こんな夜更けにバナナかよの原作本あらすじネタバレ!筋ジス・鹿野靖明の生涯とは?

間もなく映画が公開される「こんな夜更けにバナナかよ」の公開日やキャストなどの映画に関する情報と、原作となった本のあらすじやこの本の主人公で実在した鹿野靖明さんとはどんな人物で、どんな生涯を過ごしたのか深堀していきます。また、こんな夜更けにバナナかよの原作本を読んだ方の感想や評価についてもあわせて紹介していきます。原作本や映画のネタバレ内容が含まれますのでご注意ください。

こんな夜更けにバナナかよの原作本あらすじネタバレ!筋ジス・鹿野靖明の生涯とは?のイメージ

目次

  1. こんな夜更けにバナナかよの原作本あらすじが気になる!
  2. こんな夜更けにバナナかよが実写映画化!キャストは誰?
  3. こんな夜更けにバナナかよの原作者・渡辺一史さんとは?
  4. こんな夜更けにバナナかよの原作本あらすじをネタバレ!
  5. こんな夜更けにバナナかよの原作本を読んだ感想や評価とは?
  6. こんな夜更けにバナナかよの原作本あらすじネタバレまとめ!

こんな夜更けにバナナかよの原作本あらすじが気になる!

試写会での満足度95.9点(11/12完成披露試写会アンケートより)の映画『こんな夜更けにバナナかよ』が間もなく公開されます。この物語は難病の筋ジストロフィーを患った鹿野靖明さんの実話を描いたノンフィクションドラマになります。ここでは、原作本「こんな夜更けにバナナかよ」のあらすじのネタバレやその主人公となった鹿野さんの生涯を紹介していきます。

劇場情報|映画『こんな夜更けにバナナかよ -愛しき実話』公式サイト

こんな夜更けにバナナかよが実写映画化!キャストは誰?

こんな夜更けにバナナかよの映画公開日や出演するキャストなど映画に関する情報について紹介いたします。

こんな夜更けにバナナかよの映画公開日はいつ?

こんな夜更けにバナナかよの映画公開日は平成30年12月28日(金)になります。また、こんな夜更けにバナナかよの映画では『UDCast』方式によるバリアフリー音声ガイド、バリアフリー日本語字幕に対応しております。詳細については公式サイトをご覧ください。

こんな夜更けにバナナかよのキャストとは?

映画『こんな夜更けにバナナかよ』に出演するメインのキャストのプロフィールについて紹介いたします。

難病である筋ジストロフィーに侵されながらも、明るく自分に正直に生き周囲を振り回すも、どこか憎めない愛されキャラ・鹿野靖明を演じたのは大泉洋さんです。この役を演じるにあたっては、役作りのために最大10キロ体重を落としたそうです。大泉さんの主な出演作品は「探偵はBARにいる」(11)「しあわせのパン」(12)「恋は雨上がりのように」(18)などの数々の話題作に出演されている人気の俳優さんです。

鹿野が想いを寄せる新人ボランティアで女子大生の安堂美咲役を演じたのは高畑充希さんです。『こんな夜更けにバナナかよ』というタイトルにズキュンときたと話す高畑充希さんは朝の連続ドラマ「とと姉ちゃん」(16)で主演を務めるほか、「過保護のカホコ」(17)「DESTINY鎌倉ものがたり」(17)などに出演されています。

美咲の彼氏で、医師を目指しながら将来や自分の存在意義に悩む繊細な青年・田中久役を演じるのは三浦春馬さんです。三浦春馬さんが出演する主な作品は、「恋空」(07)「永遠の0」(13)新劇の巨人」(15)などに出演されています。

こんな夜更けにバナナかよの原作者・渡辺一史さんとは?

渡辺一史さんは大注目のノンフィクション作家!

こんな夜更けにバナナかよの原作者・渡辺一史さんとはどんな人でしょうか?そして、この物語の主人公で実在した鹿野靖明さんという人物像について深堀していきます。

「こんな夜更けにバナナかよ」の著者である渡辺一史さんは、フリーのライターで当時は医療や福祉に対しては全く未知の分野でしたが、渡辺さんの友人から「鹿野さんの家に多くのボランティアがいつも集まっている」と聞き、その好奇心が鹿野さんと出会うきっかけだったそうです。そして、渡辺さんもそのボランティアの一人として鹿野さんと関わるようになります。

