空飛ぶタイヤは実話で三菱自動車のリコール問題?実際の事故や赤松運送のモデルは?

2018年に映画として公開された「空飛ぶタイヤ」。メインのキャラクターを演じる俳優陣が豪華で話題となりました。人気作家の池井戸潤の小説が原作で、同氏にとって初の映画化でもあります。そのストーリーの内容は、ある事故をきっかけに、小さな運送会社が桁違いの規模を持つ巨大企業相手に正義を貫こうとするもの。実はこの話には元となる実話があります。「空飛ぶタイヤ」は最後ハッピーエンドで終わりましたが、現実はそうはいきませんでした。物語と現実の比較をご紹介いたします。

空飛ぶタイヤは実話で三菱自動車のリコール問題?実際の事故や赤松運送のモデルは?のイメージ

目次

  1. 空飛ぶタイヤは実話?三菱自動車のリコール問題説を調査!
  2. 空飛ぶタイヤとは?
  3. 空飛ぶタイヤは実話!三菱自動車のリコール問題について
  4. 空飛ぶタイヤの赤松運送のモデルについて
  5. 空飛ぶタイヤは実話だった!三菱自動車関連についてまとめ

空飛ぶタイヤは実話?三菱自動車のリコール問題説を調査!

「空飛ぶタイヤ」の物語は、実話を元に描かれています。その実話とは「三菱リコール隠し事件」です。20年以上もの間、74万台近くにのぼる自動車が、構造的な欠陥があるにも関わらず、メーカーである三菱自動車に放置され日本中で走っていました。人の命も奪っています。「空飛ぶタイヤ」では若い母親が欠陥車の犠牲となっていますが、これも実話が元になっています。

空飛ぶタイヤとは?

「空飛ぶタイヤ」の物語は池井戸潤によって書かれました。2006年に単行本刊行、2009年WOWWOWでドラマ化、そして2018年に映画化されています。池井戸潤にとって初の映画化です。「空飛ぶタイヤ」というタイトルからはあまり暗いイメージは受けませんが、その中身は巨大企業を相手に、吹けば飛ぶような中小企業が戦いを挑む物語。ある事故が起こったことがきっかけで始まった、小さくて大きな戦いが描かれています。

映画「空飛ぶタイヤ」では、主人公をTOKIOの長瀬智也が好演。その脇をディーン・フジオカと高橋一生という旬の人気俳優が固めました。ちなみに実は、この映画には柄本明が出演しています。出番は少しなものの、非常に重要な役です。さかのぼって2009年、WOWWOWでドラマ化された時は、柄本明の長男、柄本佑が出演しています。父も子も、どちらも映画とドラマ両方で主人公にとってとても重要な役を演じています。

空飛ぶタイヤは実話!三菱自動車のリコール問題について

ここからは、「空飛ぶタイヤ」の物語を、実話である「三菱リコール隠し事件」や横浜で過去に実際に起こった事故と徹底比較していきます。メーカーが責任を持ってやるべきことをしていれば、避けられたはずの事故。それにより亡くなる被害者、事故の状況など、他にも諸々掘り下げていきます。

トラック脱輪事故の被害者

「空飛ぶタイヤ」の冒頭で亡くなるのは、幼い息子と一緒に歩いていた33歳の若い母親。この事故の元になった実話があり、それが「横浜母子3人死傷事故」です。2002年1月に起きました。この時犠牲となったのは、29歳の2児の母、岡本紫穂さん。事故当時、紫穂さんは1歳の次男が載るベビーカーを押しながら、4歳の長男と一緒に歩いていました。この実際の事故でも子供は助かりましたが、母親の紫穂さんは亡くなりました。

「空飛ぶタイヤ」の中では、亡くなった母親の葬式の様子が描かれています。後ほど紹介しますが、事故を起こしたのはある小さな運送会社。その社長の赤松が葬式に訪れます。そこで、遺族となってしまった被害者の夫から、「母親に死なれた子供の気持ちを胸に刻んでください」と、幼い息子が母親に宛てたメッセージを書いた紙を渡されます。そこには「かみさまへ ママにもういちどあいたいです」と書かれているのでした。

事故現場

「空飛ぶタイヤ」で起こるトラック脱輪事故の現場は、神奈川県横浜市新港北にある、ある見晴らしのいいゆるやかなカーブでした。タイヤに無理な負荷がかかるほど急ハンドルをきらなければならないような道ではありません。この事件の元の実話となった「横浜母子3人死傷事故」の現場は、神奈川県横浜市瀬谷区下瀬谷2丁目交差点付近の、中原街道沿いのある地点です。こちらにはカーブすらありませんでした。

