ライフ・イズ・ビューティフルをネタバレ!映画の感想やあらすじまとめ

1999年に上映されたイタリアの喜劇映画、ライフ・イズ・ビューティフル。この映画は全く平凡な男が愛する家族のため、人生を投げ出した物語である。第二次世界大戦という悲劇の時代を振り返るとき、敢えてライフ・イズ・ビューティフルと自らの人生を翻訳した男がいたかもしれない。今回は映画ライフ・イズ・ビューティフルの感想からあらすじをまとめました。第二次世界大戦を語るうえで見逃せない映画です。

ライフ・イズ・ビューティフルをネタバレ!映画の感想やあらすじまとめのイメージ

目次

  1. ライフ・イズ・ビューティフルのあらすじをネタバレ!映画の感想も紹介!
  2. ライフ・イズ・ビューティフルとは?
  3. ライフ・イズ・ビューティフルのあらすじをネタバレ!
  4. ライフ・イズ・ビューティフルの結末をネタバレ!
  5. ライフ・イズ・ビューティフルの名言9選!
  6. ライフ・イズ・ビューティフルを見た人の感想を紹介!
  7. ライフ・イズ・ビューティフルのネタバレまとめ!

ライフ・イズ・ビューティフルのあらすじをネタバレ!映画の感想も紹介!

ライフ・イズ・ビューティフルのあらすじをネタバレを含めて紹介を致します。さらにライフ・イズ・ビューティフルについてのSNS上での感想をお伝えいたします。ライフ・イズ・ビューティフルは発表された当時、賛否両論がありました。それは第二次世界大戦最大の悲劇とされているユダヤ人収容所をテーマにした喜劇というこの映画が高いリアリズムによって成り立っていることを表現しています。

ユダヤ人収容所の問題はとても深く、一概に悲惨な事実として受け止めることが出来ません。もちろん、その事実自体に怒りを覚えますし、暴力の恐ろしさも感じられます。ただこの映画は、一つの平凡な家庭に起きた悲劇というにはあまりにも美しすぎる表現がされています。それは主人公の周囲の平凡な人々は、自分たちがいかに悲劇の中にいるか、知らなかったことにも由来しているのでしょう。

ライフ・イズ・ビューティフル。このタイトルを見るとき、このタイトルが嘘だと感じ取る方もいらっしゃるかもしれません。彼らに起きたのは人生の悲劇じゃないだろうか、と。この作品は世界のグロテスクさ、人間の弱さによって彩られています。そうした世界観を私たちは受け入れようとします。けれどもこの映画の主人公はライフ・イズ・ビューティフル(人生は美しい)という平凡な幸せを決して手放そうとはしません。

この映画は20世紀を代表する映画の一つとして語り継がれるでしょう。それは戦争の悲劇という過去からの視点ではなくて、楽天的な当事者もいた可能性を示唆しながらも、その楽天性は一切彼らの意志によって選び取られた人生であるという事実です。男はただ自分の人生を美しいであろう事実だけを求めていたのです。

ライフ・イズ・ビューティフルとは?

ライフ・イズ・ビューティフルは1997年にイタリアで上映された喜劇映画です。監督・脚本・主演を担当したのはロベルト・ベニーニ。彼はイタリアの俳優です。もともとはイタリアのテレビや舞台で活躍をしていましたが、ジム・ジャームッシュの「ダウン・バイ・ロー」や「ナイト・オン・ザ・プラネット」にも出演しています。またフェデリコ・フェリーニの遺作「ボイス・オブ・ムーン」にも出演しています。

フェデリコ・フェリーニはイタリアの映画監督であり、イタリア・ネオリアリズモの代表と言われています。「道」「81/2」「インテルビスタ」等で有名です。その中でも映画内映画を主題に選びながら「人生とは祝祭である。」という人生における命題に回答した「81/2」は映画史に残る名作です。フェデリコ・フェリーニの遺作に出演していたことは、ロベルト・ベニーニの人生にとって重要な事だったのではないでしょうか。