そんな中で書き上げた渡辺さんの第一作である、闘病する鹿野さんと彼を支えたボランティアとの日常生活を描いた「こんな夜更けにバナナかよ」は、第35回大宅壮一ノンフィクション賞、第25回講談社ノンフィクション賞をダブルで受賞され、大注目のノンフィクション作家として現在も執筆活動をされております。

のちほど「こんな夜更けにバナナかよ」の作品のあらすじを紹介しますが、この本は2003年に出版されました。十年以上の月日が経つ中、今も多くの方に読まれ愛されています。そして今回映画化されること機に、さらに多くの方がこの作品を手にとり読まれるようになりました。この本を執筆するまで福祉とは無縁だった著者だからこそ、福祉と関わりが薄い方でも分かりやすく、読みやすい内容となってます。

鹿野靖明のプロフィールを紹介!

こんな夜中にバナナかよの主人公である鹿野靖明さんは、1959年12月26日生まれで、出身は大泉洋さんと同じ北海道で生まれ育ちました。鹿野さんが小学6年生の時に進行性筋ジストロフィーを発症し、35歳の時には呼吸筋の衰えにより自分で呼吸することが難しくなり「人工呼吸器」の機械を装着され、42歳に短い生涯を終えました。

ここまでの生い立ちをあげると、小学校の時から重い病気を患い肩身の狭い思いをされているように見えますが、そんな腰の低さや卑屈さは彼にはなく、時にボランティアに暴言やわがままを言って困らせたり、振り回すことも多々ありましたが自分の生き方を貫き通され、28歳の時には結婚し33歳の時に離婚も経験されています。

筋ジストロフィーとは?

筋ジストロフィーとは身体の筋肉が壊れやすく、再生されにくいという症状をもつ、たくさんの疾患の総称で、指定難病となっております。筋力の低下によって身体を動かすことが難しくなったり、呼吸、飲み込み・血液循環等に機能障害が出たりします。この病気の治療薬はありませんが、近年の医学の進歩はめざましく、新薬の開発がすすめられております。(日本筋ジストロフィー協会HP参照)

こんな夜更けにバナナかよの原作本あらすじをネタバレ!

こんな夜更けにバナナかよの主人公・鹿野靖明さんについて

こんな夜更けにバナナかよは鹿野さんの自伝のような作品になっているため、要点を絞って原作本のあらすじを紹介します。ここから先は原作本『こんな夜更けにバナナかよ』のあらすじのネタバレになりますのでご注意ください。

鹿野靖明さん、40歳は「進行性筋ジストロフィ―」という病気を患っています。筋ジスだと医師に告げられたのは小学校6年生のときで、以来、中学、高校を養護学校(現在の特別支援学校)で過ごし、18歳のとき脚の筋力の低下により車椅子生活となり、32歳の時には心臓の筋力低下により拡張型心筋症と診断されます。そして1年ほど前から首の筋力低下により、ほとんど寝たきりの生活になっていました。

普通の人が当たり前にできていること、例えばかゆいところに手を伸ばしてかいたり、自分のお尻を自分で拭くことができません。35歳の時に呼吸筋の衰えによって自発呼吸が難しくなり、喉に穴をあける「気管支切開」の手術をして「人工呼吸器」を装着し、それ以来、1日24時間、誰かが付き添って、呼吸器や気管支にたまる痰を吸引しなければなりません。

この当時、筋ジストロフィーを患った方は家族の介護を受けながら生活するか、障がい者の施設で過ごすかという選択肢しかない中、「ぼくが障がい者だからといってその犠牲にはなってほしくない」という強い思いがあり第3の道である自立を選びました。それ以来鹿野さんは介助者を探すため電動車いすで自ら街に出てチラシをまいたり、大学や医療・福祉関係の講演活動をしながらボランティア募集とその必要性をうったえました。

こんな夜更けにバナナかよが誕生したきっかけ

この本の著者である渡辺一史さんは、2000年に北海道新聞社の図書出版部門の編集者から呼び出され、鹿野さんの話をテーマにして本を書かないかと打診がありました。若い人達が集まる鹿野さんの家には何があるのか、そして若い人達は何を求めてボランティアにきているのか知りたいと、編集長から渡された資料をめくると、鹿野さんとボランティアとの間で交わされてきた『介助ノート』のコピーを目にします。

この『介助ノート』をみたとき、著者の中で「それまでは障がい者とかボランティアの体験談といえば、感動的な話しか知らなかったが、そこからはみ出してあふれ出てくるような何かがそのノートには満ちていた」と綴られています。そんな、当時の介護の様子やその当時に鹿野さんが感じた想いなどが詰まった『介助ノート』がきっかけで『こんな夜更けにばななかよ』が誕生しました。

