2020年10月09日公開
2020年10月09日更新
【キングダム】李牧の最後は悲惨でかわいそう?処刑された?史実での死因を考察
キングダムに登場する最大の敵・李牧は趙の三大天の一人であり、傑出した軍師です。この記事では処刑されるという噂のある李牧について、史実での最後や死因、キングダムでの最後の予想・考察を紹介します。また、史実における李牧の功績や先祖・有名な言葉を残した子孫についてもまとめています。秦が中華を統一していく中で最大の敵と言える李牧の行く末が気になる方は、ぜひご覧ください。
目次
キングダムの趙の李牧とは?
キングダムに登場する趙の天才軍師・李牧は、秦が中華統一を果たす上で避けられない最大の敵です。処刑されるという噂のある李牧が史実ではどのような最後を迎えるのか紹介し、またキングダムでの最後はどうなるのか、死因などを予想・考察していきます。その前にまず、キングダムの作品について紹介します。
キングダムの作品情報
キングダムは中国の春秋戦国時代を舞台に、国や信念を背負って戦う武将たちを描いた作品です。現代にも通じる人間ドラマが多くの共感を呼び、何度もアニメ化や映画化される大ヒット作品となっています。
キングダムの概要
キングダムは「週刊ヤングジャンプ」で2006年から連載されている、日本の漫画作品です。作者は原泰久さんで、2020年10月時点で59巻が集英社より発行されています。第17回手塚治虫文化賞を受賞し、幅広くメディアミックスされている非常に認知度の高い漫画です。2019年に人気俳優や女優を起用した実写映画が公開され、その完成度の高さに高い評価を受けました。
キングダムのあらすじ
500年続く動乱によって100以上ある国が七つに吸収された古代中国。その戦国の時代に、天下の大将軍を夢見る二人の奴隷の少年がいました。信と漂という名の二人は、いつか戦場に出て手柄を立てることを目指して剣の腕を磨きます。漂が王宮に召し抱えられ離れ離れとなるも二人の夢は変わりませんでしたが、ある時漂が瀕死の状態で戻ってきます。それから信の激動の運命が転がりだします。
李牧のプロフィール
キングダムに登場する李牧のプロフィールを紹介します。李牧は三大天と呼ばれる趙国最強の武将の一人です。王騎を討った馬陽の戦い以降は、宰相の座に就いています。見た目は20代後半から30代と若く、それでいてその頭脳から繰り出される知略は他国の歴戦の武将を次々と陥れていきます。知略型の武将であるものの武も持ち合わせており、信の一撃をも受け止めました。
キングダムの李牧の最後は悲惨でかわいそう?
キングダムに登場する、趙の有能な宰相・李牧。秦が中華統一を目指す道に立ちはだかる最も強大な敵・李牧には、処刑されるという噂があります。ここでは李牧がどのような最後を迎えるのか紹介します。まずは史実における李牧の最後や死因、最後はいつになるのかということです。
李牧の史実での最後・死因は処刑されて死亡
史実での李牧の最後や死因を紹介します。結論から言うと、史実における李牧は趙王・幽繆王(ゆうぼくおう)に捕えられ、処刑されています。幽繆王は第10代の趙王であり、暗君として歴史に名を残している人物です。キングダムでは第9代趙王・悼襄王が愚鈍な王として描かれていましたが、実際には李牧や龐煖を将軍に起用し、年老いた臣下を切り捨てるなど、没落する趙を改革しようとした人物でした。
キングダムで李牧が趙の次代王には太子の嘉がふさわしいと考える描写がありましたが、史実では王の座に就いたのは嘉の弟・遷でした。史実によると悼襄王は生前、嘉を太子に立てていましたが、途中でもう一人の息子・遷を太子に立て替えます。嘉と遷は異母兄弟であり、悼襄王は遷の方をより可愛がっていたようです。そうして趙王になった遷は王位につき、幽繆王となります。
史実で李牧が処刑されるまでの経緯を紹介します。史実では、秦は鄴を落としたあと、桓騎を総大将に平陽、武安を落としていきます。そして宜安で李牧とぶつかり、激しい戦いの後に秦が大敗します。秦が中華統一までの過程で敗北したのはこれが初めてであり、強大な秦を下した李牧の有能さがわかります。その後、秦は王翦、楊端和、羌瘣を将軍にした連合軍を立ち上げ、趙の首都である邯鄲に侵攻します。
