【キングダム】張唐は天下の大将軍!かっこいい名言や史実での人物像は?

張唐とは大人気歴史漫画キングダムに登場するキャラクターの一人です。張唐は15歳から50年以上戦場を駆け抜け、数々の名言を生み出した秦国の将軍です。しかし秦国最古参の将軍である張唐は成恢との戦いで壮絶な最期を迎え、最後まで秦国に忠誠を捧げてこの世を去ります。そんな名将である張唐は実在の人物です。では実在した張唐は史実でどんな活躍をしたのでしょうか。本記事ではキングダムに登場する張唐について作中での活躍やかっこいい名言となるセリフ、史実での人物像などをまとめてご紹介します。

【キングダム】張唐は天下の大将軍!かっこいい名言や史実での人物像は?のイメージ

目次

  1. 張唐が登場するキングダムとは?
  2. 張唐は天下の大将軍!性格や初登場は?
  3. 張唐の史実での人物像
  4. 張唐の名言やセリフ
  5. 張唐に関する感想や評価は?
  6. 張唐のプロフィールや名言まとめ

張唐が登場するキングダムとは?

キングダムの作品詳細

本記事では漫画キングダムに登場する秦国の老練な将軍張唐について作中での活躍やかっこいい名言といわれているセリフをご紹介します。また実在した張唐の史実での活躍についてもご紹介しますので、是非漫画キングダムファンは最後まで本記事をご覧ください。ではまず張唐のかっこいい名言やセリフ、作中の活躍をご紹介する前に張唐が登場する漫画キングダムの簡単な作品情報をご紹介していきます。

キングダムの概要

張唐が登場するキングダムは2006年から「週刊ヤングジャンプ」で連載されている原泰久の歴史漫画です。漫画キングダムは春秋戦国時代を舞台にした作品であり、累計発行部数3300万部を超える大ヒット作品です。またその人気から漫画キングダムは手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞し、2011年から2014年まで2期に渡ってNHKでアニメ化されています。さらに50巻発売を記念して2019年4月19日から実写映画が公開されました。

キングダムのあらすじ

漫画キングダムは実際にあった古代中国の春秋戦国時代を舞台に、実在した秦の将軍李信をモデルにした信が史実で後に始皇帝となる嬴政と出会うところから物語が始まります。信は天下の大将軍になるという目標を掲げ、天下統一を掲げる政と歩みを共にすることを決意します。そして信は多数の強敵と相まみえながら多くの仲間達と邂逅し、立派な将軍として成長していきます。

キングダムのアニメ詳細

アニメ1期の内容

上述でご紹介した通り2011年から2013年までNHKでアニメ第1期が放送されました。アニメ第1期では天下の大将軍を目指す主人公信と史実で後に始皇帝となる嬴政の出会いが描かれています。信は秦国に仕えることになり、根性と武勇で一兵卒から成長していきます。そんな中信は天下の大将軍王騎と出会い、大将軍という地位の大きさを目のあたりにします。そして王騎死後、信は秦国を背負う未来の大将軍の片鱗を見せ始めるのでした。

アニメ2期の内容

アニメ第1期で人気を獲得したキングダムは2013年6月から2014年3月まで第2期がNHKで放送されました。信は功績により三百人隊長に昇格し、「飛信隊」という部隊を結成します。一方秦国では呂不韋という実力者が趙国の李牧と手を結び、嬴政の地位が危うくなります。この国家の危機に嬴政は5年以内に秦を統一すると決意します。信はこれに対し5年以内に大将軍になると決断し、中華全土を巻き込む戦乱の世が到来していきます。

アニメ3期の放送日

キングダムは原作漫画が続いてるのにも関わらず、アニメは第2期で終了してしまいました。またアニメキングダム3期の制作は発表されておらず、未だ放送されるか不明となっています。しかし2019年の4月に実写映画が公開されたことで人気がさらに爆発することになり、第3期制作の可能性は非常に高いです。もし今後アニメキングダム3期が制作されるとすると、放送は2020年以降になると考えられるでしょう。

映画「キングダム」公式サイト

張唐は天下の大将軍!性格や初登場は?

