【アシガール】羽木九八郎忠清のモデルの戦国武将とは?かっこいい若君は実在した?

大ヒット作「アシガール」で主人公の唯が恋をした若君こと「羽木九八郎忠清」は実在するのでしょうか?また、モデルにした歴史上の戦国武将はいるのでしょうか?今回は「アシガール」に登場する羽木九八郎忠清のモデルではないかと言われている「浅井長政」とはどんな人物なのか?その生涯や妻・娘を史実から紹介し、羽木九八郎忠清との共通点探っていきます。また、黒羽城や若君の兜から別のアプローチから、羽木九八郎忠清のモデルと噂されている戦国武将を紹介していきます。

【アシガール】羽木九八郎忠清のモデルの戦国武将とは?かっこいい若君は実在した?のイメージ

目次

  1. 羽木九八郎忠清とは?
  2. 羽木九八郎忠清は実在する?モデルの戦国武将を紹介
  3. 羽木九八郎忠清の実在モデルの歴史や史実
  4. 羽木九八郎忠清のその他の実在モデルの噂
  5. 羽木九八郎忠清や実在モデルに関する感想や評価
  6. 羽木九八郎忠清のモデルまとめ

羽木九八郎忠清とは?

アシガールの作品情報

2017年9月〜12月にNHKで放送された「アシガール」は、戦国時代が舞台の森本梢子先生のラブコメディ漫画が原作となっています。2012年から集英社の「Cocohana」で連載されており、一旦連載が終了するも再開して2019年現在でも連載が続いています。さらに、実写ドラマの方でもNHKで続編となる「アシガールSP」が2018年12月24日に放送されました。

羽木九八郎忠清のプロフィール

「アシガール」で主人公の唯が恋する若君こと「羽木九八郎忠清」とは、黒羽城の城主・羽木氏の嫡男で年齢は18歳くらいの武将です。超絶イケメンで武芸・学業に優れ、笛を吹くなど音楽にも通じています。性格はどんな状況でも冷静さを忘れず、他者を笑顔で励まそうとする思いやりがあります。また、好きな女の子の覚悟が決まるまで気長に待つ優しさがあり、唯と会話して以来唯のことを一筋に想っています。

アシガール | NHK 土曜時代ドラマ

羽木九八郎忠清は実在する?モデルの戦国武将を紹介

実在モデルは浅井長政?

かっこいいと評判の「アシガール」の若君こと羽木九八郎忠清は実在していたのでしょうか?残念ながら「羽木九八郎忠清」という戦国武将は存在しません。しかし、羽木九八郎忠清のモデルとして名前が挙がっている歴史上の戦国武将はいます。それは「浅井長政」です。次に、浅井長政とはどのような人物なのか、そしてドラマなどで有名な妻や娘についてみていきます。

羽木九八郎忠清(若君)と浅井長政の共通点

浅井長政は1545年生まれなので、1542年生まれとされる若君こと羽木九八郎忠清と同年代の武将です。また、羽木九八郎忠清は唯が戦国時代に現れなければ、若くして命を落とすはずでした。

一方、歴史上の羽木九八郎忠清の実在のモデルと言われる浅井長政も織田信長に攻められて若くして亡くなっています。この若くして亡くなるという悲劇的な運命が2人に共通しています。結局、羽木九八郎忠清は唯の奮闘により、戦乱の世を生き抜くことになりました。

浅井長政のプロフィール

浅井長政とは現在の滋賀県、琵琶湖の北東部に位置する北近江を治めていた戦国大名です。落ちぶれかけていた浅井家に勢いを取り戻した勇敢な武将として知られています。現代人は織田信長や豊臣秀吉などを描くドラマなどで浅井長政を目にすることが多いでしょう。近年ではフジテレビのドラマ「信長協奏曲」で高橋一生さんが演じた浅井長政や、大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」で時任三郎さんが演じた浅井長政などが有名です。

浅井長政の妻

史実では分かっているだけでも浅井長政の妻は3人いました。最も有名なのは織田信長の妹のお市(上の画像)でしょう。しかし、あまり知られていませんが、浅井長政にはお市を正室に迎える前に最初の正室が存在していました。浅井長政の最初の正室は六角という戦国大名の家臣・平井定武の娘です。