これに対し趙は李牧と司馬尚を出し、邯鄲を防衛しました。この防御が非常に固く、秦軍は手こずります。そこで王翦が考えたのが、離間の計です。王翦は趙の臣下である郭開を賄賂で買収し、幽繆王に「李牧と司馬尚が謀反を企てている」と虚偽の事実を伝えさせました。李牧の有望さや軍への影響力を密かに恐れていた幽繆王はそれを信じてしまい、李牧と司馬尚を更迭しようとします。
しかし趙は現在、首都邯鄲を秦から防衛するという国の行く末をかけた戦いの最中です。それを率いる李牧が更迭されてしまえば、趙が落とされることは間違いありません。李牧は幽繆王の命令を拒否します。すると幽繆王は李牧を捕えさせ、処刑しました。李牧が処刑され司馬尚が更迭されたあと、代わりに別の将が首都防衛の指揮を取りますが、3ヶ月後に邯鄲は陥落、幽繆王は捕えられ趙は滅亡します。
李牧の最後はいつになる?
史実での李牧の処刑された最後をお伝えしましたが、それではその処刑はいつになるのかも紹介します。史実では李牧が処刑されるのは紀元前229年、始皇18年のことです。史実では鄴が秦によって陥落されたのが紀元前236年のことであり、それから7年後に李牧は処刑され最後を迎えるということになります。
キングダムの李牧の最後に関する予想考察
古代中国の春秋戦国時代をモデルに製作されているキングダムですが、基本的には史実に沿って作られているものの、武功をあげた将軍が入れ替わっていたり、史実に記されていない部分でオリジナルの設定や展開が描かれたりもします。
つまり、キングダムでの李牧の最後や死因はある程度は史実通りになることが予想されるも、少し変更される可能性もあるということです。そこで次からは、キングダムで李牧の最後が史実通りにならなかった場合、どのような最後や死因になるかを予想し、考察していきます。
李牧の最後に関する予想①戦死する?
李牧の最後や死因に関する予想・考察を紹介します。ここで紹介するのは、戦死するという予想・考察です。キングダムにおいて現段階で最も強大な敵となっている李牧ですが、それを秦の国の武将が倒すところが見てみたいという声も多く挙がっています。それでは、李牧の死因は戦死という予想・考察を二つ紹介します。
王翦に敗北
李牧の最後や死因に関する予想・考察の一つ目は、王翦に敗北するというものです。王翦は朱海平原で李牧と互角以上の戦いを繰り広げた秦の将軍であり、李牧を倒す可能性のある一人です。朱海平原において、李牧は盾兵に「虚脱」という戦術を教え込ませ、秦軍の攻撃を難なく受け流します。そのうえ本能型の武将が得意とする「起こり」から相手の攻撃を察知する技術も、李牧は自身が知略型の武将であるにも関わらず会得していました。
そのカラクリが分からず秦軍は苦戦しますが、これを見抜いて突破したのが王翦です。また、戦い全体の命運を分けたといえる秦右翼の戦いに関する読みも、王翦が李牧を抜きました。李牧は飛信隊が右翼を抜けてくるのは無理だと踏み、王翦は成功すると考えていましたが、結果は王翦の読みの通りでした。このように、朱海平原における王翦と李牧の知略による直接対決は、王翦が勝ったと言えます。
このように、李牧を打ち倒す可能性がある一人に王翦がいることは間違いありません。ただ考慮すべき点は、王翦は勝てる戦いしかしないというポリシーの持ち主であるということです。李牧に一度勝ったと言っても、かなり僅差での勝ちであり、もしかすると今後李牧と直接対決することは避ける可能性もあります。以上、李牧の最後に関する予想・考察の一つ目の紹介でした。
信との一騎打ち
李牧の最後や死因に関する予想・考察の二つ目は、信との一騎打ちで破れるというものです。信と李牧の因縁はキングダム16巻にまで遡ります。信が目指す「天下の大将軍」を体現していた王騎は、馬陽編にて李牧の用意していた伏兵によって窮地に追いやられ、趙の三大天・龐煖に討ち取られます。実際に王騎を討ったのは龐煖ですが、そこにまで導いたのは明らかに李牧の策であり、信はいつか李牧を自分の手で討ち取ることを決意します。
信は李牧との間に深い因縁があるだけでなく、今後の成長も鑑みると李牧を倒す武力も持つであろうことが推測されます。ただ、一度李牧と剣を交えた際には信の攻撃は受け止められています。李牧は知略だけが優れている訳ではなく、武も持ち合わせた強い武将です。現時点では難しいようですが、今後信が成長して李牧を打ち倒す展開が期待されています。
李牧の最後に関する予想②病死や毒殺?
