【キングダム】鄴攻めを史実から考察!王翦と李牧の勝負の結末は?趙滅亡のきっかけ?

漫画キングダムの作中で一番長いストーリーとなっている鄴攻め編。鄴攻め編とはその名の通り秦国が趙国の首都の喉元である鄴を攻めた史実を基に描かれたストーリーであり、王翦や桓騎、楊端和といった数々の名将が参戦しています。一方趙国は戦争途中に趙国三大天の李牧を更迭したことで滅亡寸前まで追い込まれてしまいます。本記事ではそんな漫画キングダムに描かれた鄴攻めについて史実の展開や王翦と李牧の戦いの結末、その後の展開などをまとめてご紹介します。

【キングダム】鄴攻めを史実から考察!王翦と李牧の勝負の結末は?趙滅亡のきっかけ?のイメージ

目次

  1. キングダムの鄴(ぎょう)とは?
  2. キングダムの鄴攻めを史実から考察!王翦と李牧の勝負の結末は?
  3. キングダムの鄴攻めは後の趙滅亡のきっかけ?
  4. キングダムの鄴攻めにおける史実との違い
  5. キングダムの鄴攻めのその後の戦い
  6. キングダムの鄴攻めのその後に悼襄王が崩御する?
  7. キングダムの鄴攻めに関する感想や評価
  8. キングダムの鄴攻めまとめ

キングダムの鄴(ぎょう)とは?

キングダムの作品情報

漫画キングダムに登場する趙国の首都・邯鄲の喉元にある鄴。鄴は中国史の中でも軍事的重要拠点の1つに挙げられている都市であり、趙国にとって生命線ともいえる場所でした。しかし秦国が王翦や桓騎、楊端和といった名将に軍を率いさせて鄴攻めを敢行します。この戦いで李牧は善戦するものの、最終的に鄴を失ってしまいました。本記事ではそんな漫画キングダムの鄴攻めについて史実やその後の展開などをまとめてご紹介します。

キングダムの概要

ではまず鄴攻めの史実やその後の展開などをご紹介する前に、鄴攻めが描かれた漫画キングダムの概要や物語の簡単なあらすじについてご紹介していきます。鄴攻めが描かれたキングダムとは2006年から2020年9月現在にかけて「週刊ヤングジャンプ」で連載されている原泰久の歴史漫画作品です。漫画キングダムは春秋戦国時代の中国を舞台にした歴史作品であり、天下の大将軍を目指す信と後の秦の始皇帝である嬴政の活躍が描かれてます。

2020年9月現在漫画キングダムの単行本は59巻まで刊行されており、6800万部を越える非常に多い累計発行部数を記録しています。そんな漫画キングダムは第17回の手塚治虫文化賞でマンガ大賞を受賞したことによって一躍注目を集め、様々なメディアに取り上げられるようになりました。これにより漫画キングダムは人気が爆発し、3期に渡るアニメや実写映画などのメディア作品が多数制作されるほどのブームを巻き起こしました。

キングダムのあらすじ

上述でも少しご紹介した通り、漫画キングダムは天下の大将軍を目指す主人公の信が後の秦の始皇帝である嬴政と共に成長する姿を描いた歴史漫画作品です。そんな漫画キングダムは春秋戦国時代を舞台にしているため、史実で実際にあった戦いがオリジナル要素を加えて描かれています。また李牧や王翦といった史実に実在した名将が多数登場しているので、歴史好きにとって漫画キングダムは非常にたまらない作品となっています。

鄴(ぎょう)とは?

本記事で史実の戦いや王翦と李牧の戦いなどをご紹介する鄴とは中国の河北省に位置する都市です。元々中国の河北省にある鄴は周王朝の後に起こった春秋時代に桓公という斉国の16代君主が作った城塞都市でした。斉国の桓公が作った鄴はその後紀元前400年から450年あたりに起こった戦国時代に魏国が統治しました。この時魏国の西門豹という人物が大規模な灌漑事業を行ったことにより、一躍大都市になったと「史記」に記されてます。

