ラストエンペラーの映画のあらすじ感想ネタバレ!音楽や魅力・史実との違いまとめ

映画「ラストエンペラー」のネタバレあらすじと映画の感想をネタバレで紹介します。巨匠と言われるベルナルド・ベルトルッチ監督の映画「ラストエンペラー」は、清(現在の中国)の最後の皇帝・愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)の波瀾万丈な生涯を、史実に基づき描いた作品です。アカデミー賞の9部門で受賞し、世界的に注目を浴びたというこの作品のネタバレあらすじの他に、坂本龍一による音楽や、魅力、登場人物など、映画の見どころも紹介します。

ラストエンペラーの映画のあらすじ感想ネタバレ!音楽や魅力・史実との違いまとめのイメージ

目次

  1. ラストエンペラーの映画のあらすじ感想ネタバレ!
  2. ラストエンペラーの映画の登場人物
  3. ラストエンペラーの映画スタッフ
  4. ラストエンペラーで登場するコオロギの意味
  5. ラストエンペラーのあらすじに関する感想や評価
  6. ラストエンペラーの映画のあらすじや魅力まとめ

ラストエンペラーの映画のあらすじ感想ネタバレ!

映画「ラストエンペラー」のあらすじをネタバレで紹介し、映画の感想も紹介していきます。映画「ラストエンペラー」は1987年の公開時、清(現在の中国)の最後の皇帝として波乱の人生を生きた愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)に、世界中が注目したという作品です。映画「ラストエンペラー」のネタバレあらすじの前に作品情報をご覧ください。

ラストエンペラーの作品情報

1987年に公開された映画「ラストエンペラー」は、イタリア、イギリス、中国合作による映画です。清(現在の中国)の第12代皇帝・愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)による自伝「わが半生」が原作で、清朝最後の皇帝の生涯を描いた史実です。わずか3歳にも満たない幼児が皇帝として即位し、清から中華民国への転換期、時代の流れに翻弄された溥儀の生涯は、この映画「ラストエンペラー」によって世界中から注目を集めました。

20世紀を代表する巨匠と言われるベルナルド・ベルトルッチが監督・脚本を担当し、主演はジョン・ローン、音楽担当の坂本龍一は、俳優としても出演しています。ここでは映画「ラストエンペラー」のネタバレあらすじを紹介し、さらに感想もネタバレで見ていきます。さらに映画の登場人物と見どころも紹介します。

9部門受賞している

巨匠と言われるベルナルド・ベルトルッチ監督の映画「ラストエンペラー」は、1988年のアカデミー賞の作品賞、監督賞、美術賞、また、坂本龍一が担当した音楽部門では作曲賞など、計9部門で受賞しました。さらにゴールデン・グローブ賞で監督賞や脚本賞など、4部門で受賞しました。また、音楽担当の坂本龍一は。グラミー賞も獲得しました。

ラストエンペラーの映画のあらすじ

映画「ラストエンペラー」のあらすじを見ていきます。1950年、中国のハルピン駅に降り立った愛新覚羅溥儀は、駅構内で自殺を図りました。清の最後の皇帝で、満州国皇帝だった溥儀が過去を回想する形で映画は始まります。溥儀が清の皇帝として即位したのは、わずか3歳でした。幼い溥儀はそれ以来、紫禁城から外へ出ることは許されませんでした。即位式で溥儀は、家臣から筒に入ったコオロギを貰いました。

溥儀はイギリス人のジョンストンを家庭教師に迎え、西洋文化を学びます。1912年に起きた辛亥革命によって退位させられますが、紫禁城に留まることを許されます。そして16歳で婉容(えんよう)と結婚し、第2夫人には文繍(ぶんしゅう)を迎えました。1924年、北京で起きたクーデターによって紫禁城を追われることになり、日本軍の甘粕正彦大尉の手引きで天津に移住。天津で、甘粕は溥儀に夜遊びを教えます。

