まんぷくのモデルは日清の安藤百福・仁子夫妻?他の人物もネタバレ調査

2018年後期朝の連続テレビ小説「まんぷく」の題材となったモデルは日清食品創業者の安藤百福さんといわれています。妻の仁子さんが安藤サクラさん演じる立花福子になります。今回は、朝のテレビ小説「まんぷく」のモデルとなった日清食品創業者の安藤百福などに焦点を当ててどんな人だったのかについて迫っていきましょう。また、朝の連続テレビ小説「まんぷく」の魅力についてもしっかりとみていきましょう。

まんぷくのモデルは日清の安藤百福・仁子夫妻?他の人物もネタバレ調査のイメージ

目次

  1. まんぷくのモデルは実在?噂に迫る!
  2. まんぷくの仁子夫妻実在モデルについて
  3. まんぷくの香田忠彦にも実在モデルが存在!
  4. まんぷくの今井咲の実在モデルは誰?
  5. まんぷくのモデルまとめ

まんぷくのモデルは実在?噂に迫る!

大人気放送中のNHK朝の連続テレビ小説「まんぷく」のモデルについて本記事でたっぷりと見ていきましょう。

2018年後期、NHK朝の連続テレビ小説「まんぷく」が放送されています。「まんぷく」のモデルは実在する人物だといわれています。皆さんもご存知だと思いますが、日清食品グループ創業者の安藤百福さんと妻の仁子さんをモデルにしてドラマは制作をされています。そんな「まんぷく」の主人公である安藤百福さんと妻の仁子さんについて今回は迫っていきましょう。

連続テレビ小説「まんぷく」|NHKオンライン

まんぷくの概要

ここでは、連続テレビ小説「まんぷく」をより楽しく見ていただく為にまんぷくの概要を説明させていただきます。

  • タイトル:まんぷく
  • 放送時間:8時から8時15分まで
  • 放送期間:2018年10月1日 から2019年3月30日(予定)(全151回の予定)
  • 制作局:NHK大阪
  • 脚本福田靖
  • 出演者:安藤サクラ、長谷川博己、内田有紀、松下奈緒、要潤、大谷亮平、瀬戸康史、岸井ゆきの、中尾明慶、桐谷健太、片岡愛之助、橋爪功、松坂慶子 他
  • オープニング:DREAMS COME TRUE「あなたとトゥラッタッタ♪」

脚本家の福田靖さんは『ウエディングプランナー SWEETデリバリー』『真夜中の雨』『ワンダフルライフ』『海猿 UMIZARU EVOLUTION』『CHANGE』『龍馬伝』『DOCTORS〜最強の名医〜』『グッドパートナー 無敵の弁護士』『HERO』などの数多くの作品を手掛けている方です。

「まんぷく」の時代設定は、1938年(昭和13年)から 戦後になります。主人公たちが戦後に何もなかったところからハンコづくり、そして塩づくり、栄養食品を作る過程で強くたくましく時代を生き抜いていく様子を描いている作品になります。
 

まんぷくのあらすじ

主人公の立花(旧姓:今井)福子は、英語が堪能にできることから「大阪東洋ホテル」で働いていました。そのホテルで開かれた”大阪商工会の宴会”の会場で立花萬平と再会を果たします。再開した後は、萬平の猛アタックにより福子は、母の鈴に反対されながらも姉と親友たちのおかげで萬平と結婚をすることになります。

福子と萬平が結婚をした後、戦後に大阪の泉大津市に引っ越しをします。戦後、萬平は「製塩事業」の会社を設立しました。製塩事業を支える社員は10人以上います。そして、「製塩事業」だけでなく栄養失調に苦しむ人を助けたい萬平は、新たに「栄養食品会社」を製塩会社の隣に設立することになります。そして見事に栄養食品である「ダネイホン」の開発に成功します。

福子の助言もあり、病院に納品することも決まり萬平が起業した会社は順風満帆に進んでいました。福子の姉の咲の夫である真一も「たちばな塩業」の社員として加わり何もかも順調かとおもわれていました。そんな中GHQの進駐軍が家にやってきて萬平たちの会社の社員は「反逆の罪」として連れていかれてしまいます。萬平たちが住んでいる家に「手りゅう弾」がたくさんあったからです。

これからの「まんぷく」は更なる盛り上がりを見せていきます。現在の放送時点(第10週)時点では、まだインスタントラーメンの開発に至っていません。どのようにストーリ展開をしていくのでしょうか?見守っていきましょう。