李牧の最後や死因に関する予想・考察を紹介します。次に紹介するのは、病死や毒殺による最後です。李牧は武将なので一見戦場で死ぬことが予想されますが、そうではない死因も考えられます。その場合考えられる死因が、病死や毒殺です。それでは、紹介していきます。
不治の病で死亡?
李牧の最後や死因に関する予想・考察の三つ目は、不治の病による最後です。李牧が生きていた紀元前の春秋戦国時代には数多くの伝染病が存在し、それに対する有効な治療法はあまりありませんでした。不治の病による最後を迎えるとすると、李牧は誰にも打ち倒されることなくこの世を去ることになり、李牧の有能さを強調できると考えられます。
毒殺される?
李牧の最後や死因に関する予想・考察の四つ目は、毒殺による最後です。史実によると李牧の有能さを恐れた幽繆王が、諫言に耳を貸したことで李牧は処刑されます。しかしもしかすると捕えられて処刑されるのではなく、李牧の存在を厭う誰かにより毒を盛られて最後を迎える、という展開になることも考えられます。以上、李牧の最後に関する予想・考察を四つ紹介しました。
キングダムの李牧の史実での功績や先祖・子孫
キングダムに登場する李牧は秦の怪鳥・王騎すらも策にかけた猛者であり、自らが先導して六カ国の合従軍を立ち上げたり単身秦に訪れて中華統一を諦めさせようとする、度胸のある人物として描かれています。そこで史実に描かれる李牧はどんな人物だったのか気になる方も多いようです。それでは、史実での李牧の功績や、ルーツとも言える先祖、そして子孫について紹介します。
李牧の史実での功績
キングダムで六カ国の合従軍を立ち上げたりする大胆な行動が印象的な李牧ですが、史実ではもう少し慎重な面もあったようです。次に史実での李牧の功績を紹介します。
功績①戦い方は地味?
