マツコの知らない世界にYOSHIKIが出演!ファンの女性・さかいさんが素敵

2018年1月9月に『マツコの知らないYOSHIKIの世界』という企画が、TBS人気バラエティ番組『マツコの知らない世界新春2時間スペシャル』で放送されました。国民的ロックバンドX JAPANのメンバーであるYOSHIKIの素顔、そしてX JAPANの秘話などに迫るこの企画のプレゼンターとして登場したのは“自称YOSHIKIよりYOSHIKIを知る女性”というさかいさん。今回はマツコの知らない世界で明かされたYOSHIKIの秘密と、素敵だと話題になったさかいさんについて調査していきます!

マツコの知らない世界にYOSHIKIが出演!ファンの女性・さかいさんが素敵のイメージ

目次

  1. マツコの知らない世界出演のYOSHIKIを調査!
  2. マツコの知らない世界出演のYOSHIKIとは?
  3. マツコの知らない世界出演のYOSHIKIの偉業
  4. マツコの知らない世界出演のYOSHIKIとX JAPANの悲劇
  5. マツコの知らない世界YOSHIKIファンの女性さかいさんが素敵!
  6. マツコの知らない世界YOSHIKI出演回を観た感想や評価は?
  7. マツコの知らない世界出演のYOSHIKIまとめ!

マツコの知らない世界出演のYOSHIKIを調査!

国民的ロックバンドX JAPANのメンバーYOSHIKIの素顔、そしてX JAPANの秘話などに迫った、TBSの人気バラエティ番組『マツコの知らない世界』。『マツコの知らないYOSHIKIの世界』という企画でプレゼンターの“自称YOSHIKIよりYOSHIKIを知る女性”さかいさんと共にマツコがYOSHIKIの素顔に迫りました。今回はX JAPAN YOSHIKIの過去からX JAPAN誕生秘話まで、様々なYOSHIKIの情報をご紹介していきます!

マツコの知らない世界出演のYOSHIKIとは?

『マツコの知らない世界』で『マツコの知らないYOSHIKI』という企画で登場することになったX JAPANのリーダー・YOSHIKI。まず始めに「YOSHIKIとは一体どのような人物なのか」を『マツコの知らない世界』内で語られたエピソードと共にご紹介いたします。それでは早速、YOSHIKIとX JAPANの過去に迫っていきましょう!

YOSHIKIのプロフィール

  • 本名:林 佳樹(はやし よしき)
  • 誕生日:1965年11月20日
  • 出身地:千葉県館山市
  • 身長:175cm
  • 愛称:よっちゃん

YOSHIKIの過去

1965年11月20日に千葉県館山市で、老舗呉服店を経営する家庭で誕生したYOSHIKI。YOSHIKIの家族は、父がジャズピアノ、母が三味線、祖母が琴の演奏をするなど音楽一家でした。二人兄弟の長男として生まれたYOSHIKIですが、5つ離れた弟で元俳優・光樹は現在YOSHIKIのマネージメントを行っています。4歳の頃からピアノを始めたYOSHIKIは、自宅近くのピアノ教室へ通っていたそうです。

日頃から父が購入していたという、クラシック音楽のレコードを好んで聞いていたというYOSHIKIは、9歳の頃からピアノで作曲を始め、10歳から14歳まで学校のブラスバンド部でトランペットを演奏しました。毎年誕生日には楽器がプレゼントされることが恒例となっていて、10歳の誕生日にトランペットを買ってもらったことがきっかけだといいます。しかしYOSHIKIが小学5年生の頃、父が自殺によって他界してしまったのでした。

父を亡くしたYOSHIKIは心の行き場を失ってしまいますが、その時ロックバンド『KISS』に出会いロックに目覚める事に。母に頼んで連れて行ってもらったKISSのコンサートに魅了され、ドラムをはじめる事となったYOSHIKI。5歳の時に幼稚園で出会った幼馴染のToshIと、同級生2人を合わせた4人組のバンド『DYNAMITE』を11歳の頃に結成しました。結成当時はYOSHIKIがドラムとボーカルを担当し、ToshIがギターを担当していたそうです。

しかし声変わりが遅く高声しか出せなかったYOSHIKIは、中学に進学後新たに同級生をボーカルに加え『NOISE』を結成。ドラムに専念したYOSHIKIはさらに複雑なリズムを叩くために14歳の頃、母に頼んでドラムセットを購入してもらったそうです。『NOISE』は中学の体育館で開かれた予餞会で初ステージを披露し、高校進学後も文化祭などで演奏を披露したそうです。

バンド活動をしながらも勉強はしっかりしていたというYOSHIKI。成績は校内400人中10位で、千葉県の模試では1人だけ満点をとり表彰されたこともあったそうです。しかし中学1年生の頃、髪が長かったことを指摘され、先生にバリカンで丸坊主にされてしまったことが!そのことがきっかけで、YOSHIKIは不良になってしまったというエピソードがあります。