「空飛ぶタイヤ」では事故後、その現場に沢山の献花がされていました。運送会社社長の赤松も何度も訪れますが、亡くなった女性の夫から「あんたの家族がこうなってみなよ」と、涙ながらに悲痛な気持ちをぶつけられています。「空飛ぶタイヤ」の元となった実話である「横浜母子3人死傷事故」の現場には、事故当時、献花の他に目撃証言を求める看板が立てられました。

事故を起こしたトラック

「空飛ぶタイヤ」で事故を起こすのは、ホープ自動車の「ドリーマー」という大型トラック。横浜母子3人死傷事故では、三菱自動車の「ザ・グレート」というトラックでした。「ザ・グレート」も左前輪が外れ、事故を起こしています。タイヤの大きさだけでも直径約1m、幅約30cm、重量はホイールを含めて140kg近く。そのタイヤが下り坂を約50メートル転がり、ベビーカーを押して歩道を歩いていた母親に直撃しました。

「空飛ぶタイヤ」で事故を起こすドリーマーの大きさは、ザ・グレートと大体同じような感じです。社会の必需品である反面「車は走る凶器」と言われますが、このクラスの大きさの乗り物となると、タイヤ1つでも人の命が奪われてしまう現実を、事故が物語っています。

トラックを使っていた運送会社

「空飛ぶタイヤ」でホープ自動車の「ドリーマー」で事故を起こしてしまったのは、運送会社の「赤松運送」。所有するトラックは80台ほど、従業員数は約90名の中小企業です。社長の赤松が父親から受け継いだ会社で、赤松を支える専務も、先代社長からずっと支え続けています。

横浜母子3人死傷事故で事故を起こした運送会社は、名前が非公開であったためわかりません。神奈川県綾瀬市に実在しましたが、事故をきっかけに廃業となってしまいました。後ほどもう少し詳しくご紹介いたします。

トラックの運転手

「空飛ぶタイヤ」で事故を起こしたトラックを運転していたのは、赤松運送の若い従業員でした。真面目な青年で、仕事をする姿はどことなく楽しそうでした。しかし思いもかけない事故を起こしてしまい、しかも人が亡くなったことで激しく動揺。社長の赤松には「事故の後に、タイヤが外れたことも人に当たったことも知った」と、事故当時は何が起きたかわからなかったことを語りました。事故後はしばらく仕事を休んでしまいます。

横浜母子3人死傷事故で事故を起こしたトラックを運転していたのは、運送会社の社長でした。年齢なども公表されていないため人物像はあまりわかりませんが、社長であり運転していた本人だったということもあり、三菱自動車が不正を認めるまで、相当な嫌がらせなどを受けたようです。

トラックのメーカー企業

「空飛ぶタイヤ」で事故を起こすトラックは、「ホープ自動車」という会社の製造です。ホープ自動車はホープグループの内の1つの会社で、そのグループ内には銀行や不動産会社、食品会社など多岐にわたる会社があります。何十、何百の会社が集まった、巨大な財閥組織です。ちなみにかつて1965年まで、日本に実際に「ホープ自動車」という名前の会社は実在しましたが、その会社とは関係ありません。

「空飛ぶタイヤ」のこの「ホープ自動車」のモデルは、もう何度か名前が出ていますが、三菱自動車工業です。従業員数は3万人以上という規模の、誰もが知る大企業。三菱のグループ内には三菱自動車の他に、三菱UFJ銀行属する三菱UFJフィナンシャル・グループ、三菱重工業、三菱ふそうトラック・バス、そして三菱電機などがあります。日本の国民の生活に深くそのモノやサービスが浸透している巨大企業です。

事故の原因

「空飛ぶタイヤ」のトラック脱輪事故で、脱輪の原因は「ハブの破損」とされました。ハブというのは、車軸と車輪を繋ぐ部品です。ホープ自動車は、「赤松運送が、ハブが摩耗しているにも関わらず交換しなかった、整備不良だ」と、全責任を赤松運送に擦り付けました。もちろん赤松運送は、「担当整備士は厳しい条件を元に整備しており、整備不良じゃない」と真っ向から対立。

ホープ自動車の言い分に全く納得のいかない赤松運送は、自分たちの手でハブを調べなおそうとします。しかしホープ自動車は、そのハブは赤松運送のものであるにも関わらず、勝手にハブを破棄します。「問題がなかった」ことを知られたくないためです。嘘をつき続け、通らない言い分を通そうとし、ホープ自動車はどんどん罪を重ねていきます。もちろんそれには多くの社員も巻き込まれていきます。

横浜母子3人死傷事故のトラックの脱輪原因も、ハブの破損です。実は三菱自動車の車で最初にハブ破損の事故が起こったのは、1992年のことでした。その後1999年にも発生、しかし三菱は何も対策を取りませんでした。そのまま2002年、横浜母子3人死傷事故が発生。起こるべくして起きた事故とも言えます。事故の直接の原因はハブの破損かもしれませんが、その原因は三菱の無対策にありました。

