映画ガンジーと史実の関係は?あらすじ結末・感想や珠玉の名言も紹介

当時イギリス帝国に支配されていたインドにおいて独立運動を行った事で知られるインド独立の父を題材にしたのが映画ガンジーです。史実をベースにした作品ですがこの手の作品に多いのがどこまでが果たして事実なのかという疑問です。今回は映画ガンジーのあらすじやガンジーの名言を、既に視聴した人の感想をネタバレありで紹介しながら、映画ガンジーの中で描かれている史実の出来事を紹介していきます。

映画ガンジーと史実の関係は?あらすじ結末・感想や珠玉の名言も紹介のイメージ

目次

  1. ガンジー(映画)とは?
  2. ガンジー(映画)のあらすじネタバレ
  3. ガンジー(映画)の結末ネタバレ
  4. ガンジー(映画)の名言集
  5. ガンジー(映画)の史実・秘密を解説
  6. ガンジー(映画)に関する感想や評価
  7. ガンジー(映画)のあらすじや名言・感想まとめ

ガンジー(映画)とは?

ガンジー(映画)の情報

映画ガンジーは1982年にイギリスとインドが共同で製作した映画で、第55回アカデミー賞作品賞を受賞した作品です。題材はインド独立の父として知られるガンジーでの青年期から暗殺されるまでを描いた歴史映画です。公開された年の多くの映画賞で名前があがり現在でも知られる名作映画です。

ガンジー(映画)の予告動画

映画ガンジーの予告動画は現在でも残っておりYoutubeで確認する事が出来ます。青年期弁護士をしていたガンジーの1つのエピソードを描いている予告編は当時の背景を知っていても実際に映像で見せられる衝撃的な内容であるとされています。

ガンジー(映画)の監督情報

映画ガンジーはイギリスとインドの合同で行われましたが監督は元々は俳優として活躍し、その後ガンジーで監督を務めて監督としても知名度を高めたイギリス人のリチャード・アッテンボローさんが務めています。リチャード・アッテンボローさんはこのガンジーでアカデミー賞監督賞を受賞するなど活躍しました。1942年から俳優として監督として長く活躍しましたが2014年に90歳で既に亡くなっています。

ガンジー(映画)のあらすじネタバレ

あらすじネタバレ:人種差別

映画ガンジーのあらすじはまだ青年期だったガンジーの列車でのエピソードから始まります。予告編にも使われているエピソードで、弁護士だったガンジーが有色人種である事を理由に1等車から3等車に移るように命じられるも拒否。すると次の駅で放り出されてしまったのです。その人種差別に憤ったガンジーは有力者達にも呼びかけ抵抗運動を開始します。

抵抗運動は有色人種に携帯が義務付けられていた身分証を焼却するというものです。抵抗運動を首謀した事で逮捕されたガンジーですが、無抵抗を貫くガンジーに対して警察が暴力を振るった事で抗議の声が上がってガンジーは釈放される事になりました。

あらすじネタバレ:共同農地

釈放されたガンジーは人種や宗教、階級などに囚われないアーシュラム共同農地を作りイギリスの人種政策に抵抗を続けます。これがガンジーの訴える非暴力非服従運動の一貫なのでした。

あらすじネタバレ:デモ行進

さらに南アフリカ政府が新たに人種政策を発表するとそれを拒否する為に集会を開き抗議デモを行いました。ガンジーは再び暴動の首謀者として逮捕されますが、南アフリカ政府を任されていたスマッツ将軍と対談し、人種政策の撤回と釈放を勝ち取ります。

あらすじネタバレ:同胞の歓迎

第一次世界大戦の戦時中ガンジーはインドに帰国するとガンジーの活動を知らされていた民衆から歓迎を受けます。さらにインドの独立を目指す「インド国民会議」のメンバーとして迎えられる事になるのでした。

あらすじネタバレ:ストライキを決断

インド国民会議のメンバーとなったガンジーはインド全土を回って現状の把握に務めます。その現状に加えてさらにインドで制定されそうになっていた新しい人種政策に対してストライキを決断し、インド国民会議で提案しました。ストライキ当日インド全土で完全にライフラインが止まり、ガンジーは再び逮捕されてしまうのでした。

