2020年07月26日公開
2020年07月26日更新
野沢那智の吹き替え作品と担当した海外俳優は?妻・息子や死因についても調査
リアルタイムで故・野沢那智さんの声を聞いたことがなくても、レンタルや動画配信、ゲームなどで野沢那智作品をご覧になった人はいることでしょう。イケメンボイスから悪役ボイスまで自在に操る野沢那智さんは、海外俳優の吹き替えやアニメで長年活躍してきました。今回は声優・野沢那智さんだけではなく、舞台人としての野沢那智さんを掘り下げながら妻や息子、死因などプライベート面も調査していきます。
野沢那智とは?
野沢那智のプロフィール
声優界レジェント野沢那智さんは、ラジオパーソナリティ、俳優、演出家、実業家として幅広く活躍していました。父は作家の陸直次郎さん、妻は女優の成瀬麗子さん、一人息子の野沢聡さんは両親と同じく俳優となっています。さらに姪は、お笑いで一世を風靡したタレントの野沢直子さんという華麗なる芸能一族だったようです。
野沢那智さんは芸名と本名の漢字表記は同一なのですが、本名の読み方は「のざわ やすとも」です。なぜが本名で呼ばれることなく那智(なち)と呼ばれ、皆さんがご存知の芸名「野沢那智」(のざわ なち)が誕生したようです。
野沢那智がアテレコを本格的にやろうと決意した理由
野沢那智さんが声優・俳優になるまでの経緯
舞台美術家を志していた野沢那智さんは、大学3年頃からプロ劇団で裏方に携わるようになります。舞台美術家の才能は花開くことはなかったようですが、演劇業界には携わっていかったようです。野沢那智さんは大学中退後、舞台演出家を目指し劇団「七曜会」で演出家研修生として入団するのですが俳優をやることとなり、当時誕生したての洋画の吹き替えの仕事にも関わるようになっていきます。
その後、劇団「七曜会」を退団した野沢那智さんは劇団「城」を設立しますが、難解な演目を多く演出したためか客足は途絶え劇団は解散となります。多額の借金を抱え込んでしまいますが、芝居への情熱は失せることはなかったようです。
借金返済のため野沢那智さんは、劇団「七曜会」時代からアルバイトでやっていた声優を本格的にスタートさせることとなります。声優の仕事が順調に進んでいき借金が半分に減ったので、声優を辞めようと考えていた矢先、海外ドラマ「0011ナポレオン・ソロ」のオーディションに合格してしまいます。
野沢那智さんが出演している番組を見ていたディレクターが、メインキャストのイリヤ・クリヤキン役に決定していた俳優の愛川欽也さんから野沢那智さんに変更したようです。瞬く間に海外ドラマ「0011ナポレオン・ソロ」は大人気ドラマとなりブレイクした野沢那智さんは、借金返済のためにしていた声優を続けることになったようです。
マルチに活躍した野沢那智さん
野沢那智さんは声優以外に「巨人の星」の明子役や、「機動戦士ガンダム」のミライ役の声優の白石冬美(82歳没)さんと「那智チャコ」の愛称でラジオ番組のパーソナリティ・コンビを長年務めていたようです。今では声優がラジオ番組のパーソナリティをするのは当たり前ですが、野沢那智さんはその先駆者だったと言えるかもしれません。
野沢那智が劇団「薔薇座」を設立
劇団「薔薇座」とは?
