【キングダム】王賁の能力・強さや父との関係は?史実での最期はどうなる?

『キングダム』に登場する王賁は主人公・信のライバル関係にあり、信と同じく名言からは高いプライドと出世に対する強い執着が顕著に表れていました。また、負傷している状態にもかかわらず、稽古を怠らないことから努力家でもあることがうかがえます。そして努力が実り、三百人隊を率いる隊長から千人将に抜擢され、異例の出世を果たしました。ここでは、なぜ王賁がそれほどの能力・強さを身に着けるようになったのか、それに関係する父親を含めて理由に迫ります。また、史実での最期を紹介し王賁の今後を予想しているので必見です。

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目次

  1. 王賁とは?
  2. 王賁の能力や強さ
  3. 王賁と父の関係や最期
  4. 王賁の史実での最期や死亡
  5. 王賁のかっこいい名言集
  6. 王賁に関する感想や評価
  7. 王賁の能力や強さまとめ

王賁とは?

『キングダム』に登場する王賁は、主人公である信と同じ大将軍を夢見ており、信とはライバル関係にあります。王賁が残した多くの名言は「プライドが高い」ということを顕著に表しており、その性格は父親である王翦から影響を受けたものである可能性が高いです。それでは、『キングダム』の簡単な作品情報を紹介しつつ、王賁の性格、史実上の活躍などを明らかにしていき、王賁の能力や強さに迫っていきます。

キングダムの作品情報

キングダムの概要

原泰久による日本の漫画『キングダム』。2006年9号から『週刊ヤングジャンプ』にて連載されており、その後第17回手塚治虫文化賞のマンガ大賞に受賞しました。累計で3800万部以上、単行本の数は1~54巻までが刊行されています。

2008年には『VOMIC』にて全8回のラジオドラマが放送、そしてNHK BSプレミアムで2011年11月からテレビアニメの放送が発表されており、2012年6月から2013年にかけて第1シリーズ、2013年6月から1014年3月にかけて第2シリーズが放送されました。

キングダムのあらすじ

ここでは『キングダム』のあらすじを紹介していきます。あらすじは紀元前3世紀の古代中国を舞台としており、その時代は春秋戦国時代でした。その後の始皇帝となる秦王政、そして秦の武人である主人公・信が大将軍になる夢を叶えるため、さまざまな活躍を描きながら物語が展開していきます。ちなみに主人公・信ですが、のちの秦の大将軍だということがあらかじめ明かされています。

王賁はどんな人物?

『キングダム』に登場する王賁(おうほん)は「信とライバル関係でプライドが高い」という特徴明らかになっています。秦国の中で王賁とライバル関係にある信ですが、彼は物語の主人公で、大将軍になる夢を見ています。そのため、本作では王賁と信が出世のライバルとして張り合うシーンが多く描かれていました。

そしてプライドが高いというのは、王賁が最強の武将として名高い父「王翦」の息子だからであり、簡単なことでは決して心が折れるようなことはありません。

王賁の性格

王賁の性格は以下のとおりです。

  • プライドが高い
  • 努力家
  • 不愛想
  • 不器用
  • 堅物
  • 真面目
  • 出世欲が強い

王賁は作中で頻繁に登場することがありませんが、上記の性格は彼の言動からピックアップしたものです。最強武将と称される王翦を父に持ち、エリート特有の選民意識の持ち主かと思われますが、実際は才能を最大限に伸ばす努力まで欠かさずにおこなっていることから、王賁は努力家だということがうかがえます。また、王賁の修行や人への接し方を見ると、真面目で堅物であることが読み取れ、少々不器用なところもあるといえるでしょう。

王賁と李信との関係

『キングダム』に登場する信は、史実で「季信」とされています。そして、王賁は史実によれば燕と代、斉の滅亡に関して季信とともに行動しているのですが、『キングダム』における斉の建王は既に降伏しています。それから考えると、作中で王賁と信がともに戦うのは燕と代ということになるでしょう。代とは、趙滅亡によって太子嘉が逃げ延び、逃げた先で新たに作った国です。