まんぷくの仁子夫妻実在モデルについて

2018年後期、NHK朝の連続テレビ小説「まんぷく」でモデルとなっている日清食品グループ創業者の安藤百福さんと妻の仁子(まさこ)さんについてここでは紹介をしていきます。早速見ていきましょう。

安藤百福の年表

ここでは、「まんぷく」の主人公夫のモデルとなっている安藤百福の生涯年表を簡単におさらいしていきましょう。安藤百福さんについてはのちに詳しく記載をさせていただきます。早速見ていきましょう。

  • 1910年:台湾で安藤百福生誕。当時の名前は、呉百福です。
  • 1932年:父の遺産で台湾で繊維会社「東洋莫大小(トウヨウメリヤス)」を創設しました。
  • 1948年:12月にGHQに脱税の疑いを掛けられます。
  • 1958年:インスタントラーメンの開発をしていて、春ごろに完成したそうです。
  • 1962年:インスタントラーメンの特許を取得しました。
  • 1966年:カップヌードルの開発を開始します。
  • 1972年:あさま山荘事件がきっかけでカップヌードルが注目を集めます。
  • 2007年:1月5日に亡くなりました。

妻の仁子(まさこ)さんと結婚したのは、昭和20年(1945年)でした。安藤百福自身が仁子さんに”一目ぼれ”したことがきっかけとなりました。安藤百福曰く「大変義理堅くやさしいこの女性(安藤仁子)に、私は一目ぼれしてしまった」と自身の著書にも記しています。

実在モデルは日清食品創業者の安藤百福!

日清食品創業者の安藤百福は、明治43年(1910年)3月5日に呉家の3男として生まれました。安藤百福の父は資産家で裕福な家庭でしたが、安藤百福の両親は、早くに亡くなっています。呉服店を営んでいた祖父に育てられたといわれています。祖父の影響からか、安藤百福は、幼いころよりソロバンで遊んでいて数字に強かったといわれています。祖父の許可を得て妹と2人で小学生の高学年で独立をしました。

安藤百福は、3男と言うこともあり呉服店を継げなかったので祖父に厳しく育てられたそうです。小学生の時から選択などの家事は自分でしていて妹たちの世話もきっちりとしていたそうです。安藤百福は、1番最初の妻となった台湾人の呉黄梅と結婚して昭和5年(1930年)に長男の安藤宏寿が誕生しています。その当時安藤百福は20代でした。図書館の司書を知り合いに推薦されて様々な本を読むようになります。

本を読むようになり、心の底から湧き出る”冒険心”が抑えられなくなりわずか2年で図書館の司書を辞めたそうです。昭和6年に満州事変が起きました。そして昭和7年に父の遺産で「東洋莫大小(トウヨウメリヤス)」を設立させ、『メリヤス』の輸入を始めたそうです。メリヤスの輸入が大当たりし、昭和8年には大阪に「日東商会」も設立させました。忙しい傍ら、立命館大学の専門学部である経済学科の夜間に通学をしています。

台湾には、「夫妾婚姻」制度というものがあり、安藤百福は、正妻の呉黄梅のほかに呉金鶯さん(第2夫人)とされる方もいたようです。呉金鶯さんとも結婚をしていて安藤百福は正妻の呉黄梅と長男である安藤宏寿さんを台湾に残し大阪へ移住したときに第2夫人である呉金鶯さんを連れていったといわれています。日本に移住後は、叔父さんの紹介で当時の総理大臣であった田中義一に面会をしていたようです。

妻仁子との出会い

田中義一の長男である、田中龍夫が同い年で気が合い安藤百福はかわいがられるようになりました。その縁があり日立財閥の創始者の久原房之助に可愛がられ政財界にも交友関係が広がっていったといわれています。しかし、昭和16年(1941年)に真珠湾攻撃が開始されました。それがきっかけでメリヤスの仕事が低迷するようになったそうです。

昭和17年に軍事用エンジン部品などを製造する会社の共同経営を始め、幻灯機=スライド映写機の製造を開始した安藤百福でした。物資の横流しをした罪に問われたりしましたがこれは冤罪でありながらも逮捕され厳しい拷問を受けることになってしまいました。拷問を受ける日々は続きながらも、元陸軍中尉の井上の助けにより百福は解放されることとなりました。外へ出られましたが長期療養生活が始まったのです。

