2018年10月09日公開
2018年10月09日更新
セッションが高評価の理由とは?ラストシーンの感想・レビューまとめ
このまとめでは、映画「セッション」の感想やレビューについて、映画にどのような評価がされているのか、ラストシーンなどのあらすじネタバレとともにご紹介していきます。ラストシーンをはじめとして、感想やレビューサイトにて高評価を受け、アカデミーでも賞を受賞した映画「セッション」。SNSやネットの感想・レビューサイトには「ラストシーンに痺れた」といったコメントも。注目のラストシーンとは一体どんなものなのか、高評価を受けている理由などを、徹底的にご紹介していきます!
目次
セッションが高い評価な理由が知りたい!
このまとめでは、映画「セッション」の感想やレビューについて、映画にどのような評価がされているのか、ラストシーンなどのあらすじネタバレとともにご紹介していきます。ラストシーンをはじめとして、感想やレビューサイトにて高評価を受け、アカデミーでも賞を受賞した映画「セッション」。SNSやネットの感想・レビューサイトには「ラストシーンに痺れた」といったコメントも。
というのも実は、映画「セッション」の尺は善で109分と、今時の映画にしてはやや短め。そのわりに、ラストシーンでは9分以上の長い尺を一つのシーンに使っているというこだわりよう。注目のラストシーンとは一体どんなものなのでしょうか。また、感想の中には「合わなかった」というレビューも。
さらに、「セッション」よりも音楽の表現方法がマイルドになったという評価のある「ラ・ラ・ランド」も「セッション」と同様合わなかった、という感想も散見されることから、レビューでは両方ともにデイミアン・チャゼル色の強い作品となっているという評価があります。映画が高評価を受けている理由や、逆に「ダメだった」と感想している人の理由など、徹底的にご紹介していきます!
セッションについて
感想・レビューなどで高評価を受けた映画「セッション」とはどんな映画なのか、ラストシーンをご紹介する前に、まずは概要を見て行きましょう。映画「セッション」の監督・脚本は、「ララランド」など続く映画でも高評価を受けたデイミアン・チャゼル。主演はマイルズ・テラーです。映画「セッション」は第87回アカデミー賞で5部門にノミネート・助演男優賞などの3部門で受賞を果たす等、専門家からも高い評価を受ける映画に。
映画「セッション」のラストシーンが特に「衝撃」として評価されるのは、その内容もさることながら、監督・脚本を務めたデイミアン・チャゼルが若干28歳という若さでこの映画を作り上げたということから来ています。映画「セッション」は、ジャズ・ドラマーを夢見る主人公の若者が、入学した先の音楽の名門学校で鬼教師に罵倒され、なじられ、人格を否定されながら、音楽の道を極めるために走り続けるというストーリーです。
結果的には高評価を得たデイミアン・チャゼル監督の映画「セッション」は、プロデューサーたちの関心は集めたものの、出資者はなかなか現れませんでした。しかし、未だ映画化されていない素晴らしい脚本のリスト「ブラックリスト」の2012年版に名前が挙がり、注目を集めす。デイミアン・チャゼル監督はその後、十分な資金を調達するために、脚本の15ページ分を映像化した短編映画を製作。
出来上がった18分の短編映画が第29回サンダンス映画祭に出品され、絶賛を受けると、ようやく出資者が揃い、なんとか映画化まで漕ぎ着けることができました。しかし、出資金は他の大作に比べれば微々たるもの。また、撮影の条件は、決して整ったものだとは言えなかったようです。映画の撮影のために許された期間は、信じがたいことにたったの19日間しかなかったのだと言います。普通、映画の撮影期間は1月程度かかるもの。
加えて不運なことに、映画「セッション」の撮影中、デイミアン・チャゼル監督は交通事故に遭ってしまいます。しかしデイミアン・チャゼル監督は並々ならぬ執念で翌日には現場復帰し、撮影を終えたといいます。最終的に、製作費としてかけられたお金は立ったの3億円。同じ年のアカデミー賞に輝いた「バードマン」ですら、製作費には20億円をかけていますので、「セッション」の額の少なさが群を抜いていることは一目瞭然でしょう。
