【キングダム】楽毅とはどんな人物?諸葛亮孔明が憧れた将軍の生涯・最期を考察

漫画キングダムにおいて、過去に燕軍の大将軍を務めた楽毅将軍。楽毅とはかつて7つの国の中で最も弱かった燕の兵士を率い、最強国であった斉を倒した中国史史上トップクラスの名将であり、漫画キングダムの作中でも伝説とされています。この楽毅の戦いに満ちた生涯はあの三国志の天才軍師諸葛亮さえも憧れを持っており、近代でもその名が語り継がれています。本記事ではそんな漫画キングダムに登場する楽毅について伝説といわれた生涯を最期までご紹介していきます。

【キングダム】楽毅とはどんな人物?諸葛亮孔明が憧れた将軍の生涯・最期を考察のイメージ

目次

  1. 楽毅はどんな人物?
  2. 楽毅の生涯の活躍
  3. 楽毅の最期と子孫
  4. 楽毅の名言
  5. 楽毅に関する感想や評価
  6. 楽毅についてまとめ

楽毅はどんな人物?

キングダムの作品情報

弱小国である燕を率い、大国斉を滅亡寸前まで追い詰めた伝説の名将楽毅。漫画キングダムでも楽毅は史実と同じく伝説の名将として描かれており、故人でありながらも大きな影響力を持っています。ではそんな楽毅とはどういった人物だったのでしょうか。本記事では楽毅将軍について最期までの生涯をご紹介していきます。ではまず初めに、名将楽毅将軍が登場する漫画キングダムの概要やあらすじをまとめてご紹介していきます。

キングダムの概要

本記事で最期までの生涯などをご紹介する楽毅が描かれた漫画キングダムとは原泰久が手掛ける日本の漫画作品です。漫画キングダムは春秋戦国時代末期を舞台に秦の始皇帝となる嬴政と大将軍を目指す信の生涯を描いた歴史漫画であり、2006年から2019年10月現在に渡って「週刊ヤングジャン」で連載されています。また漫画キングダムはアニメ化やゲーム化など多数のメディア展開がされており、非常に高い人気を誇っている作品です。

キングダムのあらすじ

時は春秋戦国時代末期の中国。漫画キングダムの主人公である信は幼い時より天下の大将軍になることを夢に見ていました。そんな信はある日、とある出来事が原因で後の秦の始皇帝である嬴政と出会い、秦軍の兵士となります。秦軍の兵士となった信はそこで大将軍になるために努力し、年若い年齢で部隊長を務めるまで成長します。そして信は秦軍の中で数々の大戦を経験していき、李信という将軍へとなっていくことになります。

楽毅は諸葛亮孔明が憧れた将軍

諸葛亮孔明とは漫画キングダムの舞台となった春秋戦国時代の後に訪れた三国時代の人物です。諸葛亮は三国時代を代表する天才軍師であり、三顧の礼で劉備に仕え、蜀という大地を手に入れて天下三分の計を実現させました。諸葛亮はその仁義溢れる姿から日本で非常に人気が高く、数々のゲームに登場しています。皆様はそんな三国志の天才軍師諸葛亮孔明が燕の名将である楽毅に憧れていたことをご存知でしょうか。

諸葛亮孔明自身軍略の天才として曹操率いる魏軍を何度も撃退していたのですが、どうやら諸葛亮は日々弱小国を勝利に導いた楽毅に強い憧れを抱いていたそうです。実際史実において諸葛亮孔明が楽毅のようになりたいと夢見ていたことが歴史に記載されています。楽毅に強い憧れを持った天才軍師諸葛亮孔明は数々の勲功を挙げ、近代では楽毅に並ぶ天下の名将の1人として数えられています。

楽毅の先祖は楽羊

燕の将軍である楽毅の先祖は魏の将軍である楽羊であることが判明しています。楽羊は生涯に渡って魏に仕えた将軍であり、戦国時代に中国の北に存在していた中山国という国家を滅ぼす功績を挙げたことで有名です。そんな生涯を戦に捧げた楽羊は中山国に攻撃する時、人質に取られた息子がスープにされてしまいます。さらにその息子の肉が入ったスープは楽羊の元へ送られてくることになります。

