奇皇后は実在の人物がモデル?元の第一皇后となった女性とは?【韓国ドラマ】

皆さんは韓国ドラマ「奇皇后」は実在するモデルが居ることをご存知でしょうか?「奇皇后」に出てくる人物は皆実在した人がモデルがいるのです。実在での奇皇后はどんな女性だったのでしょうか?そして「奇皇后」内で登場し物語を彩る人物達、その実在したモデルの人々はどんな人生を歩んだのでしょうか?「奇皇后」のドラマの基本情報とあらすじを交えて「奇皇后」の実在したモデルをご紹介します。

奇皇后は実在の人物がモデル?元の第一皇后となった女性とは?【韓国ドラマ】のイメージ

目次

  1. 奇皇后は実在の人物がモデルなのか徹底調査!
  2. 韓国ドラマ奇皇后とは?
  3. 奇皇后は実在の人物がモデルだった!元の第一皇后となった女性を紹介!
  4. 韓国ドラマ奇皇后で実在の人物がモデルのその他登場人物を紹介!
  5. 奇皇后は実在の人物がモデルだった!

奇皇后は実在の人物がモデルなのか徹底調査!

韓国ドラマ「奇皇后」とは2014年~2015年にかけて放送された韓国ドラマです。
「奇皇后」に登場する人物は実は実在の人物がモデルだったことはご存知な方も居ると思います。今回実在の人物がモデルだった人物とはどんな人物だったのでしょうか、そして韓国ドラマ「奇皇后」とはどう違うのでしょう?またどんな人生を歩んだのか、徹底調査します!

BS日テレ - 韓国時代劇「奇皇后」

韓国ドラマ奇皇后とは?

奇皇后のドラマ基本情報

「奇皇后」の登場人物をご紹介します。まずは主人公はキ・ヤン、そして男装時にはスンニャンと呼ばれた女性で、韓国ドラマ「奇皇后」ではハ・ジウォンさんが演じています。貢女として元に向かわされますが、高麗の世子のワン・ユによって途中逃げることができます。

しかし元の武将によって母親と貢女達のほとんどは殺されてしまいます。しかしヤンは生き延びると男装しスンニャンと名乗って成長し、やがてはならず者の頭になるまでになりました。そんな時に二人の男性と出会いました、一人はヤンを助けたワン・ユ、そしてもう一人は元の皇太子のタファンです。

スンニャンとして二人の男性と出会ったヤン、元で雑用係からタファンの側室、皇后となるまでの間にワン・ユとタファンの間で移ろいでいきます。奇皇后は悪役として描かれることが多かったのですが、「奇皇后」での奇皇后のキ・ヤンは美しく逞しく逆境にも負けない精神を持つ女性としてと同時に、国を思い行動した皇后としての側面も描かれています。

次に紹介するのは高麗の王となった、ワン・ユです。韓国ドラマ「奇皇后」で演じるのはチュ・ジンモさん。ワン・ユは世子時代にヤンを含めた貢女を解放します。そして月日は流れ高麗の王となった際、スンニャンとしてのヤンに弓の勝負を挑み、勝ちました。それからワン・ユは男装していたヤンを気に入りました。そして女性と分かってからは好意を持つようになり、ヤンの身を案じ陰ながら命を懸けて救おうとします。

またヤンがタファンの側室になっても変わらず思い続けるほど愛情深さがあり、その愛情深いがゆえにヤンの身を第一と考えて自分の命すら捨てる結果にもなりました。ヤンも自分の事を愛してくれたことを知っているからこそ、来世では自分の事は忘れて幸せになってほしいと願います。

そして、元の皇帝のタファン。韓国ドラマ「奇皇后」で演じるのはチ・チャンウクさん。元の皇太子だったタファンですが、丞相によって高麗に流罪となった時にスンニャンとしてヤンと会います。そして高麗の王となったワン・ユとの顔合わせでもありました。スンニャンの本来の姿のヤンと宮中で再会するのですが、すぐには同一人物と気が付きませんでしたが気づいてからは女性としてのヤンを愛するようになっていきました。

そしてヤンと共に元に渦巻く様々な陰謀と対決し勝利を収めると共に愛するヤンの立場を守ろうとワン・ユに語り掛け、命を奪ったのもタファンでした。生き延びるために傀儡の王として王座に座ることもありましたが、回を重ねることによって優しく逞しくなっていきます。

奇皇后の簡単なあらすじ

ここからは韓国ドラマ「奇皇后」の簡単なあらすじをご紹介します。貢女として元に送られることになったヤンはワン・ユによって逃がされますが、母親を元の武将に殺されてしまいます。男装しスンニャンとして生きるヤンは、高麗の王ワン・ユと、元の皇太子タファンと出会います。流罪となったタファンを助けたワン・ユとヤン。

