笑点の座布団運び・山田隆夫の年収がすごい?ギャラ以外にも収入が?

笑点の座布団運びで知られる山田隆夫の年収がすごいと話題です。ここでは、長年大喜利コーナーで座布団運びを務める山田隆夫の気になる年収について見ていきます。また、山田隆夫には笑点でのギャラ以外にも収入があると言われています。その収入の元となる事柄についても紹介します。さらに、大喜利コーナーの挨拶について、短いという声がネット上で話題となっています。山田隆夫の挨拶が短いことについて迫ります。

笑点の座布団運び・山田隆夫の年収がすごい?ギャラ以外にも収入が?のイメージ

目次

  1. 笑点の山田隆夫とは?
  2. 笑点の山田隆夫の座布団運びの年収がすごい?
  3. 笑点の山田隆夫にはギャラ以外にも収入が?
  4. 笑点の山田隆夫の挨拶が短い?
  5. 笑点の山田隆夫に関する感想や評価
  6. 笑点の山田隆夫の収入まとめ

笑点の山田隆夫とは?

「笑点」の座布団運びと言えば、山田隆夫です。山田隆夫が前任の松崎真から替わって座布団運びになったのは、1984年の10月でした。当時「笑点」の4代目の司会者だった五代目三遊亭圓楽(六代目三遊亭円楽の師匠)の、「小柄な体格の山田隆夫が重い座布団を運ぶのは面白いかもしれない」という一声で、座布団運びに抜擢されました。以来、30年以上に渡って「笑点」で座布団運びを続けてきました。

1984年当時の「笑点」の司会者・五代目三遊亭圓楽には可愛がってもらったそうです。「山田くん」と呼ばれ、時には山田隆夫が目立つようにと、当時の出演メンバーの林家こん平にいじってもらえるように仕向けてくれるなど、サポートしてもらったそうです。山田隆夫は、多くの人の助けでここまで来られたと感謝し、老人ホームや被災地への訪問を行い、「笑い」を提供しているそうです。

「笑点」の山田隆夫の年収がすごいと話題になっています。ここでは「笑点」の座布団運び・山田隆夫の収入に注目し、座布団運びのギャラは?すごいと言われる年収は?についてと、「笑点」出演以外にも収入があるということで、そちらも共に紹介します。また、笑点は大喜利コーナーで、出演者がそれぞれ挨拶をしますが、山田隆夫の挨拶が最近短いと話題です。その挨拶についても見ていきます。

笑点の番組概要

「笑点」は、日本テレビ系で毎週日曜日、午後5時30分から午後6時まで放送されているバラエティ番組です。第1回が1966年の5月15日で、放送50年を超える長寿番組で「ギネス世界記録」を持っています。番組は2部構成となっており、芸人による演芸と大喜利という内容です。「笑点」の収録は1週間おきのペースで、主に東京・後楽園ホールで行われます。年に4回ほど地方で収録が行われます。

2019年現在の「笑点」のレギュラー出演者を紹介すると、第6代目の司会者が春風亭昇太、大喜利に出演するメンバー(落語家)は、林家木久扇、三遊亭好楽、三遊亭小遊三、六代目三遊亭円楽、二代目林家三平、林家たい平です。そして今回注目の山田隆夫が6代目の座布団運びで出演しています。

山田隆夫のプロフィール

「笑点」の座布団運び・山田隆夫は、1956年生まれ、東京都出身です。10歳で出演した「ちびっこのどじまん」で優勝したことがきっかけで、芸能界にデビュー。14歳で「笑点」のちびっこ大喜利のレギュラーになり、このちびっこ大喜利に出演する少年たちで結成したグループが「ずうとるび」でした。初シングルは、山田隆夫作詞・作曲の「透明人間」(1974年発売)です。

シングル6枚目の「初恋の絵日記」で1975年のNHK紅白歌合戦に出場。1977年、アイドル歌手・吉川桂子との結婚をきっかけに「ずうとるび」を脱退します。その後離婚することになり、慰謝料や養育費を払ったことで貯えも無くなり困っていたところ、「笑点」のプロデューサーから大喜利の座布団運びでの出演を依頼され、1984年の10月から6代目の座布団運びとして出演することになりました。

山田隆夫を起用した理由は、先にも紹介しましたが、小さい山田隆夫が重い座布団を運んだら面白そうだという一声と、ちびっこ大喜利での活躍ぶりをスタッフが覚えていたからでした。晴れて座布団運びになった山田隆夫は「座布団と幸せを運ぶ山田隆夫です」という挨拶で人気となりました。山田隆夫は座布団運びに決まった時、落語家の鈴々舎馬風(れいれいしゃばふう)に入門し、修行することを決意しました。

