ブルース・リーの死因の真相とは?息子の不自然な死やアグネスの意味深発言も考察

「ワチャー」の掛け声でお馴染みの中国武術アクションスターであるブルース・リーの死因の真相・真実について、ネット上で話題となっています。32歳の若さでこの世を去ったブルース・リーの死因は公式発表では「脳浮腫」とされていますが、確証が得られないとして様々な憶測、考察が飛び交っているようです。この度は、考察されているブルース・リーの死因についてをまとめ、アグネス・チャンの意味深発言や、不自然死でブルース同様に若くしてこの世を去った息子のブランドン・リーについても紹介しているのでご覧ください。

ブルース・リーの死因の真相とは?息子の不自然な死やアグネスの意味深発言も考察のイメージ

目次

  1. ブルース・リーとは?
  2. ブルース・リーの死因の真相やアグネスの意味深発言
  3. ブルース・リーの息子の不自然な死
  4. ブルース・リーの出演映画
  5. ブルース・リーに関する感想や評価
  6. ブルース・リーの死因の真相や真実まとめ

ブルース・リーとは?

ブルース・リーは、香港の中国の武術家でアジア人初のハリウッドスターになった人物です。そんなブルース・リーはまだまだ健康で活発に動ける32歳の時に突然頭痛に襲われ、横になるとそのまま目覚めず亡くなりりました。彼の死因は公式には「脳腫瘍」と公表されていますが、ブルースリーと同時期にスターとなった香港歌手のアグネス・チャンの意味深発言などからブルースの死因の真相について様々な考察がされているようです。

ブルー・スリーの息子であるブランドン・リーも撮影中の事故で若くして亡くなり、一部では呪いだとも言われていたようです。本記事では、語られているブルー・スリーの死因の真相・真実についてまとめて紹介していきます。

ブルース・リーのプロフィール

ブルース・リー(李小龍/リー・シャオロン)は、1940年11月27日にアメリカ・サンフランシスコの中華街の病院で生まれ、イギリス領の香港九龍で育ちます。父親は中国系の広東演劇の役者・李海泉、母親は香港の実業家の娘でコーカソイドと中国人のハーフ・何愛瑜(グレイス・ホー)です。5人兄弟の次男に生まれ、兄弟姉妹には姉のフィービー・リー、アグネス・リー、兄のピーター・リー、弟のロバート・リーがいます。

ブルース・リーの経歴

生後3か月でサンフランシスコで制作された映画『金門女』に出演し、その後イギリスの植民地下の香港に帰国します。第二次世界大戦終了時、8歳のブルース・リーは子役として多くの映画に出演し、北派少林拳の邵漢生に師事し、節拳(弾腿門)などを学びます。13歳の頃には詠春拳の使い手である葉問のもとで5年間修業します。18歳の頃にはブルース・リーの将来を心配した父に命じられ単身渡米し、シアトルに移住します。

新聞配達のアルバイトをしながら職業訓練学校に通い高校卒業資格を取得後、ワシントン大学の哲学科に進学します。勉学に励みながら「振藩國術館」を開いて中国武術の指導を始め、高校では哲学の講師もします。その頃、同じ大学の医学生で道場の生徒でもあったスウェーデン系イギリス人であるリンダ・エメリーと結婚し、大学を中退して道場経営に専念します。

ブルース・リーは1966年にアメリカで開催された「ロングビーチ国際空手選手権大会」で詠春拳を披露し、そのフィルムがTVプロデューサーの目に止まるとTVシリーズ『グリーン・ホーネット』の準主役に抜擢されます。正義のヒーローである主人公の「グリーン・ホーネット」の助手兼運転手役で、目もとにマスクをした日系アメリカ人のカトー役を演じました。派手なアクションを魅せて人気となります。

以後、ハリウッド俳優やプロデューサーを相手に武術の個人指導し、テレビや映画などでゲスト出演を重ねていきます。香港の大手映画会社「ショウ・ブラザーズ」から独立したレイモンド・チョウが設立した「ゴールデン・ハーベスト」と1本一万香港ドルで2本の映画の出演契約を交わし、初主演映画『ドラゴン危機一髪』が公開されると映画は大ヒットとなり、一躍、香港のトップスターの仲間入りを果たします。

