【キングダム】呂不韋の過去と活躍を紹介!悲惨な最後と帝王となる子孫を考察

漫画キングダムにおいて秦国の相国を務める呂不韋。呂不韋は漫画キングダムの作中において後の秦の始皇帝である嬴政と長年政争を繰り広げ、最後は誰よりも嬴政の成長を感じていた人物です。そんな呂不韋は史実でも秦国の強大化に尽力した人物なのですが、嬴政の母親と関係を持ち、その息子嫪アイが反乱を起こしたことで官位を奪われ、悲惨な最後を遂げています。しかし呂不韋は悲惨な最後を遂げたものの、その子孫は後の世に大きな影響を与えることになりました。本記事ではそんな呂不韋について活躍や最後、声優などをご紹介します。

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目次

  1. 呂不韋とは?
  2. 呂不韋の過去や活躍
  3. 呂不韋の悲惨な最後と帝王となる子孫
  4. 呂不韋の名言集
  5. 呂不韋のアニメ声優
  6. 呂不韋に関する感想や評価
  7. 呂不韋の過去と活躍まとめ

呂不韋とは?

キングダムの作品情報

漫画キングダムの作中において嬴政と長年に渡って権力争いを繰り広げた秦国の相国呂不韋。呂不韋は史実では秦国が強国に成長することに大きく尽力した人物となっているのですが、ある出来事がきっかけで悲惨な最後を遂げてしまいます。本記事ではそんな漫画キングダムに登場する呂不韋について過去や活躍、悲惨な最後や子孫などをまとめてご紹介していきます。ではまず最初に漫画キングダムの作品情報をご紹介します。

キングダムの概要

呂不韋が登場するキングダムとは原泰久が手掛ける日本の漫画作品です。原泰久が手掛ける漫画キングダムは2019年10月現在漫画雑誌「週刊ヤングジャン」に連載されている作品であり、これまで合計55巻もの単行本が発売されています。そんな漫画キングダムは古代中国史に残る春秋戦国時代末期を舞台に後の始皇帝と大将軍を目指す少年信の姿を描いた歴史作品であり、実際に起こった歴史を基に物語が制作されています。

漫画キングダムはマイナーな歴史と老若男女問わず惹かれる作風から高い人気を博しており、単行本の累計発行部数は2019年10月現在3800万部突破を記録しています。この人気から漫画キングダムは2012年から2期に渡ってNHKでアニメ化され、ゲーム作品も2010年に制作されることになりました。そして漫画キングダムは2019年4月に実写映画が公開されたことで注目を集め、2019年10月現在人気を更に伸ばし続けています。

キングダムのあらすじ

漫画キングダムの舞台となる古代中国の春秋戦国時代末期は7つの国が常に戦争を繰り広げている時代であり、多くの戦争孤児を生み出していました。漫画キングダムの主人公である信も戦争孤児であり、同じ戦争孤児である漂という少年と天下の大将軍を目指して修行を行う日々を送っていました。そんな中漂が秦国の王宮へと推挙されることになり、漂は信よりも早く天下の大将軍になるという夢に届きそうになります。

しかし漂は変わり果てた姿で帰ってくることになり、最後を遂げてしまいます。信は最後を遂げた漂に託された場所へ行くとそこで後の始皇帝である嬴政と出会います。実は漂は嬴政の影武者となり、無残な最後を遂げたのです。この真実を知った信は嬴政に激怒します。しかし信はその時天下の大将軍になるという夢と最後を遂げた漂の遺言を思い出します。そして信は怒りを堪え、嬴政と協力して天下の大将軍への道を歩みだすのでした。

呂不韋は謎の多い人物

本記事で活躍や最後、子孫などをご紹介する呂不韋とはどういった人物なのでしょうか。漫画キングダムにおいて呂不韋は秦国の大臣の中で最も位の高い相国を担当している実力者であり、その才能は歴史に名を轟かしている政治家范雎と商鞅に匹敵すると昌平君から評価されています。そんな呂不韋は漫画キングダムの初期から登場しており、不適な笑みを浮かべて常に謀略を張り巡らせている謎の人物として描かれています。

