まんぷくヌードルのモデル・カップヌードルの実話まとめ!昭和45年当時との違いは?

NHK連続テレビ小説『まんぷく』に登場した「まんぷくヌードル」を覚えていますか?,「まんぷくヌードル」は、カップヌードルのことであり、日清食品が開発したインスタントラーメンのことです。実話をもとにして制作された朝ドラ。昭和45年に完成した「まんぷくヌードル(カップヌードル)」は当時は、100円という値段でした。チキンラーメンを一番最初に開発し、その後に開発したものがカップヌードルです。「まんぷくヌードル」のモデルになったカップヌードルについて紹介をします。

まんぷくヌードルのモデル・カップヌードルの実話まとめ!昭和45年当時との違いは?のイメージ

目次

  1. まんぷくヌードルとは?
  2. まんぷくヌードルのモデル・カップヌードルの実話
  3. まんぷくヌードルの値段は高い?昭和45年当時との違いは?
  4. まんぷくの源のモデル
  5. まんぷくヌードルに関する感想や評価
  6. まんぷくヌードルのモデルまとめ

まんぷくヌードルとは?

朝ドラ『まんぷく』に登場した「まんぷくヌードル」を覚えていますか?「まんぷくヌードル」とは、日本国民だけでなく世界中で人気のあの「カップヌードル」のことです。このドラマを見ていた人は、久しぶりに「カップヌードル」が食べたくなった人もいるのではないでしょうか?

今回は、「まんぷくヌードル」の実話について紹介をしていきます。また、販売当時の物価や安藤百福さんの長男についても調べてみましたので合わせてみていきましょう。それではご覧ください。

まんぷくのドラマ作品情報

ここでは、NHK連続テレビ小説『まんぷく』を、皆さんにより楽しく見ていただく為に、ドラマの概要を説明していきますのでご覧ください。

【番組概要】​​​​​​

  • ドラマタイトル:まんぷく
  • オープニング:DREAMS COME TRUE「あなたとトゥラッタッタ♪」
  • 放送期間:2018年10月から2019年3月
  • 話数:全151回
  • 出演者:(主演)安藤サクラ、長谷川博己、松坂慶子、松下奈緒、内田有紀、要潤、大谷亮平、瀬戸康史、中尾明慶、岸井ゆきの、桐谷健太 他

ドラマの脚本を手掛けるのは、福田靖さん。朝ドラ『まんぷく』以外にも、NHK大河ドラマ『龍馬伝』、『HERO』シリーズ(フジテレビ)、『DOCTORS〜最強の名医〜』(テレビ朝日)などの有名ドラマの脚本を手掛けています。

まんぷくに登場する「まんぷくヌードル」

ドラマに登場する『まんぷくヌードル』は、「カップヌードル」がモデルです。そして、あの「チキンラーメン」は、『まんぷくラーメン』としてドラマに登場します。名前は、ドラマで違いますが、商品に関しては全く同じです!謎肉などもドラマに登場していますので是非、ご覧ください!

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まんぷくヌードルのモデル・カップヌードルの実話

朝ドラ「まんぷく」に登場して話題となっていた『まんぷくヌードル』のモデルとなったのは、日本国民ならだれもが知っている「カップヌードル」のことです。この商品『カップヌードル』(まんぷくヌードル)が、話題になった実話があるのを皆さんは、ご存知ですか?

実話①チキンラーメンの流行

まずは、「チキンラーメン」の流行がありました。世界初のインスタントラーメンを開発し、成功しています。最初は、庶民に知られておらず、知られるまでに苦労もあったようですが、テレビCMなどを使い徐々に認知を高めていきます。そして、日清食品を作ります。会社を代表する商品となったのが、「チキンラーメン」です。

実話②アメリカ視察

安藤百福さんが、「カップヌードル」の発想が生まれたのはアメリカです。インスタントラーメンを海外でも普及させるためにアメリカに視察へ行きます。食文化の大きな違いに百福さんは、衝撃を受けて「チキンラーメン」よりも簡単に手軽に食べられる「カップヌードル」を開発しようとしたのです。

実話③カップヌードルのふた

「カップヌードル」のふたは、通気性もなくぴったりと張り付いていますが、これを開発するのにはかなり時間が掛かりました。アメリカ帰りの飛行機の中でようやくひらめいた百福さんです。アメリカ帰りの飛行機の中にマカデミアナッツの容器がぴったりと密着していました。そこに目を付けたようです!

