2018年09月25日公開
2018年09月25日更新
太陽の帝国(スピルバーグ監督映画)のあらすじは?クリスチャン・ベール出演
「太陽の帝国」とは巨匠スティーブン・スピルバーグが描いた第二次世界大戦ものの傑作。上海の租界で何不自由なく暮らしていた白人の少年ジェイミー(クリスチャン・ベール)は親とはぐれ、やがて日本軍の捕虜収容所へと送られます。そこでの生活は苛酷そのものでしたがジェイミーにとって日本軍の勇敢なパイロットたちは正に英雄でした。クリスチャン・ベールの初主演作となった「太陽の帝国」は少年の眼に映った日中戦争(第二次世界大戦)の実像をありのままに描いた戦争映画の傑作です。
目次
太陽の帝国はスピルバーグ映画!あらすじやキャストを紹介
今回はあのクリスチャン・ベールが子役の主人公を演じた「太陽の帝国」のご紹介です。巨匠スピルバーグが手がけた戦争映画の第2作(一作目が1979年の「1941」)。日本人なら馴染みのある伊武雅刀、ガッツ石松、山田隆夫といった人物も「太陽の帝国」にキャストされています。
まずは「太陽の帝国」の概要を解説し、「太陽の帝国」のあらすじのご紹介。「太陽の帝国」各キャストとその後の活躍。主人公のジェイミー役に抜擢キャストされたクリスチャン・ベールのキャリアをご紹介し、最後に「太陽の帝国」のまとめを解説します。
太陽の帝国とは?
イギリスの小説家J・G・バラードが自身の戦争体験を綴った半自伝小説が「太陽の帝国」(英題: Empire of the Sun)です。この原作を元にしてスティーブン・スピルバーグがメガホンをとり、当時の上海や蘇州を見事に再現。兵器についても日本軍、連合軍ともに忠実に再現されています。
また子役としてまだほんの売り出し中だったクリスチャン・ベールを4000人のオーディションから大抜擢して主人公のジェイミー役にキャストしました。アメリカでの劇場公開は1987年12月11日。日本での公開は1988年4月29日。制作費3800万ドル、興行収入は2200万ドル。
スピルバーグの反戦思想
「太陽の帝国」の米国での興行成績は「日本軍や神風特攻隊を賛美している」という理由からふるいませんでした。しかし、第二次世界大戦を多角的に描くという点では評価され、大衆向けの映画監督として興行成績は良くてもアカデミー賞とは無縁だったスピルバーグが1993年公開の「シンドラーのリスト」でアカデミー賞監督賞・作品賞ほか各賞を受賞。上はその一場面でわざとモノクロームにして時代感を演出しています。
トム・ハンクス主演の「プライベート・ライアン」でアカデミー賞監督賞を受賞する足がかりとなりました。一貫して見られる監督の主義主張とは「戦争に正義はない」「人道に人種や国家は関係ない」「足し算や引き算で戦争を語るのは間違い」という強いメッセージです。戦争映画で反戦を訴えるという姿勢は監督をC・イーストウッドに譲った。「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」でも明白です。
太陽の帝国はどんな映画?あらすじを紹介
それではここから「太陽の帝国」のあらすじを解説いたします。物語の舞台は日中戦争が盧溝橋事件によって勃発して4年。日本軍が破竹の快進撃で中国大陸の大都市を次々に占領下に置き、巨大な大陸を呑み込もうとしていた時期です。マレー半島やインドシナでも日本軍の攻勢は続いていました。
空を夢見る少年
クリスチャン・ベール演じるジェイミーは上海の租界に暮らす少年。金持ちの子息しか入れない学校に通い、家はとても裕福で家族の倍はいる中国人の使用人に囲まれていました。大空に憧れるジェイミーは将来はパイロットを夢見ていました。彼にとって憧れの飛行機こそ日本軍の零戦でした。
