2018年08月27日公開
2018年08月27日更新
映画ピーチガールのあらすじ・結末をネタバレ!原作漫画の最終回との違いは?
2017年に上映された少女漫画原作の恋愛映画「ピーチガール」のあらすじをネタバレを含んで結末までご紹介致します。上田美和原作である少女漫画「ピーチガール」の最終回の違いについても考察をしていきます。ギャルだけどピュアな安達ももや、かわいいけど悪魔の沙絵など、○○だけど○○な永遠の「本当の自分探し」を約2時間の上映時間に詰め込んだスーパー・ハイテンション・バイ・マイセルフ・ラブコメディ「ピーチガール」の面白さをネタバレさせて頂きます!
目次
映画ピーチガールのあらすじや原作との違いをネタバレ紹介!
映画ピーチガールは見た目はガングロギャルにしか見えないのに中身はとてもピュアな女子高生、安達ももが恋愛と妄想の狭間で女子たちとの攻防をしながら、何故か真実の愛にたどり着かなかったり着いたりする、ハイテンションラブコメディです。この映画の登場人物は基本的に性格が破綻しているのと評判なので、深く考えながら見るのはひかえた方が良いかも知れません。
ピーチガールとは?
ピーチガールとは2017年に上映された恋愛喜劇映画です。原作は1997年から2004年まで講談社の『別冊フレンド』で連載をされた少女漫画です。1999年には第23回講談社漫画賞少女部門を受賞しています。2004年からはピーチガールのスピンオフ「裏ピーチガール」が連載されましたが、2005年には作者体調不良のため、連載は休止しています。さらに2006年からは「ピーチガールNEXT」が新らしく連載されています。
2001年には台湾で「蜜桃女核 ~Peach Girl~」(邦題「蜜桃女核 ~ピーチガール~」)が製作・放映されました。さらに2006年では日本でも放映されています。2005年には日本国内でテレビアニメ化もされていて、テレビ東京とテレビ東京系列局で放映されました。そうして本作ピーチガールが2016年に映画の製作が発表、2017年には上映されましたのです。
映画ピーチガールの出演キャストを紹介
この章では映画ピーチガールに出演したキャストを紹介します。この映画には現在活躍している才能ある若手俳優が出演しています。柏木沙絵を演じた永野芽郁は2018年の朝のドラマ「半分、青い」では障害を持つ漫画家を演じて注目を浴びました。また真剣佑も出演していることで話題になりました。
主人公の安達ももを演じるのは山本美月
安達ももを演じる山本美月は1991年7月18日生まれの日本のファッションモデルで女優です。2009年の時、高校三年生だった山本美月は「東京スーパーモデルコンテスト」の初代優勝者としてデビューをします。吉田八大監督の映画「桐島、部活やめるってよ」で映画デビュー。福田雄一監督の「女子ーズ」では女子だけで構成された戦隊、女子ーズのネイビー担当をした紺野財閥の令嬢、紺野すみれを好演しています。
岡安浬(カイリ)を演じるのは伊野尾慧(Hey! Say! JUMP)
岡安浬(カイリ)を演じる伊野尾慧は1990年6月22日生まれの日本のタレントであり、歌手、俳優、男性アイドルグループHey!Say!JUMPのメンバーです。埼玉県入間市出身のジャニーズ事務所所属のタレントです。2001年に10歳でジャニーズ事務所に入所して2007年にはHey!Say!JUMPのメンバーに選ばれます。2017年の映画ピーチガールが映画初出演でした。
東寺ヶ森一矢(とーじ)を演じるのは真剣祐
東寺ヶ森一矢(とーじ)を演じた真剣佑は1996年11月16日生まれのアメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス出身の俳優です。父は千葉真一で異母姉に真瀬樹里がいます。映画デビューは「アストロ球団」です。その後2016年と2018年の「ちはやふる」で主人公ちはやの幼馴染、綿谷新役を、2017年のジョジョの奇妙な冒険 ダイアモンドは砕けない 第一章では虹村兄弟の弟、虹村億奏を演じています。