王賁の史実上の活躍

王翦とともに燕を滅亡させる

王賁は燕都を父の王翦とともに攻め、燕を滅ぼしています。この燕攻略には王翦が総大将となり、王賁は副将として行われたのでしょう。『キングダム』では王翦が王賁の父親ではないという噂が出ているようですが、史実を確認する限り王翦が正当な父親であることは間違いありません。そして、父である王翦が王賁の実力を認めたのは、燕攻略前の紀元前236年(始皇11年)に起こった鄴(ぎょう)攻めであると考えられます。

王賁が新六将へ

史実における王賁の功績を考慮すると、秦の新六将に位置付けられてもおかしくありません。その契機となったのが魏の滅亡。王賁は、王翦とともに燕を滅亡させたあと、史実的にみるとほぼ魏を滅亡にまで追い詰めており、黄河の水をせき止め、そのあとに魏・大梁を水攻めしています。

そして、水攻めによって大梁の城壁は次々と崩壊してしまい、魏兵の士気は著しい低下を見せたといいます。これほど大規模な作戦をおこなえるのは大将軍ほどの位置にいるといえるでしょう。

王賁と信の活躍

趙の滅亡後は太子の嘉が代国を作り出し、代王の嘉は秦に対抗するため、逃亡した燕王の喜と同盟を結んでいます。そこで、これら代と燕の連合軍を打ち破るため、戦闘指揮をおこなったのが王賁と信でした。

この二人の武将が率いる王鳳隊と飛隊隊の兵の数は十数万の規模になったと考えられます。王賁と信の活躍により、先に燕が滅亡し代がそれに続く滅亡となりました。大規模な兵数と功績を見る限り、王賁と信が既に六大将軍の地位に立っているのは間違いないでしょう。

天下統一を果たす

代の滅亡後、翌年に秦は天下統一を果たしています。そして、王賁と信は蒙恬とともに斉を攻めて斉都の臨淄を包囲、斉・建王を降伏させ最後の敵国を打ち破りました。かつて天下の大将軍を目指した王賁と信と蒙恬、この三人の武将が揃って出陣したことが秦国の天下統一を決定づけたといってもいいでしょう。ちなみに、王賁は通武候に封じられており、その代わりに息子である王離が王家を引き継いでいます。

玉鳳隊のメンバー

王賁が率いる玉鳳隊のメンバーは王賁を含めて8人。そのメンバーは、幼少期の王賁を知っており、現在は副官を務める番陽(ばんよう)、王翦軍から派遣されてきた千人将の関常(かんじょう)、血の気が盛んな騎兵の黒金(こくきん)、関常が勤める千人隊のメンバーである宮康(きゅうこう)と松琢(しょうたく)、玉鳳隊の隊員の張迅(ちょうじん)と張告(ちょうこく)になっています。

キングダム特設サイト|週刊ヤングジャンプ公式サイト

王賁の能力や強さ

『キングダム』に登場する王賁はどのような能力や強さを持っているのでしょうか?はじめは三百人隊を率いる隊長を務めていましたが、「対魏攻略戦」の途中で千人隊に任命されるなど、いきなり3倍以上の兵数を任されるのは異例。ここでは、そんな王賁の能力や強さに迫るため、扱う武器と剣術を紹介していきます。

能力や強さ①武器は槍

王賁の武器は槍で、彼は生まれ持った才能と努力によって槍術は達人の域にまで達しています。それも、誰も王賁の槍術を超えることができないといわれるほどです。

能力や強さ②龍指

槍術の腕は確かなものですが、とりわけ強力なのが修行によって独自に編み出した必殺技「龍指」です。龍指は相手が所見で見極めるのはほぼ不可能だと言われ、それもそのはず、変則的な軌道を描く突き技で、さらに攻撃が当たれば高確率で死に至るというほどの威力を持っているからです。

