【ゴールデンカムイ】第七師団が陸軍最強とされる理由は?ルーツは屯田兵?

大人気アニメ「ゴールデンカムイ」に登場する鶴見中尉所属の第七師団についてまとめていきます。第七師団とアイヌ民族の接点や「ゴールデンカムイ」の作中ではなぜ敵役なのか?という疑問や、第七師団はなぜ陸軍最強と言われているのか?という疑問を日露戦争の歴史などを交え紹介していきます。また、第七師団のルーツでもある屯田兵についてもまとめていきますので、「ゴールデンカムイ」に少しでも興味のある方はぜひチェックしてみてください。

【ゴールデンカムイ】第七師団が陸軍最強とされる理由は?ルーツは屯田兵?のイメージ

目次

  1. 第七師団はゴールデンカムイの敵部隊
  2. 第七師団が陸軍最強とされる理由は?
  3. 第七師団のルーツは屯田兵?
  4. 第七師団の鶴見中尉とは?
  5. 第七師団に関する感想や評価は?
  6. 第七師団が陸軍最強とされる理由まとめ

第七師団はゴールデンカムイの敵部隊

ゴールデンカムイの作品情報

今回のまとめでは、アニメ「ゴールデンカムイ」に登場する敵役・鶴見中尉率いる第七師団についてまとめていきます。第七師団の他、鶴見中尉がなぜ悪人として描かれているのか、また、鶴見中尉のモデルとなった人物についても紹介していきます。第七師団についてまとめていく前に、アニメ「ゴールデンカムイ」について紹介していきます。それでは、概要から見ていきましょう。

ゴールデンカムイの概要

アニメ「ゴールデンカムイ」は、2014年より『週刊ヤングジャンプ』にて連載されている野田サトルさんが描く漫画『ゴールデンカムイ』を原作としています。「ゴールデンカムイ」は、明治時代末期の北海道とアイヌ民族を題材に金塊を巡って戦うサバイバルストーリーとなっています。単行本は19巻まで発売されており、現在、累計発行部数は1000万部を超えるヒット作としても知られています。

2018年春と秋に2期構成でアニメ化された「ゴールデンカムイ」は更に話題を呼びました。監督は難波日登志さんが務め、シリーズ構成は高木登さんが務めました。2019年3月には『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』が発売されました。こちらは、『ゴールデンカムイ』原作者の野田サトルさんがイラストを描いており、オリジナル描き下ろし漫画が6ページに渡り掲載されています。ぜひ、こちらもご覧になってみてください。

ゴールデンカムイのあらすじ

日露戦争終結後、元陸軍兵で「不死身の杉元」と呼ばれた杉元佐一は、とある男からアイヌ民族が隠したとされる金塊の話を聞かされます。その後、金塊を本格的に探し出そうとする杉元でしたが、冬眠明けのヒグマに襲われるところをアイヌ民族の少女・アシリパに助けれたのです。隠された金塊を奪ったとされる通称・のっぺら坊は、アシリパの父やその他のアイヌ民族を殺害し網走監獄へ。

のっぺら坊は、網走監獄にいた同房の囚人の体中に金塊の在りかの手がかりとなる入れ墨を掘り脱獄させたというのです。アシリパのは父を殺された敵でもあるのっぺら坊と、杉元が追い求める金塊の在りかを知る囚人と繋がっていることから、2人は協力関係となり行動を共にすることになりました。囚人を追い求めていく中で、杉元はアシリパから様々な”アイヌの知恵”を得ていきます。

アシリパと杉元は金塊の手がかりを探していきますが、金塊を狙っていたのは杉元とアシリパだけではなかったのです。鶴見中尉率いる第七師団と鬼の副長と呼ばれていた新選組の土方率いる一派とが金塊を狙っていました。金塊を追い求め、鶴見中尉らや土方一派と争うことになっていきます。

作者の曽祖父がいた第七師団とは?

「ゴールデンカムイ」に登場する「第七師団」には、作者の野田サトルさんの曽祖父が所属していたといいます。作中の鶴見中尉や尾形が所属していた第七師団は「北鎮部隊」という畏敬の念が込められた別名がありました。また、「賊軍」であり「屯田兵」として存在していたといいます。では、「ゴールデンカムイ」で悪役として登場する第七師団とは一体どんな部隊だったのでしょうか?