柏木沙絵を演じるのは永野芽郁
柏木沙絵を演じた永野芽郁は1999年9月24日生まれの日本の女優・ファッションモデルになります。小学三年生の時2009年の映画「ハード・リベンジ、ミリー・ブラディ・バトル」に子役としてデビュー。2018年にはNHK連続テレビ小説「半分、青い。」で幼少期に左耳を失聴した主人公を演じました。その際、永野芽郁は耳栓をつけたり、当事者から話を聞くなど、入念に約作りをしたそうです。
安芸操を演じるのは本仮屋ユイカ
出典: https://eiga.com
安芸操を演じた本仮屋ユイカは1987年9月8日生まれの日本の女優です。2004年の「スウィングガールズ」で関口香織を演じて話題を呼び、2005年には連続テレビ小説「ファイト」で主演を果たしました。映画では2008年に「相棒ー劇場版ー絶対絶命!42.195km 東京ビッグシティマラソン」にも出演をしています。
岡安崇史を演じるのは升毅
岡安崇史を演じた升毅は1955年12月9日は日本の俳優です。1991年から劇団MOTHERの主催をして2002年の解散まで主催と座長を務めました。1995年にはテレビドラマ「佐粧妙子・最後の事件」で猟奇的な演技を披露して知名度が上がります。2017年には「八重子のハミング」で映画初出演を果たします。娘は劇団「黒色奇譚カナリア派」に所属する女優の升ノゾミです。
安達桜子を演じるのは菊池桃子
安達桜子を演じた菊池桃子は1968年5月4日生まれの日本の女優・歌手です。80年代を代表するアイドルでもあり、2012年法政大学院政策創造研究科で雇用問題を取り上げ修士号を取得しています。1988年にはバンド、ラ・ムーのボーカルを務めていました。第二子を死産していることを告白しています。
映画ピーチガールのあらすじをネタバレ!
この章では映画ピーチガールのあらすじをネタバレを加えて紹介をいたします。見た目はギャルだけど中身はピュアな安達ももの高校生活にとても短いスパンで巻き起こるハプニングに次ぐハプニング。見ていてつい笑ってしまうラブコメディになっています。
ももはある日カイリにキスされてしまう!
ネタバレ!安達ももは見た目はギャルだけど、中身はピュアな女子高校生です。という真実を誰が見ても信用しない程、孤独な学生生活を送っています。そんな中で、愛するとーじ(東寺ヶ森一矢)がももを慮って発言した言葉だけで心が昇天してしまいそうなほどのピュアな安達ももでしたが、実は安達ももを狙っている学園一のモテ男、岡安浬(カイリ)にいきなりキスをされてしまうのです!
【ネタバレ!】その理由はカイリの思い違いからだった
ネタバレ!当然身に覚えのない安達ももは誤解を解こうと奮闘します。すると本当に誤解であることが分かるのです。実は、海辺で溺れていたカイリを助けようとして人工呼吸をしてくれた相手が安達ももだと思っていたのです。自らの命を助けてくれた相手だから恋におちたのか、それとも人工呼吸がファーストキスだったから、という吊り橋効果的に心が揺れたのでしょうか。
【ネタバレ!】ももはとーじにカイリとの仲を誤解されてしまう
ネタバレ!当然、キスをされてしまえば(実際は安達ももがカイリに人工呼吸をしただけだったのですが。しかもそれも思い違い)既成事実が出来上がり、自分の事を好きだと思っていたとーじは面白くありません。ここで三角関係が生まれます。ずっと思いを寄せていたとーじか、それとも突然現れた学年一のモテ男か、どうする安達ももよ!
【ネタバレ!】その誤解の大元を作ったのは柏木沙絵だった
ネタバレ!しかし、そんな誤解も誤解、大誤解の大元を作ったのは親友だと思っていた柏木沙絵でした。柏木沙絵は実は小悪魔女子であり、欲しいものは手に入れないと気が済まないたちだったのです。自分の罪がバレてしまった柏木沙絵でしたが、そんな柏木沙絵をいまだ親友だとして信用する安達もも。それでいいのか、安達ももよ!