当初から嬴政と対立しているように見えた呂不韋は実は嬴政と代わって秦の国王になろうと画策しており、漫画キングダムで嬴政を陥れようとします。そして漫画キングダムの秦国統一編で呂不韋は遂に秦国の王になるため動き出します。しかし呂不韋は嬴政が立派な王として成長していることを知って感涙し、敗北を認めます。そして嬴政に政争で敗北した謎の多い呂不韋は最終的に官位を失い、隠居することになりました。

呂不韋の性格

漫画キングダムの作中で嬴政に反旗を翻した呂不韋は実際相国を担当して秦国の実権を握っている人物であり、その性格は非常に冷静沈着といえます。しかし呂不韋は常に嬴政と代わって秦国を支配するという強い野心を持った腹黒い性格をしており、秦国内最大の敵として登場します。また呂不韋は冷酷非道な性格も兼ね備えており、漫画キングダムの作中で自分の邪魔となる者を密かに排除するなどの行動をとっています。

史記によると政の父親は呂不韋?

司馬遷が記した中国の歴史書「史記」に呂不韋の興味深い行動が描かれています。後の秦の始皇帝である嬴政の母親趙姫は非常に男好きであり、秦国随一の実力者であった呂不韋と密通していました。当初これは趙姫から持ち出した関係なのですが、呂不韋はだんだんと趙姫に惹かれてしまうことになります。そして呂不韋と趙姫の間に1人の子供が生まれます。その2人の間に生まれた子供こそが後の秦の始皇帝である嬴政なのです。

生まれた嬴政が成長する連れて呂不韋は危機感を抱き、趙姫に嫪アイという人物を紹介して関係を断とうとします。しかしこの嫪アイという人物は嬴政に謀反を起こすことになり、呂不韋は嫪アイを王宮に入れた張本人として処罰されることになります。実際嬴政自身も呂不韋が父親であることを知っていたといわれており、呂不韋を処刑することはありませんでした。しかしこれは噂話であるという説もあり、真偽は不明となっています。

映画「キングダム」公式サイト

呂不韋の過去や活躍

呂不韋の過去

秦の実力者呂不韋は歴史書である「戦国策」と「史記」によると中国の濮陽という地で商人の家に生まれたと記載されています。当時商人は莫大な財産を持っていたお金持ちであり、呂不韋は裕福な家庭で育ったという事が分かります。そして商人の家に生まれた呂不韋も商人となり、各国を渡り歩いて更なる財産を手にしました。そんな中呂不韋は趙国の人質になっていた後の荘襄王を発見し、掘り出し物で有益になると考えます。

そして呂不韋は後の荘襄王である秦の太子を秦王へ即位させ、権力を握ろうと画策します。呂不韋は太子にどんどんと投資をし、肉体関係にあった嬴政の母である趙姫さえも荘襄王に渡しました。これにより荘襄王は無事秦の国王となり、呂不韋は洛陽の地に領土を貰って宰相の地位に就き、秦の権力を握ることに成功します。これを見て分かる通り呂不韋は先見の明に優れており、商人や政治家として驚異的な才能を秘めた人物でした。

呂不韋の活躍①政の父親に接触した理由

史実において嬴政の父親は呂不韋と記載されているのですが、表向きでは秦の荘襄王が父親となっています。秦の荘襄王は上述でご紹介した通り、趙国の人質になっていました。当時呂不韋は各国を渡り歩いて莫大な財産を築くものの、国を動かす権力は持っていませんでした。ある時趙の人質となってみすぼらしい姿をした荘襄王と出会い、自らの地位を獲得できると直感で感じ、「これ奇貨なり。居くべし」と述べました。

後の荘襄王である秦の太子は他の太子より地位が低く、呂不韋はまず名前を売らせようとします。呂不韋は秦の孝文王の正室である華陽夫人と接触し、太子を華陽夫人の養子とします。そして孝文王が50代で最後を遂げたことでその息子となった太子は秦国の王となり、荘襄王へと昇りつめます。荘襄王は自身を王位に導いてくれた呂不韋に感謝することになり、呂不韋は当初の思惑通り秦国全ての権力を握る実力者になりました。

呂不韋の活躍②政の暗殺計画

荘襄王即位に尽力したことで圧倒的な権力を秦国で手に入れた呂不韋。しかしその荘襄王が若くして最後を迎えることになり、その跡取りとして後の秦の始皇帝である嬴政が13歳で即位することになります。そこで呂不韋は漫画キングダムと同じく嬴政が行う政治に参入し、史実で呂不韋は嬴政からおじさんという意味がある仲父という称号を授けられることになり、再度秦国の権力を握ることに成功します。

