【ウマ娘シンデレラグレイ】奈瀬文乃はスーパークリークのトレーナー!元ネタは武豊?

「ウマ娘シンデレラグレイ」に登場する奈瀬文乃はスーパークリークのトレーナーですが、その元ネタのモデルは名ジョッキーの武豊さん」というのは本当なのでしょうか。人気ゲームアプリ「ウマ娘プリティーダービー」のスピンオフ作品である「ウマ娘シンデレラグレイ」には、ゲームには登場しないトレーナーがいます。その1人が奈瀬文乃で、スーパークリークのトレーナとして活躍します。今回は奈瀬文乃の元ネタとなったモデルが武豊ジョッキーかについてや、史実でのスーパークリークと武豊ジョッキーの関係などを紹介します。

【ウマ娘シンデレラグレイ】奈瀬文乃はスーパークリークのトレーナー!元ネタは武豊?のイメージ

目次

  1. 奈瀬文乃が登場するウマ娘シンデレラグレイとは?
  2. 奈瀬文乃はスーパークリークのトレーナー
  3. 奈瀬文乃の元ネタは武豊?
  4. 奈瀬文乃の父親のモデルを考察
  5. 奈瀬文乃に関する感想や評価
  6. 奈瀬文乃まとめ

奈瀬文乃が登場するウマ娘シンデレラグレイとは?

ウマ娘シンデレラグレイの概要

「ウマ娘シンデレラグレイ」は大人気アニメ・ゲームアプリ「ウマ娘プリティーダービー」のスピンオフ作品で、オグリキャップを主人公とした漫画作品です。作画担当は久住太陽さんで2020年から「週刊ヤングジャンプ」で連載されていて、2021年8月時点で電子版を含めた累計発行部数は150万部を突破している人気作品です。

「ウマ娘シンデレラグレイ」はオグリキャップが主人公ということもあり、オグリキャップと同じ時期に活躍していたスーパークリークやタマモクロスといったキャラクターのほかに、オリジナルのウマ娘が登場します。このほか、今回紹介する奈瀬文乃のようにオリジナルのトレーナーが登場することが特徴のひとつです。

ウマ娘シンデレラグレイのあらすじ

カサマツトレセン学園に入学したオグリキャップは、地方の舞台で大活躍をして中央トレセン学園に転校します。転校してきたばかりのときは地方出身ということもあり、中央では通用しないと考えているウマ娘たちがいました。しかし、中央でのレースでも連勝を続けるオグリキャップは日本ダービーを目指します。しかし、クラシック登録をしていなかったオグリキャップは日本ダービーに出走できないことが判明しました。

ウマ娘 シンデレラグレイ|ヤンジャン!|週刊ヤングジャンプの公式マンガアプリ

奈瀬文乃はスーパークリークのトレーナー

奈瀬文乃のプロフィール

「ウマ娘シンデレラグレイ」に登場する奈瀬文乃はトレセン学園のトレーナーの1人で、まだ芽が出ていないスーパークリークを担当ウマ娘として指名しました。父親は「魔術師」の異名をもつトレーナーで、奈瀬文乃自身も若くして頭角を現している有望株。1人称は「僕」で小柄な体型が特徴です。

奈瀬文乃とスーパークリークの関係

奈瀬文乃は若くして実績を上げているトレーナーとして周囲から期待されている存在で、自らスーパークリークを担当ウマ娘として指名しました。スーパークリークは脚を痛めていたこともあり、長く走ることすらできませんでした。そんなスーパークリークを指名して、彼女の運命を変えるだけではなく、奈瀬文乃自身にも大きな影響を与えていきます。

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奈瀬文乃の元ネタは武豊?

奈瀬文乃の元ネタ・モデルは武豊?

ここからは「ウマ娘シンデレラグレイ」に登場するトレーナーの奈瀬文乃の元ネタ・モデルが武豊さんというのは本当かについて考察していきます。史実においても武豊さんはスーパークリークを大きな存在だったと語っているように、スーパークリークと武豊さんの間には大きな関係性があります。また、それだけではなくトレーナーの奈瀬文乃の元ネタ・モデルが武豊さんであると示している要素があります。

それは、奈瀬文乃の名前が武豊から変換したものであると考察されている点です。トレーナーの奈瀬文乃は「なせふみの」と読みますが、「な」と「せ」を五十音表に当てはめてその右の文字を見ると「た」と「け」になります。さらに武豊さんの「豊」は「ぶんの」と読むことができ、奈瀬文乃の「文乃」も「ぶんの」と読むことができます。そのため、奈瀬文乃の元ネタ・モデルが武豊さんとされています。