Xの誕生秘話

1982年の夏、大学受験に専念するというメンバーが離脱し『NOISE』が解散。他のメンバーは結局東大や京大などに進学したという事からも、秀才が集まるバンドでした!YOSHIKIとToshIは大学受験の道へは進まず、他校の生徒を加えたよりハードなロックを指向したバンド『X』を結成。この頃同時に、ToshIがボーカルへ転向しました。仮の名前として名付けられた『X』ですが、後にXには「数多くの可能性」を意味する事が分かったそうです。

ToshIからバンドを続ける意思を告げられたYOSHIKIは、音楽大学への推薦入試という道を断つ決心。高校卒業後、本格的なバンド活動をするためにToshIと共に上京しました。Xのレコードをリリースするため1986年に、YOSHIKIは自身のレーベル「エクスタシーレコード」を設立。1988年発売の1作目『Vanishing Vision』は、オリコン週間チャートで最高19位に!ファンもある程度定着していましたが、Xのメンバーは常に流動的でした。

その後、一時Xに加入していたTAIJIが1986年の年末に再加入。1987年に発売された『SKULL THRASH ZONE Vol.1』のレコーディングでヘルプで参加していたPATAが、交通事故を起こしたISAOの脱退後に正式にメンバーへ。また同年初めに、SAVER TIGERを解散させて美容師になろうとしていたHIDEをYOSHIKIが説得したことでXに加入することになりました。メンバーが揃ったXは1989年にメジャーデビューを果たしました。

マツコの知らない世界出演のYOSHIKIの偉業

これまで『マツコの知らない世界』で語られたYOSHIKIの過去、そしてX JAPANの誕生秘話についてご紹介いたしました。幼馴染のToshIと共にXを結成したYOSHIKIですが、音楽活動においてどのような偉業を成し遂げたのでしょうか?どのここからは「YOSHIKIの偉業」についてご紹介いたします。

YOSHIKIの偉業①ビジュアル系確立

『ヴィジュアル系』というジャンルを確立した、と言われているX。X のメジャーデビューアルバム『BLUE BLOOD』のキャッチコピー「PSYCHEDELIC VIOLENCE CRIME OF VISUAL SHOCK」が起源だとされています。「規制されることが凄く嫌だった」と『マツコの知らない世界』内で語ったYOSHIKI。ロックは自由なものだと思っていたのに、指示されることが多い音楽業界の理解に苦しんだそうです。

髪型や服装を指示されればされるほど、反発するように髪型や服装を奇抜にしていき「もう何でもいいや!」という気持ちになったというYOSHIKI。『X』の音楽性に自身があったからこそ、『ロック=硬派』というイメージを壊したいという気持ちで音楽に挑んでいたといいます。その気持ちに賛同する若者たちが集まり、「ビジュアル系」という音楽ジャンルが確立されていったそうです。

『マツコの知らない世界』番組内で、YOSHIKIとGLAYの関係についても語られていました。90年代爆発的な人気を誇っていたGLAYは、元々YOSHIKIがプロデュースをしたといいます。YOSHIKIが設立した「エクスタシーレコード」はGLAYやLUNA SEAなど現在も活躍するバンドをメジャーデビューさせていて、ヴィジュアル系バンドのメジャーデビューへの登竜門的存在になっていたともいいます。

YOSHIKIの偉業②ロックとクラシック融合

X JAPANの楽曲にピアノを取り入れ、クラシックのフレーズとロックを融合させ名曲を生み出してきたYOSHIKI。インディーズ時代に曲と曲の合間に冗談のつもりでピアノ演奏をしたところ、思いのほか評判が良かったことから、ピアノをロックと絡めて作曲するようになったといいます。

X JAPANの活動以外でも、天皇陛下御即位10周年をお祝いする祭典で奉祝曲を作曲して演奏を披露したYOSHIKI。また2005年に開催された愛知万博の愛・地球博のテーマソングを作曲し、指揮も務めました。その頃、X JAPANはメンバーHIDEの死、そしてToshIの洗脳騒動で解散していた時期にあたります。「もう音楽活動を辞めようかな」とも考えていたというYOSHIKIの元に愛知万博の話があり「とても運命を感じた」と語っていました。

マツコの知らない世界出演のYOSHIKIとX JAPANの悲劇

これまでYOSHIKIの偉業についてご紹介いたしました。日本を代表するロックバンドとなったX JAPANですが、突如誰も想像していなかったような悲劇が襲い掛かります。ここからは『マツコの知らない世界』で語られたYOSHIKIとX JAPANに訪れた悲劇についてご紹介いたします。