しかし春秋戦国時代になった時、鄴は紀元前239年に趙国が魏国から割譲されるかたちで治めることになりました。何故魏国が豊かな大都市であった鄴を趙国に譲ったかは詳しく判明していません。この時代、中華統一を目論む秦国は割拠している隣国に軍を活発的に動かしていました。もちろん魏も秦国の被害を逃れることは出来ませんでした。おそらく魏国は鄴を引き渡すことを条件に、趙国と協力して秦国に当ろうと考えたのでしょう。

しかし紀元前239年から3年経った紀元前239年に秦国は王翦・桓騎・楊端和に軍を率いさせ、鄴攻めを開始します。鄴を領有していた趙国は長平の戦いで白起に大敗を喫したことにより、国力が大きく低下していました。そのため趙国は為す術無く、鄴を秦国に奪われてしまいました。大都市である鄴を失った趙国は衰退の一途を辿ることになります。そして秦国は鄴という豊かな土地を手に入れたことで大躍進することになりました。

その後秦国が陳勝・呉広の乱や項羽と劉邦達によって滅亡した後、後漢時代に袁紹という名門袁家の人間が鄴を支配しました。そして官渡の戦いで曹操は袁紹を破り、彼に代わって鄴を統治します。曹操は鄴に銅雀台という宮殿を建築し、中国でも首都に並ぶほどの発展を遂げました。しかし南北朝時代に鄴は焼き払われ、都の姿を消してしまいます。その後現代になって発掘調査で遺跡が発見され、その全貌が明らかになりました。

TVアニメ「キングダム」公式サイト

キングダムの鄴攻めを史実から考察!王翦と李牧の勝負の結末は?

史実での鄴攻めの流れは?桓騎が落とした?

ではここからは漫画キングダムに描かれた鄴攻めの史実や王翦と李牧の勝負の結末をまとめてご紹介していきます。漫画キングダムの作中で秦国の昌平君は趙国の首都である邯鄲を攻略するため、まず鄴攻めを行うことにします。これは邯鄲の喉元を取ると共に、趙国三大天の李牧を出し抜くためでもありました。上述でもご紹介した通り、史実でも秦国は中華統一を早く成し遂げるため、紀元前236年に軍を出して鄴攻めを開始しました。

この鄴攻めは漫画キングダムでも特に長いストーリーとなっており、秦趙両国の将軍達が多数登場する大激戦が描かれています。しかし残念ながら鄴攻めは史実にあまり記録が残っていません。史実の紀元前236年に秦国は王翦に総大将を任せ、鄴攻めを行います。鄴攻めを任せられた王翦は秦国の中華統一に大きく貢献した希代の名将です。そんな総大将・王翦の副官に秦国の嬴政は桓騎将軍を就け、楊端和将軍を末将に任せました。

紀元前236年の趙国は大都市の鄴を統治していたものの、度重なる戦いで碌に軍を有していませんでした。そのため趙国は鄴の周辺にある9つもの城を王翦達に奪われてしまいました。漫画キングダムでは李牧がそれを防ぐために善戦するものの、史実には李牧の名前が鄴攻めに記載されていません。9つの城を奪った秦国の王翦は桓騎に一旦統治を任せます。そして王翦は桓騎と楊端和を置いて北上し、閼与にて趙軍と激突しました。

巧みな軍略で趙軍を破った王翦は閼与と轑陽という2つの趙国の領土を占領します。そして王翦は精鋭だけで軍を構成し、一気に鄴攻めを再開します。この時趙国は立て直しが出来ないほどの損害を抱えていました。なので王翦は難攻不落の城であった鄴攻略を成功させます。その後王翦は桓騎や楊端和と共に趙国の首都である邯鄲に進軍を開始しました。そして王翦は李牧の死によって邯鄲を容易に攻略し、趙国は滅亡することになりました。

キングダムでの王翦と李牧の勝負の結末

上述でご紹介した通り、史実の歴史で王翦が鄴攻めで李牧と戦ったという記録は一切残っていません。しかし漫画キングダムでは秦趙両国を代表する名将の王翦と李牧が鄴攻めにて戦うことになります。鄴攻めを立案した昌平君は王翦・「山の民」を率いる女将軍楊端和・桓騎の3人で軍を構成します。そして飛信隊などを率いて合計20万の大軍で王翦は鄴攻めを開始しました。一方趙国の李牧は燕のオルド侵略に頭を悩ませていました。

