最強のふたり(フランス映画)は実話?モデルになった実在の人物とは?

映画「最強のふたり」は、2011年に公開されて大ヒットを記録した、近年まれに見る名作洋画です。事故による頸椎損傷で全身麻痺となった大富豪・フィリップは、新しい介護人の面接でとある貧しい青年と出会います。ふたりの数奇な運命を描いたこの作品、実は紛れもない実話だったのです。日本におけるフランス映画の興行収入歴代一位を誇る「最強のふたり」、この名作洋画が生まれるきっかけとなった実在の人物とその物語をご紹介します。

最強のふたり(フランス映画)は実話?モデルになった実在の人物とは?のイメージ

目次

  1. 最強のふたりは実話を基にしたフランス映画?モデルとなった人物は?
  2. 映画・最強のふたりとは?
  3. 話題の洋画・最強のふたりのあらすじを紹介!
  4. 洋画・最強のふたりは実話を基に作られた?
  5. 最強のふたりのモデルになった実在の人物は?
  6. 最強のふたり・その後は?現在のふたりは?
  7. 最強のふたりは実在の人物をモデルとした感動の実話だった!

最強のふたりは実話を基にしたフランス映画?モデルとなった人物は?

世界中で大ヒットした洋画「最強のふたり」。実はこの映画の主人公のふたりは実在の人物なのです。ふたりの名前はフランス人のフィリップとアブデル。フィリップが出版した自伝本が話題となってフランス国内での知名度が急上昇し、テレビで出演やドキュメンタリー撮影などを経て、出版から10年が経った2011年に、2人をモデルとしたこの映画が公開されました。

人種問題や障碍者をめぐる洋画であるため、アメリカでは現在も嫌悪するような口コミも見られますが、それ以外の諸外国、そして日本でもハリウッド以外の洋画としては異例のヒットを記録しました。ここではこの映画が製作された経緯やあらすじ、モデルとなった実在の人物とその後や現在について、映画「最強のふたり」の情報を一挙にご紹介します。

映画・最強のふたりとは?

話題の洋画・最強のふたりについて

映画「最強のふたり」は、トレダノ監督とナカシュ監督が合同で制作したフランス映画です。2011年に公開されて以降フランス国内のみならず世界中で大ヒットとなり、現在に至るまで各国でリメイク版も多数制作されました。日本でも近年の洋画史上に残る名作として、日本アカデミー賞における洋画の最高賞・最優秀外国作品賞を受賞、日本におけるフランス映画の興行収入第1位を記録しました。

話題の洋画・最強のふたりの原題とその意味は?

フランス語での原語タイトルは「Intouchables」(アントゥーシャブル)、日本語で「触れることができない」という意味で、本来なら出会うことのないふたりの物語であることを示唆しています。ちなみに英語圏でのタイトルは「Untouchable」(アンタッチャブル)で、フランス語と同じ意味を持つ言葉が充てられています。

主人公は貴族の出自を持つ大金持ちだが全身麻痺となっているフィリップと、スラム街出身の黒人移民で金はないが自由を愛するドリス。お互いがお互いを補い合う姿はまさしくこの洋画の邦題のとおり「最強のふたり」であり、実話とは思えない数奇な出会いは、「現実は小説よりも奇なり」という言葉を思い起こすほどです。

話題の洋画・最強のふたりのあらすじを紹介!

実話・「最強のふたり」の出会い

パリに住む大富豪のフィリップは、かつて事故で頸椎を損傷し全身麻痺となってしまい、身の回りの全てを住み込みのお手伝いさんたちに任せています。中でもメインの世話役である介護人は激務で、おまけにフィリップは堅物。これまでも1週間もかからずに音を上げる人ばかりでした。

ある日フィリップは、いつものように秘書と共に介護人の面接をしていると、一人の青年と出会います。彼の名はドリス。就職しに来たわけではなく、失業手当を得るため、面接に落とされに来ていたのでした。彼の奔放で横暴な態度に秘書マガリーは嫌悪感を抱きますが、フィリップは興味を持ち、ドリスに1か月の試用期間を提案しました。

実話・身分と立場の壁を越えた友情

慣れない介護生活の中でも、くだらない冗談を飛ばし、嫌なことは嫌だとはっきり言うドリス。ある晩、隣室のフィリップの異変に気付いたドリスは、幻想痛(感覚のないはずの四肢が痛むこと)に苦しむフィリップを目の当たりにします。「息をしたい」そう言ったフィリップを車いすに乗せ、早朝の街へ歩き始めました。

「朝のパリは久しぶりだ」と言えるほど落ち着いたフィリップ連れて飲食店に入ったドリスは、彼に様々な問いかけをしました。頸椎損傷に至った事故のこと、難病で流産を繰り返しながら死んだ妻のこと、養子をとったこと、夜の生活のこと。遠慮のない質問に、いつしかフィリップは笑顔になっていました。この朝の散歩から、ふたりの間に友情が芽生えます。

