【キングダム】廉頗とはどんな人物?最強将軍の功績・最後や藺相如との関係は?

キングダムに数多く登場する将軍の中でも史実のイメージをそのまま持っていると言われるのが趙の三大天として登場した廉頗です。キングダムでは描く年代から多くは語られていませんが史実での廉頗はまさに最強の将軍というべき活躍をしている将軍であると同時に同じく三大天の藺相如のエピソードを持っています。今回はキングダムでも活躍する廉頗について史実をベースにその活躍や最後などを紹介していきます。

【キングダム】廉頗とはどんな人物?最強将軍の功績・最後や藺相如との関係は?のイメージ

目次

  1. 廉頗はキングダムに登場する名将
  2. 廉頗とはどんな人物?
  3. 廉頗の最強将軍の功績
  4. 廉頗の最後
  5. 廉頗と藺相如との関係
  6. 廉頗をキングダムで演じる声優
  7. 廉頗に関する感想や評価は?
  8. 廉頗とはどんな人物まとめ

廉頗はキングダムに登場する名将

キングダムの作品情報

廉頗について紹介する前にまずは廉頗が登場し、注目されるきっかけとなったキングダムについて紹介していきます。

キングダムの概要

紀元前3世紀頃の古代中国、春秋戦国時代の末期を舞台にした中国時代劇です。後に始皇帝となる贏政と秦を支える大将軍となる信を主人公にし、信と贏政の出会いから信の初陣、贏政に向けられた暗殺者との戦いなど国の中と外で戦う姿を描く史実をベースにした物語です。

キングダムのあらすじ

戦争孤児だった信と幼馴染の漂は下僕の身分でありながら将来は「天下の大将軍」になる事を夢見て修行に明け暮れていました。そんな折偶然出会った昌文君に見出されて漂が士官。しかし漂は血まみれになって信の元に戻ってくるのでした。漂から託された手紙を元に記された場所に行くとそこには漂と瓜二つの少年、後に始皇帝となる贏政が待っていました。

信は最初こそ漂が死ぬ原因となった贏政に激昂しますが、自身の夢、そして漂に託された想いを果たす為に贏政を助ける事を決意するのでした。信は初陣から活躍して百人将に昇格。さらに飛信隊という名を与えられ規模を大きくする中で秦と趙が同盟。秦はこの同盟を生かして魏に侵攻する事になります。信も参加したこの戦いで相まみえる事になるのが今回紹介する廉頗将軍です。

キングダムの廉頗のプロフィール

キングダムにおいて廉頗は既に趙になく秦が趙と同盟した事で実現した山陽の攻略戦において亡命した魏軍を率いる形で登場します。廉頗四天王を要する廉頗は進軍の総大将「白老」蒙驁と激突。自身は進軍本陣に乱入して蒙驁と一騎打ちをし窮地に追いやりますが、総大将だった白亀西が討たれた事、状況不利から和睦を結びます。山陽戦後には魏から追放され楚に亡命。李園と媧燐に面会を面会させるなどしています。

キングダムでの廉頗は廉頗四天王を要している事や本来自国ではない魏軍を振るい立たせるだけの武略と同時に自らを総大将とせずに魏軍の白亀西に任せるなど思慮深い一面も持つまさに最強の将軍です。魏からの亡命の際も配下こそ失いますが自身は健在のままで或いは今後も活躍するのではないかと考えられます。

キングダム特設サイト|週刊ヤングジャンプ公式サイト

廉頗とはどんな人物?

実在した将軍

キングダムにはその物語を盛り上げるべく実在した将軍に混ざってキングダムオリジナルの将軍も多数登場しており、誰が史実でいた将軍なのかは確認する必要があります。廉頗は史実でも実在した将軍で、その功績はキングダムにおいて魏軍を率いるのが廉頗だとわかり驚愕する場面のように実際に秦からも恐れられた存在でした。

廉頗の生没年

廉頗の生没年に関しては残念ながら不明です。生まれがどこかも分かっておらず廉頗の事が初めて歴史書に登場するのは紀元前283年の事で既に将軍になった後の出来事です。一方将軍になって以降は記述が多く、戦績や功績等は追いかけやすい一方で晩年については再び不明点が多くなり最後を迎えた没年がいつなのかも不明です。唯一分かっているのはその生涯の最後を迎えたのが楚の寿春だという事だけです。

没年が分からないとはいえ戦死ではないにも関わらずその最後を迎えた場所が分かっている事を考えるとそれだけで廉頗が有名で注目されていた事がわかります。

廉頗の性格

史実での廉頗の性格ですが、これはそのままキングダムの廉頗をイメージすれば問題ありません。キングダムにおいて史実から登場したキャラクターの中でも最も再現度が高いキャラクターとも言われています。これは廉頗が中国の歴史書において廉頗の事を記す書物が多い為で、キングダムでも語られた王を諌めていた為に更迭されて魏国に亡命したという流れも事実そのものです。