入門を決めた理由は、落語界の作法やしきたり、振舞い方などを勉強しようと思ったからでした。そして鈴々舎鈴丸(れいれいしゃすずまる)という名を与えられました。また、俳優としてドラマに出演することもあります。1979年の映画「英霊たちの応援歌 最後の早慶戦」では落語研究会の学生役を演じ、落語を披露しました。

他にも映画「思えば遠くへ来たもんだ」(1980年)、ドラマ「太陽戦隊サンバルカン」(1981年)などに出演。また、1987年にはスピルバーグ監督の映画「太陽の帝国」などに出演したこともあります。2019年の4月期ドラマ「集団左遷」の第1話にゲスト出演しました。

山田隆夫のずうとるび時代

ここで、かつて所属したアイドルグループ「ずうとるび」時代の山田隆夫を見ていきます。1970年から出演していた「笑点」のちびっこ大喜利で、座布団を10枚獲得したらレコードを出してもらえると聞かされ、山田隆夫は10枚獲得し、1973年にデビューを果たしました。翌年の2月にデビュー曲「透明人間」を発売しました。

代表曲は、「みかん色の恋」、「初恋の絵日記」、「恋の夜行列車」など計20枚のシングル、9枚のアルバムを発売しました。当時の「ずうとるび」の人気は高く、新御三家と称された郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎を抜き、ブロマイドの売り上げ1位を獲得したこともあったということです。すっかり人気グループに成長した「ずうとるび」でしたが、山田隆夫は、アメリカの「モンキーズ」のようなポップ・バンドにしたかったそうです。

しかし、他のメンバーはロック・バンドを目指しており、意見が合わなくなり、メンバーとの関係が悪くなっていきました。このように、山田隆夫が「ずうとるび」を脱退した理由は、結婚もありますが、他のメンバーとの考え方に違いがあったからと言われています。

笑点の山田隆夫の座布団運びの年収がすごい?

ここまで、「笑点」の座布団運び・山田隆夫のプロフィールやアイドルグループ「ずうとるび」時代について見てきました。山田隆夫は「ずうとるび」脱退後、30年以上に渡って「笑点」の座布団運びとして出演していますが、その年収が話題となっています。ここで、山田隆夫の年収について見ていきます。

山田隆夫の座布団運びの年収

「笑点」の座布団運びによる年収を見てみると、1984年から30年以上に渡って積み重ねた収入は、4億?とも言われています。座布団運びとしての給料は、いろいろな説がありますが、座布団を1枚運ぶごとに5000円と言われており、そのため、その時の収録内容によって変わっていくそうです。これまでの収入を合わせた金額が4億と言われているということで、年収を計算してみると、年収は1000万円を超えていることになります。

山田隆夫の愛車

「笑点」の座布団運び・山田隆夫の愛車は、光岡自動車のヒミコカブリオレ、2人乗りのオープンカーです。電動開閉式のルーフは、突然の雨でも素早く閉めることができます。また、ボディの色は481色の中から選ぶことができるそうです。

山田隆夫の座布団御殿

「笑点」の座布団運び・山田隆夫は横浜に自宅を構えています。地上2階建てで、地下が2階、エレベーターも付いている豪邸で、座布団御殿と呼ばれています。土地代を除いた建築の費用だけでも3億円は掛かっているだろうと言われています。

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笑点の山田隆夫にはギャラ以外にも収入が?

「笑点」の座布団運び・山田隆夫について、すごいと言われている年収、愛車、自宅についてみてきました。山田隆夫には座布団運び以外にも収入があるということで、その収入に迫ります。

山田隆夫の他の収入は不動産投資

マンションの不動産投資のイメージ画像

山田隆夫の収入は座布団運びの他にもあります。それは「不動産投資」です。17歳の時初めて土地を購入して以来、不動産の投資にも力を入れているそうです。山田隆夫は、都内にマンションを2棟所有しており、その家賃収入は毎月数百万円になるそうです。

不動産投資に目覚めた理由

山田隆夫は「ずうとるび」で活動中、作詞・作曲を担当していたのに、印税に関して無知だったことで、収入と言えば事務所からの給料だけだったそうです。しかし、その給料を地道に貯めていき、17歳で不動産を購入したそうです。なぜ山田隆夫が不動産にこだわったかというと、子どもの頃の辛い体験があったからだそうです。山田隆夫は裕福な家庭に生まれましたが、詐欺に遭い、土地を奪われるという不幸に見舞われました。