そうして出来上がった映画「セッション」は、2014年の年明けに開催されたサンダンス映画祭で上映されると、絶賛の声が鳴り止みませんでした。アカデミー賞では作品賞・脚色賞にノミネートされ、低予算映画にして、助演男優賞、編集賞、録音賞といったみっつの賞を受賞しました。「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」のジェームズ・ガン監督は2014年のお気に入りの映画として映画「セッション」を評価しています。
日本でも2015年の外国映画ベスト10で第7位にランクインしています。そうして、世界中の映画人、ファンから高い評価を受けた映画「セッション」。物語は、主人公の気弱な青年アンドリュー・ニーマン(マイルズ・テラー)が世界的なジャズ・ドラマーを目指して音楽の名門校に入学するも、そこで鬼のような教師のテレンス・フレッチャー(J・K・シモンズ)と出会い、罵倒されながら、それでも音楽の道を極めていく様を描いた作品。
作品の感想・レビューの中には、この作品に対して「デイミアン・チャゼル監督の『ジャズ』への愛憎を感じる」といったものも。それもそのはず、映画「セッション」はデイミアン・チャゼル監督自身がジャズの道を志す中で映画と同じように鬼教師と出会い、挫折してしまったという経験がベースになっているのです。高校時代、ジャズドラムに傾倒したデイミアン・チャゼル監督は、名門バンドでプレイするなど才能の片鱗を見せます。
師事していた鬼教師の指導があまりに苛烈であったために、音楽の道を途中で断念。ハーバード大学に進学し映画を専攻しますが、鬼教師から受けた指導がトラウマとなり、悪夢にうなされたといいます。そんな自らの体験と向き合うため、製作したのが映画「セッション」でした。28歳にして衝撃作「セッション」を作り上げたデイミアン・チャゼル監督ですが、その後2016年後悔の「ラ・ラ・ランド」はまたもやヒットとなります。
映画「セッション」に続き製作・公開された「ラ・ラ・ランド」は、第74回のゴールデン・グローブ賞で作品賞、主演男優賞、主演女優賞などを受賞。さらにはアカデミー賞でも、作品賞などの主要5部門を総ナメにするという大成功を収めました。「ラ・ラ・ランド」は、しがないジャズピアニストの男性(ライアン・ゴズリング)と女優を目指すカフェ店員の女性(エマ・ストーン)の、ロサンゼルスを舞台にしたラブストーリーです。
「ラ・ラ・ランド」は、映画の街ロサンゼルスの異名にして、「夢を見ているような酩酊気分」という意味が合わさったダブルミーニング。荒々しい作風であった「セッション」とは打って変わって、王道のラブ・ロマンスのテイストが全体を覆っています。一方で、冒頭の高速道路を舞台にした長回しのミュージカルシーンは圧巻。鬼才・デイミアン・チャゼルが自身の持つ実力を見せつけるかのような素晴らしいシーンと評判です。
感想やレビューにもあるように、映画「セッション」がデイミアン・チャゼル監督のジャズに対する愛憎を荒々しくぶつけたような作風であるのに対し、「ラ・ラ・ランド」はジャズへの積年の想いを、かつての恋愛とともに回想するような作りとなっています。荒削りさがとれ、より万人からの評価を受ける作りとなっているのが、大ヒット作「ラ・ラ・ランド」。冒頭からラストまで、各シーンへの万遍ない評価が見られるのも特徴です。
一見ガラッと変わった作風のように見える両者ですが、通底するのはデイミアン・チャゼル監督の「音楽への思い」である、といったレビューも各所で見ることができます。今回ご紹介している映画「セッション」と合わせて、同じデイミアン・チャゼル監督作である「ラ・ラ・ランド」を鑑賞してみると、より多くの発見があるのではないでしょうか。
セッションのあらすじは?