上海の実情
上海には日本陸軍が迫りつつありました。租界を一歩出れば物乞いや孤児、露天商など雑多で無秩序な世界が広がっていました。上海に逃げ込もうという中国人は溢れかえり、警官達は動物のように中国人を棒で追い払います。そんな中、パーティに向かう高級車の車列には仮装した白人達が大勢乗り込んでいます。貧富の差、人種の差、正に格差社会と租借地に詰まった矛盾がこのシーンで語られます。
零戦と日本軍
パーティの席上では先の見通しが語られていました。中国人の名士は根拠のない楽観論を吹聴します。退屈なパーティを抜け出したジェイミーは擱座した本物の零戦に触れます。夢見心地で丘を越えると日本軍が野営していました。しかし、仮装したおかしな格好のジェイミーを笑うだけ。ジェイミーは父達に促されて其処を離れるのでした。
迫り来る危機
いよいよ日本軍の上海制圧が迫っていると感じたジェイミーの父は自宅よりもホテルで様子見することにしますが、夜中にジェイミーは日本の艦戦が入港していることに気づいて悪戯心から懐中電灯でモールス信号を返信。すると砲撃が始まります。日本軍は上海を海と陸から同時に攻める作戦だったのです。規則正しく隊列を組む日本軍は瞬く間に上海を制圧下に置きます。
大混乱の中で
港から船で逃げようという人々の混雑の中で一家は車を発見しますが渋滞で進まず、車を捨てて歩くうちにジェイミーは両親とはぐれてしまいます。「家に帰るのよ」という母親の声に従いジェイミーは租界の我が家を目指します。
無人の我が家
言われた通りにしたものの租界はもぬけの殻。日本軍に接収された我が家に忍び込んだジェイミーは惨状を目の当たりにします。台所は食べ物が散乱して腐敗。ありとあらゆるものが荒らされている。ようやく中国人の使用人を見つけますがジェイミーを見るなり引っぱたきます。金目になりそうなものを中国人の使用人たちが手当たり次第に持ち去ったのでした。
ジェイミーは租界に放置された屋敷に忍び込んでは中で食糧を漁ってどうにか食い繋いで生きながらえます。
ベイシーとの出会い
しばらく租界に止まっていたジェイミーでしたが食べ物も尽きて困り果てたところ収容所に移送される人々と遭遇します。しかし追いつけず、街に出て日本軍に降伏しようとしても笑われるばかりで相手にされません。中国人少年に眼を付けられて身ぐるみを剥がされそうになり、逃げ回っていたとき胡散臭いダンティと出会います。
ダンティに連れて行かれたバラック船のなかにボスのベイシーがいました。ベイシーはジェイミーのポケットを漁って金になりそうな物を取り上げます。
捕虜収容所へ
ジェイミーはベイシーに人身売買で売られそうになり、租界で酒や金目のもののある家を教えると案内しますがジェイミーの自宅を占拠していた日本兵に捕まってしまいます。熱にうなされていたジェイミーが眼を醒ますと日本軍の捕虜収容所でした。
蘇州へそして憧れの零戦
上海の捕虜収容所は定員超過で衛生環境は劣悪でした。毎日、栄養失調や赤痢で人が死にます。
ベイシーから生きるコツを学んだジェイミーは早く移動しないと死ぬと感じ、道案内役を買って出て移送用トラックに乗り込みます。蘇州についた大人たちは滑走路設営のために石運びなどの重労働に従事させられます。
ジェイミーはそこで初めて飛ぶことの出来る零戦を見るのです。魅せられたように零戦に見入るジェイミーは兵士に見咎められますが、日本軍のパイロットたちに敬礼すると敬礼を返されます。
1945年
ジムことジェイミーは蘇州の捕虜収容所で逞しく成長していました。物々交換で人々の間を駆け回り必要な人に物を届けたり、日本兵の目を盗んでくすねたりするのが彼の仕事です。蘇州の捕虜収容所は開放的で最初は怯えていた人たちも娯楽や噂話、洗濯や農作業をするだけの余裕を取り戻していました。