【ネタバレ!】とーじと付き合うことになるもも
出典: https://eiga.com
ネタバレ!けっきょくなんやかんやでとーじと付き合うことになった安達もも。このなんやかんやの部分は実際に映画をご覧になってください。とーじとの蜜月は長く続くかと思われました。二人とも映画の中とはいえとても幸せそうに描かれています。「ピュアかよ」とピーチガールを実際に見てTwitterに呟いた観客は一体どのくらいいたでしょうか。
【ネタバレ!】またもや誤解を作る柏木沙絵
ネタバレ!もはやとーじに愛されたいというよりも、ももを貶めたい気持ちが先走る沙絵。今度は沙絵はももが実は手籠めにされたかのように思わせたのです。さすがのももも傷つきます。けれども沙絵はなんとも思いません。むしろ当たり前の事実のように二枚舌がペラペラと回り出すのです。
【ネタバレ!】とーじはももを振ってしまう
ネタバレ!けっきょくとーじはももを振ってしまいます。よく考えるとこれだけ事件を起こす一種のトラブルメーカーを守る力が自分にはないと判断をしたのかもしれません。傷心の中のもも。安達ももは元々誤解をされやすいたちでもあり、噂は噂をよび、その悪い噂はもものピュアなこころをさらに傷つけるのです。
【ネタバレ!】カイリと安達ももは付き合いだす
ネタバレ!するとなんということでしょう。振られたはずのカイリはまだももの事を思っていたのです。彼女の為にスペシャルなデートを計らうカイリ。最後のももの花が登場しますが、このももの花は3年後に咲くもの。騙されなかったももは賢いと感じたファンもいるでしょう。しかしその事さえも相手を思っての行為だったなんて少女漫画の王道を行く展開です。
【ネタバレ!】カイリは実は努力家だった
ネタバレ!カイリと付き合いだしたももは実はカイリが複雑な家庭を持っていることをしります。大富豪の次男坊であり長男は事業をしているそうです。ただお金が無くて困っているというのも事実だそうです。カイリには夢がありました。それはケーキ職人になることだったのです。親には頼らず職人の道を歩もうとするカイリはイケメンと評判です。
【ネタバレ!】柏木沙絵は心の内を岡安涼に吐き出す
出典: https://ciatr.jp
ネタバレ!モデルをしながらももに嫉妬の炎を燃やしている沙絵は岡安涼とであい、セレブリティの人生に助けを求めるのです。いつか王子様がとは思えない程、あらゆる手を使った欲望を満たしてきた沙絵やカイリの兄を好きになってしまうのです。そのままの自分を受け入れてくれた岡安涼に思いを寄せるようになるのでした。
【ネタバレ!】岡安涼は柏木沙絵を騙していた
ネタバレ!沙絵は普段より援助交際をしていました。それは自らの嫉妬心を覆い隠すための、空虚な行為でした。しかし岡安涼も沙絵を騙して、自分に資金を回してくれる男に沙絵を売り飛ばそうとしていたのでした。強い悲しみを得た沙絵ですが、実際沙絵が何を考えているかまではわかりません。映画ピーチガールの特徴は主人公以外のキャラが内面で何を考えているのか分からないよう描かれているからです。
【ネタバレ!】カイリは安芸操が好きだった
ネタバレ!ピュアなももにはカイリが何をかんがえているのか分かりませんでしたが、カイリが今でも安芸操に惹かれていると考えていました。しかしカイリは今の自分の心を打ち明けます。しかしももはそんな当たり前の事実にも気付きません。自分の気持ちだけで世界が出来上がっているももには、沙絵の邪悪さもカイリの二面性を理解出来ないのです。こうして半径5mで生きていたももの世界が揺るがされる出来事が続きます。
【ネタバレ!】ももは二人とも振ってしまう