実話④カップヌードルの容器

カップ麺の容器にも百福さんのアイデアが詰まっています。どうやってカップ麺をカップの中に収めるかということで悩んだ百福さん。カップ麺を袋で覆うのではなく、「カップを麺にかぶせる」ということを思いついたそうです!そうして、カップの中心で麺が止まるという工夫がされています。今でも、カップラーメンには、この発想が使われています。

実話⑤あさま山荘事件

この実話は、皆さんも知っているかもしれません。「あさま山荘事件」です。あさま山荘事件は、昭和47年に起きた連合赤軍による立てこもり事件です。死者を3人出してしまいましたが、犯人が全員逮捕されるという大きな事件です。この事件の時に、機動隊の人がたべていたのがあの「カップヌードル」(まんぷくヌードル)だったのです。

昭和45年に販売されていた「カップヌードル」でしたが、値段が高く庶民にはなかなか手が届かない品物。それを、おいしそうに食べていた機動隊の人々。冬だったこともあり、温かい「カップヌードル」は、一気に庶民の人が知るきっかけとなったのです。これ以降、「カップヌードル」は、100円という値段設定でしたが、「チキンラーメン」と同じく大ヒットしています。

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まんぷくヌードルの値段は高い?昭和45年当時との違いは?

朝ドラ『まんぷく』に登場した、「まんぷくヌードル」(カップヌードル)は、値段が高かったのでしょうか?実際、昭和45年当時との違いとは何でしょうか?その時代の100円の価値とは、いったいどれくらいなのでしょうか?様々な視点から紹介をしていきますので見ていきましょう。

まんぷくヌードルの値段は1個100円

「まんぷくヌードル」(カップヌードル)の一つの値段は、なんと100円です。昭和45年前後に、1つ100円というものの値段というのは強気な値段姿勢ともいえるでしょう。『チキンラーメン』などのインスタントラーメン、いわゆる袋麺は、30円前後だったようです。

昭和45年前後、100円というのはとても高価とされていた時代だと言えます。食べ物で100円を超えると、外食に相当するレベルです。東京都の喫茶店で飲むコーヒ一1杯分の値段とほとんど変わらないのが、「まんぷくヌードル」です。実際のモデルとなった商品である『カップヌードル』も100円前後で販売されていたので物語の中でも忠実に値段設定に関しては、実話をもとに再現されているということが分かります!

昭和45年当時の物価

ここでは、昭和45年当初の物価についてみていきましょう。昭和45年前後に売られていたモノの値段を紹介していきます!ここに記載する物価の値段というのは「物価の文化史事典 明治・大正・昭和・平成 」という本にある参考資料からとなります。

【昭和45年(前後)当時の物価の値段とは?】

  • ミルクキャラメル:1箱30円
  • 中華そば(東京都で外食):120円(一杯)
  • あんぱん(キムラヤ):25円(1つ)
  • うどん・そば(東京都での外食):100円(一杯)
  • コーヒー(喫茶店での値段):95円50銭

「まんぷくヌードル」は、1つの値段が、100円で売られていたのでラーメン屋さんのラーメンと同じくらいの値段がすることが分かります。当時は、インスタントラーメンがまだできたばかりですのでとても高いということが分かります。「チキンラーメン」に関しては、35円程度で売られていました。

販売された時期も違いますが、「まんぷくヌードル」(カップヌードル)は、庶民にとっては、高級なものだったと言えるでしょう。なので、中々売れなかったのかもしれません。朝ドラ『まんぷく』でも、「まんぷくヌードル」(カップヌードル)があまり売れ行きが良くないという展開などもありました。

まんぷくヌードルは庶民からすると高い?

「まんぷくヌードル」は、庶民からすると非常に高いと言えるでしょう。なので最初は、売れ行きが伸びなかったという背景があるようです。平成12年頃のもののになりますが、単純計算をすると、「チキンラーメン」などの袋麺は1つ30円前後=現在の90円程度、そして、「まんぷくヌードル」(カップヌードル)については、昭和45年に100円=現在の300円程度ということになるようです。

現在の物価で見てみると、手軽に食べられる『チキンラーメン』や「まんぷくヌードル」などは、とても高級品だったということが分かります。手軽に家でラーメンが食べられることを目標に安藤百福さんは、まず「チキンラーメン」を開発し、成功。そして、「カップヌードル」を開発し時間はかかりましたが、売れるようになりました。私たちの生活を助けてくれる食を開発してくれたということも分かります!