張唐の性格

キングダムに登場する張唐はわずか15歳で初陣を飾り、50年の間秦国の将軍として戦い続けていた老練の人物です。張唐は秦国の前皇帝である昭王の時代から秦に仕えており、昌文君からも認められる最古参の将軍です。そのため張唐は非常に頑固な性格をしています。しかし忠誠心の高い立派な将軍としての顔を持っており、自らが仕えている主の命令は忠実に従います。

初登場は11巻

歴戦の将軍である張唐はキングダム第11巻で初登場します。漫画キングダム11巻では蒙驁により韓攻めが行われていました。その中で嬴政と敵対する国の実力者呂不韋は昌文君に張唐を南の守備に配置するという条件を出します。このセリフで初めて張唐の名前が登場し、その後蒙驁と貂が会話をしている時に顔が初登場します。その顔は多くの戦場を潜り抜けた戦士の顔をしており、顔だけでも非常に迫力が感じるものになっていました。

張唐と桓騎の関係

張唐は上述の性格でご紹介した通り、忠誠心の高い義に溢れた老練の将軍です。なので張唐にとって命令違反や義に劣る行為は許すことが出来ません。一方張唐と同じく秦の優れた将軍である桓騎は盗賊出身であることから、義に反する残虐行為を行ったり、秦国を軽視するセリフを度々発していました。そのため張唐と桓騎は相性が非常に悪い関係であり、張唐は桓騎の行為に忠告を行います。

しかし当初相性が悪かった張唐と桓騎ですが、戦場を共に駆けるうちに張唐は桓騎の将としての器を見出します。そして桓騎が将軍としての実力を秘めていることを見出した張唐は残虐な行為を行う桓騎を認め、先輩後輩を超えた男同士の友情が芽生えます。

張唐と成恢の戦い

秦と韓の戦いは長期化し、秦国は劣勢状態となってしまいます。一方優勢となった韓はこの好機を見逃さず、一気に攻撃に出ようとします。その際秦を攻撃する韓の総大将は成恢という人物が務めていました。この韓軍総大将を務める成恢という人物は不気味なオーラを身に纏っていました。そしてこの韓軍総大将成恢が動き出したことで張唐は壮絶な最期を迎えることになります。ではここからは張唐と成恢の戦いをご紹介します。

韓軍総大将の成恢との戦い

韓は秦を滅亡させるために総大将である成恢自ら出陣します。一方秦の防衛線である函谷関を守る張唐は韓軍の陣営に不気味な雰囲気を感じ取っていました。この成恢という将軍は前線で戦うより後方から弓攻撃で戦うことを得意としており、張唐と相性が良くありませんでした。さらに成恢の率いる軍はどこか不気味であり、猛毒を塗った弓矢を用いて張唐が率いる秦軍を苦しめます。

黒い煙の正体

張唐は猛毒の弓攻撃を冷静に対処し、解毒剤を揃えて成恢を迎え撃ちます。しかし成恢の本当の兵器は毒の弓矢ではなく、謎の黒い玉でした。張唐の前に撃ち込まれた黒い玉は謎の煙を放出し、特に何か起こる訳ではありませんでした。しかし張唐はその煙を毒と考え、兵に煙を吸うなと命令します。そう張唐の予想通りその煙は8日間で死に至るという非常に強力な猛毒だったのです。

その日から数日経ち、秦軍の兵士たちは毒に苦しめられます。張唐もこの毒に蝕まれてしまい、顔の右半分の血管が黒く変色してしまいます。これこそ成恢の狙いであり、成恢が率いる秦壊滅作戦部隊の本当の力だったのです。

桓騎との協力

張唐は成恢の毒攻撃をくらい、余命わずかとなってしまいます。しかし張唐は自身の余命を隠し、桓騎将軍に檄を飛ばします。最初檄を飛ばす張唐を桓騎は相手にしませんでした。その後張唐は毒に冒された状態で守備につくも限界が来てしまいます。すると当初張唐のことをあしらった桓騎が部下を引き連れて救援に駆けつけます。桓騎は味方には非常に義に篤い人物であり、最初から張唐を助けるつもりでした。

桓騎の援軍を受けた張唐は奮起し、成恢率いる韓軍に攻撃を仕掛けます。そして張唐は韓軍の中から総大将成恢を見つけます。すると張唐におびえた成恢は張唐に背を向けます。張唐は背を向ける成恢の後ろに立ち、毒を使用した恨みを込めて成恢を真っ二つに討ち取りました。しかし成恢を討ち取った張唐はもう瀕死の状態となってしまっていたのです。

六大将軍にならない理由

年齢を重ねても秦のために剛勇を振るう張唐ですが、秦国を代表する六大将軍の地位に就いていません。普通であれば昭王の時代から秦に仕える功労者であるので六大将軍になってもおかしくはありません。張唐自身も戦友である蒙驁と同じく六大将軍の地位に憧れを超えて疎ましい感情まで抱いていました。しかし六大将軍という地位は中華全土一の実力を持つ者しか与えられない官職であり、張唐では実力不足でした。

なので張唐は実力があるのに六大将軍になれないことで不満を抱いていたのです。しかし張唐が放った六大将軍が嫌いというセリフは本心ではないでしょう。ただ張唐は六大将軍になれない自分に不満を抱いているだけであり、六大将軍は張唐にとって本当は強い憧れの存在だったからです。

