甘い生活の映画あらすじを解説!結末・ラストシーンもネタバレ紹介

1959年のイタリア映画『甘い生活』。20世紀を代表するイタリア映画界の巨匠フェデリコ・フェリーニ監督と同じく20世紀を代表するイタリア人俳優マルチェロ・マストロヤンニがタッグを組み、'50年代後半のローマの退廃的な上流階級の実態を生々しく描き出します。60年近く経った今もなお物議をかもす『甘い生活』、あらすじの解説から謎めいたラストシーンの分析までこの不朽の名作の神髄に迫っていきます。

甘い生活の映画あらすじを解説!結末・ラストシーンもネタバレ紹介のイメージ

目次

  1. 甘い生活は名作イタリア映画!あらすじやラストシーンを解説
  2. 映画甘い生活とは?
  3. 甘い生活はどんな映画?あらすじを紹介
  4. 甘い生活は深い映画!ラストシーンを解説
  5. 甘い生活の映画キャストを紹介!
  6. 甘い生活の映画情報まとめ

甘い生活は名作イタリア映画!あらすじやラストシーンを解説

『甘い生活』は、イタリア映画界の巨匠フェデリコ・フェリーニ監督の代表作との誉れ高い映画史上に残る不朽の名作です。映画公開から半世紀以上が経った今もなお論争の絶えない奥深さを持つ、いささか難解な映画でもあります。そうした映画『甘い生活』のあらすじからラストシーンまでを解説していきます。

また、あらすじだけでなく、当時のローマ社交界の退廃的な風潮やラストシーンの映像に現れる象徴の意味ついても掘り下げ解説していきます。ぜひあらすじ解説からラストシーン分析までご覧ください。

映画甘い生活とは?

『甘い生活』は、1959年制作のイタリア映画。20世紀のイタリア映画界を代表する巨匠、フェデリコ・フェリーニ監督がメガホンを取り、こちらも20世紀を代表するイタリア人俳優マルチェロ・マストロヤンニが主役を務めています。

甘い生活は映画の常識を覆すアヴァンギャルドな作品として知られ、ストーリー展開には筋書きらしい筋書きが存在しません。したがって漫然と見ていると、クライマックスの盛り上がりすら感じないまま映画は幕を閉じてしまいます。演者だけではなく見る側の感性や知性も問うような作品に仕上がっています。

元来作家志望で今はもっぱらゴシップ記事執筆に甘んじているジャーナリスト・マルチェロを主人公に、第三者的な冷徹ともいえる冷めた目でみた、当時のローマ上流階級の退廃ぶりが描かれていきます。甘い生活に劇的なドラマ性を求めると裏切られる結果となりますが、社会の内側を鋭い視点で描写することにより獲得された異様なリアルさと、ニヒリズムなどの問題提起を見出すことができるラストシーンなど奥深い作品となっています。

甘い生活はどんな映画?あらすじを紹介

『甘い生活』とはどのような映画なのでしょうか?早速あらすじの解説に移っていくことにしましょう。

舞台は1950年代のローマ

『甘い生活』では1950年代後半のローマが舞台になっています。作家志望だった主人公マルチェロは、今ではゴシップ記事執筆で生計を立てる、しがないフリージャーナリストになっていました。今宵もある公爵の浮気現場のスクープを狙って、上流階級の集う高級クラブに潜入します。

そこに偶然居合わせた富豪の令嬢マッダレーナは、マルチェロを見つけると2人で店を出ます。マッダレーナは社交界の華で、常に追っかけ(パパラッチ、この言葉は映画『甘い生活』に由来します)の標的となっていました。マッダレーナは金銭的には誰よりも恵まれていましたが、自堕落な遊蕩(ゆうとう)だけでは物足りない何かを感じ、これまでの生活に満たされない心の虚しさを覚えていました。

富豪の令嬢とのアバンチュール

マッダレーナは、街角に立って客を待ち受けていた娼婦を車に乗せると、彼女を家まで送っていきます。彼女の自宅は薄汚れたアパートで、家に着くと水道管が破裂したのか床は水浸しの状態でした。マッダレーナはこの娼婦の寝室を借りると、マルチェロとアバンチュールな一夜を過ごすのでした。

