【鬼滅の刃】悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)の年齢は?身長・体重や過去も調査

大ヒット作品『鬼滅の刃』には鬼を狩る組織「鬼殺隊」が登場し、その鬼殺隊の中でも飛び抜けた力を誇る最高位の剣士たちを「柱」と呼びます。その柱の中で最強だと名高いのが、岩柱・悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)。ここでは、悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)の年齢や身長・体重、死亡理由、過去などを詳しく紹介していきます。悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)の年齢などの基本情報を知れば、『鬼滅の刃』の物語をより深く楽しむことができるでしょう。

【鬼滅の刃】悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)の年齢は?身長・体重や過去も調査のイメージ

目次

  1. 悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)とは?
  2. 悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)の年齢や誕生日
  3. 悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)の身長や体重
  4. 悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)の過去と死亡シーン
  5. 悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)の強さや呼吸・技
  6. 悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)のアニメ声優
  7. 悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)に関する感想や評価
  8. 悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)の年齢まとめ

悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)とは?

悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)とは、『鬼滅の刃』に登場するキャラクターの1人。鬼殺隊を支える「柱」と呼ばれる剣士の1人で、人間離れした強さを持っています。ここからは、悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)の情報を見ながら、彼の魅力に迫っていきます。悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)について見ていく前に、まずは『鬼滅の刃』の基本情報から押さえておきましょう。

鬼滅の刃の作品情報

鬼滅の刃の概要

『鬼滅の刃』は、『週刊少年ジャンプ』にて連載されていた少年漫画、および同タイトルのアニメなどを指す言葉です。原作者は吾峠呼世晴。2016年2月から連載が始まり、2020年5月に話数全205話で完結しました。発行巻数は全23巻です。

2019年4月には、アニメーション制作会社ufotableによってアニメ化され、ハイクオリティーな映像がさらなる話題を呼び、社会現象と言われるほどの大ヒットを記録しました。2020年10月16日からはアニメの続編にあたるストーリーが『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』として映画化され、その興行収入は僅か2ヶ月で300億を突破。老若男女、多くの人に愛されています。

鬼滅の刃のあらすじ

舞台は大正時代の日本。炭焼きの家に長男として生まれた主人公・竈門炭治郎は早世した父に代わり、一家の大黒柱として、母と弟妹たちを支えて生活していました。つましくも幸せな日々を送っていたある日、炭治郎が留守の間に竈門家を鬼が襲撃。

家族は死亡し、唯一生き残っていた妹の禰豆子は鬼にされてしまいます。炭治郎は禰豆子を人間に戻す方法を探すべく、鬼を倒すことを使命とする政府非公認組織「鬼殺隊」に入隊。人間と鬼との熾烈な戦いに身を投じながら、禰豆子を元に戻そうと奮闘します。

悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)のプロフィール

『鬼滅の刃』に登場するキャラクター、悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)は、鬼殺隊に所属する剣士の最高位「柱」の1人で、「岩柱」の称号を持っています。誕生日は8月23日で、出身地は現在の日の出山青梅にあたる、東京府青梅日の出山。年齢・身長・体重は後に詳しく紹介します。趣味は尺八で、好物は炊き込みご飯です。

いつも数珠を手に持っており、何かと合掌して涙を流す僧侶のような外見の剣士。盲目であり、それを表すためか両目が瞳孔のない白眼になっていることが特徴です。柱のリーダー的存在であり、個性的な柱たちの中でもその存在感は飛び抜けています。

悲鳴嶼行冥と黒死牟の戦い

悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)の活躍シーンと言えば、上弦の壱・黒死牟との戦いです。鬼殺隊最強の男・悲鳴嶼と最強の鬼・黒死牟の迫力満点の戦闘シーンに、多くの読者が引き込まれました。先に黒死牟と対峙していた霞柱・時透無一郎、風柱・不死川実弥と彼の弟である不死川玄弥。彼らが追い詰められたところに悲鳴嶼が現れ、黒死牟との戦闘に入ります。

悲鳴嶼の強さは、黒死牟が一瞥して感心するほどのものでした。悲鳴嶼は鎖で繋がれた鉄球と斧を使い、黒死牟とほぼ互角の戦いを繰り広げます。驚くべきは、そのスピード。重たい武器を自在に操る悲鳴嶼の身体は、身長・体重ともに一般的な日本男性とは比較にならないほど高く重いです。