張唐の最後

張唐は成恢の毒を受けて死の間際に立たされます。すると成恢を討ち取った張唐の前に桓騎が姿を見せ、張唐にまだ死ぬなと告げます。このセリフから分かる通り桓騎は張唐のことを嫌いではありませんでした。すると張唐は桓騎を見つめ、「秦国一の武将となれ、桓騎」と発します。そしてこの言葉を遺言に張唐の戦乱に満ちた人生の幕を下ろします。張唐の意思を継いだ桓騎は史実にも名を残す名将として成長していくのでした。

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張唐の史実での人物像

張唐は秦の将軍

漫画キングダムで歴戦の猛将として登場した張唐は実在したとされており、史実に名を残しています。張唐は史実で中国戦国時代(春秋戦国時代)後期に実在した秦の将軍と描かれており、キングダムの昭王である昭襄王と始皇帝の2代に渡って仕えました。しかし史実では生没年は不明となっており、詳しい情報は記載されていませんでした。またキングダムでは武将として描かれていますが史実では政治家として名を残しています。

張唐の戦積

魏を攻める

史実で張唐が登場し始めるのは紀元前258年からです。史実で張唐は紀元前258年に魏国を攻めたと記載されています。この時期秦は王齕と王陵が趙攻めを開始しており、張唐の史実を見ると秦は趙と同時に魏を攻めたことが分かります。一方魏はこの頃趙へ援軍を送ろうとしていましたが途中で中止していました。実は秦はもし趙に援軍を送れば次は魏を滅ぼすと脅しをかけていました。

そこで秦は脅しのために張唐を派遣したと考えられています。しかしこの張唐の魏攻めは上手くいくことはありませんでした。秦国はこの時名将白起が病気となっており、兵が疲弊していました。史実には蔡尉という人物が陣を捨てて守備をしなかったと記載されています。もしかすると蔡尉は白起が病気であったことで命令違反を冒したのかもしれません。そして張唐は帰還後、命令違反を冒した蔡尉を処刑しています。

鄭を攻め落とす

紀元前257年に張唐は鄭という国を攻め滅ぼします。この鄭という国は春秋時代最初の覇者と呼ばれており、晋と楚が強大化したことで弱小国となってしまっていました。しかし鄭は韓に攻め滅ぼされており、257年に張唐が滅ぼしたことに疑念が生じます。もしかすると韓が小さな国を与えたことで鄭が生き残っており、張唐が小さな国となった鄭を滅ぼしたのかもしれません。

そうすると張唐が滅ぼしたという記載に合点がいきます。また当時鄭は周の攻撃を受けたことで別の場所に都を移しています。このことから元にあった場所に国を造った者が鄭を名乗り、張唐がその国を滅ぼした可能性もあります。しかし本当の歴史は解明あれておらず、ただ史実には張唐が鄭を滅ぼしたという記載だけが残っています。

寧新中を攻め落とす

紀元前257年に秦の武将である王齕は趙の邯鄲攻略に乗り出しています。しかし邯鄲攻略は平原君の指揮能力や魏の援軍、春申君の援軍があり、失敗に終わります。その後史実では撤退した王齕が張唐と合流し、寧新中を攻め落としたと記載されています。寧新中を攻略した張唐と王齕はその場所を安陽という名前に改名しました。

燕の宰相として派遣されそうになる

秦は剛成君蔡沢を使者に燕と同盟を図ります。一方燕は3年後太子丹を人質として派遣しました。これに秦は張唐を燕の宰相として派遣しようとしたと史実には記載されています。燕の宰相に派遣されそうになった張唐は呂不韋に反対し、燕へ行くことはありませんでした。しかし最終的に張唐は甘羅の説得で燕に行くことを決めています。すると甘羅が趙と同盟を画策して趙と燕を戦わせようとしたため、張唐は燕に行きませんでした。

燕太子丹が人質になった時期

上述でご紹介した通り秦と燕の同盟を行うために燕は太子丹を人質に派遣します。この頃呂不韋は秦の相国を務めていた時であり、趙が燕に攻撃を開始しました。「史記」には趙の李牧が燕を攻撃したのが紀元前243年となっており、太子丹が人質となったのはこの直前だと推測できます。しかし紀元前232年に太子丹が燕に逃げて帰ったという記載もされており、実際いつ太子丹が人質となったのかは明らかになっていません。

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張唐の名言やセリフ

名言・セリフ①「大将が敵に背を見せて逃げるなァ!!」

「やはり分かっておらんな成恢。いや分かるはずがない。貴様のように己で戦うこともなく姑息な毒と戯れてきた男には、人の力がっ、武将の力が分かるものか!このたわけがっ!大将が背を見せて逃げるなぁ!!」