主演第2作目『ドラゴン怒りの鉄拳』、3作目『ドラゴンへの道』を出演し、いつしかブルース・リーは製作・監督・脚本・主役の4役を担い、自らプロダクションも設立するようになります。ブルース・リーは香港で不動のトップスターの地位を築き上げるのです。1973年にはアメリカと香港合作映画『燃えよドラゴン』が製作され、ブルース・リーが監督する2作目の映画『死亡遊戯』の製作も進められます。

しかし、その打ち合わせの最中に体調不良を訴え、少し休むと言って共演予定の女優であるティン・ペイ宅のベットで横になったまま帰らぬ人となりました。ブルース・リー、享年32歳でした。

Bruce Lee

ブルース・リーの死因の真相やアグネスの意味深発言

死因の真相考察①公式では「脳浮腫」

ブルース・リーの遺体には外傷がなく遺体解剖の結果、死因は重度の脳浮腫と公式では公表されました。ブルースの脳は、過剰な水分が脳内に溜まっており、脳の大きさが13%も増大していたようです。

死因の真相考察②法廷の見解

1973年の9月に開廷した香港の法廷では、7つの可能性を示した見解を列挙しています。まず、突然死したブルース・リーには外傷がなく、部屋を荒らされた、または争ったような形跡もなかったため、他殺、誤殺、合法的殺害は考えられないとして除外されました。自殺に関しては、レイモンドやブルースの妻・リンダなどの話から心身が不安定という様子もなく、自殺の動機が見当たらないとして可能性は極めて低いと判断されました。

検視で死に至る疾患は見られず自然死も除外され、鎮痛薬の服用でアレルギーを起こした可能性が極めて高いと事故死についてを考慮し、死因不明であることも熟考するとの見解が下されたようです。法廷では明確な根拠が確立されず、世間には急死と公表され納得できないという人が多かったようです。

死因の真相考察③兄の李忠琚の証言

ブルース・リーの死因の真実について、証人として法廷に出廷したブルースの兄の李忠琚の証言では、ブルース・リーには大麻を吸う習慣があったが、1か月前に会った時には心身共に変わった様子は見られなかったと語っています。

死因の真相考察④レイモンド・チョウの証言

ブルース・リーの死因の真実について、ブルースとほぼ毎日顔を合わせていたというレイモンド・チョウの証言では、映画の詳細を話す際もブルース・リーはテンションが高く、家庭内問題についても特に何も聞いていないと話しています。

死因の真相考察⑤ティン・ペイその他の証言

ブルース・リーは女優のティン・ペイの自宅で息を引き取りました。ティン・ペイをはじめその他の知人などの証言から死亡当日のブルース・リーの行動が分かっています。死亡した当日1973年7月20日の午後1時に妻・リンダにブルースは『死亡遊戯』の脚本のことでティン・ペイの家でレイモンドと相談する約束があるため夕飯は家では食べないと話していたそうです。

医師が処方した痛み止めを服用したブルース・リーは、午後2時にレイモンドと自宅で脚本について話し合った後、共にティン・ペイの家に到着します。夜にはハイアットリージェンシーでオーストラリアのジョージ・ロバート・レーゼンビーと会ってキャスティングの相談をする予定がありました。3人で『死亡遊戯』について2時間ほど話し、7時頃にブルースは気分が悪い、頭痛がすると訴えます。

ブルース・リーはティン・ペイが処方された痛み止めを飲み、レイモンドには少し休んでから打ち合わせにいくと伝えベッドで横になります。夜8時30分頃、ティン・ペイが彼の様子を確認するとよく眠っていた為、起こさずにホテルで打ち合わせ中のレイモンドに電話で状況を伝えます。

打ち合わせを終えたレイモンドはティン・ペイ宅を再訪しブルース・リーに声を掛けますが反応はなく、様子がおかしいことに気付き直にティン・ペイのかかりつけの医師・朱博懐を呼びます。ブルースの意識や呼吸・脈もなく心臓も止まっていたと言います。

死因の真相考察⑥医師・曾広照の証言

ブルース・リーの死因の真相・真実について医師・曾広照の証言を見ていきます。死亡当日の夜11時にブルースの状態を確認したときには、すでにブルースは死亡していたと言います。しかし、スターの立場にあることを考慮して心臓へのエピネフリン注射を試みるも反応はなかったようです。

死因の真相考察⑦アグネスの意味深発言

アグネス・チャンの意味深発言についてみていきます。当時、ブルース・リーと映画共演を控えていた香港歌手スターのアグネス・チャンはあるテレビ番組で司会者にブルースリーの死因の真相・真実について尋ねられると「ブルース・リーの本当の死因の真相・真実は香港の芸能人なら誰でも知っているが、命が惜しいから言わない」と語っています。アグネスはその発言以来、一切何も語っていないようです。

