ブラタモリの大宮編まとめ!氷川神社・観光ルートや鉄道の町についても紹介

タモリさんの人気紀行番組「ブラタモリ」の大宮編で登場した観光ルートを紹介!「ブラタモリ」の大宮編は2017年7月1日に放送され、大反響がありました。今回はかつては中山道の宿場町として栄えた埼玉県の「大宮」が大宮駅を誘致した経緯や鉄道の町と言われるようになった理由をみていきます。そして、番組内で紹介された、氷川神社や大宮公園、鉄道博物館などの観光ルートをみていきます。

ブラタモリの大宮編まとめ!氷川神社・観光ルートや鉄道の町についても紹介のイメージ

目次

  1. ブラタモリの大宮編とは?
  2. ブラタモリの大宮編の観光ルート~氷川神社から公園へ~
  3. ブラタモリの大宮編の観光ルート~宿場町・鉄道の町~
  4. ブラタモリの大宮編の再放送や視聴率
  5. ブラタモリの大宮編に関する感想や評価
  6. ブラタモリの大宮編まとめ

ブラタモリの大宮編とは?

「ブラタモリ」大宮編「 〜なぜ大宮は鉄道の町になったのか?〜」は2017年7月1日に放送されました。今回は「ブラタモリ」大宮編で登場した氷川神社や大宮の街がかつては中山道の宿場町だったこと、大宮駅を誘致した経緯などを紹介し、大宮が鉄道の分岐点になった理由や、鉄道博物館、巨大な鉄道工場などについてもみていきます。

そして、大宮がどうやって鉄道の町になったのかを「ブラタモリ」一行が辿った観光ルートともに紹介していきます。

ブラタモリの概要

「ブラタモリ」とは、街歩きが趣味のタモリさんが日本の様々な地域を、江戸時代や明治時代などの昔の地図を片手に紀行して巡るバラエティ番組です。2008年からNHK総合で毎週土曜日の朝7時半から放送されており、タモリさん独自の視点から観光スポットや神社・公園・建造物など現在でもその街の中に残る歴史の痕跡を見つけていく人気番組となっています。

大宮は中山道の宿場町だった

埼玉県にある大宮はそもそも大宮市という一つの市でしたが、2001年に県庁所在地だった浦和市と合併し、政令指定都市の「さいたま市」となりました。大宮は江戸時代、五街道の1つである「中山道の宿場町」として栄え、大名が参勤交代のために利用していた街でもあります。

ブラタモリ - NHK

ブラタモリの大宮編の観光ルート~氷川神社から公園へ~

ここでは「ブラタモリ」大宮編で紹介された観光ルート、氷川神社参道の入り口や宿場町として栄えた大宮宿、そして大宮公園などについてみていきます。

氷川神社参道入り口

タモリさんたちブラタモリ一行が最初に訪れたのは「氷川神社」です。氷川神社は大宮台地にあり、湧き水が出ることから神社の名前が付けられたそうです。氷川神社の参道入り口から境内までは約2キロ、歩いて30分の欅並木が続きます。日本一長い参道と言われており、西側の道は五街道の1つである中山道となっています。

前述の通り、大宮という街は江戸時代には参勤交代の武士たちの街として栄えましたが、そもそもの大宮の地名の由来は「大いなる宮居(神社のこと)」であり、氷川神社のある町として栄えました。氷川神社は元旦に天皇陛下が行う儀式「四方拝」の対象となっており、現代でも初詣の際には200万人以上が参拝に訪れる国内有数の大きな神社です。

宿場町の大宮宿

五街道の1つ、中山道を利用する参勤交代中の武士が立ち寄る宿場町として栄えた大宮は、他の宿場町よりも武士などの泊まる宿が多く、武士のための宿場町というイメージが強かったそうです。一方で、一般庶民が泊まる宿の数は少なかっため、商人たちが利用しにくく、中山道を利用する武士がいなくなった明治以降は一気に寂れてしまいます。その結果、大宮は近代化が遅れてしまいました。

NACK5スタジアム

ブラタモリでは、埼玉県さいたま市にホームを持つサッカーチーム「大宮アルディージャ」のホームスタジアム「NACS5スタジアム」も登場しました。

大宮公園

タモリさんたちブラタモリ一行は、近代化が遅れた大宮でなぜ駅が作られることになったのか?その謎を解くために大宮公園に向かいます。大宮公園は氷川神社のすぐ側にあり、大宮駅から徒歩で20分のところにあります。大宮公園は明治時代を代表する文化人、夏目漱石・森鴎外・正岡子規・田山花袋・樋口一葉らが訪れた場所です。

