2019年09月17日公開
2019年09月17日更新
ビョルン・アンドレセンの若い頃が美少年?身長やその後・現在を紹介【ベニスに死す】
1970年代に世の中を驚かせ、夢中にさせた美少年ビョルン・アンドレセンについてまとめる。他にも出演作品はあるが、ビスコンティ監督が彼の音楽性、ギリシア彫刻のような美少年ぶりを見て、身長が高すぎるというイメージとの相違点に目をつぶってでも製作した「ベニスに死す」で世界中の人を虜にしたビョルン・アンドレセンという天からの贈り物のような美少年。ビョルン・アンドレセンのその後の画像や現在の画像を交えて紹介する。
目次
ビョルン・アンドレセンとは?身長も調査
ビョルン・アンドレセンの身長は?プロフィールまとめ
「ベニスに死す」の主役ではないのだが、ビョルン・アンドレセンは「ベニスに死す」の代名詞のように扱われる程その美少年ぶりは有名である。評判のところでも取り上げたが、魔夜峰央の「パタリロ」をはじめ多くの少女漫画やドラマの中でも美少年の代名詞として使われてきたビョルン・アンドレセン。祖母の勧めで始めた子役の仕事「ベニスに死す」のオーディションを受けた時ビスコンティ監督の目に留まった。
当時15歳で身長178㎝と、ビスコンティ監督のイメージするよりも身長が大きかったにもかかわらず、想定以上の美少年ぶりに高すぎる身長は除外視され、ビョルン・アンドレセンの起用が決まったという。178㎝の身長であるが撮影の仕方によって母親役の女優よりも小さく見せたり、身長が大きいと感じさせない画像テクニックが使われている。
ビョルン・アンドレセンの経歴
ビョルン・アンドレセンは1955年生まれで2019年現在も存命中である。あまりの美少年ぶりに「ベニスに死す」のその後ビョルン・アンドレセンは映画の仕事から遠ざかった。その後死亡説も流れてしまうほど神秘的な存在であった。ビョルン・アンドレセンの生い立ちは幸福とは言えないものだった。ビョルン・アンドレセンの父が家族を捨てて家出してしまったことで、母は自殺をしたため彼は両親を失った。
その後10歳になった頃に祖母の元に引き取られ音楽学校に通いながら、祖母の勧めで子役としての勉強もしていた。初めての映画「純愛日記」(1970)に出演後ビスコンティ監督の「ベニスに死す」のオーディションを受けたとき、マイナス点はビョルン・アンドレセンの身長だけで、あとは音楽学校に通っていることでマーラーの音楽が流れるこの作品の要素にビョルン・アンドレセンの音楽的要素も高く評価された。
もちろん音楽的要素だけでなく、ビョルン・アンドレセンのギリシア彫刻のような美しい顔立ち、高身長からすらりと伸びた手足すべてがベニスに死す」のタジオそのものであった。1971年に「ベニスに死す」の映画が公開されるとビョルン・アンドレセンの美貌の画像は世界中を魅了した。日本からもCM出演のオファーもあり出演したCMもある。
しかし「ベニスに死す」の美少年という肩書はビョルン・アンドレセンに重くのしかかりビョルン・アンドレセンは、「ベニスに死す」以降友人と組んでいた音楽バンドに戻って行った。当時の少年少女が熱中したビートルズにビョルン・アンドレセンも憧れビートルズの音楽を愛したという。その後表舞台からは退いてしまった。実はスウェーデンの映画にその後出演したという話もある。
ビョルン・アンドレセンの髪型
ビョルン・アンドレセンの髪型は天然パーマで自然体のビョルン・アンドレセンのヘアスタイルだったとあった。このビョルン・アンドレセンの髪型は「ベニスに死す」その後の少女漫画に影響を与え美少年が出てくるシーンの画像にはビョルン・アンドレセンを思わせるキャラクターもたくさん登場した。当時の少女漫画は海外への憧れもあり外国を舞台にした少女漫画も多かった。
ビョルン・アンドレセンの若い頃が美少年?
ビョルン・アンドレセンの若い頃が美少年だと話題に
「ベニスに死す」はクラシック好きにはマーラーの音楽が映画を通していかされている点でも前評判は良かった作品だった。美少年を崇拝してしまう中年男性という事で通好みの作品になるかの予測はビョルン・アンドレセンの画面からあふれる美しい画像が女性たちの心をとらえたことで覆された。その後竹宮恵子という少女漫画家が「風と木の詩」という少年愛を描いたのもこの作品があったからではと言われた。
江戸時代までは小姓など割と同性愛は緩く扱われていたが、明治政府の締め付けの政策により封じ込められていた同性愛に対する作家たちの想いが少女漫画の画像に現れたのはターニングポイントの様な作品でもある。現在ではBLというジャンルも出来たそのきっかけは「ベニスに死す」だという説もある。
ビョルン・アンドレセンは来日したことがある?
