時計じかけのオレンジの魅力やラストをネタバレ!伝説のカルト映画を解説

アメリカで1971年に公開された伝説のカルト映画時計じかけのオレンジ。今回はそんな時計じかけのオレンジを徹底的に考察をします。セックス・アンド・ヴァイオレンスの近未来をパンク文体の元祖と呼ばれている「ナッドサット語」で翻訳したアンソニー・パージェスの原作小説を何故スタンリー・キューブリックは映画化したのでしょうか。非人間らしさこそ人間の本質としてモダンな世界を描いた時計仕掛けのオレンジの世界をご紹介致します。

時計じかけのオレンジの魅力やラストをネタバレ!伝説のカルト映画を解説のイメージ

目次

  1. 時計じかけのオレンジについてネタバレ紹介!
  2. 時計じかけのオレンジとは?
  3. 時計じかけのオレンジのあらすじを紹介!
  4. 時計じかけのオレンジのラストをネタバレ解説!
  5. 伝説のカルト映画の時計じかけのオレンジの魅力とは?
  6. 時計じかけのオレンジのキャスト一覧!
  7. 時計じかけのオレンジの感想や評価を紹介!
  8. 時計じかけのオレンジの魅力やラストまとめ!

時計じかけのオレンジについてネタバレ紹介!

今回はスタンリー・キューブリック監督の映画・時計じかけのオレンジのあらすじを追いながらネタバレ・解説をしていきます。この映画は現在では名カルト映画として高い評価されていて、難解な物語展開でも評判を呼びました。この映画・時計じかけのオレンジは西洋における自由意思をテーマにしていると言われています。宗教色の濃いこの映画を多くの観客や批評家たちはどの様に評価をしてきたのでしょうか。

時計じかけのオレンジとは?

時計じかけのオレンジは1971年にイギリスで公開された映画です。日本で公開されたのは一年後の1972年になります。原作はイギリスの小説家アントニー・バージェスによる近未来ディストピア小説になります。セックスやヴァイオレンスを独自の言語ナッドサット語で描いた世界が舞台になっています。現代的な自由放任主義と全体主義による管理という観点から現代を捉えることにより現代社会を風刺しているのが特徴です。

監督はスタンリー・キューブリック!

時計じかけのオレンジを製作・監督・脚本を担当したのは、スタンリー・キューブリックです。スタンリー・キューブリックは、1928年7月26日にユダヤ人の両親のもとに生まれました。生誕の地はニューヨークのマンハッタンです。彼は高校生のとき、ウィリアム・ハワード・タフト高校に通っていました。高校時代のIQは平均以上でしたが、成績は平均以下だったそうです。

高校を卒業して、ニューヨーク私立大学シティカレッジに入学をしましたが、すぐに中退してしまいました。一時はジャズ・ドラマーを目指していたそうですが、彼が撮影したフランクフルト・ルーズベルトの死を伝える一枚の写真が売れて、『ルック』誌の1945年6月25日号に掲載されたため、見習いカメラマンとして『ルック』に在籍するようになったそうです。

その後『ルック』誌に乗った自分のフォト・ストーリーを元にドキュメンタリー映画「拳闘試合の日」を製作しました。この映画の製作費は3900ドルかかりましたが4000ドルの収益を得ることが出来ました。そうしてこの映画の成功を手にしてスタンリー・キューブリックは『ルック』誌を退社しました。

1953年には親類から借金をして初の長編映画『恐怖と欲望』を製作するも赤字を出してしまいます。そうしてさらに『非情の罠』を製作しますが、この映画も結局製作費を回収することは出来ませんでした。こうしてスタンリー・キューブリックの映画監督人生は出発した途端に頓挫しそうになったのです。

26歳になったスタンリー・キューブリックは同い年のジェームス・B・ハリスと組んで、ハリス=キューブリック・プロダクションを設立しました。さらにSF三部作と言われる「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」「2001年宇宙の旅」「時計じかけのオレンジ」を発表します。

ウラジミール・ナボコフの原作「ロリータ」を映画化!