ロベルト・ベニーニは「ジョニーの事情/JOHNNY 2」で監督デビューを果たします。そうして1998年に「ライフ・イズ・ビューティフル」を発表します。この映画でロベルト・ベニーニは外国語で初のアカデミー賞主演男優賞を受賞しました。また2002年に発表した「フェリーニ 大いなる嘘つき」ではフェデリコ・フェリーニのドキュメンタリーを撮影しています。

「ライフ・イズ・ビューティフル」ではロベルト・ベニーニ演じるグイドの妻のドーラを演じたニコレッタ・ブラスキですが、実はロベルト・ベニーニの本当の妻でもあったのです。1986年発表されたジム・ジャームッシュの「ダウン・バイ・ロー」でロベルト・ベニーニと共演をして以来、その後も、ロベルト・ベニーニの監督する主な映画に出演しています。二人の仲の良さが分かるエピソードです。

ライフ・イズ・ビューティフルのあらすじをネタバレ!

ライフ・イズ・ビューティフルのあらすじをネタバレを含めて書かせていただきます。この映画は第二次世界大戦において、ドイツと日本とイタリアが三国同盟をしていた事実を抜きにしては語れない映画です。この三つの国には今でもナチズムの影が落ちています。そうしてイタリアという国は実はこの三国の中で列強に敗北しそうになった時、すぐに降伏することで酷い敗戦状況を免れた歴史を持っているのです。

物語のはじまり

あらすじのネタバレ!第二次世界大戦前夜である1939年にユダヤ系イタリア人であるグイドは叔父を頼りにして、北イタリアの田舎町にやってきました。グイドはいつもこざっぱりとしてお洒落な格好をしています。ユーモアのセンスをもあり、頭の回転の速い男でした。そこには小学校があり、その学校の教師をしているドーラにグイドはひとめぼれをしてしまうのです。

ドーラとの出会い

あらすじのネタバレ!ドーラは田舎町の小学校の教師をしていたのですが、町の役人をしている幼馴染と結婚をする予定でした。それを知ってか知らずか、ドーラに熱烈なラブコールを送るグイド。このシーンはドタバタ喜劇で風でありながら昔ながらの幸福なコメディ見ているようで、見ていて飽きません。結局ドーラはグイドのプロポーズを受けて、グイドを結婚をしてしまいます。

あらすじのネタバレ!ここまで見ていくと、まるで全てがグイドの思い通りに進むようで、ヘンテコでありながらユーモラスで幸福な気持ちになれます。けれどもこの映画は第二次世界大戦を舞台にした映画であり、その中でもイタリアで行われたユダヤ人狩り、お呼びにユダヤ人収容所の歴史的事実をテーマにしている映画です。この始まりを見て、誰がこの映画が戦争を描いたと思うでしょうか。怒りを覚える観客もいるでしょう。

あらすじのネタバレ!ドーラと結婚が出来てグイドは幸せの絶頂にいました。そうして一人息子のジョズエも生まれるのです。子供が生まれた三人家族になって幸せの二乗いや、三乗の状態でしょうか。実はこの物語は「これは、私の物語である。」というナレーションから始まります。この「私」とは実はグイドとドーラの愛息であるジョズエなのです。この後、物語は第二次世界大戦の影響が強く出てくる展開になります。

第二次世界大戦の開戦

あらすじのネタバレ!第二次世界大戦の開始は1939年からです。終結をしたのは1945年です。この戦争は人間の持つ4000年程の長い歴史の中で、たった6年間しか行われませんでした。ドイツと日本とイタリアが三国同盟を図り、イギリス・アメリカ・ソビエト・中国などの連合国に戦いを挑んだのです。戦時中にナチス・ドイツはユダヤ人・ロマ・障害者を組織的に大量殺戮を繰り返していました。これをホロコーストと呼びます。