にも関わらず、技を繰り出すスピード、移動速度は凄まじいものでした。やがて悲鳴嶼はそこからさらに能力を最大限引き出す痣の力を発動させ、また相手の体内が透けて視えるという「透き通る世界」の能力も覚醒させます。結果として、悲鳴嶼は仲間との協力の下、黒死牟を倒すことができました。

悲鳴嶼行冥と炭治郎の関係

柱である悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)と主人公・竈門炭治郎の出逢いは、鬼殺隊のトップであるお館様こと産屋敷耀哉の屋敷がある鬼殺隊本部でのことでした。初対面の際、悲鳴嶼は鬼を連れている炭治郎は鬼の妹もろとも処刑したほうが良いという考え方でした。

炭治郎と禰豆子を認めるお館様の手前、とりあえずそれ以上2人に厳しい言葉を向けることはありませんでしたが、悲鳴嶼が炭治郎たちに抱いていた印象は決して良くはなかったのです。それが変わるのは、刀鍛冶の里編のあとの柱稽古編でのことです。各柱のもとに行き稽古をつけてもらうという柱稽古に参加した炭治郎。

悲鳴嶼は自分のもとにやってきた炭治郎に、刀鍛冶の里で、炭治郎が鬼の禰豆子を守ることよりも里の人間を襲う鬼を追って斬ることを優先したことを褒めました。しかし炭治郎は、悲鳴嶼の言葉を否定します。炭治郎は日の出と共に太陽に焼かれてしまう禰豆子を移動させて守るか、鬼を追って倒すか自分では決められませんでした。禰豆子が炭治郎に鬼を追うよう促したため、結果として鬼を追いかけただけなのです。

炭治郎は正直に、悲鳴嶼にそのことを話しました。炭治郎の正直さに、悲鳴嶼は感銘を受けます。人間、特に子供は保身のために嘘を吐くもの。しかし炭治郎はそれをしない珍しい人間でした。悲鳴嶼は炭治郎を心から認め、今後は炭治郎が道を誤ることがないよう自分も協力すると告げます。炭治郎と悲鳴嶼の間に、強い絆が生まれたのです。

「鬼滅の刃」公式ポータルサイト

悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)の年齢や誕生日

悲鳴嶼行冥の年齢

鬼殺隊の岩柱・悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)の年齢は27歳。鬼殺隊の柱の中で、彼が1番年齢が上です。悲鳴嶼が柱のリーダーのような存在であるのは、彼が柱の中で最も強く、最年長だからです。年齢というのは、最前線でより強い鬼と戦う柱たちにとって大変重要です。鬼舞辻無惨や上弦の鬼たちとの戦いに勝利するためには、心拍数と体温を極限まで上げて身体能力をアップさせる必要があると明らかになりました。

身体能力のアップに成功すると身体に痣が浮き上がり、その人間は「痣者」と呼ばれるのですが、この現象は謂わば寿命の前借りであり、痣者となった人間は25歳で死亡するようになっています。悲鳴嶼は最終決戦を前に、勝利のためには痣を発現させなければならないが、年齢が25歳を既に過ぎている自分の場合はどうなるのかを気にしていました。

悲鳴嶼行冥が鬼殺隊に入った年齢は何歳?

悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)の鬼殺隊入隊時の年齢は18歳でした。1年後、19歳のときに柱に昇進し、岩柱となっています。十二鬼月を倒すか、鬼を50体倒すことが柱となる条件。

本来、これらの条件を満たして柱となるには、普通は5年、早くても2年かかると言われています。ほとんどの隊士が数年と保たず鬼との戦いで死亡する中、生き残り、僅か1年で柱になった悲鳴嶼。その事実だけで、彼が人並み外れた才能と実力を持っていたということがわかるでしょう。

悲鳴嶼行冥の誕生日

岩柱・悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)の誕生日は、8月23日です。8月23日に起こった出来事はといえば、1866年に普墺戦争が集結。1878年に東京・竹橋で近衛兵が反乱を起こす竹橋事件が発生。1913年にデンマークのコペンハーゲンで人魚姫の像が初公開。1914年に日本がドイツ帝国に宣戦布告し第一次世界大戦に参加。1921年にイラク王国が建設。1939年に独ソ不可侵条約が締結、などがあります。

悲鳴嶼行冥が生まれた元号は明治?大正?