では、いよいよ高評価を受けた映画「セッション」のあらすじをご紹介しましょう。高評価の所以と言われるラストシーンについても、たっぷ解説していきます。映画「セッション」の主人公は、アンドリュー・ニーマンという19歳のジャズ・ドラマーです。ニーマンは子供の頃から世界的なジャズ・ドラマーになることを夢見ていました。若くして才能を芽生えさせたニーマンは、音楽学校の名門、シェイファー音楽学校へと進学します。
校内のスタジオのひとつでひとり練習をしていたニーマンは、シェイファー音楽学校の中でも随一のスパルタと名高い教師、テレンス・フレッチャーが現れます。フレッチャーは鬼教師として知られていますが、もし彼に見初められてば、スカウトを受け、プロのドラマーとして大成する近道となります。フレッチャーの前で演奏するニーマンですが、フレッチャーは何も言わず、無言のまま出ていってしまいます。
ニーマンが普段所属しているクラスのバンドに、ある時フレッチャーがやって来ました。そこでニーマンは普段、ドラムの主演奏者であるライアンの譜めくり係をさせられています。しかし、フレッチャーがクラス一人ひとりに試しに演奏をさせ、ニーマンの番になると、彼が叩くドラムはフレッチャーの関心を引きます。そしてフレッチャーは去り際、ニーマンに自分のバンドに映るよう言いました。
そうして、ニーマンはシェイファー音楽学院最高峰であるフレッチャーのクラスへと招かれることになりました。フレッチャーに才能を認められたと喜び、舞い上がるフレッチャー。また、父のジムとともにいつも行く映画館の売店で、ニコルという女性と出会い、恋に落ちます。彼はなんとかニコルをデートに誘い、OKをもらいました。音楽、恋愛ともに順風満帆なニーマンはやや有頂天になるのでした。
苛烈極まるフレッチャーの指導
フレッチャーのバンド初日、スタジオへと赴いたニーマンは、妙な違和感を覚えます。バンドメンバーたちはみな、フレッチャーが現れるなり異常な緊張感を漂わせ始めるのです。バンドの演奏を耳にしたニーマンは、自分が元いたバンドとのレベルの違いに圧倒されます。そのレベルの高さは、妥協を知らないフレッチャーの指導の厳しさから来たものでした。演奏の途中、音程を外している者がいると演奏をやめさせたフレッチャー。
自分で音程を外していることがわからなかったバンドメンバーの一人を罵倒し、泣かせてしまいます。果てには、軍隊で行われるような厳しい尋問の末、彼はスタジオから追い出してしまいまた。練習後、フレッチャーはニーマンに親切げな顔で話しかけます。しかし、厳しすぎるフレッチャーの態度は、ニーマンに対しても例外ではありませんでした。理想の「ジャズ」を追求するためならば、どんな手段も厭わないフレッチャー。
完璧主義者である彼は、彼の「理想」ではない生徒に対し、罵声と時に体罰によって、過度に厳しい指導を繰り返し行って来たのでした。翌日、ニーマン自身が演奏する機会が訪れると、彼はわずかにテンポが遅れているということを理由に、何度もひとりでやり直しをさせられます。フレッチャーにバンドメンバーの前で罵倒され、椅子を投げつけられ、ビンタまでされると、ニーマンはこらえきれずに泣き出してしまいます。
屈辱的な仕打ちと自分の技量不足に、ニーマンはただ俯くしかありませんでした。しかし、理不尽な暴力に傷つきながらも、ニーマンはフレッチャーを見返そうと練習に練習を重ねます。練習のしすぎで指に血が滲むほど練習しても、彼の力は認められず、サポートの役しか与えられませんでした。そんなある時、フレッチャーのバンドはシェイファー音楽院を代表して、ジャズコンテストに参加し、譜めくり役としてニーマンも帯同します。
楽譜を一時預けられたニーマンは、その楽譜をなくしてしまいます。フレッチャーはカールに、暗譜しているはずだから問題がないだろうと尋ねますが、カールには記憶障害があり、楽譜を暗記することができませんでした。そのことがニーマンにとっては幸いし、ニーマンがカールの代理として登壇することになりました。土壇場で完璧に演奏して見せたニーマンの腕前は、フレッチャーのお眼鏡に敵い、ニーマンは主演奏者になります。