「ウマ娘シンデレラグレイ」のトレーナーの奈瀬文乃元ネタ・モデルとされている武豊さんですが、アニメ版「ウマ娘プリティーダービー」に本人役で出演されていたり、CMに出演されていたりと大きな関係があります。そして、少女から「ウマ娘のおじさんだ」と言われてうれしかったと語っています。

史実でのスーパークリークと武豊の関係

スーパークリークと武豊の関係①出会い

ここからは「ウマ娘シンデレラグレイ」の奈瀬文乃の元ネタ・モデルが武豊さんと、スーパークリークとの出会いについて史実ベースで紹介します。武豊さんがジョッキーとしてデビューしたのは1987年でした。この年に武豊さんは69勝を挙げ、1960年に加賀武見さんが打ち立てた新人騎手最多勝利記録を更新しました。ちなみに、武豊さんの69勝の記録は2008年に三浦皇成さんが91勝を挙げて更新しています。

1年目から新人離れをした活躍をしていた武豊さんでしたが、G1レースの勝利はありませんでした。また、スーパークリークは当歳・1歳時に夏のセリ市に参加するも買い手がつかず、1歳時秋に810万円で落札されました。一般的に810万円と言えば大金ですが、サラブレッドの価格としてはかなりお手頃です。ちなみに、日本では最高落札額6億3000万円という記録があります。

幼駒時代に期待されていなかったスーパークリークは2歳(当時の3歳)の夏にデビューする予定でした。しかし下痢によりデビューが遅れてしまいなんとか12月にデビューを果たします。デビュー戦で2着になったスーパークリークは2戦目で勝利を上げますが、この時点ではまだ武豊さんは騎乗していません。ちなみに、スーパークリークが勝利したレースで2着馬に騎乗していたのが武豊さんでした。

そんなスーパークリークに武豊さんがはじめて騎乗したのが、武豊さんのデビュー2年目。スーパークリークの5戦目であるすみれ賞でした。このレースで勝利したあと、武豊さんはスーパークリークが引退するまでコンビを組み続けます。しかし、3月のすみれ賞で勝利したスーパークリークでしたがそのまま順調に勝ち進むというわけではありませんでした。

日本ダービーを目指したスーパークリークでしたが、左前脚を骨折してしまい出走を断念。この場面が、脚を痛めたスーパークリークを奈瀬文乃トレーナーがスカウトしたシーンの元ネタとされています。秋に復活したスーパークリークは菊花賞を目指して、神戸新聞杯と京都新聞杯に出走しますが3着・6着に終わり、菊花賞への出走権を確保できませんでした。

スーパークリークと武豊の関係②初のGⅠを制した「菊花賞」

スーパークリークは菊花賞へ登録しますが、フルゲート18頭が出走できる菊花賞で出走資格19位でした。武豊さんにはほかにも菊花賞へ出走できる馬への騎乗経験がありましたが、スーパークリークとのコンビを堅持します。賞金上位の馬が回避すれば菊花賞へ出走できるというときに、スーパークリークの配合を考えたサラブレッドクラブ・ラフィアン代表の岡田繁幸さんのおかげで出走できました。

それはが「スーパークリークのような強い馬がでるべき」と自身の持ち馬であるマイネルフリッセを出走回避させたためでした。菊花賞へ出走したスーパークリークは3番人気に推されて、17番枠からスタートします。ちなみに、このときの1番人気は「ウマ娘シンデレラグレイ」にも登場しているヤエノムテキです。このレースの4コーナーでスパートをかけたスーパークリーク。

そのまま直線で突き抜けて2着馬に5馬身差をつける圧勝をしました。これはスーパークリークがはじめて勝利したG1レースと言うだけではなく、その後JRAでG1を78勝(2022年1月末現在)を挙げる武豊さんのはじめてのG1勝利となりました。

スーパークリークと武豊の関係③引退までの活躍

菊花賞に勝利したスーパークリークはこの年の有馬記念に出走します。この有馬記念にはこのあと三強の一角として競い合うオグリキャップや、「ウマ娘シンデレラグレイ」でおなじみのタマモクロスといったメンバーが出走します。スーパークリークは4番人気に推され、オグリキャップ・タマモクロスに続く3着で入線しました。しかし、直線でメジロデュレンの進路を妨害したとして失格処分となりました。

有馬記念のあと、スーパークリークは後脚の筋肉痛が抜けずに春シーズンを棒に振ってしまいました。しかし、秋に復活すると京都大賞典でコースレコードを出して勝利。さらに天皇賞(秋)ではオグリキャップをクビ差で制して見事に勝利をおさめました。ジャパンカップでは4着、有馬記念では三強の一角であるイナリワンに敗れて2着になりますが、これもハナ差の大接戦でした。

