【スラムダンク】宮城リョータは沖縄出身!モデルとなった高校や聖地はどこ?

以下の記事では、宮城リョータの沖縄出身やモデルとなった高校や聖地を紹介します。「「THE FIRST SLAM DUNK」で主人公に起用され、沖縄時代のエピソードが語られた宮城リョータ。沖縄時代はどこに住んでいたのか、舞台となった聖地の場所も気になるでしょう。以下では「スラムダンク」の宮城リョータが沖縄出身と言われた理由や、舞台となった沖縄の聖地はどこにあるのか等を紹介します。

【スラムダンク】宮城リョータは沖縄出身!モデルとなった高校や聖地はどこ?のイメージ

目次

  1. 宮城リョータとは?
  2. 宮城リョータは沖縄出身?
  3. 宮城リョータが登場するTHE FIRST SLAM DUNKの沖縄の聖地や舞台
  4. 宮城リョータのモデルを考察
  5. 宮城リョータの家族は?父親の死亡理由も考察
  6. 宮城リョータの声優・仲村宗悟も沖縄出身?
  7. 宮城リョータの沖縄に関する感想や評価
  8. 宮城リョータの沖縄出身まとめ

宮城リョータとは?

「スラムダンク」の宮城リョータの出身地の考察・イメージ画像

以前から沖縄出身の噂がささやかれていた宮城リョータでしたが、「THE FIRST SLAM DUNK」にて沖縄出身者だったことが確定しました。リョータの過去編で登場したバスケットコートのある公園のモデルはどこなのか、沖縄での聖地も気になるでしょう。以下では、「スラムダンク」の宮城リョータが沖縄出身と言われていた理由について紹介します。その他、映画のモデルや舞台になった聖地はどこにあるのかも紹介します。

スラムダンクの映画「THE FIRST SLAM DUNK」の作品情報

原作漫画の最終回から26年半を経ての公開となったアニメ映画「THE FIRST SLAM DUNK」。2022年12月3日に公開され、韓国をはじめとするアジア圏やアメリカでも上映されています。

THE FIRST SLAM DUNKの概要

スラムダンクの原作者・井上雄彦先生が監督と脚本を務めたことも話題を呼んだ映画「THE FIRST SLAM DUNK」。映画版では、テレビアニメ化されなかった山王工業戦が描かれました。また、主人公も桜木花道から宮城リョータへ変更され、リョータの過去もクローズアップされています。

THE FIRST SLAM DUNKのあらすじ

インターハイ2回戦に出場した湘北高バスケ部は、大会の常連校で4連覇を目指す山王工業との試合に挑みます。王者を前に屈することなく、果敢に立ち向かう湘北。互角の戦いが繰り広げられる中、宮城リョータの過去が明かされます。沖縄で生まれ育ったリョータでしたが、家族の死を受けて神奈川に移住しました。湘北高に進学してからもチームメイトとの仲に悩むも、亡き兄の意志を叶えるべく、バスケに打ち込みます。

宮城リョータのプロフィール

湘北高バスケ部の2年生で、プロフィールは身長は168cm、体重は59kg、背番号は7番、ポジションはポイントガードです。小学校時代からポイントガードの選手として活躍し、その実力は「神奈川県内でも五指に入る」と言われています。中学時代には強豪校からも注目され、スカウトも受けていた宮城リョータ。しかし、安西先生のいる湘北高に進学し、スタメンとして活躍しました。

性格は短気でお調子者である一方、冷静さや観察眼に優れています。また、同級生でマネージャーの彩子に片思いをしているものの、恋の成就は見込めないでしょう。桜木花道とは性格が似ていることもあり意気投合する場面も多いです。先輩の三井寿とは余計な一言を発して怒らせることも少なくありません。最終回にて3年生の引退に伴い湘北バスケ部の新主将に就任、鬼キャプテンとしてさらに厳しい練習を課しています。

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宮城リョータは沖縄出身?

