2019年10月04日公開
2019年10月04日更新
【キングダム】秦の昭王はどんな人物?史実でも戦神と言われるほど強かった?
漫画『キングダム』に登場する「昭王」は戦神と呼ばれ、武勇に優れた人物として描かれていました。ただ、「戦神と呼ぶには無理がある」と評価されており、また史実にもそのような記録も残されていないようです。では、なぜ戦神と呼ばれることになったのか?史実では、昭王が抱えた孟嘗君と白起が類い稀な才能を有しており、多大な戦果を挙げていたということが記されており、この二人が影響しているのかもしれません。ここでは、史実を基に昭王はどれほどの強さがあるのか、どのような人物なのかなどを具体的に紹介しています。
秦の昭王はどんな人物?
『キングダム』に登場する「昭王」は戦神と呼ばれていました。史実には戦神と呼ばれるほどの功績が記録されているのでしょうか?ここでは、『キングダム』の簡単な作品情報をはじめ、戦神と呼ばれる理由について、昭王の史実に基づきどのような人物であったのか、またどのような戦をしていたのかなどを含めて紹介していきます。
キングダムの作品情報
キングダムの概要
『キングダム』は原泰久による日本の漫画で、紀元前3世紀の古代中国の春秋戦国時代末期を舞台にした中国時代物語となっています。集英社の『週刊ヤングジャンプ』にて2006年9月から連載され、第17回手塚治虫文化賞の漫画大賞に受賞した作品です。連載からは瞬く間に人気を博し、1~54巻までの単行本発行部数が累計で3800万部以上を記録。そのほか、ラジオドラマの放送やPSP用ゲームの発売など人気ぶりがうかがえます。
キングダムのあらすじ
『キングダム』のあらすじでは、後の始皇帝となる秦王政と秦の武人である主人公を中心に展開されています。時代は紀元前、500年の争乱が続く「春秋戦国時代」で、中国における大国「秦」に「漂(ひょう)」と「信(しん)」という戦災孤児がいました。この二人は天下の代将軍を夢見て修行に明け暮れ、ついに漂は秦国大臣である昌文君に才能を見いだされ士官します。しかし、漂は深手を負って信の元で戻ってきてしまいました。
そして、深手を負った漂は息絶えますが、漂は命を懸けて信に紙を託していました。信は漂の望みに応えるべく紙に書いてあった場所を訪れ、そこで漂と瓜二つの少年を目の当たりにします。その少年こそが秦国第31代目大王・政でした。漂が息絶えた原因ともなった政に激怒する信でしたが、自らに託された漂の思いのため、乱世の天下に身を投じることになりました…
秦の昭王は戦神と呼ばれる人物
古代中国の大国「秦」の王であった人物に昭襄王がいます。始皇帝の曽祖父であり、「昭王」とも呼ばれています。『キングダム』では、「戦神」と呼ばれており、戦において類稀な力を有していたと言われています。しかし、史実を見るところ、戦神と呼ばれるほどの記録は残されていないようです。では、なぜ戦神と呼ばれるようになったのか?その理由を史実に基づいて紐解いていきます。
秦の昭王は史実でも戦神と言われるほど強かった?