ユダヤ人への迫害

あらすじのネタバレ!グイド一家が住む北イタリアにもナチス・ドイツ軍が侵攻してきて、グイド一家も遂に強制収容所に入り込まれてしまいます。この強制収容所はナチス・ドイツの持つ優生思想によって選別されたユダヤ人、エホバの証人、同性愛、政治的カソリック、常習的犯罪者、ロマ、浮浪者などを収容していました。政治的な部分もあり左翼的自由思想を捨てることで、収容所から逃れるという手もあったそうです。

グイドのアイデア

あらすじのネタバレ!強制収容所の中でジョズエは母と離れ離れにされてしまいます。その不安をなんとか解消するためにグイドはジョズエに嘘をつきます。その嘘の内容は、この戦争や強制収容や母と離れ離れになること自体がゲームであるという嘘でした。ゲームであるというのはあながち間違いではありません。国同士の威信をかけたパトリオッツ・ゲーム(愛国者たちのゲーム)であることには間違いがないからです。

あらすじのネタバレ!そうして、泣いたりしたら減点になる、と諭します。さらにママに会いたがっても減点であると諭します。泣いてしまうと子供の存在がバレてしまうからという苦肉の策でしたが、強制収容所で子供の存在をひた隠しに隠し続ける方法は、グイドにとってそれしかありませんでした。そうして、いい子にしていれば1000点もらえって勝利になる。そうしたら本物の戦車に乗って家に帰れる、というのです。

あらすじのネタバレ!強制収容所での辛い日々もグイドの機転の利いた話術によって、ゲームに様変わりをしていきます。「シャワーの日」には実は毒ガスによって殺害される日でしたが、ジョズエはシャワーを嫌い、父の言うことを効かなかったため、運よく殺されることがありませんでした。逃げ隠れ続けることでジョズエは希望を失わない儘収容所での生活を続けていたのです。

あらすじのネタバレ!遂に戦争の終わりがきます。ジョズエとグイドもナチス・ドイツ撤退と共に収容所から逃げようとします。グイドはドーラを探しますが撤退している兵士に見つかります。背中に銃をつけられながらゴミ箱に隠れているジョズエが表に出ないよう、全力で笑顔を見せるグイド。グイドの「これはゲームなんだ。」という言葉が甦ります。グイドはジョズエの幸福だけを祈るフェイバリット・コメディアンだったのです。

あらすじのネタバレ!ナチスの残党の憂さ晴らしに突き合わされて、あっさりグイドは殺されてしまいます。ナチス・ドイツも撤退して誰もいなくなった後、ゴミ箱の影から現れるジョズエ。まだゲームは続くのか、それとも終わったのか。ゲームに負けてしまったのか。それよりも父は何処へ行ったのだろう。途方にくれるジョズエ。そこに侵攻してきた連合軍の兵隊がジョズエを抱え上げて、戦車に乗せてくれました。

あらすじのネタバレ!グイドの考えたゲーム通りにジョズエは1000点集めてゲームに勝ちました!お菓子を貰い満足なジョズエをドーラは発見します。ジョズエはドーラに自らの勝利を伝えます。ドーラもジョズエに自分たちの勝利を伝えます。生き延びることこそ彼らの勝利であり、ドーラとジョズエは希望を失わない儘生きのびたのです。この物語は父であるグイドが愛する家族の為についた一つの嘘から始まりました。

あらすじのネタバレ!その嘘は父であるグイドの単なるほらや機転の利いた軽口ではないし、ゲームではもちろんなく、自分の全人生をかけてつき続けた真実の嘘でした。成長した息子のジョズエは、最後にこの物語が、父が私にくれた物語であることを宣言します。ライフ・イズ・ビューティフルとは人生の美しさを描いた映画であり、そこには明らかに真実があるのです。

ライフ・イズ・ビューティフルの結末をネタバレ!