宮城リョータの出身地・沖縄のイメージ画像

「スラムダンク」の宮城リョータといえば、スタイリッシュな髪型と小麦色の肌が特徴であり、一部では沖縄出身とも考察されました。そして、「THE FIRST SLAM DUNK」にて沖縄出身が確定し、宮城リョータの知られざる過去にも注目が集まりました。また、沖縄のどこ出身なのか、神奈川に引っ越した時期も気になるでしょう。以下では、宮城リョータが沖縄出身と言われた理由や出身地はどこなのか、引っ越した時期を考察しました。

宮城リョータが沖縄出身と言われていた理由

映画「THE FIRST SLAM DUNK」にて、沖縄出身が確定した宮城リョータでしたが、実はかなり前から沖縄出身ではと言われていました。その理由は、リョータの苗字「宮城」が沖縄で多く見かけられる姓だからです。また、宮城姓は沖縄県の苗字ランキング4位に入に入るなど、宮城姓の多さが伺えます。一方、宮城リョータといえば、日焼けしたような小麦色の肌も特徴で、キャラデザからも沖縄の雰囲気を彷彿させるでしょう。

このように、「スラムダンク」のファンから沖縄出身者ではと考察されていた宮城リョータ。「THE FIRST SLAM DUNK」では、リョータの出身地が沖縄と確定し、ファンの予想が的中しました。また、映画では宮城リョータの沖縄時代も描かれ、知られざる過去や苦悩が垣間見えます。

宮城リョータは沖縄のどこの出身?

「THE FIRST SLAM DUNK」にて沖縄出身と判明した宮城リョータですが、出身は沖縄のどこでしょうか。映画では沖縄のどこなのか、市町村など詳しい情報は分かりませんでした。しかし、一部では沖縄県南城市みーばるビーチ付近とも推測されています。南城市は、沖縄本島の南に位置し、沖縄県の11の市でもっとも人口が少ない地域です。

宮城リョータが住んでいた地域は、沖縄の伝統的な古民家が残るのどかな場所とされ、市街地から離れた場所だと推測されます。また、子供の足で海や岩場に行けることから、自宅から海までの距離がかなり近いとも考えられるでしょう。

宮城リョータが沖縄から引っ越した時期

沖縄から引っ越した時期を考察・イメージ画像

安田靖春と同じ中学出身から、宮城リョータが沖縄から神奈川へ引っ越してきた時期は、遅くても中学生の頃と推測されます。一方、宮城リョータがどのような経緯で神奈川県に移住したのかも気になるでしょう。沖縄に住んでいた頃、海難事故で兄・ソータを亡くしたリョータ。また、小学校の時には父親もすでに亡くなっており、リョータにとって悲しい出来事を思い出させる故郷だったでしょう。

また、兄が亡くなる直前、ささいなことで喧嘩別れしたことを引きずり、そのことが原因で母親との関係も上手くいっていませんでした。母親も夫を亡くした悲しみが癒えない中で長男も失い、2人の思い出が残る沖縄に居づらさを覚えていたでしょう。同時に、このままだとリョータもダメになると考え、思い切って沖縄を出ることを決意しました。しかし、宮城家の引っ越し先もまた、昔の記憶を思い出させる海のそばでした。

宮城リョータの引っ越し先の場所

過去にふんぎりをつけるべく、思い切って沖縄から離れる決断を下した宮城家。海の見える神奈川県に引っ越しました。宮城家の新たな居住先は団地であり、外観が似ていることや海岸に近いことから辻堂団地がモデルと推測されています。団地の近くには辻堂海岸や江ノ島海岸があり、宮城リョータの引っ越し先に相応しい場所でしょう。

新たな環境で生活を始めた宮城リョータでしたが、沖縄とは異なる風土になじめずにいました。以前のようにバスケができず、神奈川での生活は苦労の連続だったでしょう。また、この頃に高校のチームメイトとなる三井とも出会っています。1on1の練習をしている時に声をかけてきた三井。しかし、お互いに自己紹介をせずに別れ、湘北高で再会を果たしています。

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宮城リョータが登場するTHE FIRST SLAM DUNKの沖縄の聖地や舞台

沖縄の聖地や舞台の紹介・イメージ画像

「THE FIRST SLAM DUNK」のもう1つの舞台である沖縄県は、人気観光地だけでなくスラムダンクの聖地としても人気を集めています。沖縄編で登場したバスケットコートのある公園はどこにあるのか、聖地はどこなのかも知りたいでしょう。以下では、宮城リョータの過去編の舞台のモデルはどこにあるのか、沖縄の聖地や舞台について考察しました。

沖縄の高校のモデルはどこ?

