2018年09月16日公開
2018年09月16日更新
溺れるナイフの映画評価・感想まとめ!登場キャストも紹介【菅田将暉】
映画「溺れるナイフ」は2016年に公開された日本映画です。主演は小松菜奈さんと菅田将暉さん。今の日本の若手俳優・女優で名実ともにトップである二人の共演です。映画「溺れるナイフ」は原作があり、現在も連載中の人気漫画でもあります。さてここから「溺れるナイフ」の映画としての評価、感想を一気に分析していきましょう。またキャストや監督など、この映画がヒットしている理由についても深掘りしてみましょう。
目次
溺れるナイフの映画評価や感想をまとめて紹介!
映画「溺れるナイフ」は2016年に公開し、今最も旬な女優・小松菜奈さんと、同じく人気俳優の菅田将暉さんの共演で制作されました。映画としての評価はネット上では賛否両論、良い評価、悪い評価がどちらも隔てが無くあり二分しているようです。絵が綺麗という感想や、ミュージックビデオのような爽快感という感想、新たな映画のジャンルという意見も出ているようで、相対的ではありますが、支持されている作品だと伺えます。
溺れるナイフとは?
映画「溺れるナイフ」とは元々が漫画原作の実写化映画になります。2004年からスタートした漫画「溺れるナイフ」ジョージ朝倉さんにによる漫画で現在も別冊フレンドで連載中になっています。ちなみに「溺れるナイフ」の「ナイフ」とは「10代の自意識」という意味合いであって、破裂寸前の10代の心と剥き出しの刃物のような青春の情景を描写しているとのことです。
溺れるナイフの映画あらすじをネタバレ解説!
それではここで映画「溺れるナイフ」のあらすじをネタバレ必至でお届けします。「溺れるナイフ」の全容を解説して、原作が映画化された魅力などを紐解いてみましょう。
映画溺れるナイフのあらすじ:東京から浮雲町へ
出典: https://mdpr.jp
映画「溺れるナイフ」は中学生にして売れっ子モデルの望月夏芽が主人公の映画になります。夏芽が東京から父親の実家のある浮雲町へ引っ越すところから物語が始まります。夏芽は車の後部座席で浮かない顔をして一路浮雲町へと向かっています。父親と母親そして弟の四人家族での引っ越し。夏芽だけが低いテンションで皆と空気感が違う様子ですが、映画の中で小松菜奈さん演じる夏芽の空気感が好きという感想が多いようです。
夏芽と家族は浮雲町に到着しておじいちゃんが経営する旅館で久しぶりにおじいちゃんと再会しました。その後近隣の方などを呼んだ大宴会が行われるのですが、夏芽は一人浮かない顔をしてます。映画冒頭のシーンと同じようにモデルをしていた夏芽には何もない田舎の暮らしがつまらなそうに見えます。そしてたまらなくなった夏芽は一人旅館の外へと飛び出して海の方へ向かいます。そして夏芽が行った先は、立ち入り禁止の海でした。
映画溺れるナイフのあらすじ:コウとの出会い!