山田隆夫は、その時の悔しさから絶対に土地を買い、お金を取り戻すことを決意したのだそうです。最初に購入した土地周辺では鉄道や商業施設が出来たことで土地の価値が上がり、マンションを新築。そこからマンション経営を軌道に乗せていったということです。

また、山田隆夫は講演会を依頼されることも多く、その収入もあります。1回の講演で約50万円ほどのギャラを受け取っているそうです。講演会は月に何回かあるということで、毎月の収入は100万円から150万円ほどになるそうです。

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笑点の山田隆夫の挨拶が短い?

「笑点」の座布団運び・山田隆夫の収入、年収について紹介してきました。ここでは「笑点」の大喜利コーナーで、恒例のメンバー挨拶で、山田隆夫の挨拶が最近短くなったと話題になっています。ここで、短いと言われている挨拶について見ていきます。

山田隆夫の挨拶が最近短いと話題に

座布団運びの前任者・松崎真の後を受けて1984年から座布団運びをしています。挨拶は、笑点の人気コーナーである大喜利の冒頭で、出演者全員が順番に面白い言葉を添えて名乗っていくものです。出演者の中で最後に挨拶するのが、座布団運びです。山田隆夫は初出演の時、自分で考えるように言われたそうです。面白いことをやるようにとも言われ、初めて挑んだ収録では緊張で何を言えばいいのか、分からなくなったそうです。

初出演時の挨拶は「暑いですね!山田隆夫です」という一言だったそうです。ネット上で、山田隆夫の最近の挨拶が短いと話題だそうです。大喜利コーナーでは、先に落語家たちが先に挨拶をします。座布団運びの山田隆夫は、最後に挨拶をするということで、師匠と呼ばれる落語家たちの後で行う挨拶は、かなりのプレッシャーがあるだろうとされており、山田隆夫の挨拶が短くなったのも、仕方のないことと言われています。

山田隆夫の前任の挨拶

「笑点」の座布団運びの前任者は松崎真でした。松崎真は、1971年から1984年まで5代目の座布団運びとして出演していました。挨拶は「手を挙げて、横断歩道を渡りましょう。松崎真でございます」で、いつも同じ言葉でした。

笑点の山田隆夫に関する感想や評価

「笑点」で座布団運びを始めて35年という山田隆夫に対する応援メッセージです。「山田くん」あっての笑点で、ミスター座布団運びと呼び、これからも応援していきますということです。

「笑点」は毎週日曜日の夕方に放送されています。放送開始から50年を超える長寿番組である「笑点」を観ると、日曜日だなと感じるということです。中でも大喜利コーナーの座布団運びの山田隆夫が好きだということです。山田隆夫の「座布団と幸せを運ぶ山田隆夫です」という挨拶を聴くと安心し、落ち着くそうです。

「笑点」の座布団運び・山田隆夫の誕生日をお祝いするコメントです。この方は、山田隆夫がちびっこ大喜利に出演し、そのコーナーで結成された「ずうとるび」が人気グループとなり、紅白歌合戦に出場したことまでご存知です。また、1981年の「太陽戦隊サンバルカン」にレギュラー出演していたことも覚えておられます。プロフィールでも紹介しましたが、山田隆夫は俳優としても活動しています。

笑点の山田隆夫の収入まとめ

いかがでしたか?長寿番組「笑点」の座布団運びで長年出演している山田隆夫の、すごいと言われる年収や、座布団運び以外の収入について紹介しました。座布団運びの年収は、1000万円を超えることがわかりました。また、座布団運び以外の収入は、所有するマンションの家賃収入があるということでした。山田隆夫は、子どもの頃に体験した悔しさから、不動産経営に目覚めたということでした。

「笑点」の座布団運びでの挨拶が、最近短くなったと話題になっていますが、その事については、様々なプレッシャーなどがあるのではないか?と言われています。しかし、山田隆夫は「座布団と幸せを運ぶ山田隆夫です」という言葉を挨拶として使っており、その言葉を聴くと、安心するというツイッターのコメントもありました。

長年に渡って座布団運びをしている山田隆夫ですが、出演が決まった際には実際に落語家に入門するなど、落語界を理解しようと努力する姿もありました。日曜夕方の定番番組であり長寿番組の「笑点」で、座布団運びで観る人に幸せを届ける山田隆夫に、これからも注目していきましょう。

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