2018年09月21日公開
2018年09月21日更新
かぐや姫の物語の主題歌やED・わらべうたまとめ!歌詞やエピソードも紹介
「かぐや姫の物語」は2013年に公開されたスタジオジブリ製作の長編アニメ。監督の高畑勲にとって14年ぶりの作品でしたが、遺作となってしまいました。「竹取物語」をベースとして歌に魅せられ天地と共に生きる喜びを精一杯に感じたいと敢えて罪を犯して地に落とされ、竹の子として純真無垢なままに美しく成長していくかぐや姫を通じ、人間とはなにか、生きるとはなにかを問う作品です。今回は主題歌や楽曲を中心にご紹介させて頂きます。「かぐや姫の物語」とは彼女の本当の願いと輪廻に生きることの尊さを描いた傑作です。
目次
かぐや姫の物語の主題歌やED・わらべうたをまとめて紹介!
さて、今回は「かぐや姫の物語」について主題歌や劇中歌とその歌詞についてスポットを当てて紹介していきます。皆様どうか最後までおつきあいください。併せて原作となる「竹取物語」の詳しいご紹介もいたしましたが余談だとお感じになられたら飛ばしてください。
かぐや姫の物語とは?
「かぐや姫の物語」とは日本最古の物語とされる「竹取物語」をベースにしてスタジオジブリが長編アニメーション化した作品です。監督は「ホーホケキョ となりの山田くん」以来14年ぶりにメガホンを取った宮崎駿監督の盟友、高畑勲監督です。
竹取物語とは?
「かぐや姫の物語」の原作となる「竹取物語」は作者不詳の物語です。かぐや姫の誕生と成人。(「かぐや姫の物語」ではこの部分がとても重要な意味を持ちますが現代語訳で僅か1頁半)貴公子たちの求婚に対してかぐや姫は無理難題をふっかけて全て断り、遂には御門から入内を求められます。(ここでのやり取りは「かぐや姫の物語」の作中において詳細に表現されています)
それでも良い返事がないと知ると御門は狩りのついでに田舎にある屋敷を訪れ、そこでかぐや姫と対面します。そしてあまりの美しさに一目惚れし、袖を掴んで(いきなり背後から抱きつく無粋な真似はしません)連れて帰ろうとしますが、かぐや姫の妖術に阻まれます。やむなく断念して都に帰りますが恋の病に取り憑かれた御門は宮中の女性への関心をなくして独り身を貫き、かぐや姫と文通します。それが3年続きます。
しかし、かぐや姫は罪を許され、翁と媼に月世界へと帰ることを打ち明け、御門は家臣を派遣して迎えを追い返そうとしますが、8月15日に天からの迎えの者たちに連れ返されます。御門の許にはかぐや姫の文と不老不死の霊薬だけが残されます。御門は嘆き悲しみ、天に一番近い場所の山頂にて文と霊薬を焼きます。こうして不死が転じて富士になったというお話です。
古事記と日本書紀における月世界の意味
謎めいている部分はかぐや姫は月世界の人間だという点です。日本神話では月世界の支配者は三貴子(最も重要な神様)の一人「月読尊」(つくよみのみこと)とされており、この月読尊は古事記や日本書紀の記述にはほとんど登場しません。誕生と役割分担だけです。そもそも男性か女性かも不明。
「天照大神」(あまてらすおおみかみ)や「素戔嗚尊」(すさのおのみこと)という他の姉弟たちが天岩戸や八岐大蛇(やまたのおろち)退治といったエピソードで語られており、その子孫(天照大御神の子孫が現在の皇室、素戔嗚尊の子孫が「大国主の命」で国譲りで出雲の国を譲渡する)についても語られているのに対して月読尊の記述があまりにも少なすぎて、なんだか謎めいています。
古事記や日本書紀の研究者の間では有名ですが天照大御神と素戔嗚尊は誓約(うけひ)=近親婚により子供を残しています。つまり、三貴子のうち二人は血統を同じくしていたわけです。かぐや姫が遣わされた目的が残る月読尊の子孫として御門と子を成し、三貴子の血統を一つにする目的ならば物語は完全に成立し、役割を終えたかぐや姫が月に戻るという展開にも合点がいきます。成長速度が地上の人と違い過ぎるからです。