キングダムでも少し触れられている、趙と匈奴との国境沿いの戦いでのことです。匈奴とはモンゴル高原を中心に活動していた遊牧民族のことで、度々趙への侵攻を行い略奪や拉致を行なっていました。李牧は北方の国境を守備する軍の長官を任されていました。その任で李牧がやったことは、兵に対し「匈奴が襲ってきたらすぐに城に逃げろ」と命令することでした。そのうえ反撃したものは斬首するとまで伝えました。
この戦法により匈奴の攻撃で大きな損害を受けることはありませんでしたが、臆病風に吹かれたとしか思えないこの命令に、趙軍の兵士たちの間では不満が募ります。趙王もこれを避難し、やり方を変えるよう告げますが、李牧は頷きませんでした。そのため李牧は国境防衛の任を解かれます。しかし後任の将軍がやってきて盛んに匈奴と交戦するものの、損害が大きくなるばかりで国境の防衛は危うくなります。
この惨状を見て、ようやく己の過ちに気が付いた趙王は李牧に任に戻るよう願いますが、李牧は仮病を使ってこれを辞退します。しかし趙王が諦めなかったので、将軍に戻れば自分の方針に口出ししない約束を李牧は取り付けます。こうして李牧は匈奴との戦いに戻ったのでした。このエピソードに、史実における李牧の頑固さがよく現れています。
功績②匈奴騎兵十万を全滅
任に戻った李牧は前と同じように、逃げることを第一にした戦法を続けます。そしてある時、少しの人とたくさんの家畜を置き去りにしてわざと敗走し、略奪させました。これによって趙軍を完全に舐めた匈奴は、今度は十何万もの大軍を連れて国境に攻め入ってきます。しかし李牧は伏兵を潜ませており、匈奴の軍を取り囲んでこれを討ちました。
これに恐れおののいた匈奴は、その後10年以上趙の北方を侵そうとはしませんでした。史実における李牧は頑固ですが、漫画と同じように有能だったことがわかります。
功績③桓騎に勝つ
そのころ秦の趙への侵略が激しくなってきており、鄴が奪われる出来事がありました。武遂では桓騎率いる秦軍が趙将を討ち、十万の趙兵が命を落とします。巻き返したい趙王は李牧に軍を任せます。また、北方の国境防衛でのその功績が認められたこと、そして三大天の一人・廉頗将軍が魏に亡命したことで、李牧は中央に呼び出され大将軍の座に任命されます。
大将軍に任じられたその年、桓騎率いる秦軍が赤麗と宜安を占拠します。李牧は趙全軍を率い、これを討って出ました。両軍は激しく戦い、結果趙が勝利します。この功績で李牧は武安君に封じられます。その後も番呉を攻める秦軍を撃退し、秦に奪われていた韓と魏の領土を奪い返しました。史実における秦が中華統一を実現していく過程の中で敗北したのは、この李牧と楚の項燕のみでした。
李牧の先祖は秦で御史大夫をしていた?
それでは次に、史実に記される李牧の先祖について紹介します。「新唐書」という唐の歴史書に、李牧の祖父についての記載があります。それによると李牧の祖父の名は李曇(りどん)であり、秦で御史大夫をしていた人物のようです。御史大夫とは古代中国において大臣を補佐する国政参議官のことであり、かなり身分の高い位であったことがわかります。
李曇の息子、つまり李牧の父の名前は李璣(りき)です。秦で太傅の任につき、国政において太子を導く役割を果たしていました。しかしこのように高い地位についていたにも関わらず、李璣は趙へ行きます。そして子供を三人持ち、その一人が李牧でした。
李牧の子孫も智謀の士?
趙の宰相となって活躍した李牧ですが、「新唐書」によると子供がいたと記されています。李汨(りべき)、李弘(りこう)、李鮮(りせん)の三人です。また、李白の子供、つまり李牧の孫も三人いて、李諒(りりょう)、李左車(りさしゃ)、李仲車(りちゅうしゃ)だと記されています。このうち李左車は、李牧に似て非常に優秀な頭脳を持っており、さらに現代にも伝わる有名な言葉を残しています。
李左車の時代、趙の宰相であり代王を務める実力者・陳余によって支配されていました。李左車は優秀な頭脳を活かし、軍師として陳余に仕えていました。当時趙は漢と対立していたことから、井脛における楚と漢の戦いに第三の勢力として参入します。趙軍は漢の三傑の一人、韓信を討とうと考えます。李左車は陳余に、韓信が狭い谷間を通る時を狙って挟撃する策を提案しますが、陳余はこれを拒否します。