スタンリー・キューブリックは1962年にウラジミール・ナボコフの原作を元にした映画・ロリータを製作しました。脚本をウラジミール・ナボコフが担当しましたが、長すぎたため撮影すると7時間になると言われていました。結局脚本の2割しか使用せずに撮影がされて、試写会で初めてその事実をしったナボコフは不満を隠さなかったらしいです。また性描写も殆どないのも特徴になっています。

スタンリー・キューブリックはハンバード・ハンバードとロリータの持つ関係のエロティックな部分を描くことが出来なかったと発言しています。関係性の多重構造さが原作ロリータの特徴でもあり、エロティックな部分は一部でありながらロリータの世界を構成する一部であるという数奇的構造を映画では表現できなかったようです。確かに7時間分の脚本を映画化するのは重労働だったでしょう。

博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったのかは1963年に公開された映画ですが、サイエンス・フィクション映画の古典でありスタンリー・キューブリックの代表作として現在でも高い評価がされています。主演のコメディアンのピーター・セラーズはストレンジラブ博士とマンドレイク大佐とマフリー大統領と一人で三役を演じています。

2001年宇宙の旅は原作、SF作家アーサー・C・クラークとスタンリー・キューブリックの共同脚本によって作られた映画です。原作は脚本も担当したアーサー・C・クラークです。上映は1968年になります。未開の人類がモノリスという驚異の物体と出会うことで新しい進化への道を歩んでいく姿を描いています。ビジュアルが美しく、導入部にリヒャルト・シュトラウスの「ツァラトストラかく語りき」が使用されています。

上記の二作品に時計じかけのオレンジと計三部作の成功によって批評家たちから映像作家としての才能を認知されるようになります。映画製作に時間が掛かりすぎるのも特徴であり、晩年の作品、アイズ・ワイド・シャットの完成には前作フルメタル・ジャケットから12年の歳月が経過しています。

1980年にはスティーブン・キングの原作を元に映画・シャイニングを製作しました。主演はジャック・ニコルソン。小説家志望の主人公がホテルに滞在している時に事件にあう話です。この事件から一人息子にシャイニングと言われる不思議な力があることが分かるのです。子供に超能力がある話にはM・ナイト・シャマランの「シックス・センス」もあり、少年の超能力物語は幾度も繰り返されています。

1987年には映画・フルメタル・ジャケットを製作しています。ベトナム戦争をテーマにした映画であり、解説をすると同時期に製作されたオリバー・ストーンの「プラトーン」と比較をされています。ハートマン軍曹の暴力的発言や言動が過激であり、ユニークであることから、幾度かそのキャラクターはパロディ化されています。ストレンジラブ博士のような狂気のユーモアを持ったキャラクターと言えるでしょう。

1999年にはシュニッツラーの夢小説を原作にしたアイズ・ワイド・ショットを製作しています。ある性的なシーンがあったため成人映画扱いされてしまい、日本でもR-18指定にされてしまいました。主演は実際の生活でも夫婦であったニコール・キッドマンとトム・クルーズが担当しています。しかし二人は2001年には離婚をしています。この映画がもしかしたら要因の一つなのかもしれません。

「アイズ ワイド シャット」の試写会の5日後にスタンリー・キューブリック監督は死亡しています。同時期に企画をしていた「A.I.」は2001年にスティーブン・スピルバーグ監督がキューブリック監督のアイデアを元に脚本を作り、監督・製作を担当によって映画化されています。その為「原案」はスタンリー・キューブリック監督、とされています。

時計じかけのオレンジのあらすじを紹介!

この章では映画時計じかけのオレンジのあらすじをネタバレを含んで、ご紹介いたします。ナッドサット語という未来のティーンエイジャー語を駆使して作られたドルーグ(不良仲間を指すナッドサット語)の少年4人組のセックス&ウルトラヴァイオレンスの生活とアレックスの青春からスタンリー・キューブリックは時計じかけのオレンジで何を描こうとしていたのでしょうか。

アレックスという男

舞台は近未来のロンドンになります。近未来とは想像上の未来であり、イマジネーションの世界になります。原作に忠実に荒廃した世界を描かれています。その町に住む少年アレックス・デラージはクラシック音楽を好む少年でした。そうしてその中でもベートーヴェンを愛する15歳の少年です。アレックスは友人の少年4人組と共に”ドルーグ”というグループを作り、リーダーをしていました。

暴力行為に明け暮れる日々!