安藤百福は、第2夫人である呉金鶯さんとの間に呉宏男さんと呉武徳さん呉美和さんという3人のこどもが生まれていました。しかしながらこの第2夫人とは別れて妻は台湾に帰国したといわれています。そんな中、「大阪クラブ」という財界人の受付をしていた仁子という女性と出会い、一目ぼれし戦時中であった昭和20年(1945年)に結婚をしました。

日清食品ができるまで/製塩業

終戦後、安藤百福は、製塩事業を始めます。この時に安藤百福はすでにお金持ちだったようです。大阪府の泉大津市に住み始めます。このころの若い人たちは問題を起こしたり拳銃を持っている人も中にはいてとても物騒だったといいます。佐藤栄作や田中龍夫らと話をしていた時に安藤百福は「面倒を私が見ようと思った。」と著書に記されています。若者を集め、製塩事業を始めます。

赤穂で学んだ塩づくりを生かし、苦労しながらも塩を作成しました。その出来上がった塩を近所の人に無料で配ったり、余ったものを販売したとされています。そして、漁船を2艘を買ってイワシを捕って食べたそうです。そのイワシは近所の人にも干物にして配っていたそうです。本格的に事業をするため昭和23年(1948年)9月に「中交総社」を設立しています。後の日清食品となります。主に海産物を加工する会社のようです。

安藤百福は、中国も日本も復興するために技術を要すると考えました。そして、田中龍夫の助言により愛知県名古屋市に専門学校「中華交通技術専門学院」を昭和23年(1948年)4月に設立しました。ここでも仕事のない若い者を集めて技術を学ばせています。この学校は学費も取らず、全寮制で食事つき尚且つ生活費も支給するという完全なる慈善事業だと当時話題を呼んでいました。

日清食品ができるまで/国民栄養科学研究所

在日台湾人などの戦勝国に特別配給があったことや敗戦国である日本人には配給だけの生活で闇市などで食料を購入しながらも栄養失調で亡くなる人も多くいたことから、安藤百福は、昭和23年(1948年)9月に大阪で「国民栄養科学研究所」を設立しました。大阪大学などから専門家たちと一緒に栄養食品の研究をはじめます。材料は、「食用カエル」を捕まえてきて下処理を施し圧力釜に入れて過熱をすると爆発してしまったそうです。

これには、妻の仁子も怒ったようです。食用ガエルは、宏基を産んだばかりの妻、仁子にとっての栄養源となりました。牛や豚の骨からエキスを取り出し栄養食品「ビセイクル」を作り成功させます。厚生労働省にも認められ病院に提供されることになります。事業が順調に進んでいく中GHQに安藤百福は逮捕されてしまいます。脱税の容疑でした。昭和23年(1948年)に軍事裁判にかけられ「4年の重労働」の実刑判決を受けました。

日清食品ができるまで/インスタントラーメン開発

安藤百福が解放され、全財産を失いながらもまだ起業意欲がありました。即席めん(インスタントラーメン)を作ると決意をしたのです。インスタントラーメンは一年をかけて開発に取り組みました。「飽きない味」「常備することができる保存性」「手間なし」「安い」「安全で衛生的」この5つの必要条件を考えていたのです。一進一退の毎日だったといわれています。

そして、インスタントラーメンが出来上がりました。昭和33年(1958年)8月、安藤百福が持ってきたラーメンに興味深々なお客さん達だったといわれています。このインスタントラーメンの名前は、今も愛されているあの「チキンラーメン」です。そして会社の名前も「中交総社」から「日清食品」となったのも1958年です。テレビCMなどの影響でたくさん売れました。

インスタントラーメンのその後

「チキンラーメン」が爆発的ヒットを起こす中、「カップヌードル」の開発を開始しました。完成させ、給湯設備のついた自動販売機で販売したところこちらも売れました。「カップヌードル」が爆発的ヒットとなった出来事は1972年におきた「あさま山荘事件」でした。警察の機動隊員たちが「カップヌードル」を食べる姿が全国に放映されたことがきっかけとなりました。

立花萬平の実在モデルは日清食品創業者の安藤百福

「まんぷく」で主人公立花福子の夫である立花萬平演じているのは俳優の長谷川博己さんです。現在放送中のまんぷくでは、たちばな工房社長から理創工作社社長→たちばな塩業社長となっています。立花萬平の設定は、頑固で偏屈なところもありますがお人好しな性格でもあります。「人々の役に立ちたい」ということをモットーに掲げ様々なものを発明しています。日清食品創業者の安藤百福がモデルとなっています。

長谷川博己は、俳優として主に活動をしています。主な出演作は、『鈴木先生』『家政婦のミタ』 『デート〜恋とはどんなものかしら〜』『セカンドバージン』 『MOZUシリーズ』『夏目漱石の妻』『小さな巨人』『まんぷく』『地獄でなぜ悪い』『シン・ゴジラ』など数多くの作品に出演しています。『まんぷく』での優しい妻想いの夫役で、好感度上昇中の人気俳優です。

安藤百福の生涯は?