浅井家は長政の父・久政の時代には六角家に従属していましたが、長政の治世に六角氏との中がこじれると平井の娘は実家に帰されました。その後に、浅井長政の正室として迎えられたのが、お市です。浅井長政とお市は政略結婚ですが、とても仲の良い夫婦だったと言われています。

しかし、仲の良い夫婦だったと言われる浅井長政とお市(上の画像)ですが、浅井長政には八重の方という側室がいたそうです。当時の戦国大名が側室を持つことは普通のことで、この人が浅井長政の3人目の妻です。六角氏との関係がこじれた段階で実家に帰された最初の正室とは対照的に、お市は浅井長政と織田信長が戦闘状態になっても織田家に帰りませんでした。

それは、お市の相当な覚悟と夫・長政の気遣いがあってのことだと考えられていますが、お市は浅井長政が亡くなるまで最後まで浅井長政の正室でした。浅井長政の死後、3人の娘を抱えて助け出されたお市は兄・信長の元に身を寄せ、その後有力な大名・柴田勝家の正室となります。そして、豊臣秀吉に敗れた柴田勝家とともに北ノ庄城で自害したのでした。

浅井長政の娘

浅井長政の娘は3人、茶々・初・江で、いずれもお市を母に持つとされています。長女の茶々(淀殿)とは後に豊臣秀吉の側室になり、豊臣家の世継ぎ・秀頼の母となった女性です。息子と大阪夏の陣で大阪城とともに悲劇の最期を迎えたことで有名です。

次女の初とは、従兄妹の京極高次の正室になった女性で、対立する姉・茶々の嫁いだ豊臣家と、妹・江の嫁いだ徳川家の仲を取り持つために奔走した人物です。

三女の江とは、徳川家康の嫡男でのちに2代将軍となる徳川秀忠の正室となった女性です。3代将軍の家光や豊臣秀頼に嫁いだ千姫、天皇家に嫁いだ和子などの母として知られています。

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羽木九八郎忠清の実在モデルの歴史や史実

歴史や史実①浅井家当へ

浅井長政の祖父・亮政の代で浅井家は北近江あたりを治める武将たちのリーダー的存在になります。しかし、その息子である長政の父・久政の代になってからは、南近江あたりを治めていた戦国大名の六角氏に支配されるようになります。その影響は嫡男の長政にも及び、1559年に長政が元服した際には、六角氏の家臣である平井定武の娘を正室として迎えることになりました。

そして、長政は平井家の嫡男である平井義賢から一文字もらって「賢政」と名乗ることになりました。このことで、浅井家は父・久政の代で完全に六角氏の家来になったことになり、北近江のリーダーだった浅井家にとってそれは相当な屈辱だったに違いありません。

弱腰の久政に対して、浅井家の家臣たちは反感を抱きます。そこで、家臣たちはクーデターを起こし、元服したばかりの賢くて勇気のある嫡男・長政を当主に据えて、久政を強引に隠居させました。そして、六角氏との関係を断ち切ることを決意した長政は正室の平井氏の娘を離縁し、実家に帰らせたのでした。

歴史や史実②初陣

初陣も迎えていない元服したての頃に元服した長政の初陣は、1560年「野良田の戦い」で相手は六角氏でした。浅井家と六角氏の領地の境目あたりにある肥田城を、六角氏が2万5千もの大軍を率いて攻めてくると聞いた長政は、1万1千人の軍勢を連れて救援に行きます。そして、長政は倍以上の兵力差をものともせず、見事六角氏を破ります。

歴史上のモデルとされる長政の初陣は16歳でした。一方、ドラマ「アシガール」の若君こと羽木九八郎忠清の初陣は1万の軍勢で小垣城を奪還した戦いで、18歳くらいの年齢でした。この羽木九八郎忠清の初陣は1559年のことだと言われているので、1560年に初陣を迎えた長政とほぼ同時期です。