”ドルーグ”を解説すると、不良グループという捉え方が良いかも知れません。それ以外にも独特な言い回しが時計じかけのオレンジには頻繁に使われています。そうしてドルーグとしてコロヴァ・ミルク・バーでドラッグ入りミルク”ミルク・プラス”を飲みながら、アレックスはドルーグの基本理念である”ウルトラヴァイオレンス”を実行するための計画を立てていました。

解説です。ドルーグたちは気分が乗ってくると独特な言い回しを使います。ホラーショーという言葉がありますが、ホラーショーは恐怖の劇であり、ハムレットに登場するホレーショから来ている可能性があります。ちなみにホレーショはハムレットの友人であり、ハムレットの最後の言葉を聞く役割を充てられています。

解説になりますが、”ウルトラヴァイオレンス”とは夜の世界を無軌道な暴力行為によって成り立たせる行為であり、暴力を行うこと自体を思想化しているようなアレックスの独自の思想です。それをドルーグを通してグループ活動化していたのです。近未来のロンドンでは労働力にはなりえない老人は町中で落ちぶれてホームレス同然の生活をしているほどの荒れていたのです。

アレックス率いるドルーグはホームレスを棍棒でめった打ちにします。そうして他のグループである”ビリーボーイズ”はデボチカをフィリーしようとします。解説になりますが、デボチカとは少女を意味するナッドサット語であり、フィリーは強姦を意味する言葉になります。”ビリーボーイズ”は少女を強姦するためにかつて舞台だった廃墟につれこんで衣服を剥ぎ取りベッドに押し倒そうとします。

そこにアレックス達”ドルーグ”が登場して”ビリーボーイズ”全員を棍棒で叩いてやっつけてしまいます。これは少女を助けようとしているのではなく、ただアレックスの思想であるウルトラヴァイオレンスを実行しているだけでした。すると警察のサイレンの音が鳴り響き、アレックス達”ドルーグ”は狂喜の中、警察たちから盗んだ車で逃走をするのです。逃走の興奮がやまない”ドルーグ”連は、窃盗した車で郊外まで走り逃げていました。

アレックス達は逃走中のためか、あえて困っているふりをして、郊外に住む中年作家に助けを求めます。しかし侵入した途端、作家の妻を担ぎ上げて暴れ出すドルーグたち。アレックスは小粋にダンスを披露し「雨に唄えば」を歌いながら、夫婦に暴力を振るい続けるのです。そうして中年作家を抑つけながら、その作家の目の前で妻を輪姦するのでした。

解説になりますが、「雨に唄えば」を歌いながらダンスをするアレックスがタメた後、中年作家に躊躇なく蹴りを入れ、振り返りざまその妻をステッキで殴りつけるシーンにはユーモラスで乾いたヴァイオレンスが感じられます。アレックス達”ドルーグ”はその行為に慣れているのが演出と演技から分かるのです。楽しそうな感情が感じられ、そこに人間らしさを覚えるように演出やストーリー展開の妙が施されています。

余りにも無軌道すぎるバイオレンスな青春を過ごしているアレックスは次に、レコード店にいた女性を二人ナンパをしてセックスをします。このシーンはウィリアム・テル序曲が流れるままテキパキとシステム化されたセックスを行う演出が施されています。その作業のようなニュアンスがよりセックス自体を見るものも行うものも楽しんでいるはずなのに、演出の妙によって時計じかけのオレンジによってあらゆる出来事が自由に捉えなおされているのです。

その後、アレックスは、彼をリーダーと認めなくなった”ドルーグ”たちとひと悶着を起こしてしまいます。けれどもその夜も”ドルーグ”の仲間たちと強盗に出かけるのです。そうして、アレックスは男性器の形のオブジェで老婦人を”トルチョック”して撲殺してしまいます。この老婦人もキューブリックのイメージの世界によって、殺されても可哀想な雰囲気が感じられなくなっています。

男性器による撲殺に意味があるかというとそこにはただの暴力的な意味合いしかありません。カメラの演出によって、男性的なものを象徴しているセクシャルなオブジェという美意識と暴力が、アレックスにとって両義的なものであり、アレックスの全ての行為は暴力へと繋がる道でしかない、と観客たちは徐々に了解をしていきます。もし他のオブジェがそこにあったとしても、アレックスは容易に暴力を行った可能性があります。

アレックスが逮捕!

