ドラゴンヘッドの映画版ネタバレ・あらすじ!漫画版との結末との違いは?
2003年に上映された荒廃した近未来をテーマに少年と少女のサバイバルをテーマに描いた映画ドラゴンヘッド。監督はナイトヘッドや佐粧妙子・最後の事件、アナザヘブン等の作品で知られている飯田譲治。主演は妻夫木聡さんにSAYAKAさん(現在は神田沙也加さん)。今回は映画版のドラゴンヘッドのあらすじを追いながら、漫画版ドラゴンヘッドとは異なっている部分も確認して、それぞれの作品の魅力をネタバレしながら確認していきます。最後には漫画版とは異なる結末をネタバレを含んで紹介していきます。
目次
- 映画版ドラゴンヘッドの魅力について、ネタバレしながら迫る
- 映画版ドラゴンヘッドのあらすじとネタバレを交えた考察
- 映画版ドラゴンヘッドのあらすじ紹介!青木テルは普通の男子高校生
- 映画版ドラゴンヘッドのあらすじ紹介!同級生や先生は全て死んでいた?
- 映画版ドラゴンヘッドの新幹線は脱線事故を起こしていた!
- 映画版ドラゴンヘッドの高橋ノブオは終わりの中にいた!
- 映画ドラゴンヘッドの青木テルは瀬戸アコを発見する
- 映画版ドラゴンヘッドの高橋ノブオは虐められていた
- 映画版ドラゴンヘッドの高橋ノブオはミニラ先生を殺していた
- 映画版ドラゴンヘッドの高橋ノブオは闇と仲良くすることを説く
- 映画版ドラゴンヘッドの青木テルと瀬戸アコは換気ダクトを利用して脱出を試みる
- 映画版ドラゴンヘッドの青木テルと瀬戸アコは中年集団に遭遇する
- 映画版ドラゴンヘッドの大人たちは大災害の理由を推測する
- 映画版ドラゴンヘッドのロボトミー手術をされた子供たち
- 映画版ドラゴンヘッドの大人は少年少女を性の対象としてしか捉えていない
- 映画版ドラゴンヘッドの青木テルはヘリコプターから誤って落下する
- 映画版ドラゴンヘッドの食料には恐怖を無くす物質が混入していた
- 映画版ドラゴンヘッドの終わりは希望と絶望が分からない儘だった
- ドラゴンヘッドの魅力はサブカルチャーにおける預言書だった
映画版ドラゴンヘッドの魅力について、ネタバレしながら迫る
ドラゴンヘッドは望月峯太郎原作の漫画を原作にした映画作品です。映画が上映されたのは2003年8月30日。監督にキャストされたのはナイトヘッドやアナザヘブン等、オカルトや超常現象をミステリーという形式で作品化している飯田譲治監督。主要キャストに妻夫木聡さんとSAYAKAさん(現在は神田沙也加さん)を迎えて製作されました。また、最重要人物の高橋ノブオを山田孝之さんが演じたことでも話題になりました。
映画版ドラゴンヘッドのあらすじとネタバレを交えた考察
この先映画版ドラゴンヘッドをあらすじを追いながら、漫画版との終わり方の違いやあらすじやネタバレをしながらキャストの紹介を書いていきます。漫画原作という映画化にとって最大の難問をどのように解決しようとしたのか、それに耐えられる物語のあらすじなど、ドラゴンヘッドという作品が優れていて今でも多くの読者を魅了していると言われる理由を、ネタバレを交えて説明していきます。
映画版ドラゴンヘッドのあらすじ紹介!青木テルは普通の男子高校生
ドラゴンヘッドという作品のあらすじから紹介していきます。現代の日本のごく普通の男子高校生の青木テルは普段から平凡な人生を歩む平凡な少年です。青木テルには妻夫木聡がキャストされています。今回、新幹線に乗っていたのも、京都に修学旅行へ行く帰り道だったからです。当然ごく普通の少年ですから同級生の友人たちとも戯れの戯言を交わしていました。彼の学校の制服はベージュのブレザーの制服です。
テルは東京の風景や景色もよく覚えていません。何故なら少しのお金と時間を掛ければ、京都にさえも気軽に行けるし、修学旅行という名目で行く必要もないからです。青木テルにとって、東京に戻ることはいつでも出来ることでしたから、景色を楽しむこと自体があまり大事なことだとは考えていませんでした。
漫画版は表現しようとする世界を、原作者の望月峯太郎先生がほぼコントロールしているため、漫画ならではのダイナミックな展開が見られます。映画版は漫画表現があらわすことが出来なかったリアリズムを、アクションの形で現そうとしています。ネタバレになりますが、両者の違いがあまりないのは、あくまで過去にあった出来事やイメージをもとに物語が作られているからです。
映画版ドラゴンヘッドのあらすじ紹介!同級生や先生は全て死んでいた?
