2018年10月25日公開
2019年05月24日更新
映画タイタニックは実話?生存者や実在した人、残っている写真など調査
『タイタニック』は、1912年にイギリスのホワイト・スター・ライン社が、大西洋航路用に計画し造船した豪華客船です。ニューヨークへ向けて処女航海中、氷山にぶつかり深海4000mに沈没。多くの犠牲者を出した海難事故が発生。今なお映画やアニメでモチーフとなったタイタニックですが、その代表作の一つである1997年の映画版を観ていると、どこまでが実話なのか分からない点も出てくるでしょう。実は作中には実話も多く散りばめられている箇所が多々あります。映画を見直し、その真相を解き明かしてみましょう。
目次
世界中で大ヒットした映画タイタニックとは?
1997年アメリカ製作された『タイタニック』は、レオナルド・デカプリオさん、ケイト・ウィンスレットさん主演、ジェームス・キャメロン監督製作のラブロマンスとパニック映画作品で、物語は貧しい画家志望の青年と上流階級の令嬢との悲しい恋のストーリーを描いています。
この映画で、翌年の1998年『第70回アカデミー賞』で、11部門もの賞を受賞。また、セリーヌ・ディオンさんが歌う主題歌『My Heart Will Go On』も大ヒットし、同作品は同じキャメロン監督が作った作品『アバター』に抜かれるまで、映画史上最高の世界興行収入を達成し、ギネスブックにも登録されました。
タイタニックをベースにした映画やアニメは、その他にも多く作られていますが、皆さんが一番知っているのは1997年に公開されたこの『タイタニック』でしょう。
映画タイタニックは実話だった?
1912年4月に絶対に沈まないと思われた豪華客船、タイタニック。乗員乗客約2200名を乗せ、イギリスのサウサンプトン港を出港。ニューヨークを目指して処女航海に出発しました。しかし、航海から4日目。タイタニックは氷山に接触し、わずか2時間40分で大西洋の水深4000mまで沈没してしまい、乗員乗客合わせて1513名が命を落とすという世界最大の海難事故に遭遇してしまいました。
タイタニック沈没事故は実話であり、事故後タイタニックをモチーフにした、映画は何本も製作されています。一番最古のもので1912年、沈没事故が発生した翌年にタイタニックの生存者である、女優のドロシー・ギブソンが脚本、主演を演じた『Saved from the Titanic』です。
『Saved from the Titanic』のように、タイタニックの生存者が事実を書き出し、シナリオと主演を務めた作品もあります。そして1997年に製作された『タイタニック』は、キャメロン監督のこだわりの元、実際にタイタニックで起きた実話を多く入れてあります。脚色で多少事実と違ってくる場面も出てきますが、映画のシーンも交えながら紹介していきましょう。
映画タイタニックの登場人物の中で実在していた人とは?
1912年4月に、氷山にぶつかり沈没したタイタニック。レオナルド・デカプリオさんが演じるジャックと、ケイト・ウィンスレットさん演じるローズは、映画を作る上で登場させるうえでの架空の人物ですが、映画の中には、何点か実話を交えているものがあります。映画のシーンと共に説明していきましょう。
実話!沈み行く船の中で音楽家たちが演奏する
まずはこちらのシーン。氷山にぶつかりタイタニックが沈み行く中、タイタニックのバンドマンたちが乗客を落ち着かせるために演奏をするシーンです。写真はバンドのメンバーのリーダーである、ウォレス・ハートリー役のジョナサン・エヴァンス=ジョーンズさんです。
これは実際のタイタニックの沈没事故で本当にあった出来事。ウォレスさんも含め、タイタニックのバンドメンバーは8名。船が沈みゆく中、他の乗客乗員を励まし落ち着かせようと、明るい音楽を奏で続けました。残念ながら演奏していた8名は、タイタニックと共に命を捧げ、亡くなってしました。
ちなみに、2013年。ウォレスさんが命を落とすまで、実際に使われていたバイオリンが発見され、現在はタイタニックの生まれ故郷であった、ベルファストの市庁舎にて展示されています。
