【キングダム】昌文君はどんな人物?始皇帝を裏切ったという噂や最期も考察

漫画キングダムにおいて後の秦の始皇帝である嬴政に仕える筆頭家臣昌文君。昌文君は史実に実在した秦の武将であり、昌平君と共に人質として楚国から秦国へ入り、秦の始皇帝を支えました。そんな昌文君ですが、漫画キングダムの影響で2019年10月現在秦の始皇帝を裏切ったという噂が浮上しています。実はこの噂は昌平君が原因となっていました。本記事ではそんな漫画キングダムに登場する昌文君について裏切りの噂や人物像、最期などをまとめてご紹介していきます。

【キングダム】昌文君はどんな人物?始皇帝を裏切ったという噂や最期も考察のイメージ

目次

  1. 昌文君はどんな人物?
  2. 昌文君が始皇帝を裏切ったという噂
  3. 昌文君の最期や謎を考察
  4. 昌文君は史実でも実在する?
  5. 昌文君のアニメ声優
  6. 昌文君に関する感想や評価
  7. 昌文君についてまとめ

昌文君はどんな人物?

キングダムの作品情報

2019年10月現在、秦の始皇帝を裏切り、反旗を翻したと噂されている昌文君。しかしこの噂は昌平君が秦の始皇帝を裏切り、楚国に付いたことが原因となっており、昌文君は特に裏切り行為を働いていません。ではそんな裏切りの噂が浮上した昌文君とはどんな人物だったのでしょうか。本記事では昌文君について裏切りの噂や最期などをまとめてご紹介していきます。ではまず初めに、昌文君が登場するキングダムについてご紹介します。

キングダムの概要

昌文君が登場するキングダムとは2006年から2019年10月現在にかけて「週刊ヤングジャン」で連載されている原泰久の漫画作品です。漫画キングダムは後の秦の始皇帝である政と後の秦の大将軍李信である信の生涯を描いた歴史漫画であり、2019年10月現在55巻まで単行本が発売されています。55巻まで単行本が続いている長編漫画キングダムは老若男女問わず人気を博し、これまで3800万部を超える累計発行部数を記録しています。

この絶大な人気から漫画キングダムは2011年から2期に渡ってNHKでアニメ化されることになり、更なる注目を集めることになりました。更に漫画キングダムは2019年の4月に実写映画が全国で上映されることになり、多数のメディアで取り上げられることになりました。実写映画には橋本環奈などの人気俳優・女優が多数キャストとして出演することになり、この映画作品が影響して2019年10月現在更なる人気を伸ばし続けています。

キングダムのあらすじ

漫画キングダムの舞台となるのが春秋戦国時代末期の中華大陸です。春秋戦国時代末期は7つの国が戦争を繰り返していた時代であり、日々民衆たちは戦乱の炎に苦しめられていました。そんな時代に信という少年が天下の大将軍を志して立ち上がります。信は戦争孤児の少年であり、同じ孤児である漂と大将軍になるため修行を繰り返していました。しかしある日、漂は秦の始皇帝の身代りとなって若くして最期を遂げてしまいます。

信は漂を最期に追いやった秦の始皇帝に恨みを抱くのですが、最期に漂が残した想いを胸に、後の秦の始皇帝である嬴政と協力することにします。これにより信は秦軍の兵士として戦乱の大地に立ち、天下の大将軍になるため成長していくことになります。漫画キングダムは実際の歴史を題材にして制作された漫画作品であり、仲間との絆やバトルを描いた他の漫画とは違い、中国の歴史の面白さを知れる作品となっています。

昌文君は本名が不明で謎が多い人物

漫画キングダムにおいて、後の始皇帝である嬴政の筆頭家臣を務める熟練の将軍昌文君。昌文君は漫画キングダムの作中において、秦王派を立ちあげて左丞相に上り詰めたり、昌平君と協力して咸陽攻防戦に参加するなど数々の活躍をしています。では史実での昌文君はどういった活躍をした人物だったのでしょうか。史実において昌文君は後の始皇帝嬴政に昌文君の名を貰い、昌平君と共に嫪アイの乱を鎮圧する功績を挙げました。