そもそも、青木テルが新幹線の事故で助かったのは、同級生の男子高校生から「WANDA」の缶コーヒーを放ってもらったからです。その缶コーヒーをたまたまつかみ損ねて、しゃがんで拾おうとした瞬間に新幹線の事故が起こりました。青木テルは気絶をしていたので、友人たちの死ぬ瞬間を見ることがありませんでした。
新幹線の車中は、高校の同級生たちの死体がありました。それらは殆どが多分、即死のようでした。青木テルは気絶をしていたから分かりませんでしたが、もしかしたら即死ではなかった同級生もいたからもしれません。担任のミニラ先生も死体になっています。ちなみにミニラ、とはゴジラの子供のミニラに似ていることから生徒がつけたあだ名です。ミニラ先生には島田久作がキャストされています。
ミニラ先生に島田久作さんがキャストされた理由の考察
ミニラ先生にキャストされた島田久作さんは帝都物語では加藤という悪役を演じていました。ミニラという明らかにゴジラから来ている名前や島田久作さんという加藤をイメージさせる演出など、過去の物語に対するオマージュが垣間見えます。その表現の現代性と剽窃性こそ、二つのドラゴンヘッドをつなぐ鍵です。ドラゴンヘッドはある種のマニエリスムによって成り立っているのです。
崩壊した近未来と近過去に関する考察とネタバレ
青木テルは「WONDA」の缶コーヒーを落としそうになり、偶然助かります。しかし偶然の部分に固有名詞の「WONDA」が描かれているのはドラゴンヘッドが現代を舞台にしていることを説明する以上その他の意味があります。それはある時期以前は「WONDA」の缶コーヒーは存在しなかったからです。時間を指定されているのがドラゴンヘッドの特徴であり、そのことが近未来漫画ではなく近過去漫画の可能性を示唆しています。
映画版ドラゴンヘッドの新幹線は脱線事故を起こしていた!
恐怖よりも混乱の中で、青木テルは新幹線のドアを開けて、外に出ました。そもそも新幹線はトンネルの中で停車をしていました。それでなければドアが開くことなど無いはずですし、車中の人間が皆、死んでいることなど有り得ないことだからです。新幹線の外から見ると、新幹線は脱線事故を起こしていることが分かりました。
トンネルから出ようと歩いていく青木テルですが、トンネルの先は崩落していました。反対側も車両が潰れていて塞がれています。青木テルは自分がトンネルに閉じ込められているのを知りました。携帯電話も通じません。「おーい。誰か。」と青木テルは声を出してみました。しかし何の返答もありません。
映画版ドラゴンヘッドの高橋ノブオは終わりの中にいた!
落ち込む青木テルでした。予測はついても当然落ち込みます。そんな青木テルはかすかな音を聞きました。そこには体育座りをしている同級生の男子高校生・高橋ノブオがいました。高橋ノブオには山田孝之がキャストされています。高橋ノブオは「終わったよ。終わったんだって。」と錯乱状態を隠さずに青木テルに伝えました。
高橋ノブオは「僕も前とは全然、変わっているから。」と意味不明瞭な告白をしました。そんな高橋ノブオの顔は血で染まっていました。高橋ノブオは食堂車に向かいました。青木テルも高橋ノブオについて行きます。水を飲み、弁当を食べて腹を満たした二人でしたが、トンネル内は暑いので、この食糧がいつまで保つか分からない状態です。
山田孝之がキャストされた高橋ノボルの異常性についての考察
高橋ノボルの分かりやすい被虐性と暴力性が赤い光や終わりと変化という言葉から読み解けます。漫画表現には暴力描写のしやすさがあります。特に少年漫画における暴力が肯定的なのに対して青年漫画の暴力は否定的です。人間の所属する世界観によります。暴力を肯定する世界に対するアンチテーゼとしてドラゴンヘッドは成り立っているのです。そして少年の暴力が否定される為の象徴キャラクターを高橋ノボルが担当しています。
死体と同級生の変化に関する考察とネタバレ!