ニーマンはそのことを大層喜びますが、彼の親戚たちは「ジャズなんて」と眉を顰めます。また、ニーマンは地方出身同士であるということでニコルとは順調に交際を重ねていましたが、一方でフレッチャーに認められたという事実はニーマンをジャズへとのめりこませ、周囲の人々から離れ、ジャズの世界へと没頭させて行くこととなります。
ドラムへのめり込むニーマン、しかし…
フレッチャーのバンドでは、大会への準備が始まっていました。メンバーたちが意気込む中、ある時スタジオに現れたフレッチャーは、かつての教え子であったショーン・ケイシーという奏者が自動車事故で亡くなったことをメンバーたちに伝えました。かつての生徒の訃報に涙するフレッチャー。血も涙も無いかと思われていたフレッチャーが見せる涙に、ニーマンは意外な気分を覚えます。
しかしそんな中フレッチャーは、以前のクラスでニーマンを差し置いて主演奏者であったライアンをスカウトし、バンドメンバーとして加えていたのです。前の主演奏者であったカールとニーマン、そして新参のライアンの3人で、主演奏者の座をかけて荒そう構図となりました。ライアンの演奏をベタ褒めするフレッチャーの様子に、ニーマンは焦燥感を覚えます。その苛立ちから、彼はニコルを一方的に振ってしまいます。
フレッチャーは、ドラマーの主演奏者候補の3人に競わせるため、極端に早いテンポでの演奏をさせます。誰か自分を納得させる演奏ができるまで、他のバンドメンバーをスタジオから追い出し、3人だけを残してしごきが続きました。演奏競争があまりに長時間にわたり、各ドラマーの指からは血がしたたり落ちます。各々が疲弊する中、ニーマンだけが演奏を続け、最後に、フレッチャーはニーマンの実力を認めざるを得ませんでした。
そして大会当日、ニーマンにハプニングが起こります。会場までバスで向かおうとしていたニーマンですが、バスが故障してしまいます。レンタカーを手配し会場へと向かいますが、着いた時には、主演奏者はライアンに奪われていました。さらに悪いことに、ドラムスティックをレンタカーショップに置き忘れたことに気づくニーマン。スティックを取りに引き返し、会場への移動を焦るあまり、トラックとの衝突事故に遭ってしまいます。
車が横転し、事故に巻き込まれるニーマン。それでも諦めない彼は、血を滴らせながら執念で会場へとたどり着き、血だらけの体でドラムの前に座り、演奏することを選びます。演奏が始まりますが、スティックが血で滑り落ち、怪我の影響もあり、満足に演奏を続けることができませんでした。惨憺たる結果に終わった演奏を見て、フレッチャーはその執念をねぎらうのではなく「お前は終わりだ」と冷淡な言葉をかけるのでした。
鬼教師の言葉に逆上し、ニーマンはフレッチャーに掴みかかります。結果、シェイファー音楽大学を退学になり、ニーマンはコロンビア大学に転校することになります。ニーマンの父であるジムは、シェイファー音楽大学を相手に、フレッチャーの行き過ぎた指導を訴えることにします。ジムは、ショーン・ケイシーというフレッチャーの元教え子の代理人を務める弁護士と接触します。弁護士は、ケイシーの死因についてジムに話します。
ケイシーはフレッチャーの行き過ぎた指導により精神を病み、自殺したのだといいます。弁護士は、ケイシーを死に追いやったことを理由に直接訴えることはできないけれど、ニーマンが協力すればフレッチャーに学校を辞めさせることはできると話します。フレッチャーを辞めさせることで、二度と犠牲者が出ることがないよう防ぐことはできると。ニーマンはフレッチャーの指導を受けつつ、音楽指導者としての力量を信頼していました。
それゆえ、ニーマンは初めケイシーの弁護士の話を断りますが、自身のドラムへの夢が潰えてしまったことで、生きがいを失っていました。自棄になったニーマンは、匿名で密告することで自分に危険が及ぶことはないと知り、フレッチャーの暴虐を打ち明けます。そのことで、フレッチャーは学校を追い出され、教員という職と立場を失うのでした。
フレッチャーとニーマン、二人の挫折