廉頗の軌跡

史実での廉頗は欠けている部分こそあるもののその軌跡を追いかけやすい将軍です。ここからは廉頗が最強の将軍として趙での立場を確立するまでを紹介していきます。

趙の将軍になる

中国の歴史書に初めて廉頗の名前が登場したのは紀元前283年です。この時、趙の将軍となった廉頗は秦相手に勝利し、昔陽(せきよう)という地を獲得します。将軍になれた理由は描かれていませんが前年に斉に対しての合従軍があった事からこの時の武功によって将軍になったのだと思われます。

斉を討つ

初めて記述のあった紀元前283年の翌年の紀元前282年、今度は斉を攻めて陽晋(ようしん)という地を獲得します。こちらも合従軍の影響があったからこそ成し遂げたとも言えますがそれでも当時の2大大国である斉を討てたのは廉頗が最強の将軍だったからこそと言えます。

上卿に任じられる

当時2大大国であった秦と斉からそれぞれに功績を上げた廉頗は上卿(じょうけい)という今で言う大臣クラスに任じられその地位を盤石の元とします。それら活躍と示した勇気は趙国内でも有名になりました。こうして自らの力を示すと以降は主に秦を相手に善戦を続け秦の侵攻を阻む役割を担う事になります。

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廉頗の最強将軍の功績

功績①秦の侵略を阻止

廉頗の功績の最たる物と言えるのはやはり秦の侵略阻止にあります。当時の秦はキングダムでも語られる贏政の曽祖父、昭王の時代で白起を初めとした猛将揃いで強国として知られていました。そんな強国である秦が東に進む為に避けては通れない壁になったのが廉頗です。最強の将軍の廉頗と正面から当たる事を避ける為、秦は搦手を使う必要があり、その絡めても蘭相如によりその尽くを防がれてしまう事になるのでした。

この功績は半分は蘭相如によるものではありますがその前提となっているのは最強の将軍廉頗の存在です。当時の国力で見れば本来秦が搦手を使う必要がないにも関わらず廉頗がいる事によってその必要性が生まれ秦はあの手この手を使う事になったのでした。結果として趙は衰退する事になりますがそれは廉頗が亡命して以降の話で廉頗が在籍していた時代には一進一退を繰り返しています。

功績②刎頸の交わりで趙を守る

詳しくは後述しますが、趙が秦を相手に出来た理由と言えるのが藺相如との和解エピソードである「刎頸の交わり」です。自らの行いを恥、罰を受ける覚悟で謝罪があったからこそ藺相如も許し2人は友情を育み、以降も協力して秦に対処する事になります。2人が去った後に秦の猛攻で趙が滅ぶ事を考えるとその力は計り知れない物があったと言えます。

功績③斉を侵略

もちろん廉頗は守りだけをしていたわけではありません。上記でも紹介した斉国戦のように攻めに出る事もあります。合従軍があったとはいえそのままであれば再び東の大国になりえた斉を削り取った事も功績だと言えます。廉頗は窮地を脱する意味でも最強の将軍であり、同時に攻めに転ずれば止める事の難しい最強の将軍です。

功績④燕を侵略

キングダムでも過去のエピソードとして語られた白起が率いた「長平の戦い」。この戦いでは廉頗は元々総大将だったのを白起の策により趙括と交代させられてしまい大敗を喫する事になり趙は大打撃を受ける事になります。この隙を突こうとしたのが隣国の燕です。しかしこの時廉頗は疲弊した趙軍を率いて燕軍を撃破。逆に燕に侵攻して5城を獲得するという功績を上げています。

廉頗はこの功績を含む長年の功績から土地と名を与えられ、さらには紀元前251年以来空席になっていた相国代行に任命されます。相国代行になって以降も戦場に立ち続ける事になりますがこの相国代行が立場的には最盛期です。

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廉頗の最後

廉頗への国の仕打ち

紹介しただけでも数々の功績を上げている廉頗ですが、そんな廉頗も王族の決定には逆らえません。紀元前245年、廉頗は魏に侵攻し城を落としている最中でした。その時趙本国では孝成王が崩御して悼襄王が即位します。廉頗は悼襄王が太子の時代から度々諌めていた為に嫌われていた事もあって罷免される事になってしまったのです。廉頗は城攻めの最中であったにも関わらずその地位を取り上げられてしまいます。