青木テルは大災害時に気絶をしていますが、意識の断絶によって意識前、意識後に物語も断絶されていることが示唆されています。同級生や先生の死と世界の変化によって、物語の世界の捉え方が一気に変わっていくことがテーマになっています。青木テルは絶望の瞬間を見なかった為、終わりや変化を直視することが無かった為、変化に対処する力を得られた可能性があります。
映画ドラゴンヘッドの青木テルは瀬戸アコを発見する
高橋ノブオは錯乱して、自分の食料を守る為、青木テルを追い払いました。まるでゴールディングの「蠅の王」のような残酷さです。外に追い出された青木テルは地鳴りが聞こえたので、天井から落ちる土埃を避けて車両の下に避難しました。青木テルはそこに女子高校生の瀬戸アコが生存していることを知りました。
映画版ドラゴンヘッドの高橋ノブオは虐められていた
瀬戸アコにはSAYAKAがキャストされています。瀬戸アコは左の膝小僧を怪我していました。高橋ノブオの生存は知っていたようですが、錯乱状態が続いているので、関わらないように身を潜めていたそうです。もともといじめられっ子の高橋ノブオは事故の直前まで同級生の森川たちにトイレで閉じ込められていました。高橋ノブオはトイレに隔離されていたので逆に助かったのです。
映画版ドラゴンヘッドの高橋ノブオはミニラ先生を殺していた
実はノブオは新幹線の事故のあと、トイレから出てきて、ミニラ先生に呼びかけたのでした。ミニラ先生が助けを乞う姿をみて、怒りに我を忘れた高橋ノブオは竹刀で殴りつけて、ミニラ先生を殺してしまいます。その一幕を瀬戸アコは見ていたのでした。つまり高橋ノブオの顔の血はケガからのものではなく、ミニラ先生の返り血だったのです。
瀬戸アコは、青木テルの精神状態が「普通」であることを確認した後、何が起きたのか話し合いました。高橋ノブオの「赤い光」の話や、絶えず地響きが聞こえてくること等から、大地震がおきたようには感じられますが、そもそもトンネルの中なので詳細は不明です。車両に戻った青木テルは、救急箱とラジオを発見しました。
普通と狂気に関する考察
高橋ノボルが変化したのは周囲の変化に耐えられなかったためとミニラ先生を殺害したことによるようです。一方、狂気から逃げた瀬戸アコは普通の認識を青木テルに求めます。青木テルは狂気と戦うことを決意しますが、青木テルは偶然助かった自分に対する意識が低いのが特徴になっています。つまり非常にロールプレイ的な心境が強いのです。
映画版ドラゴンヘッドの高橋ノブオは闇と仲良くすることを説く
別行動をしていた高橋ノブオは瀬戸アコを発見します。高橋ノブオはミニラ先生たいの死体を集めて、食堂に連れ込みます。死体も含めて「家族」と見立てる高橋ノブオは青木テルや瀬戸アコに対して「闇と仲良くしなきゃ。君も見たろ、赤い光。」と言い募るのです。
助けが来ないことを主張する高橋ノブオに対して、青木テルはいつか助けが来て救助されると主張します。高橋ノブオは青木テルに掴みかかり、揉み合いになり、青木テルは高橋ノブオの首を締めてしまいます。その結果、高橋ノブオは気絶をしてしまうのです。
青木テルと瀬戸アコは途方に暮れています。気絶から目覚めた高橋ノブオも放心状態になりました。何度も揺れが起きて、其の度ごとにトンネルの天井部分から土埃が落ちてきます。トンネルが持たないかもしれない、と考えた青木テルは助けを待つ前に行動を起こし脱出しようとします。
映画版ドラゴンヘッドの青木テルと瀬戸アコは換気ダクトを利用して脱出を試みる
トンネル上部にある通気口がはみ出ていて、換気ダクトを使って脱出を試みた青木テルは車両の上に載って、其処へ登ろうと試みます。振り返ると発狂した高橋ノブオが口紅で妙な化粧をしていました。口紅を口裂け女のように描き、瞼にも縁取りをして、上半身は裸になり水玉模様を描き、金属の鉄骨を持って青木テルに襲ってきました。