類似した事故

「空飛ぶタイヤ」では、若い母親が亡くなった脱輪事故をきっかけに、ホープ自動車製の同じ「ドリーマー」で他に起きていた事故が次々と明らかになります。そして最初に発覚したのは、まず冒頭の事故の半年前に起こっていた、神奈川高崎市での、同じく脱輪事故。この時もホープ自動車は「運送会社の整備不良」としました。相手の運送会社は釈然としないまま、「でもあのホープ自動車の調査だから」と、泣き寝入りしていました。

他にも宮城や茨城、大阪、広島、京都など、日本全国でハブが原因と思われる事故が起こっていましたが、ホープ自動車はほぼ全て「整備不良」と結論づけ、全ての責任を運送会社に押しつけていました。リコール対応はもちろん、どの会社に対しても一切の責任を取っていません。

実際に三菱自動車も取った対応も同じようなものだったようです。最初に起きたハブ破損の事故は1992年、東京での冷凍車のタイヤ脱輪事故でした。1999年には広島で高速バスのハブが破損し脱輪。翌年2000年には1度リコール隠しが発覚するのですが、2002年1月に横浜で母子死傷事故が発生。

更に事故は続き、2002年の10月、ハブではありませんが横浜でクラッチ部分の破損が原因でトラクターが事故を起こしています。そしてその3日後、山口県でまたクラッチ部分の破損が原因で冷蔵車が高速道路上で暴走し、道路脇の構造物に激突。車は大破し、運転手の男性は死亡しました。事故当時は「原因不明、運転手の男性の安全運転義務違反」と、亡くなった男性が送検されましたが、2年後の2004年に不起訴処分となっています。

リコール隠蔽の現場となる会議

「空飛ぶタイヤ」に出てくるホープ自動車では、品質保証部の部長、課長や製造部、他役員などが集まる秘密の会議を行っていました。これが「T会議」です。「T」とはタイヤのこと。前述の神奈川県高崎市での事故をきっかけに作られた会議でした。2度と同じことが起きないように対策を練るための会議、ではありません。いかに事実を隠蔽し、どう嘘の評価を下して責任から逃れるかを都度律儀に話し合うための会議でした。

三菱自動車でも、横浜母子3人死傷事故を機に、「マルT対策本部会議」でいかに隠蔽するかが話合われたようです。ちなみにこちらの「T」はトラックのことです。この会議では、「摩耗が0.8mm以上になったらハブを交換すれば、タイヤは脱落しない」と、ハブ交換の基準を定めました。しかし、この基準決定は、何の科学的根拠もないままなされたもの。国土交通省にそんな杜撰な報告をしたため、2004年に起訴されています。

リコール隠しの発覚

「空飛ぶタイヤ」のホープ自動車にしても三菱自動車にしても、リコールが必要であるレベルの不具合であるにも関わらず、犠牲者が出てもリコールを発表しませんでした。その隠蔽が発覚したのは、「空飛ぶタイヤ」では「内部告発」でした。ホープ自動車は証拠隠滅を図り重要な書類やデータを処分しますが、決定的な証拠となるT会議の記録を、他ならぬホープ自動車社員が密かに保管していたのです。

三菱自動車のリコール隠しは、2000年6月と2004年3月の2度発覚しています。2000年6月、運輸省自動車交通局のユーザー業務室に、三菱自動車社員からの内部告発がありました。その告発内容は、三菱自動車の不正の詳細だけでなく、どんな資料がどんなところに隠されているかなどまで、事細かに説明されたものでした。

そして2004年のリコール隠しの発覚は、2002年の横浜母子3人死傷事故の捜査の中で起こったことのようです。2000年の時でも、23年以上に渡って10車種以上、約69万台にのぼる大規模なリコール隠しがわかり日本を震撼させましたが、2004年では数が上回りました。その数なんと約74万台。2000年3月から三菱自動車と資本提携していたダイムラー・クライスラーも、2005年1月に資本提携を解消しました。

ちなみに、一連の三菱自動車のリコール隠しを受けて注目を浴びた言葉に、「ヤミ改修」というものがあります。例えば何かしら不具合のある自動車の修理依頼があった時、それがもし「これはリコールされるべき不具合だ」となったらメーカーはリコールを国土交通省に届け出ないといけないわけですが、届け出ずに勝手に直してしまうことです。三菱自動車はこのヤミ改修を30年近く行っていたようです。