殺人を犯しても、逃走しようとするアレックスたちですが”ドルーグ”の仲間に裏切られてしまい、アレックスだけが警察に逮捕されてしまうのです。やはり昼間のいさかいが原因かと想像できます。しかし本当にそれが原因なのでしょうか。”ドルーグ”の彼らにとってリーダーを裏切ることも、アレックスが暴力を振るうのと同じような、当たり前の行為なのではないでしょうか。

仲間からの暴力を受けるアレックスですが、その後何度もアレックスは暴力に見舞われます。その時間も回数も非常に多く、私たちはアレックスに同情をしてしまいます。しかしアレックスは強姦をし、殺人までしている人間なのです。私たちはキューブリックの映画によってアレックスが悪でしかないことを容認していくのです。

ルドヴィコ療法

警察に捕まった跡、アレックスは懲役14年の実刑判決を下されます。あれだけの悪行をおこないながらも懲役14年とは海外の法律としては軽いと言わざるをえませんが、現代の日本からすると軽いと感じるだけかもしれません。そうして収監されて、2年が経過したとき、牧師と懇意になるぐらい優秀な模範囚をアレックスは演じていました。

実際に模範囚を演じられるぐらい知性が高いアレックスは内務大臣にキリスト教への信仰心とクラシック音楽への造詣の深さ、さらに犯罪歴から知性の高さを覚えされて、ルドヴィコ療法の被験者になる代わりに刑期を短縮させてもらえる機会を得られます。アレックスは残り12年間の獄中生活から抜け出る為、自らルドヴィコ療法に志願をするのです。

治療のため、アレックスは施設に移設されました。被験者となったアレックスは拘束着を着させられて椅子に縛り付けられたまま、瞼を開いた状態に固定されたまま、残酷描写に満たされた映像を延々と見せられます。その間、眼球に投薬をし続けることで鑑賞している映像と自らが関係があるものであるという暗示をアレックスにつけさせるのです。これこそルドヴィコ療法だったのです。

その結果、療法中に流れていたベートーヴェンの第九を聞くとアレックスは吐き気を催してしまい、倒れてしまうのでした。ベートーヴェンの第九はアレックスが好んでいた音楽だったこともあり、それは偶然だったかもしれませんし、必然だったかもしれません。時計じかけのオレンジをみている観客にとっては、その通り、必然としか言えない暴力的な合理性でした。

治療は成功しましたが、アレックスは性行為や暴力行為に及ぼうとすると、吐き気を催してしまい嫌悪感から何も出来ない人間になってしまいます。しかしそれは暴力の根源的な解決ではありませんでした。アレックスは暴力を振るわれても、全くやり返さなくなってしまったのです。政府高官や関係者たちはその姿を更生と捉えて、拍手の雨を浴びせました。

しかし、刑務所で親しかった教誨師はアレックスが行っているのは暴力からの逃避であり、暴力を拒否しているわけでは無いことを見抜いていました。アレックスのなかには暴力に対して無防備になった部分があり、その暴力に抗うことが出来ない人間として壊れた部分があるのです。これこそタイトルの人間性や自由意思を奪われた「時計じかけのオレンジ」と呼ばれる存在なのです。

時計じかけのオレンジのラストをネタバレ解説!

映画のラスト!

ラストのネタバレ解説!ルドヴィコ療法が終わり刑期を終えたアレックスは、出所した両親に会いに行きます。しかし両親はアレックスと似た風貌をした男に部屋を貸していて、あまつさえ親子同然の関係を作っていたのです。アレックスはその自分そっくりの男に自らの罪を指摘されて、両親からも冷たく扱われて、居場所を無くして家を出てしまいます。

ラストのネタバレ解説!途方にくれたアレックスはホームレスに”カッター”銭を求められます。そのままポケットから金を出して与えるアレックスでしたが、そのホームレスは実は”ドルーグ”時代にリンチをした老人でした。老人がアレックスに気付き、逆にホームレス連はアレックスをリンチすることになります。