実は嫪アイは秦国の政治家の中で最高職である相国を務める呂不韋の息子であり、呂不韋は相国の座を追われてしまいます。そして昌文君は嫪アイの乱を鎮圧したことで左丞相に任じられます。しかし昌文君は史実で嫪アイの乱を鎮圧しただけであり、その後の活躍や最期などは一切不明となっています。また本当の名前も羋顛かもしれないといわれているだけで不明となっており、当時の中でも特に謎の多い人物といわれています。

映画「キングダム」公式サイト

昌文君が始皇帝を裏切ったという噂

昌文君の裏切りの噂は間違い?

本当の名前や最期など史実での謎が非常に多い昌文君は漫画キングダムで活躍するようになってからとある噂が浮上するようになりました。それは昌文君が秦の始皇帝を裏切り、反逆行為を行ったという噂です。昌文君は漫画キングダムの作中で秦の始皇帝のために多大な功績を挙げ、史実でも秦国を揺るがした嫪アイの乱を鎮圧する活躍をしています。では本当にそんな昌文君が秦の始皇帝に対して裏切り行為を働いたのでしょうか。

上述でご紹介した通り、昌文君の史実は非常に謎が多く、最期さえも不明瞭のままとなっています。もし秦の始皇帝に対して裏切り行為を働いたのであれば、史実に細かく記載されるはずです。しかし昌文君の史実では秦の始皇帝を裏切り、反逆したという記述が一切されていません。そうこの秦の始皇帝への裏切りに関する噂は完全に間違いであり、漫画キングダムと同じく昌文君は史実で最期まで秦の始皇帝に裏切りを働いていません。

始皇帝を裏切ったのは昌平君

昌文君が秦の始皇帝に裏切り行為を働いたという噂は間違いであることが分かったのですが、ではなぜ裏切り行為を働いたという噂が浮上することになったのでしょうか。それは昌平君が深く関係しています。昌平君は昌文君と共に嫪アイの乱を鎮圧したことで秦の右丞相に就任した実在の人物です。実はこの昌平君こそが秦の始皇帝に裏切り行為を働いた張本人なのです。この裏切りには昌平君の生まれと秦国の対応が大きく関係しています。

昌平君は秦の敵国である楚国の孝烈王の息子であり、本当は楚国の王族的立場にありました。しかし昌平君は昌文君と同じく幼い頃に秦国へ行くこととなり、そこで昌平君は嫪アイの乱を治めたことで右丞相の座に就きます。その後昌平君は右丞相として秦国に仕えたのですが、紀元前226年に将軍王翦が罷免されてしまい、昌平君は秦の始皇帝に逆らってしまいました。始皇帝はこれに激怒し、昌平君を右丞相から罷免してしまいます。

その後始皇帝は韓王安が楚国の都があった場所で起こした反乱を鎮圧するのですが、楚国の昔の民衆が混乱してしまう事態が発生してしまいます。罷免された昌平君は楚国の出身であることから民を鎮めよと始皇帝から命令されることになります。しかし秦国の李信将軍と蒙恬将軍が楚国の首都である郢に攻撃を開始したため、昌平君が民の混乱を治めていた場所で反乱が起こってしまいます。

一方楚国は呆気なく李信と蒙恬の前に敗れ、楚国は滅亡してしまうことになりました。楚国を滅ぼされ、始皇帝から重用されなくなった昌平君は楚国の大将軍である項燕と協力し、淮南の地で秦の始皇帝に裏切りを働いて反旗を翻します。しかし秦国は大陸一の強国となっており、昌平君は王翦と蒙武に敗れて最期を遂げました。おそらく反乱を起こした昌平君と昌文君の名前が似ていることから間違った噂が浮上したと考えられます。

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昌文君の最期や謎を考察

考察①昌文君の死が昌平君を出奔させた?