大学を移ったニーマンはドラムをやめます。数ヶ月が経ち、彼はニューヨークのドラッグストアの店員として働き、平穏な日々を送っていました。そんな中ニーマンは、とあるジャズクラブでフレッチャーがピアノの演奏をしているところに遭遇します。ニーマンの密告が原因で教員としての職を失ったフレッチャーは、場末の店で演奏者として、細々と暮らしていました。ニーマンの姿を見つけたフレッチャーは、彼を酒に誘います。
フレッチャーは自分のかつての指導について語ります。彼が学生に対して暴言や暴力を働いていたのは、偉大なジャズプレイヤーを育てたい一心のことであったと。フレッチャーにとっては、指揮者や演奏者としてではなく、世界的な音楽者を育てることが自分の仕事だったのだと。かつてジョー・ジョーンズがチャーリー・パーカーにシンバルを投げつけたことを例に挙げ、良い演奏者を育てるためには自分のような指導法が必要だったと。
褒めそやすだけではいいジャズプレイヤーは育てられない、と自分に後悔の気持ちがないことを語ったフレッチャーは、来たる音楽祭でバンドの指揮をする予定であることを打ち明けます。演奏予定のナンバーはシェイファー音楽大学時代のレパートリーと同じ。彼は今のメンバーが不十分であるといい、ニーマンを彼のバンドに誘います。初めて彼の本心に触れたと感じたニーマンは、彼の誘いを受けてドラムへの情熱を取り戻します。
ニーマンは自分のかつての振る舞いを悔い、ニコルとやり直そうと電話かけますが、彼女はすでに別の男性と交際していました。そして音楽祭当日、ニーマンはフレッチャーの思惑を思い知ります。その日バンドが演奏する曲目は、知らされた演目とは別のものでした。ニーマンは、嘘の曲目を知らされていたのです。おまけに実際の曲は複雑な変調子の難易度の高いもの。ニーマンは楽譜もないまま必死に演奏しますが、失敗に終わります。
フレッチャーは自身が教員での立場を失った背景に、ニーマンの密告があると踏んでいました。そんなニーマンへの復讐が、フレッチャーの目的でした。曲が終わり、舞台袖へと上がったニーマンを父親が抱きしめます。しかし闘争心を失わなかったニーマンは、負けたままでは終われないと、再びステージへと上がります。そして曲紹介を無視して、シェイファー音楽大学時代に大会で演奏した因縁の曲「キャラバン」を叩き始めます。
ニーマンの攻撃的な演奏に流され、他のバンドメンバーも同調されたことで、フレッチャーは主導権を失います。ニーマンにリードされる形の演奏に怒りをあらわにするフレッチャーですが、彼の演奏を聞くうちに指揮に情熱を燃やし、いつしか彼の顔には笑みが浮かぶようになっているのでした。
セッションが高評価の理由に迫る
デイミアン・チャゼル監督が描く衝撃作「セッション」ですが、高評価を受けているポイントはどういったところなのでしょうか。ここでは、映画「セッション」の見どころを特に見て行くことにしましょう。「セッション」の魅力とはまず、バンドやジャズといった題材を通して描かれる、普遍的な人生ドラマにあるというレビューも。主人公のニーマンは、最初は内気で押しの弱い青年です。
しかし、フレッチャーのスパルタ指導を受ける内、強い自分の存在を発見します。ニーマンがフレッチャーの指導に耐えられたのは、何より彼がうちに秘めていた「ジャズへの情熱」ゆえ。ニーマンの強い情熱は、やがて彼と家族や恋人など、周囲の人々との間に溝を生む原因になりまが、たとえ周囲からの理解が得られなくて没頭せずにいられないという夢は、誰もが抱くものであり、音楽やジャズに限ったことではありません。
「たとえ理解されなくても夢中にならずにいられない」といったテーマ、それを理解しあえる同士の存在が、相手が鬼教師であったとしても見つけ出せるかもしれない、といったストーリーは、音楽といったジャンルを超えて誰もが共感できるものだからこそ、「セッション」は高い評価を受けたのだ、といった分析も。それゆえ、「セッション」はジャズについての専門的な用語なども数多く登場しますが、見やすい作りになっています。
「主演ふたりの白熱の演技」も評価の理由!