その中で李牧は秦が鄴攻めを敢行したことを察知し、急ぎ軍の準備を行いました。その後王翦は楊端和率いる「山の民」と飛信隊の活躍で列尾を手に入れ、鄴に進軍を開始します。しかし王翦は難攻不落の鄴を見て簡単に落とせないことを察知し、兵站部隊すらも入れた全軍で鄴を攻略することにします。これは兵糧が尽きるまでの時間勝負でした。その頃李牧は轑陽を舜水樹に任せ、自身は閼与の軍を率いて王翦軍に当ることにしました。

これに対し王翦は桓騎と楊端和に軍を任せ、1人閼与にて李牧軍を倒そうとします。この閼与は以前大敗を喫した秦国にとって因縁の土地でもありました。王翦軍に所属している飛信隊の隊長・信も閼与に軍を進め、朱海平原で李牧軍の右翼を叩くことにしました。しかし李牧の奇襲により、一時王翦率いる秦軍は窮地に立たされてしまいます。そこで若き軍師の蒙恬が才能を開花させ、王翦が認めるほどの手腕で軍の立て直しに成功しました。

一方「山の民」を率いる楊端和と「山の民」の壁は轑陽の戦いで優勢に立つものの、兵糧を焼かれたことで形勢が趙国に傾いてしまいます。そこで楊端和は大きな被害を出しながらも総攻撃を行い、轑陽城の攻略に成功しました。しかし閼与の朱海平原で戦う王翦軍は趙国の「藺家十傑」や趙国三大天の龐煖の参戦によって勝利の兆しが全く見えていませんでした。その中で信は右翼の大将を任され、趙の左翼を壊滅させる活躍をします。

一方趙国の李牧は鄴に侵入した王翦の兵士に兵糧を焼かれてしまい、秦軍と同様に焦りの色を見せていました。兵糧不足が気になる李牧は勝敗を決めるため、王翦率いる本軍と決戦することを決意します。李牧は奇策を用い、王翦軍を追い込みました。しかし王翦も李牧に匹敵する軍略家であり、すぐに戦況を元に戻します。するとその中で李牧の本陣に迫った信が猛将の龐煖を討ち取ったことで戦況は一気に秦軍に傾きました。

龐煖の戦死によって士気が低下した趙国は李牧の命令で軍を朱海平原から撤退させ、鄴に戻りました。そして何日まで及んだ閼与での朱海平原の戦いは王翦に軍配が上がって終戦を迎えました。その後王翦は追撃を開始し、鄴に向かう李牧軍を散々に打ち破ります。そして桓騎は内部から崩れる鄴城に入り、見事鄴攻めを成功させました。その頃鄴を失った李牧は兵糧攻めで攻勢に転じようとするものの、敗戦の責任で捕縛されるのでした。

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キングダムの鄴攻めは後の趙滅亡のきっかけ?

鄴攻めは後の趙滅亡の契機になる?

ここからは鄴攻めによって生まれた趙国の影響についてご紹介していきます。漫画キングダムの作中で鄴攻めを成功させた王翦。鄴を攻略した秦軍は歓喜するものの、底を尽きた兵糧に頭を悩まされます。しかし王翦は兵糧不足も予想の範囲内であり、先に斉国から兵糧を購入していました。この王翦の機転によって秦軍は兵糧不足から逃れることに成功しました。これにより秦軍は趙国の首都・邯鄲に攻めはいることが出来るようになります。

一方鄴防衛戦で敗北した李牧は敗戦の責任によって捕縛され、処刑を宣告されてしまいます。これにより李牧の配下達は王都へ行き、李牧を救出しようとします。するとその中で趙国の王である悼襄王が急死してしまいます。悼襄王の急死によって趙国は一気に後継者を決める内部争いが始まってしまいました。そこで後継者の1人である太子嘉が立ち上がり、李牧を解放します。しかし郭開の陰謀で後継者が末子の遷に決まってしまいました。

解放された李牧は太子嘉と共に、邯鄲から脱出するのでした。既に趙国は李牧を失ったことで大きく戦力を低下させていました。さらに豊かな土地である鄴を失い、兵士達の士気も地に落ちていました。なので趙国にとって鄴の落城は滅亡の大きな契機になったと断言出来ます。もし鄴が陥落していなければ、首都の邯鄲を守ることが出来ます。しかし鄴を失った趙国は首都の邯鄲に通じる道を全て秦国に奪われた状況になってしまっています。