そこに揺れが三人を襲いました。高橋ノブオは車両の屋根に落ちてしまいます。そのすきに青木テルは換気ダクトに登って、瀬戸アコを引っ張り上げました。高橋ノブオはテルを見上げました。しかし土埃がおこり、押しつぶされてしまいました。青木テルは高橋ノブオの名前を絶叫しました。
直径60cmほどの換気ダクトを這って進んだ青木テルと瀬戸アコは、出口から外に出ました。外に出ると、一面白い灰に包まれた世界でした。見晴らしの良いところに移動しても、一面が灰だらけの世界でした。その世界からイメージされるのは火山の噴火と大地震のイメージでした。
青木テルも瀬戸アコも何が起こったのか分からないまま、ただ真っ白な灰の中を歩き続けました。すると街らしき場所にたどり着いたのです。コンビニエンスストア「LAWSON」の看板を見つけた青木テルはお茶を手に入れました。瀬戸アコは赤いリュックサック、青木テルはスポーツバッグを手に入れました。そこに水や食料を入れました。まるで冒険に出る前の準備をしているようです。
青木テルと高橋ノボルの違いに関する考察
青木テルには瀬戸アコといった守るものがありました。一方高橋ノボルは先生を殺害しています。あたかも違いが明確ですが、実際に違うのは高橋ノボルが狂気に染まりやすい環境にあったことです。青木テルは狂気に対する共感性が低く、そのため生き残る気持ちが強く表れています。瀬戸アコが希望の象徴化していくのはドラゴンヘッドの物語が求めているよう見られます。
映画版ドラゴンヘッドの青木テルと瀬戸アコは中年集団に遭遇する
そのまま、街の建物に避難した青木テルと瀬戸アコは大勢の人物に囲まれてしまいます。安藤と名乗る中高年の男性の集団(安藤にキャストされたのは寺田濃です。)青木テルと捕まえると日本刀で首を跳ねようとしました。「若い奴らが暴れてな。どうしようもなかった。だから全部なかったことにするんだ。」と話す彼らはただ殺人に理由をつけているだけでした。
青木テルは追い込まれてしまいましたが、そこに突然赤い車が突入してきます。中高年の集団は標的を赤い車に向けました。自衛官の制服を着た仁村と岩田(仁村には藤木直人がキャスト、岩田は近藤芳正がキャストされています。)の二人が銃を撃ち始めます。青木テルと瀬戸アコはそのすきに逃げ出します。まるでゲームの一場面のような様相を呈しています。
映画版ドラゴンヘッドの大人たちは大災害の理由を推測する
裏側に逃げた二人は若者たちの焼死体を発見してしまいます。そこに仁村と岩田の乗った車がやってきます。炎に撒かれて車を乗り捨てざるを得なくなった二人は、四人組になって逃げだすことになりました。仁村と岩田の話を聞くと、「龍脈が乱れた。」と言うことでした。地殻変動によって磁場が乱れたのではないか、と語る岩田に対して仁村はクールな様相でした。
「地震で原発が破壊された。」「でかい隕石が落ちた。」「竜神が暴れた。」「最後の審判が下された。」と色々な説がありますが、何が起きたかを知る人は居ないようでした。「旭徳清会病院」の前には白塗りの男がいました。その男を後を附いて行くと、カラフルな部屋があり、色とりどりの風船がありピアノで単調なメロディを弾く少年二人組がいました。
ドラゴンヘッドの中に大人についての考察
映画版ドラゴンヘッドは行動的ですが、暴力と性によって支配されています。そしてその行為に対しての説明は殆どされていません。理由はありますが希薄なのです。恐怖に対する感情や共感性が強いからこそ、行動的になっています。一方青木テルや瀬戸アコの少年少女たちは恐怖に対する共感性よりもその中から希望を選ぼうとするエネルギーがまだ残っているようです。それは恐怖の対象が死でありながらも、暴力に抗う力が強いからです。