しかしタファン暗殺の首謀者が高麗出身者という濡れ衣を着せられてしまい、ヤン達はもちろんのこと元にいたヤンの父親も容疑者として疑われ拷問により亡くなってしまいます。そしてヤン達が助けた事実を隠し元の皇帝になったタファンに失望と恨みを抱き、復讐を誓います

しかし実際には丞相の思惑があったことを知り、皇帝タファンと共に野望を阻止すると共にヤンはタファンの側室となったのです。そのことはワン・ユも知ることとなりましたが、ワン・ユはヤンが危険な時に手助けしていきました、タファンもヤンを愛し信じ皇帝として元を治めようとします。一難去ってまた一難、権力に溺れる者との対立も続きますが、ヤンは屈せずに立ち向かっていくのです。

奇皇后は実在の人物がモデルだった!元の第一皇后となった女性を紹介!

奇皇后はいつの時代の人物?

韓国ドラマ「奇皇后」のモデル、実在の人物はどの時代の人物だったのか。奇皇后は1315頃から1365年、または1370年頃といわれています。丁度14世紀の元朝の時代の元の皇帝、順帝トゴン・テムル(「奇皇后」ではタファン)の妃で、高麗末期時に生きた女性です。

元朝は奇皇后が皇后として君臨している間に衰退し滅亡しました。また元の支配下にあった高麗は奇皇后の親族による権力乱用が多く、その暴挙に高麗の王は反発し、奇皇后の親族を殺してしまいました。元と高麗の関係は悪化元から独立するきっかけとなりました。

また奇皇后のは親族を殺されたことで、順帝に祖国である高麗の王を廃位するように願います。その願いを受け順帝は高麗の王を廃位すると共に元国内にいた他の高麗の王族を推薦しますが、これを高麗の王は従わずにいたため挙兵し高麗に差し向けます。しかし高麗軍は元の軍隊を退けてしまいます。こうした経緯のには何があったのか、奇皇后が皇后へなった経緯と共にご紹介します。

奇氏が皇后になるまで

奇皇后こと奇氏が皇后になれた経緯はどういったことがあったのでしょうか?実在の奇氏はドラマ同様に高麗貢女として元に送られます。しかし、ドラマのように助けられるということも、男装したこともなく元に到着しますが、元の高麗出身の官僚に見出され宮女となり順帝の食事の世話をすることになります。

大変美しいとされた奇氏は、順帝にいたく気に入られました。タファンの実在のモデルである順帝も、実際に高麗に流されたことから高麗に対しての思いもあったのではないでしょう、順帝から寵愛される奇氏ですが、ここからは厄介な相手に目をつけられます。

順帝に気にいられた奇氏は、順帝の妻のダナシリ皇后(「奇皇后」ではタナシルリ)から執拗に嫌がらせを受けます、ここはドラマ同様にダナシリは父親が重臣だったがため皇后の座に付けました、そしてダナシリの父で元の重臣のエル・テムル(「奇皇后」ではヨンチェル)との関係が悪くなってきたので自分の立場が危ぶまれてきていることもあり、奇氏への嫌がらせも執拗だったのです。

しかし奇氏をどうにかする前に、父であるエル・テムルが亡くなります。そして数年後にはダナシリの兄タンキ̪シ(「奇皇后」ではタンギセ)がクーデターを起こしますが失敗し、兄妹もろとも殺されてしまいます。このクーデターによりエル・テムル家は滅亡してしまいます。

順帝は皇后の座が開いたので奇氏を正室に迎えようとしますが、臣下達には自国出身のものではならないと苦言され、順帝は承諾しバヤン・フトゥク(「奇皇后」ではバヤンフト)が皇后になり、奇氏は次皇后となります。バヤン・フトゥク皇后は皇子を産む夭折してしまい、奇皇后は皇子を無事出産しますが嫉妬することもなく慎ましく暮らしたため、元で奇皇后は実権を握ることが出来たのです。

また奇皇后は元に馴染むよう努め、飢饉の際に亡くなった人のために私財を遣い弔ったり高麗の出身者の宦官や流人や留学生など登用し、自分の派閥を作り自らの地位だけではなく影響力も大きくしていきました。その事もあってか、第一皇后のバヤン・フトゥク皇后の服は破れた個所を縫い合わせたようなものだったそうです。奇皇后は権力をものにしたことが分かります。

奇皇后の最後

皇太子生母として権力を持った奇皇后、やがてバヤン皇后が亡くなり第一皇后へと昇格する奇皇后ですが祖国高麗との亀裂だけでなく、元の国力は衰えていったのです。そして1368年に朱元璋の明軍によって攻め込まれる元に抗う力は残されていません。
奇皇后たちは北へと逃げるところは韓国ドラマ「奇皇后」と同じですが、奇皇后の最後は謎が多いのです。

順帝は北に逃げる最中に死去、アユルシリダラが北元の皇帝として即位しました。その時の生死は記述に残っていないのです。捕虜にされ亡くなったのか、はたまた北元にて息子の即位を見届けて亡くなったのかも分かりません。順帝の死去は1370年といわれていますが、奇皇后は順帝の死をドラマのように看取れたかどうかは歴史の闇に埋もれています。

韓国ドラマ奇皇后で実在の人物がモデルのその他登場人物を紹介!