というのも、その時韓信軍は三万、陳余は二十万と兵力に大差がついていました。慢心した陳余はそれだけの軍にそのような姑息な計略を使うのは恥だと考えたのでした。しかしこれが仇となりました。韓信は容易に狭い谷間を通り抜けてかの有名な背水の陣を敷きます。
通常の兵法では水辺を背にすることは逃げ場を失うことであり、これを見た趙軍は舐めきって韓信軍に襲いかかります。しかし退路を絶った韓信軍は死ぬ物狂いで戦い、趙軍は思ったよりも苦戦します。一度立て直そうと城へ戻った時、趙軍が目にしたのは城にはためく大量の漢の旗でした。趙がほぼ全軍で水辺の韓信軍を攻めていた時、韓信の別働隊が密かに城を落としていたのでした。
慌てふためいた趙軍は後ろから襲ってきた韓信の軍に総崩れとなり、敗北します。陳余は処刑され、李左車も捕えられます。しかし敵将ながら李左車の知略を尊敬していた韓信は、李左車を漢の軍師として引き入れ、斉と燕を滅ぼす方法を尋ねます。これに対する返答が、かの有名な「敗軍の将は兵を語らず」です。韓信はこれに対し、趙が滅びたのは李左車のような賢い人の意見を聞かなかったからで、李左車のせいではないと告げました。
李左車は「智者は千慮に一失が有り、愚者も千慮に一得が有る」と謙遜した後、疲弊した韓信兵を休ませ、侵略した趙の人々に施しを与えて懐柔し、軍に編成して燕や斉を攻めれば良いとアドバイスしました。韓信はその通りに実行し、燕と斉を陥落させます。このように李牧の孫である李左車は、祖父に似た優秀な頭脳を持つ優れた軍師でした。李牧の子孫たちはその後も栄えていきます。
李牧は史実ではイケメンだった?
キングダムでは若いイケメンとして描かれている李牧ですが、史実ではどうだったのか気になる方も多いようです。史実には李牧の容姿については記載されていませんが、年はキングダムとは異なると考えられます。李牧はもともと無名の武将であり、北方の国境防衛の任につくには30歳ごろまでかかったのではないかと推測できます。そこでの仕事が10年ほどあったとすると、キングダムに登場する頃には40歳前後だと推測されます。
キングダムの李牧の強さや過去
史実における李牧の記載を確認したところで、次にキングダムにおける李牧の強さや過去を紹介します。現在キングダムに登場する秦の敵としては最も高い壁である李牧について、知りたい方はぜひご覧ください。
李牧の強さ①王翦と王騎を追い詰めた?
李牧がその強さを最初に示したのは、馬陽戦において秦の怪鳥・王騎を策に落とした時でした。王騎は伏兵を予想していたものの、想定より早いスピードでそれが現れたことに汗を流します。常に大胆不敵で堂々としている王騎が初めて窮地に陥りました。李牧は馬陽戦が行われる前から伏兵を忍ばせており、徹底した情報封鎖でそれを漏らさないようにしていました。李牧の化け物ぶりが明確に記された出来事でした。
また、のちに朱海平原の戦いでも李牧は王翦を追い詰めます。結果的にその知略勝負は王翦が勝利したものの、「勝てる勝負しかしない」という王翦をギリギリまで追い詰めたのは、李牧の頭脳あってのことでした。
李牧の強さ②戦術
また、鄴攻略編でのある出来事からも李牧の強さがわかります。鄴を攻略せんと策を練りに練って出陣した秦軍でしたが、列尾でその全てが無に返ります。思ったよりも簡単に落とせた列尾城は、わざと弱く作られていたのでした。これは強靭に作られた列尾城が落とされればその奪還が不可能になると考えた李牧が、あえて落としやすくすることで取り返せるようにする策でした。
列尾が取り返されてしまえば元々立てていた計画は失敗に終わります。鄴攻略、ひいては趙を落とすのが不可能になりかけた李牧の一手でした。李牧の恐ろしいほどの先を見通す能力が示されたと言えます。また、この窮地を脱するため王翦軍は策を練り直しますが、そこでも李牧によって撹乱されていきます。
朱海平原において、王翦の指示により麻鉱軍が波状攻撃を仕掛けますが、それをすり抜けて李牧が本陣に入り込み麻鉱本人を討ってしまうのでした。一見不可能に思えるワープでしたが、李牧が王翦の仕掛ける波状攻撃を読み、敵将の位置を完全に把握していたと考えれば無理ではないかもしれません。李牧の底知れなさがわかる出来事でした。