張唐は毒に蝕まれながらも韓国本陣に突撃し、成恢を見つけ出します。張唐は桓騎と共にわずか数百騎を率いて攻撃してきたため、成恢は張唐に背を向けてしまいます。その隙を張唐が見逃すはずがありませんでした。そして張唐は毒の恨みを込めたこの名言を言い放ち、成恢を一刀両断に討ち取りました。

名言・セリフ②「なめるなよガキが…」

「なめるなよガキが・・・昭王時代からの戦歴を刻む張唐兵は元野党などより百倍強いわぁ!!」

函谷関の守備を命じられた張唐は秦国最古参の老将でした。これを見た秦の将軍桓騎は張唐を軽視します。しかし張唐は誰よりも長く戦場を駆け抜けた猛者であり、新参の桓騎に負けるはずがありません。軽視された張唐はこの名言を桓騎に告げ、自らの方が優れていると桓騎に分からせました。

名言・セリフ③「齢十五にして初陣を飾った…」

「齢十五にして初陣を飾った。そこから五十年。矛と共に泥と血でまみれて戦場を渡り歩いて来た。今では秦軍でも最長の戦歴を持つ老将の一人だ。我ながら悪くない道のりであった。あとはどう、儂なりの"花道"を飾るかだ。別にそれが戦場で死ぬのならそれでも構わぬ・・・。だが。・・・毒は・・・ない毒は・・・なかろうが。こんなもの武将の死に方ではないわァ。何をさらしてくれとんのじゃこのゲス共がァ!」

張唐は成恢の戦術である毒の黒い煙をくらい、顔の右半分が毒に冒されてしまいます。この成恢が放った毒は8日で死ぬという恐るべき猛毒でした。戦場を15歳から50年間駆け抜けた張唐にとって毒で死ぬことは屈辱でした。張唐は韓軍本陣で居座る成恢を見つけ、この名言となるセリフを言い放ちます。その後張唐は敵本陣に突撃し、見事成恢を討ち取りました。

名言・セリフ④「貴様等には悪いが…」

「貴様等には悪いが死に場所は自分で決めさせてもらう 最後の身勝手だ許せ。ここまで共に戦って来たことを誇りに思うぞ!!」

張唐は毒に冒された状態でも桓騎に檄を飛ばすのですが、桓騎はそんな張唐の檄を軽くあしらいます。しかし桓騎は張唐のために軍を率いて援軍に駆け付けます。それを見た張唐はこの戦場が自分の死に場所と定め、この名言を部下に言い放ち敵軍目掛けて突撃しました。

名言・セリフ⑤「当たりくじかどうかは…」

「当たりくじかどうかは 開戦してみねば誰にもわからぬ」

張唐は守備として函谷関に派遣されます。その際張唐はこの名言をつぶやきました。戦争とは実際開戦してみないと分かりません。関ケ原の西軍のように絶対勝てる戦争であっても負ける時があります。この張唐の名言は張唐がいかに名将であるか分かるセリフとなっています。

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張唐に関する感想や評価は?

張唐に関する感想では最後の成恢との戦いが泣けるという感想が非常に多く寄せられていました。張唐は毒に冒されながら敵陣に死を覚悟して突撃し、成恢を討ち取ります。しかし張唐は力尽き、桓騎に秦を託して絶命します。張唐の最後まで国を思い、相性が悪かった桓騎を認める姿は多くの読者を感動させました。

張唐に関する感想では戦死する姿がかっこいいという感想も多く寄せられていました。張唐は成恢を討ち取り、死の淵を彷徨います。そしてそこに駆け付けた桓騎に秦で一番の将軍になれと遺言を残し、戦死します。最後に桓騎を将として認める張唐の姿は一国を背負う将軍のかっこよさを垣間見ることが出来ます。

張唐に関する感想では成恢との最終決戦がキングダムで一番熱いという感想も見受けられました。張唐は劣勢状態の中桓騎と共に韓の本陣へ突撃を行います。その際秦の兵士たちは最後まで張唐についていくことを決め、張唐と共に戦場を駆け抜けます。このシーンは歴史漫画好きの方にはたまらない熱い場面となっています。

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張唐のプロフィールや名言まとめ

本記事ではキングダムに登場する張唐について作中での活躍や史実での姿、名言といわれているセリフなどをまとめてご紹介しました。張唐は15歳から戦場に立ち、50年の間秦のために戦い続けました。そして成恢との戦いで毒に冒されながら突撃し、成恢を道連れに絶命します。この張唐の最後は涙無しでは見ることが出来ない名シーンとなっており、多くのキングダムファンの記憶に刻まれることになりました。

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