史実①秦王に即位
史実によると昭王は「秦王」に即位したようです。即位した際は戦国七雄の一国である燕で人質として生活していたのですが、その時に秦王である武王が力比べをして脛骨を折り、亡くなってしまいました。彼には子供がおらず後継者として秦王を誰に継がせるのか、その問題を解決すべく前王侯であった恵文王(けいぶんおう)の兄弟が立ち上がり、後継者争いが勃発しました。ここで争いを制したのが、昭王でした。
もちろん前皇帝の兄弟が相手なので、秦の有力者たちは皆兄弟のほうに味方していました。しかし、恵文王の妻である宣太后(せんたいごう)の甥にあたる魏冄が昭王に味方したことで、昭王は秦王に即位することができたのです。
史実②能臣達
昭王は秦王に即位したものの、まだ若かったためか政治というものが分かっていませんでした。そこで、前皇帝である武王に仕えていた能臣達が昭王を支えることになります。その能臣達が樗里疾(ちょうりしつ)と甘茂(かんも)の二人でした。しかし、宰相(大臣のような役職)を務めていた甘茂が斉へ逃亡してしまいます。というのも、昭王の側近達が甘茂に諫言していたからです。
昭王は甘茂を呼び戻そうと高位を与えましたが、結局甘茂は秦に戻ってくることがありませんでした。このようにして宰相を失ったわけですが、この中でも政権内で次第に力を増していた人物が宣太后の甥でした。
史実③魏冄登場
出典: http://indo.to
甘茂は宰相という立場にあったので、当然ながら秦国内はおおいに揺らぎ始めました。その状況に乗じて、秦の皇帝に昭王が就いていることに不満を漏らした公子たちが結集。ついに反乱を起こす事態となってしまいます。
この反乱を鎮圧したのが、宣太后の甥であり昭王を王位に即位させた魏冄でした。彼の反乱鎮圧の手際の良さが高く評価され、昭王の摂政(幼帝・女帝に代わって全ての政務をとる職)に任命されたことで、彼は最大の勢力として力を振るうことになります。
史実④楚との同盟
事態が収束し、早速昭王は以前からの仇敵同士であった楚と会盟することにしました。結果的に秦がかつて奪った土地を楚に返すことで盟約が結ばれることになりました。しかし、東の超大国である斉と魏は、秦と楚が同盟を結ぶことをよく思っておらず、魏は秦と楚に攻撃を始めます。そこで、楚は二つの国からの攻撃を防ぐため、秦に援軍を要請します。
このとき、楚王は自らの息子を人質として秦に向かわせています。しかし、楚の太子は秦国に入ると同時に昭王の配下の者を殺害し、楚へ逃げかえりました。この事態に気付いた昭王は楚との同盟を破棄し、楚へ攻撃を仕掛けます。この攻撃が連年続き、さらに楚の城までも奪い続けたことで、次第に楚の国力は減少していくことになります。
史実⑤昭王の謀略
「昭王の謀略」は戦人と呼ばれるゆえんなのかもしれません。昭王は楚王が毎年の攻撃により危機状態に陥っていたことにつけ込み、あることを思いつきます。秦の出入り口である武関(ぶかん)に楚王を呼び寄せ、再び同盟を組まないかと申し入れます。喜んで受け入れた楚王でしたが、秦の国に入ると同時に武関を封鎖されてしまい、外へ出ることができなくなりました。そして、秦の首都である咸陽(かんよう)へ連行されました。
しかし、なぜか楚王は咸陽に到着する前に病死。これも昭王の謀略で、これで楚への復讐を果たした昭王は満足し、国力は他国と決定的な差をつけることとなりました。
史実⑥連合軍の秦への侵攻
昭王には尊敬している人物がいました。その尊敬してい人物というのが戦国四君の一人と言われる「孟嘗君(もうしょうくん)」。昭王は孟嘗君に憧れを抱き続けており、いつかは会ってみたいと考えていました。そこで、斉にいる孟嘗君を秦に来てもらうため、自分の弟を斉へ人質に出し、その引き換えとして孟嘗君に来客をお願いします。孟嘗君は昭王の熱意に負けて秦へ向かおうとしますが、斎王の家臣による反対で秦へ向かうことを断念します。
しかし、斉の緡王(びんおう)は孟嘗君を苦手としていたため、秦へ孟嘗君を向かわせることにしました。結局、孟嘗君は秦へ出向くことになり、昭王は喜び彼を函谷関(かんこくかん)まで出向き迎えることになりました。こうして、昭王は孟嘗君を秦の宰相へと任命し、秦の国政を預けることになりました。