昔乗っていたという高級車にフィリップを乗せ走り回り(ドリスは無免許)、散歩の際フィリップの車いすに速度を上げる改造を施して爆走したり、夜の街に繰り出して大人の店に入ったりと、二人の間には雇用者/被雇用者としての壁、人種の壁、そして障碍者/健常者の関係を超越した確かな友情がありました。フィリップにとって憐みなどまるで持ち合わせていないドリスとの時間はかけがえのないものでした。

ある日、文通相手に韻文の手紙を口述筆記させているフィリップを見かけたドリスは、その場で文通相手に電話をし、会いに行く約束を取り付けますが、障碍者であることを隠しているフィリップは約束をドタキャン。ドリスを呼び出し、そのまま自家用飛行機で旅行に出発、頸椎損傷のきっかけとなったパラグライダーをドリス(実は高所恐怖症)と共に楽しんだのでした。

最強のふたりの別れと再会

フィリップとドリスが屋敷へ帰ると、ドリスに来客があることを伝えられます。彼の腹違いの弟が逃げ込んできたのでした。反抗期真っ盛りの彼は悪い友人との断ち切れず、社会的に窮地に立たされていました。「ちゃんと躾をしたほうがいいぞ」という、かつてドリスがフィリップにかけた言葉を使い、フィリップはドリスに契約解除を告げ、ドリスは弟を連れて家族の元へと帰っていきました。

いなくなったドリスの代わりにフィリップの屋敷では新しい介護人を雇いますが、丁寧で慈悲深く、そして他人行儀な介護人にフィリップは心を開かず、また元の堅物主人に戻ってしまいます。髭も剃らせず、日に日におかしくなっていく主人の様子を見ていた他のお手伝いさんたちは状況を重くみて、内緒でドリスを屋敷に呼び戻しました。

呼び出されたドリスはその後、車にフィリップを乗せて道路を爆走。パトカーをうまくかいくぐり、ふたりは海辺の高級ホテルへ。ドリスはフィリップの髭を剃った後でランチのテーブルに彼を誘います。しかしドリスは食事の前におもむろに立ち上がり、「今度は逃げるなよ」とフィリップに告げ外へ。ほどなくして、あの時ドタキャンした文通相手が現れるのでした。

洋画・最強のふたりは実話を基に作られた?

洋画・最強のふたりはフィリップの実話を基にした書籍から?

「Le second souffle」という本が2001年に出版され、フランス国内で話題になりました。「第二の呼吸」という意味のタイトルで、著者はフィリップ・ポゾ・ディ・ボルゴ。「最強のふたり」の主人公の一人である大富豪フィリップその人です。

本著は、フィリップの生い立ちと頸椎損傷を負った事故、その後の生活、そして人生を変えた介護人アブデル・ヤスミン・セローについて書かれた自伝本です。日本語訳も出版されていますが、こちらのタイトルは「A Second Wind」と、英語訳のタイトルとなっています。

「最強のふたり」映画制作とその後

1993年のパラグライダーでの事故で体の自由を失い、その後最愛の妻も無くしたフィリップを支えたのは、介護人のアブデルとの友情でした。2001年に出版した自身の過去とアブデルとの共同生活を書いた本「Le second souffle(第二の呼吸)」が話題となり、フィリップとアブデルは翌年フランスのテレビ番組で取り上げられ一躍時の人になりました。

さらに翌年の2003年、前年のテレビ番組の司会者を務めていたヂュマ氏の手でふたりのドキュメンタリー「À la vie, à la mort」(生へ、死へ)が製作されました。さらに映画監督のトレダノ氏とナカシュ氏が映画化を決意、数年間キャリアと技術を蓄えた後、満を持して2011年に「Intouchables」の公開へと至りました。モデルのふたりへの取材を撮ったメイキングドキュメンタリーも公開され、ふたりの物語は世界に発信されました。

その後、世界中でリメイク版が製作・公開されました。アルゼンチンでは「Inseparables」(分けられない)というタイトルで、インドでは「OOPIRI」というタイトルでそれぞれ2016年に公開されました。2017年にはアメリカでニコール・キッドマン出演のリメイク版制作が発表されるなど、公開から現在まで7年経ってもまだまだ「最強のふたり」の武勇伝は終わりません。新作洋画の公開情報にご注目ください!

洋画・最強のふたりのエピソードもすべて実話から?