香港の芸能界と裏社会組織は根深く、売れた芸能人は金銭目的でマフィアに狙われることが頻繁にあったそうです。ブルース・リーも裏社会組織の人間に何らかの話を持ち掛けられ、それを断り続けた結果暗殺されたのではないかと考察されています。

死因の真相考察⑧筋弛緩剤

ブルース・リーの友人で武道家のチャック・ノリスはブルースが筋弛緩薬を飲んでいたことを明かし、それが死因だと主張し議論を活発化させます。ノリスの発言でこれまでブルースが健康維持のために飲んでいたハーブのサプリメントが体型維持のために覚せい剤を飲んでいたという過剰な憶測に発展することになります。

死因の真相考察⑨売春婦陰謀

ブルース・リーの死因の真相・真実で囁かれている噂には、売春婦がブルースを殺害したのではないかという説があります。ブルースは売春婦によって盛られた媚薬の影響で自制心を失い暴力的になったため、売春婦が身を守るためにブルースを死に至らしめたのではないかと言われているようです。

死因の真相考察⑩日本の暴力団の暗殺

ブルース・リーの死因の真実には、日本の暴力団が関わっていたという説もあるようです。ブルースの死因に疑いを持ったアシスタントのハーセンが、アメリカの人体学者に死因調査を依頼すると、その学者の自宅に複数の日本人の団体が訪問していたようです。ブルースは多忙な時は、日本のある企業が開発した電気刺激で筋肉を鍛錬する装置器具を使用しており、それがブルースの人体に悪影響を与えたと言われています。

現に死因調査中にそのメーカーの筋肉鍛錬装置器具は販売中止となっています。ブルース・リー宅にあるはずの筋肉鍛錬装置器具もいつの間にかなくなっており、探偵の調査では筋肉鍛錬装置器具を開発したメーカーのバックには暴力団の影もあったそうです。ハーセンが依頼した学者はブルースの死因調査を突然中断しただけでなく消息不明で、真相を暴かれることを恐れた日本の暴力団が拉致したのではないかと言われているようです。

死因の真相考察⑪中国武術の暗殺

中国武術化のブルース・リーは、中国人だけでなく、様々な国籍の生徒に武術を指導していました。中国秘伝の武術を中国人以外に指導するのを快く思わなかった中国国内の古参の武術家たちはブルースと対立してたようです。再三の忠告を無視続けたブルースに我慢できなくなった古参は、中国マフィアにブルース・リー暗殺を依頼したという説も流れているようです。

死因の真相考察⑫癲癇

ブルース・リーの死因の真実の考察には、癲癇が最も有力な死因であると言われています。癲癇による死亡が認識されたのは1995年以降のことです。当時、頭痛を訴えていたブルース・リーは映画の打ち合わせや自分のトレーニングなどで多忙でした。少し休むために鎮痛薬を飲んで眠りにつきます。その鎮痛剤が影響して神経が過剰に強く興奮し、癲癇を発症したと見られています。

死因の真相考察⑬幼少時代から霊が取り憑いていた?

ブルース・リーは幼少時代から霊に取り憑かれていたという噂が浮上していたようです。ブルースの両親は何かがブルース・リーに取り憑いていると信じており、両親は彼を女の子の名前で呼んでいたそうです。

中国には、息子を男の子の名前で呼ばなければ、男の子の魂を盗む霊を混乱させて息子を守ることができるとの言い伝えがあり、ブルースの前に生まれた男児を亡くしていた両親がブルースを失わないために女の子の名前で呼んでいたそうです。ブルース・リーの家族の死に纏わるエピソードも加わったことで「ブルース・リー一家の呪い」の噂話が完成します。

ブルース・リーの息子の不自然な死

事故死したブランドン・リー

ブランドン・リーはブルース・リーの息子・長男で武術家でもあり、中国系アメリカ人の急上昇中の若手俳優として活躍していました。ブランドン・リーは1993年に映画『クロウ/飛翔伝説』の撮影時に共演者のマイケル・マッシーが放った銃弾を腹部に受け、病院に搬送されて手術を受けますが、この世を去ります。撮影予定では空砲のはずでしたが、マイケルに渡された銃には実弾が入っていました。

28歳の若さでこの世を去ったブルース・リーの息子のブランドン・リーの死は事故死とされていますが、実弾の入った銃が現場に持ち込まれていたことが不自然だと疑う声も上がっていたようです。映画関係者の中には、ブルースに恨みを持った誰かが仕向けたのではないかと見る人もいるようです。この事故がきっかけで「ブルース・リー一家の呪い」という話まで誕生しています。

息子の死を直前に予言していた?