バナナ事件

こんな夜更けにバナナかよという本のタイトルにまでつけられたバナナ事件とは、深夜に鹿野さんが「バナナを食べたい」と言い出したことで、学生ボランティアの一人が耐え切れずに「こんな夜更けにバナナかよ」と思ったことからつけられました。

鹿野さんの妹の存在

鹿野さんは24時間、他人の介助なしには生きていけません。それでも第3の道である「自立生活」を選んだ理由は、6歳下の妹・美和さんの存在です。美和さんは、生後6ヵ月で「点頭てんかん」の発作を起こし、薬の副作用で知能が未発達なまま成長し、9歳の時から札幌市内の知的障がい者施設にいます。鹿野さんは、妹のことを考えると複雑な心境で、親に対し子どもが2人も障がい者であるということが申し訳ないと語っています。

八雲病院で過ごした時間

鹿野さんは幼少期から転びやすく、足の弱い子どもであり、鹿野さんが筋ジスだと診断されたのは小学校6年生の時になります。それから鹿野さんは12歳の時に国立療養所八雲病院(現・国立病院機構八雲病院)に入所し、そこでおびただしい「死」と出会います。ある朝、起きると昨日まで苦しそうに寝ていたはずの友人がいなくなっており、自分も早かれ遅かれそうなると感じながら過ごしていました。

鹿野さんの医療や病院に対する不信感、そして、自分の症状や医師の処置について、納得いくまで説明を求めるという姿勢はこうした体験に根差していると語っていました。そして、八雲病院で規制されながら過ごした時間があったからこそ、「どんなことをしても生きたい」と生きることへの力強さの根源になっているようです。

学生たちがボランティアをする理由

ボランティアをする理由は「なんとなく」だったり「逆にボランティアに参加することで精神の安定が図れる」など、もともと気持ちの底にあった自己不安や自己実現の欲求を解決させたいという想いがボランティアへ繋がっているようです。

結婚生活

鹿野さんは、友人がたまたま連れてきた女性と恋に落ち、結婚することになります。その後、ケア付き公営住宅に入居することができますが、その当時ケア付き公営住宅は上手く機能せず、このことがきっかけで二人の心はすれ違い、奥さんから離婚を切り出され5年間の結婚生活にピリオドをうちます。離婚の原因は多々ある中、直接のきっかけは、彼女がボランティアの男子学生と恋におちてしまったことだったそうです。

離婚後、さらに追い打ちをかけるように筋力が低下し、人口呼吸器を余儀なくされることになりました。この人生の泥沼から這い上がり、鹿野さんらしい生活スタイルを手に入れるには、さらに、もう一つの大きな壁があったそうです。

アメリカ渡米の夢

鹿野さんは、離婚をし心臓が悪くなってきたころ、英語検定の2級取得を目指し毎日4~5時間の猛勉強を繰り返していました。いつか渡米して、かつて影響を受けたエド・ロングに会いに行きたい、そして、アメリカの障がい福祉を勉強したいという夢を持っていました。

30代で勉強を再開した鹿野さんは、英検準2級まで合格するほど着々と英語力を伸ばし、一度だけアメリカ行きが実現しそうになりました。カリフォルニアに住むエド・ロングに手紙で打診したところ、「いつでも大歓迎。滞在中に倒れても、こちらの緊急体制はしっかりしている。私が治療費の保証人になる。」と返事が返ってきました。しかし、出発直前に肺炎にかかり入院となり、余儀なく渡米を断念せざる終えませんでした。

介助ノートの発案

後々まで続くことになる『介助ノート』の1冊目は、鹿野さんが私立札幌病院へ転院した時から始まりました。当時きていたボランティアには学生ボランティアや社会人、主婦など合わせて10名ほどいましたが、ボランティア同士は介助に入る日がバラバラのため、お互いのことをよく知りません。そこで、伝達事項や引継ぎをスムーズにしたいという事務的な理由から『介助ノート』が発案されました。

鎖に繋がれた犬じゃない

病院を退院し、自宅のベッドに入ろうとした際、激しい悪寒に襲われ高熱を出してしまいます。入院していた病院はベッドの空きがなく、他の病院も朝を迎えるまでは対応できない状況におかれ、やっと救急車で運ばれた時にはかなりの低酸素状態で、気管切開は避けられない状態でした。