戦場においてはほぼ無敵の威力を誇っているといえるでしょう。また、王賁は数々の勝利を収めた武将なので、率いる隊も次々と増えているということから、総合的な強さは圧倒的だといえます。

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王賁と父の関係や最期

秦国の中でも1、2を争う実力者でもある王賁。幼いころからエリートの王賁ですが、その陰には並々ならぬ努力が隠されていました。それも重傷を負ったにもかかわらず、槍の稽古を欠かせないという徹底ぶりで、常に上を目指すために努力を怠らないという決意がうかがえます。しかし、なぜそれほどまでの決意に至ったのでしょうか?これには、父親である王翦が影響を与えていると考えられるので、王翦と王賁の関係性に迫ります。

王賁と父・王翦の関係

王賁と父・王翦の関係は物語で深く取り上げられていません。ただ、親子関係は希薄で、父の王翦は王賁とはほとんど会話をしなかったということが分かっています。また、王賁自身も父親に対して複雑な感情を抱いている様子が描かれており、父が幼少期から槍の使い方を教えて周囲を驚かしているところも含めると、それほど関係が良好ではないということが分かります。父と子の関係がどうして難しいものになったのか、理由は分かりません。

ただ、生まれ育った環境が王家だということから、特有のプライドの高さや父の偉業を前にして抱くプレッシャー、嫉妬、憧れなどが影響しているのが想像できます。また、幼少期から槍を教えるなど実務的なところから父の愛情を受けているとは考えられないので、その点に関しても思うところがあるのでしょう。

王翦の最期

王翦は頻陽東郷の人で、秦王政に仕えていたと史記白起王翦列伝に記録されています。漫画『キングダム』においては古くから秦の名門貴族と設定されていますが、史実の王翦は流れ者で、王氏の基盤は王翦が造りました。王翦の最期は紀元前226年に隠居を願い出たときから見えてきます。その際は老齢のために隠居を願い出たのですが、結局秦王政に請われて再登板しました。

そして函谷館にて楚の大軍をせき止め、60万の兵でこれを撃破し、そのまま楚まで攻め込んで楚王を捕らえました。それからは、二世皇帝の時代になる前に最期を迎えたと簡単に触れられています。ただ、王翦は用心深い人です。あえて自分を小者のように見せて秦王政から疑いをもたれないように行動し、ついに暗殺されることなく最期を迎えたと考えられるでしょう。

王離は王翦のせいで死んだ?

王賁の子・王離は王翦の孫にあたります。王離は紀元前219年に武代侯(ぶじょうこう)に封じられたとありますが、父である王賁は通武侯なので、父の封地を継いだわけではないようです。そのため、武代侯は王離の功績によって別の地を領地として与えられたのでしょう。そして、次に王離の名前が出てくるのは、紀元前208年です。このころは、陳勝と呉広が反乱を起こしています。

その際に秦は王離を呼び出して将軍を任せ、名将の章邯(しょうかん)の配下として、鉅鹿城にて龍城戦を展開した反乱軍を包囲しました。その時の包囲によって、反乱軍の援軍は救援も出せず、ただ遠くから見ていただけだと言われているので、完璧な包囲だったことがうかがえます。最終的に楚の項羽(こうう)が章邯の補給線を寸断して秦軍を食糧不足へと追い詰めます。そして食糧不足から秦軍の士気が低下したところで項羽が章邯の本隊を撃破。

秦軍が動揺した隙に秦軍を取り巻いている反乱軍が秦軍に襲い掛かりました。ここで、王離は項羽に捕らえられたと書かれています。それからの王離は行方が分からなくなっていますが、おそらく生き残った可能性は低く、祖父である王翦が項羽の祖父である項燕を自殺に追い込んだことがあり、祖父を殺したに等しい相手が王離、そして身内びいきが激しい項羽の性格を考慮すると王離を助命したとは考えにくいです。