しかし呂不韋はもっと上の権力を欲するようになり、嬴政の暗殺計画を企てて嬴政と対立します。そして呂不韋は漫画キングダムで嫪アイの反乱を利用して嬴政を排除し、秦国の新しい王へとなろうとします。これは史実でも全く同じであり、呂不韋は嫪アイを王宮に入れた犯人といわれています。しかし呂不韋は嬴政暗殺計画に失敗することになり、漫画キングダムで嬴政の成長に涙した呂不韋は官位を剥奪され、隠居することになりました。

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呂不韋の悲惨な最後と帝王となる子孫

呂不韋の悲惨な最後

漫画キングダムで後の秦の始皇帝である嬴政に対立し、最終的に官位を剥奪されて隠居を命じられた呂不韋。実は呂不韋は史実において、漫画キングダムと違って非常に悲惨な最後を遂げているのです。この最後があまりにも悲惨と話題になり、2019年10月現在漫画キングダムの読者から注目を集めています。では呂不韋は史実でどのような最後を遂げたのでしょうか。ここからは史実の呂不韋の最後についてまとめてご紹介していきます。

相国を剥奪される

呂不韋は史実において、上述でご紹介した趙姫から身を引くために嫪アイを王宮へ送る行為を行います。その嫪アイは趙姫から溺愛されたことで王宮の権力を掌握し、嬴政を倒して自身が王になるため反旗を翻すことになります。結局この反乱はすぐに鎮圧され、嫪アイと趙姫の家族は処刑されます。そして嫪アイを王宮に入れた呂不韋も連座することになり、これまでの功績から処刑は免れるものの、官位を剥奪されてしまいます。

実際呂不韋が秦国にもたらした功績は非常に大きく、嬴政の父である荘襄王も呂不韋がいなければ王になることは出来ませんでした。また呂不韋は嬴政の父親でもあるため、おそらく嬴政は忖度もあって呂不韋の処刑を取りやめ、官位の剥奪と蟄居だけで済んだと考えられます。しかし呂不韋は蟄居した後もその名声は絶えることは無く、むしろ増加する一方でした。これにより嬴政は呂不韋にある猜疑心を抱くことになってしまいます。

自殺だった?

反乱を起こしたことで処刑された嫪アイに連座して官位を剥奪され、蟄居を嬴政から命じられた呂不韋。元々呂不韋は非常に高い名声から3000人もの食客を抱えており、秦国で大きな影響力を持っていました。実際その食客の中には秦国内部を整えた李斯もおり、呂不韋はこの食客たちの知識を集めて「呂氏春秋」という歴史書を作るなどの実績を挙げていました。蟄居された呂不韋はその後も食客と会い、名声は高まるばかりでした。

この肥大化する呂不韋の名声を見た嬴政は今後呂不韋が食客たちと手を組んで反乱を起こし、秦国を奪うのではないかという猜疑心を抱きます。そこで嬴政は呂不韋に家族と一緒に蜀へ移れと手紙で命令します。そして嬴政は呂不韋がいない隙を突いて呂不韋の権力を全て奪ってしまいます。これを知った呂不韋はこれまでの功績を全て台無しにされたことで絶望してしまい、薬を飲んで自殺するという悲惨な最後を遂げてしまいました。

呂不韋の出処進退

出処進退とはその文字の通り、物事に対して進むべき時は進み、退くときは退くという意味を指す言葉です。太古から偉大な歴史人物こそこの出処進退で失敗して無残な最後を遂げているケースが多く、最後まで完璧に出処進退を心得た人物は中々いません。例えば伝説の兵法家である呉起は主君亡きあと貴族達に反感を買って殺害され、かの「孫子の兵法」を作り上げた孫武でさえもしつこく主君に迫ったため信用を失ってしまいます。

中には出処進退をわきまえた人物もおり、かの諸葛亮を五丈原で渡り合った̪̪司馬懿は最後まで出処進退を上手く行って衰えた魏国の全てを子孫に渡って掌握することに成功しました。では呂不韋の出処進退は優れているのでしょうか。呂不韋は史実において権力に執着し、主君である嬴政から信用を失ってしまいます。なので残念ながら呂不韋は出処進退に優れておらず、それが原因で悲惨な最後を遂げてしまったといえるでしょう。