老夫婦が船とともに最期を迎える悲しい実話
次はこちら。沈みゆくタイタニックで、ベッドに横たわって船とともに最期を迎える老夫婦が出てきます。
実はこちらの方々は、実在した人物。インシア・ストラウスさんと夫人のアイダ・ストラウスさんです。インシアさんは陶器販売業で大成功をおさめ、アイダさんと結婚。7人の子供にも恵まれました。お互い深く愛し合いながら生きてきました。
しかし、二人は運悪くタイタニックに乗船してしまい、沈没事故に逢います。イシドアさんとアイダさんは、『私たちは共に生きてきたように、共に死にます。』と言葉を残し、パニックに陥った救命ボートから身を引き、タイタニックへ戻りました。そして、デッキの上で腕を組んで寄り添って、船と共に命を絶ちました。
現在メイシーズ百貨店ニューヨーク店には、その2人の功績を称え、また海難事故が起きないように刻版を飾られています。
実話!九死に一生を得たパン焼き係
この方は、リアム・タオイーさんという俳優さんです。タイタニックではパン焼き係主任のチャールズ・ジョーキン役で出演なさっています。
実はリアムさんが演じた、チャールズ・ジョーキンは実際にタイタニックに乗船しており、運よく命拾いをした生存者なのです。チャールズさんは1878年3月生まれ。タイタニックの沈没事故で死を覚悟し、大量のウィスキーを飲み、海に飲み込まれて、気がついたら救命ボートに乗っており、生還をしていたのです。
チャールズさんは、1956年に亡くなるまで、タイタニックで起きた事故の出来事や悲惨さを死ぬまで語り続けていきました。
不沈のマーガレット・ブラウン
こちらの方は、キャシー・ベイツさん。タイタニックでは、マーガレット・ブラウン役でご出演なさっております。
実は、マーガレット・ブラウンさんもタイタニックに乗船していた実在の人物であり、生存者の一人です。タイタニック沈没事故の際、自ら生存者捜索のため、女性乗客の間でリーダーシップを発揮しました。1932年に他界後、その功績が認められて、『不沈のモーリー・ブラウン』と呼ばれるようになりました。
タイタニックの船長エドワード・スミス
こちらの方はバーナード・ヒルさん。『タイタニック』ではエドワード・スミス船長役でご出演されております。
エドワード・スミス船長も、実在した人物であり、タイタニックの船長でした。そしてこのタイタニックで船乗りとして引退し、隠居生活を送るはずでした。しかし、沈没事故で彼もまた命を絶たれてしまったのです。スミス船長の死因は事故後もはっきりとしていませんが、映画では、水圧に耐えきれなかった窓から水から入り込んで、溺死した姿を描いています。
ホワイト・スター・ライン社の社長ジョセフ・ブルース・イズメイ
こちらは、ジョナサン・ハイドさん。映画では、タイタニックのアイデアを出した、『ホワイト・スター・ライン社』の社長ジョセフ・ブルース・イズメイ役でご出演されております。
彼も実在した人物であり、また生存者の一人でもあります。父の死後『ホワイト・スター・ライン社』の社長として、様々な種案を出し、タイタニックのアイデアを出し、造船をしました。しかし、沈没事故の際、他の客を差し置いて救命ボートで脱出し、事件後避難を浴びてしまい、地位も名誉も失ってしまったのです。
神父トーマス・バイルズ
ジェームズ・ランカスタ―さんが演じるのは、タイタニックの乗客で神父でもある、トーマス・バイルズ。沈没の際に、すがる乗客たちにぎりぎりまで聖書を読み上げています。
彼もタイタニックで乗船して命を失ってしまった人物。トーマスさんは沈みゆくタイタニックで、聖書を暗唱をし、ボートに乗れなかったり、船と共に命を絶つ乗客の皆さんへ懺悔の祈りを唱えていき、そのまま海と共に消えていってしまったのです。
映画『タイタニック』は、乗船していた方々の実話を取り入れる事によって、よりリアルに丁寧に描かれています。今回紹介したのは一部分ですが、もしかしたら映画の中では、私たちの知らない『タイタニック』の実話が入っているかもしれません。
タイタニック号事件での意外な真実とは?