ラストのネタバレ解説!アレックスはその暴力を受け入れました。アレックスにとって暴力による反撃による嘔吐感や嫌悪感よりも、暴力を受け続ける方がまだ暴力に対して、楽な逃げ方だったのです。そこに警察官になった、かつての”グルード”仲間が駆け付けます。そうしてアレックスを郊外につれていった警察官たちも、やはりアレックスに暴力を振るうのです。

ラストのネタバレ解説!暴力を振るわれ続けたアレックスは冷たい雨のなか彷徨いました。そうして益体なく自分がかつて襲った中年作家に救いの手を求めるのです。すると筋肉質の男がアレックスを抱えて家の中に入れてくれます。かれは作家の世話をしているハウスキーパーでした。中年作家は車いすの生活を送っていました。それはアレックスのかつての暴行の結果でした。また夫人は自殺をしていました。

ラストのネタバレ解説!アレックスがルドヴィコ療法を受けていたことは新聞報道によって知られており、彼はある意味有名人になっていました。自らがかつて受けた犯罪による傷をアレックスを利用して政府に訴えようとする中年作家。しかし呑気に風呂でアレックスが「雨に唄えば」を歌っていると、中年作家はその歌声からアレックスがかつて自分に暴力をふるった少年であることに気付くのです。

ラストのネタバレ解説!その歌声に憎悪を覚える中年作家。アレックスと話をしながら治療の詳細な質問に答えます。「ベートーヴェンの第九を聴くと死にたくなる。」という話をしたところでアレックスは意識を失ってしまいます。ワインに薬物を入れられていたからです。意識を取り戻したアレックスは自分が監禁されていることに気付きます。そこには大音量の「第九」が流れていました。

ラストのネタバレ解説!アレックスは嘔吐を覚えました。自殺をしようと思い、窓から飛び降りました。暴力に対する拒否反応を植え付けられたアレックスでしたが、実はアレックスは自殺さえもできませんでした。メディアを利用してアレックスを自殺に追い込もうとした中年作家の目論見は儚くも叶いませんでした。

ラストのネタバレ解説!自殺しそこなったアレックスは目覚めました。ギプスと包帯姿で病院のベッドに横たわりながら、精神科医と問答を繰り返したアレックスは自分の中に性行為や暴力行為への抵抗が失われていることに気付きました。大音量の「第九」が流れる中アレックスは頭の中でセックスシーンを思い描きながら恍惚とした表情を浮かべます。その顔はアレックスにとって非常に正常に邪悪な顔でした。

原作だけにしかない伝説のラスト!

ラストのネタバレ解説!映画版ではアレックスが暴力性を取り戻すことで終わりを迎えますが、アントニー・バージェスの原作には二パターンあったのです。それは映画と同じように暴力性を取り戻したところまでです。この部分は小説では第20章(3部第6章)までになります。イギリスからアメリカに送られたのは20章までの「時計仕掛けのオレンジ」だったのです。

ラストのネタバレ解説!しかし実際にイギリスで出版されたのは、正常に治ったアレックスが新しい仲間と共に街に戻ってきて、昔みたいな破壊衝動はなくなり、代わりに落ち着いて家庭を作ることを目指すための相手を探す内容でした。スタンリー・キューブリックはアメリカで出版された原作を読んで1969年末に映画化を決定したそうです。つまり初めから意図をもって21章を省いてはいないのです。

ラストのネタバレ解説!アメリカで出版された原作のラストを読んで、ラストが他の部分との違和感があることが感じられたスタンリー・キューブリックはあえて21章を映画原作としては省きました。そして作り上げられた映画はセックスとヴァイオレンスに彩られた悪夢のような終わり方を見せた映画でした。アントニー・バージェス夫妻は映画時計じかけのオレンジの試写会に紹介されましたが不快な描写が多く退席しようとしました。

ラストのネタバレ解説!さらに映画のヴァイオレンスを模した犯罪や暴力事件が映画・時計じかけのオレンジの影響ではないか、とマスコミ連が騒ぎ始めたのでした。初めはアントニー・バージェスも映画も文学も原罪には責任を持たない、と主張をしていました(この時シェイクスピアのハムレットを例にだしています)が、様々な団体が圧力を加えてきて、ありとあらゆる脅迫がキューブリックの元に届き始めたのです。