「THE FIRST SLAM DUNK」でも、舞台となった聖地はどこなのか、気になるでしょう。まずは、宮城リョータの沖縄編で登場した高校のモデルはどこでしょうか。SNSでは、高校の外観が似ていることから、沖縄県立北谷高等学校がモデルではと有力視されています。

バスケットコートのある公園のモデルはどこ?

バスケットコートのある公園・イメージ画像

沖縄では、バスケットコートを設置した公園が多くみられ、ストリートバスケが盛んな地域でしょう。「THE FIRST SLAM DUNK」では、宮城リョータにとって重要な舞台として登場しました。沖縄時代には兄・ソータとバスケに打ち込み、神奈川に来てからは三井寿と1on1をやりました。このように、リョータには欠かせないバスケットコートのある公園も聖地に数えられるも、モデル・舞台となった場所はどこでしょうか。

沖縄県内でも、映画に似た公園を見つけることは難しく、以下に紹介する3つの公園がモデル候補として浮上しています。1つ目の聖地・舞台は、沖縄県中頭郡北谷町にある「桃原西公園」です。かつてはバスケットコートも設置されていましたが、現在は撤去されてありません。また、桃原西公園のある北谷町は、高校のモデルと推測される北谷高校もあり、公園のモデルや舞台説が有力視されています。

2つ目の聖地・舞台も、同じく北谷町にある「安良波公園」で、ここではバスケットコートの他、砂浜の海岸も広がっています。那覇空港から車で30分ほどで行ける距離にあり、自然豊かで夕日がきれいなスポットとしても有名です。3つ目の聖地・舞台は、北谷町に隣接する嘉手納町の「兼久海浜公園」です。公園内にはスポーツ施設やプールの他、バスケットコートも設置されています。

一方、バスケットコートのある場所から海までは少し距離があるものの、近くには岩場も見られます。映画では、岩場に子供が入れるくらいのほら穴があり、リョータとソータの秘密基地のモデルになった場所と考えられるでしょう。

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宮城リョータのモデルを考察

宮城リョータのモデルを考察・イメージ画像

沖縄を彷彿させるキャラデザと桜木と似た性格で人気を集めた宮城リョータ。「THE FIRST SLAM DUNK」では、沖縄から中学時代も描かれ、宮城リョータの物語と呼べるでしょう。また、宮城リョータといえば沖縄の他にも、名前がカタカナ表記となっており、スラムダンクの謎となっています。以下では、宮城リョータのモデルと推測される沖縄の高校やNBA選手、宮城リョータの名前の由来について考察しました。

宮城リョータのモデルは沖縄出身?

「スラムダンク」の連載時から沖縄県出身ではと考察されてきた宮城リョータ。一方で、宮城リョータのモデルは沖縄出身とも考察されました。その理由として、1978年の全国高校バスケットボール総体で3位に輝いた沖縄の辺土名高校があげられます。高校バスケといえば高身長の選手が多い傾向にあります。しかし、辺土名高校の当時のメンバーの平均身長は167cmと、決して大きくはありませんでした。

身長が高いほど有利なバスケットボールにおいて、平均身長の低さは試合では不利になってしまうと思われるでしょう。しかし、辺土名高校では、身長の低さを補うように、俊敏な動きと高度なテクニックを駆使したプレースタイルを確立しました。当時の日本バスケはフィジカル重視の傾向が強く、華やかさに欠けるバスケだったでしょう。