ライフ・イズ・ビューティフルは最後にグイドが亡くなるという、コメディ映画としては衝撃的な結末を迎えます。監督・脚本を担当したロベルト・ベニーニは何故最後にこのような結末を主演であるグイドに用意したのでしょうか。その点も踏まえて、結末を感想やネタバレも含めてご紹介致します。

この物語は戦争が終結した後、ほらや機転を利かせ続け、周囲を楽しませてきた根っからのお調子者であるグイドが最後には亡くなって終わります。しかもその亡くなりかたは、退却するナチス・ドイツの兵士たちの鬱憤を晴らすためという、悲惨な亡くなり方でした。何故グイドはこのような殺され方をされなければならなかったのでしょうか。

グイドの場合

グイドは兵士に見つかり、殺されそうになったとき、息子であるジョズエの事を気にしていました。この時点で自分一人なら兵士と戦えるかも知れないし、そうすれば傷を負うかも知れないが、生き残ることが出来たかもしれません。しかしグイドはそれを選択しませんでした。理由はもし自分が戦えば、いままで息子に吐いてきた嘘がジョズエにバレてしまう。するとジョズエは自分が父に騙されてきたと絶望すると想像したのです。

実はここにはグイドの判断は有りません。グイドは初めから自分の幸福が家族の幸福であることを理解していたのです。この時点でグイドは死ぬことを恐れてはいません。グイドは死ぬよりももっと恐ろしいことがあり、それは家族の不幸だったのです。自分が生きている間は家族が不幸になってほしくはない、周囲も不幸であっては欲しくない、と考えています。根っからの家族主義がグイドの原点なのです。

このストーリー展開に納得をする向きももちろんあります。それは結局グイドの死が物語に深みを作っている、リアリティを齎しているという考えです。しかし今でこそ、ナチス・ドイツの恐ろしさが私たちは理解出来ますが、当時の単なる町民がその真実をしっていたとは思えません。中には情報収集をしていて、知っている人もいたでしょうが、現在ほどそのシステムの恐ろしさを理解できた人はいないでしょう。

それは行っていたナチス・ドイツ当事者でさえ理解出来ないシステムでした。人を殺すこと自体がシステムと化していた戦争の中で、尚且つ収容所の人間をただユダヤ人であるということだけで、選別し殺害をしていたのです。ですから物語上のリアリズムという下らないことは、現実にはグイドのような人間でも生き残ってきたことに対する暴力的批評であると、捉えられます。

監督のロベルト・ベニーニはグイドに敢えて暴力的結末を与えました。それはリアリズムというよりも、この映画が一個の物語、つまり嘘であることをベニーニが知っていたからです。そうして第二次世界大戦のナチス・ドイツのホロコーストによって亡くなった全ての人がグイドのようにあっけない死を遂げたことに対する一種の祈りとして、グイドを物語上、殉教的存在ではなく、単なる道化として殺したのです。

ネオ・リアリズモはファシズムに対する対抗と頽廃主義を克服するため生まれました。支配的な考えには、機転の利いた嘘を吐き、頽廃主義にはユーモアをもって戦いました。しかしその戦いさえ、道化としてのリアリズムにおいて物語上の嘘でも許そうとしなかったのがロベルト・ベニーニでした。つまり実際にはベニーニは経験していない戦争を子の視点で描いた一大偽歴史絵巻こそ、ライフ・イズ・ビューティフルだったのです。

ライフ・イズ・ビューティフルの名言9選!

この章ではライフ・イズ・ビューティフルの世界を彩る名言を紹介致します。この物語の言葉の端々からはイタリア人のロベルト・ベニーニらしい言い回しが含まれています。第二次世界大戦という悪夢の時代が舞台であることも踏まえてご紹介をすることこそ、ライフ・イズ・ビューティフルを紹介することに必要です。

これは素朴な物語。話すのは簡単ではないけれど

ライフ・イズ・ビューティフルはジョズエのナレーションから始まります。素朴でありながらも、童話のように悲しみと驚きに満ちた物語であることが提示されます。そうして話すのは困難なのは、それがジョズエの人生において現実に起きた出来事だからです。

鳩は飛び、おまけに女が空から落ちてくる!僕はここに引っ越すよ!

