由は?アニメキャラとキャストも比較紹介

2002年に発表された「氷菓」は青春ミステリー小説として高い評価を受けながらも、中高生に絶大な人気を誇っています。そんな「氷菓」を原作に製作されて2017年に上映された実写映画版「氷菓」の出来栄えがひどいという評価が目立ちます。何故このような評価が多いのでしょうか。今回はその内容に関してあらすじの紹介やアニメキャラとのキャスティングの比較も行いながら、実写版映画「氷菓」の評価の低い理由について考察をしていきます。どうぞよろしくお願いします。

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目次

  1. 氷菓の実写映画の評価がひどい理由は?アニメキャラとキャストも比較紹介!
  2. 氷菓とは?
  3. 氷菓の実写映画のあらすじを紹介!
  4. 氷菓の実写映画版の主題歌を紹介!
  5. 氷菓の実写映画化のキャストをアニメキャラと比較紹介!
  6. 氷菓の実写映画の評価はひどい?その理由を調査!
  7. 氷菓の実写映画の評価がひどい理由についてまとめ!

氷菓の実写映画の評価がひどい理由は?アニメキャラとキャストも比較紹介!

今回は米澤穂信原作のミステリー小説の実写映画「氷菓」の評価(駄洒落です)の低い理由を調査して考えました。そしてその原因は今回の実写映画化の前にされたテレビアニメの出来が良かったことにもありそうです。それから実写映画とテレビアニメのキャスティングについても比較して紹介をいたします。

氷菓とは?

「氷菓」とは米澤穂信さんによるミステリー小説を原作を元に実写映画化された作品になります。監督は安里麻里さん。安里麻里さんは1976年生まれの映画監督です。出身地は沖縄県。安里は沖縄県那覇市の地名であり、もともとは安里村という名称だったそうです。安里麻里さんの名前もこの土地から取られた苗字なのかもしれません。

監督/安里麻里

安里麻里監督は2004年に「独立少女紅蓮隊」で劇場長編映画デビューを果たしています。その演出はとても切れがいい、ということで高い評価を受けています。さらに2005年には「地獄小僧」という映画をフランクフルト映画祭に出品しています。「地獄小僧」はホラー漫画家日野日出志のホラー漫画を原作にした映画です。

2017年には2010年に第17回日本ホラー小説大賞長編賞を受賞した法条遥によるホラー小説「バイロケーション」の映画化をしています。「バイロケーション」とは超常現象の一つであり、同一の人間が複数の場所で目撃される現象を指すそうです。これらの映画作品から安里麻里はホラーが好きな映画監督である、とファンの間では推測されています。

「氷菓」はホラー小説なのでしょうか。ファンからは「氷菓」はホラー小説というよりも青春小説、しかもミステリー風の味付けの濃い青春小説である、と考えられています。ただ青春とはホラーである、という名言もこの世にはあり、ファンの中にはそれに倣って『「氷菓」は一種の青春ホラーミステリー小説』と評価している方もいらっしゃるようです。

原作/米澤穂信

ここで原作者の米澤穂信さんをご紹介しておきます。米澤穂信さんは1978年に生まれた小説家です。出身地は岐阜県になります。小説家としてのデビューは2001年になります。そのデビュー作こそ「氷菓」なのです。その際両親に対して、2年間だけ小説の夢にチャレンジをしたい、と説得をしているそうです。「氷菓」はその後、古典部シリーズというシリーズものに発展していきます。

「<古典部>シリーズ」は現在まで「愚者のエンドロール」「クドリャフカの順番」「遠まわりする雛」「ふたりの距離の概算」「いまさら翼といわれても」まで発表されています。米澤穂信さんは他にも「<小市民>シリーズ」において「春季限定いちごタルト事件」「夏季限定トロピカルパフェ事件」「秋季限定栗きんとん事件」を発表しています。

どちらのシリーズも一見、ライトノベルのニュアンス(タイトルからもそのように読み取れます)を持ちながら、本格ミステリとしての面白さを持っている小説シリーズになります。他の作品「インシテミル」は2010年に「リング」シリーズの中田秀夫によって映画化、「満願」は2018年にテレビドラマ化されてNHKによって放映されています。

氷菓の実写映画のあらすじを紹介!

