【キングダム】呂不韋は最後死亡する?政との関係やその後の生存説を考察

キングダム作中でも最後が不明瞭な形で描かれているのが呂不韋です。嬴政との政戦を繰り広げ最後には敗れた呂不韋ですが、すぐには死んでないで、その後にもキングダム作中で活躍するシーンも描かれています。今回はキングダムの呂不韋について、プロフィールからキングダム作中での活躍、最後のシーンなどを含めた死亡説について、史実での評価なども含めてネタバレありで紹介していきます。

【キングダム】呂不韋は最後死亡する?政との関係やその後の生存説を考察のイメージ

目次

  1. 呂不韋とは?
  2. 呂不韋のキングダムで最後死亡する?政との関係は?
  3. 呂不韋のその後の生存説を考察!子孫はいる?
  4. 呂不韋の史実での最後や死亡
  5. 呂不韋と最後に会話した相手は誰?
  6. 呂不韋の活躍
  7. 呂不韋に関する感想や評価
  8. 呂不韋の最後まとめ

呂不韋とは?

キングダム作中において、嬴政の政敵として立ちはだかった存在が呂不韋です。今回はそんな呂不韋についてまとめて紹介していきます。

キングダムの作品情報

キングダムの概要

呂不韋が活躍するキングダムは2006年から週刊ヤングジャンプにて原泰久先生が連載している中国時代劇漫画です。三国志よりもさらに古い時代、古代中国の春秋戦国時代の末期を舞台に、後に史上初めて中華統一を果たす始皇帝こと嬴政が中華統一を果たすまでを、秦を支えた将軍信を中心に描く群像劇的作品になっています。

連載開始当初こそ馴染みのない舞台に人気が低迷したものの、元々巧みであったストーリーと少しずつ改善されたイラストが絡み合い徐々に人気を獲得、アニメ化やゲーム化、実写映画化などのメディアミックス展開が行われる程の人気作になりました。人気と同時に評価も高く、第17回手塚治虫文化賞のマンガ大賞を受賞している作品になっています。

キングダムのあらすじ

春秋戦国時代末期、戦争孤児の信は同じ戦争孤児だった漂の導きで王弟成蟜に反乱を起こされた秦国国王嬴政と出会います。山の民の協力も得てなんとか王弟の反乱を鎮める事に成功した嬴政でしたが、王宮には嬴政が振るう権力はありませんでした。反乱を様子見していた呂不韋が戻ってきたのです。こうして嬴政は戦場で活躍する信と離れ、呂不韋を相手に政争を繰り広げる事になるのでした。

呂不韋のプロフィール

呂不韋はキングダム連載開始時点で秦の右丞相の地位を持つ人物です。元々は竭氏と王宮内の権力を二分して争っていましたが竭氏が王弟成蟜の反乱に加わっていた事でその地位を追われると政治を取り仕切るようになります。自身の配下として呂不韋四柱と呼ばれる4人を抱える他、数多くの食客を抱えている人物でもあります。

呂不韋は商人出身

キングダム作中では登場時点で既に秦国の要人となっている呂不韋ですが、元々呂不韋は一介の商人に過ぎませんでした。ただ一介の商人と言っても才覚は確かで時期を見るのに長け、複数の国を股にかける大商人でした。秦の要人となってからもその財は健在で、数多くの食客を抱えている他、嬴政との政争でもその私財を有効的に活用した例も描かれています。

TVアニメ「キングダム」公式サイト

呂不韋のキングダムで最後死亡する?政との関係は?

考察①呂不韋の最後のシーンは何巻?