ラストのネタバレ解説!それは当時はまだ10代だった三人の娘にも矛先が向けられていました。実は当時長女は時計じかけのオレンジにエキストラで出演をしていたのです。このような事実からキューブリックは1974年にイギリスでの配給停止をワーナーに申し出ました。それからスタンリー・キューブリックの死後、2003年までイギリス国内での上映は禁止されています。

ラストのネタバレ解説!、この二つの小説を元に物語を作り上げた作品に、ビブリア古書店の事件手帖があります。二つのラストという古書の世界ならではの、トリビアのようなテーマを取り上げることで本マニアの心理を掬いい上げている小説ですが、古書の世界でもカルト的人気のある小説を取り上げているため、時計仕掛けのオレンジも俎上に載ったようです。

伝説のカルト映画の時計じかけのオレンジの魅力とは?

世界観!

時計仕掛けのオレンジの魅力の一つの世界観があります。近未来のロンドンが舞台になっていますが、その舞台には独特の奇抜なファッションが性をあからさまに連想させるものがオブジェとして配置されているのです。このショッキングなイメージによって、性が象徴化されているというよりもファッションとして捉えられているのが分かります。

スタンリー・キューブリックが性や暴力を邪悪なものとして捉えているのが、この世界を構成しているオブジェの過剰さで逆に認識できます。それは暴力的なものに嫌悪感を持ったアレックスはホームレスやかつてのドルーグ仲間から袋叩きにされるのです。彼らはみな、過去のアレックスの行為を論い復讐をしています。

暴力を振るうことに関して小説・時計仕掛けのオレンジと映画・時計じかけのオレンジの違いが分かります。映像化された表現はあたかも現実にありえるものだと捉えられがちです。小説の中にしか存在しなかったウルトラヴァイオレンスの世界が映像化したとき、まるでアレックスのような立ち振る舞いこそがウルトラヴァイオレンスの見本であり、手本だと誤解してしまいそうな映像のマジックが存在するのです。

暴力性!

暴力がファッショナブルに描かれているのも特徴です。アレックスは「雨に唄えば」(この曲はエンディングにも使われています)を陽気に唄いながら、自分を助けてくれようとした中年作家を殴りつけます。アレックスは陽気であり装っています。主人公のアレックスは右目だけ睫毛を長くするという奇抜なファッションも装いであり、暴力をファッションとして捉えていることを象徴するデザインです。

また矯正施設に入ったアレックスが自分の好きな第九を聴くことが吐き気を催して、死にたくなるというのも、他者によってひどい暴力行為によって自分自身の内面が変更される良い例です。アレックスが何故暴力を振るうのか、それはアレックスが暴力を好むからです。その暴力こそアレックスであることが最後の病気が治ることで証明されるのです。アレックスは他者の暴力を克服したのです。そこには風刺的なニュアンスが存在します。

1971年当時、荒廃した未来しか思い描けなかったスタンリー・キューブリックの描いた映画・時計じかけのオレンジの世界観はその後イギリスでのパンク・ムーブメントへの強い影響を与えました。あらゆる行動(ファッション・言動・音楽)等が全て、当時のイギリスへの風刺でしかなかったセックスピストルズの立ち振る舞いは、スタンリー・キューブリックの描いたドルーグの強い影響がなければありえなかった存在です。

時計じかけのオレンジのキャスト一覧!

マルコム・マクダウェル(アレックス役)

アレックス役のマルコム・マクダウェルは1943年6月13日に誕生したイギリスの俳優です。ケン・ローチ監督の「夜空に星のあるように」で映画デビューをしています。1968年にはリンゼイ・アンダーソンの「If もしも……」に主演で出演しています。同映画は、第22回カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞しています。2012年にはハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム入りを果たしています。

パトリック・マギー(ミスター・フランク役)

パトリック・マギーは1922年3月31日生まれの北アイルランドの俳優です。1964年にはロイヤル・シェイクスピア・カンパニーに加入をしています。1966年には「マルキ・ド・サドの演出のもとにシャラントン精神病院患者たちによって演じられたジャン=ポール・マラーの迫害と暗殺」で第20回トニー賞演劇助演男優賞を受賞しています。1982年8月14日に心筋梗塞で亡くなっています。60歳でした。

時計じかけのオレンジの感想や評価を紹介!