まず、『鬼滅の刃』の舞台となっているのは大正時代です。大正時代は1912年から1926年の約15年間でした。そして作中のキャラクターの発言をヒントに計算すると、炭治郎の家族が死亡する物語のプロローグは1912年から1913年(大正元年~2年)。その後、炭治郎は2年間修行していますので、正式に鬼殺隊になったのは1914年から1915年(大正3年~4年)の間であると推測されています。

鬼殺隊となった炭治郎が悲鳴嶼に出逢ったとき、悲鳴嶼は27歳でした。仮に炭治郎と悲鳴嶼が出逢ったのが1915年だとすると、1915年から27年引いて1888年。1888年が悲鳴嶼が生まれた年だと推測することができます。1888年は明治21年なので、悲鳴嶼は明治生まれだと考えることができるのです。

悲鳴嶼行冥と同じ誕生日の有名人

悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)と同じ8月23日生まれの漫画・アニメキャラクターは、『BLEACH』の狛村左陣、『暗殺教室』の杉野友人、『ギルティクラウン』のダリル・ヤン、『NARUTO-ナルト-』のテマリ、『東京喰種』の半井恵仁、『ONE PIECE』のペルなどです。

悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)と同じ8月23日生まれの有名人は、フランス国王のルイ16世、歌手・俳優の井上ひろし、落語家・タレントの山田たかお、俳優・歌手のコング桑田、女優の高橋ひとみ、漫画家・タレントの山咲トオル、タレントの川崎希などです。

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悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)の身長や体重

悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)の身長

岩柱・悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)の身長は220センチ。日本人としては珍しい高身長です。音柱・宇髄天元も198センチとかなりの高身長を誇っていますが、その彼とですら約20センチの身長差があり、宇髄は悲鳴嶼を見上げることになります。柱の中で最も低い151センチの身長を持つ蟲柱・胡蝶しのぶが横に並ぶと、まるで大人と幼子のような身長差になります。

悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)の体重

岩柱・悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)の体重は、130キロ。4~5人用の冷蔵庫やジャイアントパンダが80キロ~100キロ程度なので、悲鳴嶼の体重はそれらより重たいということになります。悲鳴嶼は身長が高く、鍛え抜かれて筋肉がたっぷりついているので、このような体重になったのでしょう。悲鳴嶼の次に身体が大きな宇髄天元の体重は95キロなので、体重でも悲鳴嶼が異常なほど飛び抜けていることがわかります。

悲鳴嶼行冥が鬼殺隊に入ってからの身長や体重の変化はある?

鬼殺隊に入隊する前の悲鳴嶼は、当然ながら一般人。誰かを殴ったこともなかった当時の彼は、身長こそ高めだったものの筋肉はなく、どちらかと言えば痩せていて華奢な印象でした。鬼殺隊に入隊し、鬼と戦うために鍛錬したことで筋肉がつき、筋骨隆々とした大男になったのです。筋肉がつくに従って、体重も一気に増えたと考えられます。

悲鳴嶼行冥の身長と体重を日本人の平均と比較

大正時代の男性の平均身長は、160センチ前後でした。平均体重は不明ですが、現代に比べると栄養不足であったためか、小柄な人が多かったようです。現代の平均身長は170センチ前後で、平均体重は64キロ。

育ち盛りに十分な栄養を摂れる時代になったこと、カロリーの高い欧米の食生活が入ってきたことで、昔に比べると身長も体重も増加しました。しかし、現代の平均身長・体重と比較しても、悲鳴嶼行冥の体格は飛び抜けています。現代でも大きいと感じる身体の持ち主なので、大正時代にはもっと驚かれたでしょう。

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悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)の過去と死亡シーン

悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)の過去

悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)というキャラクターを理解するには、彼の過去を知る必要があります。鬼殺隊に入隊する以前、悲鳴嶼は寺で身寄りのない子供たちを育てていました。つましくも幸せに暮らしていたのですが、ある日、彼らを悲劇が襲います。言いつけを守らず、日が暮れても寺に戻らなかった子供が鬼と遭遇。