事故の遺族

「空飛ぶタイヤ」のトラック脱輪事故によって亡くなった主婦の遺族は、事故当初は赤松運送を許さず、赤松運送に対して訴訟を起こしていました。しかし事故の原因がホープ自動車にあることが内部告発によって証明され、赤松運送に非はなかったことがわかり、赤松運送に対する訴訟は取り下げています。この後ホープ自動車に対しての訴訟は、「事故を引きずりたくない」と、されることはありませんでした。

横浜母子3人死傷事故では、事故を起こした運送会社が、自動車保険を使って遺族に損害賠償と慰謝料として7000万円以上を支払いました。これは後に保険会社が三菱自動車に請求しています。そして遺族は、三菱自動車に対しても2003年に訴訟を起こしています。約1臆6550万円の損害賠償を求めて争いました。

この裁判は2007年9月に最高裁判所で確定判決が下され、その内容は三菱自動車に対し、遺族に550万円を支払いなさい、というものでした。1億円以上の請求に対したったの550万円…という印象があるかもしれませんが、そもそも遺族は元から550万円しか三菱自動車に請求していませんでした。なんでこんなことになったのでしょうか。

どういうことかと言うと、裁判で被害者遺族の弁護をしていた弁護士が、2004年に三菱自動車の2度目のリコール隠しが発覚した後、遺族に相談もなく勝手に三菱自動車への請求値段を約1臆6550万円にしていたのです。しかも第一審の後に控訴、更に上告までこの弁護士が遺族にまた相談なく行い、遺族からの委任状も自分の事務所内で作成していました。

それだけでなく勝手に三菱自動車への請求金額を上げて、それに基づき弁護士費用も自ら「約2110万円」に設定。三菱自動車からは自分の口座に損害賠償550万円などを振り込ませ、遺族には「これで一部相殺する」と通知しました。もちろんこのめちゃくちゃな弁護士の行いに対し、遺族は当時の横浜弁護士会(現神奈川県弁護士会)に弁護士の懲戒請求を申し立て、当の弁護士は6か月の業務停止処分を受けました。

実はこの弁護士、横浜母子3人死傷事故弁護での悪質な行いで業務停止処分を受ける前に、2度懲戒処分されています。1度目は1990年、知り合いの不動産取引の契約に弁護士会の許可なく立ち会い、しかもその収入をほぼ自分のものにして借金返済に使うという行為での懲戒処分でした。そして2回目は、2002年。弁護をしている女性に対するセクハラです。女性をホテルに連れ込もうとしたことによるものでした。

横浜母子3人死傷事故の遺族がなぜこの弁護士に弁護を依頼することになったのかはわかりませんが、あまりに自分勝手で悪質な行為をする弁護士により、遺族までも「金に目がくらんだ」など世間に叩かれ、かなり苦しめられたようです。「空飛ぶタイヤ」での遺族のその後に比べると、現実はあまりにも残酷なものでした。

空飛ぶタイヤの赤松運送のモデルについて

「空飛ぶタイヤ」でホープ自動車という桁違いの大企業相手に戦い抜いた赤松運送。倒産ギリギリの崖っぷちから、最後は見事勝利を勝ち取ることができました。実際にあった横浜母子3人死傷事故でも、やはり運送会社は非常に辛い立場に立たされました。しかし小説とは違い、その会社はかなり悲惨な最後を遂げています。

現在は廃業

既に簡単にご紹介いたしましたが、「空飛ぶタイヤ」で、巨大企業ホープ自動車と崖っぷちで戦う赤松運送には、モデルとなった会社がありました。しかし現在はなくなっています。かつては神奈川県綾瀬市にありました。情報は非公開とされたため、会社名も、会社規模もわかりません。

しかし、その運送会社の社長も、三菱自動車から「整備不良だ」と全責任を押し付けられ、その上かなり卑劣ないやがらせを世間から受けたようでした。その社長の家に、「人殺し」など書かれた悪質な張り紙が貼られたり、無言電話がかかってきたりしていたようです。事故発生の2002年から三菱が責任を認める2004年までの2年間、家族を含めこうした嫌がらせが続いたようでした。

責任のない人が2年にもわたり嫌がらせを受けるだけでも非情なことですが、更に悪いことに、その運送会社は廃業に追い込まれてしまいました。いくら三菱側が非を認めたにしても、三菱が逃げ続けた2年間で、もう立て直せないほどの状況に追い詰められたようです。

空飛ぶタイヤは実話だった!三菱自動車関連についてまとめ

「空飛ぶタイヤ」のストーリーの元となった、横浜母子3人死傷事故と三菱リコール隠し事件。「空飛ぶタイヤ」では最後、赤松運送は自分たちと比較できないほど大きなホープ自動車相手に勝利することができましたが、そのモデルとなった運送会社は廃業してしまいました。一方三菱自動車では2000年、2004年と2度に渡ってリコール隠し、2016年に軽自動車の燃費データ改ざんが発覚。体質を変えることはできませんでした。

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