ブラタモリ宝塚編のロケ地と感想まとめ!登場した星組紅ゆずるの経歴は?

この記事ではブラタモリの宝塚編についてまとめていきます。タモリさんがNHKの女性アナウンサーと共に全国各地を散策し、その土地の歴史や成り立ちを学ぶブラタモリ。そんなブラタモリの宝塚編ではなぜ大阪や神戸の郊外にあり、交通の便が良いとはいえない宝塚が娯楽街となりえたのかを宝塚の地理の持つ特徴などから紐解いていきます。そんなブラタモリ宝塚編でのロケ地、番組の感想、そして宝塚の誇る宝塚歌劇団のトップスターであり、番組にも登場した紅ゆずるさんの経歴についても迫っていきます。

ブラタモリ宝塚編のロケ地と感想まとめ!登場した星組紅ゆずるの経歴は?のイメージ

目次

  1. ブラタモリ宝塚編とは?
  2. ブラタモリ宝塚編のロケ地を紹介!
  3. ブラタモリ宝塚編に登場した星組紅ゆずるの経歴は?
  4. ブラタモリ宝塚編の内容は?
  5. ブラタモリ宝塚編を観た感想や評価は?
  6. ブラタモリ宝塚編のロケ地と感想まとめ!

ブラタモリ宝塚編とは?

まずはブラタモリ宝塚編にまつわる情報をまとめていきます。毎回日本各地を散策してその土地土地のさまざまな魅力を教えてくれるブラタモリですが、そのブラタモリ宝塚編とはどういった放送となっているのでしょうか。

ブラタモリ宝塚編の概要

日本全国にその名をとどろかせる宝塚歌劇団が本拠地を構える宝塚市。宝塚歌劇団だけでは無いその街の魅力と変遷を重ねた歴史に迫っていきます。さまざまなその土地の持つ地理的要素の恩恵を受け発展していった宝塚市ですが、どういった特徴を持った土地なのでしょうか。そして宝塚歌劇団はどうして「宝塚」であったのでしょうか。ブラタモリ宝塚編はそんな宝塚の数多の新しい一面を発見できる放送となっています。

ブラタモリ宝塚編の再放送は?

毎週土曜日の夜7時30分からNHK総合で放送されているブラタモリですが、その再放送も火曜日の夜11時55分から放送されています。ただブラタモリ宝塚編は2018年1月13日初回放送なのでもう再放送もとっくに終わってしまっています。

そこでブラタモリ宝塚編の再放送をどうしても見たいという方はNHKオンデマンドというNHKが配信している有料サービスを使って見ることができます。NHKオンデマンドは契約さえしていればいつでも何度でもNHKの過去の番組を視聴することが可能です。そしてNHKの番組以外にもさまざまな動画を取り扱っている動画配信サイトU-NEXTからもNHKオンデマンドの購入は可能です。

ブラタモリ - NHK

ブラタモリ宝塚編のロケ地を紹介!

それではブラタモリ宝塚編でタモリさんが散策し宝塚の歴史を学んだロケ地を紹介していきます。一般的に宝塚歌劇団の印象が強くある宝塚市ですが、他に観光面や地理面でどのような特徴を持ち合わせた街なのでしょうか。時代と共に移り変わってきた宝塚の中心地、その歴史をなぞるようにタモリさんたちが訪ねていきます。

ロケ地①宝塚大劇場前

ブラタモリ宝塚編の最初のロケ地はいわずとしれた宝塚大劇場前からスタートしました。宝塚駅へは新大阪駅や梅田駅、新神戸駅といった関西の主要駅からだいたい30~40分ほどの時間を要し、年間約117万人もの観客が訪れる宝塚大劇場はその宝塚駅から川沿いにはなの道といわれる通路を通って行くことができます。

大劇場内は豪奢なシャンデリアや赤絨毯などの内装で訪れた人の心を高ぶらせます。劇場の2500もの観客席は赤で統一されておりその姿は壮観です。

ロケ地②高台の集落・小浜

続いてのロケ地は宝塚のかつての中心地小浜です。現在の宝塚市の中心街である宝塚駅や宝塚大劇場は近くを流れる武庫川によって作られた扇状地の扇の要に位置していますが、現在のように武庫川の扇状地に人が住むようになったのは明治時代からであり、江戸時代まで宝塚の人々は武庫川の氾濫を避けるように小浜という高台に住居を構えていました。

タモリさん一行が小浜を訪ねると、小浜は毫摂寺という寺を中心に成り立っていた寺内町という形式の町であったことがわかります。そして江戸時代になると小浜は三つの街道が交わる交通の要所の宿場町として大いににぎわったそうです。そんな時代に宿泊客を楽しませるため旅籠や芝居小屋、造り酒屋といった施設が発展していき宝塚の娯楽の礎となっていきました。