李牧の強さ③無意味な死を避ける
無意味な死を避けるというのも李牧の強さを支える重要なファクターです。馬陽の戦いにおいて龐煖が王騎を討った時も、敗走する王騎を追おうとする趙兵に追撃を禁じました。感情的になれば無駄な死者が出るという判断です。また、合従軍編において秦の麃公将軍を追い詰めた時、その場に現れた信を見て「私に子供を殺させるな」と念じます。敵であっても無駄に子供を殺したくないという李牧のポリシーがわかります。
李牧の強さ④山の民により敗北
合従軍編にて、六国をまとめあげて同盟軍を作り上げた李牧は、秦の最後の防衛線である函谷関に攻め込みます。しかし予想以上の抵抗にあい、函谷関落としは難攻します。そこで李牧はわずかな部隊を引き連れてその場を離脱し、警戒されていなかった南の道を通って咸陽に向かいます。間一髪それに気がついた秦軍は、咸陽までに存在する蕞で李牧たちを食い止めようとします。
老人や女子供しかいない蕞でしたが、秦王・嬴政による直接の鼓舞によってなんとか七日間趙の攻撃を耐え凌ぎます。しかしもう限界をとうに越え、李牧も蕞を落としたことを確信したその時、西の山に秦への援軍が到着します。それは楊端和率いる三万もの山の民の軍であり、これによって形勢は一気に逆転します。こうして李牧、ひいては合従軍は敗退しました。
李牧の強さ⑤朱海平原から逃亡?
朱海平原の戦いにおいて、李牧は王翦と対決しています。王翦は閼与を落とそうとしており、これが成功すれば秦軍に食料の補給が可能になってしまいます。王翦の策略によってどちらの兵糧が先に尽きるかという戦いになっている現状では、食料の補給ルートが確保されてしまうことはすなわち、趙の負けを意味します。閼与が落ちれば、李牧は逃亡すると考えられます。
李牧の過去
李牧の強さの原動力となっているのは、その暗い過去であると推測されます。李牧はかつて戦争で親兄弟を失い、怒りのままに友と共に敵陣に突撃したことがありました。結果、友は死に、李牧は生き残りました。李牧は感情を抑えられなかったために大切なものを全て失いました。その体験から李牧は、生は自分が思うよりも尊いものだと知ります。このような暗い過去が現在の李牧を形作り、強くしているということがわかります。
キングダムの李牧に関する感想や評価
キングダムの最新巻、やっと読めた。。最後の李牧の描写はアカン泣ける。。
— baba / マーケ✖️プログラミング (@babachinihcabab) October 6, 2020
めちゃくちゃ能力が高くて人望も厚い優秀なリーダーがいるのに、親族経営陣が無能なせいで組織が崩壊するって、どこかで聞いたことのある話しみたい。
キングダムで趙のことを誰よりも思い戦う李牧ですが、使える主人の趙王が愚王であるためにその努力が全く報われないことを悲しむツイートです。
キングダムでの李牧の最期、史実通りじゃなく討ち取られるとしたら李牧が負けたことになるから個人的には処刑の方がいいな
— まえたな (@uzikihune) June 24, 2020
キングダムで李牧が1番好きです
キングダムの李牧を好きな方は、最強の将の一人である李牧が討ち取られる姿を見たくない方も多いようです。敵でありながら読者を魅了する李牧の魅力が伝わってくるツイートです。
キングダム:李牧って史実ではまだ活躍するんですよね?ここからどう立て直すのか、信じゃないですけど普通に李朴を応援してしまう
— ミココ🔥 (@yu_yu_16) July 2, 2020
史実では桓騎軍を大敗にまで追い込む李牧ですが、現時点のキングダムでは敗れることが多く、思わず応援してしまうというツイートが多く見られました。
キングダムの李牧の最後まとめ
キングダムに登場する李牧について、史実での処刑される最後やキングダムでの最後を予想・考察して紹介しました。史実では凄惨な最後を迎える李牧ですが、もしかすると史実通りにならない可能性もあります。今後のキングダムの展開に、ますます注目が集まります。