2018年08月22日公開
2018年08月22日更新
半分、青い。のモデルとなった人物・メーカーは?扇風機を開発した人?
半分、青い。のモデルとなった人物や扇風機のメーカーは何か?半分、青い。は波乱万丈なヒロイン楡野鈴愛の物語ですが、この作品の裏にはモデルとなる存在がありました。鈴愛の生きる人生にはとある人がモデルとなっており、いくつかの共通点があります。また鈴愛と律が開発した扇風機のメーカーにもモデルが存在しました。半分、青い。には漫画作品が登場しますが、これにもモデルがあります。半分、青い。の人物やメーカー、漫画作品のモデルについて徹底解説していきます!
目次
半分、青い。のモデルとなった人物やメーカーを徹底調査!
半分、青い。は2018年よりNHKの第98作目の連続テレビ小説として放送が始まった朝ドラ作品です。半分、青い。は2018年4月2日から2018年9月29日にかけて放送される予定であり、この作品の脚本を書いている北川悦吏子さんのオリジナル作品となっています。半分、青い。は主人公の楡野鈴愛の波乱万丈な人生遍歴を元に、様々な人物が入り混じりながら展開される、実話ありの明るい作品です。
半分、青い。でヒロインの人物鈴愛は、画期的な扇風機を発明して病気のお母さんに送ることになります。果たして楡野鈴愛と律が作り上げた扇風機のモデルとなったメーカーは何なのか?鈴愛のモデルとなった人物は誰なのか?実は半分、青い。にはモデルとなった人物やメーカーが存在しました。
ここでは半分、青い。のモデルとなる人物が誰かや、扇風機のメーカーについて、また半分、青い。内で登場する漫画作品「いつもポケットにショパン」なども含めて徹底解説していきます。半分、青い。のモデルになった人物が誰かやメーカー、実話に興味のある方はどうぞ最後までご覧ください!
半分、青い。とは?
半分、青い。は朝ドラマ作品として、明るい性格のヒロイン楡野鈴愛の彩り豊かな人生を描く実話ありの作品となっています。テレビでは全156回が放送される予定となっており、主に岐阜県と東京都を舞台に物語は展開されていきます。
病気から片耳が聞こえなくなり漫画家の夢も破れて、一度目の結婚でも失敗するという鈴愛が、人生の再起をかけて地元岐阜県で発明家となるあらすじが魅力の作品となっています。以下より半分、青い。の実話ありのあらすじをざっくりと解説していきます。
半分、青い。のヒロイン楡野鈴愛が岐阜県に生まれる
半分、青い。の主人公、楡野鈴愛が生まれたのは高度経済成長期も終盤になりかけた1971年(昭和46年)のことです。鈴愛が生まれる1年前には大阪で万博が開催されていました。楡野鈴愛は岐阜県で東濃の方にある小規模な食堂の子供として誕生しています。鈴愛は幼いころから明るくポジティブな人物で、大自然を走り回る元気さがあります。また鈴愛は発想力が豊かで、行動力があります。
何かしたいと思ったらまず行動してみる人物なのです。鈴愛は半分、青い。の中で様々な失敗を体験しますが、「やってしまった」という言葉と共に、前向きに歩んでいける女性です。そんな鈴愛なので誰でも人を巻き込んで新しい事業を起こし、これまでにない扇風機を発明することが出来たのです。
半分、青い。で左耳が聞こえなくなる鈴愛
半分、青い。を象徴するような実話の事件が楡野鈴愛に起こります。鈴愛が小学校三年生の時に、彼女の左耳が病気で聞こえなくなってしまったのです。これは原作者の北川さんの実話でもありました。鈴愛は片耳の聴力を失ったことに悩みましたが、彼女と同じ日に生まれた萩尾律は暖かい言葉をかけてくれました。
また鈴愛はもともと明るい性格なので、片耳が聞こえなくなるという現実をやがてプラスに解釈していき、自分にしか感じられない感性をはぐくむに至りました。
この発想の転換が後の鈴愛の画期的な発明に繋がっていきました。鈴愛は雨が降ってくると傘をさすのですが、左耳が聞こえないので左側のみ雨が降っていないという感じを受けます。空が晴れ渡ると、同じく半分だけ青空を感じて面白がるという独特な感性を持つ人物です。鈴愛がこのような感性を持てたキッカケは片耳の聴力をなくしたからだったのです。
半分、青い。の楡野鈴愛の高校時代
半分、青い。で楡野鈴愛は高校時代勉強はイマイチでしたが、昔から絵を描くことが好きだったので絵は得意でした。そんな鈴愛は、やがて秋風羽織の描く漫画作品に魅了されるようになっていきます。また鈴愛は高校時代に伊清という美少女とも出会います。伊藤清とは弓道部での試合の際に出会うことになったのです。
漫画家を目指す鈴愛