秦国の左丞相として秦の始皇帝を支えたとされる昌文君にはその謎に包まれた最期にも注目が集まっています。昌文君は史実において、山に入って最期を遂げたとされています。しかし昌文君がなぜ山に入って最期を遂げたか不明となっており、それ以前に何をしていたかも全く不明の状態となっています。昌文君が山で最期を遂げた後、漫画キングダムの主人公である李信は楚国を侵略し、楚国を滅ぼしてしまいます。

このことが引き金となり、秦国の右丞相である昌平君は始皇帝を裏切って出奔し、楚国の項燕将軍と共に反乱を起こすことになります。この時、後の秦の始皇帝である嬴政は暴走してしまったといわれており、最終的に嬴政は統一した秦国で悪政を敷きます。もしこの時、昌文君が同じ楚国出身である昌平君と未来の秦国を予想して相談していたとすれば、昌文君が最期を遂げた後に昌平君が裏切ったことも裏付けます。

考察②伯夷叔斉の生き方

ではここからは謎に包まれた昌文君の最期について詳しく考察していきます。史実で山にこもり、最期を遂げた昌文君。実は中国史の中に昌文君と同じく山に入って最期を遂げた人物がいます。それは伯夷と叔斉という殷時代と周時代の間あたりに実在したとされる2人の兄弟です。この時代、殷の王である紂王という人物は色欲に溺れて暗愚と化しており、後に周王国を設立する武王という人物が紂王を殺害しようと企みます。

その時伯夷と叔斉の兄弟はいかなる理由があっても君主を殺すことはいけないと武王に進言します。周囲の人間達は暗君である紂王を殺害することに反対する伯夷と叔斉に不満を抱くのですが、天才軍師である太公望が2人を義の人であると評します。その後伯夷と叔斉は君主を殺して出来た周王朝を嫌い、山へ籠ってしまいます。そして伯夷と叔斉は世界に対して絶望し、失意の中山の中で餓死して最期を遂げてしまいます。

考察③介子推は焼死?

昌文君と同じく山に籠って死亡した人物の中には介子推という者もいます。この介子推という人物は放浪していたとされる後の晋王朝の王文公の家来といわれています。文公は放浪の末、晋王朝の国王へと即位します。この時、晋の政治家である狐偃という人物が褒美をたくさんもらうために自分を謙遜するという行動に出ます。介子推は非常に真面目な性格をした人物だったらしく、狐偃の行動を許すことが出来ませんでした。

そして介子推は欲に溺れた狐偃とそんな狐偃を用いる晋の文公に嫌気が差してしまい、伯夷と叔斉の兄弟と同じく山に籠ってしまうことになります。その後文公は介子推に対して褒美を与えようと考え、山から出させるために火を放ってしまいます。文公は介子推が山から出ると考えたのですが、介子推は母親と共に山で焼け死んでしまいます。そして介子推は自身の君主と世の中に絶望しながら、この世を去ることになりました。

考察④昌文君は餓死?

古代中国において、山に籠るという行為はこの世の中を捨てることと同意語でした。中国の後漢時代では張角が山に入って仙人と出会い、妖術を会得して黄巾党の乱を引き起こしました。この時張角は民を苦しめる後漢の時代に絶望しきっていました。これは山で餓死した伯夷・叔斉の兄弟と焼死した介子推も同じです。では秦国の右丞相である昌文君はなぜ山に籠って最期を遂げることになったのでしょうか。

伯夷・叔斉の兄弟と介子推を見ると、おそらく昌文君は秦国に嫌気が差して山へ籠ったのではないでしょうか。伯夷・叔斉は山に籠った後、周王朝から送られる食べ物を一切食べなかったことが原因で餓死しました。昌文君もそれと同じく秦国からの食事を断り、そのまま山で餓死してしまったのではないでしょうか。実際の所は全く不明なのですが、過去の前例を見るとこの説はかなり可能性が高いといっていいでしょう。

考察⑤李牧が死んで暴走する?