ロケ地③宝塚温泉

続いての番組ロケ地は武庫川を挟んで宝塚駅や宝塚大劇場の対岸にある宝塚温泉です。明治時代に入ると宝塚で温泉が見つかり、宝塚の中心は宿場町として栄えた小浜から武庫川の右岸へと移ります。温泉発見に続いてJR福知山線、阪急宝塚線が開通し最盛期には70近くもの旅館が軒を連ねました。

番組内では武庫川右岸を探索中にタモリさんが洗い張り、染み抜きをする紀乃国屋の看板を見つけ店を訪ねるとご主人が温泉街として栄えていた当時の芸者さんを紹介してくれ、当時の風光明媚な宝塚の様子を伝え聞くことができました。

ロケ地④宝塚新温泉

続いてのブラタモリ宝塚編番組ロケ地は宝塚新温泉です。宝塚新温泉とはいっても現在は存続しておらず、その跡地には現在の宝塚の象徴である宝塚大劇場が建っています。明治時代に武庫川の右岸が宝塚温泉の発見により大きく発展したのに対してその対岸である左岸は低湿地帯が広がっており土地の用途がありませんでした。

そこへ阪急東宝グループの創始者である小林一三が目をつけ、主に成人男性の遊び場として成り立っていた右岸の宝塚温泉に対してファミリーで楽しめる宝塚新温泉なる娯楽施設を湿地帯を埋め立たうえ建設しました。

ロケ地⑤花のみち

ブラタモリ宝塚編最後のロケ地は宝塚駅と宝塚大劇場をつなぐ花のみちです。全長およそ430メートルにもおよぶ小高い道であり、その名の通り春になるときれいな桜を咲かせている道ですが、桜の他にも松の木の存在が目立ちます。これは花のみちが武庫川の氾濫によって出来た自然堤防であり、その強度をあげるために松の木が多く植えられているそうです。

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ブラタモリ宝塚編に登場した星組紅ゆずるの経歴は?

ここではブラタモリ宝塚編に登場した宝塚歌劇団の星組トップスターである紅ゆずるさんについてまとめていきます。その訓練機関である宝塚音楽学校へ入るにも高い競争倍率を経なければならないタカラジェンヌへの道ですが、そんな熾烈な競争を勝ち抜け、星組トップスターにまで上り詰めた紅ゆずるさんとはどういった人物なのでしょうか。

紅ゆずるのプロフィール

紅ゆずるさんは1982年8月17日生まれの大阪府大阪市出身です。宝塚音楽学校へは2000年に入学しており、その2年後の2002年には晴れて宝塚歌劇団の一員として「LUCKY STAR!」という演目で初舞台を踏んでいます。身長は173cmと日本人女性としては大柄な部類であり、その恵まれた体躯を生かし星組トップスタートして活躍されています。

ただ、いわゆるスター街道というものを歩んできたわけでは無いようで、宝塚音楽学校から宝塚歌劇団へ入団する際の成績は48人中実に47番目というものだったそうです。入団時の成績が低い団員が後にトップスターまで上り詰めるのは宝塚の歴史から見て大変めずらしいことのようで、本人の入団後の努力の凄まじさが伺えます。

紅ゆずるが宝塚に入ったきっかけ

小学生の中学年のころにミュージカル「ピーターパン」にのめりこみ、背も高かったことからその際に「宝塚に入れば?」と言われ宝塚を意識するようになったそうです。その後「雪之丞変化」、「サジタリウス」といった作品をテレビで目にし、将来の目標をタカラジェンヌと定めたそうです。

そして宝塚音楽学校入学のためバレエを習うことを両親に直訴するもなかなか許してもらえませんが、受験の半年前にようやく承諾を受けるとそこから猛練習を積み、見事一発での合格を勝ち取ります。

紅ゆずるの経歴は?

宝塚歌劇団へ入団後もなかなか芽が出なかったそうですが、持ち前の明るい性格を武器にチャンスを待ち続け「スカーレット・ピンパネール」という作品で新人公演の主演を張るとそこからさまざまな舞台で主演、主演をサポートする重要な役に抜擢されるようになりスター街道へと軌道を合わせます。

そして紅ゆずるさんは星組で初舞台を踏み、星組へ配属され、星組でトップスターという星組の生え抜き団員であり、これも年に一度組替えがある宝塚歌劇団において大変珍しいことだそうです。

紅ゆずるを中心としたユニット「紅5」

また、紅ゆずるさんは「紅5」なるユニットも結成されています。「紅5」は紅ゆずるさんを中心に2007年当時星組に所属していた男役5名によって宝塚CS専用チャンネル「タカラヅカスカイステージ」の番組内で結成されたユニットです。

「紅5」は大変人気を集め、2011年12月についには番組を飛び出しコンサートも行っています。明るい性格の紅ゆずるさんの持ち味が存分に生かされているユニットとなったようで、このユニットをきっかけに紅ゆずるさんは更なる人気を集めトップスターへと上り詰めていきます。

ブラタモリ宝塚編の内容は?