おそらく今後、趙国は史実通りに王翦・桓騎・楊端和の3人によって滅亡してしまうことでしょう。史実でも鄴を失った趙国は李牧を使って邯鄲を守ろうとするものの、秦軍の圧倒的力によって大苦戦を強いられてしまいます。その中で郭開が趙の国王である幽繆王に讒言を行い、李牧を処刑しました。李牧の死によって趙国は唯一の守り神を失い、邯鄲が落城します。最後幽繆王は秦軍の捕虜となり、奸臣の郭開は行方不明となりました。

鄴攻めのその後秦は趙との戦いに次々に勝利

鄴攻めを成功させた王翦・桓騎・楊端和の3将軍は上述でご紹介した通り、趙国滅亡のために軍をすぐに動かします。まず史実の鄴攻めで副将を務めた桓騎は平陽と武城という趙国の2城を攻略します。そこで桓騎は趙国の将軍である武遂と扈輒を討ち取りました。さらに桓騎は約10万もの趙国の兵士を斬首したと記録されています。その後紀元前233年に桓騎は武城と平陽を越えて宜安と赤麗という2つの領土を攻めて功績を挙げます。

しかし桓騎は肥下の戦いで李牧と戦い、戦死してしまったと「戦国策」に記されています。一方司馬遷が手掛けた中国の歴史書「史記」には戦死しておらず、そのまま敗走したことになっています。この桓騎の記録は漫画キングダムでどちらになるか注目です。一方王翦と桓騎の末将として鄴攻めに参戦した楊端和は史実で河内軍の兵士を率い、趙国の首都・邯鄲包囲戦に参戦しました。そこで楊端和は王翦と羌瘣と共に邯鄲を落城させました。

しかし楊端和はあまり歴史に名前が残っておらず、王翦や桓騎のようにどれほどの功績を挙げたかは不明となっています。それでも資料が少ない春秋戦国時代の歴史の中に名を残していたということは楊端和が鄴攻めで大きな功績を挙げたと断言していいでしょう。そしてそんな桓騎と楊端和を率いる総大将の王翦は異常なほど鄴攻めの後に大きな功績を挙げています。王翦は鄴攻めの後楊端和と羌瘣に命令し、趙へ軍を向かわせました。

楊端和と羌瘣に命令した王翦は井陘という場所を攻略し、李牧と司馬尚が率いる趙軍と対峙します。王翦はこの時李牧と司馬尚の有能さを知っていました。そこで王翦が所属する秦国は趙国の奸臣である郭開を買収し、内部から軍を崩そうと考えます。秦国に買収された郭開は欲に目が眩み、李牧と司馬尚が反乱を企てているといった讒言を幽繆王に行います。幽繆王はこれを信じ、趙国の名将である李牧を更迭して謀殺してしまいます。

司馬尚も将軍の地位を剥奪され、歴史から姿を消してしまいます。これにより趙国は王翦軍と戦う人材を全て失います。これを好機と見た王翦は一気に軍を進め、数々の戦で勝利を飾りました。そして王翦は楊端和や羌瘣達を率いて邯鄲を落城させます。邯鄲陥落後、幽繆王が捕らえられたことで趙国は滅亡しました。その後趙を滅亡させた王翦は燕国と楚国を滅ぼし、秦の始皇帝こと嬴政による天下統一を成し遂げることになるのでした。

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キングダムの鄴攻めにおける史実との違い

史実との違い①朱海平原の戦い

ではここからは漫画キングダムの鄴攻めについて史実との違いをまとめてご紹介していきます。漫画キングダムは本記事の最初にご紹介した通り、春秋戦国時代の史実を基に制作されている漫画作品です。しかし鄴攻めはあまり史実に残っておらず、ストーリーを広げるに限界があります。そのため漫画キングダムの鄴攻め編は史実に無いオリジナルストーリーが多数描かれています。そのオリジナルストーリーの1つが朱海平原の戦いです。