劇団「薔薇座」を1963年に設立した野沢那智さんは「演劇界の修羅」として、超絶スパルタ演技指導で座員たちを鍛え上げることから劇団「薔薇座」は「ナチ収容」と称されるようになります。野沢那智さんのラジオ番組を通じて入団した者は、ラジオ番組のパーソナリティからは想像できない「演劇界の修羅」野沢那智さんの姿に驚いたようです。
1975年に解散→1977年に再結成→1992年頃に解散している劇団「薔薇座」は、1988年にミュージカル「スイート・チャリティ」で文化庁芸術祭賞を受賞するほどの実力派の劇団だったようです。
劇団「薔薇座」出身の俳優・声優
劇団「薔薇座」ではアルバイトとして洋画・アニメなど声優の仕事もあり、声優として活躍している人もいるようです。声優として活躍するようになった「アンパンマン」の戸田恵子さんはその後、女優としても第一線で活躍するようになります。
戸田恵子さん以外にもアーノルド・シュワルツェネッガー専任の吹き替えの玄田哲章さんや、「機動戦士ガンダム」のブライト役の鈴置洋孝さんなど劇団「薔薇座」には実力派の声優・俳優が多数在籍していたようです。
◆野沢那智の吹き替え作品と担当した海外俳優
野沢那智が吹き替えを担当したアラン・ドロン
1960年代の映画「太陽がいっぱい」で世界的にブレイクしたフランス人俳優アラン・ドロンの吹き替えをした野沢那智さんは、数人いるアラン・ドロン担当声優のひとりから1970年代後半頃にはアラン・ドロン専任の吹き替え声優となっていきます。
入念な下準備したアラン・ドロンの吹き替えに挑んだ野沢那智さん
超絶イケメンのアラン・ドロンの低音のフランス語は、言葉が分からない日本人にとっても魅力的です。アラン・ドロンより声質が高い野沢那智さんが、低い声で日本語で吹き替えると聞こえ方が異なるため、試行錯誤の末「超然イケメンのアラン・ドロン=甘さのある柔らかさ」というイメージを元に声のトーンを構築していったようです。
オーバーな芝居ではなく「さざ波のような声」を念頭に置いて、アラン・ドロンが演じた役を日本語で表現するように心掛けていたようです。孤高の人を演じることが多かったアラン・ドロンに合わせて野沢那智さんは、収録の3日前から本番まで人に接しないという徹底的な役作りをしていたようです。
野沢那智さん吹き替えの代表作となったアラン・ドロンの主演映画「太陽がいっぱい」
アラン・ドロンの代表作「太陽がいっぱい」は、声優・野沢那智さんの代表作であると言えます。70歳を目前に野沢那智さんは局からの打診に一旦は断ったものの、2008年テレビ東京で放映された「太陽がいっぱい」で3度目のアラン・ドロンの吹き替えに挑んでいます。当の本人は、完成した3度目の「太陽がいっぱい」を観るのが怖いと語っており未見のようです。
アラン・ドロン=野沢那智さん
業界関係者から「アラン・ドロンから連絡を貰った」「稽古場でアラン・ドロンがソバを食べていた」などのジョークが飛び交うぐらいアラン・ドロンの吹き替えが当たり役となった野沢那智さんは、数多くの海外俳優の吹き替えをした中でアラン・ドロンの吹き替えが一番やり易かったと語っています。
自身が担当したアラン・ドロン作品の中で、「黒いチューリップ」「アラン・ドロンのゾロ」「地下室のメロディ」「ブーメランのように」「高校教師」などが印象に残っているようです。
野沢那智が吹き替えを担当した他の作品や俳優
野沢那智さんはアラン・ドロン以外にも超絶イケメン俳優の吹き替えにしており、「愛と哀しみの果て」「アンカーウーマン」などでハリウッドを代表する超絶イケメン俳優ロバート・レッドフォードを担当していたようです。演技派俳優の吹き替えもしており、巨匠コッポラの「ゴッドファーザー」シリーズのアル・パチーノや、「レインマン」のダスティン・ホフマンなど挙げたらキリがありません。
アニメでも洋画の吹き替え同様に「エースをねらえ」の宗方仁や、「ベルサイユのばら」のフェルゼンなど女性好みのイケメンキャラを数多く担当しています。イケメンキャラだけでなく男っぽさ全開の「スペースコブラ」のコブラや、映画「クレヨンしんちゃん アクション仮面VSハイグレ魔王」のハイグレ魔王など意外性満載のキャラも担当していたようです。
野沢那智の妻・息子
野沢那智の妻
野沢那智さんの妻・成瀬麗子さんは、野沢那智さんが座長を務める劇団「薔薇座」の看板女優だったようです。成瀬麗子さんの生い立ちや野沢那智さんとの馴れ初め、女優としての経歴は不明なので現在も女優として活躍しているのかわかりません。ひょっとしら、女優ではなく妻として裏方に徹しているのかもしれません。
野沢那智の息子
野沢那智さんの息子・野沢聡さんは、両親と同じく舞台俳優として2000年ごろから活躍しており、芸歴20年ほどになるようです。声優に関しては、ストイックに取り組んでいる父の姿を目の当たりにしていため少なかったようですが、2010年の父の死去を経て本格的に声優活動をスタートさせたようです。
父がブルース・ウィリスの吹き替えを担当していた映画「ダイ・ハード」シリーズ5作目で、野沢聡さんはジョン・マクレーンの息子ジャックの吹き替えを担当しています。既に野沢那智さんは亡くなっていたので、弟子の中村秀利さんがジョン・マクレーンを吹き替えしており、ファンが見たかった親子共演とならなかったようです。
野沢那智が亡くなったのはいつ?死因は?