一方、アメリカに統治されていた沖縄では、その影響もあり本場アメリカのバスケが沖縄県民にも浸透していたと推測されます。日本の高校にはないテクニカルなパスワークや多彩なドリブルは観客を魅了し、バスケそのものの注目を高めました。インターハイでは3位に終わったものの、辺土名高のプレースタイルは日本のバスケの常識を変えました。

日本バスケを熱狂させたこのブームは「辺土名旋風」と呼ばれ、スラムダンクの作者・井上雄彦先生も熱中したと言われています。そして、辺土名旋風の感動をもとに生み出されたのが、宮城リョータでした。湘北高メンバーの中で、もっとも身長が低いリョータ。しかし、身軽ゆえに運動能力やテクニックに優れ、スピードプレイを持ち味としています。リョータのプレイは、辺土名旋風がモチーフとなったでしょう。

宮城リョータのモデルはケビン・ジョンソン

「スラムダンク」では、モデルとなった選手はいないと言われる一方、有名選手のプレースタイルをモデルにしているとも考察されています。宮城リョータのモデルは、NBAの元バスケットボール選手・ケビン・ジョンソンと言われています。アメリカ・カリフォルニア州出身で、選手時代はポイントガードを務めていました。また、背番号もリョータと同じく7番で、後に永久欠番扱いとされています。

スラムダンクの宮城リョータとは、背番号の数字やポジションが共通するでしょう。しかし、ケビン・ジョンソンの身長は185cmと大きく、リョータとは対照的です。

宮城リョータの名前の由来

宮城リョータといえば、「スラムダンク」の中で唯一、名前がカタカナで表記されたキャラというイメージもあるでしょう。一部では父親が外国人のハーフだから、カタカナ表記にしたとも考察されるも、真相は定かではありません。一方、宮城リョータの出身である沖縄では、名前をカタカナ表記にする例は多く見られます。また、リョータの母親の名前も「カオル」と表記し、カタカナとなっていることが特徴です。

沖縄県でカタカナ表記の名前が多い理由は、アメリカ統治時代にさかのぼります。当時の沖縄では、漢字を学習する機会がなく、子供の名前をカタカナにする傾向が多かったでしょう。また。リョータの母親も、沖縄が日本に返還される前に生まれたと推測されます。そこから、子供たちの名前もカタカナにしたと考えられるでしょう。しかし、宮城リョータの名前がカタカナの理由は、作者の井上雄彦先生によって明かされています。

宮城リョータの名前の由来を考察・イメージ画像

「スラムダンク」の主人公・桜木花道のセリフでは、人の名前はカタカナで表記されることが多く、宮城リョータも「リョータ君」となっています。また、宮城リョータは、桜木から「リョーちん」とも呼ばれています。そのようなやり取りを続けてきたことでリョータの漢字が思い浮かばず、現在の表記に定まりました。また、名前がカタカナ表記であることも、宮城リョータの沖縄の雰囲気も高めているでしょう。

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宮城リョータの家族は?父親の死亡理由も考察

宮城リョータの家族を紹介・イメージ画像

「THE FIRST SLAM DUNK」では、宮城リョータの家族も明かされ、兄・ソータとの喧嘩別れは見る者の涙を誘う展開となりました。また、リョータがバスケを始めたのは、兄の影響だったとも推測されます。そして、兄が果たせなかった夢を自分が叶えようとしたことが、リョータの原動力になったでしょう。以下では、「THE FIRST SLAM DUNK」の宮城リョータの家族や、沖縄時代に亡くなった父親の死亡理由について考察しました。

宮城リョータの家族構成

「スラムダンク」では選手たちの家族構成や私生活が明かされることはほとんどなく、宮城リョータの家族構成の判明は珍しいケースでしょう。「THE FIRST SLAM DUNK」では、両親と兄のソータ、妹のアンナの5人家族だった宮城家。しかし、父親はリョータが小学校時代に亡くなっていたことが判明します。また、小学校4年生の時には3歳年上の兄・ソータが、釣りに出た先で海難事故に遭って命を落としました。