引っ越しをしてきたグイドが田舎町を見たときに発した言葉。ドーラとの出会いが、お調子者のグイドの人生を一変します。そうしてそれはドーラの人生さえも変えるのです。大げさな言いよう(実際にドーラは落下をしてきたのですが)が、イタリア人らしいおおらかな気質を覚えさせてくれる楽しい言い回しです。

お前は奉仕するが、召し使いじゃない。奉仕は最高の芸術だ

給士として働くグイドに奉仕の精神を説くエリゼオおじさんの言葉です。これは奉仕とはサービス精神であり、相手の立場になって考えることが出来る最高の芸術だと、唱えているのです。召使は結局相手にとって単なるイエスマンでしかありません。しかし奉仕を行う場合、相手にとって良いことと思うことを行動に移すことこそが一種の芸術として成り立つのです。

ユダヤ人と犬はお断りってどういう意味?

ジョズエは町の喫茶店に貼ってある張り紙を見て疑問に思います。この文言をそのまま読むと、犬とユダヤ人は同列であり、ユダヤ人は人間ではないと書いてあることになります。それに対してグイドは、最近「お断り」と何でも書くのが流行っている、と文言を捻じ曲げます。そうしてありもしないカンガルーお断りという話をするのです。漫才をしているようなヘンテコな会話から差別されてしまっている悲しみがにじみ出でています。

エリゼオおじさんは何処に行くの?

エリゼオおじさんは、他の建物に送り込まれていきます。私たちが知っているのはジョズエはエリゼオおじさんとは二度と会うことが出来ないということです。しかしグイドはまたも言い換えを行います。違うチームで戦う、と。沈黙こそ最大の嘆きであると語ったエリゼオおじさんの思想をジョズエに伝えるためのグイドにとって精いっぱいの言葉です。

私の夫と息子があの列車に乗っているんです。私も乗ります

グイドとジョズエが収容所の列車で連れていかれそうになったとき、自分も同じように家族でありユダヤ人であることを告白するシーン。一時的な別れよりも死ぬかもしれない運命をともにする覚悟を思わせる名言です。家族を思っての行動ですが、この行動が必ずしも良い結果を及ぼさないのが人生の運命というものです。私たちは自分さえコントロール出来ない大きな歴史の中を生きているのです。

1000ポイント貯めたら、大砲のついた戦車を家に持って帰れるんだよ

ライフ・イズ・ビューティフルの中でグイドが吐いた最高の嘘の一つ。泣かない。母に会いに行かない。腹を空かせても欲しない。と子供に言い聞かせるグイドはそのことが子供の為と本気で信じていた。ジョズエはグイドの言葉を信じて、映画のラストにはグイドの嘘を真実にする。ライ・イズ・ビューティフル(嘘は素晴らしい)。

これには3つの減点がある

ポイントをためるゲームに減点制にするため、収容所のひどい環境を敢えてルール化して伝えました。1つは泣くこと。2つめはママに会いたいということ。3つめは食べ物が欲しいということ。このルールを守ることでジョズエはゲームをしていると思い込み、自らの悲しみを感じなくて済むようになりました。グイドは楽天家らしく出来るだけ、自分の子供にもどんな時も人生を楽しんでほしいと祈っていたのでしょう。

多分私たちは二人とも夢を見てるんだ

強制収容所で酷い一日を送ったグイドが子供のジョズエに語る言葉。この夢は現実であり、まるで永遠に続く悪夢の用だけど、いつか覚めることをジョズエに言い聞かせます。そこではマミー(母親)がミルクとビスケットを用意してくれているそうだ。ジョズエの希望を持たせたいからこその寝物語です。