ローリング医師に勉強を教わり、アメリカ人捕虜グループの親分に収まったベイシーとも仲良くしつつ、生き残るためにゾウ虫の入った茹でイモを食べます。
爆撃
連合軍の爆撃が続くようになり日本兵たちは苛立ち紛れに捕虜収容施設の窓ガラスを破壊します。ナガタ軍曹も病院のガラスを破壊しようとしますがローリング医師は身を以て防ぎ、かわりに殴る蹴るの暴行を受けます。すると咄嗟にジムは椅子で窓を割りカタコトの日本語で土下座して謝罪します。ジムの姿にナガタ軍曹も振り上げた拳を収めます。
鉄条網
ベイシーから度胸試しをさせられることになったジムは鉄条網をくぐり抜けて駐屯地に侵入します。途中でナガタ軍曹に発見されそうになりますが、旧知の日本人少年兵が気を利かせて助けてくれます。こうしてジムは念願のアメリカ人棟に移ります。
特攻隊とP-51
ジムは夕方の飛行場で水盃を交わし、「海ゆかば」を歌うパイロットたちを目撃します。所謂、「神風特攻隊」です。思わず敬礼をするジムの口から流れ出たのは教会で教わった賛美歌でした。しかし、零戦は飛び立つところをP-51に撃墜されます。酷い爆撃が基地のなにもかもを破壊してしまいました。
P-51の攻撃にボクらの滑走路が壊されたとジムは大はしゃぎします。ジムの心もすっかり壊れてしまったかのようです。ローリング医師はジムを心配して駆けつけますが、ジムはもう両親の顔も思い出すことが出来なくなっていました。
死の行軍
連合軍の爆撃は日本軍の基地施設のみならず、捕虜達の生活に必要な施設も根こそぎ破壊しました。食糧事情が急激に悪くなった蘇州を放棄し、南への進路をとることになった捕虜たちは正に死の行軍となります。出発の前にナガタ軍曹はジムを名指しして「お前はとても扱いづらい子供だった」とカタコトの英語で言います。彼なりの別れの挨拶でした。灼熱の大地を延々と歩くことで次々と脱落者が。ジムもカバンを捨てます。
天を焦がす光
ようやく当初の目的地だったスタジアムへと辿り着いたジムたちでしたが皆ボロボロの状態です。高級車やピアノといった高価な品々は置かれているのに水も食糧もない。そして収容所で親代わりだったヴィクター夫人にも迎えの時が近付いていました。ヴィクター夫人に死んだふりをするように言い、ジムも死んだふりをして行軍から外れます。
翌朝、ヴィクター夫人は冷たくなっていました。すると強烈な閃光が遙か彼方から見えました。ヴィクター夫人の魂が飛んでいったとジムは思いましたが、長崎への原爆投下の閃光だったのです。
トモダチの死
ラジオは日本の敗戦を伝えていました。二つの原爆が落とされたことが敗戦の決定打となったのです。ジムは自分が目にした物が正にそれだったと「原子爆弾」という単語を胸に刻みつけます。連合軍から物資が投下され、貪るように食べたジムは蘇州基地を目指します。
そこには使い物にならなくなった零戦に当たり散らす特攻兵の少年が、旧知のジムとの再会に我を取り戻します。彼はジムにマンゴーをくれました。しかし固い皮が剥けずジムが困っていたところ「日本刀なら簡単だよ」と少年兵が振り上げた刹那、ベイシーたちの夜盗団に撃たれます。ジムは怒り狂いなんとか助けようと蘇生術を試みますが即死でした。少年兵に自分自身を重ねるジム。ベイシーの誘いを断ってジムは基地に残ります。
両親との再会
基地に残っていたジムは到着した連合軍を前にして「降伏」します。ジムは連合軍の孤児施設へと送られ、そこで両親との再会を果たすのですが、顔もよく覚えていない母親に名前を呼ばれても反応出来ず、香りを嗅いでやっと両親だと確認するのでした。こうして物語は終わります。
太陽の帝国の映画キャストを紹介!