夏芽はその立ち入り禁止の海へと入っていくのでした。そしてその瞬間に夏芽の目に入ってきた光景は、その海で泳いでる一人の男の子の姿だったのです。夏芽は男の子が泳いでいる光景に目を奪われて見続けています。すると、突然男の子は海から飛び出してきて夏芽に近づいてきました。男の子は夏芽に顔を近づけて夏芽を覗き込んだ後にそのままいなくなっていまいました。それがコウであり、映画の中のもう一人の主人公です。
次の日転校してきた夏芽がクラスで自己紹介をしています。そしてクラスの皆は東京からきたあの有名なモデルだと知ってざわつきます。夏芽は挨拶をして自分の席にいくと、その向こうに昨日の、コウが座っているのが見えます。コウは何にも興味を示さないのか窓の外をずっと見続けています。映画「溺れるナイフ」では彼の行動が夏芽からすると斬新で徐々に心が惹かれていくのがこの辺りから醸し出されるのがわかります。
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教室でのシーンで、クラスの皆が夏芽の周りに集まって、夏芽が出ている雑誌を話題に話をしています。芸能人の話など、盛り上がっているところに、一人の生徒が夏芽の雑誌をコウに見せて、夏芽がすごい人なんだと話しています。夏芽はその話にそんなことはないと言うのですが、コウはそこで、どうせこんなモデルは腐る程いて使い捨てだと雑誌を床に投げつけます。すると夏芽はコウに向かって、あの海に入っていたことを言うのです。
するとクラスがざわつきます。映画「溺れるナイフ」ではあの海は神さんの海という名前で、神様がいると言う先祖代々からの神聖なる場所であるという設定だそうです。そこで大友(重岡大毅)という同級生が、自分の父親が漁に出ているからそんなことするなとコウに伝える。そして大友は夏芽にはあそこには行くなと告げるのである。コウは祟られるからお前らは入るなと皆に話して教室を後にするのでした。
映画「溺れるナイフ」では浮雲町の皆が神さんを大事にしており、その崇拝の形の一つにあの海があるそうです。カナ(上白石萌音)がいうには以前あそこで観光客が釣りをした時には海が大荒れになって大変なことになったと言います。夏芽は偶然ではないのとカナに言いますが、大友はそういう問題ではなく、神さんを大事にしているということだとはっきりと夏芽に言うのでした。
夏芽は再び海でコウと会いそして海の話をします。コウは夏芽に口が軽い女だと言い、夏芽はつまらない毎日だから海で遊んでたんでしょと言う。そして神さんがいるのかどうかという話には神さんはいるとコウは話し、そしてコウは夏芽を面白いところに連れて行くと話、海の岩場に連れて行き一緒に海へと飛び込みます。そして映画「溺れるナイフ」の冒頭が終わり、ここからようやく映画の本編がスタートします。
ある日夏芽が学校から帰ってくると東京から荷物が届いていました。母親(市川実和子)が何が届いたのかと聞いたら写真集が来たと夏芽が話します。それは映画の中でキーである役柄の広能という写真家(志磨遼平)の写真集で、今度広能は夏芽を撮りたいということで自身の写真集を送って来たのでした。広能はヌードでも定評がある写真家だそうで、母親とそのあたりの話題を夏芽が話をしている様子が映画の中で見られます。
ある日夏芽が学校に自転車で向かっているときにコウも同じく自転車を漕いで来ます。そして夏芽はコウの家がすごいって聞いたけど、夏芽もモデルで芸能界から干されてなんかないと話します。夏芽は写真集の話もするのですが、コウは別段興味もない様子でした。映画「溺れるナイフ」ではこのコウのキャラクターが夏芽が憧れる要素であり、コウの精神的な部分に近づきたいという意味があるようです。
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その後浮雲町に広能がやって来ます。夏芽との顔合わせをし、そして写真集の撮影に入るのでした。山の中で夏芽と広能が撮影をしています。すると、広能のところに何かが飛んで来ました。するとそれはコウが故意に広能へと投げたものでした。それを見た夏芽は撮影をそっちのけで逃げるコウを追いかけて行きます。しかしコウは慣れた様子で夏芽を交わし、夏芽はコウに触れることもなくそして消えて行きました。
広能がその後を追い、疲れて倒れている夏芽に再び写真を撮り始めます。広能は夏芽とコウについての会話をします。夏芽はコウに追いつきたいと自分がコウに対して思う気持ちを話します。映画「溺れるナイフ」の夏芽とコウの思春期のそして多感な時期を荒々しく描いているようです。映画の中のコウと夏芽の姿に若さの極限を見たなどの感想も多く言われているようです。
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ある日下校途中にカナが夏芽を呼び止めてコウと付き合えばいいと話してきます。するとコウも同じタイミングでいて、夏芽は写真集ができたとコウに伝えます。するとコウは突然走り出し、夏芽はコウを必死に追いかけるのでした。そして川沿いで夏芽は写真集をコウに見せるのですが、コウが読み終わりその瞬間にコウが夏芽にキスをするのです。映画「溺れるナイフ」の中で初めて夏芽がコウに対する気持ちを伝えるシーンでもあります。
映画溺れるナイフのあらすじ:コウと付き合う!