沈黙はもっとも強い嘆きなんだ

ただユダヤ人であることで、攻撃をされ迫害をされてしまう現実を前にして、一切反発することなく、沈黙を続けるユダヤ人を見かけたグイドにエリゼオおじさんが伝える言葉。誰にも言い返すことが出来ない暴力の前では、嫌がらせをされ続ける現実こそが嘆きであるという悲しみが伝わってきます。ライフ・イズ・ビューティフルのグイドの死という結末も、グイドの沈黙という嘆きによって幕を下ろします。

僕たちは勝ったんだ!

グイドの嘘を信じ続けて、希望をもって収容所生活を続けていたジョズエが連合軍との戦車の受けから、母であるドーラに発した言葉です。このグイドの嘘が真実になったことこそグイドの勝利だったのです。「僕」ではなく「僕たち」であることが印象的なセリフ回しです。ジョズエは一人で戦っていたのではなく、グイドという守っていくれる家族がいたことを無意識に知っていたのです。

父が命をかけて私にくれた贈り物

大人になったジョズエは、あの時の父の一つ一つの言葉が、自分を思って吐いてくれた嘘であることを知っています。けれども収容所生活の中、希望を失わずに生き延びることが出来たのは明らかに父の嘘のお陰であり、父は命がけで私に嘘を吐いてくれたのです。それはジョズエにとって人生の贈り物のようなものなのでした。

ライフ・イズ・ビューティフルを見た人の感想を紹介!

なぞなぞの答えが気になる

感想です!レッシング医師は知り合いから教えてもらったなぞなぞの答えが知りたくて、グイドに尋ねます。実はグイドはこの時、レッシング医師がグイドをこの強制収容所から出してくれるのではないか、と考えたのです。しかしレッシング医師は友人としてはグイドを見てはおらずに、ただ答えを教えてくれる存在としてしか捉えていませんでした。

感想です!その内容から、ユダヤ人を蔑視的に指しているのではないか、という説もありますが、このシーンからは実はレッシング医師とグイドの立場の違いが見えてくるのです。レッシング医師にはグイドはユダヤ人です。そうしてレッシング医師が強制収容所で見ている景色は、ナチス・ドイツの暗部とでも言うべきグロテスクなものでした。レッシング医師は多分答えを知っていたのでしょう。

感想です!だからこそ、この答えは、小カモだろうとレッシング医師は言ったのです。そうしてカモノハシではない、と非常に細かい言い回しをするのです。カモノハシはフルルとなく、小カモがココココと鳴く、と。この細かさは実際のクイズの本質と出来るだけ遠くにあります。ユダヤ人だから差別する、という恐ろしい現実をナチス・ドイトが行っていたことこそ、このなぞなぞの答えだったのです。

戦争の恐ろしさがよく伝わる

感想です!この映画はちょうど第二次世界大戦がはじまったときから物語が始まりますが、地球で起きた歴史上の戦争の中でも第二次世界大戦は強制収容所に戦争や生産性の無いと判断された人間を送り、機能的に殺害するというシステムを作りました。このことからも戦争は火力や化学力が高まるにつれ、人間の意識が入り込む余地がないまま、ボタンを一つ押すだけで、一つの都市を破壊することが出来ます。

感想です!ホロコーストもその場で価値がないと判断された人間を強制収容して、人間らしい感情を全くなきものとして、作業によって多くの人間を殺害することが出来るよう作り出された施設でした。さて必要ないと判断したの誰でしょうか。それは戦争を起こした当時の総統でしょうか。それとも当時に戦争に参加をしていた国民でしょうか。それとも強制収容所に送られてしまった人々でしょうか。