反逆者になる廉頗

廉頗の代わりにその座を引き継いだのは廉頗に次ぐ将軍だった楽乗将軍です。しかし廉頗はその決定に納得がいかず楽乗軍を破ってしまいます。国軍である楽乗軍を破ってしまった事で反逆者となった廉頗はそのまま魏国へと亡命、こうしてキングダムでも描かれた「魏国にいる廉頗」という状態になります。ちなみに間に挟まれる形となった楽乗将軍も亡命してしまった為趙は軍事面で一気に後退する事になります。

それまで趙に忠誠を誓い戦って回っていた廉頗の最後の将軍としての戦場が趙軍相手というのはあまりにも酷い仕打ちです。この楽乗軍との戦いが史実で描かれている廉頗将軍としての最後の戦です。

帰国を許された廉頗

廉頗が去った趙では廉頗と共に趙を支えていた藺相如も病気となった事で上層部の弱体化が一気に進んでしまいます。そしてそれを待っていたのが秦です。年代的にちょうどキングダムの時代、趙は秦からの猛攻に合う事になり徐々に滅亡が近づいていきます。李牧や龐煖などキングダムでも活躍する人物も登場しますがその活躍では足らず悼襄王は廉頗を許し帰国するように促すのでした。

廉頗が趙に帰れなかった理由

廉頗自身、また趙で軍を率いたいと考えており、悼襄王からの使者の前で大飯を喰らい馬に乗ってみせるなどまだまだ戦える事を示してみせます。しかしそれが面白くない人物がいました。それは趙の大臣で廉頗と仲が悪い「郭開」という人物です。キングダムでは呂不韋と結託する形で既に登場しているこの人物は廉頗程の大物が戻ればその強い発言力を発揮して自身の権力が低下してしまうと恐れていました。

そこで郭開は廉頗の元を訪ねた使者を買収。使者に廉頗は老いたと嘘の報告をさせる事で悼襄王に廉頗を諦めさせるのでした。悼襄王はその報告を信じ廉頗を諦め廉頗の趙復帰の話は無くなってしまいます。

悲しい最期

キングダムでは敗戦の責任を取って楚に亡命した廉頗でしたが史実ではそもそも魏軍を率いるような信頼を得る事もできず軍を任される事さえなく戦場を求めて楚に亡命。しかし楚でも軍を率いる機会はなくその生涯を終える事になります。猛将ながら趙から亡命を余儀なくされてからは戦場に立つ事さえ出来ずに最後は寿命で死ぬ事になってしまうのでした。

逆にいえば生涯最後まで正面を切って敗れた事がない廉頗ですが、それは戦場に立っていなかったからであり生粋の武人でその才を持って成り上がった廉頗としては非常に悲しい最後だったのではないでしょうか。

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廉頗と藺相如との関係

廉頗と藺相如は同等の地位

廉頗は最終的には相国代行に着きますがそれは趙から亡命する6年前の事、それまでの間廉頗は長く上卿の立場でその立場に藺相如もいました。2人は立場的には同格の立場にあったのです。2人は武官の廉頗と文官の蘭相如という趙を支える両輪でもありました。

口先と度胸だけで駆け上がった藺相如

藺相如は元々食客の立場から秦との弁舌において頭角を現し、正式な家臣となり秦から挑発を尽く跳ね返していきました。藺相如はその弁舌と相手が例え秦の王であろうとも屈しない度胸を持ち合わせてそれらによって立場を上げていき趙王からの信頼を得て上卿の立場を得ていました。何度も王と趙の面子を護った故の出世ではありましたがそれは異例中の異例の出世でした。

廉頗は藺相如が嫌いだった?

藺相如の才覚は王宮でも認められるものでしたがそんな藺相如を露骨に嫌っていたのが廉頗です。廉頗は戦場で最前線に立ち命を賭して現在の立場を掴んだにも関わらず文官で戦場にも立たずに自分と同じ地位を掴んだ藺相如が不快だったのです。豪胆な廉頗は誰であろうと構わずに藺相如の悪口を言いふらし「会ったら赤っ恥をかかせる」とも言っていました。

廉頗から逃げていた藺相如

それだけ言いふらしていれば当然その話は藺相如の耳にも入ります。そこで藺相如は病にかかったと言って外出を控えるようになります。本営に行く時も必ず廉頗の同行を探った上で行くなどその廉頗避けは徹底したものでした。ある時家臣の勧めで馬車で散歩に出かけた時の事、偶然にも廉頗の一行を見つけてしまいます。藺相如はすぐに道を変え廉頗が居なくなるのを待ってから即座に帰りました。

しかしそれらの行動は家臣の目にはあまりにも情けないものでその日の夜、ついには辞める事を申し出るにまで至りました。そこで藺相如は廉頗を避けている理由を家臣に話します。藺相如は廉頗との不和が秦に伝わればそれは秦に攻める口実を与える事になると、自分の評価が下がる事よりも国の行く末を優先して廉頗を避けていたのです。家臣はこの話を聞いて感銘を受け改めて藺相如に頭を下げるのでした。