歴史や史実③織田信長との同盟

上洛を目指す織田信長にとって、西に位置する近江は重要な地域でした。近江は信長のいる岐阜と目的地の京都のだいたい中間に位置し、近江を押さえておかないと上洛の夢は叶いません。そこで、織田信長は北近江を治める浅井家と同盟を結ぶことを決めます。浅井長政は織田家との同盟の証として、織田信長の妹・お市を正室に迎えます。織田信長は兄妹の中でも、特にお市のことを可愛がっていました。

そして、長政のことも実の弟のように信頼を寄せたと言われています。長政とお市の婚礼の際には、費用はお嫁さんを迎える側が用意するのが通例でしたが、織田信長が全費用を負担したとされています。さらに、織田信長は南近江を押さえるため、できるだけ戦を避けようと六角氏にも同盟を申し出ます。しかし、それを拒絶されたため、織田信長は長政と手を組んで六角氏を追い出したのでした。

歴史や史実④織田信長との対立

浅井家は祖父の代から、越後(現在の福井県付近)を治めていた戦国大名・朝倉家(上の画像は朝倉義景)と親交がありました。朝倉家がバックに付いていたからこそ、浅井家は六角氏との戦いを続けることができたという事情がありました。しかし、若くして当主になった長政は朝倉家からの援助を一切受けず、浅井家の独立を目標としていました。

一方で、隠居した父・久政や昔から浅井家に仕える家臣たちは朝倉との同盟破棄など、とんでもないと考えていました。そんな中、織田信長が朝倉家を攻め始めます。朝倉家と織田家ははそもそも確執があり、浅井家との同盟が成立したことで一気に朝倉を攻め滅ぼしてしまおうと信長は考えたのでした。

織田信長と浅井長政が結んだ同盟の中に、浅井の許可なく朝倉を攻めないという条件があったと言われています。それでも、信長が浅井に相談無しで朝倉攻めを決行した理由は、若く先見の明のある長政なら必ず自分の方につくだろうと自信があったようです。

この緊急事態に、久政と古参の家臣たちは、朝倉との同盟破棄は絶対してはいけないと長政に詰め寄ります。長政は彼らの主張を跳ね除けることができず、朝倉攻めをしている信長の軍勢を背後から急襲して挟み撃ちにします。信頼していた長政に裏切られた織田信長は窮地に追い込まれますが、持ち前の機転で体裁など気にせず、京都に逃げ延びます。

歴史や史実⑤浅井家滅亡へ向かう

九死に一生を得た織田信長は信頼していた分、長政に強い憎しみを抱くようになります。そして、織田信長の浅井・朝倉攻めが開始します。1570年、長政は朝倉義景と姉川の戦いに出陣し、織田・徳川連合軍に大敗を喫します。

一方で、信長の方でも本願寺や甲斐(現在の山梨県)の戦国大名である武田信玄など他にも戦う相手がおり、なかなか浅井と朝倉を攻めることだけに集中できずにいました。そんな中、武田信玄が戦の最中に病死したという報告が入り、東の敵がいなくなった信長が浅井・朝倉を叩き潰すために動き出します。

信長との戦いの最中、長政の家臣たちは巧みな調略により続々と信長側に寝返ります。信長は小谷城攻めにおいて、援軍の朝倉の軍勢の撤退に気づくと、一気に朝倉を追撃して越後に攻め込んで朝倉家を滅亡させました。そして、朝倉攻めから帰ってきた織田は全軍を浅井に向けてきます。まもなく浅井の小谷城は炎上し、長政は城と運命を共にしました。こうして1573年、長政は29歳の生涯を閉じ、浅井家は滅亡しました。

歴史や史実⑥潔く降伏しない浅井長政

信頼していた長政に裏切られ、憎しみが募っていた信長でしたが、長政に幾度も降伏を勧めたそうです。しかし、長政は同盟相手の信長を裏切った自分を許すことは出来ないとして、降伏せず潔く滅亡を選択したと言われています。

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羽木九八郎忠清のその他の実在モデルの噂

1559年に落城した城はある?