感想です!その環境に人間はいつしか適応していきます。長い間強制収容所にい続けると、何時殺されるか、とびくびくしながら被害妄想を持ってしまい、未来に対して希望を持てなくもなっていきます。いつ暴力を振るわれるかと、自分の意志を人に伝えることが出来なくなります。自分たちが何故そのような目に合ったのかさえも、判断が出来なくなり、差別されてしまう現実を受け入れてしまうようになってしまうのです。

グイドは自己中心的な奴だ

感想です!この映画を評価する軸となるのはやはり主人公のグイドです。グイドは戦争がなければ、今回の映画のようなヒーローに祭り上げられることがない男です。確かにグイドの判断は必ずしも正しいとは言えません。ただ、この映画を注意深く見れば、グイドは決して万能のスーパーヒーローではなくて、単なる卑屈な弱者ながら戦う一人の父でした。ただ子供の前だけでは自分はゲームをしているふりを続けました。

感想です!しかしそれもグイドの自己中心主義の自己満足と取られる場合があるでしょう。ただこの自己中心主義と自己満足から映画やグイドを捉えるのは、残念ながら「戦争になれば誰もが人格まで変わる」という思い込みによって成り立った考え方です。特に現代の日本では戦争に参加したり実際に戦争に行った人は殆ど亡くなっています。つまりその話を実際に知っている世代が殆どいなくなっているのです。

感想です!これには若い時に祖父から戦争の話を聞いていなかった人が多いことが原因でもありますし、特に日本人は核家族化して、そのような話を聞ける状況が無く、また日本人自身が歴史に学ぶことが殆どないことからも、成り立っています。実際に収容所を体験していない人間がグイドを自己中心的な人間だというのも片腹が痛くなる批評といわざるを得ません。

感想です!この映画を倫理性で批評してもどうしようもありません。またグイドの人間性を否定しても仕方がないのもこの映画の表現の一つです。この映画は自由を奪われるということがどういうことかというのがテーマだからです。ネット上等で自由に意見が言える時代ではなくその言論さえある程度統制されていた時代である、という歴史的背景や前提があり、印象論では語りえないからこそ、冒頭で語るのが難しいとされているのです。

感想!この映画は身勝手で自己肯定的な男を主人公にした、反ファシズム映画です。自由にふるまえないからこそ、彼のような機転の利く人間がヒーローに祭り上げられる悲劇もテーマの一つなのです。だからこそ語るのが難しいのです。グイドはその時代だからこそありえたヒーローの姿であり、ただグイドの中にあったのは自分の子供の悲しむ顔が見たくない、という身勝手な親の愛でした。

感想です!そもそもグイドのような男にそれ以上の何を求めようがあるでしょうか。見ている人は何処かでグイドに腹を立てています。それは実は戦争の悲惨さに腹を立てているのです。ただ過ぎたことはどうしようもなく、そこにはただ悲しみしかないのです。それをジョズエは私の物語と語るのです。それこそこの映画が吐いた最大の嘘でありマジックなのではないでしょうか。

感想です!そのギャグは全時代的で馬鹿馬鹿しく笑う気にもなれません。その背景には偶然、戦争があり、容易に人の命が奪われていきます。一方グイドは馬鹿馬鹿しくもふざけた態度をとり続けます。ただ自分の子供と交わしたゲームを続けるためだけに。現実に起きた悪夢は覚めません。ただ自分の子供の悲しむ顔だけを見たくなかった身勝手な男の嘘さえをも認めない戦争という暴力があったという事実だけはぬぐえないのです。

ライフ・イズ・ビューティフルのネタバレまとめ!

今回はライフ・イズ・ビューティフルという映画のあらすじをまとめてネタバレや感想を含めて紹介いたしました。第二次世界大戦、ホロコーストという悲惨な出来事を出来るだけ馬鹿馬鹿しく全時代的な笑いで包み込んだ狂気の映画。喜劇役者ロベルト・ベニーニ畢生の作品を是非ともご覧ください。この映画はナチス・ドイツの記録が多くの人が知るようになってきただけに、より価値を持った表現と言えるのではないでしょうか。

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