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王賁の史実での最期や死亡

今後の『キングダム』で王賁はいつ最期を迎えることになるのか。はたまた死ぬときの描写はあるのか?これらの疑問を「史記白起王翦列伝」を参考にし、王賁の史実での最期と死亡について紹介して予想を立てていきます。

史実での最期①史記白起王翦列伝の記述

史実における王賁の最期は、史記白起王翦列伝に以下のように記述されています。

秦の二世皇帝の時、王翦とその子の王賁は既に死に、秦はまた蒙氏まで滅ぼしてしまった。

父の王翦と一緒にされた記述ですが、この記述を見る限り王翦と王賁は始皇帝の在世中に死んだことが分かります。もし、王賁が誅殺(ちゅうさつ)されたのであれば、滅ぼしたと記述されるはず。そのため、始皇帝の死後に遺言の改竄(かいざん)によって、権力を握った趙高が行った大粛清を前にして幸いにも安定した最期を迎えたと考えられます。

史実での最期②宿敵により死んだ?

王賁は宿敵により死んだのか?史記白起王翦列伝に以下のような記述があります。

燕王の喜(き)は遼東(りょうとう)に逃げて、王翦は燕の国都の薊(けい,河北省)を平定して帰還した。秦は王翦の子の王賁(おうほん)に命じて荊(けい,楚)を撃たせ、荊軍を破った。秦の始皇帝は既に三晋を滅ぼし、燕王を逃走させ、何度も荊軍(楚軍)を破った。

記述を見る限り、王賁は楚を幾度も撃破しているのが分かります。そして、王翦については紀元前224年に楚王の負芻(ふすう)をとらえており、翌年には昌平君を戦士させ、さらに項燕を自殺に追い込んでいます。そこで、王賁にとって宿敵であることは分かりませんが、楚にとって王賁は宿敵であり、憎悪の対象だと考えられるでしょう。しかし結局、楚は滅ぼされてしまい、王賁と王翦への怨恨は晴らすことができなくなりました。

史実での最期③王騎の死との関連

漫画『キングダム』において王騎は王氏の支流だということになっているので、王騎の死と王賁は何らかの関連があるでしょうか?王騎は馬陽攻略戦において深追いし、罠にはまって絶命しました。しかし、史実によると王翦は流れ者であり、古くから名門ではないことが分かっているので、王騎が王氏の支流であることは漫画の創作だということになります。

一方、史実では王騎のモデルとなるのが王齕(おうこつ)または王騎。彼は王翦が史実に登場するよりも24年前に長平の戦いで活躍しています。つまり、時間的な観点からも王騎との接点はなく、同じ王氏だということだけであくまでも他人だと考えたほうが妥当なのではないかと考えられます。そのため、王騎と王賁の最期は特に接点がないということになるでしょう。

史実での最期④キングダムで王賁の死が描かれる可能性

それでは、漫画『キングダム』で王賁の死が描かれる可能性はあるのでしょうか?その可能性はゼロではありませんが、『キングダム』の秦は天下統一までを描いた漫画で、それに対して史実を見る限り王賁の最期は天下統一後ということになるので、見込みは薄いと考えられます。

また、天下統一は15年という短命に終わっており、もし天下統一後を描くならばどうしても秦が崩壊していく様子を描かなければならず、それは作者と読者にとっては読んでいて面白くなくなるでしょう。

史実での最期⑤王賁の子孫は続いた?