帝王となる子孫を考察

秦国の強大化に尽力したものの、権力と女性関係に執着して悲惨な最後を遂げた呂不韋。呂不韋は最後蜀の地に流刑となって絶望の中自殺してしまうのですが、呂不韋の子孫たちは蜀の地へ渡って生活を送ることになります。この呂不韋の子孫がどうやら帝王となると話題を集めており、多くの注目を集めています。ではここからは帝王になったといわれる呂不韋の子孫たちについてまとめてご紹介していきます。

呂不韋の子孫①呂后

呂不韋が服毒自殺し、呂不韋の子孫たちが蜀の地へ移った頃、中国では秦国が天下を統一し、嬴政は秦の始皇帝として権威を振るうことになりました。しかし始皇帝は暴政を敷き、多くの民たちを苦しめました。これにより始皇帝が失意の内に死亡した後大きな内乱が起こります。そんな中、劉邦という男が立ち上がります。この劉邦という男は秦国内部で反乱を起こし、楚国の項羽に勝利して蜀の地に漢帝国を築きます。

そんな劉邦には呂后という妻がいました。そうこの女性こそ呂不韋の子孫なのです。子孫である呂后は夫である劉邦亡き後、権力を掌握するために宮廷の邪魔者を排除していきます。そして呂后は自らの子供を恵帝として皇帝にし、自らが本紀となって漢帝国を支配することになります。こうして呂不韋の子孫である呂后は女性ながら天下を握る帝王となるのですが、結局呂后が死亡したことでその掌握した呂一族の権力を失ってしまいます。

呂不韋の子孫②呂雉も子孫だった?

呂雉とは上述でご紹介した劉邦の妻呂后の本名です。呂不韋の子孫である呂雉は呂公という人物の元で生まれ、父親の願いもあってある日酒宴に訪れた劉邦へ嫁ぎました。劉邦に嫁いだ呂雉は劉邦の父である劉太公の農業に協力したり、子育てを懸命に行うなど夫劉邦に尽くします。そんな中呂雉は劉邦に雲気が立ち込めていると評し、劉邦の元に多くの人物が集まるようになります。劉邦にとって呂雉は天下を取る必要不可欠な存在でした。

その後呂雉は楚に人質となってしまったりするのですが、最終的に劉邦の元へ戻り、劉邦が皇帝になった紀元前202年に呂后として妃となります。しかし呂雉は皇后となったことで欲望を露わにするようになり、着実に息子である恵帝の地位を盤石のものにしていきます。そして劉邦が死亡したことで呂后は漢帝国を掌握します。呂雉は漢帝国を苦しめた張本人であり、現代では中国三大悪女の1人に数えられています。

呂不韋の子孫③三国志時代の呂凱

呂凱とは蜀を治めた劉備に仕えた三国時代に実在した人物です。この呂凱という人物も呂不韋の子孫であるといわれており、呂不韋の子孫が流刑となった蜀の地で誕生しました。呂凱は劉備配下の中でも特に優れた知略を持つ人物であり、三国時代の天才軍師諸葛亮に劉備亡き後推挙されることになりました。呂凱は最初永昌城の太守として南蛮鎮圧に尽力し、南蛮にある雲南の太守となって諸葛亮から非常に高く評価されました。

しかし南蛮の異民族がその後反乱を起こすことになり、呂凱はその反乱を起こした異民族の手によって殺害されるという最後を遂げてしまいます。その後呂凱の子孫は司馬懿の息子である司馬炎が起ち上げた晋帝国に仕え、代々永昌の地を守り抜いたと伝えられています。呂后や呂凱の最後を見ると、呂不韋の子孫たちはあまり良い死に方をしないといえるでしょう。

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呂不韋の名言集

呂不韋の名言①「昨夜の大王様暗殺事件の黒幕は…」

「昨夜の大王様暗殺事件の黒幕はこの呂不韋めにございます!」

呂不韋は漫画キングダムの作中で多数の名言を残しており、漫画キングダムの読者からは非常に注目を集めています。ではここからはそんな呂不韋が漫画キングダムの作中に残した名言を一部ご紹介していきます。まずご紹介する名言は呂不韋が嬴政暗殺を打ち明けるシーンのセリフです。呂不韋はこの名言を告げたことで本当の思惑が明らかになり、謎に包まれた呂不韋の正体が明るみ出ることになりました。