そのころ妻の婉容、文繍と相次いで離婚し、満州事変後、日本軍の要請によって満州国皇帝に即位しました。満州国は日本による傀儡国家で、溥儀は肩書だけの皇帝でした。第二次世界戦終戦で日本は敗戦国になり、日本軍に加担したとされた溥儀は戦犯となります。ソ連の捕虜として10年を過ごした溥儀は、中華民国による思想教育を授けられました。そして解放後は、北京で市民として暮らすことになりました。

溥儀は今は観光地となった紫禁城を訪ねます。かつて自分が座っていた玉座に腰掛ける溥儀。守衛の子どもが、ここは入ってはいけない所だと言いました。溥儀が「昔ここに住んでいた」と言うと、証拠を見せてと言う子どもに溥儀は、玉座の下からコオロギの入った筒を取り出して見せ、子どもに手渡しました。子どもが顔を上げると溥儀の姿はありませんでした。ここまで映画「ラストエンペラー」のネタバレあらすじでした。

ラストエンペラーの見どころ

映画「ラストエンペラー」のネタバレあらすじを紹介してきました。ここで、映画「ラストエンペラー」の見どころを紹介します。監督のベルナルド・ベルトルッチは、実に綿密に取材を行い、作り上げました。映画の冒頭、溥儀の即位式のシーンでは実際に紫禁城を借りて撮影しました。観客はその壮大なスケールに驚くということです。「太和殿」の前庭に家臣たちがひざまずく様は、その広大な庭を覆い尽くす人間の数に圧倒されます。

また、この映画「ラストエンペラー」は「中国、イギリス、イタリア」による合作ですが、日本人の俳優も出演しています。音楽担当の坂本龍一は、日本軍の甘粕正彦大尉で出演し、他にも多数の日本人が出演しているのも見どころの一つとされています。坂本龍一による音楽は、アメリカのアカデミー賞で、日本人としては初めての作曲賞に輝きました。

坂本龍一による映画「ラストエンペラー」のサウンドトラック盤は、一つの作品として充分楽しめ、映画を観ていない方でも満足できると言われています。

ラストエンペラーの映画感想

映画「ラストエンペラー」のあらすじをネタバレで紹介し、見どころも見てきました。映画「ラストエンペラー」は、清朝の最後の皇帝として生きるしかなく、さらに日本軍に翻弄され自由な人生を選ぶことができなかった溥儀の、哀しい生涯が描かれました。ここからは映画「ラストエンペラー」の、感想を紹介します。

妖怪じみた西太后の会話シーン

わずか3歳にも満たない幼児・溥儀を皇帝として即位させたのは、西太后(せいたいこう)です。西太后は清の先々帝の側室で、先帝の母です。当時の清の絶対的な権力者です。映画「ラストエンペラー」では、幼い溥儀が初めて紫禁城に連れて来られた時に、西太后と会話するシーンがあります。このシーンでの西太后は、まるで妖怪のような雰囲気を醸し出していて、怖いという感想がありました。

登場人物のキャラクターづけ

映画「ラストエンペラー」は、史実を追うことに重きを置いている感があり、幼かった溥儀が少年から大人へと成長していく間の様々な想い、心情が読めないという感想があります。青年となった溥儀が皇帝という位をどのように考えていたのか分からないという感想がありました。それは、年齢を重ねるごとに一度は皇帝を追われた溥儀が、日本軍によって満州国皇帝として担ぎ上げられ、ついに戦犯として裁かれます。

溥儀が経験する出来事、その時々の心情が分からないという感想です。また、家庭教師のジョンストンに対しての感想もありました。紫禁城に閉じ込められている溥儀に、外の広い世界の事を教えたというジョンストンですが、史実では生涯の友だったとなっていますが、溥儀がそこまでジョンストンを慕っているとは思えない、という感想となっています。