朱海平原の戦いとは漫画キングダムの鄴攻めで一番の見せ場となるストーリーです。秦国の王翦は漫画キングダムの作中で桓騎軍と楊端和軍に鄴攻めと轑楊攻めを任せ、北上して閼与に進軍します。一方李牧も邯鄲から出陣し、閼与に軍を進めました。この王翦軍と李牧軍は閼与の朱海平原で激突します。朱海平原の戦いが開幕した時、信率いる飛信隊は楽華軍と麻鉱軍の2部隊と協力し、紀彗率いる趙国の右翼を崩す勢いで攻撃を仕掛けます。

しかし李牧は秦軍が右翼を崩そうとしていることを知り、奇襲を仕掛けて麻鉱を討ち取って戦況を有利に進めました。さらに朱海平原の戦いの開幕から3日経った後、趙国の「藺家十傑」や李牧の副将達によって秦国は窮地に立たされてしまいます。その中で信は亜光を殺された恨みで李牧の副官である岳嬰を討ち取る功績を挙げました。その後若き将・王賁が秦軍を奮い立たせ、一気に李牧の副官・趙峩龍を倒して左翼を打ち崩します。

しかし十四日の夜、秦軍は龐煖の夜襲を受けて再度窮地に立たされてしまいます。趙軍を率いる李牧は兵糧の問題もあって一気に軍を進め、王翦軍の本体と激突します。そこで信は最強の猛将である龐煖を討ち取る功績を挙げ、李牧軍に大きな痛手を負わせました。この龐煖の死によって李牧は勝利を諦め、朱海平原の戦いから撤退します。これにより、王翦や信達は閼与の戦いで勝利を飾ることになりました。

このように、漫画キングダムの朱海平原の戦いは手に汗握る非常に白熱した戦いが描かれた魅力的な内容となっています。しかし残念ながら史実の歴史書において、鄴攻めで朱海平原の戦いがあったと一切記載されていません。なので朱海平原の戦いは完全に漫画キングダムのオリジナルストーリーということになります。しかし当時の資料が少ないため、もしかすると歴史の裏に隠れて朱海平原のような戦いが起こっていたやもしれません。

史実との違い②楊端和と犬戎の戦い

もう1つの漫画キングダムの鄴攻めで史実と違うポイントは楊端和と犬戒の戦いです。漫画キングダムに登場する楊端和とは秦国の女大将軍であり、「山の民」と呼ばれる部族の長を務めています。その強さは山界一と評されており、「山界の死王」といった異名が付けられています。そんな楊端和は王翦と共に出陣し、鄴攻めに参戦します。鄴攻めで楊端和は王翦から轑陽軍を倒すよう命じられ、「山の民」と共に轑陽軍と戦うことになります。

ちなみに史実では轑陽となっているものの、漫画キングダムでは「橑陽」という漢字に変更されています。李牧は轑陽に攻め入る楊端和軍を副官の舜水樹に命じて迎え撃ちました。当初楊端和は壁と共に、轑陽の趙軍を圧倒します。そこで戦場に到着した舜水樹は一度轑陽城まで撤退し、犬戒族と呼ばれるロゾ一族率いる異民族と共闘することにしました。この犬戒族は中国の西部を荒らし回っていた異民族と史実の歴史に記載されています。

当初圧倒していた楊端和ですが、犬戒族の参戦によって苦戦を強いられることになります。そして膠着状態が続く中で楊端和率いる「山の民」は兵糧不足に陥ってしまいます。そこで楊端和は全軍を率い、総攻撃を仕掛けることにします。これに応じた壁は本軍を任され、一気に轑陽城に攻撃を仕掛けました。しかし舜水樹と轑陽城を守るロゾはこの秦軍の動きを察知し、逆に壁率いる「山の民」本軍と大将の楊端和を蹂躙しました。

これにより楊端和と「山の民」は一時敗走してしまうことになります。しかし楊端和は自身を囮にし、趙軍の隙を突いて大逆転を図ります。この楊端和の作戦は大成功を収め、見事轑楊城の攻略に成功しました。この轑楊の戦いで轑陽城を統治していたロゾは討ち死にし、犬戒族は楊端和に従属することになります。このように、漫画キングダムの鄴攻めで描かれた轑陽城の戦いは楊端和と彼女が率いる「山の民」の一番の見せ場となっています。