昭王は孟嘗君と話しをするなどをして孟嘗君に時間を割いていましたが、そんな中で家臣達による孟嘗君への悪口が増えていきます。当初は聞く耳を持たなかった昭王でしたが、毎日悪口や噂を聞いていた彼もやがて孟嘗君を信じきれなくなっていました。そこで彼の家臣が「孟嘗君が斉の人間であるから、秦の宰相に任命しても斉の有利なほうへ事をもっていく」と進言したことで、ついに昭王は孟嘗君の殺害計画を立て始めることとなりました。
昭王は孟嘗君の殺害計画を練り実行に移りますが、一方で孟嘗君は食客から殺害計画を聞いており、急いで逃亡をはかりました。孟嘗君は難なく秦国からの逃亡に成功。ちなみに、この時の逃亡の史実にちなんで、「鶏鳴狗盗(けいめいくとう)」といったことわざも現在に残っています。この殺害計画に失敗したことで、大変な事態へと発展することとなりました。逃げ延びた孟嘗君は斉に帰り、魏と韓へ使者を発します。
すると魏と韓は孟嘗君の誘いに乗ることとなりました。こうして斉・魏・韓が連合国となり、それぞれの国の軍勢が秦の函谷関へと攻撃を仕掛けました。この事態を知った昭王は対抗すべく大軍を派遣して防衛に向かわせましたが、孟嘗君の卓抜した指揮が功を成し函谷関は陥落してしまいます。そこで、昭王は連合軍に土地を分け与えることによって和陸することになりました。
史実⑦楼緩は秦の宰相へ
この時、楼緩(ろうかん)と呼ばれる人物は趙の武霊王から派遣されており、秦の宰相へ任命されました。これは楼緩の功績によるものではなく、ただ秦が趙よりも優位な立場になるためだったのです。しかし、楼緩は武霊王から戻るように命令されたことで、秦の宰相を辞して趙へと帰っていきました。こうして再び宰相がいなくなったのですが、この時に宰相へ任命されたのが、魏冄でした。
史実⑧名将の登用
宰相に就任した魏冄はすぐに富国強兵策を推進し、これによって秦の国力は増大させることに成功しました。それに伴い、近隣諸国へと戦を仕掛けていき、数々の勝利を挙げていきます。ただ、昭王はこの時に政治にはほとんど口出ししておらず、魏冄のやり方を追認していくだけだったので、戦神と呼ばれるにはふさわしくないかもしれません。こうして実権を駆使していく魏冄。そのさいに1人の名将を見出します。
その人物が白起(はくき)。魏冄は早速白起を昭王に推薦し、昭王はこれに応えて白起に爵位を与えることにしました。爵位を与えられたことによって、白起は歴史の表舞台に姿を現すことになります。
史実⑨白起乱舞
史実のタイトルは「白起乱舞」。白起は早速軍功を重ねていき表舞台で目立つようになりました。そして、白起は伊闕(いけつ)の地で秦を悩ませていた魏と韓の連合軍を撃破。昭王はこの勝利を大いに喜び、白起を軍の司令官に任命しました。早速白起は司令官になったと同時に魏への攻撃を立て続けにおこない、計60以上の城を奪う大戦果を挙げることに成功しました。
その後も白起の士気は衰えることなく、魏・楚・斉の国を攻撃し、これもまた多大な戦果を挙げることに成功しています。白起の大活躍によって秦は戦国最大の勢力を誇ることになり、他の国も手出しできない状態になっていました。史実を見る限り、むしろ昭王よりも白起が戦神と呼ぶに等しい人物なのかもしれません。昭王はこの凄まじいまでの戦果を高く評価、白起に武安君(ぶあんくん)と称し、白起に領地を与えました。
史実⑩宰相の交代
白起の活躍が際立っているのですが、実は魏冄自らも軍を指揮して絶大な勲功を挙げていました。そのため、魏冄は王侯をしのぐほどの勢力を手にしており、また魏冄自身の情勢を守るために他国の人間が秦へ入らないようにしています。しかし、これほど秦の権力を強大なものにしてきた魏冄ですが、1人の人物が秦にやってきたことで終焉を迎えてしまいます。その人物が范雎(はんしょ)。
彼は秦国に来た当初は登用されたことがなく、何事もない生活を送っていたようです。しかし、一通の手紙を昭王に送ったことで生活は一変します。范雎は昭王が「名君は能力ある人材はすぐに登用し、功績ある者には褒美を多く与える」ということを言っていたのを知っており、自分が登用されないのは能力がないと思われているからなのか?といった手紙を昭王に送り届けているのです。
これによって、昭王は急ぎ范雎を呼び寄せて謁見します。そこで范雎の類い稀な才能を見抜き、彼を登用することに決めました。そして、宰相である魏冄を自らの領地へと移るように命令し、魏冄は秦の位を追われることとなりました。この時に宰相の地位を交代したのが范雎になります。
秦の昭王の性格
性格①後悔しやすい?
