2018年10月30日公開
2018年10月30日更新
篤姫のキャストの現在とドラマ相関図まとめ!西郷どんと被ってる?【宮崎あおい】
このまとめでは、2008年に放送され、現在もなお人気のNHKの大河ドラマ「篤姫」について、「西郷どん」とも共通点の多い登場人物の相関図、魅力的なキャラクターを演じたキャストの現在、また2018年の大河「西郷どん」との相関図やキャスティングの共通点などをまとめていきます。「篤姫」の現在まで続くその人気の秘密は一体なんなのか、また現在放送中の大河ドラマ「西郷どん」とキャストや相関図が被っているというのは本当なのか、解説していきます。
目次
篤姫のキャストの現在やドラマ相関図に迫る!
このまとめでは、2008年に放送され、現在もなお人気のNHKの大河ドラマ「篤姫」について、「西郷どん」とも共通点の多い登場人物の相関図、魅力的なキャラクターを演じたキャストの現在、また2018年の大河「西郷どん」との相関図やキャスティングの共通点などをまとめていきます。
現在まで人気の大河ドラマ「篤姫」は、それまでウケないと言われていた幕末を舞台にした大河ドラマながらも、最高視聴率40パーセント台を記録するという大ヒット大河ドラマでした。現在まで続くその人気の秘密は一体なんなのか、また現在放送中の大河ドラマ「西郷どん」とキャストや相関図が被っているというのは本当なのか、解説していきます。
篤姫の作品情報
「西郷どん」とも共通点の多い「篤姫」とはどんなドラマだったのか、概要と相関図を見ていきましょう。「篤姫」は2008年に1年間をかけて放送された大河ドラマで、平均視聴率24.5パーセント、最高視聴率40パーセント台を記録するなど、視聴者からの現在まで続く高い支持を受けました。
現在放送中の2018年の大河ドラマ「西郷どん」の視聴率が、初回約15パーセントを記録、その後も概ね11パーセントから12パーセントをキープしているのをみると、現在まで続く「篤姫」の人気がどれだけのものかわかります。「西郷どん」とも共通点の多い「篤姫」の視聴率は2002年の『利家とまつ』の22.1%を抜き、過去10年で最高です。
篤姫のあらすじとは?
現在まで人気の大河ドラマ篤姫は、宮尾登美子の『天璋院篤姫』を原作にした大河ドラマです。1984年に講談社から刊行されました。大河ドラマ「篤姫」は、主人公である篤姫の幼少期と、当時の相関図を描くところから話が始まります。篤姫は生まれた時の名を於一(おかつ)といい、薩摩藩(現在の鹿児島県)の今泉家に生まれました。今泉家は、薩摩藩主島津斉彬に連なる島津家の分家に当たります。
於一は幼少の砌から男勝りで活発な女の子でした。囲碁や歴史書など男子が好むようなものを好み、男装して男子が通う学習塾に忍び込んだりと、破天荒な行動ばかりとっていました。ある時於一は、忍び込んだ塾で肝付尚五郎(きもつきなおごろう・後の小松帯刀)と出会います。実は於一と尚五郎は、ふたりともが薩摩藩主・島津斉彬からのお守りを持つ、生まれる前からの絆で結ばれていました。
そんな時、於一は島津斉彬の居城に招かれた際、いつもの怖いもの知らずを発揮して、斉彬の政策に疑問を呈します。大胆な於一の言動を見ても、斉彬は怒りませんでした。それどころかその行動力を見込み、於一は島津家の養女として鶴丸城に迎え入れられます。島津家の人間になる於一との別れの際、尚五郎は絆の証としてお守りを交換しようと提案し、ふたりは違いが持つお守りを交換するのでした。
鶴丸城入りとともに於一は名を改め、「篤姫(篤子)」の名を与えられます。斉彬のねらいは、才気のある篤子を徳川将軍・家定の御台所として輿入れさせ、家定に取り入って、自陣営である一橋慶喜を将軍継嗣にすることでした。自分が政治の道具にされそうになっていることを悟った篤子は、斉彬に単刀直入にそのことを訪ねます。斉彬は、自分は薩摩から日本を変えようと思っているのだと胸の内を正直に打ち明けるのでした。