第七師団は大日本帝国陸軍の師団の1つで、明治18年に北海道の”開拓”と”防衛”の為に新設された部隊でした。広大な北海道を旭川連隊区・札幌連隊区・函館連隊区・釧路連隊区の4つに区分されていたといいます。

第七師団が悪役の理由

北海道の”開拓”と”防衛”の為に造られた部隊が、なぜ「ゴールデンカムイ」の中では悪役として登場しているのか疑問に思っている方も多いことでしょう。第七師団の本拠地は旭川なのですが、この旭川はアイヌ民族から収奪したものであり、アイヌ民族からはよく思われていませんでした。その為、主人公のアシリパや杉元からは敵であると認識され、主人公の立場からすると第七師団は敵という構図になると考えられます。

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第七師団が陸軍最強とされる理由は?

203高地の争奪戦とは?

第七師団が最強とされる理由の1つめとして、1904年から1905年にかけて行われていた日露戦争において、旅順攻囲戦の1つで激戦と言われた”203高地の争奪戦”があります。203高地の争奪戦とは、ロシアが砲台・弾薬庫・兵営を地下で連結させるといった、当時では最先端の技術と4万2000名の大群率いるロシア軍の旅順要塞を日本陸軍が攻めた大激戦のことを指しています。ですが、乃木大将率いる第3軍は2度の攻撃に失敗しました。

第七師団の指揮権後に勝利

その窮地に投入されたのが第七師団だったのです。陸軍は「ゴールデンカムイ」作中の杉元が所属する第一師団が指揮権を持っていましたが、指揮権は鶴見中尉の所属する第七師団に代わり、激戦を乗り越え203高地を見事奪うことに成功しました。この戦いで日本陸軍は、第七師団含め戦死者5052名、負傷者1万1884名を出してしまいましたが、こうした活躍のもと第七師団は名誉ある勝利に貢献し”陸軍最強”と言わしめたのです。

奉天会戦の勝利も呼び込む

1905年2月21日から3月10日、現在の中華人民共和国遼寧省の瀋陽(しんよう)にて行われた奉天会戦では、18日間に渡り激戦を繰り広げました。その会戦では第七師団が勝利に貢献しますが、注目されたのは第3軍でした。

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第七師団のルーツは屯田兵?

屯田兵とは?

では、第七師団のルーツである屯田兵とは一体どんなものなのでしょうか?屯田兵とは、明治7年から明治37年の間に北海道で開拓と警備に当たった部隊のことを指します。屯田兵は当初、氏族の出身ではないといけませんでしたが、後に平民も採用されることになったといいます。屯田兵は日清戦争及び西南戦争にも参戦しました。因みに、屯田兵後期に第七師団が創設されています。明治37年に屯田兵制度は廃止となりました。

屯田兵とアイヌ兵が入り混じる軍隊

そのため、第七師団は屯田兵の後輩にあたる部隊と考えていいでしょう。第七師団には、「ゴールデンカムイ」に登場するキロランケのようなアイヌ民族の者もいました。アイヌ民族でありながら軍隊の一員として活動を共にしていたアイヌ兵は、軍隊の中での差別や偏見と戦っていたといいます。第七師団は、他の軍隊とはひと際違ったアイヌ兵が混じる軍隊なのでした。

開拓の合間に軍事訓練

明治政府は、細かな支持なしに北海道開拓や警備に当たらせるため屯田兵を創設しましたが、団員たちは北海道の知識がないまま北の大地に送られることとなります。そこで彼らを助けたのがアイヌ民族でした。「ゴールデンカムイ」のアシリパからも分かるように、アイヌ人の生活の知恵は素晴らしいものがありました。屯田兵達はアイヌの人達に極寒の大地で生きるすべを学びながら、屯田兵として軍事訓練もせねばならなかったのです。

第七師団の生活は過酷だった?

アイヌの知恵を借りながら軍事訓練もしていた屯田兵や第七師団でしたが、それ以外にも生活は過酷なものがありました。大自然の北海道の夏は虫事情に追われ、冬になれば本土とは違った凍えるほどの寒さ、陸軍ということもあり常に監視状態、プライバシーはありませんでした。そのため、非常にストレスが溜まる環境で自分と自分の家族の他、北海道の開拓や警護に当たらなければならなかったのです。

また、江戸から東京へ変わった当時、明治維新を迎え新しい時代へ突入していた東京では、和洋折衷や文明開化、鹿鳴館でのパーティーなどで浮かれていました。一方、北海道へ派遣された陸軍は非常に辛いものがあったのです。その落差にもぜひ注目してみてください。

日露戦争で傷ついた第七師団

第七師団が新設されたのは明治29年、日露戦争が勃発したのは明治37年です。明治27年に勃発した日清戦争にはギリギリ間に合わなかったため、第七師団の初陣は日露戦争でした。そんな中でも第七師団は陸軍最強と言わしめ、勝利をもたらしたことを序盤で説明しましたが、その背景には第七師団の犠牲も伴っていたのです。

戦況が不利な状況での初陣は彼らに強いプレッシャーを与えたことでしょうし、また、精神的な面でも辛いものがあったと考えられます。そんな第七師団は他の師団に比べても死傷者は多く、また、勝利をおさめ北海道に帰ってきた兵士たちには仕事がまだ残っていたのです。それは、北海道の開拓と警護です。戦争で生き残った兵士の中には深い傷を負った人は多くいました。

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第七師団の鶴見中尉とは?