次の年で天皇賞(春)を制して、天皇賞春秋連覇を達成したスーパークリークはフランスでおこなわれる凱旋門賞に出走するプランまで立てられました。しかしまた筋肉痛で宝塚記念や凱旋門賞の出走が白紙になり、秋に復活して京都大賞典で勝利をしましたが、このレースで左前脚の繋靭帯炎が判明し引退しました。武豊さんはスーパークリークについて「他の誰にも渡したくありません」と語るほど大切なパートナーだったそうです。

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奈瀬文乃の父親のモデルを考察

奈瀬文乃の父親の元ネタ・モデル

続いては「ウマ娘シンデレラグレイ」のトレーナー奈瀬文乃の父親の元ネタ・モデルについて紹介します。奈瀬文乃の父親は「魔術師」の異名をもつトレーナーで、オグリキャップのトレーナーである六平銀次郎は「アイツ(奈瀬文乃)の親父には散々やられたからな」と回想するほどの相手です。武豊さんがモデルの奈瀬文乃、その父親の元ネタ・モデルは武豊さんの父親の武邦彦さんだとされています。

武邦彦さんもまた名ジョッキーで、1957年3月に騎手デビューを果たしました。武豊さんとは違い、デビューから2年目まではそれほど勝ち星を挙げられずに苦しみますが、3年目にハチサカエに騎乗してアラブ大障害(春)で初の重賞勝利を飾ります。その後もコンスタントに勝ち星を挙げる武邦彦さんですが、当時の大レースである八大競走になかなか勝てませんでした。

しかし1972年に桜花賞や日本ダービーといった八大競争に勝利すると、それからは八大競争勝利の常連となりトップジョッキーの1人として活躍をつづけました。その後もトウショウボーイやニホンピロウイナーといった名馬に騎乗した武邦彦さんは1985年に騎手として引退して調教師になりました。ちなみに、息子には武豊さんだけではなく現在調教師の武幸四郎さんもいます。

奈瀬文乃の父親はバンブーメモリーのトレーナーとして登場する?

奈瀬文乃の父親はそのすごさは言及されていますが、現在どんなウマ娘のトレーナーをしているかは不明です。そのため、「ウマ娘シンデレラグレイ」にすでに登場しているバンブーメモリーのトレーナーとして登場するのではないかという意見があります。その理由として、バンブーメモリーの主戦騎手は武豊さんですが、管理していた調教師が武邦彦さんだからというものです。

そのため、バンブーメモリーのトレーナーとして奈瀬文乃の父親が登場するのは不自然ではありません。しかし、武豊さんが騎乗したスーパークリークが奈瀬文乃のパートナーになったように、奈瀬文乃のチームにバンブーメモリーも加入するのではないかという説もあるようです。さて、バンブーメモリーとは史実でどんな活躍をしたサラブレッドだったのでしょうか?

バンブーメモリーは1987年にデビューをし、オグリキャップやスーパークリークと同世代です。デビューからしばらく武豊さんが騎乗を続けますが、初のG1勝利となった1989年の安田記念では名ジョッキーの岡部幸雄さんが騎乗しました。オグリキャップ、スーパークリークとは同世代ですが路線が違うためなかなか直接対決はありませんでした。しかし、1989年のマイルチャンピオンシップでオグリキャップと直接対決。

このレースではオグリキャップが1着、バンブーメモリーが2着になります。その後も短距離やマイル路線を中心に活躍したバンブーメモリーは1989年の安田記念、1990年のスプリンターズステークスに勝利し、それぞれの年でJRA賞最優秀スプリンターに選出されました。ちなみに、「ウマ娘プリティーダービー」では「夢」と書かれた鉢巻をしているのが印象的なバンブーメモリー。

これはバンブーメモリーが出走した宝塚記念で、名実況者の杉本清さんが「私の夢はバンブーです」といったことが元ネタになったようです。

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奈瀬文乃に関する感想や評価

「ウマ娘シンデレラグレイ」の奈瀬文乃とスーパークリークの相思相愛の関係性がいいという感想があります。

奈瀬文乃の元ネタ・モデルとされている武豊さん。スーパークリークだけではなく、イナリワンやオグリキャップといった「ウマ娘シンデレラグレイ」や「ウマ娘プリティーダービー」に登場する名馬たちに騎乗していてすごいという感想があります。

「ウマ娘シンデレラグレイ」のトレーナーの奈瀬文乃を、ゲームアプリ版「ウマ娘プリティーダービー」に登場させてほしいというファンの方の感想がありました。

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奈瀬文乃まとめ

まとめと書かれたボード

「ウマ娘シンデレラグレイ」に登場する奈瀬文乃についてと、その元ネタ・モデルになった武豊さん、そしてスーパークリークについて紹介しました。史実でもオグリキャップとライバル関係だったスーパークリーク、これからスーパークリークや奈瀬文乃に注目しましょう。

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