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まんぷくの源のモデル

NHK朝ドラ『まんぷく』の福子と萬平の子ども(長男)源のモデルとなった人物はいるのでしょうか?ここでは、源のモデルとなった安藤宏寿さんについて紹介をして行きますので見ていきましょう!それではご覧ください!

源のモデルは安藤宏寿

朝ドラ『まんぷく』のヒロイン・福子と夫・萬平の間に生まれた源(ゲン)のモデルは、安藤百福と仁子さん夫妻の長男・安藤宏寿(ひろとし)さんがモデルになっているそうです!

安藤宏寿(ひろとし)さんは、安藤仁子さんの実子ではないとのことです。百福が台湾時代の第1夫人との間にできたお子さんだと言います。仁子さんと結婚するころには、安藤宏寿さんは、すでに15歳くらいになっていたそうです。仁子さんも可愛い弟ができたようにとても可愛がっていたそうです。「ひろちゃん」と呼んでとても愛情を注いでいたという話が残っています。

源の誕生

朝ドラ『まんぷく』では、ヒロイン・福子と夫・萬平との間に待望の赤ちゃんが誕生したのは、昭和22年(1947年)でした。朝ドラでは、たちばな塩業が軌道に乗りそうになっていた喜びの時に、子供も誕生したというストーリになっていました。福子が提案した「源(げん)」という名前に決定し、すくすくと成長をして行きます。

源のモデルは、安藤宏寿さんだと言われていますが、性格などは、次男の宏基さんがミックスされているようです。朝ドラ『まんぷく』は、実際の話をモデルに制作しているストーリーではありますが、全てがノンフィクションであるということではないようです。

安藤宏寿の生い立ちや経歴

安藤宏寿さんの若い頃の生い立ちや経歴などは、詳しく分かっていません。分かっていることは、成人しても中々定職についていなかったということ…。日清食品に入社した後の経歴について詳しく紹介をして行きます。

昭和33年に百福がチキンラーメンを開発しますが、長男・宏寿さんは、参加をしていなかったとのことです。次男・宏基(こうき)さんや長女・明美さんは、まだ小学生くらいだったそうですが、開発に尽力したとのことです。長男・宏寿さんは、『日清食品』の名前になってからは、会社の専務として働くようになったようです。

そして、結婚し、2人の子供を授かったという記録も残っています。そして、昭和51年には『日清食品』の2代目社長に就任しています。しかし、父・百福が会長になってから、会社の経営方針について対立することになり、社長就任から2年で会社から追放されているのです。その後の彼の詳細は不明。2007年6月26日に「すい臓がん」亡くなりました。76歳でした。

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まんぷくヌードルに関する感想や評価

「#立花福子生誕祭2019」というハッシュタグがつくられているようです!朝ドラ『まんぷく』は、たくさんの人に愛されています。そして、「まんぷくラーメン」と「まんぷくヌードル」を生み出してくれて、「ありがとう」という感想もたくさんありました!みんなの生活に欠かせない食となっていることが分かります。

『まんぷく』というドラマは、役者がとても丁寧に描かれていることでもファンの間で評価が高い点のようです。ドラマが終わった後でも、世界中のみんながどこかで、「まんぷくヌードル」を食べているのだろうなと思えるようなストーリーになっているということが話題になっていました。

萬平と福子が、やっとゆっくりできるということで、旅行に出かけた最終週。ファンの皆さんが、「まんぷくロス」になっている人も多いということがSNSを見ていると分かります。たくさんの人にドラマも、そして開発されたカップラーメンたちも愛されていることが分かります。

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まんぷくヌードルのモデルまとめ

「まんぷくヌードル」のモデルとなったのは、皆も知っている「カップヌードル」です。ドラマでは、「チキンラーメン」の制作なども実話に基づき正確に再現されているようです。このドラマを見て、「チキンラーメン」や「カップヌードル」の売れ行きがまたアップしたという情報もあります!

皆に愛される食を開発し、最初はうまくいかないことも多く、売れず大変だったところまでもが描かれていました。それでもあきらめずに開発してくれたことにより、今のわたしたちの食生活があります。皆さんも、「カップヌードル」ができるまでの工程を見るときっと食べたくなるはず…。是非、一度、歴史を振り返ってみてはいかがでしょうか?

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