「THE FIRST SLAM DUNK」の沖縄編では、父親をうしなった宮城家の動向から始まります。一家の大黒柱を失い、悲しみに暮れる母親。そんな母を励ますべく、ソータはバスケに倣って自らを宮城家のキャプテンと称し、リョータを副キャプテンに任命しました。母親を元気づけるために気丈に振舞うソータでしたが、彼も父親の死を受け入れらず、誰にも見られまいと秘密基地にこもって泣くこともありました。

ソータとの1on1をやりたいリョータ・イメージ画像

当時、ミニバスをやっていたソータは地元の有名選手として活躍し、リョータも兄からバスケを習っていました。兄弟で1on1の練習をするなど、バスケを通じて絆を深め合ったリョータとソータ。しかし、2人の関係は思わぬ形で別れを告げることになりました。その日も1on1の練習をせがまれたソータでしたが、練習を断って友達との釣りに出かけてしまいます。

自分の練習よりも、友達との約束を優先したことが許せなかったリョータ。「帰ってくるな」とひどい言葉を浴びせてしまい、これがソータとの最後のやり取りになってしまいました。その後、ソータは海難事故で亡くなり、リョータとは喧嘩別れとなりました。まさか、あの時は永遠の別れになるとは予想もしていなかったリョータは激しく後悔します。

ミニバスを続けるリョータ・イメージ画像

その後、ミニバスでは兄の背番号だった7番を引き継いで試合に出るも、周囲の反応は厳しいものでした。地元のスター選手であった兄と比べられ、リョータは肩身の狭い思いをします。家庭でも、長男の死を悲しむ母親と上手くいかず、ある出来事をきかっけに険悪なムードが漂いました。これ以上、沖縄にいてはだめになると考え、神奈川へ移住を決めた宮城家。

沖縄との生活環境の違いに苦労しながらも、リョータはバスケに打ち込み、ポイントガードとして頭角を現しました。そして、安西先生を追って湘北高校に進学後もスタメンメンバーとして活躍し、インターハイ出場を決めます。初戦・豊玉高に勝った湘北高でしたが、2回戦は王者の山王工業高でした。山王は、かつて兄・ソータがバスケで勝利することを目標にした、バスケの名門校でもあります。

宮城リョータの小学生時代から、すでにバスケの強豪校として知られていた山王高。バスケ雑誌にも取り上げられるほどの注目校であり、リョータ兄弟も雑誌をきっかけに山王の存在を知りました。湘北と山王の試合は、湘北の実力が試されると同時に、リョータにとっても特別な一戦となります。それは、亡き兄・リョータの夢を自分が受け継ぎ、それを実現するためでした。

運命の山王戦では、兄の形見である赤のリストバンドを身に着け、兄と同じ背番号で試合に挑んだ宮城リョータ。兄の夢を叶えるためにも、山王戦での執念に勝利を燃やします。互角の戦いが繰り広げられた末、インターハイ2回戦は湘北が勝利し、リョータもソータとの夢を叶えることが出来ました。

宮城リョータの父親が死亡した原因

リョータの父親の死因を考察・イメージ画像

宮城リョータの父親は、リョータが小学校時代、兄・ソータが海難事故に遭う前に亡くなっていたことが明かされています。しかし、父親が死亡した原因は劇中では描かれておらず、不明とされています。病気や仕事での事故によって亡くなった説が有力視される一方、ソータと同じく海難事故の可能性も考えられます。

ソータのように釣りに行った先での出来事なのか、それとも海水浴中に不慮の事故に見舞われたのか、原因は定かではありません。しかし、母親がひどく悲しんでいた姿やソータの姿から、突然亡くなったと考えられるでしょう。

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宮城リョータの声優・仲村宗悟も沖縄出身?