完璧に近い映画

映画「ラストエンペラー」全体に関する感想です。幼い頃、皇帝として連れて来られた日から第二次世界大戦終戦まで、常に誰かの思惑の中でしか生きることができなかった男の生涯を描いています。この作品は、紫禁城の壮大さを観客に伝える撮影技術で、城の大きさが皇帝の権力の大きさであることを感じさせます。

また、満州国皇帝だった溥儀が、ソ連による尋問を受けるなかで、過去を回想していくという手法が取られ、過去と今の切り替えが絶秒で、観客は惹き込まれるということです。さらに映画の芸術性を高めているのが坂本龍一による音楽で、当時の時代の流れを表現し、ときには哀愁を帯びた旋律が見事だと言われています。

映画と史実との違い

映画「ラストエンペラー」で、史実との違いを見ていきます。映画の冒頭で溥儀が自殺を図ったシーンがありますが、史実ではありません。西太后が溥儀を紫禁城に招いたその時、死去したと映画では描かれていますが、史実では西太后は26日後に亡くなりました。溥儀の正妻・婉容が年上の様に描かれていますが、史実では同じ1906年生まれです。

映画では婉容と川島芳子は同性愛の関係だとされていましたが、史実ではその関係ではありません。帰国するジョンストンを、映画では溥儀が天津港へ見送りに行きましたが、史実は、溥儀は港へ行かず、溥儀の住まい「静園」で別れました。映画で、甘粕正彦大尉は溥儀の監視役をしていますが、史実では吉岡安直が監視役でした。映画で甘粕大尉が終戦後拳銃自殺しますが、史実では服毒自殺でした。

ラストエンペラーの映画の登場人物

登場人物①愛新覚羅溥儀

映画「ラストエンペラー」の主人公・愛新覚羅溥儀は実在の人物で、2歳で清(現在の中国)の第12代皇帝で、最後の皇帝です。1912年には辛亥革命によって退位、その後も紫禁城に住むことを許され、1922年に第1夫人・婉容(えんよう)、第2夫人・文繍(ぶんしゅう)と結婚します。1924年、北京で起きたクーデターによって紫禁城を追われます。日本軍の甘粕大尉の手引きで天津にある日本租界に落ち着きます。

天津では夜遊びを覚えるなど、享楽的な日々を送ります。1934年、日本軍の傀儡国家・満州(現在の中国東北部)国の皇帝となりますが、第二次世界大戦後、日本に加担したとされ、戦犯としてソビエト連邦で拘留生活を送ります。解放後は一市民として北京で暮らしました。

愛新覚羅溥儀のプロフィール

愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)は、1906年に生まれ、1908年に幼くして皇帝に即位、1912年の辛亥革命で退位、1934年に、満州国・皇帝に即位。戦後は戦犯として拘留され、釈放されたのは1959年、北京市民として暮らし、1967年に死去しました。

登場人物②婉容

映画「ラストエンペラー」で、溥儀の正妻・婉容は1906年に生まれ、清の最後の皇后となりました。天津にあるミッション・スクールで学んだ婉容は英語を話し「エリザベス」という英語名を持っていました。結婚生活は窮屈なしきたりによって、夫と夫婦としての愛情を育むことなく過ぎていきました。紫禁城を追われた後、天津で暮らすことになった婉容は、自由な生活を満喫します。

しかし、日本軍による監視がきつくなり、溥儀との関係も益々悪化していくと、皇后の護衛・川島芳子に勧められたアヘンに手を出してしまいます。こうして婉容は、日頃の満たされない思いを晴らす手段としてアへンに強く依存するようになります。やがて婉容はアヘン中毒となり、その様子は周囲の目にも明らかになっていきました。

そんな時でも夫の溥儀は、妻を介抱することなく、離婚と皇后としての位を剥奪することを考えていたそうです。満州国の終焉と日本の敗戦後、各地の刑務所を転々とし、1946年、ついにアヘン中毒の悪化により死去しました。