前述のとおり、映画「最強のふたり」は実話を”基に”して生まれた洋画です。基にしただけなので、完全なノンフィクションでもドキュメンタリー映画でもありません。とはいえほとんどの部分が事実なので、ここでは事実と異なる点をピックアップしていきます。

まず、ドリスについて映画ではアフリカ系の黒人移民として描かれていますが、実際にはアルジェリア出身のイスラム系。同じアフリカ大陸出身でも、地域によって人種や宗教が異なるのです。「ドリス」という名前については作品の中で「イドリスというあだ名からそう呼ばれている」と語られ、終盤ではアブデルの名前も登場しています。イドリスとはイスラム教の天使の名前で、このことからも本当はイスラム系であることが分かります。

ふたつ目は死別したフィリップの妻ベアトリスについてです。映画ではドリスが面接に現れた段階で死別していますが、実際にはアブデルが介護人になってから4年後の1996年に亡くなりました。当然ドリスとベアトリスは互いを見知っているでしょうし、妻について語るシーンでフィリップが映画中唯一涙を見せる描写も映画オリジナルのシナリオであることが分かります。

ドリスが介護の任から離れるきっかけにも、映画と現実の差異が見られます。実際のアブデルは、フィリップの体調のため共にモロッコ移住し、現在もモロッコに住んでいます。。映画のように弟を非行から救い家庭環境を改善するのための契約破棄ではなく、アブデルに恋人ができたことがきっかけとなって契約解除に至っています。このあたりは次項で詳しくご紹介していきます。

最強のふたりのモデルになった実在の人物は?

映画「最強のふたり」モデル・フランス人フィリップ・ポゾ・ディ・ボルゴ

1951年に生まれたフィリップは、現実でも大富豪です。大富豪、というよりも、かつてコルシカ島で公爵の位を冠したディ・ボルゴ家出身の、正真正銘の貴族の末裔でした。先祖はあのナポレオンとも交友があったというから驚きです。世界有数のシャンパンメーカーの重役を務めていましたが、1993年、彼が42歳の時、パラグライダーの事故で頸椎を損傷し、全身麻痺となってしまいました。

その後、介護人ドリスことアブデルと出会います。1996年にフィリップの妻が亡くなった後も、アブデルはフィリップを支え続けました。2001年に自身の過去とアブデルとの物語を書いた本「Le second souffle(第二の呼吸)」を出版し、これが映画「Intouchables(邦題:最強のふたり)」が生まれるきっかけとなりました。現在はモロッコで家族と共に過ごしています。

映画「最強のふたり」モデル・スラム出身の移民アブデル・ヤスミン・セロー

映画ではアフリカ系の黒人移民として描かれているドリスことアブデルですが、実際はアルジェリア出身なので地中海系。採用当時24歳でした。いずれにしてもフランスのスラム街には移民が多く、未だにパリでは疎まれた存在で、アブデルもまたそうした人々とともに生まれ育ちました。

そんなアウトローな世界で生きている、大富豪と出会うはずのない身分の彼ですが、遠慮を知らないアブデルだったからこそ、フィリップの心を開き、フィリップの元で働いた10年間と現在に至るまで続くことになる友情を築けたのでしょう。

最強のふたり・その後は?現在のふたりは?

映画で語られなかったモデルのその後

「最強のふたり」ことフィリップとアブデルは、アブデルの勧めでその後モロッコに移り住みます。現地で恋人ができたアブデルの将来を考え、フィリップは10年に渡って介護人を務めたアブデルとの契約を解消、アブデルはフィリップの元を離れました。その後、アブデルはスラム出身としては異例と言えるほどビジネスで大成功し、フィリップも新しい伴侶に恵まれ、ふたりの友情と物語は今なお続いています。

モデルとなったふたりの現在は?

フィリップの元を離れたアブデルは、その後結婚し3人の子宝にも恵まれました。仕事も順調で、現在はある企業の社長となっています。一方のフィリップも再婚を果たしています。「最強のふたり」公開時にはふたり揃って劇場に姿を現し、今なお続く友情を見せてくれました。

余談ですが、フィリップの現在の心境を語った言葉を、ナカシュ監督が映画製作のための取材で本人から引き出しています。それは「事故を境に2つの人生を生きることができた。両方の人生に誇りを持ち、幸せを感じている。ユーモアが僕たちふたりを救ってくれた」というものです。まさしく映画「最強のふたり」が描いた世界であり、フィリップとアブデルが思い描いた現在と未来そのものなのでしょう。

最強のふたりは実在の人物をモデルとした感動の実話だった!

いかがでしたでしょうか?「最強のふたり」が実在の人物と実話をモデルにした洋画作品であることがお分かりいただけたでしょう。決して障碍者モノの映画にありがちな重苦しい感動巨編ではありません。ドリスの真っすぐな人間性とフィリップの楽しげな笑顔に癒され、観終わったときに満たされた気分になる、ユーモアに溢れた映画です。世知辛い現代社会を生きる皆さん、自宅でゆっくり鑑賞してみてはいかがでしょうか。

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