映画版ドラゴンヘッドのロボトミー手術をされた子供たち
風船に挟まれるように、腹から血を流した女性が倒れていました。その女性は少年たちの母でした。この女性は藤井かほりさんがキャストされています。その女性は、父が少年たちの恐怖と取り除くため、手術を行ったと言いました。この手術はいわゆるロボトミー手術と言います。このことから二人は現代から過去にさかのぼった可能性があります。少年たちは頭に手術跡がありました。
女性は「殺してくれ」と頼みました。仁村は青木テルに銃を渡して、殺すことを支持します。青木テルは躊躇してしまい、その間に女性は死んでしまいます。仁村は「楽にするためには殺すほうがよい。」と指摘します。母が死んでも感情をあらわにしない少年二人を見て、瀬戸アコは感情を無くしたくない、と強く思いました。
この二人の少年はシュンとジュンといい、大岡翔太と吉岡翔仁の二人がキャストされています。病院で新たに白い車を手に入れた一行は少年二人を連れて移動をし始めました。広い場所に移動した仁村は、青木テルを呼びます。降りた青木テルに仁村は銃口を向けるのです。
ロボトミー手術と恐怖についての考察
恐怖が家族に依存していると一時期考えられていたため、脳自体を手術することで恐怖を取り去ることが考えられていました。それがロボトミー手術です。その結果患者たちは恐怖を感じなくなりましたが、一方で人間らしい感情を失ってしまいます。恐怖から逃げずに向き合うことがドラゴンヘッドのテーマになっていますが、一方でシュンとジュンの兄弟が頭龍として世界崩壊後の世界の道しるべにも成っているのです。
映画版ドラゴンヘッドの大人は少年少女を性の対象としてしか捉えていない
しかし岩田は仁村に銃を向けました。仁村は青木テルを男娼にするのか、と問いかけ岩田を射殺してしまいます。若い男や女には慰み者としてしか価値が無いと考えていたのです。仁村は青木テルを殺そうとしますが、瀬戸アコが岩田の銃を拾って仁村に突きつけます。そこに噴火が起きたので、仁村は瀬戸アコだけを乗せて車で走り去ろうとしますが、瀬戸アコは青木テルの手を取り車に乗せます。
逃げ出す車に火山弾が当たり、車は横転します。青木テルと瀬戸アコは無事でしたが、仁村は車の下敷きになりました。少年たちも一人だけ助かりました。そこにカーラジオのニュースで「東京では一部で食料の配布が開始された。」と流れましたが聞き逃してしまいます。瀬戸アコは中学時代に両親を交通事故で亡くしました。少年たちのように感情を失いたくないと考えてもいましたが、「ああなっちゃった方が幸せかも。」と言いました。
青木テルと瀬戸アコは絶対に東京へ一緒に帰ろうと約束しました。そこに低空飛行する自衛隊のヘリが下りてきました。三人は助けられたのです。偶然助けられたヘリコプターには操縦士に佐伯がいました。それに右ひざから下が無い松尾や手首が無い美香、松尾の家族、由里子が載っています。佐伯と松尾の話から二人は東京で配給が開始されたことを知りました。
ドラゴンヘッドの偶然性と必然による支配に関する考察
青木テルがヘリコプターに出会わなければ、大人たちに会わなければ、そもそも新幹線が事故に合わなければ、とあらゆる可能性を排除された物語の中でいかに生きるかがテーマになっています。この強い偶然性はゲームにおける物語性と関係がありそうです。今まで起こりえるであろう災害が全て詰め込まれた絶望の書こそドラゴンヘッドの骨幹になっているのです。偶然性に対処できるのは反抗ではないでしょうか。
映画版ドラゴンヘッドの青木テルはヘリコプターから誤って落下する