後の始皇帝である嬴政は趙国の佞臣である郭開を買収し、趙国の将軍である李牧を排除します。李牧を失った趙国にもはや名将と呼べる存在は無く、瞬く間に秦国は趙国を滅ぼしてしまいます。趙国が滅亡したことで残るは弱小国のみとなりました。そして嬴政がトップに立つ秦国は次々と国を滅ぼしていき、天下を統一することになります。天下を統一したことで嬴政は皇帝へと即位し、始皇帝と名乗ることになりました。

しかし嬴政は李牧を排除して趙国を滅亡させてから余裕が出来たことで性格が変わったと考察されており、始皇帝となった嬴政は権力欲に溺れてしまうことになります。確かに嬴政こと秦の始皇帝は道路の整備や通貨の統一化など国を一気に繁栄させる政策を執っています。しかし一方で始皇帝は兵馬俑と呼ばれる巨大な自分の墓を作ったり、外国からの侵入を防ぐために万里の長城を建造したりするなど国民を苦しめてしまうことになります。

これにより始皇帝が死亡した後、中国を支配した秦国は国民の大反乱で一瞬のうちに滅びてしまうことになります。この国民を苦しめる悪政を敷いたことで始皇帝は暴虐の皇帝と評価されています。そんな暴走していく始皇帝を昌文君が見れば幻滅するはずです。昌文君はおそらく暴走する始皇帝こと嬴政に嫌気が差してしまい、山に籠って餓死してしまったのではないでしょうか。

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昌文君は史実でも実在する?

史実①元々は楚の国の王族

漫画キングダムに登場する昌文君は上述で何度もご紹介した通り史実に実在した人物です。史実に実在した昌文君とは領地を保有している者の階級を表した名前であり、本当の名前ではありません。あの合従軍を率いた楚国の将軍春申君には黄歇という名前があり、趙国の武安君の名前はあの名将李牧です。昌文君にも本当の名前があるはずなのですが、史実においてその名前は不明瞭であり、本当の名前は不明となっています。

ではそんな昌文君はどこで生まれたのでしょうか。昌文君は秦国ではなく、紀元前270年代に楚国で誕生しました。実は昌文君は楚国の王である頃襄王の公子であるといわれており、元々は王族であったことが判明しています。楚国の王族であることから昌文君は一時期、楚の国民から楚国の王にしようとされていました。しかし昌文君は紀元前226年に山に籠って死去してしまい、楚の王様にさせるという国民の願いは叶いませんでした。

史実②昌平君と昌文君は人質に?

では楚国の王族である昌文君がなぜ秦国で丞相となることになったのでしょうか。それは昌文君の過去に大きく関係しています。時は紀元前274年、秦国は韓と魏と協力して楚国を攻撃しようとしました。その時春申君が当時の秦国の王である昭襄王に韓と魏が漁夫の利を狙って攻めてくると説き、秦国と楚国は同盟を結ぶことになります。しかし楚国の昭襄王は人質として太子の完を要求し、春申君はお付きとして秦国に入ります。

その後紀元前264年に楚国の王である頃襄王が病で死亡してしまいました。春申君は王にするべく太子完を楚国に帰そうと考えます。そこで春申君は庶民に変装させて太子完を楚国へ帰すことにしました。太子完は無事楚国に帰って孝烈王となるのですが、逃がしたことに気付いた昭襄王は春申君に激怒してしまいます。すると秦国の宰相である范雎が春申君に助け船を出し、昭襄王は春申君に許されることになりました。

しかし昭襄王は太子完の代わりとなる人質を楚国に要求します。この時に人質となったのが楚国の王族である昌文君と昌平君であり、2人は春申君の行動によって秦国に入ることになったのです。昭襄王は昌文君と昌平君が人質となったことで満足し、楚国と同盟を結ぶことになります。そして昌文君と昌平君は秦国で生活を送ることになり、後々2人は秦国にとってなくてはならない存在へと成長していくことになったのです。