こちらの写真は、大西洋の深海に沈んでいるタイタニックの船首部分と思われるものです。タイタニックが大西洋に沈んで、捜索し発見したのが1985年9月の事。1912年の4月に沈没して以降、73年ぶりにタイタニックを目にした瞬間でした。
この写真は、タイタニック全体を写しています。沈みながら真ん中から船体が折れて、真っ二つになっています。写真を見ても我々が想像したタイタニックとは違う雰囲気があります。
タイタニックは、バクテリアによって浸食が進んでおり、船体を海底で維持出来るのがあと20年程と専門家が言っております。また、2019年以降には、タイタニックが沈む深海に潜って実際に見るというツアーが計画されており、お値段は何と約1200万円と超高額。しかし実際に写真に収め、映画でしか分からなかった実話を感じ取れるには、良いのではないでしょうか。
さて、タイタニックについての映画のあらすじや実話など、写真や映画のシーンで紹介していきましたが、ここでは映画では語れきれなかった、ストーリーを書いていきます。映画とは違う実話やストーリーがあるのか、タイタニックが何故沈まなくてはいけなかったのか。紐解いていきましょう。
実話!タイタニックただ一人の日本人乗船客
日本人でただ一人タイタニックに乗船し、難を逃れた生存者がいます。それが、こちらの方細野正文さんです。細野さんのお孫さんは、『ライディーン』『テクノポリス』を生み出した音楽グループ、イエロー・マジック・オーケストラ(Y.M.O.)の細野晴臣さんです。
正文さんは、タイタニックの沈没事故に巻き込まれ生還したものの、汚名が返上されるまでは厳しい批難の声を浴びせられました。晴臣さんは小学3年生の時に1958年に公開された『SOSタイタニック/忘れえぬ夜』という映画を観た後、父親からこの実話を教えられたそうです。
正文さんは鉄道員の官僚として、日本全国の鉄道網を作り上げてきた偉人でもいらっしゃいます。しかしこの出来事が原因で鉄道院主事を免官。正文さんは1939年に他界し、晴臣さんとも直接は会っていないので、晴臣さんはただの映画物語の話であるような感覚でとらえていたようです。
上の写真は、正文さんがタイタニックの中で書いた手紙です。漢字やカタカナが混じっていて読みにくい部分もありますが、これの手紙と、生存者等の証言等、1997年映画製作の調査の際、全くの事実無根であったことが分かったのです。
正文さんがタイタニックの救命ボートに乗っていた思われる船には、違う外国人が2人乗っており、存在が不確かだったのです。その後外国人が回想録を出していることがわかり調査したところ、『日本人と一緒にボートを漕いだ』と書いてあったのです。正文さんはその外国人と間違われてしまい、亡くなるまで意味のない批難を受けていた事になってしまいました。
晴臣さんはその後、宮沢賢治の童話で1985年に製作されたアニメ映画『銀河鉄道の夜』で音楽を担当しました。この映画の中に、タイタニックの沈没をモチーフにしたシーンがあり、晴臣さんも映画製作の際、『タイタニック』と不思議な縁を感じると語っていました。
タイタニック沈没は氷山が激突したからではない?
タイタニックは、氷山に衝突し沈没したという説が一番有力ですが、ここ数年で様々な説が出て、タイタニックが沈んだのではないかというのが、研究者の間で浮上しています。
これは、タイタニックのボイラー室の写真。タイタニックは石炭を燃やして、船を動かす仕組みになっていますが、そのボイラー室内にある『石炭倉庫』の火災が原因で、船体の強度が弱まり、氷山にぶつかり沈没したという説があります。
出典: http://194mac.jp
上の写真は、タイタニックが衝突した同じ大きさと思われる氷山です。この氷山が船体が弱い部分に亀裂を与え、さらに海水が裂け目を広く開けてしまったため、タイタニックが沈没したという事になります。もし火災事故が起きた後、船を運転し続けたら、船体の強度は弱くなり、ボロボロになってしまうはずです。
火災事故があり、さらに船体が弱まった所に氷山がぶつかってしまい、沈んでしまったタイタニック。悲しいストーリーをたどってしまいましたが、もしいち早くこの火災事故が分かっていたらば、最初で最後の処女航海をせずに、修理をして安全な処女航海が出来たかもしれないです。
タイタニックはすり替えられて沈んだ?