宮城リョータの声優を紹介・イメージ画像

原作漫画の最終回から22年半ぶりの公開となった映画「THE FIRST SLAM DUNK」。主人公だけでなく、声優交代も行われ、大きな話題を呼びました。本作品の主人公となった宮城リョータはもちろん、声優・仲村宗悟さんの演技にも注目が集まりました。以下では、宮城リョータと同じ沖縄出身の声優・仲村宗悟さんのプロフィールや出演作品を紹介します。

仲村宗悟のプロフィール

映画「THE FIRST SLAM DUNK」の宮城リョータの声優・仲村宗悟さんは、1988年沖縄県出身の声優・シンガーソングライターです。個人名義の音楽活動を経て声優養成所に入所、2015年に「アイドルマスター SideM」天道輝役でデビューしました。2019年にはアーティストデビューを果たし、自身が出演するアニメ作品のタイアップ曲を発表しています。

仲村宗悟は沖縄出身?

「THE FIRST SLAM DUNK」では、テレビアニメ版声優との交代が行われ、新たにオーディションが実施されました。選考には、本作品の監督と脚本を務める井上雄彦先生も参加しており、よりキャラのイメージに近いキャスティングとなったでしょう。ちなみに、宮城リョータのアニメ声優・仲村宗悟さんは沖縄出身であり、この点が宮城リョータ役への起用に繋がったとも言われています。

また、声優の仲村宗悟さんの身長も宮城リョータと同じく168cmと言われ、まさに宮城リョータ役にピッタリな声優だったでしょう。

仲村宗悟の主な出演作品や演じたキャラ

「THE FIRST SLAM DUNK」の宮城リョータ役で多くの注目を集めた声優・仲村宗悟さん。主な出演作品には、アニメ「永久少年 Eternal Boys」小鳥遊賢人役、「ブルーロック」我牙丸吟役、「Opus.COLORs」織堂優一役、「厨病激発ボーイ」高嶋智樹役等です。

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宮城リョータの沖縄に関する感想や評価

宮城リョータの沖縄に関する感想や評価・イメージ画像

スラムダンクの宮城リョータの出身地であり、映画の舞台にもなった沖縄県。映画の公開をきっかけに聖地巡礼に訪れるファンも増え、さらなる賑わいを見せています。ファンから沖縄出身と予想されていた宮城リョータでしたが、映画の公開を受けて的中したでしょう。以下では、「THE FIRST SLAM DUNK」で主人公を務めた宮城リョータの沖縄に関する感想や評価を紹介します。

感想1:情報量の多さに驚き

「THE FIRST SLAM DUNK」にて、沖縄出身であること、神奈川に引っ越すまでの過去が語られた宮城リョータ。映画では、彼がバスケを続ける原動力となった亡き兄とのエピソードの他、三井寿との出会いも描かれました。映画で明かされた宮城リョータに関する情報量の多さに驚いたファンも多く、リョータの沖縄のエピソードは、もう1つの「THE FIRST SLAM DUNK」と呼べるでしょう。

感想2:早い段階からリョータの設定が出来上がっていた

宮城リョータの設定は、「スラムダンク」の連載開始時点から構想があり、沖縄県出身で素早い運動神経を持つキャラとして誕生しました。原作漫画の時点から宮城リョータの設定が出来上がっていたことに、多くのファンが驚きました。また、映画公開をきかっけに、スラムダンクの聖地聖地巡礼としても人気が高まる沖縄。旅行者の中には、映画の舞台になった場所を訪れる方も増えています。

感想3:ソータが沖縄に呼び寄せた?