ボーカルToshIの脱退

1997年、世間に衝撃を走らせた『X JAPAN ToshIの突然の脱退』。家族のように付き合っていたというToshIの突然の脱退に対し、「父親を失った時と同じくらいのインパクトだった」とYOSHIKIは語りました。音楽性の違い、そして洗脳騒動により脱退したToshIに関して、1997年9月22日に記者会見を開いたYOSHIKIはX JAPANの解散を発表しました。

ファンの間では伝説となっているという、X JAPANの解散ライブ『X JAPAN THE LAST LIVE完全版』の映像が『マツコの知らない世界』内で紹介されました。脱退してから一言も口を利かなかったというYOSHIKIとToshI。これまでのライブなら、YOSHIKIがドラムを叩く傍にToshIが寄り笑みを交わし合うのですが、二人は全く交わることがなくライブは進んでいきます。

しかしライブ最後の曲、『FOREVER LOVE』が始まるとYOSHIKIが演奏を中断し、ToshIの元へ力なく歩み寄ります。同じくToshIも歌を中断し、二人は涙を流しながら抱き合いました。YOSHIKIは当時を振り返り、「あの時は怒りの方が強かったから、ぶん殴ってやろうかと思っていた」「でも目の前に行くと、幼馴染のToshIだったから自然と抱き締めた」と語りました。

X再結成の秘話について

抱きあった際に一言も言葉を交わすことなく、そのままそれぞれの道へ離れて行ったYOSHIKIとToshIは、再結成までの10年間一度も言葉を交わすことはなかったといいます。X JAPAN解散後、過去に鍵をかけて鎖を巻いて封印したというYOSHIKI。X JAPAN再結成のきっかけとなったのは、その頃洗脳状態にあったToshIからの連絡だったといいます。

「X JAPANを再結成して、さらにお金を稼いで貢ぐように」と洗脳する張本人から指示されたToshIはYOSHIKIに再結成を求めたといいます。それを聞いたYOSHIKIは「ToshIはまだ洗脳されている」と感じたものの「再結成することでToshIを洗脳から引き戻すチャンスかもしれない」と思いX JAPANの再結成を決断したといいます。

YOSHIKIとToshIを繋いだのはHIDEの曲

X JAPAN解散後のわずか数か月後、さらなる悲劇が訪れました。1998年5月、X JAPANのギタリストHIDEが突然この世を去ってしまいました。大親友であるHIDEの死が受け入れられず、絶望に襲われたというYOSHIKIは自らの引退も考えたと言います。

またHIDEの訃報によってファンが後追い自殺をするなど、日本中が大きな悲しみに包まれました。しかしその中、X JAPANのリーダーとしてYOSHIKIは葬儀で気丈に振舞い、記者会見ではファンに対して励ます立場になりました。当時を振り返ったYOSHIKIは、自分の感情を顧みる余裕さえなかったと言います。

その後、当時住んでいたロサンゼルスに戻ったYOSHIKI。一人になった時、今後どうすればいいのか分からなくなり心が崩壊してしまったといいます。外にも出られない状態だったというYOSHIKIでしたが、「このままではいけない」と思いHIDEの葬儀後約一か月後に、『Without You』という曲を大親友HIDEに向けて作ったのでした。

『Without You』制作時、涙で鍵盤が濡れて指が滑り、ピアノが弾けなかったと語ったYOSHIKI。涙が止まらず、HIDEの死がより現実になったといいます。X JAPAN再結成後『Without You』を披露した場所は、イングランドの『ウェンブリー・アリーナ』。クイーンなどの多くのアーティストが演奏した“ロック発祥の地”と呼ばれている場所です。

生前HIDEが「いつかあそこで演奏してみたい」と、語っていたという『ウェンブリー・アリーナ』。そしてそのステージで演奏した『Without You』こそが、一度離れてしまったYOSHIKIとToshIの絆を再び結びつけた一曲となったのでした。

YOSHIKIは今も7人のXとコメント

『マツコの知らない世界』の番組内でこれまでのX JAPANの歩みを見たマツコ・デラックスは「HIDEさんのキャラクターはすごく良かった。バランスを保っていた」とコメントをしました。それに対しYOSHIKIは、「自分の中ではまだ一緒にやっている気持ち」「もうこの世には存在しないけれど気持ちの中では一緒」とコメントしました。

YOSHIKIは続けて、2011年に他界してしまった元X JAPANのベーシスト・TAIJIに関しても「一緒にやっている気持ち」とコメントしました。さらに「僕の中では今も7人のX」と告げたYOSHIKI。これまで起きた悲劇や困難を乗り越えて、今も尚国民的ロックバンドとして活躍する背景に、このような感情があるという事を番組内で語りました。

マツコの知らない世界YOSHIKIファンの女性さかいさんが素敵!