史実では昭王が孟嘗君の殺害計画を立てたことから、孟嘗君が斉に帰っていきました。それによって魏・斉・韓の連合軍が函谷関を破ってしまうのですが、この時が昭王の性格がうかがえる場面です。昭王は土地を割いて講和しようか悩んでいるのですが、下記のように公子他とのやり取りが残されています。
公子他「講和されてもされなくても後悔されましょう。」
昭襄王「どうしてか。」
公子他「河東の地を割いて三国の兵が引き揚げれば、きっと『惜しいことをした。三国が引き揚げようとしたところへ、河東をくれてやるとは。』とおっしゃるでしょう。その反対に、講和されなければ咸陽は危うくなり、きっと『惜しいことをした。 たった河東の地三県を惜しんだばかりに大敗した。』とおっしゃるでしょう。」
結局、史実では土地を割くことになったのですが、このやり取りから見ると昭王の性格が「後悔しやすい性格」であることが分かります。また、優柔不断なところもあったことがうかがえます。
性格②秦が強大になるにつれて傲慢に?
昭王は、秦国が兄弟になるにつれて傲慢になったようです。「賢人と呼ばれた孟嘗君がいててもわしをどうすることもできなかった。」と言っており、結局部下からは「魏・韓・趙には力があり、油断していると足元をすくわれます」と言われてしまいました。この話を聞いてようやく魏・韓・趙を恐れるようになったようですが、部下の話を聞くのは立派であるものの、性格としては傲慢になりやすいと言えるかもしれません。
秦の昭王が失った二人の天才
二人の天才①孟嘗君
秦と互角の勢力を持った国に斉というのがありましたが、その斉に属していたのがもう孟嘗君です。史実では昭王が憧れた人物として登場していますが、彼は戦国四君と呼ばれる名将で、魏の信綾君と楚の春申君、趙の平原君の三人に並ぶ1人となっています。またその中でも最も優秀な人物なのではないか、ともいわれるほどです。先に説明したとおり、孟嘗君を信用できず失うことになりますが、孟嘗君は結局斉国を去って魏国へ亡命しています。
ただ、孟嘗君を失った斉は名将「楽毅」に攻められて滅亡寸前まで追い詰められているので、孟嘗君が多大な影響力を有しているのがうかがえます。
二人の天才②白起
『キングダム』では六大将軍という名称たちが登場し、その筆頭を担うのが「白起」でした。六大将軍というのは『キングダム』のみで使われる架空の位ですが、多大な功績を残した白起は史上最高レベルの名将であると言われています。まさしく戦神と呼べるでしょう。史実ではお伝えしていませんでしたが、実はこの白起も范雎から追い込まれることになります。
魏冄から宰相の実権が范雎の手に渡った後、白起は范雎から危険視されていました。というのも、范雎は多大な戦績を残すほどの活躍を妬んだからのようです。そこで、白起にこれ以上の活躍をさせないため、范雎は昭王に軍の撤退を勧めます。人の意見を聞きすぎる弱点がある昭王なのですが、趙国の首都「邯鄲(かんたん)」が陥落寸前にもかかわらず白起に撤退を命令してしまいました。
当然ながら筋が通らない命令に白起は激怒。これによって、白起は昭王からの出撃命令を「仮病」で断り続けることになりました。このような態度をする白起に対し、ついに昭王は白起に自殺を命令します。多大な功績を残してきたにもかかわらず…。情緒的な人物のか、元々魏冄が見つけてきた人材だったため昭王には思い入れがなかったのかもしれません。結局、白起はこの命令によって亡くなってしまいました。
秦の昭王のアニメ声優
金尾哲夫のプロフィール
- 本名:金尾哲夫(かなおてつお)
- 生年月日:1950年9月29日
- 出身地:東京都
- 出身大学:慶應義塾大学商学部卒
- 職業:声優、俳優
- ジャンル:テレビドラマ、舞台、アニメ、映画、吹き替え