日本には映画のプロモーションとその人気ぶりからCMのオファーもありCM撮影のために2度ほど来日したことがある。「ベニスに死す」の数年間は2度であるが、マイペースに仕事を始めたその後の事は特にわかっていない。しかし来日した時の熱烈歓迎に「もみくちゃにされて髪の毛を切られた」などと言う行為を行った恥ずかしいファンもいたそうだ。
若い頃の美少年画像①後ろに手を組む姿
後ろに手を組む姿のビョルン・アンドレセンの姿も「ベニスに死す」の中では話題になった。後ろに手を組む心理には相手に対して上から目線、威圧感を与えるなどの他に緊張感や警戒心を隠すなどと言う見解がある。ビスコンティ監督はビョルン・アンドレセンに表情の勉強をさせるためにゲイの集まるナイトバーにビョルン・アンドレセンを連れていき獲物を狙う男の目を勉強させたと伝えられている。
腕を後ろに組んで上から目線でずっと年上の男を誘うビョルン・アンドレセンの画像はいくつか映画のシーンで確認することが出来る。
若い頃の美少年画像②かっこいい表情
「ベニスに死す」が世界に披露された時、世界はビョルン・アンドレセンの姿を天使と称した。撮影時は178㎝だった身長も179㎝に伸びてその身長から伸びたスタイルの良さも多くの人を魅了した。セラーの服はもちろん、ボーダーのシャツ・ボーダーの水着すべてがカッコイイと称された。
若い頃の美少年画像③ギター姿
ギターを抱えた画像は現在の姿でも披露されているが、ビョルン・アンドレセンの少年時代のギターを抱いている画像公開されている。高身長なのでギターを抱いているようなその姿は絶賛された。現在60代になった姿でギターをかける姿もどちらもカッコイイと評されている。
「ベニスに死す」のタジオ役で一躍世界中からオファーが来る俳優になってしまったビョルン・アンドレセンだった。撮影準備のためにスウェーデンを離れフランスパリに移住し、1年ほど暮らした。しかしオファーのあった仕事は実現しなかった。13歳の頃にはビートルズに憧れて友人たちとロックバンドを組んでいたビョルン・アンドレセンなので、興味が音楽の方向に向いてしまった。
「ベニスに死す」のタジオのイメージがあまりにも強すぎて本物のビョルン・アンドレセンもタジオの様な性格と混同されて、ビョルン・アンドレセンもいろいろとくるしい思いをしたという。ストックホルムに戻り普通の学生としての生活をしていても脅かされる生活に一時期デンマークのコペンハーゲンで暮らしたこともあったという。
そのためこの頃にはビョルン・アンドレセンの死亡説まで出てしまったという事もあったらしい。1977年にスウェーデンの映画作品に主演で出演しているがタジオの頃のような騒がれ方をすることもなかった。
ビョルン・アンドレセンのその後や現在
その後や現在①孫がいる
ビョルン・アンドレセンは1983年に一般人女性と結婚した。その頃は劇団の運営に携わりながらストックホルムで暮らしていた。実はこの一般女性とは結婚前に息子が生まれていたのだが乳幼児突然死症候群という原因も未だによくわかっていない病気で失ってしまい一旦はその悲しみもあったのか、わかれてしまったというが、復縁し正式に結婚した後に長女が生まれた。
この頃のビョルン・アンドレセンは髪も短く短髪だったため、癖のあるウエーブヘアーであることもわからないので、「ビョルン・アンドレセンとばれる事もなく子育てもしやすかったかもしれない」と言われている。娘ロビンが生まれた後は、音楽教師としての道を選び働いていた。娘のロビンさんが結婚した時期は探せなかったが、かわいい孫たちに囲まれている画像もネットに上がっている。
その後や現在②ミュージシャン
スウェーデンは社会保障が充実していて国民がとても住みやすいと言われている。税の使い方が国民に寄り添っているとされるように対応されているため、日本のように将来不安のための内部留保などしなくてもいい国づくりが行われている。これによって景気も周り一時期落ち込んでい出生率も盛り返している。教育費は18歳まで無償・医療費も無償なので子供達も健康に育つ。
こういう社会保障が充実している国なので仕事を退職した後、自分の好きな仕事に情熱をかけることが出来る充実した老後を迎えることが出来る。ビョルン・アンドレセンはミュージシャンとしての道をまた歩みだし、長髪にして髭も伸ばし孫たちに囲まれながら、時にはギターを抱えて音楽を奏でている。年金を守るために75歳まで働けと言う日本から見たら羨ましいという声も多い。
ビョルン・アンドレセンの出演映画
出演映画①純愛日記
1970年のスウェーデン映画であり、第20回ベルリン国際映画祭においてジャーナリスト特別賞受賞作である。あらすじは療養所に入院中の少年と少女が出会いピュアに恋愛をはぐくむ物語である。「大人になって汚れてしまったな」と感じさせる作品であるというレビューもある。この作品がビョルン・アンドレセンのデビュー作という事で見る人も多いという。
っしかしビョルン・アンドレセンは主人公の少年の友人役で出番も一瞬だったのではないかと思うほどあっという間にビョルン・アンドレセンの出番は終わるという。デビュー作から美少年ぶりを発揮しているので、主人公の少年の影が薄れるからではないかというレビューもあった。