あらすじは如何だったでしょうか?クリスチャン・ベール演じるジェイミーまたはジムの辿った苛酷な運命。その中で彼には敵だとか味方だとかいう概念はありません。戦争の詳細も知りません。ただそれぞれの立場で共に懸命に精一杯に生きるということだけでした。多くの人たちの死を目の当たりにした彼にとって生き残ること以上の正義などありません。死ねば身ぐるみを剥がされるだけです。
「太陽の帝国」でのキャリアでのし上がったキャストたち
ジェイミー役のキャストはクリスチャン・ベールです。賢く生意気な少年から、逞しくて食えないヤツに成長していきます。ジェイミーの信念は人々を繋ぐことで、時には諍いを収めるために進んで身を投げ出します。ベイシーのような小悪党からも、ローリング医師のような正義感溢れる人物からも、果てはナガタ軍曹からも一目置かれます。
ジョン・マルコヴィッチがキャストのベイシーは正に小悪党。物、情報、頭脳で親分に収まります。それで痛い目に遭うこともありますが、逞しく生きるコツをジムに教えた反面教師的な存在です。ジムを見込んで頼りにします。ジョン・マルコヴィッチと言えば「マルコヴィッチの穴」(1999年)など個性派俳優としてハリウッドを彩る存在。「ジキル&ハイド」(1996年)では主演し二重人格の博士役を熱演。印象的な脇役です。
ベン・スティラーがキャストのダンティはベイシーの子分です。収容所に入ってからはベイシーの取り巻きとなります。ベン・スティラーも「太陽の帝国」が出演2作目です。その後は「ケーブルガイ」(1996年)での猟奇的怪人や、「メリーに首ったけ」(1998年)でメリーに恋する青年役などキャリアを重ねます。「ナイト・ミュージアム」シリーズでは主演し当たり役になり日本でもお馴染みの俳優さんです。
ジョー・パントリアーノがキャストのフランクもベイシーの取り巻きの一人です。ジョー・パントリアーノはハリウッド映画の名脇役として欠かせない存在。スピルバーグ監督とは「グーニーズ」(1985年)で悪役フラッテリー一家の一員として出演。その後は「メメント」や「マトリックス」のサイファー役(仲間を裏切りネブカドネザル号に甚大な被害を出す悪役)などキャリアを重ねています。
ミランダ・リチャードソン演じるビクター夫人はイギリス人棟でジムの隣に夫婦で暮らしていた夫人。色気づき始めたジムの性的好奇心の対象でしたが、「死の行軍」で夫とはぐれてしまい、スタジアムで力尽きます。ミランダ・リチャードソンはイギリス人女優ですがその後もキャリアを重ね、「ハリー・ポッター」シリーズの記者リータ・スキーター役や「マレフィセント」(2013年)といった話題作の脇役を演じます。
ナイジェル・ヘイヴァースキャストのローリング医師は蘇州捕虜収容所の医師です。限られた物資と良好ではない衛生栄養状態の中で一人でも多くの命を助けようと奮闘しています。ジムにとっては教師役でもあり、彼に語学を教えています。ナイジェル・ヘイヴァースはイギリス人俳優。「炎のランナー」(1981年)で注目され抜擢されました。以後はテレビドラマを中心に活動しています。
伊武雅刀がキャストされたナガタ軍曹は捕虜収容所の監督責任者です。当然、捕虜たちからは恨みを買っていますが任務に忠実な日本軍人の代表といった印象の人物です。ジムの行動に振り回されることも多いですが、「ただ者ではない」と見込んでいる一面もあります。伊武雅刀といえば印象的な悪役など日本のドラマ・映画に欠かせない名優です。
片岡孝太郎演じる特攻隊の少年兵は言葉は通じなくともジムと心の交流のある大切なトモダチです。手作りのグライダーで遊んでいてジェイミーが投げ返したことで交流が始まり、ジムが鉄条網を潜って駐屯地に侵入した際にはナガタ軍曹の注意を引いて助けてくれます。片岡孝太郎は歌舞伎役者。テレビドラマや映画への出演は比較的少ない方ですが、2013年公開の「終戦のエンペラー」では昭和天皇役を演じています。
出典: https://pixls.jp
ガッツ石松がキャストされたのは上海捕虜収容所の責任者です。名前はありません。健康そうな捕虜を選抜して蘇州飛行場建設作業に従事させるという任務を帯びています。ほんの数シーンしか登場しませんが印象的です。ボクシングの元世界チャンピオンというだけあって精悍です。ご存じの通り「北の国から」などドラマや映画で俳優として活躍します。
山田隆夫演じる下級兵士は少し頼りない印象。ジェイミーから道案内されて捕虜たちを蘇州に移送するトラックの運転手です。山田隆夫って誰?という方は日曜日の5時半に日本テレビ系列を見れば納得。つまり「笑点」の座布団運びをしている彼のことです。「ずうとるび」というアイドルグループの元メンバーです。
このように「太陽の帝国」は主人公役にキャストされたクリスチャン・ベールに限らず、当時は無名だったりキャリアが浅い役者たちをスピルバーグが抜擢しました。その後の活躍はクリスチャン・ベールに限った事でなく、名脇役や主演作を持つ名優となっています。さすがは巨匠といったところです。
太陽の帝国の主演クリスチャン・ベールとは?