ここではブラタモリ宝塚編の内容について迫りまとめていきます。宝塚歌劇団が創設されるまでにもさまざまな歴史を紡いできた宝塚ですが、どういった過去を経て宝塚歌劇団の創設となったのでしょうか。そして宝塚を散策したタモリさん一行はいったいどういった新しい宝塚の魅力を発見してくれるのでしょうか。

内容①宝塚と娯楽の原点

宝塚は江戸時代に有馬街道、京都伏見街道、西宮街道といった三つの街道の交わる宿場町として小浜を中心に発展をし、そこで宿泊客を楽しませるべく旅籠、芝居小屋、造り酒屋といった娯楽施設が次々と造られ町を形成していきました。ブラタモリ番組内ではここでの歴史を宝塚の娯楽の原点と位置づけていました。

内容②宝塚は元々温泉街

明治時代に入ると宝塚で温泉が発見されこれまでとは全く違った発展を宝塚の街は遂げて行きます。温泉の発見の後に続くようにJR福知山線、阪急宝塚線と続けざまに鉄道が開通し大阪など遠方からの客の行楽地や商談の接待の場として大いに賑わいを見せていきます。温泉街としてお座敷遊びなどの新しい遊びのため250人もの芸者さんが集い大規模な花街も形成されていたそうです。

続いて宝塚温泉を中心に盛り上がりを見せる武庫川の右岸に対して低湿地帯であるがゆえ用途が難しく寂しい現状の左岸を活用しようと、阪急東宝グループの創始者である小林一三がファミリーで楽しめるとのコンセプトで左岸に宝塚新温泉を造ります。宝塚新温泉は日本発の室内プールと銘打っての誕生でした。

内容③宝塚歌劇団の創設

しかし宝塚新温泉の室内プールは日光をうまく取り入れることができず、温度調節にも苦労し続け経営は赤字続きとなってしまいます。そこで宝塚新温泉の創業者である小林一三は大方向転換を見せます。室内プールを諦め、温泉の集客のための余興として少女たちを歌わせることを決めます。

そして室内プールの水を抜き板を敷いて客席に、更衣室を改装して舞台にと劇場をつくりあげ、ここに現・宝塚歌劇団の前身である宝塚少女歌劇団が誕生しました。宝塚少女歌劇団としての初めての演目は「ドンブラコ」、日本人にはおなじみのおとぎ話である桃太郎だったそうです。

内容④「花のみち」へ

宝塚ファンにはお馴染みである宝塚駅と宝塚大劇場とをつなぐ「花のみち」。全長430メートルから成る「花のみち」は小高い丘の上に造られており、春には満開の桜が通りを彩り、胸を躍らせて宝塚大劇場へと観劇に向かうファンに特別な期待感を提供します。

そんな「花のみち」には通りに彩りを与える桜のほかにも多くの松の木も存在感を持って植えられています。そもそも宝塚駅と宝塚大劇場は武庫川の作り出した扇状地の上に造られており、そしてその両者をつなぐ「花のみち」はかつて暴れ川とまで呼ばれた武庫川の度重なる氾濫によって出来上がった自然堤防の上を通っています。なのでその護岸強化のために松の木が植えられているそうです。

ブラタモリ宝塚編を観た感想や評価は?

それではブラタモリ宝塚編を観た視聴者の感想や評価といったところをまとめていきます。さまざまな宝塚の魅力を伝えてくれた放送でしたがそれに対して視聴者はどういった感想を持ったのでしょうか。普通の視聴者の他にも宝塚にゆかりのある方、宝塚歌劇団のファンの方の感想もまとめていきます。

放送を見て宝塚のいろんなことを初めて知ったという感想が多く聞かれます。やはり宝塚といえば宝塚歌劇団であり、その他の要素というは全国的にはあまり知られてこなかったですから、放送を見て初めて宝塚の歴史、成り立ちを知ったという人が多かったようです。

宝塚市にゆかりのある方の感想、評判も上々です。宝塚市の変遷と成り立ちをその地理的要因や歴史と共に丁寧に紐解いていましたから、是非地元の子供たちにこそ知ってほしい内容の放送だったようです。

そしてもちろん宝塚歌劇団のファンの方たちも放送前から放送を非常に楽しみにされていて、そして実際に放送を楽しまれたようです。やはり歌劇団のファンらしくトップスターの登場シーンに対して感想が集中していました。

ブラタモリ宝塚編には好意的な感想が多く寄せられており、宝塚に縁の無かった人には知られざる宝塚を提供し、宝塚に関わる人たちには宝塚の魅力を発信してくれる嬉しい放送となったようです。

ブラタモリ宝塚編のロケ地と感想まとめ!

いかがでしたでしょうか。ここまでブラタモリ宝塚編のロケ地や内容、それを受けての視聴者の感想などをまとめてきました。宝塚歌劇団のお膝元として全国的に有名な宝塚市ですが、その娯楽街としての歴史は古くさまざまな要因が重なって今の宝塚の姿があることがわかりました。宝塚に興味を持たれた方は是非宝塚を訪ねて歌劇団の観劇や放送に沿っての宝塚市内散策をしてみてください。

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