夏芽がコウに対しての気持ち、もっともっと頑張ってコウに近くとコウに話して二人はとうとう付き合うことになりました。映画「溺れるナイフ」の中で二人が近づいて付き合うまでのスピード感が早いという感想もよく言われています。しかしこの映画「溺れるナイフ」ではここからが映画の展開をより面白くすることになります。夏芽とコウの相反する性格が思春期という不安定な時期にさらなる展開を用意するのです。
映画溺れるナイフのあらすじ:火祭りの日の事件
火祭りの日の夜、コウは火祭りに参加をし、夏芽はそれを見ていました。すると旅館に泊まっていた客が突然おじいちゃんが倒れたと夏芽に言い、夏芽を車に乗せて走り出します。しかしその男は夏芽の昔からのストーカーで夏芽を拉致したのです。それに気づいたカナはコウに伝えコウがなんとか夏芽のいる場所までたどり着きます。が、コウはその男に殴られて、結局大人たちが夏芽たちを発見して、暴行は未遂に終わったのです。
映画溺れるナイフのあらすじ:高校に進学する夏芽たち
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その後映画の設定は高校時代へと変わります。高校に進学した夏芽は居場所がない存在へと変わってしまいました。例の暴行未遂事件がネット上でも騒がれて、暴行されたという噂から周りの人間が離れていくのでした。夏芽をバカにする話などをする中で、大友はそういう話を聞きもせず、話す連中に品がないなど自分の思いをしっかりと話します。映画「溺れるナイフ」で大友の存在が夏芽の中で大きくなる流れになります。
映画溺れるナイフのあらすじ:大友の存在
映画「溺れるナイフ」の中でも大友の存在がとても重要であるとも多く言われています。大友は夏芽を楽しませる、笑顔にするという気持ちを持っており、友達でいいと大友は夏芽に伝えます。大友は夏芽の心の中にコウがいることも気づいているような雰囲気でもあるようです。映画の中で思春期の大友という純粋な男子高校生の描写もまた「溺れるナイフ」の醍醐味の一つだとも言われています。
映画溺れるナイフのあらすじ:夏芽の心に見え隠れするコウの存在
ある日夏芽が学校から帰っているときにコウとその不良集団と出くわします。コウは夏芽が歩いてくる事がわかった瞬間に不良集団とは違う方向へ踵を返し、集団から離れていきます。夏芽に会う事を避けている様子だとわかるシーンです。そしてそのコウを追いかけていく夏芽。すると二人は船に乗り、海へと出ていくのですが、そこであの事件から止まっていた二人の心が明確になります。映画の中での切ないシーンでもあります。
コウは再び海に飛び込み、夏芽も飛び込みます。そこでコウは夏芽の人生に巻き込まれたくないと話します。あの事件の事を夏芽が話、なんで助けてくれなかったのかと問います。そしてコウは夏芽がめんどくさいと話します。映画の中の切ない夏芽。そして二人が別れる事になります。その後、夏芽が濡れたまま帰ってくると、大友が家の前に偶然います。夏芽は泣きながら家に帰ってくるのでした。
その後、大友と夏芽は近づいていきます。最初は友達として、夏芽を元気付ける、笑わせると、夏芽を支える存在でしたが、二人は付き合うとこになります。この映画の中で大友の存在がとてもよく描けているシーンがこの辺りだそうです。アドリブなのか演技なのか二人の高校生としての演技の描写がとても自然的に出ており、普通の高校生として映画の中で立ち回っている容姿が良いと共感の声が多いようです。