半分、青い。で鈴愛が高校卒業を迎えるころ日本では1980年代も終盤に入り、バブル景気の状況にありました。鈴愛は高校を卒業するとすぐに上京して、秋風羽織の元で少女漫画家になるためにアシスタント業に打ち込んでいました。秋風羽織のオフィス・ティンカーベルという事務所入った鈴愛は漫画家の現実を目の当たりにしながら、アシスタントの仕事に励んでいました。
漫画のアシスタント仲間でユーコやゲイの気のあるボクテ達とはこの時期に出会っています。しかし鈴愛は結局漫画家になる夢は叶いませんでした。上京して鈴愛が初めに親しくなったのが朝井正人でした。朝井正人は萩尾律と同じ大学に通う同級生でとてもモテる人物でした。また伊藤清の存在は、鈴愛と萩尾律との関係に割って入ってくるような存在になりました。
鈴愛の結婚と別れ
半分、青い。の鈴愛はやがて結婚をし、一人の娘を授かることになりました。しかし鈴愛の夫は映画監督を目指したい人で、家庭のために働くような人ではありませんでした。夫は映画監督になる夢を追いかけて鈴愛と別れると、彼女はバツイチ女性となり実家のある岐阜県に戻ってきました。この時点で鈴愛は漫画家になる夢が破れ、結婚でも失敗しましたが、持ち前の明るさで前向きに人生を歩んでいきました。
ひとりメーカーを立ち上げる鈴愛
半分、青い。でシングルマザーになった鈴愛は地元に戻っても今後の道が見えませんでした。時代はバブルが崩壊して不景気が続く時代になっていたのです。そのような環境の中で鈴愛はモノづくりの楽しさに目覚めました。発明には失敗はつきものですが、失敗を失敗と思わない鈴愛にはモノづくりが向いていたのです。
鈴愛は「ひとりメーカー」を立ち上げると、持ち前の発想力を生かして色々なものを開発していきます。やがて色々な人との繋がりを得た鈴愛は、独特な感性で発明を行っていきました。この時代はすでにデジタル技術も進歩しており、鈴愛のような能力を持っていれば誰でもモノづくりが行える環境下にありました。
萩尾律と達とタッグを組んで発明する鈴愛
半分、青い。で、とても縁の深い鈴愛と律は対照的な性格をしています。鈴愛は発想力が豊富で、色んなアイデアを出して人との繋がりを作っていきます。萩尾律はまじめな技術肌の人で、そんなに社交術がある方ではありません。鈴愛と律はお互いに一度結婚で失敗しており、この点でも似ていました。性格的にも相補う関係にある鈴愛と律は、長いこと適度な距離からお互いを意識してきました。
鈴愛が母のために扇風機を作り始めた時から、両者はプライベートでも仕事面でもパートナー関係に入っていきます。鈴愛と律は一緒に画期的な扇風機を開発して、この業界に革新を起こしたのです。
半分、青い。の登場人物に実在のモデルは存在する?
半分、青い。に実在のモデルが存在するのかという疑問がありますが、原作にモデルはなくて北川悦吏子さんの作った完全オリジナル作品となっています。鈴愛と律のような実在のモデルが誰かいるのかという疑問に対しても、実在のモデルはいないようです。ただし、半分、青い。のヒロイン楡野鈴愛の実在モデルはいると言われています。
その実在モデルが脚本家の北川悦吏子さんです。北川さんも幼い時に突発性難聴にかかって左耳が聞こえなくなっており、ここは鈴愛と同じ境遇にあり実話です。そのため半分、青い。は北川さんの自伝的な実話作品だという声もあります。
半分、青い。の原作者と鈴愛の共通点
半分、青い。の原作者北川さんとヒロインの鈴愛には、片耳が聞こえなくなった他にもいくつかの実話共通点があります。それは鈴愛と北川さんの出身地が同じという事です。北川さんも鈴愛も同じ岐阜県生まれの人であり、番組の撮影も岐阜で行われることが多くありました。
北川さんが通った学校での撮影はありませんでしたが、周辺にある高校では撮影がされていました。半分、青い。には岐阜県の商店街のシーンがありますが、この撮影も街の協力があってこそ出来たものでした。
半分、青い。の原作者と鈴愛の共通点は転職?
半分、青い。の原作者北川さんと鈴愛の実話共通点として転職があります。ヒロインの鈴愛は初め少女漫画家になるために上京しましたが、やがて夢破れて地元に戻ります。鈴愛はその後、モノつくり人として発明家になっていきました。一方北川さんは初め会社員として働いていましたが、やがて脚本家に転職することになったのです。
北川さんと鈴愛はどちらも初めの仕事と後の仕事のジャンルが異なり、ギャップがあるという実話共通点があります。両者ともに転職をした末に本当に自分に合った仕事に出会った実話の物語だといえるのです。
半分、青い。に出てくる二足歩行ロボットのモデルは?