その子供は自分だけ助かるため、鬼を寺に招き入れ、悲鳴嶼と他の子供たちを鬼の食料として差し出したのです。すぐに4人の子供が鬼の手にかかり死亡。悲鳴嶼は残った4人を守ろうとしましたが、最年少の少女・沙代以外の3人は、盲目の悲鳴嶼を当てにせずその場から逃げ出してしまいました。3人の子供も、鬼に喉を裂かれて死亡。悲鳴嶼は沙代だけは守ろうと、素手で鬼を殴り続けました。

そこで初めて悲鳴嶼は、自分が強いのだということを知りました。夜が明けるまで、悲鳴嶼は鬼の頭を殴り潰し続けました。悲鳴嶼は多くのものを失いながらも、沙代の命だけは守り抜いたのです。しかし、異変を察して寺に駆けつけた者たちに、沙代は「あの人がみんな殺した」と言いました。鬼の屍は朝日に焼かれて消えており、駆けつけた者たちは沙代が言っているのは悲鳴嶼のことだと判断。

悲鳴嶼は殺人の罪で投獄されました。お館様が助けてくれなかったら、悲鳴嶼は処刑されて死亡していたでしょう。沙代にだけは自分を労ってほしかった。しかし子供というのは自分のことで精一杯で、自分を守るためなら平気で嘘をつくし、他者を不幸に叩き落とせる残酷さを持っている。

それを痛感した悲鳴嶼は、他人のことを、とりわけ子供のことを疑うようになっていました。当初、炭治郎に対して風当たりが強かったのは、炭治郎が鬼の妹を連れていたからというだけではなく、そもそも子供を信じていなかったからという側面もあったようです。

悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)の最後

悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)は、上弦の壱・黒死牟を倒したあと、鬼舞辻無惨との戦闘に参加しました。朝日が昇る前に何とか逃げようとする無惨を、悲鳴嶼は他の柱や炭治郎たちと一緒に絶え間なく攻撃を続けることで縫い止めます。無惨の攻撃によって片脚を失いながらも、悲鳴嶼は最後の最後まで戦い抜きました。やがて、ついに無惨が陽光によって消え、鬼殺隊が勝利を収めました。

皆が喜び、隊士たちはすぐさま重傷を負った柱たちの治療に入ります。悲鳴嶼にも治療の手が伸ばされましたが、悲鳴嶼はそれを拒み、他の者を優先して治療するよう言いました。致命傷を負っており、しかも痣を発現させた悲鳴嶼。痣者は25歳までしか生きられません。とうに25歳を過ぎていた悲鳴嶼にとって、痣を発現させるということは、力を使い果たしたらその場で死亡することを意味していたのです。

死亡することが決まっている人間に薬を使うのはもったいないということで、悲鳴嶼は自分以外の人間の治療を優先させたのでした。悲鳴嶼の命の灯火が消えようとしていたそのとき、悲鳴嶼の前に、死亡した寺の子供たちが現れました。

子供たちは悲鳴嶼に、逃げたのは悲鳴嶼を当てにしていなかったからではなく、武器を取りに行ったり助けを求めに行くためであったこと、それらのことで悲鳴嶼を傷つけてしまったことをずっと後悔しており、謝りたかったことを告げました。子供たちの真意がわかった悲鳴嶼は、子供たちと和解。彼らの魂と共にこの世を去りました。

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悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)の強さや呼吸・技

全集中 岩の呼吸とは?

『鬼滅の刃』のキャラクターの1人、悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)は、戦う際に「全集中の呼吸」の1つである「岩の呼吸」を使っています。岩の呼吸の使い手である柱であるため、岩柱という称号がついているのです。岩の呼吸は、多数ある全集中の呼吸の流派の中でも基本となる5大流派の1つ。岩のように堅い防御力と、荒々しい攻撃力を併せ持った戦い方ができるのが、岩の呼吸の特徴です。