沖縄といえば、宮城リョータの出身地や舞台となった聖地はどこにあるのかも気になるでしょう。一方、映画ではリョータが沖縄に戻るシーンもあります。上手くいかない人生に嫌気が差し、逃げるように沖縄を目指した宮城リョータ。ファンからは、兄・ソータに呼ばれて沖縄に行ったとも解釈されています。いまだ沖縄時代を忘れられいリョータにとって、ソータの存在は大きいものだったでしょう。

感想4:少年時代の憧れを叶えた

原作漫画の「山王戦」をベースに、この試合に特別な気持ちで挑む宮城リョータの活躍を描いた「THE FIRST SLAM DUNK」。沖縄を舞台にした過去編では、山王戦はソータが目標としていたチームであり、その意志はリョータに受け継がれ、湘北高として勝利を勝ち取りました。宮城リョータの視点で鑑賞すると、山王戦も違った見方ができ、少年時代の憧れを叶えた宮城リョータの姿に泣いたとの声も寄せられています。

感想5:宮城リョータの新たな一面が知れた

「スラムダンク」では、桜木花道をはじめ選手たちの私生活はあまり言及されておらず、映画版で宮城リョータの沖縄時代や家族がクローズアップされたことは珍しいことだったでしょう。沖縄といえば、どこの出身なのか舞台や聖地も気になりますが、やはり宮城リョータの少年時代は欠かせません。映画では、リョータと兄との別れや、彼がバスケを続ける理由など新たな一面が次々と明かされ、満足の高い作品だったでしょう。

感想6:宮城リョータの家族の話に満足

バスケ映画でありながら、ヒューマンドラマ要素も取り入れた作風が人気に火をつけた「THE FIRST SLAM DUNK」。原作漫画でも盛り上がりを見せた山王戦だけでなく、宮城リョータの知られざる過去も知ることが出来、大満足の映画だったとの感想も寄せられています。宮城リョータにとって沖縄は悲しい過去であるものの、同時に何かを見失いかけていた自分を取り戻すための場所だったと言えるでしょう。

感想7:兄のことを想いながら過ごしていたと考察

兄とのけんか別れは宮城リョータにとっても大きな後悔となり、映画でも最初の沖縄のシーンとしてソータに向けた最後の言葉が登場しました。まさか、あの言葉が現実になるとは思っておらず、本当に帰ってこなかった時のショックは大きかったでしょう。また、宮城リョータにとって、兄との最後の対話はその後も思い起こさせるシーンだろうとも考察され、リョータの苦悩が垣間見えるシーンとなっています。

感想8:ソータが生きていたら湘北のチームは生まれなかった

SNSでは、兄・ソータが生きていた場合の宮城リョータのその後を考察した投稿も寄せられています。もし、ソータが海難事故に遭わなければ、兄弟でバスケを続け、その後も沖縄に留まっていたでしょう。しかし、湘北高の快挙は、宮城リョータの活躍もなければ成し遂げることはできませんでした。また、ソータが生きていればリョータが湘北に来ることもなく、チームも生まれなったとも考えられています。

感想9:映画のラストも良い

原作漫画では、山王戦を制したところで最終回を迎え、新主将を迎えたバスケ部の始動までが描かれました。一方、映画版では最終回から数年後の世界までが描かれ、NBAで活躍する宮城リョータと山王の沢北の再会で幕を閉じました。原作ではアメリカへの挑戦は流川が目指していたものの、映画版では宮城リョータが果たしており、映画のラストを賞賛する声も見られます。

感想10:最後までハラハラした

原作漫画の最終回から26年半ぶりの新作となった「THE FIRST SLAM DUNK」。宮城リョータの沖縄時代のエピソードに注目がいきがちですが、メインである山王戦も盛り上がりを見せました。相手はインターハイの強豪であるものの、彼らと互角の実力を見せる湘北の奮闘は、手に汗握る展開だったでしょう。試合は湘北の勝利に終わったものの、最後までハラハラしたとの声も見られます。

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宮城リョータの沖縄出身まとめ

宮城リョータの沖縄出身まとめ・イメージ画像

宮城リョータが沖縄出身と言われた理由や、映画の舞台やモデルとなった沖縄の聖地はどこなのか、考察を交えながらネタバレ紹介しました。「THE FIRST SLAM DUNK」にて沖縄県出身と確定し、沖縄での出来事が描かれた宮城リョータ。彼にとって沖縄は、悲しい過去を思い出させる故郷であるかもしれません。同時に、兄・ソータとの約束を思い出させる、大切な場所でもあるでしょう。

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