ネタバレ!結局、カイリととーじともそろってももは振ってしまいます。何故ってももがピュアだからです。物事を損得で考えない性格であり自分の気持ちに正直だからこそ、沙絵のような計算高い女が、ももを利用しようとして近づいてくるのでしょう。しかし沙絵でさえ、ももの力によって毒気が抜けてしまう様でした。ももの気持ちは何処へ向かうのでしょうか。
【ネタバレ!】岡安涼に騙されていたことを沙絵は知る
ネタバレ!柏木沙絵は自分が岡安涼に騙されていたという現実を受け入れられずに入院をしてしまいます。安達ももはカイリに頼んで、岡安涼の悪事を暴かせようとします。しかし父もカイリの言葉を受け入れません。そこで安達ももはカイリの代わりに、何故カイリがパティシエになろうとしていたのかを訴えるのです。それはかつて、父が褒めたのがカイリのケーキを食べたときだったからです。
【ネタバレ!】カイリは家族のためパティシエの修業をしていた
ネタバレ!実はカイリは父と兄の食後のケーキを作っていたのでした。そのケーキこそカイリの思いだったのです。母の事を思い出した父は、カイリの言葉に耳を傾けるようになります。そうして父と兄は去っていきます。カイリはその場で座り込み、安達ももに謝ります。それは安芸操に兄の行動を相談されていたからです。カイリは自分な行動が安達ももを心配させたことで泣いてしまうのです。
【ネタバレ!】柏木沙絵の気持ちと安達ももの気持ち
出典: https://eiga.com
変わらない現実を思い、自分の気持ちを伝える安達ももでしたが、柏木沙絵は自らの欲望を「汚い手」とより汚い言葉で傷つけます。そうして気付かなすぎる安達ももに自分がいままでとーじを手に入れるため、何をやってきたか、安達ももに自白をするのです。さらに挑発する柏木沙絵。安達ももはその場を離れます。そうして安達ももは、カイリに「幸せになって」と別れを切り出します。
【ネタバレ!】安達ももの母の言葉
結末!家に戻ってくると母が安達ももに話しかけます。「人を好きになるということは相手を幸せにしたいという気持ち」であること。裏切られることもあるけれどもそれが本物であるということを。カイリは安芸操に告白をして、兄のことを忘れることを薦めます。すると安芸操は恋愛の達人のごとき、次はもっと好きな人を探すと言って、カイリの前から去ります。
ピーチ・スマイル
結末!そんな傷心のももの前にカイリがジュニア部門でグランプリを受賞したピーチ・スマイルという名前のお菓子が。それを見て安達ももはかつての、カイリの言葉が甦ります。安達ももはカイリのもとにいこうとしますが、とーじは安達ももに告白をします。そうして安達ももが笑顔であることを求めているので、カイリの所に行くことを薦めてしまうのです。
始まりとは
最終回の結末!カイリは何故か海に飛び込んでいました。安達ももの人工呼吸で息を吹き返すカイリ。そうして何故か安達ももは本当の気持ちに気付いてしまいます。カイリを幸せにするという決意をします。カイリも幸せになり、最後にLINEスタンプのようなケーキを作ることを薦めます。しかしそのスタンプは誰が送ったのか?謎のまま物語はフェイドアウトへ。
映画ピーチガールの結末はどうなった?
LINEスタンプを送ったのは柏木沙絵だった
最終回の結末!実はケーキのLINEスタンプを送ったのは柏木沙絵でした。柏木沙絵からのささやかな贈り物だったのです。2年後フランス留学から戻ってくるカイリを出迎える安達もも。そこにはとーじと柏木沙絵の姿もありました。そうして桃の種を植えた花壇には桃の花が見事に咲いているのでした。
映画ピーチガールと原作の最終回は違う?