恋人が自殺未遂

翌朝帰宅したマルチェロは、恋人エンマが服毒自殺をはかり横たわっている場面に遭遇します。すぐさま病院へ担ぎ込んだので命に別状はありませんでしたが、マルチェロは警察で事情聴取を受けることになります。エンマは、マルチェロが自分から離れて行ってしまうことに嫉妬と恐れを感じ、最近ではひどいノイローゼになっていたのです。

ある日マルチェロは、撮影でローマに来たアメリカ人女優・シルヴィアの取材に出かけます。マスコミに囲まれて質問攻めにあいながらも、シルヴィアは常にビジネススマイルを浮かべて対応しています。一方マルチェロは、恋人エンマの病的なまでの嫉妬に手を焼いていました。

マルチェロは、シルヴィアへの密着取材の契約に漕ぎつけます。取材のあいだ中シルヴィアの愛くるしく明るいしぐさに魅了されたマルチェロは、ある夜のパーティーで彼女を甘い言葉で口説きます。シルヴィアは最初こそ楽しそうにしていましたが、やがて恋人ロビーの一言に怒ってパーティ会場から出て行ってしまいます。マルチェロは彼女の後を追い、自分の車に乗せ走り去ります。

ハリウッド女優との逢瀬

マルチェロは、シルヴィアと落ち着いて話ができるところを探します。なかなかいいところが見つからず困っていたとき、シルヴィアは小さな子猫を見つけます。シルヴィアは、マルチェロに子猫に与える牛乳を買ってきてと頼みます。マルチェロはこんな夜中にやっている牛乳屋などあるはずない、と思いつつも彼女のために探しに出かけます。

シルヴィアは子猫を抱いてあやすように歩き回ったあげく、トレヴィの泉の前に来ます。マルチェロはやっとのことで頼まれた牛乳を手に入れ戻りますが、シルヴィアはどこにもいません。探しに出かけたマルチェロは、服を着たまま泉で水浴びするシルヴィアを見つけます。シルヴィアは彼に気づくと「こちらに来て」と誘います。マルチェロはシルヴィアのもとに歩みを進めると、しばし夢見ごこちの時間を過ごすのでした。

上の写真は「トレビの泉」です。トレビの泉は現在ではローマの観光名所として有名ですが、人気スポットとなったのはこの映画甘い生活の影響が大きいと言われています。

朝帰りをしたシルヴィアは、宿泊していたホテル前で多くのゴシップ記者たちが見ているなか、恋人ロビーに殴られるという醜態を晒します。同行していたマルチェロもロビーに殴られ、記者たちの格好の餌食となり写真に撮られてしまいます。

気のおけない友人

ある日マルチェロは、街の教会の入り口で友人スタイナーを見つけると、彼の後を追って教会に入っていきます。スタイナーはマルチェロに対し「君には文才がある。作家志望なら小説を書くべきだ」と助言します。マルチェロは、気の置けない友人スタイナーの家に近々遊びに行く約束をして別れます。

奇跡の木

あらすじ解説、続いては「奇跡」の件(くだり)です。ある日幼い兄妹が木の下で聖母を見たという奇跡の話で町中持ちきりになっていました。マルチェロはエンマを連れて、この奇跡の取材へ出かけます。殺風景な荒れ地に生えている奇跡の木の周りは、すでに大勢の見物人やマスコミ関係者、病気の回復祈願に訪れた人々で溢れていました。兄妹は、ローマ教会の指示で家に軟禁されていました。

夜になり、やっとローマ教会より軟禁解除の許可が下り、兄妹が人々の前に姿を見せます。周辺は騒然となり人々が注目するなか、妹の方が「あそこに聖母マリア様が見える」と言って突然走り出します。その後を追うように周辺にいた人々がついていきます。しかし、誰の目にも聖母マリアの姿は映りません。

そんな中、いつしか人々の間で奇跡の木の奪い合いが始まり、やがて大騒動の中、奇跡の木は倒れてしまいます。マルチェロの恋人エンマも枝をもぎ取ると、けなげにもマルチェロと結婚できるよう祈りを捧げていました。