安藤百福の生涯も、山あり谷ありで、妻となる仁子さんと出会うまでに2回の結婚を経験しています。仁子さんと一緒に歩んできたからこそ日清食品グループが生まれたとされています。そして、日清食品グループができるまでに数多くの会社を設立したくさんの若い人たちが救われています。

阪神淡路大震災の時に、キッチンカーを派遣し『チキンラーメン』を1万5000食を無償で提供し、ベンチャー企業を支援するなど様々な活動をしてきました。私財を出して『日清スポーツ振興財団』の設立もしています。また、宇宙でもラーメンを食べられるように宇宙食ラーメンの『ペース・ラム』などの開発にも力を注ぎました。

安藤百福は、平成19年(2007年)1月4日に日清食品で30分間立ったままの年頭訓示を行いました。その日の昼食に『チキンラーメン』を食べたといわれています。その翌日である、平成19年(2007年)1月5日に心筋梗塞により98歳で亡くなりました。ご冥福をお祈りいたします。

今井福子の実在モデルは安藤百福の妻の安藤仁子

今井(立花)福子の実在モデルは、日清食品創業者の安藤百福の妻の安藤仁子(まさこ)さんです。仁子さんは、大正6年(1917年)8月16日に大阪府で生まれました。仁子さんは、3姉妹でした。9歳上の晃江(てるえ)さんと7歳上の澪子(みおこ)さんでした。仁子さんは働きながら学校に通い18歳で高等女学校を卒業しています。
 

高校卒業後には、2番目の姉である安藤澪子が京都の画家である有元一雄のもとに嫁いでいて家族3人でそこでお世話になっていましたが有元一雄自身も貧乏な生活をしていて苦しかったようです。そのため安藤仁子は電話交換手として得意の英語を生かして京都にある「都ホテル(現在:ウェスティン都ホテル京都)」というところで働いたそうです。

そのホテルで安藤仁子は男性から告白をされるのですが断ります。するとその男性はショックから自殺未遂をしてしまったようです。昭和16年(1941年)に父・安藤重信が他界してしまいます。母を1人で支えることとなった仁子は「母につらいおもいをさせない」と決めたようです。そして仁子の働きぶりが認められホテルのフロントへ昇格をしました。

安藤仁子の運命の出会い

ホテルのフロントで働きながらも安藤仁子は「大阪倶楽部」といういわゆる大阪財界人の社交場の受付をしていました。その時出会ったのが安藤百福です。元陸軍中将の井上安正からの紹介で7歳年上の安藤百福でした。この当時はまだ在日台湾人だった安藤百福は呉百福と名乗っていたそうです。仁子に一目ぼれをした百福は仁子にプロポーズをしますが一度断られてしまいます。

安藤百福は恋愛には奥手のようで友人から背中を押されて安藤仁子に猛アタックをしたそうです。安藤仁子は百福の強い思いに惹かれ、大阪の空襲が始まる中昭和20年(1945年)3月21日に結婚をしました。安藤仁子は結婚を期に仕事を辞めて大阪府の吹田市に引っ越しをしたようです。2人の妻が百福にはいましたが安藤仁子は、正妻という扱いになっていたようです。

安藤仁子は、1人目の子供(第1夫人が出産した)安藤宏寿を引き取って、仁子の母と宏寿と百福そして仁子の4人での生活をスタートしたといわれています。戦争が激しくなる中、安藤仁子は妊娠をしていましたが流産をしてしまう結果となりました。戦後、疎開していたところを出て大阪の泉大津市に移り住んだ家族たちでした。

安藤仁子の人生

夫の安藤百福は、空襲で失った建物などの保険金を当時の4000万円(現在の1000億円)という大金を受け取り「日本一のお金持ち」となったそうです。慈善事業の1つとして漁船を購入したり、製塩事業を開始して仁子はそれに賛成し一緒に支えていったそうです。若者と一緒にはしゃいでいたという情報もあるようです。そして、次男の宏基も生まれて楽しい生活を送っていたようです。