オーディション4000人の中から大抜擢され「太陽の帝国」で主人公の少年ジェイミーにキャストされたクリスチャン・ベールは2年間の学業の後にケネス・ブレナーの「ヘンリー5世」で俳優に復帰。その後は「ベルベット・ゴールドマイン」での脇役などキャリアを重ね、「アメリカン・サイコ」(2000年)で主演に復帰し、昼はエリートサラリーマン、夜は殺人鬼という怪演で注目を集めます。
クリスチャン・ベールは「リベリオン」(2002年)でアクションスターとなり、押しも押されぬハリウッドスターとなります。そうした一方で様々な役にチャレンジします。
クリスチャン・ベールの役作りにかける情熱
クリスチャン・ベールの役作りにかける情熱はロバート・デニーロと同様にかなりストイックで強いこだわりがあります。2004年の「マニシスト」では1年間寝ていない主人公を演じるため4ヶ月の間、一日にツナ缶1個とリンゴ1個だけで30kgの減量に成功します。しかし翌年にバットマンを演じるため今度は逆に30kgの増量のためアイスクリームとトレーニングで屈強な肉体に仕上げるなど常軌を逸しています。
上はマニシストのワンシーンから、下のバットマンと比べると同一人物だとは到底思えません。他にも後述する「ザ・ファイター」ではコカイン中毒の天才ボクサーを演じるため減量に加え、歯や毛髪を抜くなどしています。
クリスチャン・ベール演じる異色の「バットマン」
「バットマンビギンズ」(2005年)「ダークナイト」(2008年)「ダークナイト ライジング」(2012年)の「ダークナイト3部作」では暗い過去を抱えた孤独な大富豪ブルース・ウェインを演じました。
簡単なあらすじを添えると両親を犯罪者に殺されたブルースは受け継いだ莫大な資産で最新技術の粋を集めたバットスーツやバットモービルを作り、ゴッサムシティの平和を脅かす「悪」と孤独な戦いを繰り広げます。見返りも賞賛も求めず、時には親友やその父親さえその手にかける。正に「ダークナイト」です。
「ダークナイト」では公開前に死去したヒース・レジャー演じる「ジョーカー」の怪演ぶりに話題を掠われてしまいましたが、シリーズの特異性は出演者たちの体当たりの演技にコミック原作という色眼鏡を外した作品として注目されます。
警察に追われながらキャットウーマンと戦うなど、秩序ある社会にとりバットマンも異分子だという作品解釈はそれでも意志を貫くブルースの人間性と合わせて「正義とはなにか?」を問うものでした。ちなみにダークナイト3部作でクリスチャン・ベールはほぼ全てのセリフを裏声で演じています。恐るべき役者魂。
声優にもチャレンジ
クリスチャン・ベールは正に大人向けの「バットマン」を演じつつ、2004年にはアメリカで公開されたスタジオジブリの「ハウルの動く城」ではハウル役の吹き替えもしています。2019年公開予定の「モーグリ」でも声優出演が決定済み。
出典: https://ciatr.jp
クリスチャン・ベールの受賞歴
クリスチャン・ベールは2010年の「ザ・ファイター」でアカデミー賞、ゴールデングローブ賞の助演男優賞。2013年の「アメリカン・ハッスル」でゴールデングローブ賞の主演男優賞は得たもののアカデミー賞では候補止まり。下は「アメリカン・ハッスル」からキャスト中央の中年太りした男がクリスチャン・ベール。手当たり次第に食べて激太りしたということです。
現在(2018年)はまだオスカー俳優ではないですが44歳という年齢からしても、映画にかける情熱にしても、これから取るチャンスは幾らでもありそうです。また、俳優業のみならず映画製作にも関わっています。
太陽の帝国についてまとめ
さて、「太陽の帝国」について原作や概要とスピルバーグの戦争作品に込められたテーマ、「太陽の帝国」あらすじ、そして「太陽の帝国」をステップにのし上がったキャストたち。主演のクリスチャン・ベールについて彼の来歴を解説しましたがいかがだったでしょうか?。次はまとめの解説をします。
あらすじを振り返って
「太陽の帝国」はクリスチャン・ベール演じるジェイミーの目を通して描かれたことが全てです。彼にとって尊敬すべきは勇敢なパイロットたちであり、それが日本軍であれ連合軍であれ関係ありません。