マルチェロは、近々また会おうと約束していた友人スタイナーからパーティーに招待され、恋人エンマとともに彼の自宅へ向かいます。自宅と言っても、そこはとても華やかでさながらサロンのような雰囲気を持っていました。

スタイナーには、愛する妻と目に入れても痛くない2人の子供がいました。マルチェロの羨望の眼差しをよそに、スタイナーは「夜になると今のこの生活が恐ろしくなることがある、地獄が見えるような気がする」と意外なことをつぶやきます。スタイナーには何事もおこらない今の平和すぎる生活がかえって不気味で、そこに判然としない不安を感じていたのです。

恋人エンマの異常なまでの嫉妬深さと口うるささに辟易していたマルチェロは、一時自宅を離れ海辺にあるレストランで本の執筆に取りかかります。そこで偶然ある少女に出会うのですが、彼女は楚々として清純な美しさをたたえていました。マルチェロは彼女の美しさに癒され平穏を取り戻すと、再びエンマのもとへと戻ります。

さて『甘い生活』あらすじ解説も中盤です。マルチェロがローマへ帰ると、期せずして自宅には彼の父親が来ていました。田舎から久しぶりに羽を伸ばしに出て来た父親は、ローマの夜のにぎわいを満喫します。マルチェロは、この父親が無断で何週間も家を空けそのたびに母親が泣いていた、彼の幼少のころに思いを馳せていました。いまだにマルチェロにとって父親は、どこか謎めいた異人のような存在でした。

翌朝、マルチェロの制止を振り切り、父親は朝一番の汽車に飛び乗ると故郷の村へ帰っていきます。昨夜はローマの雰囲気にのまれて羽目を外してしまった父親は、正気に戻ると住み慣れた村に一種の郷愁を感じていたのでした。

夜ごと繰り返される遊蕩

マルチェロは、モデルのニコと街で出会うと彼女の恋人、公爵が住む城へ一緒に出掛けます。そこで開かれる恒例のパーティーはローマでも有名で、侯爵の瀟洒な住まいはすでに社交界の名士たちで賑わっていました。

そこで偶然マッダレーナと会ったマルチェロは、彼女に誘われるまま奥の部屋へ入っていきました。マッダレーナはマルチェロから見えないところに隠れ、「あなたの妻になりたい」と突然訴えるように言葉を発します。ところが、男心を惑わすそんな甘い言葉を投げかけながらも、マッダレーナはあろうことか、別の男と抱擁を交わしている最中だったのです。

結局マッダレーナを見つけることができなかったマルチェロは、皆と一緒に庭にある屋敷に入っていきます。その屋敷は、築500年という城の中でも古い建物で、手入れも行き届かず荒れ放題となっていました。マルチェロはしばらくの間、公爵と女のやり取りを遠くから見ていましたが、そのときある貴婦人が彼の手を取り引き寄せるのに気づきます。2人は手を携えて奥の部屋へ入ると、互いを求め合い刹那の情事にふけるのでした。

マルチェロは恋人エンマと別れ話を切り出します。エンマは「絶対に別れない」の一点張りでしたが、業を煮やしたマルチェロは、彼女を強引に車から降ろすとすぐに車を走らせてしまいます。ところが、朝になって後ろめたい気持ちになったマルチェロが折れる形で彼女を迎えに行き、2人は仲直りします。

友人の衝撃事件

『甘い生活』あらすじ解説も終盤にさしかかりました。マルチェロが恋人エンマと束の間のひと時を過ごしていると、静寂を破り電話が鳴り響きます。それは恐ろしい事件を知らせる電話でした。友人スタイナーが、愛する2人の子供を殺して自殺をはかったということでした。信じられない!という思いで、マルチェロは着替えもそこそこにスタイナー家へと急行します。

マルチェロが確認したところでは、スタイナーは妻を友人宅に遠ざけてから子供を射殺し自分の頭を撃ち抜いて自殺したのでした。マルチェロは後ろ髪引かれる思いで現場を後にして、刑事とともにスタイナー夫人を迎えに行きます。