古典部に入部

主人公の折木奉太郎が古典部の教室の密室に閉じ込められるところから「氷菓」の物語は始まります。奉太郎が「古典部」という部活に入部をしたからです。奉太郎が入部をしたのには理由があり、実は海外にいる姉・供恵からの薦めがあったからです。奉太郎は弟らしく姉には逆らいません。それは奉太郎の信条とする「省エネ主義」からも来ています。

千反田えると折木奉太郎は密室に閉じ込められる

そしてその「古典部」には千反田えるという同級生も入部していました。千反田の入部目的も「一身上の都合」ということで理由は分かりません。奉太郎と似たり寄ったりです。そして二人が古典部部員として活動をしていると、二人は密室状況に置かれてしまうのです。

突然生まれた密室という状況に戸惑う千反田と奉太郎。しかし友人である福部里志の力をかりて、なんとか密室から抜け出すことができます。実際に密室状況になれば慌てふためいてしまうでしょうが、そこは「省エネ主義」の奉太郎。彼は一つずつ状況を確認していき見事、密室の謎を解き、脱出を成功させるのでした。

カンヤ祭について

その後も奉太郎は「古典部」で古典部員としての活動を行うのですが、実際「古典部」がどのような活動をするかどうか、部員である奉太郎にも千反田にも分かりません。その為部室で1ヶ月ほど無為な時間を過ごすことになるのです。しかし時間とは流れるものです。いつも間にか文化祭「カンヤ祭」の時期がやってきました。奉太郎と千反田の二人は「古典部」の活動として文集を販売することにしました。

その為には文集のバックナンバーが必要であると考えた奉太郎と千反田は図書館に足を向けることになります。図書館には奉太郎の幼馴染である伊原摩耶花が図書委員の業務をしていました。伊原から話を聞くと、毎週金曜日に異なる生徒が「神山高校五十年の歩み」という大判の本を借りてはその次の日に返却するというヘンテコな事が起っていたことが分かりました。

叔父が行方不明?

ある日、同じ古典部員の千反田から喫茶店に呼び出されます。理由は千反田が「古典部」に入部した「一身上の都合」についての話でした。実は千反田の叔父は失踪をしてしまっていたのです。その叔父がかつて入部していたのが古典部だということを奉太郎は打ち明けられます。さらに、千反田はかつて叔父の話をきいて泣き出してしまった、ということを打ち明けてしまうのです。

千反田の話を聞いた奉太郎は、自分に千反田の泣き出した理由の謎の解決を引き受けます。叔父である関谷純の生死不明の状態ですが、その状態が既に7年経過していて失踪宣告が出来てしまいます。千反田の実家では葬儀が営まれることから、出来るだけ早く解決をしなくてはなりません。

文集・氷菓の発見

学校生活は続き、期末テストも終わりました。奉太郎の自宅にはイスタンブールにいる供恵から手紙がきます。それには図書館には無かった文集のバックナンバーが部室の薬品金庫にあることが記されていました。そうして奉太郎たちは「氷菓」のバックナンバーを手に入れることに成功しました。

「氷菓」の第二号には33年前の関谷純が失踪をしなければならない理由が書いてありました。「氷菓」の中では英雄として描かれている関谷純でしたが、実際に何があったかまでは分かりません。少年探偵団よろしく4人とも自説を展開しますが、解決にはいたりませんでした。そこで奉太郎が自説を展開しはじめます。そこには姉である供絵の協力がありました。

叔父の過去

それは、33年前にあったのは文化祭を縮小しようとする動きに対して反発をした運動があり、関谷純がそのリーダーとして活躍をしていたこという事実でした。関谷純の非暴力運動に伴い、文化祭は縮小されずにすみましたが、学校ではほとぼりが冷めて頃関谷純を退学処分に言い渡したということでした。しかしこの推理さえも真実には遠かったのです。

実は、退学は関谷純の本位ではありませんでした。反対派のリーダーに祭り上げられた関谷純は、キャンプファイヤー中に火事が発生、消防車がやってきましたがその水圧で格技場は半壊してしまったのです。そうして文化祭の終了後、リーダーという名目だけで関谷純は責任を負って退学に追い込まれてしまったのでした。「カンヤ祭」は語源が関谷の苗字から取られたものだったのです。

氷菓の本当の意味

「氷菓」のタイトルの意味は「アイスクリーム」を二つに分けて「アイ」「スクリーム」と読み、「I Scream(私は叫ぶ)」というよべるのです。そして千反田の幼い頃に、関谷純は「強くなれ、弱いままなら悲鳴をあげられなくなる日がくる。」と生きたまま死ぬ恐ろしさを伝えられて泣いたことを思い出すのでした。

氷菓の実写映画版の主題歌を紹介!

「氷菓」の実写映画版の主題歌はイトヲカシの「アイオライト」になります。イトヲカシは伊東歌詞太郎と宮田”レフティ”リョウによるユニットになります。伊東歌詞太郎なので、バンド名が「イトヲカシ」なのでしょう。

氷菓の実写映画化のキャストをアニメキャラと比較紹介!