映画・時計じかけのオレンジのテーマは日本人にはイマイチピンとこないところがあるそうです。それは聖書など西洋人だからこそテーマとなりえる自由意志や善悪の選択が大きな主題になっているからです。感想や評価を乗せることで、キューブリックが何を描こうとしたの考えていきます。

好評の感想

好評な感想の一つに、映像の美しさがあります。構図などのこだわりが強く、性的なオブジェ化に関しても荒廃した未来を肯定しているわけでもなく、奇妙な頽廃的なムードを作り出していることに成功しています。現在から見ると、荒廃した近未来の確固としたイメージの元になったのが映画・時計じかけのオレンジの功罪とも言えるでしょう。

荒廃した未来のイメージは日本の芥川賞作家、村上龍の「コインロッカー・ベイビーズ」に継承されています。1980年に出版されたこの小説は現代における荒廃した近未来を小説においてイメージ化することに成功しています。アントニー・バージェスの暴力性とはまた別に、三人の主人公によって近未来を生き抜く純粋な若者の姿が描かれています。

不評の感想

不評の感想には、時計じかけのオレンジのテーマが日本人には分かりにくいところがあったようです。前述したとおり、スタンリー・キューブリック監督は本作のテーマを自由意志の問題と関係がある、と言っています。そうしてもし善悪の選択が出来なくなってしまえば、私たちは人間性を失ってしまうのではないだろうか、タイトル通り時計じかけのオレンジになってしまうのではないか、とも語っているのです。

時計じかけのオレンジのテーマとは

時計じかけのオレンジのテーマは「自由意志」らしいのですが、このテーマはキリスト教における神に関する命題と関係があるそうです。その命題とは神が人間にその運命を選択する機会を与えたとするならば、という命題です。これは神が選択をする機会を与えることが可能なら、誰もが神と同意識をもって善悪を選択する機会を持つことが可能になることを示唆しています。

もしそれが可能なら、人間は人間らしさを失い、まるで神のように自分自身の運命を決めることが出来てしまいます。それこそ時計じかけのオレンジのように。ただ、神が存在することが自明の理になるのなら、その神が人間全ての善行全て見ていることになり、全ての人類はいつか救済されることになります。

もし救済されなければ、神は人間に選択の自由(自由意志)を与えていないことになります。この聖書における矛盾点を時計じかけのオレンジは、悪である人間(主人公のアレックス)が自由意志を奪われて悪を為し得なくなった後、自由意志を取り戻すことで、人間自体を聖書による人間概念ではなく、人間らしさの回復こそが自由意志の価値である、と読み解けるのです。

聖書が神による書物ではなく、あくまで人間が神の教えを知るために記された書物であることが、聖書の本質のようです。この本質こそ聖書の成り立ちであり、悪としての人間という存在を肯定しているのです。時計じかけのオレンジが非常に論理的であり説明的であり輪郭がはっきりした映像であるのはキューブリックの完璧主義だけの寄らず、その為なのです。

時計じかけのオレンジの魅力やラストまとめ!

今回は時計じかけのオレンジのあらすじからネタバレを含めて魅力やラストをまとめました。この映画には悪を為す人間の原罪がテーマになっています。その解決として自由意志の肯定にまでたどり着いているのがこの映画の魅力になっています。またハリウッド的色使いや性的イメージのオブジェを多用することで荒廃した近未来のイメージを作り出しています。

いつかこの映画内のような未来が私たちの生活にもありえるのでしょうか。上映されてから50年程経過しようとしていますが、いまだ時計じかけのオレンジがイメージした近未来にはたどり着いていないようです。近未来はいつまでたっても近未来であり「もしも」の世界でしかないのでしょうか。老人が労働力として意味がないと言われる未来も、その老人がホームレスになる未来も誰も見たくはないでしょう。

この映画の魅力は悪を笑い飛ばそうとしているユーモラスな部分にもあり、一方人間にはアレックス程ではないにせよ、悪びれるところが誰にでもあることが分かります。未だに議論を尽くされていないこの名作をぜひ一度ならず幾度か見ることをお勧めします。考えながら見るのが良いです。あまり悪い影響を受けすぎないように。

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