原作漫画の最終回のあらすじ
最終回の結末!原作漫画は残念ながら未読の状態ですが、まず18巻まで続いていることから長い年月、安達ももはとーじとカイリの間を行ったり来たりしていたのだろうな、という物語構造に気が付きます。そうしてライバルであるはずの柏木沙絵は結局、とーじにほぼ永遠に相手にされない片思いを続けていくのです。主人公が実はピュアであるという前提で物語が続いている為気付くのが遅いのが特徴です。
最終回の結末!この漫画の特徴は時代背景も大きく関係します。ガングロギャルという言葉がまだ通用していた時代だったのです。ガングルギャルという言い回しは90年代から生まれた言葉であり、その後ギャルという意味だけが残り、高校生はJKとさらに記号化していくことになります。「ガングロギャル」が「遊んでいる」イメージがあるというのは「JK」が「遊んでいる」イメージがついているのと同じようなものです。
恋愛脳としての少女漫画
最終回の結末!人は昔からイメージである程度人を図るものであり、見た目をコントロール出来ないからこそ心が大事にされてきたのです。見た目で人を判断できるのはある程度の若々しさが必要であり、自分の体力がそれに伴うものであるということになります。恋愛脳の物語構造はシンプルではなく多重構造になっていますが、まず恋愛が出来る状況が説得力を持つのが特徴になります。
最終回の結末!少女漫画の場合、一部の文学性の高い漫画以外は、そのマテリアル自体が価値を持ち、恋愛自体が高い価値をもつことにすり替わっていくのです。「花より団子」も同じように人間の内面がいくつかありながら多重構造を持ち得ず最高の価値のある恋愛の部分だけが、心理的に大きな声で他の感受性を排除してしまっているのです。
最終回の結末!今まで主人公の役割をしてきたはずの柏木沙絵のような明らかに多重構造の心理を持った女性が「小悪魔系」というカテゴリーで捉えられることこそ、少女漫画のある意味衰退とも言え、一方で成熟ともいえるのかもしれません。若い読者は「ガングロギャル」は知らねど、自分たちが「JK」であるのは知っているだろうし、記号性を持ちえるからこそ、物語はある一定の読者を獲得できるのでしょう。
映画ピーチガールと原作を見比べてみよう
最終回の結末と考察!さて映画のピーチガールの場合は、5分に一回の割合でカットアップ的に物語が進行していくので、主人公である安達ももや親友の柏木沙絵の顔がその人間の絶妙さを表現することに成功しています。安達ももがカイリを見つめながら「ちゃれえなぁ」という時、少しづつ口を歪めて話します。何故安達ももは顔をこれ程ゆがめるのでしょうか。まだ怒りに囚われたとき、柏木沙絵は白目をむくという特徴を持っています。
この二つの現象は口の歪みや白目は少女漫画独特な「私怨」の表現になります。少女漫画の場合、記号性とキャラクター性が一致している場合があり、漫画のキャラクター的に女性が装う場合があります。それはある種の擬態であり、自分の本質さえも装うことが10代の女性が持ち得ているということになります。
その擬態は「ガングロギャル」だけど「ピュア」だったり「可愛い」けど「悪魔」だったりして内面もキャラ化しています。
映画ピーチガールのキャラクター化
最終回の結末と考察!その後、キャラ化され表面に現れた口の歪みや白目をむくなどの行為は、かつての自分のトラウマだったことが分かります。それは本当の自分が受け入れられなかったことから生まれたトラウマです。その症状を和らげて最終的に治癒させてくれるのが、ピーチガールの場合、恋愛相手なのです。安達ももは相手がいるだけで幸せな女性ですが、柏木沙絵は手に入らないと気に入らないまで症状が悪化しています。
最終回の結末と考察!その結果、自分の性を売るという形でしか自己実現を図れなくなってしまいます。援助交際は彼女の神経症の一症状であり、安達ももには何故そのような事をするのか理解出来ません。安達ももはピュアでありながら選ぶという欲望的行為からは一番遠い場所にいるからです(そうでなければいつまでも「ガングロギャル」と周囲に謗られて自分を保っていられるとは思えません)。