楽しい生活を送りながらも、安藤百福が逮捕されお金が無くなるなどの出来事もありましたが、「インスタントラーメン」の開発を開始した安藤百福でした。失敗を繰り返していく中、麺の処分に困った仁子は栄養があると知り家畜(豚や牛)の餌などにしてそれを売り生活費に充てていたとしています。

そして、安藤百福は仁子の料理でのアイデアを貰い「チキンラーメン」というインスタントラーメンを完成させたとされています。安藤百福は、資金を失いかけた時、生活も苦しかった時に知人からのお金を借りて「チキンラーメン」の製造を本格的に開始したようです。「チキンラーメン」がうまくいく!と誰よりも思っていたのは仁子さんでした。そして日清食品という会社が誕生したといわれています。

今井福子(立花福子)を演じているのは誰?

「まんぷく」で主人公、立花福子を演じているのは安藤サクラさんです。「まんぷく」には制作者側よりオファーがあり主役を演じることになりました。立花福子は、夫の立花萬平を支えながら「立花塩業」の社員達も支える優しい主人公です。モデルとなっている人物は、日清食品創業者である安藤百福の妻の安藤仁子さんです。

安藤サクラは、女優として活動をしています。夫は俳優の柄本佑です。主な出演作は、『野田ともうします。』『ショムニ2013』『ゆとりですがなにか』『まんぷく』映画『愛のむきだし』『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』『かぞくのくに』『0.5ミリ』『百円の恋』『万引き家族』など多数の作品に出演しています。存在感ある安藤サクラの演技に注目です。

安藤仁子の生涯は?

安藤仁子さんの人生は波乱の連続でした。戦後に信仰することに目覚め日帰りで巡礼をしたといわれています。カップヌードルが大ヒットした年である1972年(昭和47年)から四国八十八か所巡りを始めたそうです。その時に夫が悪くしてしまった為に、夫の安藤百福を案じて目に効くと言われているお寺に必ず立ち寄っていたということが記録として残っているそうです。

安藤仁子さんは、夫である、安藤百福さんの死後3年がたった平成22年(2010年)3月19日に94歳で亡くなりました。死因は老衰だといわれています。ご冥福をお祈りいたします。

まんぷくの香田忠彦にも実在モデルが存在!

まんぷくの香田忠彦とは?

まんぷくでの香田忠彦は、とても優しく、福子たち家族のよき理解者でもありアドバイスを送ったりして支えてくれています。福子の母鈴に最初は嫌われていたのですが、優しい言葉をかけたことにより円満に事が運ぶようになりました。愛称は「忠彦さん」とみんなから呼ばれています。

今井家次女の克子の夫という役どころです。主人公である福子の義兄となります。画家の仕事をしているが、自身の好きなものである鳥しか描かないために生計は立てることが困難で両親から援助を受けていました。終戦後にフィリピンから帰還します。戦争中に照明弾の光を至近距離で浴びた影響で目を負傷し色が判別できなくなってしまいました。

目を負傷していながらも絵を描くことを諦めきれず絵を描き続けています。目を負傷して描いた絵が売れたことで心境は複雑な時もあったようです。長女タカを「浮世離れした美人」と評している親バカな一面もあります。要潤演じる香田忠彦の優しい役どころに視聴者の皆さんは惚れ込んでいるようです。今後も注目です!

香田忠彦を演じているのは誰?

香田忠彦を演じているのは俳優の要潤です。主に俳優として活動をしています。香川県出身で「うどん県」副知事として広報活動を勢力的に行っています。主な出演作は、『仮面ライダーアギト』『新・愛の嵐』『動物のお医者さん』『夜王』『探偵学園Q』『キミ犯人じゃないよね?』『僕らは奇跡でできている』バラエティ番組『幸せって何だっけ』『タイムスクープハンター』『要博士の異常な映画愛』などに出演しています。

香田忠彦の実在モデルは有元一雄

有元一雄さんとは、京都の日本画家だそうです。安藤晃江の紹介により澪子と知り合いました。観音様の手を書く為に手のモデルを探していた時に澪子と出会ったそうです。有元一雄さんは貧乏な生活をしていたため澪子と結婚した後も、近所の手伝いなどで食べ物を分け与えてもらったり、妹の仁子が質屋に着物を持ち込んだお金などで生活をしていたといわれています。

有元一雄さんは、義理の兄である安藤百福が創業した日清食品で監査役を後に勤めるようになり画家としても活動をしていて2足の草鞋を履いていたといわれています。

鳥や手の絵を描く理由は?