スタイナー夫人は夫の事件をまだ知らなかったので、大勢のゴシップ記者(パパラッチ)が押しかけるのを怪訝そうに見るしかありませんでした。刑事は「少しはわきまえろ」と記者たちを追い払います。マルチェロは、異様な雰囲気と喧噪に混乱し、パニックを起こした夫人をいたわるように車に乗せます。

時は過ぎ、フリージャーナリストを廃業したマルチェロは、何とか食つないで生きながらえるだけの退廃的で無気力な生活を送っていました。酒に酔ってはどんちゃん騒ぎを繰り返し、寝ても疲れが取れず目が覚めると頭の中は靄がかかったよう、倦怠感が残ったまま陰鬱な朝が始まる、そんな日々の繰り返しでした。マルチェロは、常にやり場のない憤りを感じやけになっていました。

海辺のラストシーン

『甘い生活』あらすじ解説ラストシーンです。いつものように朝まで騒いでいたマルチェロは、砂浜で大きなマンタの死骸を見つけます。腐敗臭を放つマンタは、まるで腐りきった人生を送るマルチェロ自身を象徴しているようでした。

マルチェロは、突然海辺のレストランで見かけた美しい少女に声をかけられます。しかし、波の音が大きくて彼女の声を聞き取ることができません。結局マルチェロは、一言も声を掛けることができず寂しげな表情で仲間のもとへ去っていきます。汚れたマルチェロとは対照的に、少女の姿はいっそう美しくまるで後光がさしているように映りました。

甘い生活は深い映画!ラストシーンを解説

巨匠フェデリコ・フェリーニ監督の代表作『甘い生活』は、単なる男女の愛憎劇にとどまらず、’50年代ローマの社会風潮を色濃くたたえた作品です。当時の精神世界を支配ていた実存主義やニヒリズム、さらには神の問題など宗教にいたるまで、60年近くたった今もなお議論を巻き起こす深い内容を持った映画です。とりわけ意味深いラストシーンに描かれた監督の思いとは何だったのか、解説してまいります。

当時のローマは実際にモラルがない時代だった

『甘い生活』では、'50年代高度成長期を迎えたローマの社会の実態、物があふれ豊かさを手に入れた一方で、物質的豊かさでは埋めることのできない心の虚しさを抱えた上流階級の人々の、享楽的で退廃的な生活がリアルに描かれています。映画公開当時、保守層からはローマの印象を悪くするとして批判を受けたようですが、時代の趨勢を新鮮な感覚で描く作風は世界的な支持を得ました。

マンタの死骸を自分と重ねるマルチェロ

ここから、いよいよ注目のラストシーンのあらすじ解説です。朝まで酒宴を繰り広げていたマルチェロは、みんなの後をついて浜辺へ行きます。そして漁師が引き上げた巨大なマンタの死骸を見つけます。みんなは「怪物よ」「なんて気持ち悪い」と口をそろえて気味悪がりますが、腐敗臭を放つマンタはまるで腐りきった人生を送る自分たちのようだと気づくことはありません。マルチェロだけが心の中で虚しさに浸っているようでした。

少女は無垢の象徴

あらすじ解説ラストシーンの続きです。マルチェロに声をかけた少女は、偶然にも以前海辺のレストランにいた天使のような美少女でした。少女は彼に何かを伝えようとしていましたが、波の音が彼女の声を打ち消してしまいます。結局マルチェロは少女の声を聞くことを諦め、友人たちとともに再び退廃の世界へと戻っていくのでした。ラストシーンでは、汚れたマルチェロと対照的に少女の美しさはまるで後光がさしているようでした。

3時間近い大作は、こうして幕を閉じるのです。何ともあっけない、しかし美しいラストシーンでしょう。現代社会のうわべだけ華やかで、そのじつ空虚な精神世界を辛辣に批判するフェリーニ監督ですが、同時に壮麗でポエティックな映像美を生み出しているところが、時代を経ても変わらず高い評価が与えられ続けている理由のひとつでしょう。

甘い生活の映画キャストを紹介!