ただ、柏木沙絵は自分が性の対象として売りに出していることに無自覚になっています。その無自覚さは結局自傷行為にまで到達します。性を売る(いわゆる援助交際)に対して無自覚だったのではなく、その行為が本当はどういう行為であるか、という真実について無自覚なのが柏木沙絵なのです。
サブキャラクターと言えますが、何故援助交際がサブ性を持ち得るかについて、それは「ガングロギャル」との対象から考えられます。
映画ピーチガールにおける友情構造
最終回の結末と考察!柏木沙絵は明らかに安達ももの見た目に惹かれて、友達になったことは、この二人の友情が殆ど安達ももの力によって成り立っていることからでも分かるでしょう。つまり柏木沙絵の内面は「ガングロギャル」であり、その自己像を安達ももの外面に求めていたのです。柏木沙絵の思った通りの内面を安達ももは持ってはおらず、柏木沙絵はむしろ自分が欲望の塊であることに自覚的になっていきます。
最終回の結末と考察!安達ももの内面にブレが無いのは何故でしょうか。それは一言が書くと確信があるからです。その確信の正体こそピーチガールという物語の主題になっています。安達ももは最後にとーじとカイリの二人の男性から求愛を受け、どちらを選ぶか、という選択に迫られています。しかし安達ももにとって選択は既に済んでいて、それはとーじとの幸せだったのです。そのピュアさが安達ももでありピーチガールなのです。
安達ももの世界が広がることが映画ピーチガールのテーマ
最終回の結末と考察!安達ももの世界は初め、とーじしかいませんでした。しかしその後、柏木沙絵と出会い、カイリと出会います。少しづつ世界が広がっていく中、安達ももは自分が選択せずとも初めから彼らと出会っているのです。しかしカイリとの出会いこそ安達ももの試練になるのは、恋人は一人しか選べない、という不文律が少女漫画の物語には存在するからです。この物語に反するとキャラクターがサブ化してしまいます。
最終回の結末と考察!映画ピーチガールの後半になると、安達ももの口の歪みが見えなくなっていきます。柏木沙絵の症状も収まっていきます。それぞれの前半のハイテンションは恋に至る病だった可能性もあり、その内面のスピードが周囲の時間とだんだんマッチしていく過程が描かれているようです。その時間とは90年代後半から27年を約1時間の映像でカットアップ的に描き切るスピードでした。
最終回の結末と考察!前半のハイテンションと比べて後半のピーチガールは何故か前半のテンションに対してのツッコミのようなニュアンスが漂っています。その結果、柏木沙絵の生き方に対するダメ出しのようにも見えてしまうのです。何故か学校という閉鎖的世界では、人間自体の価値に高低をつくることが肯定されています。それは彼女たち自体がそのようなキャラクターを演じているという自意識を持っているからです。
映画ピーチガールにおける高校生の社会学1
最終回の結末と考察!演じ続けた結果、擬態していたはずの外面が内面化して性を売り物にまでしてしまう。これは人間の心の中に潜む嘘や嫉妬という化け物が容易に人間の人生を破壊することを指しています。少なくとも柏木沙絵は安達ももに、人生の間違いを指摘されます。すると柏木沙絵は自らを肯定するしかなくなります。このピュアさこそが安達ももの魅力であり行動力のもとになるのです。
計算高い柏木沙絵とピュアな行動をする安達もも。二人は一見正反対に見えますが、同じように考えて行動するタイプになります。ただ欲望的であり嫉妬深い柏木沙絵が手に入れられるのは、いくら行動しようとも手に入るのは嫉妬であり欲望でしかありません。これは柏木沙絵が孤独と言うものに慣れていない人間であり外面的な自分しか興味がないことからも分かります。
自殺か事故か、病院に入院するようになった柏木沙絵は、自分を見つめなおす時間を与えられました。その時最後のシーンのケーキのLINEスタンプを送信するというアクションをします。この行動は何故か安達ももの背中を後押しするのですが、それは柏木沙絵は自分が考える力を持っている人間であるという現実をその場で知ることになるからです。三角関係の外側にしか居場所がない自分を知るからこそのアクションだったのです。