登場人物③レジナルド・ジョンストン

映画「ラストエンペラー」で、皇帝・溥儀の家庭教師のレジナルド・ジョンストンは、イギリス人で、数学などの勉強の他、紫禁城の外の事、主に西洋文化などを教えました。ジョンストンは、溥儀にとってかけがえのない友人となりました。ジョンストンが家庭教師となったのは1919年で、クーデターによって溥儀が紫禁城を追われ、天津に落ち着くと家庭教師の職を辞し、イギリスへ帰国しました。

天津で別れる時、溥儀はこれまでの感謝を込めてジョンストンに記念品を渡したそうです。その後ジョンストンは、ロンドン大学で中国および東洋学の教授となりました。1931年、中国を訪れたジョンストンは、溥儀と再会しました。1934年、ジョンストンは故郷のスコットランドに帰り、溥儀の家庭教師をしていたころから、溥儀が満州国皇帝となるまでの事を本にまとめました。

タイトルは「紫禁城の黄昏」で、溥儀に捧げたということです。1935年、ジョンストンは満州国を訪れるなど、生涯溥儀との交流を続けました。そして1938年、故郷スコットランドのエジンバラで死去しました。

登場人物④甘粕正彦

映画「ラストエンペラー」で、日本陸軍大尉・甘粕正彦は、1891年に生まれ、1945年の第二次世界大戦終戦のわずか数日後の8月20日に自殺しました。憲兵として活動後、フランスへ留学、帰国後に満州(現在の中国東北部)に渡りました。関東軍特務機関で諜報活動を行います。満州国建国の中心メンバーとなり、満州国の国策として進めていたアヘンビジネスのリーダー的存在となりました。

映画「ラストエンペラー」では、紫禁城を追われる溥儀に手を貸し、天津では溥儀を夜遊びに連れ出すなど、溥儀の生活に深く関わっていきます。そして溥儀を満州国の皇帝として迎えた後も、甘粕大尉は満州国及び溥儀を影で支配していたということです。

ラストエンペラーの映画スタッフ

映画「ラストエンペラー」のスタッフを紹介します。アカデミー賞の9部門で受賞したという映画「ラストエンペラー」は、監督がベルナルド・ベルトルッチで、音楽担当は坂本龍一です。ここでは、ベルナルド・ベルトルッチ監督と坂本龍一について紹介します。

監督はベルナルド・ベルトルッチ

映画「ラストエンペラー」の監督は、イタリア人のベルナルド・ベルトルッチ(1941年~2018年)です。ベルトルッチ監督のデビュー作は1961年の映画「殺し」でした。1970年の映画「暗殺の森」ではイタリア映画にもかかわらずアメリカのアカデミー賞にノミネートされ、世界的に注目されました。

巨匠と言われるベルトルッチ監督の主な監督作品を紹介します。1970年「暗殺の森」、1972年「ラストタンゴ・イン・パリ」、1976年「1900年」、1990年「シェルタリング・スカイ」、1993年「リトル・ブッダ」、1996年「魅せられて」、1998年「シャンドライの恋」、2003年「ドリーマーズ」、2012年「孤独な天使たち」など多くの名作を生み出しました。

音楽担当は坂本龍一

映画「ラストエンペラー」で、音楽を担当しているのは坂本龍一です。作品中で、日本軍の甘粕正彦大尉を演じている坂本龍一は、1952年生まれ、作曲家、音楽プロデューサー、ピアニストなど、ミュージシャンとして幅広く活動しています。東京芸術大学卒業で「YMO」のメンバーでした。映画「戦場のメリークリスマス」では音楽を担当し、俳優としても出演しました。

映画「戦場のメリークリスマス」の音楽で、日本人としては初となる「英国アカデミー賞」の作曲賞を獲得しました。映画「ラストエンペラー」の音楽は、壮大な紫禁城や当時の中国を表現し、また、溥儀の生涯を美しく切ないメロディーで見事に表現していると高い評価を得ました。この作品で、アメリカの「アカデミー賞」の作曲賞を受賞するなど、日本人として初の快挙となりました。