特に田山花袋は自身の著書「東京近郊 一日の行楽」にて大宮のことを記載しています。ブラタモリでも近江アナが田山花袋の「東京近郊 一日の行楽」の大宮に関する一節を朗読しました。大宮はそんな大宮公園の効果で大宮駅の誘致に成功することなります。大宮駅の誘致については次に詳しくみていきます。

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ブラタモリの大宮編の観光ルート~宿場町・鉄道の町~

ここまで、氷川神社や中山道沿いにあった大宮宿、大宮公園などブラタモリ大宮編の観光ルートについてみてきました。次に「ブラタモリ」大宮編の観光ルート、大宮駅が作られなかった理由や大宮駅が誘致された経緯を紹介し、大宮の巨大な鉄道工場や鉄道博物館をみていきます。そして、どのようにして大宮が鉄道の町に成ったのかを紹介していきます。

大宮駅ができなかった理由

前述の通り、大宮は中山道沿いの街で、参勤交代する大名が利用する宿場町でした。その大名の家来の武士たちが宿泊する施設「脇本陣」の数は日本で最も多い9軒もありました。しかし、商人などの一般庶民が宿泊する旅館「旅籠」は25軒と他の宿場町よりも少なく、武士のために特化した宿場町として栄えました。

そのため、中山道を利用する武士という階級のなくなった明治以降の大宮は急激に寂れてしまい、多くの商人に利用された宿場町「鴻巣」や「浦和」などに大きく差を付けられてしまいました。その結果、集客力の劣る大宮には日本鉄道(現在では高崎線などと呼ばれている)の大宮駅をつくってもらえませんでした。

大宮に駅が誘致された理由

他の街よりも集客力に劣る大宮はどうやって駅の誘致に成功したのでしょうか?先程も少し触れましたが、大宮に駅が誘致されたのには「大宮公園」が大きく関わっています。タモリさんたちブラタモリ一行は大宮公園の中で庭石のようなオブジェを見つけます。タモリさんたちブラタモリ一行が古地図をみてみると、その庭石がある位置には「がんすいえん」の文字がありました。

実はこの庭石は料亭にあり、かつてこのあたり一帯にリゾート地の一環として高級料亭が立ち並んでいた頃の名残りです。大宮ではこの高級料亭街に加え、集客力を上げるために大宮公園が作られます。こうした努力により大宮では、明治18年にようやく大宮駅が開業となりました。

その後、タモリさんたちブラタモリ一行はそんな経緯で駅の誘致に成功した大宮駅の北側にある住宅街を歩きます。そこから街を見下ろすと、高崎線と東北線(宇都宮線とも呼ばれる)との分岐点がありました。鉄道の分岐点がある街は一般的に大きく発展することになります。日本鉄道ができた当初、現在の高崎線と呼ばれる区間が最初に完成しました。

しかし、高崎線と東北線との分岐点をどこにするか定まっておらず、大宮・浦和・熊谷の3つの街が分岐点の候補として挙がりました。その中でも、最有力視された候補は浦和でしたが、当時の東北線建設予定地の沿線に住んでいた岩槻の人々から煙害を理由にした反対運動が起こります。そして、熊谷からも反発を受けます。

そういった反発と建設費が抑えられるから、大宮駅の北に分岐点を置くことが決まりました。当時の大宮は、大宮駅を誘致したとはいえ、駅の前には畑が広がり、民家が2つだけしかない寂しい地域でした。それが、高崎線と東北線の分岐点が置かれるという重要な役割を任され、その後の大宮は大きく発展していくこととなります。

大宮の巨大な鉄道工場

駅の誘致から10数年後、明治30年頃に大宮に巨大な鉄道工場が作られます。現在では「大宮総合車両センター」という名称に変更となりましたが、明治時代にもともと畑だったその土地に国鉄の巨大な鉄道工場「大宮鉄道工場」が建設されました。現在でも当時の技術は継承されています。

大宮の鉄道博物館

氷川神社からは徒歩で40分、大宮駅からモノレールに乗って1駅分のところに、駅舎直結の鉄道博物館があります。大宮の鉄道博物館には、当時高崎線の営業運転や工事で使用された「善光号」という蒸気機関車が展示され、大正時代〜昭和の時代に走っていた車両、現在ではもう走っていないブルートレインの客車や当時の東海道新幹線なども展示されています。

また、鉄道博物館では正午と昼の3時に転車台の回転実演が見られ、実際に汽笛の音も聞けます。さらに、鉄道の構造を見学のために車両の下に入ることもできます。

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ブラタモリの大宮編の再放送や視聴率

ここまで「ブラタモリ」大宮編の観光ルートを紹介し、タモリさんたちブラタモリ一行が巡った氷川神社や大宮公園、中山道、巨大な鉄道博物館、鉄道博物館などについてみてきました。そして、当初大宮駅が建設されなかった理由が、武士の参勤交代で栄えた大宮の街は明治時代になってから寂れてしまったため、集客力に劣ると判断されたからだということが分かりました。