あらすじネタバレ:大量虐殺

このストライキはインド政府を混乱させ抵抗運動を抑圧し大量虐殺を行ってしまいます。その大量虐殺はイギリス側から見てもひどいもので、怒り狂った民衆が暴動を起こしてしまいます。ガンジーはこの暴力による暴動を止めるべく断食を敢行。衰弱するガンジーを見てようやく抵抗運動は収束するのでした。

あらすじネタバレ:同胞同士の殺人

しかし暴動の根本的な火種が解決していない為にすぐにまた問題が起こります。デモ参加者をデモを鎮圧する側である同じインド人の警察官が痛めつけてしまったのです。報復としてインド人警察官は殺されてしまい民衆は暴徒化。同胞同士での衝突に発展します。ガンジーは治安妨害の罪で再び逮捕される事になってしまうのでした。

あらすじネタバレ:10万人の逮捕者

出所したガンジーは再び抵抗運動を再開します。目を付けたのはイギリスが専売している塩でした。ガンジー自身はすぐに逮捕されてしまいますがこの運動は広まり民衆により続けられます。イギリス側はこの運動に携わった者達を逮捕していきますがその人数は多く10万人にも及ぶ逮捕者が出てしまうのでした。

ガンジー(映画)の結末ネタバレ

結末ネタバレ:インドへ帰国

第二次世界大戦を経てイギリスはインドの独立を承認せざるを得なくなります。釈放されたガンジーはインド独立の為にイギリスに渡って会議に参加します。なんとか独立の折り合いをつけインドへ帰国しましたが、ガンジーに待っているのは軟禁生活でした。

ガンジーを軟禁したのはインド国民会議のジーナです。ジーナはインドの中でもムスリムの多い地域をインドとは別に独立させパキスタンとする事を提案していましたがガンジーは宗教対立を懸念して反対していた為です。

結末ネタバレ:独立した2つの国

結果としてイギリス領インドはインドとパキスタンという形で2つの国としてそれぞれ独立する事になります。しかしガンジーの予想どおり、それぞれの地域に済む少数派となってしまった者の保護を名目に両国は対立を深め毎日のように暴動が起こるようになってしまいました。

ガンジーはこの暴動を止めるべく再び断食を敢行。しかし既に高齢のガンジーは断食に耐えられず病に臥せってしまいます。そんなガンジーにようやく両国は沈静化されガンジーはパキスタンに向かう事になります。

結末ネタバレ:ガンジーの葬儀

インドがある程度落ち着きを取り戻した頃、ガンジーはガンジーを敵視するヒンドゥー原理主義者ゴードセーによって暗殺されてしまいます。インドの独立に紛争したガンジーの葬儀は国葬として執り行われ、インド中の民衆が集まり各国の要人も出席した大規模なものとして行われました。

ガンジー(映画)の名言集

名言:「誰かが正義のために・・・」

このセリフは牧師であるアンドリュースがガンジーの活動を知って協力する為にガンジーの家を訪れた際のガンジーの名言です。アンドリュースは新聞を読んで協力したくなったという動機だった為、「驚いたか?」と訪ねた際に「誰かが正義のために戦っていると、人々は立ち上がるものですよ。たとえ危険を冒しても」と答えたのです。

名言:「将来の人たちは・・・」

このセリフはガンジーの葬儀に出席したアインシュタイン博士のセリフです。「将来の人たちはとても信じないだろう。このような人間が地球上に存在したことを」というセリフで、世界中でガンジーの功績が認められている事を示す名言です。

名言:「道は広いよ」

有色人種の開放の為に動くガンジーは白人にとっては憎悪な存在でもあります。映画の中で白人の若者が「歩道から降りろ」と言った際に返したセリフがこの「道は広いよ」です。若者は何も言い返す事が出来ず、道を開けるのでした。

名言:「打たれても・・・」

このセリフは白人のアンドリューとインド人であるガンジーが共に歩く場面を見た若者が揶揄する場面でのセリフです。「打たれても打ち返さず避けもしない勇気。それが人の心に訴えます。憎悪が消え尊敬が増すのです」というセリフでガンジーはアンドリューの横を歩き続けました。

名言:「どの方向に?」

上記のあらすじでも紹介したデモが警察官を殺してしまう事件を聞いたガンジーは独立運動をやめるように言います。共に独立を進めてきたネルーが「全インドが動き出したのだ」と言ったセリフにガンジーがこのように返すのでした。さらにガンジーは「殺人と流血による自由は要らん」「今回の出来事は恥ずかしい」と続けました。