キャスト:折木奉太郎役/山﨑賢人

折木奉太郎役のキャストは山崎賢人さんです。山崎賢人さんは、2010年に「熱海の捜査官」で俳優デビューをしています。他に2011年には「管制塔」で映画デビュー。

2018年には「トドメの接吻」で連続ドラマ単独初出演を果たしています。このドラマではクズ男のホスト役を演じて話題になりました。

キャスト:千反田える役/広瀬アリス

千反田える役のキャストは広瀬アリスさんです。妹は女優の広瀬すずさんです。映画デビューは「死にぞこないの青」になります。「銀の匙 Silver Spoon」ではヒロインの御影アキを演じています。役作りの為髪を切り落とし、乗馬や搾乳の練習も行ったそうです。

キャスト:福部里志役/岡山天音

福部里志役のキャストは岡山天音さんです。映画デビュー作「嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん」と「犬とあなたの物語 いぬのえいが」が同時期に上映されています。2017年に主演をした「ポエトリーエンジェル」では第32回高崎映画祭最優秀新人男優賞を受賞しています。趣味は絵を描くこと、歌にヒップホップダンスだそうです。

キャスト:伊原摩耶花役/小島藤子

伊原摩耶花役のキャストは小島藤子さんです。テレビドラマ「キミ犯人じゃないよね?」で女優デビューを果たします。「おっぱいバレー」では映画初出演をしています。スタジオジブリ作品が好きで、一番好きなのは「耳をすませば」二番目に好きなのは「紅の豚」だそうです。

キャスト:糸魚川養子役/斉藤由貴

糸魚川養子役のキャストは斉藤由貴さんです。80年代を代表するアイドルの一人と言われています。松本隆・筒美京平のコンビによる「卒業」で歌手デビュー。映画「雪の断章 -情熱-」で映画初主演をしています。ウェブドラマ「ミス・シャーロック」にも入川真理子役で出演をしています。

氷菓の実写映画の評価はひどい?その理由を調査!

実写映画版「氷菓」の評価のひどい・低い理由を調査してきました。その理由は色々ありそうです。まずはキャスティングに関しての不満、それからミステリー映画としての難点、それからテレビアニメ版「氷菓」との比較、それから「なぜ今映画化されるのか?」という映画製作自体を疑う声。これらに対して一つ一つ考察を加えていきます。

キャストがひどい?

実写映画版「氷菓」に関しての評価の低さに関して、まずはキャストに問題を感じる人が多くいるようです。ただ今回のキャスト自体は山崎賢人や広瀬アリス、岡山天音や小島藤子と若手が集まって演じられています。そのキャストへの不満を一つ一つ調査して考察をしていきます。

主演の山崎賢人に関する満腹感

まず主演の折木奉太郎演じるキャストに山崎賢人さんに関してですが、彼は現在人気俳優であり、山崎賢人さんが出演すると「今人気のある山崎賢人」という形容詞がついてしまう場合があります。また他の出演作も多くあり「また山崎賢人か……」と人気俳優あるあるの満腹感を感じる人も少なくないようです。しかしこれは人気俳優の背負ってしまう性のようなものなのではないかとファンからは推測されています。

ヒロインの広瀬アリスのモデル感

さらにヒロインの千反田えるのキャストの広瀬アリスさんですが、彼女の場合はモデル出身というルックスのせいで、千反田えるがお嬢様であるという部分とあまりにもリンクしないという声が見られます。

これは現代の役者の世界ではある話らしく、映画監督が取りたい世界観と役者の容貌や姿形がかけ離れていることから生まれる現象です。確かにモデルのような体型や顔を持っている場合、実際に観客がリアリティを持って見るのは困難なのかもしれません。

助演の岡山天音の器用さ

それに対して、助演の福部里志を演じた岡山天音はもともと器用なのか、「氷菓」のワトソン役ともいえる福部里志を器用に演じていました。ただ演じ方がテレビアニメ「氷菓」での福部里志よりになっている向きもあります。その性か、非常に問題なく見ることが出来るのが岡山天音の福部里志役でした。

助演の小島藤子のうるささ

助演の伊原摩耶花役を演じた小島藤子の雰囲気は、まるでテレビアニメ版「氷菓」をカリカチュアしたような演じ方でした。あくまでテレビアニメだからこそ通用するようなコメディ演技のニュアンスが強く、その点で暴力的な雰囲気が出てしまったようです。テレビアニメ版「氷菓」が持っていたユルユルとしたニュアンスとは程遠いイメージを持たせる原因にもなっているようです。

全体的なコスプレ感がひどい?

