2018年09月23日公開
2018年09月23日更新
アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダルのネタバレあらすじ!映画の感想は?
アイ、トーニャ史上最大のスキャンダルのネタバレやあらすじを紹介します。また、アイ、トーニャを観た口コミ・感想もまとめてみました。アイ、トーニャの壮絶な人生と実話が映画化したその反響をまとめます。アイ、トーニャをまだ見ていない方、見ようか迷っている方はこちらの記事を参考にして見るかどうかを判断する材料にしてみてください。アイ、トーニャのあらすじからネタバレまで載っているので、物語りを楽しみにしたい方は注意しながら読んでください。
目次
アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダルのあらすじをネタバレ!映画の感想も紹介!
今回紹介するのは映画『アイ、トーニャ史上最大のスキャンダル』についてのあらすじやネタバレ既にご覧になった方々の意見や感想をまとめたものです。
映画『アイ、トーニャ史上最大のスキャンダル』あらすじ
トーニャは貧しい家で幼い子供の頃から厳しく育てられました。彼女は生まれながらの才能と努力でアメリカ人初のトリプルアクセルを成功させました。1992年アルベールビル、1994年リレハンメルと二度オリンピック代表選手として出場しました。
しかし、彼女の元夫のジェフの友人がトーニャのライバルであるナンシーの膝を強打したことで、彼女のスケート人生の転落が始まるのでした。一度はアメリカ中から愛されたトーニャだったが、この事件を機にフィギュア界から追放されてしまい、プロボクサーへ転身したトーニャの半生を描いた物語になっています。
アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダルとは?実在の事件がモデル?
映画『アイ、トーニャ史上最大のスキャンダル』はアメリアの女子フィギュア選手"トーニャ・ハーディング"の半生を描いた物語です。トーニャは12歳という若さでアメリカ人初のトリプルアクセルを飛んだ人物です。当時女子選手の中での成功者は伊みどりさんに続く史上2人目となる快挙でした。
トーニャは1992年全米選手権で三位入賞を果たしました。そして、アルベールビルオリンピックの代表選手に選ばれました。しかし、オリンピックが始まると今まで成功していたトリプルアクセルの着氷に失敗してしまい、結果は総合4位となり惜しくもメダル獲得には至りませんでした。このアルベールビルオリンピック以降トーニャは不調になっていく一方でした。
1994年に開催されたリレハンメルオリンピックに出場するために猛練習をしていたトーニャのライバル"ナンシー・ケリガン"が膝に暴行を加えられるという事件が起こりました。このような事件があったにもかかわらず大会自体はそのまま続行され、トーニャが優勝を勝ち取りました。ところが、この事件から二週間後にトーニャの元夫であるジェフが逮捕されたことで彼女も疑われてしまいます。
そして、警察による捜査が開始されると彼女の身を不利にする証拠が出てきました。アメリカのフィギュアスケート協会とオリンピック委員会は、彼女をオリンピックの代表から外そうとしましたが、トーニャは無理矢理にでも代表から降りようとはしませんでした。こうして、リレハンメルオリンピックにはトーニャがアメリカの代表として出場することになりました。
オリンピックが始まると、演技ではショートで連続でミスをしてしまい結果は10位と出遅れてしまいました。そして、フリーでは名前を呼ばれても姿を現さず失格寸前になってからトーニャは姿を現しました。演技が始まると中断を訴え、靴紐が切れたことを審査員に申し出ました。再演技が認められるはトーニャは実力を発揮できずに惜しくも8位で終わってしまいました。
オリンピックが終わったあと、彼女は自分の罪を潔く認めました。懲役刑は避けることができましたが、トーニャは「執行猶予が三年間」「500時間の奉仕活動」「罰金を16万ドル払うこと」を受け入れたが、トーニャはは1994年で行われた全米選手権での優勝・1999年までの公式大会への出場・コーチの資格を剥奪されてしまいました。
アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダルのあらすじをネタバレ!
トーニャ・ハーディング 誕生
映画『アイ、トーニャ史上最大のスキャンダル』のあらすじをネタバレはの主人公トーニャ・ハーディングは母であるラヴェナと四番目の夫との間に生まれた五番目の子供です。貧しい家庭で厳しいラヴォナのもとでトーニャは育ちました。
四歳になったトーニャ
毎日フィギュアスケートの話ばかりするトーニャを黙らせようと、ラヴェナはスケート教室を訪ねました。コーチのダイアンは禁煙のリンクで煙草を吸うラヴォナに驚きました。さらに「初心者は受け付けない」と断りました。しかし、初めてリンクに立ったのにもかかわらずトーニャは軽々と滑り出しました。
これをきっかけに、ダイアンはトーニャのコーチになりました。たった半年でトーニャは大会で年上の選手など色んな選手を差し置いて、わずか四歳だったトーニャは初優勝を果たしました。
十五歳になったトーニャ
15歳になったトーニャは、母親譲りの口の悪さと態度の大きさを発揮していました。それでもトーニャは毎日8時間のずっとフィギュアスケートの練習を欠かさすに頑張って真剣に取り組んでいました。トーニャは母親のラヴォナに高校を中退させられてしまい、とっても悔しい想いをしていましたがそれでもトーニャはスケートだけに専念し、腕をどんどん磨いて実力を上げていきました。
ジェフとの出会い
ある日、練習見学に来ていた高校生のジェフとショーンと出会います。惹かれ合ってたトーニャとジェフの初デートにはラヴェナも一緒についていきました。そんなラヴェナは相変わらずトーニャに暴言を連発していました。それを乗り越えトーニャはジェフと交際が始まりました。
しかし、彼が優しかったのは一時期なものでした。付き合って数ヶ月か経った時ジェフはトーニャに対して暴力を振るうようになったのです。でもトーニャは“自分が悪い”“私を殴ったりするのも私を愛しているからだ”と自己暗示をかけていました。
家を出ることを決意
1986年の大会では廊下で喫煙し、出番直前までガムを咬んだり母親並みの型破りなトーニャ。彼女は大胆でスピードのある滑りでミスなく演技を終えました。しかし、納得のいく得点は出ませんでした。この時トーニャは女子選手があんまり挑戦しないトリプルアクセルを跳ぶしかないと決めました。
それでも優勝できなかったことにラヴォナは怒りトーニャに暴力を振るいました。初めて反抗したトーニャにラヴォナがナイフを投げつけトーニャの腕に突き刺さってしまいます。さすがのトーニャもついに家を出る決意をします。
「クソくらえ」
しかし、前回と同じようには得点は伸びず、彼女は怒って演技が終わったあとに審判団に文句を言いに行きました。審判団は彼女に自分を過大評価しすぎだと言われ、彼女はさらに憤りと審判団に暴言を言い、リングを降りました。審判団に暴言などを吐いた彼女に対してダイアンは注意しようとしましたが、怒り心頭の彼女はダイアンにスケートくつを投げつけ、これまでの師弟関係をなかったことにしてしまうのでした。
トーニャとジェフ結婚
ですがそれからしばらくして、トーニャとジェフは結婚することになります。彼女は今まで働きながら選手として頑張り続けていましたが、結婚を機に仕事を辞めて練習できることを一番嬉しく思っていました。結婚パーティには、母であるラヴォナも出席しました。しかし久々に会ったラヴォナは娘を祝福することなく罵倒。そして、彼女はついに母とはもう決別すると決めたのでした。
アイ、トーニャ:1991年の全米選手権では
彼女は新しいコーチとともに大会に出場しました。彼女はある観客から、面と向かって厳しい暴言を投げかけられました。しかしその暴言を投げかけてきた男はラヴォナが金で雇った男でした。そのおかげもあったのか、トーニャはこの試合でアメリカ人の女性として初めてトリプルアクセルに成功しました。見ている観客が感動して一斉に立ち上がり拍手が鳴りやまりませんでした。見事に優勝をしたトーニャは一躍注目選手となりました。
アイ、トーニャ:世界選手権で2位
優勝の経験によってトーニャは自尊心やプライドが高くなってしまい、ジェフへの態度が変わってしまいます。そしてついにジェフの暴力に耐えられなくなったトーニャは彼の元を去りました。その後もトーニャは世界選手権で2位、スケートアメリカでは優勝に輝きます。このような輝かしい成績は、フィギュアファンの間でも驚きだと話題になりました。