では史実でも楊端和は轑陽城へと進軍し、趙国に所属するロゾや犬戒族と戦ったのでしょうか?残念ながら楊端和は史実で「山の民」を率いる女性将軍では無く、一般的な普通の将軍でした。確かに楊端和は上述でご紹介した通り、王翦と共に鄴攻めに参戦します。しかし轑陽城は王翦が攻略したことになっており、楊端和と犬戒族の戦いは一切記録にありません。なのでこの楊端和の見せ場も完全オリジナルストーリーといっていいでしょう。

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キングダムの鄴攻めのその後の戦い

その後①閼与攻め

ではここからは漫画キングダムに描かれた鄴攻めのその後についてご紹介していきます。漫画キングダムの作中で鄴攻めが行われた後、主人公の信は嬴政から「李」という姓を貰いました。これにより史実通り信は「李信」と名乗るようになりました。その後李信は王賁や蒙恬といった鄴攻めで功績を挙げた者達と共に、将軍位に昇進します。一方秦国に鄴を奪われた趙国では李牧が作戦失敗の責で更迭され、悼襄王が急死してしまいます。

これにより郭開が抱える末子遷と太子嘉の派閥争いが始まります。そして太子嘉が派閥争いに敗れて捕まった李牧と共に邯鄲から逃げるところで漫画キングダムは止まっています。一方史実では王翦が鄴攻めと同時に閼与攻めを始めます。王翦は桓騎と楊端和を残して1人で出撃し、閼与の戦いで瞬く間に勝利を飾りました。その後王翦は桓騎軍と楊端和軍の2軍と同流し、5分の1の兵隊だけ残して選りすぐりの精鋭部隊を作りあげます。

そして王翦は精鋭部隊を率い、鄴を陥落させます。この勝利は秦国が一度も成し遂げたことが無い大業であり、史実にはっきり功績が残されています。鄴を陥落させた王翦は上述でご紹介した通り、謀略で李牧と司馬尚の名将2人を消し、邯鄲を攻略しました。邯鄲攻略後、羌瘣が幽繆王を捕まえたことで趙国は滅亡します。そして王翦が燕や楚といった国を次々と攻略したことで嬴政は中華を統一して秦の始皇帝を名乗ることになりました。

このように、鄴攻めの後も秦国と趙国の戦いはしばらく続いています。なので漫画キングダムは今後、鄴攻めと同じく王翦にスポットを当てた趙国戦のストーリーが描かれることになると考えられます。しかし残念ながら史実通りに進んでしまうと、漫画キングダムの趙国滅亡までのストーリーはすぐに終わってしまいます。おそらく漫画キングダムは今後朱海平原の戦いのように、オリジナル要素を入れた趙国戦を描くのではないでしょうか?

その後②兵糧攻めの戦い

漫画キングダムの作中で王翦は包囲した鄴城に兵士を忍ばせることで勝利を掴み取ろうとします。王翦は堅牢な鄴を正攻法で落とせるとは微塵も考えていませんでした。なので兵糧攻めを行うことで内部から鄴を陥落させようと考えます。王翦は忍び込ませた兵士に兵糧庫を焼かせ、一気に鄴城を食料不足にさせます。これにより鄴にいる趙国は長期戦を挑めなくなってしまいます。それを知った李牧は急遽鄴城へ軍を向かわせました。

しかし時は遅く、食料を求める難民によって堅牢な鄴城の門は開かれることになりました。これを好機と見た桓騎はすぐに軍を進め、鄴城を一瞬で攻略します。しかし兵糧を焼かれた鄴城に食料は一切残っていませんでした。さらに李牧が兵站を切ったことで秦国からの食料輸送も届かなくなってしまいます。これは王翦を逆手に取った李牧の作戦でした。しかし秦国を代表する名将・王翦が食料問題を予想していない訳がありません。

王翦はあらかじめ斉国に食料を用意して貰っていました。なので食料危機に陥った鄴の秦軍は斉国から輸送された食糧によって九死に一生を得ます。一方頭脳戦で敗れた李牧は王命によって更迭されてしまいました。このように、漫画キングダムの鄴攻めは兵糧が大きな鍵を握っていました。しかし兵糧攻めは史実に記されていません。おそらくこの兵糧攻めは王翦と李牧の頭脳戦を描くためのオリジナルストーリーなのでしょう。

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キングダムの鄴攻めのその後に悼襄王が崩御する?