名言:「彼らは責め苛み・・・」

インド人を犯罪者のように扱う新しい法律が制定されようとしている中、ガンジーは集会でこのようなセリフで民衆に呼びかけました。「彼らは責め苛み、骨を砕き、殺すでしょう。彼らは死体は手にしますが、服従は手にできません」というセリフで暴力に訴えるのではなく指紋を押さないという事で抗議しようと訴え結果としてこの法律の廃止を勝ち取る事に成功したのです。

名言:「私はイスラム教徒で・・・」

インド独立直前、ガンジーはイスラム教徒であるジーナと話し合いの場を設けました。その場に向かう日の朝、ガンジーの家の前にはヒンズー教の原理主義者達が集まっていました。彼らはジーナの死を望んでいましたがガンジーは「私はイスラム教徒で、ヒンズー教徒で、キリスト教徒で、ユダヤ教徒だ。諸君もそうだ。」と説き伏せました。

名言:「私は失望すると・・・」

警察を殺してしまう事件が起きた時ガンジーはこの暴動を止める為に断食を敢行します。「正しい事をしているが、やりすぎです」と言われたのに対し返したのが「私は失望すると、いつも思う。歴史を見れば真実と愛は常に勝利を収めた。暴君や残念な為政者もいた。一時は彼らは無敵にさえ見える。だが結局は滅びている。それを思う。いつも」という名言です。

名言:「この世の悪魔たちは・・・」

内戦が沈静化された状態とはいえパキスタンに向かう事にしたガンジーに対し記者に行く理由を問われた際の名言がこのセリフです。「この世の悪魔たちは、我々の心の中にいるのだと。心の中で戦うのだと。」そしてこのセリフの後自宅を出たガンジーは暗殺されてしまう事になるのでした。

名言:「生きていれば・・・」

インドとパキスタンの内戦が泥沼化する中、ガンジーは断食をしてこれを止めようとしますが老齢の身体に断食は非常に厳しいものでした。同じインド国民会議からインドの首相になったネルーはこれを辞めさせようとしますがその際に放ったのがこの名言です。「生きていれば何かできる。死ねばできません。」

ガンジー(映画)の史実・秘密を解説

史実:少年時代のガンジーはどんな少年?

映画でのガンジーは既に弁護士としてある程度の成功を収めている状態から始まります。しかし少年時代のガンジーはとても後にインド独立の父と呼ばれるようになるとは思えないような少年でした。特別頭が良いわけでも社交的でもなく、どちらかといえば素行が悪い少年だったようです。

史実:ガンジーと主演俳優の繋がり

映画ガンジーにてガンジー役を務めたのがベン・キングスレーさんです。彼はイギリス国籍を持つ俳優で当初は何故イギリス人がインド独立の父であるガンジーを演じるのかと反発もありました。しかしベン・キングスレーさんはインドにルーツを持っている俳優さんだという事が分かり沈静化しています。ちなみにキングスレーという芸名もガンジーがイギリス滞在時に利用した「キングスレーホール」という施設から取られています。

史実:ガンジーは同胞に暗殺された

映画ガンジーの中でも衝撃的なシーンであるガンジーの暗殺。このシーンも紛れもない事実です。インドとパキスタンの対立に心を痛めるガンジーは各地を回って争いをやめるように促していましたが、その内容がムスリムに譲歩しすぎだとしてヒンドゥー原理主義者から非難を集める事になっていたのです。

史実:国をあげて行われた壮大な葬式

ガンジーの葬式が国葬として扱われたのも史実の通りです。史実では200万人が参加したとも言われるこの葬儀は人の列が8kmにも及ぶ長さの列をなす程でした。映画ではこのシーンを再現するべく、実に40万人ものエキストラを集め33台のカメラを使って撮影が行われました。このシーンはワンシーンに使われた最多人数エキストラとしてギネス記録にもなっています。

史実:南アフリカで活動を開始

映画でも前半およそ1時間程ガンジーは南アフリカで活動していますが、これもまた史実です。1983年に南アフリカに渡ると1916年までの長期間滞在し、現地のインド系住民の人権を確保するべく紛争、この事実がインドにも伝わっていた為に英雄としてインドに迎えられる事になったのです。