アイ、トーニャ:しかし
一方、彼女に見捨てられてしまったジェフはショーンとともに行動することが多くなり、トーニャのストーカーに及んでいました。ジェフが試合会場へと乱入し、彼女に向かって暴言を吐きました。愛されていると勘違いしたトーニャはジェフと寄りを戻してしまいました。しかし、その途端にトーニャの生活は乱れてしまいました。オリンピック本番が近いのにもかかわらず、トーニャは調子は落ちてしまうばかりでした。
アイ、トーニャ:1992年アルベールビル五輪では
トーニャはジャンプに失敗してしまい、ナンシーに次ぐ4位という結果でオリンピックを終えます。本番2日前にスケートの刃が取れたとトーニャは言い訳しますが、実際の原因が芸術面の不足と、食べ過ぎによる体重増加でした。
トーニャとジェフ離婚
そのあとジェフとの口論は激しくなっていき、ついには警察沙汰になることもしばしばでした。ジェフには接近禁止命令が出されましたが、彼女に暴力を振るい続けました。このようなことがあってようやく彼女は離婚することを決めるのです。それでも、ジェフは諦めず彼女に縋りつきました。
「一緒に優勝を目指そう」
結局メダルを獲得できなかったトーニャにスポンサーはつきませんでした。トーニャの職場へかつてのコーチであるダイアンが訪ねて来ました。次のオリンピックが2年後に開催されることになったのです。ダイアンはトーニャに一緒に優勝を目指そうと誘いにきたのでした。トーニャはヘビメタ曲の使用や、青いマニュキアを禁止する約束で現役復帰し、今まで以上に厳しい筋力トレーニングやバレエレッスンなど練習に打ち込みました。
「国の代表には完璧なアメリカの家族のイメージを求める」
しかし、彼女の努力は実を結ぶことなく、試合では思うような結果が出ません。彼女は審判にその理由を聞きます。すると、「国を背負うものには、パーフェクトなアメリカのファミリーのイメージを求めている」との答えが返ってきました。それを聞いた彼女は家族が必要だと考え、久々にラヴォナに会いに行くことにします。
しかし、ラヴェナはトーニャが求める母親像ではありませんでした。結局トーニャはジェフ頼ることになりました。オリンピック終了までは我慢し、その後すぐに別れるつもりでいました。しかしその矢先あの事件が起きるのです…。
アイ、トーニャ:殺害予告
オリンピックに向けて練習しているときに、彼女に殺害予告という恐ろしいメッセージが届きます。恐ろしくなった彼女は試合を棄権することにして、恐怖に震えました。そこで、ジェフは全米選手権が開催される前に好敵手のナンシーにも殺害予告をしようとショーンに提案します。その話を呑んだショーンは、ある人物に金で犯行を依頼しました。
トーニャのおかげでナンシーの練習しているスケート場を突き止め、ナンシーのもとに殺害予告を送る予定でしたがどういうわけか何も起こることはなく平和でした。なんと、実はもうそれ以上のお金を払うことのできないジェフ計画を中止したのです。そうこうしているうちにトーニャは、脅迫のことなんてすっかり忘れて練習に専念できるようになりました。
1994年1月6日
ところが、1994年1月6日全米選手権の練習中に、会場に侵入したデリックが、ナンシーの膝を強打されるという事件が起こってしまったのです。その時トーニャ自宅にいたため、事件については翌日のニュースで知りました。ジェフも、話が違うとショーンに詰め寄りました。すると、普段からトーニャ達に見下されているのが悔しくて自分の力を証明させるためにしたと告白しました。実はトーニャに殺害予告したのも彼だったのです。
アイ、トーニャ:1月8日
ナンシーは大会を欠場し、トーニャが再び全米チャンピオンに返り咲きました。しかし足跡を残し過ぎていたデリックが、すぐに逮捕されました。1月8日には、トーニャとジェフもFBIに事情聴取を受けることになりました。マスコミは早くも噂を嗅ぎつけていました。
それでもトーニャは余裕の表情を浮かべていましたが、ショーンが自分の犯行だと周囲に自慢していたので、あっという間に彼のもとにもFBIが来ました。逮捕されたショーンは、ジェフが首謀者だと証言してしまったのです。
オリンピック4週間前
トーニャの部屋にラヴォナが訪れました。ラヴェナは珍しく「よく頑張った、誇らしい」と、たどたどしくも褒めてくれました。そんなラヴェナにトーニャは抱きつきました。しかし、ラヴォナはマスコミに売るためか、テープレコーダーを回していたのです。ラヴォナに裏切られたと知ったトーニャは、怒り狂ってラヴェナを追い返しました。