半分、青い。に出てくる二足歩行ロボットにもモデルがいるようです。それはホンダが1996年頃に発表して、世界を驚かせた二足歩行ロボットのP2でした。半分、青い。は日本のある時代に流行った商品などをうまい具合に作品内で活かしています。
半分、青い。で主人公鈴愛が作った扇風機とは?
半分、青い。でヒロイン楡野鈴愛はこれまでにない扇風機を発明するのですが、彼女の作った扇風機とはどのようなものだったのでしょうか?扇風機は明治時代に初めて発明されており、鈴愛は持ち前の発想力を生かして変わった扇風機を開発しました。なぜ鈴愛が扇風機を作るに至ったかというと、彼女の母が病気にかかったのが原因でした。
鈴愛は入院している母に対して高原の風を届けたいと思ったのです。こうして萩尾律と手を組んで生み出したのが「そよ風」という扇風機でした。鈴愛の作った扇風機とは病気の母に対して高原のような優しい風を当ててあげたいという思いから生まれた商品だったのです。
半分、青い。のモデルになったメーカーとは?
ここでは半分、青い。のモデルとなったメーカーや、その創業者が誰でどんな人生を歩んできたのかについて見ていきます。半分、青い。で登場した扇風機「そよ風」のモデルとなるメーカーを誕生させた人物は一体誰なのでしょうか?
半分、青い。で扇風機のモデルとなったメーカーは?
半分、青い。のヒロイン鈴愛は、漫画家の夢が破れるとモノづくりに興味を見出して、画期的な扇風機を作るのですが、これにはモデルとなるメーカーが存在しました。鈴愛は病気で入院している母に向けて、高原のそよ風のような風を届けたいと思って開発したわけですが、この商品メーカーにはモデルがあります。
扇風機と言えば大手のメーカーが作っているイメージがありますが、個人で誰かが画期的な扇風機を作っていたらその人は鈴愛のモデルである可能性があります。鈴愛の作った扇風機の特徴を挙げると以下2点となります。1.高原の風のように優しい風を出す扇風機2.大手メーカーではない。この条件を満たすのがバルミューダ株式会社が作ったThe GreenFan(ザ・グリーンファン)という商品です。
そよ風のモデルグリーンファンは高価?
半分、青い。で、扇風機「そよ風」のモデルとなったグリーンファンは楽天で買おうとすると値段が36000円程になります。他の扇風機と比べると、グリーンファンの値段は高価ですが、その分性能はかなり良い扇風機です。グリーンファンの扇風機は消費電力が普通の扇風機に比べて1/20になっているといわれています。
半分、青い。のモデルとなる創業者は誰?
半分、青い。で、バルミューダ創業者の人生も鈴愛のモデルになっているといわれています。バルミューダ株式会社を立ち上げたのが、寺尾玄さんです。この寺尾玄さんの人生を見ると、半分、青い。の鈴愛を思わせる実話的相似点があるのです。
寺尾さんは1973年7月25日に茨城県で生まれました。寺尾さんのお父さんは洋ラン栽培農家をしており、陶芸家としても活躍している人です。また寺尾さんのお母さんはフラワーコーディネーターとして活動していました。寺尾さんは高校を17歳の時に中退した後、スペインやモロッコ、イタリア等、地中海地方を旅して暮らしていました。
寺尾さんは初め音楽をやっており、ロックバンドの「Beach Fighters」の一員でした。しかしBeach Fightersは解散することになり、この時寺尾さんは音楽をやって生きていく道を閉ざしてしまいます。寺尾さんのこの体験は、半分、青い。の鈴愛が漫画家を諦める過程と似ており、実話のようでもあります。その後の寺尾さんはオランダのデザイン雑誌を見て、その後の人生が変わりました。鈴愛のようにモノづくりを志すのです。
こうして2003年には有限会社バルミューダデザインを寺尾さんは立ち上げました。この会社で作られたのが半分、青い。のモデルとなった扇風機でした。これまでにないやさしい風を出してくれる扇風機の他にも、色々な製品を寺尾さんの会社では作っていました。例えばデザイン性の高いオーブントースターや空気洗浄機、電気ケトルも作られています。これら商品はどれもおしゃれな外観で、デザイン性の高い商品となっています。
扇風機と言えばダイソンが作った羽のない扇風機がありますが、バルミューダ製品の扇風機も負けず劣らず良い製品だと言わています。扇風機「そよ風」のモデルとなった会社の創業者は、まるで鈴愛のような人生を送っていたのです。寺尾さんの実話も半分、青い。に垣間見えるのです。
半分、青い。に登場する漫画のモデルは存在する?