史実:13歳で結婚したガンジー

日本の感覚で見ると早いように思いますがガンジーはインドの幼児婚という習慣もあって13歳で結婚しています。妻であるカストゥルバは映画の中でも重要な役どころを占め、時に反発する事はあっても支え続けているのです。74歳で亡くなるその時までガンジーを支え続けました。

史実:政治団体の役職には就かなかった

ガンジーは勘違いされがちですがインド国民会議のメンバーではありますが役職に付いた事はなくその他の他の政治団体の役職に就いた事がなくあくまでも1個人として活動していました。またインド国民会議ともある程度距離を取っており、時には名指しで批判をした事もあります。あくまでも人々が自由を勝ち取る為の活動というのがガンジーの活動の根幹です。

史実:実はノーベル平和賞を受賞していない

ガンジーの活動はノーベル平和賞を受賞しても不思議ではない程の偉業といえますが、実はこれまでにノーベル平和賞を受賞した事はありません。過去に最終選考までノミネートされた事はありますが、活動があくまでもインドに限定されている事、非暴力を訴えてはいるが結果として暴動が起こってしまっている事などがその理由となっています。

史実:インディラ・ガンジーとは無関係

映画ガンジーが公開された当時、インドの首相はインディラ・ガンジーが務めていました。この事から血縁者なのではと言われた事もありましたが、血縁関係にはありません。むしろインディラさんは上記でも名前が登場している初代インド首相となったネルーの娘さんです。偶然ネルーさんがガンジー姓を持つ男性と結婚した為に起こった不思議な関係です。

史実:リチャード・アッテンボロー監督の夢

映画ガンジーの監督を務めたリチャード・アッテンボロー監督にとってガンジーの伝記映画を作る事は長年の夢でその実現には実に20年の歳月が必要でした。実際にガンジーと交友も深いネルー初代インド首相、最後のインド総督、マウントパッテン伯爵にも直接あって映画への支持を取り付ける程でした。

史実:全世界が映画を観て絶賛

映画ガンジーはアカデミー賞を始めとした多数の賞を受賞していますがこの映画自体がガンジーの偉業を称える映画という事ができます。当時敵対していたイギリス人の監督が紛争し、イギリスとインドが協力、さらには配給にアメリカも関わってまさに世界規模でこの映画が称賛されるきっかけとなりました。

史実:主演俳優はガンジーそのものだった

主演を務めたベン・キングスレーさんはガンジー役が決まるとインド各地を旅しながらガンジーになるべく役作りに紛争しました。その徹底ぶりはインド人からも驚かれる程で中には「ガンジーの幽霊」「ガンジーが生き返った」と話す人もいた程だったようです。

史実:スティーヴ・ジョブスのインスピレーションの元?

ガンジーの思想は後の社会運動家に大きく影響を与えましたが影響を受けたのは社会運動家だけではありません。アップルの創始者であるスティーヴ・ジョブスもガンジーからインスピレーションを受けた事を明かしています。スティーヴ・ジョブスが愛用したメガネもガンジーの丸メガネのオマージュだそうです。

ガンジー(映画)に関する感想や評価

ここからは映画ガンジーの感想を紹介していきます。映画ガンジーはガンジーの伝記映画なので基本的に史実をベースにしている事から感想としても非常に為になった、勉強になったという感想が非常に多いです。

特にガンジーが訴えた非暴力に対しての感想は非常に多いです。映画でもそれを全面に押し出しているだけにぜひ見てほしいという感想は多いです。

また特に映画後半のインド独立直前は現在でも未だに続くインドとパキスタンのきっかけが事細かく描かれている事もあり、歴史映画の側面としても勉強になったとする感想は非常に多いです。

ガンジー(映画)のあらすじや名言・感想まとめ

映画ガンジーはインド独立の父として知られるガンジーの半生を描いた映画です。監督の思いが十分に詰まった映画なので限りなく史実に近い形で描かれている映画で今見ても十分に為になるとする感想も非常に多くなっています。

作品としては古い作品ではありますが今でもツイッター等で感想を見ることが出来る程に有名な作品です。ぜひ今からでも1度は見るべき映画だと言われています。是非ご覧ください。

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