ということで、やはり高校生しかも15歳の役を20代半ばの役者が演じるという部分で観客たちは違和感やひどいと感じてしまったようです。ただ実写映画版「氷菓」をコスプレと捉えるのは、やはり主演を演じた山崎賢人さんや広瀬アリスさんが既に人気のある俳優であることも関係してきているでしょう。私たち観客が、役者についてしりすぎているのです。もっと若い新人なら新鮮味を感じたかも知れません。

助演の斉藤由貴の存在感

とすると、やはり実写映画版「氷菓」では助演で糸魚川養子を演じていることが大きいようです。彼女の持つ暗い雰囲気が実写映画版「氷菓」の暗さを引き摺っている要因にもなっているようです。それは「氷菓」という物語が持つ構造ともつながっています。一見、高校生である古典部員が主体でありながら、大人の視点こそが重要な意味を持っているのが「氷菓」なのです。

「君の膵臓を食べたい」との比較考察

物語における最重要人物の不在、という点で「君の膵臓を食べたい」と「氷菓」は似ています。「君の膵臓を食べたい」は物語の途中で実際の病気とは関係なく、ヒロインが死んで(途中退場して)しまうのです。ここには一見「ノルウェイの森」にも似た「理由なき死」をテーマに据えているように見えますが、物語上何故ヒロインがあのような形で死んでしまったのか、説明がありません。

物語における他者の役割

そこから物語における「アンチ・ダイナミズム」を引き出すことは可能でしょうが、それが映画としての面白さに繋がっていないのも大きな問題です。一方「氷菓」における、関谷純の33年間の不在は、一見英雄譚ともみられる物語でしたが、現代の高校生である古典部員たちにも繋がる権力闘争や敗残者の末路の物語でした。つまり物語に明らかに他者が存在するのです。

「氷菓」では四人の「古典部」の部員が周囲の大人に引っ張られているという構図をとられています。「君の膵臓を食べたい」では敢えて排除されている大人の存在こそ、「氷菓」の重要なテーマになっているのですが、実写版では斉藤由貴の存在感の大きさによって、他の役者がコスプレ風にみえてしまっているのです。

ミステリーとしての難点が多い

またミステリーとして難点が多いという点でひどいと指摘する声もあります。そもそも原作の「氷菓」は小説ですし、ミステリー小説を映像化するのは困難である、という大前提があるのも事実です。では今回の実写映画版「氷菓」ではミステリーの謎やトリックとして何処が難点だったのか、について考察をしていきます。

テキストクリティークとしての氷菓

「氷菓」のミステリーとしての謎はテキストクリティークにあります。テキストクリティークとは過去の文献を保存しておいて、現在から読み解いていくうちに変容してしまうということを指します。色々な異本があるなか、原文の復元を求める方法論です。「氷菓」においては33年前に作られた「氷菓」というタイトルの古典部の文集の復元になっているのです。

散らばってしまった関谷純の感情の欠片が33年前の「氷菓」の中に詰まっている、という部分こそ「氷菓」のミステリーの骨幹になっています。そうして最後に「氷菓」=「アイスクリーム」=「I scream(僕は叫ぶ)」という読み解きにまで発展するのです。これは明らかに歴史と言うものが存在するからこそ出来る読み解き方です。

テキストクリティークは文学だからこそ可能な方法論でもある

ただ映像化する場合、ミステリーの中でも文献を読み解くテキストクリティークは文学だからこそ出来る冒険でもあります。それはテキストを読み解く場合、普通文献があり、それを読み解く時間が掛かるからです。その時間を実写映画版「氷菓」では約2時間の間に解決を見せているのです。そのため、テキストクリティークとしては説得力が落ちてしまっています。そこでひどいという感想が生まれたのでしょう。

物語としての深みの無さがひどい?

テキストクリティークが映像化が難しいという点でも、原作やテレビアニメと比べてストーリーに深みが無いという指摘に繋がります。テクストクリティークにおいてテレビアニメと実写映画との違いは、時間の長さにあります。テレビアニメの場合は4月から9月という6ヶ月という期間放送されています。逆にその間に原作「氷菓」を読める時間も得られる場合があります。メディアミックスされやすい部分もあるのです。

名探偵の不在がひどい?

他にも、ミステリー映画と言えば必ず登場するであろう名探偵の不在も話題になっています。主人公の折木奉太郎は少しづつ謎を解いていく探偵だし、考えのまとまらないまま話を進めて、周囲に助けられながら真相にたどり着く所謂素人探偵です。かつての快刀乱麻に難解な謎を解決していった名探偵たちとは違う存在に描かれています。

謎の解決方法がひどい?

