いまを生きるの映画あらすじをネタバレ!結末の感想や心に響く名言も紹介

いまを生きるは青春映画です。その名の通り「いまを生きる」ことをテーマにしており、全寮制の名門進学校を舞台に少年たちの青春の入り口と苦悩が描かれています。本記事では映画のあらすじや、少年たちを導く教師キーティングの名言や異色な授業、大人の言いなりになってきた少年たちの心に静かに熱く響く結末についてご紹介します。キーティング先生の言動はまさに見どころ。大人からの圧力で鬱屈している10代の若者たちにぴったりの作品だと評判です。

いまを生きるの映画あらすじをネタバレ!結末の感想や心に響く名言も紹介のイメージ

目次

  1. いまを生きるの映画あらすじや感想を紹介!
  2. いまを生きるとは?
  3. いまを生きるの映画あらすじをネタバレ!
  4. いまを生きるの結末の感想や評価を紹介!
  5. いまを生きるの心に響く名言とは?
  6. いまを生きるの映画あらすじや感想まとめ!

いまを生きるの映画あらすじや感想を紹介!

いまを生きる、という映画についてご存知でしょうか? 1989年公開のアメリカ映画で古いものですが、テーマは不朽のもので、今でも十二分に通用します。本記事では洋画『いまを生きる』について、あらすじ、結末の感想や評価、心に響く名言についてご紹介します。

いまを生きるとは?

いまを生きるは、1989年に公開されたアメリカの映画です。主演はロビン・ウィリアムズ、監督はピーター・ウィアーで、映画公開と同時に小説版が出版されました。小説版は映画より詳細に物語が描かれており、本映画の脚本は第62回アカデミー賞に輝いています。原題の「Dead Poets Society(死せる詩人の会)」は劇中で少年たちが再興させた詩人サークルの名前で、邦題は教師キーティングの名言の1つを引用しています。

いまを生きるの映画あらすじをネタバレ!

名門進学校ウェルトン・アカデミー

『いまを生きる』の物語は名門進学校ウェルトン・アカデミーの歓迎式典から始まります。この私立学校はアメリカ合衆国ヴァーモント州にあり、生徒は男子のみ。厳格な規律に縛られた生徒たちは自分の学校を「地獄」と密やかに称し、16歳にして転校してきた少年トッド・アンダースンはすっかり萎縮してしまっていました。

そして、この歓迎式典で1人の新任国語教師ジョン・キーティングが紹介されます。かつて本校の生徒であったキーティングもまた、ただの厳格な教師なのでしょうか。いいえ、彼は子供を縛ることしかしない大人たちの中で異彩を放つ存在であり、後々、抑えつけられた少年たちの心に“いまを生きる”ための変革をもたらしていくのです。

おお船長よ!我が船長よ!

新任国語教師キーティングの授業は初回からぶっ飛んでいました。ひょっこりと1枚のドアから顔を覗かせたかと思うと、教室の中をぐるりと半周してもう一方のドアから出ていく。そして「ついてこい」と言うのです。戸惑う生徒たちを連れて《記念展示室》へ入り、そこで「カルペ・ディエム(今日を楽しめ)」――自分に正直であれと教えるのです。

キーティングは授業でこうも言います。「この授業ではわたしのことをキーティング先生とも、“おお船長よ! 我が船長よ!”とも呼んでいい」実は授業外であろうとそう呼ばれることを好むのですが、別の授業では生徒たちに教科書の序文を丸ごと破り捨てさせたり、教卓の上に登らせたりと破天荒。教科書に則った授業をせず、読むページは飛ばし飛ばし、時には校舎の外を歩き回ったりと、ともかく異色な授業を繰り広げます。

死せる詩人の会

キーティングの言霊にすぐさま強く刺激を受けたのは、チャーリー、ニールの2人でした。特にニールはキーティングを熱く信奉するようになり、キーティングが生徒時代に主催していた極秘の会合《死せる詩人の会》を復活させます。会のメンバーは彼らの学友たち(キャメロン、ミークス、ピッツ、ノックス)で、寄宿舎でニールと同室のトッドも、ルームメイトからの熱い誘いに渋々と参加を了承するのでした。

青春を見つけた少年たち

魂を熱く燃やすようになった少年たちは、各々青春を見つけ始めます。美しい少女に一目惚れしたノックス、芝居をするという夢を思い出したニール、去年と同じ誕生日プレゼントを放り捨てるトッド、自分の真の名をヌワンダだと言うチャーリー、校則で禁止されているラジオを自作するピッツとミークス……彼らは心の底から今を楽しみ、“いまを生きる”ことを実践します。