次に、異なった着眼点から、羽木九八郎忠清の実在のモデルを探って行きましょう。まずポイントとなるのが「1559年」に落城し、命を落とした武将がいるかどうかです。ドラマ「アシガール」では、唯が戦国時代にタイムスリップしなければ、1559年に羽木家は宿敵・高山との戦に負け、当主が命を落とし、羽木家の黒羽城が燃えて消失してしまう運命でした。

そこで「1559年」に落城した城がいるかどうかを検索したところ、ちょうど「1559年」に焼け落ちた城はありませんでしたが、その年に落城の危機に陥った城ならありました。佐野昌綱が城主の「唐沢山城」です。史実では上杉謙信に10回攻められても見事守りきったこの城は、上杉謙信が頭を抱えた城として有名です。

唐沢山城は3万5千もの大群を率いた北条氏政に囲い込まれ、落城の寸前まで行きますが、唐沢山城の城主・佐野昌綱がその前に上杉謙信と同盟を組んでいたことで、上杉謙信に援軍をもらい、なんとか落城の危機は回避されました。唐沢山城がその危機に瀕した年がちょうど「1559年」だったそうです。

もし、ドラマ「アシガール」に登場する羽木家の「黒羽城」のモデルが唐沢山城だとすれば、羽木九八郎忠清の実在のモデルは佐野昌綱の息子である、佐野宗綱あるいは桐生親綱なのでは?と考えられるそうです。

1559年に亡くなった武将は実在する

また、羽木家の存亡のポイントとなっている「1559年」に亡くなった武将がいるのかどうかについてみていくと、特に該当する武将は見当たらないようです。そこで、別のアプローチから羽木九八郎忠清の史実上、実在のモデルを考察していきます。注目すべきは羽木九八郎が被っている兜です。三日月型のモチーフが使われており、似たような兜を被っている実在の武将が2人見つかりました。

実在モデルの噂①伊達政宗

三日月の兜で有名な武将といえば、伊達政宗です。伊達政宗は独眼竜と呼ばれ、出羽国と陸奥国を治めていた戦国武将で仙台藩の初代藩主です。ただ、伊達政宗が羽木九八郎忠清のモデルだったなら眼帯を付けさせたり、派手な衣装を着せたりともっと伊達政宗に寄せていくはずなので、兜のデザインはともかく羽木九八郎忠清の実在モデルかどうかは微妙なところとなっているようです。

実在モデルの噂②上杉謙信

三日月の兜の武将はもう1人います。それは越後を治めていた戦国大名で、越後の龍などと称された上杉謙信です。上杉謙信は中性的なイメージでイケメンに描かれることが多いため、どちらかといえば上杉謙信の方が、かっこいいと評判の羽木九八郎忠清のモデルなのではないかと言われています。

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羽木九八郎忠清や実在モデルに関する感想や評価

こちらは「羽木九八郎忠清」に関するツイートです。羽木九八郎忠清は架空の武将で、居城も架空だけれと、黒羽城は熊本城と彦根城を融合させたようなデザインという意見です。

こちらも「羽木九八郎」の実在モデルに関するツイートです。羽木家の家紋は井伊直弼がモデルとなっており、羽木九八郎のモデルとなった武将は前田利家なのではないかという意見です。

こちらも「羽木九八郎忠清」の実在モデルに関するツイートです。羽木九八郎忠清のモデルとなった武将は、織田家や徳川家に仕えた高木清秀ではないかという意見です。

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羽木九八郎忠清のモデルまとめ

いかがでしたか?「アシガール」に登場する若君こと羽木九八郎忠清は実在するのか?歴史上の人物にモデルはいるのか?などを考察してきました。羽木九八郎忠清の実在のモデルは北近江の戦国大名「浅井長政」ではないかと言われていることが分かりました。そして、浅井長政とはどんな人物だったのか、その生涯や妻・娘たちについてもみてきました。

浅井長政は織田信長の妹のお市の夫で、有名な茶々や江の父であることが分かりました。そして、史実から浅井長政は織田信長と同盟を結ぶも朝倉家を見捨てることができず、織田信長を裏切ったため、織田信長に滅ぼされてしまったことが分かりました。また、落城した城や兜の特徴といった別のアプローチからも羽木九八郎忠清のモデルを考察し、他の戦国武将も参考にしたのではないか?と言われていることが分かりました。

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