呂不韋の名言②「儂は変わらず…」

「儂は変わらず ずっとそなたを愛している」

呂不韋は秦国統一編で嫪アイの反乱を利用し、嬴政と代わって秦国の王様になろうとします。その時呂不韋は嫪アイに夢中となっていた嬴政の母である趙姫(太后)に面会し、上記の名言を伝えます。呂不韋は史実でも趙姫と肉体関係にあり、呂不韋は嬴政が成長したから嫪アイに趙姫を任せました。しかし呂不韋自身おそらく趙姫のことを本気で愛していたと考えられ、このセリフは呂不韋の人間らしい姿が垣間見ることになりました。

呂不韋の名言③「答えはこれです…」

「答えはこれです。貨幣こそ人の歴史における最大の発明にして発見。全てはこれから始まったのです。」

漫画キングダムの作中で嬴政は呂不韋の謀略を見破り、呂不韋と天下について語ることになります。この時呂不韋は嬴政に天下は何がきっかけで始まったか問いかけます。そして呂不韋は上記の名言を伝え、天下は貨幣から始まったという自論を展開します。呂不韋は史実において各国を渡り歩いて莫大な財産を築き上げた生粋の商人であり、この嬴政との舌戦で言い放った上記の名言は呂不韋に商人の魂が宿っている証となりました。

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呂不韋のアニメ声優

玄田哲章のプロフィール

ここからはアニメキングダムで呂不韋を演じた声優についてご紹介していきます。アニメキングダムで呂不韋の声優を担当したのは日本の男性声優である玄田哲章です。玄田哲章は1948年の5月20日に岡山県で生まれた声優であり、1972年から声優として活躍しているベテラン声優です。玄田哲章は威厳のある渋い声が特徴の声優といわれており、その声を活かして声優以外にナレーターや俳優としても活動しています。

玄田哲章の主な出演作品

声優の玄田哲章は1972年にアニメ「科学忍者隊ガッチャマン」で声優デビューを飾りました。その後玄田哲章は「ドカベン」の岩鬼正美や「機動戦士ガンダム」のスレッガーなどの声優を担当し、昭和アニメに不可欠な声優としてブレイクを果たします。そして声優としてブレイクした玄田哲章は2019年10月現在も「戦国BASARA」の武田信玄や「ワンピース」のカイドウなどを演じ、声優として活動を続けています。

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呂不韋に関する感想や評価

漫画キングダムの作中で嫪アイが反乱を起こした際、呂不韋は嬴政の母である太后と面会して自らの想いを告げて別れます。呂不韋は商人であることから自らの損得だけを考えて動く人物です。しかし呂不韋は本心で太后のことを愛しており、このシーンは呂不韋の本音が分かる珍しい場面となっています。このシーンは多くの読者に驚きと呂不韋の人間性を知らしめることになりました。

漫画キングダムに登場する呂不韋に関する感想では三国志の呂布が子孫ではないかといった感想も多く寄せられていました。呂布は三国志の中で最強の武人として知られている人物なのですが、残念ながら呂布は蜀ではなく北方の出身であることから呂不韋の子孫ではないと断言できます。

呂不韋は史実においてみすぼらしい姿をした後の荘襄王と出会い、「これ奇貨なり。居くべし」と話します。これは荘襄王を利用すれば後に大きな価値となるから手元に置いておくべきだという意味が込められており、呂不韋が歴史の中で残した名言といわれています。呂不韋の感想の中でもこの名言に関する感想は特に多く見受けられました。

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呂不韋の過去と活躍まとめ

本記事では漫画キングダムに登場する呂不韋について作中での活躍や史実の悲惨な最後、声優などをまとめてご紹介しました。呂不韋は史実と漫画キングダム両方で秦国の実権を握っていた実力者なのですが、権力に対する欲望の強さが災いしてその身を滅ぼすことになります。しかし呂不韋が与えた秦国への影響は凄まじく、近代でもその名は秦国を代表する歴史人物として語り継がれています。

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