立ち塞がる大人たち

楽しい時間は長くは続きませんでした。ニールが芝居をすることを聞きつけた彼の父親が芝居を辞めるように言ってきたときから、雲行きが一気に悪くなってきます。親に逆らうことのできない性分のニールが、それでも逆らって芝居をした結果、父親から転校を突きつけられ自殺をしてしまうのです。ニールの両親は、息子の自殺の原因は学内にあると決めてかかり、校長たちは火消しに躍起になります。

結局、学校はすべての責任を新任国語教師のキーティングにかぶせます。キーティングは不服を述べることもなく粛々と学校を去る準備を整えますが、見るに見かねて弁明を述べたのはトッドでした。「悪いのはキーティング先生じゃありません!」そう叫ぶ彼を、代替で教壇に立つ校長が咎めます。しかし、校長の「退学にするぞ」の脅しにも屈さず、少年たちは「おお船長よ! 我が船長よ!」と声を張り上げ、机の上に立つのでした。

いまを生きるの結末の感想や評価を紹介!

映画『いまを生きる』は1989年上映作品ですので、子供の頃にこの映画を見た世代が今は大人になっています。また平成が終わりに差し掛かって再放送もされました。初めてこの古い映画を見る若者たち、そして久しぶりに見た大人たちはどんな感想を持ったのでしょうか。以下では、『いまを生きる』の感想と評価をご紹介します。

自分の気持ちの正直に生きたい

自分の気持ちに正直に生きるというのは、教師キーティングが生徒たちに強く訴えかけていることです。それゆえ、視聴者にもそのメッセージがはっきりと伝わります。自分の思うままに生きてきた人も、自分を押し殺して生きてきた人も、『いまを生きる』が人生を見直すきっかけになっているようです。

自分の気持ちに正直になった結果、いいことも悪いことも起きる。それでも正直に生きたい――というのは、悪く言えば自己本意ですが、間違いなく充実した人生になるでしょう。他方、自分に正直に生きないのも自分の生き方だ、という捉え方もあります。

狭い世界で生きるのも、広い世界で生きるのも自分次第。狭いほうがいい人もいれば、広く羽ばたきたい人もいるのが人間です。つまるところ正解はないのですが、少なくとも自分で選択していれば、誰かのせいにして後悔することはなくなります。

兎にも角にも、キーティングのような教師に出会えることは奇跡と言えます。あのような教師と巡り会えたなら、きっと生きることに深く思考を巡らせて、喜び、怒り、哀しみ、楽しみ、存分に生きることができるでしょう。悪い結末がやって来ようとも、自分で選択して進んだ道は、自己の人生をまっとうしたことになります。

現実的な結末の映画

『いまを生きる』のメッセージ性が強い理由の1つは、「現実的であること」です。ご都合主義の物語であれば、ファンタジー感がどうしてもつきまとい、キーティングの言うことにもあまり強い印象を受けないでしょう。ですが、この映画は現実的です。

『いまを生きる』を観終わって「すっきりした」と感じる人はほぼ皆無でしょう。実に現実的で、モヤモヤと晴れない気分になります。しかし、そのモヤモヤはただの不快な気分ではなく、様々な視点に立つことで、いろんな見方に気づかせてくれます。

1つはっきりしたことは、キーティングの教えは複数の生徒の心を動かしたということです。ただ覚えさせるばかりの授業では、このような現象は決して起きません。キーティングの激情が少年たちのみならず見る人の心も揺さぶったのだと言えます。

大人になってから見直すべき映画

子供時代にとある映画を観て、大人になってから再び同じ映画を観たとき、「こんな作品だったかな」と不思議に思うことがあるのではないでしょうか。本映画『いまを生きる』にもそれは当てはまります。むしろ、メッセージ性の強い映画であるからこそ、大人になってから見直すと、深く心に響くものがあるようです。

『いまを生きる』は、自分は自分に対して正直に生きてきただろうか、と反省するきっかけになります。また、子を持つ親になってから観てみると、また新しい感想を得ます。なぜなら、『いまを生きる』には子供からの視点、大人からの視点、両方が入っているからです。

『いまを生きる』を見ると、子供を押さえつけるばかりの親になっていないかと、ふと自分を振り返ってしまうのではないでしょうか。振り返られる親なら、キーティングのような大人に変わる可能性があります。ぜひ大人に観てほしい映画です。

何度見ても泣けてくる映画

心に訴えかけてくる映画というものは、必ず1つは涙腺を刺激する場面があるものです。特に日頃周囲から圧力を受けている人にとって、『いまを生きる』は涙なくして観ることはかなわないでしょう。少年たちに自分を投影し、頭を抑えつけられる苦しみ、自分を認めてもらえる喜びを感じるのです。

また、『いまを生きる』の中でたくさん現れる詩の群れや物語の構成に感動する芸術肌の人もいます。起承転結のはっきりした映画ですが、結が決して壮大にならず、静かに、ただし急速に収束していく、それでいて強いメッセージを含むという作り方は、素晴らしい脚本手法であると言えます。