悼襄王とは?

ではここからは漫画キングダムに登場する悼襄王についてご紹介していきます。漫画キングダムに登場する悼襄王とは趙の第9代目国王です。趙の9代目国王である悼襄王は暗愚の中の暗愚であり、国の未来や民に全く興味を持っていません。そのため、悼襄王は廉頗に長平の戦いで敗れた先代の王より無能者だと評されています。趙国三大天の李牧も民を見捨てて自分の欲望のままに生きる悼襄王に頭を悩ませ、失望してしまっています。

そんな悼襄王は王翦率いる秦軍が鄴攻めを行ったことを聞いた際、援軍を送るのを全て拒否してしまいます。それは自分が生きている内に首都である邯鄲が落ちて欲しいという愚かな悼襄王の考えからでした。これが理由となって鄴は李牧らの奮戦虚しく陥落してしまいます。それでも悼襄王は一切の危機感を抱かず、李牧を更迭して処刑しようとしました。しかし悼襄王は毒を盛られて急死し、後継者争いを引き起こすことになりました。

鄴攻めのその後に悼襄王が崩御する?

漫画キングダムの作中で鄴陥落後すぐに毒殺された暗愚の中の暗愚・悼襄王。しかし史実での悼襄王は漫画キングダムとかなり違っています。まず悼襄王は漫画キングダムのような暗愚の中の暗愚の王ではありません。史実で悼襄王は紀元前245年に趙国の王様に即位しました。趙国の王になった悼襄王は年老いた名将の廉頗を将軍位から退けようとしました。廉頗はこれに怒り、魏へと亡命します。これは悼襄王の汚点といっていいでしょう。

しかしその後悼襄王は李牧や龐煖といった有能な人材を将軍にし、燕国との戦で度々勝利する功績を残しました。もし悼襄王がいなければ、李牧や龐煖といった名将達が世に出ることはありませんでした。しかし悼襄王は鄴攻めの後に崩御し、暗愚の王である公子遷こと幽繆王が即位します。漫画では悼襄王が李牧を更迭したことになっていました。しかし史実ではこの幽繆王が郭開の讒言で李牧を更迭し、趙を滅亡させる原因を作ったのです。

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キングダムの鄴攻めに関する感想や評価

漫画キングダムの鄴攻めに関する感想では読み応えがあって面白いといった感想が多く寄せられていました。鄴攻め編は漫画キングダムの中で一番ボリュームのあるストーリーとなっており、非常に見どころとなるポイントが多いです。また王翦や桓騎、楊端和といった将軍達の見せ場でもあります。そのため鄴攻めは長いものの、漫画キングダムファンから高い人気を博しています。

漫画キングダムの鄴攻めに関する感想ではストーリーが長いといった感想も多く寄せられていました。本記事でご紹介した通り、鄴攻め編は漫画キングダムの中でも2020年9月現在最も長いストーリーとなっています。しかし見どころとなるポイントが非常に多いので、長いストーリーであっても高く評価されています。

漫画キングダムの鄴攻めに関する感想ではまだまだ続くのではないかといった感想も多く見受けられました。鄴攻め編は鄴が陥落したところで一旦幕が下ろされます。しかし未だ趙国は首都の邯鄲を残し、李牧や太子嘉達が再起を図っています。史実でも秦国は鄴攻めの後、趙滅亡まで邯鄲の戦いや幽繆王追討戦といった戦いを繰り広げます。なので漫画キングダムの趙戦は鄴攻めの後もしばらく続くと予想していいでしょう。

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キングダムの鄴攻めまとめ

本記事では漫画キングダムに描かれた鄴攻めについて史実や王翦と李牧との戦いなどをまとめてご紹介しました。趙国との戦いで豊かな鄴を取った秦国は強国へと躍進し、本格的に天下統一へと乗り出すことになります。なので今後漫画キングダムの秦国は趙国を滅ぼし、燕や楚との戦いが本格的に始まることでしょう。おそらく鄴攻めと同じくオリジナルの物語が描かれるはずなので、ファンの皆様は今後の展開にご注目下さい。

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