また、「セッション」の魅力として、感想やレビューなどでは主演のマイルズ・テラーとフレッチャーとJ・K・シモンズの白熱した演技のせめぎ合いがよく挙げられています。感想やレビューサイドなどでも話題の「セッション」の見どころは、何と言ってもニーマンとフレッチャーの、ジャズへの情熱をかけたせめぎ合いの様子。実は、「セッション」の映画の大半は、この二人が行うやりとりでストーリーが進んで行きます。
ジャズという夢を追う青年の前に現れる鬼教師、という構図は、まさにデイミアン・チャゼル監督自身の経験を投影したもの。それゆえ妥協なく描かれたふたりの関係性には、一部「息苦しい」ほどだとするレビューもありますが、その部分を評価する感想も。また、ニーマン役のマイルズ・テラー自身がスタントなしでドラムをプレイし、白熱の演奏シーンを実現している点を評価する感想も多数。
セッションが高評価の理由は劇中曲にもある
「セッション」が高い評価を受ける理由は、劇中曲にもあります。代表的なのは、映画の原題ともなった「Whiplash」。この曲の作曲者はハンク・レヴィというトランペッターで、「変拍子の神様」とも呼ばれた人物。「Whiplash」もまた、複雑な変調子の曲です。「ムチを打つ」という意味の曲名は、互いに殴り合うようなニーマンとフレッチャーのある種暴力的な関係性を象徴するようなタイトルだと評するレビューもあります。
また、映画「セッション」にはストーリーに不可欠な要素として、実在のジャズプレイヤーやその楽曲が取り入れられています。象徴的なのが、チャーリー・パーカーというアルトサックスプレイヤーがシンバルを投げつけられるような失態を犯しながらも、その屈辱をバネに世界的アーティストとして大成した、というエピソード。鬼教師であるフレッチャーがしきりに生徒に辛く当たるのは、このエピソードがベースとなっています。
セッションで評価されるラストシーンとは?
「セッション」で様々なレビューや感想で挙げられているのが、ラストシーンの演奏です。「9分19秒」と予告などでも取り上げられる通り、このシーンはニーマンとフレッチャーの感情の全てがほとばしるような、バンドシーンとなっています。一度はプロのジャズプレイヤーの夢が砕かれ、あるいは指導者としての道を閉ざされ、互いに激しすぎる情熱がゆえに挫折した二人が、ラストシーンでは互いしか理解できない境地へと至ります。
映画「セッション」は109分という短さながらも、ラストシーンには9分も割いているほど、ラストシーンは重要なものとなっています。観客はそれまでの展開から、フレッチャーとニーマンが和解するかもしれないという予想を裏切られて、ラストシーンの演奏へと突入します。そして、数々のレビューサイトで絶賛されているラストシーン。最高のジャズを追求することが全てだと雄弁に語っているようだという感想もありました。
セッションを観た感想やレビューを紹介!
高評価の感想
デミアン・チャゼル監督「セッション」見た。傑作だー!ラストシーンのための映画。息を止め、鬼気迫るセッションの終わりに大きなため息。そしてエンドロール。bravo!
— カワダ (@denenhuukei) December 28, 2015
それでは、見た人の感想を実際に見て行きましょう。まずはやはり、ラストシーンについてのレビュー。ラスト9分の演奏シーンを見た人は誰でも、その鬼気迫る演技に圧倒されます。中には、主人公が全てを捨ててジャズにのめり込んで行く様に圧倒された、という意見や、フレッチャーとニーマンの関係性を自分と会社の上司に置き換えてみて、ラストシーンは思わず胸に迫るものがあったと評価する感想・レビューも。
低評価なレビュー
「セッション」「ララランド」と観て、チャゼル監督とは音楽に対する愛情が壊滅的に噛み合わないと感じ、この人の作品は一生観ないほうがいいなと決めました。それくらい合わなかったので。監督の熱量の高さは認めますし、高く評価される方が多いのも理解できますが、合わないのはしょーがない。
— ⚡️たま⚡️ (@tamahime_sama) February 14, 2018
こちらは、ラストシーンをはじめとした「セッション」に対する否定的な感想。否定的な感想やレビューの中には、デイミアン・チャゼル監督の音楽観が自分と合わなかった、と語るものが多くあります。「セッション」の中で描かれるのは、ジャズのために全てをかけることを決めたプレイヤーと指導者の物語。その二人の関係も、ある種暴力的な関係性です。そのため、感想・レビューでは絶賛の他に「合わなかった」という評価も。
さらに、「セッション」よりも音楽の表現方法がマイルドになったという評価のある「ラ・ラ・ランド」も「セッション」と同様合わなかった、という感想も散見されることから、レビューでは両方ともにデイミアン・チャゼル色の強い作品となっているという評価があります。
セッションが高評価の理由まとめ
このまとめでは映画「セッション」の感想やレビューについて、映画にどのような評価がされているのか、ラストシーンなどの解説とともにご紹介してきました。また、評価されている「ラストシーン」は一体どんなものなのか、高評価を受けている理由などを、感想やレビュなどを通して分析してきました。中には、監督と価値観が合わなかったという評価もある「セッション」。ぜひご自分の目で確かめてみてください!