『いまを生きる』は、大泣きをするわけではなく、心を突き刺されたように自然と涙がこぼれてしまう映画です。自分の生き方に疑問を持っていたり、大人の圧政に苦しんでいる少年少女は、『いまを生きる』を見れば1歩踏み出す勇気を持つかもしれません。

各映画紹介サイトでの評価は星4以上

Amazonでの『いまを生きる』の評価は星4.2です。また各映画紹介サイトでも、『いまを生きる』は軒並み星4以上の評価を出しています。昔も今も、この映画を見て胸を打たれる人は跡を絶ちません。それだけテーマが不朽のものであり、生きる上で考えるべき大切なことが含まれているのです。

いまを生きるの心に響く名言とは?

名言とは、自分にとって、人々にとって素晴らしいと思える言葉です。そして本映画『いまを生きる』の名言は、上述あらすじの中にもあります通り、主に詩の中に、そしてキーティングの言葉にあります。以下で、どんな名言があったのかをご紹介して参ります。

人生が成り立つからこそ詩が書けるのだ

キーティングは生徒たちに「人はなぜ詩を詠むのか」と問い、「人生が成り立つからこそ詩が書けるのだ」と自分で答えます。詩を書き詠むのはかっこいいからではなく、人が今を生きているから――情熱があるから詠むのだ、ということです。このことを唱えるために、キーティングは劇中でウォルター・ホイットマンの詩をいくつも詠みます。

オー・キャプテン!マイ・キャプテン!

これは詩人ウォルター・ホイットマンがリンカーン大統領を称える詩で唱えた一文で、上述あらすじにもあります通り、キーティングが自分の呼ばせ方にも指定しました。和訳すると「おお船長よ! 我が船長よ!」となりますが、映画では吹替版でも「オー・キャプテン! マイ・キャプテン!」となっています。劇中では出現頻度が低いですが、小説版では(和訳が)頻繁に使われる呼び方です。

真の自由は夢の中にある。昔も今もそしてこれからも

授業中にキーティングが静かに唱えた言葉です。厳格な学校の中で縛られ続ける少年たちに夢の大切さを教え、規則に縛られても心は自由にあれ、と伝えています。その前には、記念展示室で卒業生たちの写真を見つめながら「(写真の)笑顔はどこへ行ったのだろう? そして希望は?」と述べる場面で、若い頃に持っていた夢を失っていく自由なき大人たちを示唆しています。

森に2つの分かれ道があった。人の通らぬ道を行こう。全てが変わる

詩人ロバート・フロストの言葉で、キーティングが授業中に聞かせます。これの意図は、個性を大切にするということ。ただ歩くだけでも、それぞれ違うやり方があります。自分と他人の違いを信じなくてはならない、と彼は伝えています。規則に縛られ個性を失いつつある若者たちの心に、この言葉は響きます。

違う場所に立って、物事を見直す

授業中、唐突に教卓の上に立ったキーティングの言葉です。何事でも常に違う視点から見て考えることが大切なのだと、それを忘れないために教卓の上に立つのだと彼は伝えます。そして教室内の生徒全員を順に教卓に上がらせます。

カルペ・ディエム

「カルペ・ディエム」――ラテン語で言うそれの意味は、「きょうを楽しめ」転じて「いまを生きろ」。邦題の「いまを生きる」の元となっています。ということは、本映画ではこれがナンバー1の名言と言えます。

なお、この名言をキーティングが言う前に、彼はピッツに『処女たちへ――時をむだにするなかれ』という詩を詠ませました。その詩のはじめにある「薔薇の蕾を摘むのなら今」という感情を、キーティングは「カルペ・ディエム」と表現したのです。

いまを生きるの映画あらすじや感想まとめ!

いまを生きるの物語のあらすじはいかがだったでしょうか? 生徒たちが素晴らしい教師キーティングと出会い、古い先輩である彼から生きることの大切さを学んでいきます。その上で、自分らしく生きられないことに絶望したニールが自殺するという悲劇も起き、人生の難しさも非常によく表されています。最後の生徒たちが机の上に立つ場面では、すべての生徒が立つわけではありません。そこも実に現実味を帯びています。

今なお評価の高い(星4つ以上の)本作『いまを生きる』のテーマは、今を生きること、人が自分に正直な人生を掴むことです。自分に正直に生きるというのは人々にとって今も昔も変わらない課題で、それゆえ「大人になった今だから良さがわかる作品かもしれない」「生きることの素晴らしさを教えてくれる感動作」といった感想が出てきます。立場によって受け止め方が様々であり、様々であることを良しとする作品です。

関連するまとめ

人気の記事

人気のあるまとめランキング

新着一覧

最近公開されたまとめ