野沢那智が亡くなったのはいつ?
1938年1月13日に生まれた野沢那智さんは、2010年10月30日に72年の生涯を閉じます。野沢那智さんとの別れを惜しむ俳優・声優仲間が数多く参列した2011年2月14日のお別れの会で、野沢那智さんと共にラジオの一時代を築いた相棒で盟友の白石冬美さんが俳優・声優仲間を代表して弔辞を読んだそうです。
野沢那智の死因
亡くなる前年あたりから体調が悪かった野沢那智さんは、2010年7月頃までは後進の指導にあたっていたようですが、肺がんにより8月から入院し治療生活となります。回復する兆しがないまま10月30日、妻や息子、親族、養成所の生徒たちに見守られながら死因・肺がんで亡くなっています。野沢那智さんが死因・肺がんで亡くなった訃報が入ると、ファンやリアムタイム世代から数々のお悔やみの言葉がツイートされたようです。
野沢那智に関する感想や評価
#ベルサイユのばら
— セージァム小おじさま (@Seiji16th) November 20, 2019
「突然イカロスのように」より
オスカルの危機に颯爽と現れたフェルゼンの声は、病気から復活した野沢那智さん!
EDのテロップで確認すると、6話~8話までが代役の堀勝之祐さんだったんだな。
聴き比べると違いは分かるけど、言われなければ、全然気づかなかったよ。😅 pic.twitter.com/ezNXoaWXN0
アニメ「ベルサイユのばら」にときめいていた小学生だった私は、フェルゼンの野沢那智さんがアラン・ドロンの吹き替えをしていたのは知りませんでした。子供ながらフェルゼンにドキドキしていたのは、その根底に超絶イケメンのアラン・ドロンの吹き替えたあったからでしょう。
出崎監督は好きだけどエースをねらえに関しては新エースをねらえの方が個人的に好きだった。
— びすたま (@cogepy941171) October 14, 2019
理由→原作に近い(原作好きなので)、野沢那智の宗方コーチが好き😁 https://t.co/Anlozxsu7w
「クレヨンしんちゃん」でみさえが「宗方」という人ががママさんバレーのコーチをすると知り、「エースをねらえ」の宗方コーチを連想しながら参加してしまいます。しかし、みさえが目にしたのは宗方コーチとは程遠い普通のおじさんだったのです。野沢那智さんのイケメンボイスにより、宗方コーチはネタにされるほどの昭和の漫画を代表するイケメンとなったようです。
野沢那智さんの死因って何だったかなぁって調べたんだけど、ずらりとならんだ検索候補の名声優さんたちの死因に胸が痛い………
— 新潟会戦に特攻野郎星霜㌠ (@ikuseisou02) June 4, 2018
そうだよなぁ皆さん同世代を生き抜いた戦友だもんなあ pic.twitter.com/XZ6RigzVM3
何気に野沢那智さんの死因を検索すると、昭和~平成を彩ったレジェント声優がヒットします。しかし、よく耳にする死因で亡くなっている方が多く、ひとつの時代の終わりをひしひしと痛感しています。
野沢那智についてまとめ
テレビ黎明時代に誕生した吹き替えの仕事は当時、見下されていたようですが無名時代の野沢那智さんはアルバイトでありながらも真摯に向き合っていたようです。声優と俳優は表現するフィールドが違うとは言え、演技に人生を捧げた野沢那智さんの情熱は、一線で活躍している声優や俳優たちに受け継がれていることでしょう。