史実③最高位の大臣まで出世

昌文君と昌平君が秦国に入った数年後の紀元前238年、秦国の最高位である相国を担当している呂不韋と嬴政の母との間に出来た子供である嫪アイが反乱を起こす事件が発生します。呂不韋は密かに息子である嫪アイを使い、国を牛耳ろうと画策していたのです。そこで成長した昌文君と昌平君が立ち上がります。昌文君と昌平君はすぐに嫪アイの反乱に対処し、嫪アイの反乱は無事2人の力があって鎮圧されることになりました。

嫪アイの反乱を鎮圧した功績は大きく、昌文君はその功績で左丞相の階級を授けられることになりました。一方嫪アイの反乱を鎮圧した昌平君は左丞相の階級を授けられることになります。そして反乱の元凶である呂不韋は相国の立場を奪われることになり、王宮から遠ざけられました。丞相という階級は秦国の政治家の中で最高位とされており、昌文君と昌平君は秦国を代表する政治家として嬴政を補佐することになりました。

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昌文君のアニメ声優

仲野裕のプロフィール

アニメキングダムで昌文君の声優を担当したのは日本の声優兼俳優の仲野裕です。仲野裕は1951年の1月10日に神奈川県で生まれた声優であり、2019年10月現在懸樋プロダクションに所属して活動しています。仲野裕は1977年から舞台俳優としてデビューを飾り、特撮やテレビドラマなどで俳優として出演しています。また仲野裕は舞台俳優としてデビューした同年の1977年に声優デビューも飾りました。

仲野裕は悪役や中年役など様々な役どころをこなす高い演技力を持った声優であり、これまで多数のアニメ作品で個性豊かなキャラクターを演じています。また俳優として活動していたことから仲野裕は映画の吹き替え声優として活動しており、ジョン・スラッテリーやジェームズ・ウッズの吹き替えを担当しています。

仲野裕の主な出演作品

  • 2002年のアニメ攻殻機動隊STAND ALONE COMPLEX:イシカワ役
  • 2006年のアニメナルト:海鮮アガリ役
  • 2008年のアニメ黒執事:ヘンリー・バリモア役
  • 2008年のアニメとある魔術の禁書目録:カエル医者役
  • 2011年のアニメ灼眼のシャナ:センターヒル役

  • 2012年のアニメ聖闘士星矢Ω:ミケーネ役
  • 2013年のアニメアイカツ!:黒崎監督役
  • 2016年のアニメドリフターズ:山口多聞役
  • 2018年のアニメつくもがみ貸します:月夜見役
  • 2019年のアニメ盾の勇者の成り上がり:オルトクレイ=メルロマルク32世役

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昌文君に関する感想や評価

漫画キングダムに登場する昌文君は非常に渋くてかっこいいキャラクターとして描かれています。史実でどのような容姿をしていたかは不明なのですが、漫画キングダムではそのかっこよさから多くの人気を集めているキャラクターです。そんな漫画キングダムの昌文君に関する感想では渋さがかっこいいといった感想が非常に多く寄せられていました。

嬴政は秦の始皇帝になるまでに昌文君や王騎など多数の臣下を失ってしまいます。さらに昌平君は秦国を裏切ることになり、嬴政の元に信頼できるのは李信など一部の人間のみとなってしまいました。始皇帝が晩年に暴君となってしまったのは多数の仲間を失った悲しみも原因になっているのではないでしょうか。この説を考える方からは始皇帝に同情する感想が寄せられていました。

漫画キングダムに登場する昌文君に関する感想では昌文君の存在感が強すぎるといった感想も見受けられました。漫画キングダムに登場する昌文君は史実と違って戦などで大活躍しており、漫画キングダムの中でも特に存在感が強いキャラクターとなっています。

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昌文君についてまとめ

本記事では漫画キングダムに登場する昌文君について始皇帝への裏切り疑惑や史実の姿などをまとめてご紹介しました。始皇帝を裏切ったのは昌平君であり、昌文君は最期まで始皇帝に忠誠を誓っていました。しかし漫画キングダムと違って昌文君は史実であまり活躍が残っておらず、多くの謎に包まれています。それでも昌文君は秦の最高位である丞相に就いていたので、作中と同じく嬴政の右腕であったことは間違いないでしょう。

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