キングダム初期から嬴政の政敵として活躍した呂不韋ですが、その最後のシーンが描かれたのはキングダム60巻に収録された648話の事です。元々呂不韋は40巻までで展開された「嫪毐の乱」にて嬴政に政争で敗れて以来キングダムの表舞台から姿を消しておりいましたが死んでない呂不韋が60漢にて久しぶりの登場、そして最後が描かれる形になりました。

考察②呂不韋と政の関係

キングダム作中、嬴政と呂不韋は政敵として常に争っている存在になっていました。成人前に王に即位した嬴政に権力はなく、その権力は呂不韋に集中していたのです。しかし嬴政が成人し加冠の儀を行った事で呂不韋の権力はなくなり嬴政に権力が戻る事になりました。このようにキングダム作中を見る限り、2人の関係性は「政敵」であると言えます。

しかし対面的には政敵である嬴政と呂不韋ですが、呂不韋にとっては政敵以外の感情もあります。呂不韋にとって嬴政の成長は我が子の成長を見守るようなものでした。加冠の儀では嬴政の展開した持論に涙を浮かべ、相国を罷免されて河南で蟄居語に嬴政と対面した際にも嬴政の成長を喜ぶような一面すら見せました。

考察③呂不韋は政に名言を遺した?

60巻での呂不韋の最後を迎える前、呂不韋と嬴政は河南で久しぶりの対面を果たしています。河南にかつて呂不韋について居た者らが集まり、王宮の勢力をも脅かす存在になっていたのを諌める為でした。久しぶりに対面した嬴政にはその地を収める呂不韋を反逆の罪で処刑する事もできましたが嬴政はそれをしませんでした。

そんな嬴政に対し呂不韋は「優しすぎる」と否定、「その優しさは大王様の武器でもあるが、先々唯一の弱点と成り得ますぞ」と助言までしています。さらにかつてのやり取りの中で「人の持つ本質は光だ」という嬴政の意見を再度確認した呂不韋は嬴政を抱きしめて「では、心からご武運を祈っております」とも伝えました。

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呂不韋のその後の生存説を考察!子孫はいる?

考察①呂不韋のその後は?実は死んでない?

河南で対面した嬴政と呂不韋。嬴政は大王として呂不韋に河南での反乱を鎮めるようにと命じて河南を去ります。しかし1ヶ月後経過しても呂不韋は河南の反乱を鎮める事はありませんでした。嬴政は今度は領地と財産の没収を通達しますがその返事は「呂不韋は毒を飲んで自殺した」という知らせでした。呂不韋は死亡してしまうという最後を迎えたように描かれています。

しかし実は呂不韋はこのシーンでは死んでないです。呂不韋は身代わりを立て、自身の死亡を偽装したのです。キングダム作中では、実は死んでない呂不韋が馬車で女性と共に旅に出るシーンを描く事で呂不韋が生きている事を示す形になっているのです。

考察②呂不韋の子が秦王政だという説

このように最後は死んでない描写まで取り入れられている呂不韋の最後ですが、このような形になっているのは実は嬴政の父親は呂不韋なのではないかという説がある為です。キングダムでも描かれたように嬴政の父である荘襄王が当時呂不韋の妾だった趙姫(後の大后)を譲ったのですが、譲った時点で既に趙姫は呂不韋の子を妊娠していたのではないかとも言われています。

考察③呂不韋の子孫

ちなみに史実にはあくまでも一説レベルで証明はされていない子である嬴政とは違う正真正銘呂不韋の血を引く人物が活躍した記録が残っています。呂不韋の一族は嬴政の命令で蜀に移り住んでおり、そこで脈々と血筋を残していたのです。秦が中華統一を果たした後、始皇帝となった嬴政ですが、始皇帝の崩御から4年、それまでの苛烈なやり方もあって再び中華は荒れる事になります。

そんな中台頭するのが劉邦と項羽の2人ですが、その劉邦の妻が呂雉と呼ばれる人物で、彼女は呂不韋の子孫である事が明らかになっているのです。この呂雉はその後、劉邦が漢を作った後に没すると権力を持つようになりました。さらに時代は流れ三国志の時代、蜀に使えた武将の1人である呂凱も呂不韋の子孫であるとされています。

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呂不韋の史実での最後や死亡

考察①呂不韋の史実での失脚

キングダムは史実とフィクションが折り混ざる作品ですが、呂不韋の失脚については概ね史実を元にしています。史実でも嫪毐の乱に関与したとして相国の職を解かれる事になるのです。当初嬴政はその罪から呂不韋を誅殺するつもりでしたが、前王に対しての功績や呂不韋をかばった人物の多さなどこの時点では死んでないです。キングダムで描かれたのと同じように河南に蟄居する事を命じています。