映画ピーチガールにおける高校生の社会学2
とすると映画ピーチガールにおけるピュアネスとは何処に根差すのでしょうか。何故外見がギャルである安達ももがピュアな内面を持ち得なければならなかったのか。それは1997年当時、ガングロギャルという名称だけが独り歩きした状況に対する漫画なりのレジスタンス(抵抗)だったと思われます。その抵抗をすることは漫画におけるキャラクターに対する反抗を作家自身が行ったということになります。
物語の中だけで起こりえる奇跡こそピーチガールの奇跡であり、それは関係性の中に存在する物語の回復を求めていたのです。逆に考えるとそれだけ、少女漫画内の少女たちは傷ついていたことが分かります。では何に傷ついていたのでしょうか。それはキャラクターであることです。キャラクターありきであるため内面の存在を証明する為行動しなければならない矛盾。
矛盾とは外面と内面の差であり、その対象化こそピーチガールにおける安達ももであり、安達ももが主役としての役割を果たしているのは、外面と内面の差にこそ”本当の内面”が存在することこそ対象化された安達ももになります。自身が何処かの対象化されタグ付けされたキャラクター以前の見本市でしかない自分こそ安達ももの悲劇であり、それこそ「ちゃれえなぁ~」という時の口の歪みに現れているのです。
映画ピーチガールにおける高校生の社会学3
口の歪みにはある礼儀正しさを無くした行為でありますが、その内容は「ちゃれえなぁ~」でありカイリを指した言葉になります。何故学園一のモテ男をチャラいの一言で片付けられるほど、安達ももの心は既に整っていることが分かります。とーじの事を心で思っているだけで幸せなのです。とすると外見の「ガングロギャル」は実際、安達ももの本質とは一切関係がないことが分かります。
漫画の中では意味があった外見で判断されることに関する問題が、映画ピーチガールでは既に消失しています。何故消失しているのでしょうか。それは漫画ピーチガールの持っていた関係性の閉じ方が現代において非常にリアリティーのある関係性の持ち方であることを皆が知ってしまったのです。その少女漫画的関係性というよりも漫画=ヤンキー的関係性の持ち方のリアリティーこそピーチガールの関係性になるのです。
では見た目のガングロギャルは実際にお洒落でしかなく、学校というある種のカースト制度の中では低い立場の人間であると捉えられます。それは「あばずれ」であり同級生には「ビッチ」と言われ「遊んでいそう」と謗られる人間こそ、ガングロギャルなのです。そのような見た目を持っているのが安達ももなのですが、実は高い立場の人間であるのが安達ももの本質であるのです。
映画ピーチガールは登場人物が自らの人生と取り戻す作品だった
安達ももがピュアであるのは、自分の外見に本気で傷ついているからです。自分がとーじには相応しくない外見であることに本気で悩んでいるからこそピュアであり、自分の見た目が自分の内面や本当の自分とはかけ離れて低いということを本気で悩み、治そうとしているのが安達ももになるのです。とすると安達ももにとって、”ガングロギャル”は病気の状態であり、安達ももが”ガングロギャル”自体を理解出来ないことが分かります。
考察の結末!このようなある種の差別意識を持つ安達ももに友達がいるでしょうか。見た目で差別をされたため、安達もも自身も周囲を見た目で差別するようになった結果、友人は自分の利益や欲望しか考えない柏木沙絵のような女性しか集まらなくなってしまいました。安達ももの見た目に関する差別とトラウマを克服する物語もピーチガールの本流であり、そのシャドウとして柏木沙絵は存在しているのです。
ピーチガールに関するまとめ
今回はピーチガールのあらすじと漫画ピーチガールと映画ピーチガールの結末の違いから、ピーチガールの主題とその主題がいかに時代を超えて、現代の観客に訴える力があるかを考察をしてみました。顔芸だけの映画としても美人が変顔をするのを見ていても楽しい映画です。ぜひ一度ご覧ください。