ある日突然、広能が浮雲町に現れます。それは広能が映画を撮る事になってそれを断ったところで広能が夏芽に会いにきたのですが、広能は今の夏芽の姿を見て撮る気が失せたと話します。田舎の娘に成り下がった事をディスり始めます。大友がそれを見て大丈夫かと話しかけます。広能は大友が彼氏である夏芽に対してもお似合いだと伝え、もう二度と会う事ないからと広能は去っていきます。夏芽はショックで一人帰宅します。
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夏芽はその後浮雲の神様に自分には幸せはやってこないのかと手を合わせます。ここにいるべきなのかどうなのかと神様に問いかけます。その後山の中を歩いている時に喧嘩でボロボロになったコウと出会います。コウは山の中にある自分がいつも使っている小屋に夏芽と一緒にいくのでした。そしてコウは夏芽ともうこれっきりでお終いにしようと話します。夏芽もコウもお互い涙して、映画の中での切ないシーンでもあります。
映画溺れるナイフのあらすじ:別れ
その後大友と二人になる夏芽は、別れようと大友に話を切り出すのです。大友は意味がわからないと話すが、夏芽は東京に戻ると決めたと言います。映画に出ると、広能の映画に出る事を決意したと話します。これにはコウとの関係がよく現れた映画のワンシーンがあり、コウは浮雲にいる宿命。夏芽に俺なんか飛び越えて羽ばたけというシーンがあるのですが、そこから決意したシーンであると映画の批評でも言われてます。
映画溺れるナイフのあらすじ:再びの恐怖
再び火祭りの日がやってきて、大友はコウと会話をします。映画のシーン的には短いですが、二人がその短い会話の中で友達として再び仲が戻ったようなシーンでもあると言われてます。そしてその後に再び事件が起きます。カナが変なお面をかぶった男を見ます。それを周り人に聞いたらコウであると言うが、カナはそんなことはないと思い再びコウにその話をします。そして一方の夏芽はコウの小屋に一人で居るのでした。
すると小屋に現れたのは、あの事件を起こしたストーカーだったのです。夏芽は恐怖に震え、再びストーカーは夏芽を羽交い締めにします。そこで夏芽は気を失うのですが、ハッと目が覚めた時は誰も居ませんでいた。夢なのか現実なのかその境がわからない映画のクライマックスなシーンでもあります。しかし、それは現実に起きて居たことで、実際にストーカーがやってきて、そしてコウがそれを再び止めるシーンでした。
コウは今度こそ戦い、そして夏芽が男を殺してとコウに叫びます。しかしストーカーはさらに常軌を逸しており、自らの喉をコウのナイフで裂くのでした。映画のシーンでは何もなかったようにその後夏芽は家の前の道で佇んで居ますが、カナがその後に夏芽のところまで来て、夏芽は災いを呼ぶ女だと言います。コウにも近づくなと言い、そして全てを海へ葬ると話します。そして夏芽はそこで膝から崩れ落ちるのです。
映画溺れるナイフのあらすじ:乗り越える夏芽
その後映画のシーンはエピローグへと繋がります。夏芽は映画祭なのか、広能の映画で賞を取る事になりました。インタビューを受けている際に頭の中にコウの事が過ぎります。コウの方がもっとすごい、コウの存在を知ったら私なんて小さいなど、自分のコウの比較をしており、まだ夏芽の中に大きな存在でいるコウを確認できる映画のワンシーンです。
そして夏芽の映画のシーンがスクリーンで流れると、映画「溺れるナイフ」が終わりに差し掛かります。その映画のシーンはいつの間にか映画ではなく、コウと夏芽の二人の楽しかった時期に入れ替わり、映画のようなシーンになります。いつまでもコウと夏芽の思いでが深く、アツく、濃いものであったとメッセージが伝えられれうようなシーンでもあるとのことです。
溺れるナイフの映画評価や感想を紹介!