しかし楽羊は戦いを決意するために息子の肉が入ったスープを飲み干し、魏の君主文侯は感激します。一方周囲は感激することはありませんでした。家臣たちは息子の肉が入ったスープを飲んだ楽羊は文侯の肉も食べるかもしれないと文侯に進言します。この家臣の進言で文候は中山国を滅ぼした楽羊を遠ざけてしまい、歴史の中から消えてしまうことになりました。

映画「キングダム」公式サイト

楽毅の生涯の活躍

生涯の活躍①中山国に誕生

ここからは諸葛亮でさえも憧れを持った楽毅の生涯についてご紹介します。楽毅の先祖である楽羊は魏の君主に遠ざけられた後、中山国に領地を移ることになりました。そして中山国に楽羊の子供達は生まれ、天下の名将楽毅が100年ほど経った中山国に誕生します。しかし楽毅の故郷である中山国は優れた騎馬隊を率いる趙の武霊王に滅ぼされてしまいます。その後武霊王に強く惹かれた楽毅は趙に仕官することになりました。

生涯の活躍②魏に出奔

中山国を滅ぼした武霊王とは胡服騎射という新たな騎馬兵団を結成した人物であり、趙を一大国家へと成長させた名君でした。しかし武霊王は息子である恵文王に裏切られ、宮殿を包囲されて餓死するという悲惨な最期を遂げてしまいます。この趙の内部紛争で楽毅は魏へ逃れ、魏国に仕官することになりました。その後魏に仕官した楽毅は燕の国王である昭王が優れた人材を集めていることを耳にし、使者として燕を訪れます。

燕の昭王は優れた人材を見抜く力に優れており、楽毅はすぐに燕の将として登用されることになりました。これにより楽毅は燕に仕官することになり、使者を務めていたものの、魏へ戻ることはありませんでした。

生涯の活躍③燕の昭王の復讐

楽毅が使えた燕国はかつて、強国である斉に滅ぼされかけていました。この時昭王は太子であり、斉に屈辱を与えられていました。これにより燕の王となった昭王は斉国へ強い復讐心を抱いていました。何としてでも斉に勝ちたい昭王は郭隗が進言した「まず隗より始めよ」という言葉を聞き、優れた人材を集めることに尽力します。この昭王の強い復讐心があったからこそ楽毅は燕に仕えることが出来たのです。

生涯の活躍④楽毅を任用した昭王

斉に復讐を企む昭王は燕国が斉国に勝てる可能性を楽毅に問うのですが、楽毅はいくら昭王でも強大な国土を持つ斉国に勝つことが出来ないと述べます。それでも昭王は斉の国に勝ちたい想いでいっぱいでした。そこで昭王は勝てる可能性が無いといった楽毅に勝てる方法を尋ねることにします。実は楽毅には斉を倒すある秘策があり、どうしても斉に勝ちたいと思う昭王にその秘策を伝えるのでした。

生涯の活躍⑤斉を撃破

楽毅が考えた斉国を倒す方法は連合軍の創設です。連合軍とは相手国を嫌う国同士が協力することであり、漫画キングダムでも秦を倒すために合従軍という連合軍が設立されました。当時秦・韓・趙・魏の4国は斉を疎ましく感じており、この4国と協力して連合軍を組めば斉を倒せると楽毅は述べました。この話を聞いた昭王はすぐに楽毅の作戦を認め、斉を倒すために対斉国の連合軍を組もうと動き出すことになります。

生涯の活躍⑥斉の湣王は暴虐無道

楽毅が燕に仕えた時、斉国の王は湣王という人物でした。この湣王という人物は宋国を滅ぼしたり、楚国との戦に勝利するなど戦争面で非常に優れた才能を持った王様だったのですが、かなり暴虐無動な性格をしていました。湣王は強大な領土を手に入れたことで財政を無駄に消費し、弱小国をばかにし続けていました。そして傲慢な湣王は戦国四君の1人と崇められた孟嘗君を追放してしまい、内部が崩壊寸前となってしまいます。