王賁の子孫は、新唐書宰相世系によると王賁の王離には王威と王元という二人の息子がいたと記述されており、二人は秦末の動乱を避けるために山東に移ったようです。その末裔から曹魏の王雄、漢の王吉、王崇、王駿、晋の王導、王敦、王祥、王義氏が出たとされています。ただ、王吉と王離の関係は漢書の王吉伝に触れられていないので、新唐書の情報の信憑性は疑問があるようです。

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王賁のかっこいい名言集

王賁の特徴は「プライドが高く、出世欲が強い」ということでした。それは王賁の言動にも反映されているので、彼のファンからは王賁が残したセリフの多くが名言扱いされているようです。ここでは、王賁のかっこいい名言を厳選して集めているので、ぜひご覧ください。

王賁の名言①「来い 馬南慈秦王の刃として…」

来い 馬南慈秦王の刃として貴様をここに沈めてやる

上記の名言は趙の鄴攻め戦で言い放たれました。右軍三将の1人と言われる馬南慈と対峙する時で、これは信の名言「そして俺はその金剛の剣だ」と酷似しています。また、この名言は王賁が政への忠誠心を示す名シーンでもあります。王賁も信と同じように中華統一への思いを抱いているのが分かり、この名言で王賁のファンになった読者もきっと多いことでしょう。

王賁の名言②「これは…王家の正統な…」

“夢”だ何だと浮ついた話ではない これは王家の正当な跡継ぎとしての この王賁の責務だ

上記の名言は中華一の槍の使い手と言われる紫伯(しはく)との一騎打ちで言い放たれました。苦戦を強いられている王賁でしたが、この時に味方や自身へげきを飛ばし、自らの道を進むためには、大いなる勝利を手にする必要があると語りました。そして決して紫伯にひるむことなく挑み続けます。ついに、上記の名言を残して王賁の槍は紫伯を捉えました。

王賁の名言③「そういう危険をおかし…」

そういう危険を冒し無理に見える戦局を覆してこそ名があがるのだ

上記の名言も紫伯との一騎打ちで言い放たれました。王賁は苦戦を強いられており、傷口からは血があふれ出し、紫伯の槍を首の皮一枚でかわすのが精一杯の状況でした。これを見ていた関常は、王賁に対して槍では紫伯を討つことができないため作戦中止を請い、体制を立て直すべきであり、これ以上続けると秦軍は大きく崩れて大敗の戦犯として名を大きく崩すと説きました。しかしそれに対し王賁は上記の名言を残してその場を去っていきます。

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王賁に関する感想や評価

王賁が痺れる感覚に襲われるほどカッコいいと言われています。王賁が俺を信じろと部下に言っているシーンで思った様子、そして王賁のカッコよさは『ドラゴンボール』のベジータと同じ位置になっているので、このシーンで王賁のファンになった人も他にいるのではないでしょうか?

王賁とライバル関係にある信の名シーンから感想が挙がっています。王賁が死ぬかどうかというシーンでしたが、これに対して信は前向きに解釈すると同時に王賁のことを心から信じていることがうかがえます。二人はライバルでありながら、良好な関係だということが分かります。王賁と信が一緒に登場するシーンを心待ちにしている人もいるのではないでしょうか?

王賁の悲哀と頑張りの人生が好きだと言われています。王賁は父親である王翦の輝かしい功績に対して、それを抜く気で頑張っているのですが、結局王翦に勝てませんでした。そして、史実においても王翦と一緒にされているようなので、同情心を抱かせます。また、感想では人間力の差も悟っているだろうと思っているようなので、それも魅力の一つかもしれません。

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王賁の能力や強さまとめ

王賁の能力や強さを漫画『キングダム』と史実を照らし合わせて紹介してきましたが、いかがでしたか?王賁は特にプライドが高く、出世欲までもが強いといった特徴があり、それは数々の名言にも反映されていることが分かります。王賁の能力や強さは父親である王翦が大きく影響されているのかもしれません。

紫伯との一騎打ちには苦戦を強いられていますが、それでもカッコいい名言を残しているのを見ると、王賁のファンになった人もきっと多いことでしょう。今後も大活躍が予想されるので、王賁のこれからに注目です!

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