出演映画②ベニスに死す
ビョルン・アンドレセンの代表作と言われる作品であるが、この作品のあとビョルン・アンドレセンは普通の生活の美少年に戻ってしまったので、これが美少年の彼を見る最後の作品と言われている。主役はベニスに休暇でやってきた年老いた作曲家が偶然見かけたギリシア彫刻のような美しい容姿の少年に心を奪われてしまう物語である。
美少年に対する恋愛というよりも整った姿かたちの美少年を崇拝し美少年の元から離れられなくなり、疫病の流行り始めたベニスを離れられなくなり、そこで命を落とす物語である。「愛と死の大交響詩」とサブタイトルが付くように芸術世界の中で起きた架空の出来事として鑑賞できるという意見もあった。
この作品は現在も人気のあるマーラーの人生と思われがちであるが、ベニスで少年の美しさに魅入られたといわれる原作者のトーマス・マンの実体験の一部であると言われている。恋愛ととらえるよりも決して手に入らないものへの激しい憧憬と崇拝が描かれていると言われている。
ビョルン・アンドレセンに関する感想や評価
「手を取り合って」をYouTubeで探していたんだけど、ビョルン・アンドレセンの「永遠にふたり」を発見してしまった💦
— 赤い惰聖 ゆうすけ(みたいな者) (@You42239282) September 4, 2018
阿久悠/川口真作品なのね、これwhttps://t.co/R6w3OeTOEp
ビョルン・アンドレセンが日本でレコーディングした「永遠にふたり」ロックバンドを組んでいたビョルン・アンドレセンの意外な一面が見られる。
※こいつがタジオです
— ギズム_ネコガミ (@gismnekogami) April 29, 2018
#半分青い pic.twitter.com/AkLhAk9aP4
2018年上半期に放送された「半分、青い」の中で漫画家の秋風羽織(豊川悦司)が佐藤健演じる律の見た目が美しいと言って律の事を「タジオ」と呼び始めたシーン。ベニスに死す」が日本で公開されたのが1971年、律が生まれたのも1971年。「ベニスに死す」から20年近く経っても秋風羽織にとっては忘れられない美少年なのであった。
別のつぶやきにもあるパタリロの作者魔夜峰央は、時系列から考えると秋風羽織くらいの年齢ではという意見もあった。書いている漫画は「くらもちふさこ」でも少女漫画を描いている男性漫画家という事でモデルは魔夜峰央かもしれないという意見もあった。
映画『ベニスに死す』午前十時ので初見。タージオが最初は女性に見えたくらい美少年でポーズもキマッてて良かった。主人公役の演技や周囲の台詞も印象的で良かった。映画史に残るBLとしても楽しめたな。先日観た『砂の器』と同じく悲しい音楽家だった。
— ヨシ (@jounetusuteruna) September 14, 2019
古典と言われる年代のモノクロ映画や昭和の名作などを午前10時から上映するシネコンがある。ビデオで見るしかない画像を大きなスクリーンで見る画像は違うと評判である。
美少年を演じたビョルン・アンドレセンの影響(及び『パタリロ!』の影響?)で、一時期「ビョルン」って名前は「美少年」の代名詞みたいになってたなあ。この名前、語源的には「熊」なんだけどね(^_^;) https://t.co/w4F20kcBxe
— ずんだくるみ (@zunda_kurumi) March 8, 2017
ある年代の人には「パタリロ」でビョルン・アンドレセンを知ったというコメントも多い。美少年ばかりが大量に出てくるパタリロにおいてもビョルン・アンドレセンは特別な扱いだったという。2019年に再演された舞台劇「パタリロスターダスト計画」にもビョルン・アンドレセンが登場している。
やらされている感満載のビョルン アンドレセン様ですよね〜っ
— lmama (@lmama_l) July 11, 2016
いずれにしてもイケメンですけれども‥ pic.twitter.com/p8M0aVgLD6
「ベニスに死す」で大人気になったビョルン・アンドレセンの人気にあやかって明治製菓(現在は株式会社明治)はビョルン・アンドレセンをCMに起用した。音楽もやっていたという事からCMソングまで若い頃のビョルン・アンドレセンが歌った。
ビョルン・アンドレセンの若い頃まとめ
現在はビジュアル系など化粧や場合によっては整形などで美しさを表現する歌手やモデルなどもいるが、素のままで圧倒的な迫力を伴う美しさを持つ俳優・モデル・歌手はそれほど多くはなかった。美少年と検索して出てくるのは1970年代では美輪明宏や池端慎之介(ピーター)などだが、彼らはしっかりとした化粧をしていた。もちろん迫力のある美しさはあった。
よく見ると今の美少年、国宝級イケメンなども負けない美しさは持っているのだが、ビョルン・アンドレセンの若い頃のような圧倒的な存在感・威圧感と言った迫力を15歳という年齢で持つものはこれからもなかなか現れないだろうと言われている。今回は画像メインで紹介したが近年ではデジタルリマスター版など映像を綺麗にしてみることが出来る。気になる人はチェックしてみてはいかがだろうか。