もともと上海という租借地で中国人を奴隷のように扱い莫大な富を吸い上げていた結果、豪邸での贅沢な暮らしをしていられたのでした。しかし、彼らがジャップと蔑んでいた日本軍によって平和な暮らしが破壊されます。すると手の平を返すように従順だった中国人たちが本音を露わにします。
日本軍の侵攻が上海を火の海にしたかというとそうでなく、占領によって多くの建物から白人たちが消え、中国人たちは金目のものを持ち去り、まるでゴーストタウンのような租界の街だけが残ったということです。南京で大虐殺?民間人に身をやつして日本軍を狙撃する国民党軍がしっかり描かれています。
あらすじにある通り、ジェイミーは復讐や略奪の対象として自分を品定めする中国人よりも日本軍の庇護を求めます。統制がとれ、理由なき暴力とは無縁でそちらの方がよっぽど安全だと考えたからに他なりません。アメリカ人のベイシーの方がよっぽど危険人物だったほどで危うく人身売買されそうになります。
あらすじでご紹介した通りでジェイミーは持ち前の度胸と勇敢さで命の危機を何度も乗り越えます。ベイシーから学んだように生水を口にせず、日本軍も恐れません。「彼らだって人間だ」という人種差別意識が全く無いことがジェイミーを危機から遠ざけます。
極限状態の中では善悪を説く道徳や理性などは生き残る役には立ってくれません。死人の身につけていた物を利用する。食事の芋にたかるゾウムシさえも滋養にして生きる。「たかがイモ一個に命を掛ける」それが真理でした。
あらすじを通じてジェイミーが辿る戦争体験とは正に人が生きるのに本当に必要なこと、本当に必要な物を学ぶという事でした。そして、人が自身の命を献身のために投げ出す行為は尊い行為です。
「神風特攻隊」として志願するパイロットたち。其処には「天皇陛下万歳」だとかいう高尚な思想は存在しません。ただ飛行機を操縦出来て、銃弾の数が乏しい。味方の基地であり、捕虜収容所でもある自分たちの住処を守る。そのためだけに厳しい訓練を耐え抜いた歴戦のパイロットたちが志願するのです。
本当はいけない行為かも知れない。けれども畏敬の念はジムを衝き動かします。敬礼をして賛美歌を歌う。そうしなければならないというより、そうせずにはいられないという心境でした。
送り出す側だって不条理に憤る気持ちよりも先に哀悼の意を抱きます。ナガタ軍曹のこの表情が全てを物語っています。
ローリング医師はつい先ほどまで神風特攻隊に賛美歌を歌っていたジムが連合軍の攻撃に我を忘れてはしゃぐことが理解出来ません。けれど、ジムにとってはどちらも当然なのです。そして、日本軍の飛行場であると同時に連合軍が焼き払ったのはジムたちにとっての住まいでした。
まとめ
「太陽の帝国」のあらすじを改めて振り返ると様々なことが分かります。日本人は「何故、戦争を二度としてはいけないのか?」簡単なことです。ジェイミーのような子供を二度とこの世に産みだしてはいけないからです。
「太陽の帝国」の中で、ジェイミーは事の善悪もわからず、因果応報といってもジェイミーに大きな罪と呼べるものはあったでしょうか?言葉が通じないからとジムは日本人と分かり合えなかったでしょうか?大人になればなるほどに分かることがあって、それが結果的に目を曇らせているだけで純粋なジムはそんなことはどうでもいいのです。
言葉が通じようが通じまいが心が通じ合っていればトモダチです。その大事なトモダチが殺されれば誰だって怒ります。捕虜収容所だろうとそこが日常を送る場なら壊されたら相手が誰だろうが憎みます。元々、敵だ味方だと誰が決めたことなのでしょう?そしてそれが絶対的なことなのでしょうか?
「太陽の帝国」は何が正義で何が悪かと規定していません。其処に登場する人々がそれぞれにそれぞれの体験として第二次世界大戦という出来事の中で感じたこと、思ったことが全てであり、それが戦争体験です。親の顔を忘れるほどの苛酷な体験でもあり、苛酷なだけでなく其処には人としての喜びも営みもありました。私たち日本人が忘れてはならない事が、私たちの父祖が勇敢で死を恐れず秩序に満ちていた事です。
だから、どんな辛い目に遭わされてもジムは考え方を曲げなかった。日本軍を「悪」だと思うことが最初から最後までなかった。けれどもジムのような少年が生まれることは悲劇です。ジムは学ぶ機会を奪われました。名前も奪われました。悲劇を繰り返さないことだけが我々の使命。ただそれだけなのです。そうした視点で「太陽の帝国」でスピルバーグが本当に伝えたかったことを考えながらご覧ください。