- 所属劇団:劇団昴
慶応義塾大学商学部を卒業したのち、研究生として劇団雲に所属していました。その後1997年から現在(2019年10月時点)まで所属しています。所属後は俳優としてテレビドラマや舞台を中心に活動しており、30代から声優としても活動。声優としては悪役を務めることが多いようなのですが、本人は「演じていて楽しい」と語っており、『仮面ライダービルド』で演じたブラッドスタークのようなひねくれた悪役を好んでいるようです。
金尾哲夫の主な出演作品
金尾哲夫の主な出演作品は以下のとおりです。
【テレビドラマ】
- 鉄道公安官第25話「誘拐特急・ママ、早く来て!」(1979年~)
- 峠の群像:宮一郎左衛門役(1982年)
- 高橋英樹の船長シリーズ2「瀬戸内おんな殺人行」(1989)
- 再会(2012年)
【テレビアニメ】
- まんが日本絵巻:武将、使者役(1978年)
- ルパン三世:警備隊、警官(1978年)
- 幽☆霊☆白書:武威(1993年)
- 金色のガッシュベル!!:リュック(2003年)
- キングダム:昭王(2012年)
- 進撃の巨人:ケニーの祖父(2018年)
秦の昭王に関する感想や評価
ゆっくりキングダム考察動画です。秦の昭王を戦神にするのは無理があると思ったので動画にしました。#キングダム #秦の昭王 #春秋戦国時代https://t.co/fFIJNkblHP
— 【ゆっくり歴史解説&ブログのれーし】 (@kurosimachan51) June 27, 2019
昭王が戦神と呼ばれる理由に関する感想です。感想では、昭王を戦神にするのには無理があると言われており、その理由を考察したようです。確かに、昭王自身が戦いにおいて優れているのではなく、昭王には孟嘗君と白起の戦果が背景にあったため、戦神と呼ばれるようになったのかもしれません。
キングダムの昭王(昭襄王)のあたりは、いろいろと違和感を感じるなぁ・・・戦神といってもね・・・
— あかさた (@akasata) August 7, 2009
こちらも昭王が戦神と呼ばれる理由についての感想です。キングダムで登場した昭王あたりの展開では違和感を感じているようで、「戦神といってもね…」と最後に言われています。これには戦神と呼ばれるにふさわしくないのではないか?といった疑問を抱いているのがうかがえます。
熱き血潮 渦巻く戦いを求めて!!あんたなら分かるでしょォ?呂商の秦になってから、戦争は恐ろしくつまらないものになったわ!!昭王の時代が、懐かしくて、たまらないわねェ。
— 王騎 (@sin_kaityou_16) October 4, 2019
こちらの感想では昭王の時代が懐かしいと言われています。というのも、昭王亡き後は呂商が秦を治める展開になっていますが、戦争が恐ろしくつまらないからのようです。昭王が戦神と呼ばれるには疑いが残るのですが、それでも昭王が推進する孟嘗君と白起の戦争は凄まじく、物語の展開として面白かったのかもしれません。
秦の昭王についてまとめ
秦の昭王が戦神と呼ばれるほどの人物だったのか、史実や性格、昭王を取り巻く人物から紹介してきましたが、いかがでしたか?職王の史実によると傲慢になりがちで、後悔しやすい性格、さらには優柔不断なところまでうかがえました。
昭王が任命した宰相として優れた功績を残した孟嘗君と魏冄がおり、その魏冄が見出した白起がこれまた逸材だった、ということを考慮するのであれば、ただ昭王が武運に恵まれていたのでは?と思わされるところもあります。ただ、感想にもあったとおり、昭王の時代は戦争において面白い展開だったと言われているので、見ごたえがあります。ぜひ、この機会に昭王のシーンをご覧になってください。