半分、青い。に登場する漫画作品にはモデルがありました。半分、青い。で、主人公鈴愛の人生を変える漫画作品に「いつもポケットにショパン」があります。この「いつもポケットにショパン」は実在に存在する少女漫画作品なのです。半分、青い。で「いつもポケットにショパン」を見た、この世代の方は誰が本当の作者かに気付いた方も多かったのではないでしょうか?
半分、青い。で「いつもポケットにショパン」を描いた漫画家は秋風羽織という事になっていますが、本当はくらもちふさこさんが作者です。くらもちふさこさんの「いつもポケットにショパン」が半分、青い。に登場したことからツイッターでも騒ぎが起こるほどでした。以下より半分、青い。の漫画のモデルとなった「いつもポケットにショパン」やなぜ鈴愛が漫画好きになったのかについて見ていきます。
なぜ鈴愛は漫画好きになったのか?
半分、青い。で鈴愛が漫画好きになった理由に、父親の存在があります。父、宇太郎が漫画好きであり、これが鈴愛に影響していたのです。父の漫画好きがあるため、半分、青い。では時代設定より若干古めの作品が出てきます。
それがくらもちふさこさんが描いた「ポケットにショパン」でした。鈴愛は自分の世代よりも古い漫画作品に夢中になっていたのです。「ポケットにショパン」は鈴愛の愛読書であり、半分、青い。ではこの作品の作者が秋風羽織になっています。
半分、青い。に登場したいつもポケットにショパンの内容について
半分、青い。に登場する漫画「いつもポケットにショパン」は、別冊マーガレットに1980年2月~1981年7月にかけて連載されていました。タイトルにショパンとあるように、クラシック音楽が漫画の題材になっています。「いつもポケットにショパン」の作者くらもちふさこさんは高校時代までピアノを習っていたようで、これが元で「いつもポケットにショパン」が誕生したようです。
出典: https://jmty.jp
コミックスでは全4巻、文庫本で全3冊のボリュームがあるこの作品は、音楽ネタの少女漫画として金字塔的存在です。くらもちふさこさんが描いた漫画で「天然コケコッコー」という作品があり、1990年代には漫画賞をいくつも受賞した傑作です。「天然コケコッコー」は映画化もされた人気作ですが、「いつもポケットにショパン」はそれを上回る人気があると言われています。
いつもポケットにショパンのあらすじについて
半分、青い。に登場する漫画「いつもポケットにショパン」は主人公の須江麻子がピアニストになろうとする物語です。麻子と幼馴染の緒方季晋がやがてライバル関係になっていくのですが、その裏には両者のお母さんの因縁が関わっていました。麻子は初めまだピアニストとして未熟ですが、物語が進むごとにその真価を発揮していくことになります。
「いつもポケットにショパン」の特徴はライバルの幼馴染と、お母さん同士の関係が絡んで物語が展開していくところにあります。麻子のお母さんは国際的に活躍するピアニストであり、その分性格はやや厳しいところがあります。そんなお母さんと娘との葛藤を描く人間ドラマの部分も見どころです。
「いつもポケットにショパン」は発表当時、音楽を題材にした漫画としてとても注目されていました。麻子がピアニストとして成長していく物語も本格的で詳細に描かれていたので、画期的な音楽漫画でした。クラシック音楽で演奏者として生きていく姿の現実が描かれていて、リアリティのある作品だったのです。
「いつもポケットにショパン」は誕生してすでに30年以上が経っていますが、いまだにファンからの人気は衰えていない理由はここにありそうです。半分、青い。のヒロイン鈴愛は、高校三年生の時に「いつもポケットにショパン」を知り、読み出しました。この作品によって鈴愛の人生に変化が起こり、少女漫画家に向かって動き出すことになりました。
半分、青い。のモデルとなった人物・メーカーについてまとめ!
半分、青い。に登場するモデルの人物は誰かや、扇風機のモデルなどについて見てきました。半分、青い。を見ていて、このヒロインのモデルになったのは誰?と思う方もいるでしょう。半分、青い。の主人公鈴愛は、境遇が脚本家の北川悦吏子さんに似ており、自伝的作品といえる内容です。半分、青い。は他の誰でもない北川さんの実話を含んだ物語と言えるのです。また鈴愛と律が開発した扇風機「そよ風」のモデルも存在します。
ザ・グリーンファンを開発した会社の創業者が誰かと言うと、寺尾玄さんでした。この寺尾さんの人生も鈴愛に似ていて、実話含みの物語に見えます。半分、青い。の人物モデルは誰なのか?や扇風機、漫画作品のモデルを知って、よりこの朝ドラ作品を楽しんでいきましょう!