他にも、タイタニックは同じ形の船である『オリンピック号』とすり替えたのでは?という説もあります。
こちらの写真は『タイタニック』と雰囲気が似ていますが、ホワイト・スター・ライン社がタイタニックと同じ設計で造った豪華客船『オリンピック号』です。形も、室内もタイタニックとほぼ同じです。ちなみに最初に作られたのが、タイタニックではなくこちらのオリンピック号になります。
こちらの写真は、建造中のタイタニックとオリンピックを比較した写真になります。よくご覧ください。雰囲気も良く似ています。
このオリンピック号は、1911年6月に処女航海は無事に終了したものの、ニューヨーク港に接岸時、右舷のスクリューが発生させた後流によって、タグボートを衝突させるという事故が発生。さらに、3か月後の9月には、イギリス海軍の防護巡洋艦のホークと衝突し、船首に傷を着けてしまう事故も発生しました。しかも皮肉なことに、オリンピックの船長は、タイタニックで船長を務めたスミス船長だったのです。
これをきっかけにして、オリンピック号はタイタニック号としてすり替わり、氷山にぶつかって沈没した説があります。また、保険金詐欺を目的したものでもあったと言われています。ただし、事実であるかは100年以上の前の話ですので、分からない状態です。
タイタニックの沈没事故を、深く紐解いていくと、我々の知らない実話やストーリー。そして、都市伝説まで流れてしまうものまで出てしまいます。しかし、事実を語れる生存者はもうこの世にはいません。写真に写っているタイタニック最後の生存者であるミルビナ・ディーンさんも2009年に他界されました。タイタニックの沈没の裏には、まだまだ謎が残されていそうです。
タイタニック号事件の残っている写真を紹介!
最近は技術が発達し、モノクロ写真もカラー化される技術が生まれました。こちらの写真は、建造中のタイタニックをカラー化したものです。沈没前も美しい豪華客船であったタイタニック。船内の様子、そして沈没事故が起きた様子を探っていきましょう。
写真で見ていくタイタニックの船内
映画『タイタニック』は、数残っている写真から、セットを作りストーリーを作り出す事から始めています。1997年は、まだ生存者も多々生きていらっしゃたので、詳しい内容を聞き出せたのではないのでしょうか。まずこちらは、船のロビーです。まるで、結婚式の教会にあるような美しい階段です。
階段から続く、吹き抜け部分もとても豪華。ストーリーの中でヒロインのローズが歩いていそうな感じが出ています。
こちらは、食堂。映画に出演するキャストやエキストラの人は、1910年代のテーブルマナーをみっちり仕込まれて、撮影に臨みました。
こちらは、スイートルームの写真。映画のストーリーの中でも、一流階級の人たちが利用していたのではないでしょうか。さすが豪華客船です。
上記の写真は、展望通路です。椅子も照明も本当に豪華です。まさに船上の豪華ホテルです。
こちらはデッキの一つ。ストーリーの中でも、ジャックとローズが沈みゆく船の中で走る姿が目に見えてきます。
これはなんと船内のスポーツジムです。写真でもわかるように、奥の方にはサイクルマシンがあります。
こちらが、屋上のデッキ。救命ボートがありますので、実話の中や映画のストーリーも出てきた、8人のバンドマンたちは、命を落とすまでこのあたりで演奏をしていました。
航海から沈没までの写真
こちらの写真は、航海へと出発するタイタニックの様子です。多くの乗客が港へ手を振っている様子が分かります。ストーリーの中でも、このシーンは撮影されています。
こちらの写真は、タイタニック沈没時に救命ボートが使われた写真です。写真では分からない部分がありますが、機関士が舵を取って、乗客を乗せている様子を写しています。スミス船長は『女性、子ども優先。』と命じており、こちらの写真は女性と子供の乗客が多いようですが、男性もいるようです。映画のストーリーでも語られています。
写真ではないのですが、これは生存者の方が描いた、タイタニック沈没の様子のイラストです。映画と同じように明かりをともしながら、海へと沈んでいくリアルなシーンを描いています。現実でも、映画でもこのように船首から沈み真っ二つに折れて、深海の底へ沈んでいきました。
映画タイタニックには実話が存在していた!
1997年の『タイタニック』は、キャメロン監督やスタッフ達が生存者の話を取材し、実際に海底に沈むタイタニックや写真を見たりしながら、キャストが一丸となって、ジャックとローズ、叶わない悲しい恋を丁寧に描いています。公開から20年この映画は3D版としてブルーレイが販売されています。皆さんも沈みゆく運命の豪華客船をリアルに描いたストーリー、タイタニックをご覧になってはいかがでしょうか。