安藤家の三姉妹の次女、澪子(ドラマ版では克子という名前です)が手のモデルとなったことがきっかけで、有元一男と安藤澪子は結婚することになりました。モデルとなっている、有元一男さんが日本画家で、和鳥を書くために庭で「シラサギ」をかっていたそうです。ドラマ「まんぷく」でも同じように描かれています。ドラマでは「シラサギ」から「インコ」などの鳥になっています。
 

SNSでは、福子の姉である克子夫婦についての感想が多数寄せられています。優しい夫を演じている要潤の好感度が爆上がりしているようです!

まんぷくの今井咲の実在モデルは誰?

まんぷくの今井咲とは?

ここでは、まんぷくに登場する、今井家・次女である咲(さき)について紹介をしていきます。ドラマでは「咲姉ちゃん」という親しみを込めた呼び名で呼ばれています!

テレビドラマ「まんぷく」での今井咲は、主人公の福子の10歳年上の長女という役どころです。ドラマ版では宝飾店の店員として働いていて、母の鈴や福子と咲自身の3人暮らしを支えてきました。昭和13年に真一と結婚しますが、結婚後すぐの昭和16年に肺結核を発症してしまいます。肺結核になったあとすぐの昭和17年の春に危篤となり、夫の真一と妹の福子、母の鈴、妹の克子と忠彦に見守られながらこの世を去りました。

テレビドラマ「まんぷく」では死後、鈴や福子の夢枕にたびたび登場しています。夢枕に登場するたびに母の鈴や福子をいつも元気づけています。今後の夢枕の登場に更なる期待をしましょう。

今井咲を演じているのは誰?

今井咲を演じているのは、女優の内田有紀です。『その時、ハートは盗まれた』『時をかける少女』『17才-at seventeen-』『キャンパスノート』『氷の世界』『医龍-Team Medical Dragon-2』『最後から二番目の恋』『ドクターX〜外科医・大門未知子〜』『軍師官兵衛』『西郷どん』映画『CAT'S EYE』『クワイエットルームにようこそ』『ばかもの』『踊る大捜査線シリーズ』などに出演をしています。

今井咲の実在モデルは安藤晃江

朝の連続テレビ小説の主人公である立花福子の姉である今井咲のモデルとなっているのは、安藤仁子の9歳年の離れた姉であり三姉妹の長女の安藤晃江(てるえ)さんです。晃江さんが学生時代にはまだ裕福だったので人力車に乗って高等女学校に通っていたといわれています。当時はとても高級なお菓子とされていた『チョコレート』や『クッキー』も大好きだったそうです。いわるゆ本当のお嬢様です。

安藤晃江さんは、とても色が白く美人な人だったようで、男性からとても人気でお付き合いの申し込みや結婚などの申し出がとても多かったそうです。父の事業が悪化してしまい進学が難しくなった時も安藤晃江さんは絵がとても上手だったので授業料無しの美術学校へ進学することができたそうです。しかし、進学をしても絵の勉強ができないほど生活が苦しくなり大阪の「尚美堂」という会社で働くようになりました。

そして、安藤晃江さんは近所に住む歯科医の男性が晃江さんに思いを寄せていました。歯科医の人を残念ながら気に入ることもなく会社員である久保健治さんという方と結婚をします。久保健治さんは給料が低く貧乏暮らしをしていたといわれます。その時に結核に感染してしまったとされています。

安藤晃江の生涯は?

安藤晃江さんの結婚後、3年が経った昭和10年10月17日に27歳という若さで亡くなってしまいます。病名は、当時不治の病とされていた結核でした。ご冥福をお祈りいたします。

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まんぷくのモデルまとめ

2018年後期の朝の連続テレビ小説「まんぷく」のモデルとなった日清食品創業者である安藤百福さんと妻の仁子さんについてまとめてきました。大人気の朝の連続テレビ小説となっている「まんぷく」です。

朝からとても清々しい気持ちになれる作品となっていますので是非皆さんも「まんぷく」をご覧になってください!3月末までNHK朝の連続テレビ小説「まんぷく」を皆さん一緒にこれからも盛り上げていきましょう。

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