ヨンチョル

タファンを高麗に流罪にした丞相ヨンチョル。実在のモデルとなったのはエル・テルム、ドゴン・テムル(タファン)の父͡コシラを毒殺したとされる人です。ドラマに出てきたヨンチョルのように元の実権を握ろうと暗躍します。ドゴンが高麗から戻ってもなお即位を出来なかったのはこのエル・テルムがいたからです。エル・テムルはドゴンの即位を遅らせるように仕向けたのです。

ドゴンもエル・テムルを警戒しており、気を許すことはありませんでした。エル・テムルは即位を遅らせはしたものの、半年も経たずに亡くなってしまいます。そして、その2年後には息子のタンキシ(「奇皇后」ではタンギセ)がクーデターを起こしますが、敗退しエル・テムルの一門は殺害されてしまい、元で権限を持っていたエル・テムル家は滅亡します。

皇太后

タファンの叔母であり、元の権力を欲していた皇太后。実在のモデルはドゴン(タファン)の父コシラの跡を継いだ実弟のトク・テムルの妻で、皇子もいました。夫のトク・テムルは遺言として自分が死んだら兄コシラの息子に即位させるとことに異論を立てたエル・テムルが自身の皇子を即位させるようとすると2度に渡り、それを断りました。

ドラマとは違い権力欲のない女性のだったようです。また皇太后という地位になっても自ら政をすることはなく、バヤン(「奇皇后」ではペガン)が実権を握っていましたが、トゴンがトクト(「奇皇后」ではタルタル)と政変により追放されます。その煽りを受けて皇子共々追放されて道中で皇子を亡くし、皇太后自身も追放先で亡くなりました。

ペガン

タルタルの伯父でヨンチョルの亡き後丞相となり、後に権力に溺れタルタルに殺されてしまうペガン。実在のモデルはバヤン、前丞相エル・テムルの死後に丞相になりエル・テムルの息子のタンキシのクーデターを鎮圧します。しかしドゴンが成人していないこと、そして皇太后を摂政する形を作りながら実際の権力はバヤンにありました。

しかし成人したドゴンは実権のないことに業を煮やして、トクト(「奇皇后」ではタルタル)と手を組みんでバヤンを失脚させることになります。そしてバヤンは広東へ流罪にされますが、南に向かう途中に病死しました。ドラマとは違い流罪ですが、権力に溺れたことや人工を減らすために漢民族虐殺を企てたことも実際にあったことのようです。またトクトに対しても、実在でも後継者見込んでいた情もあったのです。

タルタル

ペガンの甥であり、奇皇后やタファンを何度も助けたタルタル。実在のモデルはトクト、バヤンは伯父であり養子として育てられました。バヤンが政権を握っているどころか、専横を極めたためトゴンとの手を組んでクーデターを起こしバヤンを失脚させます。

そして実父が形式上の宰相となりますが、のちにトクトは丞相になりました。そしてバヤンが廃止した科挙(試験科目による選挙)を復活させます。しかし実父が流罪となるとトクトも実父に従い辞めることになります。ドラマ同様に一度職を辞めることになるのです。

その後実父が亡くなった後、冤罪であったことが判明し元に戻って再度丞相として復権します。大氾濫があった際は大改修を行い紙幣改革も行いました。ドラマの時と同様にトクト自身も権力に溺れた記述はないようです。バヤンに対しての気持ちはどうかは分かりませんが、もしかしたら権力に溺れる前のバヤンには信頼や尊敬もあったのかもしれません。

奇皇后は実在の人物がモデルだった!

如何だったでしょうか?韓国ドラマ「奇皇后」は実在の人物がモデルだったのです。史実では違った登場人物の性格とギャップに驚いたのではないでしょうか?悪役となっていた人が本当にやっていた悪事もあれば、権力など求めず慎ましくいた人もいたり、イメージ通りだったという方もいました。

史実を調べた後にまた「奇皇后」を見直すと新しい発見があるかもしれません。そしてここでは紹介しきれていない登場人物もいますので、気になる方は調べてみてください、意外な発見もあるかもしれません。また歴史好きの方にもおすすめなので、是非見てみてください。

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