大奥に入る決意を固めた篤子は、鶴丸城にて、老女の幾島に薩摩藩宗家の姫としての作法を叩き込まれます。そして篤子は、江戸の大奥へ。尚五郎もまた婚姻の話が出て、各々は別の世界で生きていくことになります。篤子が輿入れした大奥では、一橋派と紀州派が対立していました。一橋派である篤子が江戸城に入ることに、紀州派の人間たちは難色を示します。
篤姫の江戸城入り。そこで出会った「うつけ」の将軍
肝心の篤子の婚姻相手である将軍・家定は、「うつけ」と噂される奇人でしたが、自らことの真相を確かめた篤子は、噂はあくまで噂であり、家定は本当は聡明な人間で、うつけのフリをしているにすぎないことを悟ります。幼い頃から政権争いに巻き込まれてきた家定は、度々毒を盛られるなどして命を狙われ、体は弱っていました。
自分の死期が近いことを悟っている家定は、自ら「うつけ」のフリをすることで、自分の運命を笑ってやりたかったと語ります。一方家定の母であり、紀州派である本寿院に、篤子が一橋派であることがばれ、彼女の怒りを買ってしまいます。大老の座を巡っても一橋派と紀州派の対立が深まる中、家定は「徳川の家を守り抜く」と誓った井伊直弼に大老の座を与えます。
篤子は島津の出ながらも、家定に対して想いを傾け、自らを徳川の人間だと思うようになっていました。家定もまた、まっすぐな篤子の存在に惹かれ、支えにするようになっていきます。あくまで島津の家からの使いである幾島は、篤子に「せめて次期将軍に一橋派の人間を据えること」だけは死守してほしいと懇願されますが、篤子は「自分は将軍の意に従うだけ」だと告げます。
篤姫、故郷薩摩との決別
そして篤子は、薩摩と決別するのでした。篤子との絆を深める家定は、紀州派であり次期将軍である家茂のことをよろしく頼むと篤子に望みを託します。家定との悲しい別れを経験しながらも、篤子は家定の意思を継ぎ、次期将軍家茂の後見人となり、「天璋院」として将軍家を支えていく決意を新たにします。幾島は、薩摩か将軍家かという争いになった際、自分が篤子の立場を不利にしてはいけないからと篤子の元を去ります。
新将軍家茂の元には、妃として京からの降嫁・和宮がやってきます。和宮は江戸の慣習を忌み嫌い、従わないと豪語しますが、篤子はそんな彼女を「おなごの道は一本道」だと言い、覚悟を決めるよう説き伏せるのでした。そうこうしている間にも、時代は動きます。薩摩藩は尊皇攘夷を訴え、朝廷と結びついて数千の兵とともに江戸へと入ります。薩摩側には天璋院をよく知る、小松帯刀がいました。
やがて、篤子は長州征伐に赴いた家茂の無事を祈って帰還を待ちますが、儚くも世に去った家茂に代わり、慶喜が次の将軍に。慶喜はその後、大政奉還を断行します。そのことに困惑する篤子でしたが、戦を避けるために勝麟太郎や小松帯刀、坂本龍馬が奔走していたことを知ると、自らが大奥と徳川をまとめる決意を固め、本寿院らを説得し、大奥をまとめます。しかし、大政奉還がなされても薩摩と将軍家との亀裂は深まる一方です。
とうとう、鳥羽・伏見の戦いが勃発します。結果、幕府軍は総崩れとなり、慶喜は江戸へ逃げ帰ります。薩長との戦に破れ敗走してきた慶喜と篤子は腹を割ってはなし、篤子は同じ徳川の「家族」として彼を救うことを誓います。そして江戸総攻撃の直前、斉彬の書状を西郷の元へと届け、江戸城無血開城を成し遂げます。江戸城の明け渡しに際し、大奥は混乱します。
篤子は、自分が責任を持って全員のいく末の面倒を見ると伝えるのでした。篤子は大奥を出た後、一橋邸をはじめとし、東京の各地を転々として暮らします。薩摩人々との再会、そして死別を経て、その後も徳川家を継ぐあととりの教育に携わりながら、東京・千駄ヶ谷の徳川邸で静かに息を引き取るのでした。
篤姫のドラマ相関図紹介!