ラストエンペラーで登場するコオロギの意味

映画「ラストエンペラー」で、清の皇帝として紫禁城に連れて来られた幼い溥儀が、即位式の日に、家臣からコオロギを入れた筒をもらうというシーンがあります。そして映画のラストで、市民となった溥儀が観光地となった紫禁城を訪れ、玉座に座りました。そこへやって来た守衛の息子に、「昔ここに住んでいた」と言い、玉座の下からコオロギの入った筒を取り出しました。ここで、そのコオロギの意味をネタバレ考察していきます。

コオロギは溥儀を象徴している

溥儀は幼い頃皇帝として即位して以来、激動の時代を自身の意思で動くことができず、常に誰かの監視下に置かれるという人生を送ってきました。清の皇帝から日本軍に操られるまま満州国皇帝となり、終戦後戦犯として裁かれ、拘留生活となりました。その後共産党から思想教育を施されるなど、溥儀は、皇帝として玉座に座った時から、まるで筒の中のコオロギの様に囚われてしまったのでした。

開放と自由の意味なのか

清の皇帝から始まり、満州国皇帝、中国共産党を経て、映画のラストシーンで溥儀は再び紫禁城に戻ってきました。そこで溥儀はコオロギの筒を取り出し、解放しました。そして溥儀は玉座から消えてしまいました。コオロギの解放は溥儀の死を意味していて、死によって初めて本当に解放され、真の自由を手に入れたのだと言われています。

ラストエンペラーのあらすじに関する感想や評価

映画「ラストエンペラー」のネタバレ感想です。この作品はアカデミー賞の9部門で受賞するなど、多くの人が納得の名作だということです。巨匠ベルナルド・ベルトルッチ監督が描く壮大なスケールと映像美、坂本龍一による音楽など、どれをとっても大きなスクリーンで観るのが良いという感想です。

映画「ラストエンペラー」のネタバレ感想です。清朝最後の皇帝の哀しい生涯が史実に基づいて描かれ、まさにアジア映画史に残る名作だという感想です。アジアが舞台の作品は、第二次世界大戦前後などが描かれる場合が多く、どうしても日本が悲劇の引き金となる哀しい物語が多いということです。

映画「ラストエンペラー」のネタバレ感想です。史実に基づいた清朝最後の皇帝・溥儀の生涯が切なすぎるという映画で、溥儀を演じた主演のジョン・ローンの演技も良く、映画で流れる坂本龍一の音楽と共に最高の映画だということです。映画「ラストエンペラー」の映画音楽を担当した坂本龍一は、アカデミー賞の作曲賞を受賞しました。物語のそれぞれのシーンに合う最高の曲だったという感想が多く見られました。

映画「ラストエンペラー」のネタバレ感想です。清朝最後の皇帝として生きることを強いられた溥儀の、史実に基づく生涯を描いていて、その波乱万丈な人生は観る者に多くの感慨を起こさせました。映画で描かれた溥儀の生涯は、とても一言で片づけることができない重みを感じるという感想です。

ラストエンペラーの映画のあらすじや魅力まとめ

いかがでしたか?巨匠ベルナルド・ベルトルッチ監督の映画「ラストエンペラー」は、史実に基づいた清朝最後の皇帝・溥儀の生涯が描かれました。ここでは映画「ラストエンペラー」のあらすじをネタバレで見てきました。映画の登場人物と、映画の見どころも紹介しました。皇帝の住まいだった紫禁城を借りての撮影はスケールの大きさを感じさせる撮影術と、坂本龍一による音楽が見どころでした。

また、坂本龍一が俳優として出演しているなど、他にも日本人の俳優の姿もあり、そこも見どころとなっています。アカデミー賞の9部門で受賞したという映画「ラストエンペラー」の感想も紹介してきました。激動の時代に自由を奪われ、翻弄され続けた溥儀の哀しい人生を描いた映画「ラストエンペラー」を、どうぞご覧ください。

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