これまで『マツコの知らない世界』で語られた、YOSHIKIとX JAPANの悲劇についてご紹介いたしました。ここからは数々の困難を乗り越えてきたYOSHIKIをずっとファンとして支え、『マツコの知らない世界』でプレゼンターとして登場した女性・さかいさんについてご紹介いたします!YOSHIKIファンの女性・さかいさんとは一体どのような人物なのでしょうか?

YOSHIKIファンの女性・さかいさんのプロフィール

  • 氏名:坂井 夏子(さかい なつこ)
  • 年齢:37歳
  • 出身地:愛知県名古屋市
  • 住まい:東京都港区
  • 血液型:B型
  • 職業:J’adore Wedding (ジャドールウェディング)経営者・代表

YOSHIKIよりYOSHIKIを知る女性さかいさん

さかいさんは、YOSHIKIを追いかけるためにOLを辞めて、独学で勉強しWEB関係の会社を立ち上げたという女性です。「パソコン一つあれば世界中で仕事ができる」という思いから企業したというさかいさんは、YOSHIKIに関わるテレビ、雑誌、広報など全ての情報を網羅しているといいます。気合に満ちたようすで『マツコの知らない世界』でプレゼンターとして登場しました。

YOSHIKIの為に使ったお金は?

YOSHIKIプロデュースのカード『UNDERGROUND KINGDOM VISAカード』を3種類所持していると『マツコの知らない世界』で語っていたYOSHIKIファンの女性・さかいさん。そのカードには「1000万円使用すると一度YOSHIKIに会える」という特権がついているようで、既に「YOSHIKIに2回会える特権」を所持しているようですが、今はYOSHIKIのスケジュール空き待ちとなっているようです。

この時点で既に2000万円以上をYOSHIKIに使用した、と言えるファンの女性・さかいさん。カードにはさらに特権があり、10000ポイント以上を貯めると「YOSHIKIと一緒にスタジオで未発表曲を視聴」「YOSHIKIのスタジオで生演奏を聴き、その内容を録音したサイン入りCDを貰う」という衝撃的な特権があるそうです!

YOSHIKIMONOを着用したさかいさん

『マツコの知らない世界』で着物姿で登場したファンの女性さかいさん。まさにYOSHIKIがプロデュースする着物ブランド、『YOSHIKIMONO』のもので一着48万8千円するそうです!番組終板で着物の紹介になった際に、さかいさんの着物をみたYOSHIKIが「あ、これYOSHIKIMONOだったんだ!見たことある柄だと思った」という天然な一面を見せました。

マツコの知らない世界YOSHIKI出演回を観た感想や評価は?

感想①マツコの知らない世界ではじめて泣いた

『マツコの知らないYOSHIKI』を見たという視聴者の感想の中で、圧倒的に多かった感想が「感動して涙が止まらない」というものでした。X JAPANファンは勿論のこと、これまでX JAPANに興味がなかったという方も、思わずYOSHIKIの話を聞いて涙したといいます。また『マツコの知らない世界』番組最後にYOSHIKIが演奏した『Forever Love』を聞いて改めて感動したという声も上がっていました。

感想②X JAPANがもっと好きになった

『マツコの知らない世界』を見て「もっとX JAPANが好きになった」「またXを聞きたくなったから聞き直そう」というファンの感想が多く上がっていました。またファン以外の方も今回の企画を見て、「もっと聞きたくなったからCD買ってこよう」という声もありました。『マツコの知らない世界』で語られたX JAPANを想うYOSHIKIの気持ちが、多くのファンの心を熱くさせたようです。

感想③YOSHIKIファンの女性・さかいさんが素敵!

「YOSHIKIファンの女性、さかいさんがファンとして素晴らしい」「言葉遣いも丁寧でファンの鏡」と、YOSHIKIファンの女性として『マツコの知らない世界』のプレゼンターに登場した、さかいさんを称賛する感想が多く上がっていました。YOSHIKIを追いかけるためにOLを辞めて会社を設立したというアクティブさ、そして『マツコの知らない世界』で見せた謙虚で笑顔を絶やさないな姿勢が素敵と話題になっていました。

マツコの知らない世界出演のYOSHIKIまとめ!

TBSの人気バラエティ番組『マツコの知らない世界』で『マツコの知らないYOSHIKI』という企画で登場した、YOSHIKIとYOSHIKIファンの女性さかいさん。YOSHIKIの幼少期やX JAPANの結成秘話、そしてX JAPANを襲った悲劇や困難に対し、一言一言真剣にコメントを残したYOSHIKI。

「今も7人でX」というメンバーを大切に想うコメントを残したYOSHIKIの人柄や、温かさに触れたX JAPANファン、そしてこれまでX JAPANについて詳しくなかったという方々も感動して涙を流したといいます。YOSHIKI、そしてX JAPANは今後も日本を代表するロックバンドとして人々に感動を与え、数々の伝説を残していくと言えるでしょう。

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