ブルース・リーの伝記映画、1993年制作の「ドラゴン/ブルース・リー物語」は息子のブランドン・リーの死を直前に予言してたと言われています。作中のブルース・リーは生まれた時から悪魔の幻影に付きまとわれ、ブルースに彼自身の墓を見せたりする悪魔と闘います。

しかし、悪魔は突然ブルースに興味を無くすと、息子のブランドン・リーを標的にし始めるという内容の作品です。この映画の2か月前にブランドン・リーは絶命しています。

ブルース・リーの出演映画

出演映画①ドラゴン危機一発

1971年映画『ドラゴン危機一発』は、タイの製氷工場を隠れ蓑に麻薬密売をするギャングの一味に従兄弟達を殺害されたチェン(ブルース・リー)が怒りを爆発し復讐するカンフー映画です。ブルースリーは元々、準主役で起用されていましたが、彼の圧倒的な存在感に脚本が書き変えられ主役となりました。

出演映画②燃えよドラゴン

1973年公開映画『燃えよドラゴン』は、少林寺の高弟で武術の達人・リー(ブルース・リー)がかつて同じ少林寺で武術を学ぶも悪に手を染めて破門となったハン(シー・キエン)と死闘を繰り広げるカンフー映画です。本作品は世界各国で公開されて大ヒットとなり、ブルース・リーとカンフーが世界的ブームとなる幕開けの作品です。

出演映画③死亡遊戯

1978年映画『死亡遊戯』はブルース・リーの急逝で未完となっていましたが、ブルースの死から5年後に『燃えよドラゴン』の監督であるロバート・クローズとサモ・ハン・キンポーがメガホンを取り、ハリウッド俳優で脇を固め、ブルースの代役にユン・ワーやユン・ピョウが起用されて追加撮影し完成されました。

日本ではヒットしたようですが、世界的ヒットにはなりませんでした。物語は主人公の世界的なアクション映画スターのビリーと有能なスポーツ選手や俳優などと終身契約を結び暴利をあげる巨大国際シンジケート組織との戦いを描いた作品となっています。

ブルース・リーに関する感想や評価

ブルース・リーについての投稿には、アグネス・チャンとブルース・リーが一緒に写った写真がありました。アグネス・チャンはブルースリーの死因について全く触れようとせず、某有名人がさりげなく尋ねたようですが、それでも話をはぐらかされたようです。徐々に毒を持って暗殺と分からなくする策でもあるのではないかと考える人もいることが感想からうかがえました。

ブルース・リーの息子のブランドン・リーの死についての感想には、父と同じ絶頂期で謎の死を遂げていることに奇妙さと切なさを感じるという声があがっていました。感想の中には、上記のブルース・リーとブランドン・リー親子の中睦まじい姿が写し出された写真もあったと投稿されています。

高校で哲学の教師をした経験のあるブルース・リーの言葉に励まされる人は多く、有名な「Don’t think feel!」が口癖になっている人も中にはいるようです。感想には、もしブルース・リーが存命していたら現在のカンフー映画についてなんと答えるか気になるという声も見られました。現在も尚、伝説となっている人物であることがうかがえます。

ブルース・リーの死因の真相や真実まとめ

中国武術で一躍はハリウッドスターとなったブルース・リーの死因の真相・真実についてや、息子のブランドン・リーの不自然な死やアグネス・チャンの意味深発言などについて考察してきました。ブルース・リーは圧倒的な迫力のある武術で魅せており、現在も尚多くのファンを魅了しています。ブルースの死には様々な説が飛び交っており、未だ本当の死因がなんであるかは明らかとなっていません。

今後、死因が明らかになるかは定かではありませんが、はっきりせず謎に包まれていることもファンの好奇心を刺激し、彼に夢中にさせる要因でもあるのではないでしょうか?今後も、カンフー・アクション・ムービースターとして世に語り継がれていくに違いありません。ブルース・リーの映画は鑑賞して間違いはないと言われる作品なので、まだ見たことがない方は一度ご覧になってみるといいかもしれません。

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