また謎の解決方法への不満の声もたっています。主人公である折木奉太郎の問いに殆どの関係者が嘘をつかずに答えていくからです。それは「氷菓」がテキストクリティークに特化したミステリーであることもありますが、そこにたどり着くまでの物語が垂直的であることも否めません。登場人物が嘘をつくタイプのミステリーではなく、文献をどのように読み解いていくかが重要なタイプのミステリーなのです。

容疑者≒被害者?

このことから、「氷菓」というミステリーが関谷純が容疑者のように初めは思いながらも実は被害者であるという二重構造が浮き彫りにされていきます。そのことで、大人である糸魚川養子の存在が大きいのです。実写映画ではほぼ唯一、主人公たちである古典部員と関わる大人は糸魚川養子であり、彼女の行動こそが「氷菓」が青春ミステリーとして成り立つ立地点になります。それは大人だからこそ嘘をつくという本質があるからです。

関谷純の帰還

そして、故意に誤読され続けた「氷菓」のタイトルに古典部員たちはついに関谷純の声を見つけ出します。そこには「私は叫ぶ」という言葉が隠されてきました。ただその言葉は関谷純の不在の中で叫ばれたものでした。しかし一方では関谷純はただ不在になっているだけで死んだわけではありません。そして忘れたわけでもなかったのです。それが折木供恵の手紙によって最後に明らかになるのです。

実写版映画・氷菓のありえなさがひどい?

他にも実写版映画「氷菓」の評価の低さには、その「ありえなさ」について見受けられます。そこでどこが「ありえな」かったのか、について調査と考察をしていきます。まずは製作者側に対する疑いです。製作者側は観客の事を考えずに「映画を作りたいだけ」だったり「作って利益を出したい」だけだったのではないか、という声です。この意見の中では、観客に対するピントのずれが指摘されています。

テレビアニメの実写化がひどい?

また、原作が人気がでる→テレビアニメ化→実写映画化という構図のなかに、現在の日本の映画界では人気がでた漫画やテレビアニメを実写化しようとする傾向が取りざたされています。2017年には漫画、テレビアニメとも人気を博した「鋼の錬金術師」が実写映画化されていますし、2012年には伝説的な漫画、「るろうに剣心」も実写映画化されています。

しかし実写版映画「氷菓」の場合、もともとのテレビアニメとの差がありすぎて、単体の作品としての魅力に欠けてしまっているようです。このことから観客にも観ない自由がある、という意見もあります。これはテレビアニメ版や原作小説に対する愛が強すぎるため、生まれた誤解かもしれないとも受け取れます。余程個人的につまらないと感じたのかもしれません。

映像化の向き・不向きについて

アニメの実写化を止めてほしい、というアニメ好きの痛切な思いもあるようです。現在は実際的に小説や漫画がアニメ化され人気が出た後、実写化されるというパターンは存在しますが、逆のパターンはなかなかありません。それは映像化においてアニメが向いている、実写が向いているというある程度の不文律が存在するからではないでしょうか。

勿論すべてのアニメが実写化が向いていないとは限りませんし、全ての実写化がアニメには向いていないということではないでしょう。ただ今回の「氷菓」は小説からアニメ化され評価が高かったのが、実写化されたことで評価が下がったことは事実のようです。

氷菓の実写映画の評価がひどい理由についてまとめ!

今回のまとめは、実写版映画「氷菓」の評価が低すぎることについてのまとめでした。何故この映画がこれほどまでに低い評価を得たのかと考えると、やはり小説の世界を忠実に再現したと思われるテレビアニメ版「氷菓」との比較は免れないでしょう。そこから皆「何故いま『氷菓』を実写映画化するのだろうか。」という疑問にぶち当たらないわけにはいかなかったのです。

しかし海外の例を見るまでもなく、大ヒット映画にはもともと原作がついていて、その原作自体がとても人気のある作品である場合が多いのが実情です。まず売れるか売れないか、で製作側が判断する部分はあるのではないでしょうか。そしてやはり「氷菓」は原作、テレビアニメとも評価が高く、その分内容に関してハードルが高くなっている部分は否めないでしょう。

前述したとおり、良い作品や面白い作品を作るときはハードルが高くなる場合があり、周囲からは理解されにくい部分もあります。ファンからの感想を見る限りでは実写映画版「氷菓」に関しては「何故、今実写で『氷菓』を撮らなければならないのか。」の部分を観客が了解することが出来なかったのが大きな部分を占めているようです。

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