「西郷どん」とも共通点の多い大河ドラマ「篤姫」ですが、それぞれのキャラクーの相関図はどのようになっているのでしょうか。各キャラクターから、「西郷どん」とも共通点の多いその相関図の特徴を探っていきましょう。まず、大河ドラマ「篤姫」の主人公となるのが篤子、すなわち篤姫です。篤子は於一という名で薩摩の桜島に生まれましたが、藩主の斉彬に芯の通った性格を見込まれ、養女として島津家に入ります。
斉彬の目的は、篤子を新将軍家定の妻とし、自陣営である一橋派の家のものを次期将軍とすることでした。そのことを通して、斉彬は幕末という激動の時代を自らの思い描く通りに動かしていこうとしていたのでした。篤子の薩摩時代の幼馴染として登場するのは、のちの小松帯刀となる尚五郎です。
篤姫、家定、帯刀の三角関係にも注目?
尚五郎は藩主である斉彬から、出生前にお守りをもらっていたのですが、それが篤子とお揃いであったことから、運命のような結びつきが描かれます。篤子と帯刀は、篤子が江戸城入りするのに伴いいっとき離れ離れになっていましたが、討幕の機運が高まった頃、再び再会します。しかし、その頃には篤子は薩摩方と決別し、徳川の人間として生きていました。なんとも数奇な再会だったのです。
帯刀と別れ、江戸城に入った篤子が輿入れをしたのは、新将軍家定のところでした。家定は将軍家の中で「うつけ」呼ばわりをされている変わり者で、篤子との出会いも一風変わったものでした。しかし篤子が彼とまっすぐに向き合うと、家定は本心を打ち明けます。
幼少の砌から権力争いの荒波にさらされてきた家定は病弱でもあり、間も無く自分の命が終わろうとしていることを悟り、せめて「うつけ」のフリをして、自らの運命を笑ってやりたかったと篤子に打ち明けます。家定がほんとうはバカではなく、バカのふりをしているだけだということを悟った篤子は、やがて彼の聡明さと孤独を知り、惹かれていきます。
初めは斉彬の差し向けた一橋派の人間としての使命によって御台所となった篤子でしたが、やがてその心は家定へ、ひいては徳川へと傾いていくのでした。篤子の義理の父・斉彬の思惑は、篤子を御台所として大奥の中へ入りこませ、自分の派閥である人間を次の将軍の座に据えることでした。しかし斉彬の思惑とは異なり、篤子の心は次第に徳川家へと傾き、やがて篤子は薩摩との決別を決めます。
その際、薩摩時代から篤子に付き従ってきた幾島は、自分の存在が篤子の障害になってはいけないからと身を退きますが、後年、再会を果たします。徳川家を巡って渦巻く権力闘争は、家定が亡くなると家茂の時代に。家茂の正室である皇女和宮もまた曲者で、皇室の人間として育った和宮は江戸の文化をはじめ見下していますが、篤子の人柄に触れ合ううち、次第に徳川の人間としての覚悟を固めていきます。
このように、篤子は自らも運命に流さながら、その運命の中でも自分の意思を貫く「強い女性」として、周囲に影響を及ぼし、時代の荒波の中を生き抜いていくのでした。
篤姫の出演キャスト一覧!出演者の現在も紹介!