ここまで映画のあらすじ解説を中心に紹介してきました。最後に『甘い生活』の豪華キャストについてもご紹介しておきます。古くからの映画ファンには、懐かしい名前がならんでいるのではないでしょうか。

主人公マルチェロ役はマルチェロ・マストロヤンニ

映画『甘い生活』の主役を務めるのは、言わずと知れた20世紀イタリアを代表する映画俳優、マルチェロ・マストロヤンニです。1924年9月28日にイタリア中部の町、フォンターナ・リーリに家具職人の息子として生を受け、1996年12月19日フランスはパリの自宅ですい臓ガンのため亡くなりました。享年72歳でした。葬儀はローマの教会で国葬級で取り行われたといいます。

この『甘い生活』のジャーナリスト役のようにプレイボーイを演じさせたら右に出るものはいないと言われていました。一方では、人間味あふれる3枚目的な演技にも定評があり、'61年の『イタリア式離婚狂想曲』での貴族フェルディナンド役や'78年の『特別な一日』でアカデミー主演男優賞にノミネートされるほどでした。その演技の幅の広さが、亡くなるまで終生第一線で活躍することに大きく寄与しました。

社交界のスター、マッダレーナにはアヌーク・エーメ

アヌーク・エーメは、フランスの女優です。彼女は、フランスにとどまらずヨーロッパを代表する女優の一人とされています。著名な映画賞を受賞するなど国際的にも高く評価されていて、かつては「映画史上最もセクシーな女優の一人」と評されたこともあります。

アヌークは、1932年4月27日パリに生まれました。両親はともにユダヤ系の舞台俳優だったため、幼いころはナチスによるユダヤ人迫害により大変な苦労を経験しました。大戦後の1947年、14歳でアンリ・カレフ監督の『密会 』で映画デビューをはたします。その後、'58年『モンパルナスの灯』、’59年この映画『甘い生活』、’63年『8 1/2』などに出演し、その名声は世界的なものとなりました。

ハリウッド女優シルヴィア役はアニタ・エクバーク

アニタ・エクバーグは、スウェーデン出身、アメリカで活躍した女優です。(1931年9月29日生、2015年1月11日没)。アメリカへ渡り女優としてデビューします。当初はB級映画への出演が中心でしたが、フェリーニ監督に見いだされ、この映画『甘い生活』でそのグラマラスな美しさが世の男性をとりこにし、一躍スターダムに上りつめます。その後もフェリーニ監督の作品を中心に女優としてのキャリアを積んでいきました。

マルチェロの恋人エンマにはイヴォンヌ・フルノー

イヴォンヌ・フルノーは、フランスの女優です。フルノーは、フランス人の母親とイギリス人の父親の間に1928年5月11日に生まれました。'46年にイギリスに渡りオックスフォード大セント・ヒルダズ・カレッジで学びます。'52年俳優としてのキャリアをスタートさせます。その後、本作『甘い生活』をはじめとして数々の国際的映画に出演、特にカトリーヌ・ドヌーヴと共演した'65年の映画『反撥』が有名です。

マルチェロの友人スタイナー役はアラン・キュニー

アラン・キュニー(1913年7月12日生 - 1994年5月17日没 )はフランスのサン・マロ生まれの俳優。パリの美術学校エコール・ド・ボー・アルトで学びました。TNP(国立民衆劇場)、ルノー・バロー劇団に所属し、'39年「Remorques」で俳優としてデビューします。存在感のある個性的な演技と容姿で名バイプレイヤーとして活躍しました。なお、’69年 石原裕次郎主演映画『栄光への5000キロ』出演のため来日しています。

甘い生活の映画情報まとめ

ここまで名画『甘い生活』のあらすじから印象的なラストシーンまで解説してきました。さらには、この映画が1950年代のイタリアの首都ローマの世相を色濃く表した映画であること、マンタの死骸や美しい少女が意味することなど、ともすると見過ごしてしまったり難しいからと蓋をしてしまった疑問にも答えるべく、その意味を掘り下げてみました。

見るたびに新たな発見とその解釈を提供してくれるのが、名作の名作たる所以(ゆえん)でもあります。みなさんもこの『甘い生活』の紹介記事を1つの出発点にして、名作探訪の旅に出かけてはいかがでしょうか。きっとあなたの映画ファンとしてのキャリアや人生の1ページに、ささやかではあっても価値ある一石を投じてくれることでしょう。

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