楽毅は湣王による斉の崩壊をすぐに気付きました。まず楽毅は燕と同じ弱小国である趙や魏、韓といった国を味方に引き入れます。そして最後に楽毅は斉と並ぶ強国である秦国へ行き、秦という強力な戦力を手に入れることに成功します。

生涯の活躍⑦五か国連合軍50万の総司令官に

紀元前286年、楽毅は遂に趙・韓・秦・魏の4国と協力して連合軍を設立します。そして楽毅はこの強大な連合軍の総大将に就任し、約50万人もの大軍を率いることになりました。いくら強国な斉国であっても50万もの軍勢では相手にもならず、斉国は合計70個もの都市を失ってしまいます。そして湣王は斉国の首都を失ってしまい、莒に逃走します。その後次々と領土を失った斉国は莒と即墨という2つの城のみとなってしまいました。

生涯の活躍⑧楽毅を称える燕の昭王

70個もの都市を奪った楽毅は斉の首都である臨̪淄を陥落させ、斉国が蓄えていた宝物を燕国へ送りました。昭王は憎き敵であった斉国を倒した楽毅に感激し、自ら斉国を訪れて楽毅の勝利を称えました。そして昭王が今回の戦の活躍を評価して楽毅を昌国君に封じました。その後楽毅は領土の加増も行われることになり、昭王にとって楽毅は必要不可欠の人材となります。しかしこの喜びも長くは続きませんでした。

生涯の活躍⑨恵王の即位

楽毅を手厚く重用した昭王は紀元前279年に死亡し、最期を遂げてしまいます。しかしこの最期は昭王にとって悔いの残らないものとなったでしょう。昭王が最期を遂げたことで、恵王という太子が斉国の王に就任します。実はこの恵王という新たな燕王は楽毅のことを嫌っていました。一方生き残った斉国では暴虐無道な湣王が最期を遂げ、法章という湣王の息子が王に立って田単という武将と共に燕へ必死の抵抗を続けていました。

この田単という武将は戦国時代の中でもトップクラスの知略を持つ人物であり、田単は燕の恵王が楽毅を嫌っていることを知ってあることを流言することにします。その流言とは楽毅が裏切って斉国の王になり、いつか燕に攻撃を始めるといった内容であり、この流言を信じた恵王は楽毅を遠ざけてしまいます。楽毅はこのままでは自分の命が危ういと危機感を抱き、燕から逃げ出して趙国へ亡命することになりました。

生涯の活躍⑩斉の回復

恵王が楽毅を遠ざけた後、楽毅の代わりとなったのが騎劫という将軍でした。この騎劫という人物は将軍としての才能が全くなく、田単はすぐに斉国の兵士を率いて燕へ攻め込みます。そして燕国は次々と領土を失い、田単は瞬く間に奪われた70個もの都市を奪い返します。結局中国大陸内の情勢は元通りとなってしまい、楽毅を遠ざけたことが原因となって斉国はまたしても弱小国となってしまうことになりました。

生涯の活躍⑪楽毅の報遺燕恵王書

斉国に領土を再び奪われた燕国の王恵王は楽毅を失ったことに強い後悔を抱きます。そして恵王は楽毅が趙国の将軍として燕国を攻めるかもしれないと考え、楽毅にある手紙を送ります。その手紙には恵王が休息を与えるつもりだったのに楽毅が勘違いして亡命し、昭王への恩義が感じられないと書かれていました。そう恵王の手紙はただの言い訳と楽毅を責める内容を書いた非常に愚かなものだったのです。

普通激怒するものですが、楽毅は冷静に恵王へ手紙を送り返します。その楽毅の手紙には昭王への感謝と自身の忠義心が見事に描かれていました。この手紙は「報遺燕恵王書」といい、諸葛亮の「出師の表」と同じくこれを読んで泣かない人がいないといわれるほどの名文となっています。恵王は「報遺燕恵王書」を呼んで楽毅に対する考えを改めることになり、遂に恵王は楽毅と和解することになりました。