全集中 岩の呼吸の技一覧

壱ノ型 蛇紋岩・双極

岩の呼吸「壱ノ型 蛇紋岩・双極(じゃもんがん・そうきょく)」は、上弦の壱・黒死牟との戦いで不死川実弥と共闘した際に繰り出した型。鎖で繋がれた棘付きの鉄球と斧が、同時に敵へと飛んで向かっていく技です。回転が加わっているため、真っ直ぐ投げるよりも威力があります。

弐ノ型 天面砕き

岩の呼吸「弐ノ型 天面砕き(てんめんくだき)」は、上弦の壱・黒死牟との戦いで使用した型。敵の頭上高く鉄球を放ったあと、地面にヒビが入るほどの力で鎖を踏みつけ、鉄球を敵の頭目掛けて落下させます。

参ノ型 岩軀の膚

岩の呼吸「参ノ型 岩躯の膚(がんくのはだえ)」は、ついに姿を現した鬼舞辻無惨に対して使用した型。鉄球を素早く振り回すことで、自身を中心に全方位を防御・攻撃できます。悲鳴嶼はこの型を使い、無惨の「黒血枳棘(こっけつききょく)」という、棘が襲いかかってくる術から身を守りました。

肆ノ型 流紋岩・速征

岩の呼吸「肆ノ型 流紋岩・速征(りゅうもんがん・そくせい)」は、月の呼吸の攻撃を繰り出してくる黒死牟に対して使用した型。鉄球と斧を大きく振り、周囲一帯を攻撃する広範囲に及ぶ技です。

伍ノ型 瓦輪刑部

岩の呼吸「伍ノ型 瓦輪刑部(がりんぎょうぶ)」は、上弦の壱・黒死牟との戦いで使用した型。跳躍し、上から鉄球と斧を同時に放って攻撃する4連撃技です。岩の呼吸の型の中でも、特に威力が高い技でした。

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悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)のアニメ声優

杉田智和のプロフィール

アニメ『鬼滅の刃』で岩柱・悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)の声を担当したのは、声優の杉田智和です。杉田智和は1980年10月11日生まれ、血液型はB型。埼玉県出身で、所属事務所は株式会社AGRSです。声優活動は1998年から開始しており、デビュー作は『仮面ライダー』プレゼント告知ナレーションでした。

杉田智和の主な出演作品

『鬼滅の刃』で岩柱・悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)を演じた声優・杉田智和の主な出演作品は、『ちょびっツ』(本須和秀樹)、『銀魂』(坂田銀時)、『涼宮ハルヒの憂鬱』(キョン)、『伯爵と妖精』(レイヴン)、『SKET DANCE』(笛吹和義〈スイッチ〉)、『K』(宗像礼司)、『緋色の欠片』(鬼崎拓磨)、『七つの大罪』(エスカノール)、『ヲタクに恋は難しい』(樺倉太郎)などです。

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悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)に関する感想や評価

当初、悲鳴嶼行冥は『鬼滅の刃』のファンの間で「早くに死亡するキャラ」と目されていました。そのため、人気投票でも順位は低かったのですが、後に真実鬼殺隊最強であることがわかり、一気に人気が上昇しています。最後の最後まで戦い抜いたからこそ、彼の死亡シーンは多くのファンの涙を誘いました。

誰よりも強くて優しい悲鳴嶼行冥が好きだというファンのコメントです。アニメではまだそれほど出番がありませんが、原作漫画ではその優しさと強さを見せつけ、多くのファンを獲得した悲鳴嶼。アニメで悲鳴嶼の活躍シーンが描かれることがあれば、さらにファンが増えるでしょう。

寺の子供たちが迎えに来てくれるという悲鳴嶼行冥の死亡シーンは、多くの人の涙腺を崩壊させました。無惨を討ち滅ぼし、誤解も解け、穏やかな表情で瞳を閉ざす悲鳴嶼の死亡シーンは、悲しさもありますがどこか「ようやく終わった」という安堵感も読者に抱かせます。

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悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)の年齢まとめ

『鬼滅の刃』の登場キャラクター、岩柱・悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)の年齢や身長・体重、その過去と死亡シーンなどを紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか?辛い過去を持ち、人を信じられなくなりながらも、人のために鬼と戦った悲鳴嶼は、とても魅力的なキャラクターでした。ぜひ『鬼滅の刃』を読んで、悲鳴嶼行冥の活躍をチェックしてみてください。

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