アイ、トーニャ:謝罪会見
その後、トーニャはダイアン達に促され謝罪会見を開きました。そこで、トーニャは事件について真相をしらないことを明らかにします。その上オリンピック出場権をはく奪されそうになったトーニャは協会を告訴しなんとか出場を決定させますが、オリンピック前だというのにトーニャの現実は最悪でした。
リレハンメルオリンピック
フリーの演技では、くつひもに不安を抱いていた彼女は、自分の番になってもスケートリンクに現れることもなく、失格になる直前になんとか間に合って登場します。しかし、最初のトリプルアクセルがシングルになるという致命的なミスを犯してしまいました。トーニャは、審判団に泣きながら“くつひもが切れたのだ”と訴え続けました。
救済措置として靴の履き直しが許可されますが、結局得点は伸びず8位という結果になってしまい、一方のナンシーは銀メダルながらも、納得のいかない表情でオリンピックを終えていました。
アイ、トーニャ:オリンピック後
トーニャは不服ながらも裁判で罪を認めてしまったことから、執行猶予や罰金刑、大会出場権のはく奪などを言い渡されてしまいます。「懲役を受けるから、スケートを奪わないで」とトーニャは請いますが、残念ながら判決は覆りませんでした。その後トーニャは世間から笑いのネタにされ、落ち込む日々を過ごします。服役が決まったジェフの周囲からは、早々にマスコミが去っていきました。
アイ、トーニャ:2003年にボクサーデビュー
トーニャは生きるためにどんな仕事でもしました。小さいこるから暴力が生活の一部だったトーニャは、2003年にボクサーデビューをしました。何度殴られてもマットに血を吐いても何度も何度も立ちあがるトーニャがリングにいました。
アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダルを見た人の感想を紹介!
アイ、トーニャの不評な感想を紹介!
『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』
— Gold_Para (@Au0223) May 16, 2018
映画としては無類に面白いんだけど、スケオタ視点から見ると「トーニャ多分それ違う、違うんや…」ととても複雑な気分である。今なら「セッション」を批判した人の気持ちが分かる https://t.co/IImyShKpuI
映画『アイ、トーニャ史上最大のスキャンダル』についての不評な感想は「個人的にはあんまり面白くない」または「暴力的なシーンが多すぎて好きじゃない」などの不評な感想があります。
アイ、トーニャの好評な感想を紹介!
映画『アイ, トーニャ 史上最大のスキャンダル』
— ルパン4世 (@lupipipipanda) June 9, 2018
感想をブログに公開しましたhttps://t.co/MyHBebaFDi
フィギュアスケート界一の醜聞「ナンシー・ケリガン襲撃事件」前後の顛末を描く作品。
敢えて「事実に基づいた作品」とは言わず、
「事実を基にした虚構です」と言い切る逆転の発想が面白いです。 pic.twitter.com/ayAnkVEeS4
不評な感想がある中一方では映画『アイ、トーニャ史上最大のスキャンダル』について好評な感想もあります。アイ、トーニャ史上最大のスキャンダルについての好評な感想は「80年代90年代の服装が良かった。」や「マーゴット・ロビーさんの演技が素晴らしかった。」「リアルタイムでは全然知らないけど映画だと楽しく見れることができた。」などの多くの好評な感想のあります。
アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダルのネタバレまとめ!
出典: https://note.mu
いかがでしたか?映画『アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル』についてまとめてみました。口コミや感想で否定的な感想の多くは暴力シーンが多いようです。あなたは、否定的な意見になるのか、それとも肯定的な意見になるのかは映画と今回の記事を見て判断してみては?