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楽毅の最期と子孫

楽毅は趙で最期を迎えた

恵王が楽毅と和解したことにより、楽毅は晩年を趙国と燕国の食客として行き来することになります。そして楽毅は亡命先である趙国で最期を迎えました。楽毅が最期を迎えた後、斉国は楽毅から受けた傷が原因で勢いを失ってしまいます。そこに目を付けた秦はどんどんと勢力を拡大していき、中国大陸で最強の国家となります。結局楽毅の凄まじい活躍は秦国を大きくさせただけであり、燕と趙は秦に滅ぼされることになりました。

楽毅の子孫

楽毅の息子である楽間は恵王と和解したことで昌国君に報じられました。そして同族といわれる楽乗は趙宇国の将軍となるのですが、廉頗将軍に敗れたことで亡命してしまいました。一方楽毅の孫である楽叔は前漢を誕生させた劉邦に重用され、貴族となります。また楽毅の子孫である楽瑕公と楽臣公は学者となり、知名度を広げることになりました。

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楽毅の名言

謝る恵王

田単の策略で楽毅を趙へと亡命させてしまった恵王は楽毅の代わりとして騎劫という将軍に軍を統括させます。しかし騎劫は無能者であり、田単率いる斉軍の前に燕は大敗北を喫してしまい、騎劫将軍も死亡してしまいます。恵王は楽毅が今攻めてきたらひとたまりもないと考え、楽毅に田単の計略に引っかかって楽毅を疑ってしまったことを手紙で謝罪しました。手紙を読んだ楽毅はその後、恵王にある一通の手紙を送ります。

手紙に記された楽毅の名言

「古の君子は交わりを断つとも悪声を出さず」

楽毅は恵王に手紙でまず最初、先代の燕の王である昭王への恩義を綴った文章を書きました。そして楽毅はかつて戦国時代で孫子が仕えた呉の将軍である伍子胥と呉王である闔閭の話を書き、上記の名言を手紙の最後に綴りました。闔閭は最期暗君となってしまうのですが、伍子胥は最期まで闔閭の悪口を言わずに忠誠を誓っていた人物です。

楽毅はこの伍子胥の生き方も自らの胸に刻み、君主が過去に行った過ちを悪く言うつもりはないと恵王に答えます。この名言が描かれた手紙こそ名文といわれる「報遺燕恵王書」であり、恵王は楽毅の手紙を読んで感動し、楽毅と和解を決めました。そして恵王は和解の証として、楽毅の子供である楽間を昌国君に任じることになりました。

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楽毅に関する感想や評価

楽毅に関する感想では楽毅が非常に優れた名将だといった感想が非常に多く寄せられていました。楽毅は弱小国である燕に仕え、当時最強の国であった斉国に連合軍を結成して勝利を飾ります。楽毅の生涯は最期まで戦で負けたことが無く、まさに常勝無敗の将軍となっています。この戦に非常に優れた姿から楽毅は近代でも中国史を代表する名将として語り継がれています。

楽毅に関する感想では楽毅は最期までよかったという感想も寄せられていました。白起や韓信などの歴史的名将は最終的に周囲から疎まれる存在となり、悲惨な最期を遂げています。しかし楽毅は一時期味方に疑われるものの、最終的には和解して天寿を全うします。歴史的名将の中でも何事もなく天寿を全うした楽毅は非常に珍しい部類に入ります。

楽毅に関する感想では楽毅の名文が感動するといった感想も多く見受けられました。楽毅が恵王に宛てた「報遺燕恵王書」という手紙はかの諸葛亮が残した「出師の表」と肩を並べ、非常に感動する中国史の名文となっています。この楽毅の手紙はその感動する内容から多くの歴史好きから話題を集めており、今なおネット上には楽毅の名文が多々使用されています。

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楽毅についてまとめ

本記事では漫画キングダムで故人となっていた楽毅について史実での人物像や名言などをまとめてご紹介させて頂きました。故人であることから漫画キングダムで活躍することが無かった楽毅ですが、本当は中国史の中でトップクラスの力を持つ名将となっていました。さらに楽毅が残した名文は近代でも語り継がれているほどであり、2000年以上経った今でも楽毅は非常に大きな存在感を放っています。

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