何度も墜落しそうになるヘリコプターから由里子が暴れて扉が開き青木テルは落下してしまいます。がれきの中で目覚めた青木テルは、疲労困憊しながらも移動をしました。移動の途中で高橋ノブオの「闇と仲良くなるんだよ。」という言葉を思い出します。正気を失えば楽になれるかも、と自問自答しつつ、東京に残っている両親を思い出し、必死で東京のマンションの自宅にたどり着きます。
自宅のマンションを見つけて入る青木テルですが、実家の家具は散乱して荒れていました。両親の死を確信して青木テルは叫びます。目的もないまま彷徨う青木テルは自分を救出してくれたヘリが墜落しているのを発見しました。瀬戸アコは持っていた赤いリュックも焼けていました。瀬戸アコが死んだのかもしれない、と思い高橋ノブオのように鉄骨を振り回す青木テルでした。
青木テルは自分が狂っている行為をして、初めて高橋ノブオの気持ちが分かりました。発狂しそうな青木テルは、頭に手術痕がある少年を見つけます。少年と共に、JR渋谷駅の構内に生き残りがいることを知ります。生存者たちは異様なまでに静かでした。配給の缶詰を口に運んでいます。佐伯を見つけましたが、佐伯も反応しません。松尾は正気で青木テルに事情を説明しました。
映画版ドラゴンヘッドの食料には恐怖を無くす物質が混入していた
東京の地下で発見された非常用保存食料には、一般市民の暴動やパニックを避けるため、食べ物の中に薬物を混ぜられていました。その缶詰を食べることで少年のように感情が持てなくなるのです。生存者は恐怖から解放された成れの果てでした。由里子も松尾も缶詰を口にします。そして青木テルにも缶詰を勧めるのです。
青木テルにはまだ瀬戸アコを見つけたい、という気持ちが残っていました。缶詰を投げ捨てた青木テルは瀬戸アコを見つけました。しかしアコは反応をしません。もしかして食料を食べてしまったのでしょうか。しかし瀬戸アコは青木テルのことを待って、衰弱しながらも食料を食べていなかったのです。感情が残っていたのです。
強い地響きがあり、天井が崩落し始めました。青木テルは瀬戸アコを連れて逃げますが、そこにいる人たちは感情を失っていて逃げようともしません。地上に出た二人は火山弾が飛んでくるのを目撃します。青木テルはその風景を見ながら、絶対に生き続けてやると決意します。
ドラゴンヘッドの恐怖を抑制する力と暴発させる力の緊張状態に関する考察
ドラゴンヘッドには恐怖を作り出した後、抑制する構造になっています。そして今まで恐怖をいかに克服するかこそ人間の歴史であることも描き出されているのです。そしてロボトミー手術や薬物混入の食事など、間違った恐怖の克服法と一方青木テルと瀬戸アコと共に歩む希望に燃える恐怖の克服法がありますが、どちらが正しいという選択さえ選びようがないのです。何故か、それは全てすでに起こってしまっていることだからです。
映画版ドラゴンヘッドの終わりは希望と絶望が分からない儘だった
「残ったのは希望?絶望?それは誰にも分からない。未来に問いかけるしかないんだ。僕たちの未来に」雲に覆われた太陽があります。エンドロールが進み雲が晴れていきます。一体何が起こったのでしょうか、視聴者にさえ分からないままフェイドアウトしていきます。
ドラゴンヘッドの魅力はサブカルチャーにおける預言書だった
今回、映画版ドラゴンヘッドに注目をして考察をし、あらすじやネタバレを紹介してきました。一見サバイバル映画の様相を呈しながらも、「バトルロワイアル」とは違う救いの無さと恐怖が大きなテーマに据えられていました。そして生き残ることがテーマではなく、自分たちのいる世界が既に崩壊していることを予想していた現代の予言書だったのです。あらすじやネタバレだけではわからない魅力を、ぜひ作品でチェックしてください。