また、大宮が集客力をアップさせるために努力を重ねたことで駅が誘致された経緯や分岐点となった理由についてもみてきました。次に「ブラタモリ」大宮編の再放送日と視聴率を紹介していきます。

ブラタモリの大宮編の再放送

ブラタモリの大宮編の再放送はいつだったのでしょうか?再放送日は2017年の7月19日水曜日の深夜1時〜1時45分でした。

ブラタモリの大宮編の視聴率

2017年7月1日に放送された初回「ブラタモリの大宮編」の視聴率は14.2%でした。「ブラタモリ」の視聴率はだいたいこれくらいの数字で安定して視聴率が取れているそうです。

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ブラタモリの大宮編に関する感想や評価

こちらは2017年7月1日に放送された「ブラタモリ」大宮編に関するツイートで、面白かったという感想です。

こちらも2017年7月1日に放送された「ブラタモリ」大宮編に関するツイートで、大宮公園の来歴などが分かって面白かったそうです。

こちらも「ブラタモリ」大宮編に関するツイートです。ブラタモリの大宮編では「大宮」という街の成り立ちや氷川神社などが紹介されていて、面白かったという感想です。

こちらは「ブラタモリ」大宮編で紹介された氷川神社と大宮公園を実際に訪れた人のツイートです。番組の紹介の通り、大宮公園にはかつてのリゾート地を思い起こさせるような景色があり、博物館のお宝は見ごたえがあったという感想です。

こちらも「ブラタモリ」大宮編に関するツイートです。ブラタモリの大宮編を楽しんだという感想で、タモリさんに大宮台地や大宮公園のことを知ってもらえて嬉しいそうです。

こちらも「ブラタモリ」大宮編に関するツイートで、努力と地の利を活かして鉄道の誘致に成功し、分岐点を置く場所にも選ばれた結果、大宮が「鉄道の街」になったというストーリーに感動したようです。また、番組内で紹介された鉄道博物館に関しても、人々の努力の積み重ねは見ごたえがあると評価しています。

こちらも「ブラタモリ」大宮編に関するツイートです。番組内で氷川神社や大宮公園など様々な施設や地名が出てきたけれど、大宮台地については聞いたことがなかったという感想です。番組内では地元民なら誰でも「大宮台地」を習うというように紹介されていましたが、意外と地元の人でも「大宮台地」のことを習っていない・知らないという人もいるようです。もちろん、習った・知っていたという地元民も結構いるようです。

こちらのツイートも「ブラタモリ」大宮編で紹介されていた「大宮台地」のことを、氷川神社の近くに住んでいるけれど聞いたことがないという感想です。また、番組内で「大宮台地」と紹介された場所のことを別の地名で認識していたそうです。

こちらのツイートも「ブラタモリ」大宮編に関する感想で、地元に住んでいるけれど「大宮台地」については習っていないそうです。

こちらも「ブラタモリ」大宮編に関する地元に住んでいる人のツイートです。大宮編では鉄道の町というのがテーマとなっており、慣れ親しんだ景色ばかりで嬉しかったそうです。ただ、こちらの人も「大宮台地」という言葉だけは聞いたことがないようです。このように「大宮台地」については地元民で知っている派と知らない派に分かれるようで一部で話題になりました。

こちらも「ブラタモリ」大宮編に関するツイートです。大宮公園のシーンで田山花袋の著作「東京近郊」の一節を朗読した近江アナの声が素敵でかっこ良かったという感想です。

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ブラタモリの大宮編まとめ

いかがでしたか?2017年7月1日に放送された「ブラタモリ」大宮編に関して、番組内で紹介された氷川神社や大宮公園、鉄道博物館などの観光ルートをみてきました。大宮は五街道の1つ、中山道を通る参勤交代の大名たちが利用する宿場町として栄えてきましたが、明治時代になり急激に寂れてしまったために証書は大宮駅が作られなかったことが分かりました。

そして、その後リゾート地として大宮公園をつくるなどの開発を進め、集客力を上げたことで大宮は駅の誘致に成功し、分岐点の場所にも選ばれたことが分かりました。さらに、ブラタモリの大宮編の視聴率や視聴者の感想について紹介し、全体的に視聴者の満足度が高いことが分かりました。ぜひ、皆さんも現在も毎週土曜日の朝7時半から放送されている人気紀行番組「ブラタモリ」をお楽しみください!

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