考察②呂不韋の史実での最後や死亡

ここからが史実とキングダムでは僅かに異なります。キングダムでは河南で反乱が起こったように描かれていましたが、史実では反乱とまではなっていません。ただ呂不韋の名声の高さから人が集まっていたのは事実でありこのままいけば反乱に繋がった可能性はあります。その事を危惧した嬴政が呂不韋に対し親書を送り、蜀に移り住むようにと命じました。

この親書を受け取った呂不韋は結局最後には罪を咎められて殺される事になるだろうと悟り、毒を飲んで自殺する形で死亡するという最後を迎えているのです。つまり概ねキングダムでの展開と同様ながら最後、河南で呂不韋が死んでない、影武者をたてて旅に出たというのはキングダム作中でのフィクションという事になります。

考察③呂不韋の史実での評価

キングダムでも政敵として描かれ決して人気が高いとは言えなかった呂不韋ですが、史実での評価も決して高いものではありません。確かに一介の商人から相国にまで上り詰めた手腕は見事ですが、人徳に欠ける行動を取っていると言われているのです。特に趙姫との関係性とそこに連なる嫪毐の乱などの行動は呂不韋の評価を落とす大きな要因となっています。

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呂不韋と最後に会話した相手は誰?

考察①馬車の会話

影武者を立てて逃亡し実は死んでない呂不韋ですが、その逃亡シーンの中では女性らと連れ立って会話をしている様子が描かれています。そこで呂不韋は嬴政なら影武者である事を見抜くであろう事、その上で嬴政なら理解してくれるだろうと話しています。

考察②馬車に乗っているのは誰だった?

ただここで問題にされているのが呂不韋が連れ立った女性です。会話の中で呂不韋が「そなたら」と複数形で呼んでいる事から呂不韋は最低でも2人の女性を連れ立っている事になります。上記でも紹介したように呂不韋の一族は史実では蜀に移り住んでおりその血筋を残しています。正妻を共に連れ出していれば嬴政としても無視出来なくなる事などからこの女性達は親族の中でも遠い、或いは妾を連れ出したのではないかとされています。

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呂不韋の活躍

ネタバレ①悼太子が亡くなり秦の公子異人を知る

ここからはキングダム作中でも断片的に描かれた史実での呂不韋の活躍を紹介していきます。商人をしていた呂不韋にとって転機となったのが秦王宮にあります。嬴政から見て曽祖父に当たる昭王は在位が長く、太子(後継者)で魏に人質に行っていた悼太子が亡くなるという事が起こります。これには事件性はなく昭王が長生きだった為、悼太子の方が先に死亡してしまった形です。

太子だった悼太子が死亡した為、昭王は次の後継者を決めなければいけません。そこで太子になったのが公子柱(後の孝文王)です。公子柱は子宝に恵まれ20余人の子供がいましたが、その中の1人が異人でした。

ネタバレ②異人の存在を知る

異人は公子柱の子の1人ではありましたが、長男ではありません。加えてこの時には既に趙に人質に出されていました。元々秦と趙の関係が決して良いものではなかった事、異人の母である夏姫の身分が高くなかった事から非常に貧しい生活を送っていたのです。そんな趙時代の異人に呂不韋は出会う事になるのです。

ネタバレ③父親の元に帰り話した問答

異人と出会った呂不韋は父と話します。畑を肥やして得られる利益、真珠から得られる利益に対して「国家の主を立てた場合の利益」を問答するのです。父の「数え切れぬ程膨大だ」という返答に対し、呂不韋は異人の家来になる事を決意します。

ネタバレ④異人に仕える

異人の家来となった呂不韋は異人に自身の財を注ぎ込みます。趙の名士達と関わりを持つように仕向け、また名声を上げさせるべく行いなどにも注意を促すなどしたのです。異人としても現在の境遇を変える為呂不韋の進言を聞き入れていきます。

ネタバレ⑤華陽夫人に目を付ける

ただ呂不韋にとってこれは大きな賭けでもありました。公子柱には子が多く、公子柱が後継者を指名するまでに異人を売り込む必要があったのです。そこで目を付けたのが公子柱の正妻であった華陽夫人でした。実は子沢山だった公子柱ですが、正妻の華陽夫人との間には子供がいなかったのです。華陽夫人としてもその事を心配していた事もあり呂不韋は華陽夫人と会うととある提案をします。