評価の高かった大河ドラマ「篤姫」の各相関図を演じたキャストは、どのような人たちだったのか。人気キャストと相関図を一人一人解説していきます。大河ドラマ「篤姫」が高い視聴率を記録し、視聴者からの支持を得た背景には様々な要素がありますが、まずは主役である天璋院篤姫を演じたキャストの宮崎あおいさんの魅力があります。
宮崎あおいさんは、2005年に矢沢愛原作の大ヒット漫画『NANA』でヒロインのひとりである小松奈々を演じ、ブレイク。同NHKの朝の連続テレビ小説「純情きらり」で全国のお茶の間に顔を知られた後、満を辞して2008年「篤姫」の主演の座をもぎ取ります。22歳で大河の主演キャストを演じたのは、2005年に滝沢秀明さんが23歳で「義経」を演じた際の記録を塗り替え、歴代最年少となりました。
そのため放送開始前から話題を集めていた大河ドラマ「篤姫」ですが、撮影に入ってからも「宮崎あおい」が撮影現場で台本を持っている所は一度見かけなかった」と言われるほど、キャストの宮崎さんは完璧に相関図を頭に入れ、役づくりをして撮影に臨んだといいます。「篤姫」は人物同士の相関図や、「おなごの道は一歩道」など印象に色濃く残るセリフが多く登場したことでも話題のドラマです。
篤姫の男性は“草食系”揃い?
キャストの宮崎あおいさん演じる篤子が、親しみやすく、また気高い女性として描かれていたことが人気の秘訣だとするレビューもあります。宮崎さん演じる篤子が、時代の荒波に揉まれながらも気高く生きる女性像を親しみやすく演じていたのに対し、彼女の周りを固める人物相関図の中には、どちらかといえば「草食系」の男子が多かったという評価もあります。
まず、宮崎さん演じる篤子の幼馴染、尚五郎(のちの小松帯刀)を演じるのはキャストの瑛太さん。キャストの瑛太さんは2003年にフジテレビ系列のドラマ「ウォーターボーイズ」でブレイクし、一躍有名になりました。そのほかにも「のだめカンタービレ」の峰龍太郎など、フジテレビ系列を中心に連続ドラマに数多く主演しています。
好評を博した大河ドラマ「篤姫」では、瑛太さんは主人公である篤子に密かに思いを寄せながらも、江戸城の御台所として立派になっていく彼女の姿を遠くから見つめるという役所。果ては、篤子が家定への思いから徳川家の人間としての覚悟を固める中、薩摩側の人間として篤子と対立する羽目になります。その後、長年の時を経て再会する二人は、懐かしさを滲ませながらもすでに別々の立場の人間として、一抹の寂しさを漂わせます。
こうした、密かに想いを寄せる男性の役としては、フジテレビ系列2008年のドラマ「ラスト・フレンズ」の水島タケル役にも通じるところがあると評判。タケルは主人公の瑠可(上野樹里)に想いを寄せますが、瑠可は美知留(長澤まさみ)に想いを寄せているため、タケルの思いは成就しません。しかしそれでも、タケルは瑠可に対して献身的な態度をとり続け、瑠可と友情を育むに至ります。
売れっ子キャスト、堺雅人も出演の篤姫
こうした献身的な役どころは、「篤姫」の時に篤子に対して密かに想いを寄せていた瑛太の役どころに似たところがある、と言った感想も中にはあります。一方、入り組んだ人物相関図の中で篤子と夫婦として結ばれる将軍・家定役を演じるのは、売れっ子俳優堺雅人さんです。キャストの堺雅人さんは2004年にNHKの大河ドラマ「新選組!」の新選組総長山南敬助役を演じ、名前を売りました。
この2008年の「篤姫」で、大河出演は2作目。2005年にはテレビ情報誌が行った「好きな男」ランキングに名前が登場し、堂々のナンバーワンに選ばれています。早くから人気を集めていたキャストの堺雅人さんですが、特にブレイクが顕著となったのは2010年代に入ってからのことです。2012年に主演を務めたテレビドラマ「リーガル・ハイ」がヒットし、話題を集めます。