廉頗と藺相如の絆

藺相如が家臣に話したこの話はあっという間に廉頗の耳にも入ります。廉頗はその話を聞いて藺相如の家を尋ねるとこれまでの非礼を詫び、自ら服を脱いで罰を与えるように言いました。藺相如はこの廉頗流の謝罪を受け入れ廉頗に罰を与える事なく服を渡しました。こうして2人はお互いの為に命をかける事も厭わない絆で結ばれました。

この時廉頗と蘭相如はお互いの為になら首を刎ねられても構わないと発言した事からこのエピソードは刎頸の誓いというエピソードとして今尚残っています。同時にこの話が秦にも伝わりそれぞれでも最強と言える敵なのに連帯を裂く隙も見せない為に秦は2人が趙で存命の間は直接趙を攻める事をしないなど内外にその効力を発揮しました。2人の絆は蘭相如が病気から没する最後の時まで変わる事はありませんでした。

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廉頗をキングダムで演じる声優

廉頗の声優は楠見尚己

既に2度に渡ってアニメ化しているキングダム。アニメ化されているエピソードの中では既に廉頗が魏軍を率いた山陽戦も描かれている為、廉頗も登場しています。アニメでの廉頗の声優は楠見尚己さんが務めています。

楠見尚己のプロフィール

楠見尚己さんは1978年から俳優として活躍しドラマや舞台で活躍していましたが1999年から主に洋画や吹き替えを行う声優として活動するようになりました。声優としては活動を開始して以来中年以上の役や恰幅の良い男性役を多く演じる傾向にあります。

楠見尚己の主な出演作

楠見尚己さんの出演作としてはアニメでは「境界線上のホライゾン」の本多・忠勝役、「ワンピース」のマッハバイス役、「精霊の守り人」のジグロ役、モン役、「ジョジョの奇妙な冒険ファントムブラッド」の切り裂きジャック役、ゲームでは「ファイアーエムブレム覚醒」のヴァルハルト役、「ストリートファイター」シリーズのダッドリー役、「龍が如く」の嶋野太役などで出演しています。

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廉頗に関する感想や評価は?

ここからは既にキングダムを見た人の廉頗について紹介していきます。廉頗はキングダムの時代から見れば前時代の将軍ながらその大物っぷりを発揮した最強の将軍として評価されています。

上記でも紹介したように廉頗は趙からの亡命以降軍を率いた事はありません。キングダムでは魏軍を率い、さらには廉頗四天王など秦軍を苦しめる存在でした。キングダムの世代では唯一生きている前世代の大将軍だけにその活躍が描かれた事が良かったとする感想は多いです。

逆に史実を知っていた人からするとキングダムの年代的に全盛期ではないとはいえ廉頗の活躍が見れた事が良かったとする感想は多いです。特に秦から見れば三大天の中で唯一の生き残りであり大将軍とはなんぞやという事をこれでもかというくらい読者と信に見せつけてくれる立場だった事からその最強振りが際立っていたという声も多くなっています。

一方で魏軍を率いさせるなど史実よりもピックアップしただけにその最後をどのように扱うのかという期待も高まっています。史実の最後のように冷遇を受けた最後になるのか楚の戦争で姿を見せる事になるのかなどが楽しみという声も多いです。史実では不遇で最後には戦場に立たせてももらえなかった事からむしろ戦場で華々しく散る廉頗が見たいという声もあるなど人気の高いキャラクターになっています。

キングダムをきっかけに史実を調べてみたという人も多くやはりキングダムでは既に親友という扱いで描かれていた蘭相如との絆のエピソードなどキングダムではどうしても時代のズレから直接は描きにくいエピソードもある為、それらを知ってより楽しめるようになったという声も多くなっています。

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廉頗とはどんな人物まとめ

廉頗はキングダムにおいては最後に残った初代三大天の1人としてまさに最強の壁として秦軍、信の前にたちはだかる存在です。率いているのが趙軍でないにも関わらずその知略と武力で魏軍の力を引き出しまた自らの武を示すまさに最強の将軍というべき存在です。戦争の結果も自身はまだ戦えるにも関わらず総大将を討たれてしまうという理由で2019年5月現在も楚で生きている状態です。

史実ではこの後廉頗が歴史の表舞台に出てくる事はありません。しかしキングダムにおいては楚での動きも描かれるなどしており、また肉体的にも衰えている姿も見られない為、今後の活躍する可能性も0ではありません。今後のキングダムでの廉頗の活躍に注目してみてはいかがでしょうか?

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