元は部下思いの軍人

では、「ゴールデンカムイ」に登場する第七師団の鶴見中尉はどんな人物なのでしょうか?鶴見中尉は、悪人として登場しますが、元は部下思いの軍人でした。なぜ鶴見中尉は登場時のような悪人で野蛮な人になってしまったのでしょうか?それは、奉天会戦で頭に砲弾を受けてしまい前頭部・大脳前頭葉の一部を失うという重篤な傷を負ってしまった事に起因します。この傷によって体の他、情緒も不安定になってしまった為だといいます。

脳の負傷で狂気に走る

脳の損傷を受け身体を張った結果、軍の勝利に貢献した第七師団の鶴見中尉たちでしたが、多数の負傷者を出したことで軍からは非難されてしまいます。この思わぬ非難によって、第七師団の団長であった花沢中将は自決の道を選びました。花沢中将の死によって鶴見中尉はクーデターを計画することにしたのでした。

鶴見によって犠牲が増えた第七師団

日露戦争によって第七師団の人員は激減しましたが、残った第七師団は鶴見中尉によってクーデターの軍資金として金塊を追い求め強奪をすることを企みます。戦争が終わり、任期満了だったはずの兵士たちは自宅に帰りたくても鶴見中尉の命により帰ることはできません。このように、第七師団の兵士たちの犠牲は、鶴見中尉の企みにより日露戦争後も続くことになってしまったのです。

鶴見中尉の根底にあるものとは?

鶴見中尉の根底にあるものとは一体何なのでしょうか?日露戦争にて大前線で活躍していた当時の鶴見中尉は、きっと陸軍最強と言われる第七師団の中尉として国の為に戦っていたはずです。ですが、致命傷を負い九死に一生を得たのにも関わらず思わぬ冷遇を受け、強い裏切りや憎悪に溢れていることが見て取れます。狂気的な性格となってしまった鶴見中尉を動かすもは、この「強い復讐心」ではないでしょうか?

鶴見中尉のモデルは須見新一郎?

鶴見中尉のモデルとなった人物は須見新一郎だと言われています。須見新一郎とは、1939年5月から9月の間に満州国とモンゴルの国境線を巡って勃発した”ノモンハン事件”で活躍した人物です。このノモンハン事件ではの生き残りは僅か3人でした。須見新一郎はその3人のうちの1人です。須見新一郎は第7師団歩兵第26連隊長として活躍し、火炎瓶攻撃によって83両の敵戦車を撃破したとして知られています。

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第七師団に関する感想や評価は?

感想や評価①聖地巡礼

「ゴールデンカムイ」の舞台となった北海道を聖地巡礼する方の感想が多く見られました。第七師団に関しては北鎮記念館に資料があるとのことです。北鎮記念館は北海道旭川市にあり、屯田兵や旧陸軍第七師団がありますので、気になった方はぜひ足を運んでみてください。

感想や評価②今後の第七師団の行方

「ゴールデンカムイ」での第七師団の行方が気になるという方の感想ツイートです。歴史に関しても知ることができますので、気になった方はぜひ漫画の他、テレビアニメもご覧になってみてください。

感想や評価③第七師団の本部

こちらの方も北海道にて第七師団の聖地巡礼をしていらっしゃいました。第七師団の本部として使用されていた所は、現在「旭川市彫刻美術館」となっています。本部としての拠点地の他、会議、研修会、講演会、宴会、結婚披露宴としても使用されていたということで見た目も立派な造りになっています。こちらもぜひ足を運んでみてください。

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第七師団が陸軍最強とされる理由まとめ

以上、「ゴールデンカムイ」に登場する第七師団が陸軍最強とされる理由や作中で鶴見中尉たちが悪人とされる理由についてのまとめでした。モデルとなった人物や実際にあった戦争など、「ゴールデンカムイ」は歴史の勉強にもなりますので、ぜひご覧になってみてください。サイト内には、「ゴールデンカムイ」に関する他のまとめも沢山ありますのでそちらもぜひ参考にしてみてください。

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