2013年には連続ドラマ「半沢直樹」の主演を務め、ビデオリサーチのオンライン調査で最終回の平均視聴率が関西で45.5%を記録。調査開始以来、関西地区の歴代1位に輝きました。また作中の「倍返しだ!」が流行語として、同年の新語・流行語大賞大賞を受賞しています。
それらの経歴を経て、3本目のNHK大河ドラマ出演作「真田丸」で満を辞しての主演・真田信繁を演じ、視聴率としては16パーセントと例年から大きく上昇してはいませんが、三谷幸喜脚本の魅力が話題を呼び、主にインターネット上で若い年齢層からの支持を集めました。そんな堺雅人さんの活躍も、「篤姫」をはじめとした2000年代の活躍あってこそ、と解説するレビューも中には見受けられます。
キャスト同士の胸に迫る演技も魅力
堺雅人さんが「篤姫」で演じたのは、病弱ながらも聡明な、悲哀を帯びた徳川将軍家定。宮崎さん演じる篤子は複雑な人物相関図の中で、はじめは中々家定の人柄を見定めることができませんが、やがて彼のことを理解し、心の底から愛するようになります。篤子には、薩摩と同じ一橋派の人間を将軍として擁立することにあり、家定との婚姻はその手段に過ぎないと篤子自身も考えていました。
しかし、家定と心を通わせるうち、篤子の気持ちには変化が訪れます。はじめは政略結婚であった関係が、やがて真実の愛へと変化していくのです。家定は病弱な男ですが、家定との絆がその後の篤子の生き様を支えていくことになります。家定もまた、草食系、かつ篤子のことを支える魅力的な男性像の一人であったのです。しかしながら、この家定と篤子との別れは、なかなかに悲しいものだったと言う感想も。
家定の死期が近づく中、篤子は家定と面会を拒絶されます。それは当然家定の意思ではなく、一橋派と紀州派の諍いの中で起こった悲劇でした。死の床にある家定は篤子が自分に会いに来てくれることを望みますが、その望みはかないません。やがて、篤子と家定とは、悲劇的な別れを遂げます。こうした切ない顛末もまた、現在まで続く「篤姫」の人気の要因であると分析するレビューも。
篤姫と西郷どんのキャストが被ってる?比較紹介!
現在まで人気の「篤姫」ですが、2018年現在放送されている「西郷どん」と言う最新の大河ドラマを見ると、キャストが大きく被っていることに気がつく方もいらっしゃいます。主な被りキャストは、以下のようなものです。「篤姫」で篤子に密かに想いを寄せる幼馴染、小松帯刀を演じていた瑛太さんは、西郷どんでは大久保利通の役を演じています。
また、「篤姫」で時に厳しく、時に穏やかに篤子のことを支えた篤子の養育係・幾島を演じたのは、松坂慶子さんでした。松坂慶子さんは、「西郷どん」では西郷隆盛の母・西郷満佐子を演じています。同じく「篤姫」で徳川家定が世を去った後、後を継いで将軍職に着いた徳川家茂を演じたのは、松田翔太さん。松田翔太さんは、「篤姫」で爽やかに義理の母・篤姫の指導の元将軍の責務を全うしていく姿が爽やかだと話題になりました。
キャストが被っているがゆえに「紛らわしい」という意見も?
兄・松田龍平さんとはカラーの違う役者で、人気も高い松田翔太さんですが、「西郷どん」では徳川幕府最後の将軍・徳川慶喜という重みのある役を演じています。なお、こうしたキャストが「西郷どん」と紛らわしいという声が現在一部から上がっていますが、その要因としては、「西郷どん」も「篤姫」も、両方幕末という時代を描いているということが挙げられます。
篤姫のキャストの現在やドラマ相関図まとめ
現在まで人気のNHKの大河ドラマ「篤姫」について、登場人物の相関図、魅力的なキャラクターを演じたキャストの現在、また2018年の大河「西郷どん」とのキャスティングの共通点などをまとめてきました。「西郷どん」とも共通点の多い大河ドラマ「篤姫」は、それまでにない大河ドラマとしての切り口と、キャスティングや人物相関図の素晴らしさなどで人気を博した話題作でした。これを機に、ぜひ視聴してみてはいかがでしょうか。