映画「溺れるナイフ」のネタバレの後はこの映画の批評や感想を見ていきましょう。映画のキャストや原作との違いなどもあり、映画としての評価を紐解いてみます。
映画溺れるナイフの評価:映画の演出が微妙!
映画の中で多く使われている音楽の事でその演出が微妙とされる事が多く言われています。しかし監督の山戸結希さんは音楽と主人公の内面とを独特のカメラワークで撮ることが斬新かつ新しいとの高評価を得ており、言葉にならない身体的情動性が多く演出に現れていると映画として高い評価を得ていることには間違いないようです。今までの邦画では見られない新たな分野といっても過言ではないと言われてます。
映画溺れるナイフの評価:映画のラストの意味がわからない!
映画の中で最後のシーンが不可解だと言う声もありますが、これも一種の山戸ワールドの現れではないかと映画批評されています。内省的な夏芽の現れが見ている側の視点を一瞬戸惑わせるという要素があると言われてます。思春期の多感な心の現れが夏芽の実際の気持ちと希望や願望の気持ちが一気に生じて映画として成立させるためにあのようなシーンの展開を映画で選んだのではと言われています。
溺れるナイフの映画登場キャスト一覧!
映画「溺れるナイフ」のキャストを見てみましょう。キャストにもかなりの高評価を得ており、主演の二人とまたその友人役においても間違いないキャスト選びだったと言われているようです。
小松菜奈/望月夏芽役
夏芽役の小松菜奈さんは演技とその思春期の多感な姿を演じるのに素敵なキャストであったと言われます。細かいシーン中での若さ溢れる様子なども小松菜奈さんであるから普通に見れる、演技というより実際に映画の中で夏芽という存在が生きていると言わしめるそんなキャストであったという感想を多く聞くそうです。中学、高校の不安定な役柄にはぴったりという感想であり、評価がありました。
菅田将暉/長谷川航一郎役
コウ役の菅田将暉さんですが映画の中ではこれも同じように高い評価を得ています。十代の多感な時間を尖ったナイフのようなコウの生き様に共感を得るという感想や不安定な若さの象徴だとキャストの評価がとても高いそうです。若さゆえの制限からの逃避や強烈な願望がしっかりと現れていたキャストであると評価が高く、菅田将暉さんのかっこよさが溢れていたという感想も多いとのことです。
重岡大毅(ジャニーズWEST)/大友勝利
さらには大友役の重岡大毅さんも演技の高い評価を得ております。夏芽を支える健気な姿に共感という感想が多かったり、噛んだりするシーンなどもありましたが、その自然な雰囲気がまたリアリティを突いているとの感想も上がっています。体当たりで演技をする様が主演の二人を食ってしまうような存在感であるというキャスト選びの良さを物語っているようです。
溺れるナイフの原作は?
原作は現在も連載中である別冊フレンドの漫画です。原作者はジョージ朝倉さんで、この漫画は累計150万部売れている超ヒット漫画だそうです。しかし原作と映画には大きな異なるストーリーがあるために映画用に変えたとの話です。漫画も映画共にヒットを飛ばした作品ですので、キャストや内容など、その違いを見比べてみるのも、面白いかもしれません。
溺れるナイフの映画評価や感想まとめ!
原作ありきの映画にはキャストの重要性が大きく関わりますが、映画の主演の小松菜奈さんと菅田将暉さんの演技を通して、「溺れるナイフ」のキャストには監督も喜びの超絶な良い結果が生まれたそうです。監督の前例がないような新たな作品作りが、新たな日本映画の方向性である事も醍醐味の一つであります。
出典: https://thetv.jp
そしてそのヒットした原作をこのキャストで、監督で、映画サイズの新たな脚本で制作出来たことが、映画溺れるナイフ」の評価を高めた何よりの原因だそうです。この映画のあらすじをみて再び思春期の尖った10代を垣間見るのはいかがでしょうか。