それが異人を華陽夫人の養子として迎える事です。異人を養子に迎え異人が太子となれば華陽夫人は対しの母、いずれは王の母という事になるので自身の身も安泰出来ます。華陽夫人もこの提案を受け入れ公子柱にそれを伝えると、異人が趙で名士と多くつながりを持っている事を調べた上で公子柱もこれを受け入れ異人を太子に任じる事を決めます。ちなみにこの時点で呂不韋も異人の傅役に指名されています。

ネタバレ⑥門番を買収して秦の陣に異人を送り届ける

無事に太子になる事が出来た異人ですが、まだ問題は残っています。この時点でまだ異人は趙にいたのです。呂不韋は趙を説得して異人の帰国を認めさせようとしますが、趙は帰国を許しませんでした。そんな中、キングダム作中でも描かれた「長平の戦い」が勃発してしまいます。この戦いの最中に異人を家族共々秦に送り届けるのは不可能であると考えた呂不韋は別の作戦を練る事になります。

異人1人だけでも先に秦に送ってしまおうと考えたのです。そこで呂不韋は門番を買収すると異人を秦の陣に送り届けさせます。残された家族も趙の富豪にお金を払う事で迫害を逃れさせるようにしたとされています。こうして異人は無事に秦に渡って名を「子楚」と改める事になります。

ネタバレ⑦呂不韋が秦の実権を握る

その後、昭王が亡くなると後継者だった公子柱が王位を継ぎますが即位後僅か3日で死亡してしまいます。幸いにも既に子楚が後継者として指名されていたので政変などは起こりませんでしたが、突然の流れで子楚は「荘襄王」として即位する事になります。そして荘襄王は恩人である呂不韋を「丞相」として指名するのです。ちなみにこの時、秦における「丞相」は最高位であり呂不韋は一気に最高権力者となったのです。

ただ荘襄王の治世も長くは続きませんでした。荘襄王は即位から3年で死亡してしまったのです。こうして嬴政が王位につく事になりますが、まだ成人していない事もあり呂不韋が実権を握る事になるのでした。そうしてキングダムの物語に繋がっていきます。

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呂不韋に関する感想や評価

ここからは既にキングダムを視聴した人の呂不韋に関しての感想をネタバレありで紹介していきます。キングダム作中、決して人気が高いとはいえない呂不韋ですがその存在感はかなり大きく、キングダムを「戦争」だけの漫画にしない大きな役割を担ったという声が多くなっています。嬴政との舌戦はもちろん、勢力争いを繰り広げる姿は欠かす事の出来ない存在だったとする声が多くなっています。

そんな注目度の高いキャラクターだっただけにキングダム作中でどのような最後を描くのか気になっていたという声が多くなっています。そして描かれた最後のシーンの実は死んでないという形にはキングダム作中で描かれてきた呂不韋らしさが出ていて納得感があったという感想が多いです。

キングダムでは嬴政が自身の方針をしっかりと言葉にするシーンが度々描かれていますが、呂不韋もまた自身の信念を持っているキャラクターとして描かれています。その考え方は確かにしっかりしたものであり、或いは呂不韋が王位を取っていたらその治世はどうなっていたのだろうと考察するファンもいる程になっています。

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呂不韋の最後まとめ

キングダム初期から嬴政の政敵として活躍してきた呂不韋ですが、その最後は毒による自殺とされながらも実は死んでないというシーンが描かれるというものになっています。史実とは変えて敢えてこのようなシーンを入れた事でキングダム作中で描かれてきた呂不韋のイメージに相応しい最後になったという声が多くなっています。

呂不韋は敵キャラクターながらもその発言は正論である事も多く、しっかりと考えを持って行動していた事も明らかなだけに注目を集めるキャラクターになっていました。死んでないという最後も納得の展開という声も多いのでまだキングダムを視聴していない人は呂不韋の言動から最後のシーンまでに注目しながら視聴してみてはいかがでしょうか?

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