呼吸器につながれた鹿野さんは、自分の運命と必死に折り合いをつけようとしていました。病室の呼吸器は、小型冷蔵庫ほどの大きさがあり、その機械から伸びるホースが自分の喉についていて、「まるで鎖に繋がれた犬だ」と鹿野さんは思ったそうです。

日を重ねるにつれて、鹿野さんの状態は回復し、次第に「自宅に帰りたい」とうったえるようになりました。そのうったえは、ボランティアたちの協力もあって、無事に退院できるようになりました。鹿野さんが退院した後も受け入れられるよう病院ではベッドを開けて待っていましたが、1年経っても戻ってくることはありませんでした。

それから5年後

鹿野さんは入院していたときよりも元気になり、肺炎も心不全も一度も起こさないままボランティアとの自立生活を続けていました。もし、あのまま退院せずに入院を続けていたら、当時お医者さんが言っていたように、余命1~2年が限界だったかもしれません。

数々の壁を乗り越え、鹿野さんもまた強くなっていました。もともとアメリカの「自立生活運動」の影響を受けて、自立生活を始めた鹿野さんでしたが、この入院生活を経て、ようやく自己実現の道筋をつかんだのではないかと綴られています。そして、入院生活以降、鹿野さんにとって、「ボランティアと生きること」「1日でも長く生き続けること」が鹿野さんにしかできない「運動」であり「仕事」となりました。

42歳という生涯を終える

退院から6年目を迎え「退院記念パーティー」を終えた鹿野さんは、2001年の暮れに42歳になっていました。著者は「そしてシカノは厄年をこえて」というタイトルのあとがきに取りかかろうと思っていた夏の日、鹿野さんは意識不明で私立病院に運ばれました。そして2002年8月12日に亡くなってしまいます。死因は拡張型心筋症(筋ジスによる二次性心筋症)による不整脈でした。

著者は鹿野さんの死について考えます。鹿野さんは両親やボランティアにも立ち会う間を与えず、命の炎がふっと消えるようにあっさりと逝ってしまったといいます。また、私立札幌病院救命救急センターでの最期の夜、ボランティアたちがすべて帰ったあと、鹿野さんの横で介助にあたっていたのはボランティアではなく、民間在宅介護支援サービスから派遣されたヘルパーさんでした。

結局鹿野さんは、誰にも看取られたくなかったのだろうかと著者は考えます。それは、もし、息を引き取った場所が自宅の場合、事態はもっと複雑になってしまうからです。そして、もし若いボランティアさんがその場に居合わせていたら、そのボランティアさんは責任を感じてしまうかもしれない状況もあった中、誰も自分を責めなくていい状況で亡くなった鹿野さんに対し不思議な気持ちを抱かれていました。

こんな夜更けにバナナかよの原作本を読んだ感想や評価とは?

主人公・鹿野役は大泉洋さんがイメージ通りだという声や大泉さんではないとできない役だという声が多かったです。この役を演じるにあたり、大泉さんは本人により近づけるよう体重を減らすほかに、役作りのためにわざと視力を落とすコンタクトレンズを入れて撮影に挑んだりと役作りに徹底しています。そんな大泉さんの一つ一つの演技が見どころだと思います。

なかなか福祉やボランティアに関わりのない方にも福祉の現場を知ってもらうきっかけになり、色々と考えさせられることが多いようです。

福祉の現場では、援助者と援助を受ける側(被援助者)の関係性について援助者が強い立場になってしまう現状が多い中で、この本の中ではその関係性の立場が逆転し、援助者は被援助者によって知識や援助技術を教えてもらっている立場だと、支援に対する在り方について改めて考えさせられる内容になっていると思います。ぜひ、福祉に関わる人には読んでほしい一冊です。

障がいを持つ方の実話というと切なくなり重たいイメージがありますが、この本を読んだ方は思わず本を読みながらクスッと笑ったり、時に泣いたりと読みやすくて引き込まれるという声も多かったです。

こんな夜更けにバナナかよの原作本あらすじネタバレまとめ!

ここまで閲覧いただきありがとうございました。こんな夜更けにバナナかよの映画に関する情報及び原作本のあらすじのネタバレについては以上になります。鹿野さんが病気と向き合いながら懸命に生きる姿から学ぶことが多いと思います。こんな夜更けにバナナかよの原作本はボリュームが多いため、要点を絞ってあらすじを説明しました。ぜひ、気になった方はお手にとって原作本を読んでみてください。

また、鹿野さんの役を演じた大泉洋さんが主演を務める作品「恋は雨上がりのように」の映画も、ぜひご覧になってみてください。

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