しかし、実際には貴公子達の関心を集め、御門の関心を得て交際(文通)までしたところで月に帰還してしまいます。つまり、目的を果たす直前になって帰還命令が出てしまう。かぐや姫はこのことに嘆き悲しみます。結局、迎えに対して御門は家臣を遣わして阻止しようとしますが失敗してかぐや姫は月に帰ります。なにをしに地上に来たのかわかりません。「かぐや姫の物語」はそれに対する一つの答えを提示した作品です。
駿河の国と同地の異説、やけに詳細な記述
最後は駿河の国(現在の静岡県中部)にある富士山の名前の由来となります。駿河の国は三種の神器の一つ、草薙の剣を日本武尊(やまとたける)が入手する重要な舞台でもあり、天人伝説が多く残る土地柄です。つまり皇室にとって非常に縁が深く、かぐや姫に限らず天人たちが来訪(羽衣伝説)し、中には子供を残した例もあります。田子の浦も和歌に沢山詠まれた場所です。あれもこれも駿河の国と曰くが多すぎます。
実はそればかりではなく、そもそも「竹取物語」の舞台が現在の富士市だという説が有力なのです。そして同地には異説が多く残っています。「富士山頂から飛び去った説」「故郷にひっこり戻って天寿を全う説」そしてロマンチックなのが「罪を承知で御門と添い遂げたという説」です。通い婚により自由恋愛などなかった時代に一度は御門を袖にしながら真心に打たれて添い遂げるという説は正にシンデレラストーリー。
それにしても「竹取物語」には御門の命令を受けた者や貴公子の素性についても詳細に記述されています。やりとりされた和歌に関しても同様です。更にかぐや姫が帰還したのも旧暦の8月15日と記されています。旧暦では月齢によって一日が新月、15日が満月と決まっていますから、かぐや姫の帰還は満月の夜です。史実記録のようにリアルな話だというのも「御伽草子」のような他の物語とは異なっています。
皇室に独特の風習
「竹取物語」の中でも描かれていますが、月を見ること自体元々はあまり縁起が良い事ではなかったのです。また、特に禁忌とされていたのが御門が月を見上げることです。地上最高位の者が(天照大御神の弟が支配する)月世界を見上げてはならないという意味です。
見上げずに美しい月を観賞する方法として庭に池を作り、そこに映り込んだ月を観賞するという方法が考案されました。このため平安期の庭園には必ず大きな池が作られています。こうした措置により「お月見」という風習が広まりました。
かぐや姫の物語の主題歌・EDを紹介!
さてここでは「かぐや姫の物語」の主題歌「いのちの記憶」とエンディングテーマについてご紹介します。
かぐや姫の物語の主題歌とは?
「かぐや姫の物語」の主題歌はいのちの記憶。歌っているのは広島出身のシンガー、二階堂和美さんです。
二階堂和美さんは広島県大竹市出身。お父さんが僧侶、お母さんが教師という家庭環境で、彼女自身浄土真宗本願寺派僧侶の資格を持つという異色のシンガー。誕生日は2月14日のバレンタインデー。山口大学大学院美術教育修了後、1998年から2004年まで東京を拠点に活動するも帰郷。2012年にNHKの教育番組「おかあさんといっしょ」に「ショキ ショキ チョン」を提供。翌13年に高畑勲の依頼で「いのちの記憶」を提供しました。
「いのちの記憶」の歌も歌詞も素晴らしい!
いのちの記憶は作詞・作曲・歌すべて二階堂さんですが、歌もさることながら歌詞が非常に素晴らしいと絶賛されました。下に歌詞の全文を掲載します。
1.あなたにふれたよろこびが 深く深く このからだの端々(はしばし)に しみこんでゆく ずっと遠く なにもわからなくなっても たとえ このいのちが 終わる時が来ても いまのすべては 過去のすべて 必ずまた会える 懐かしい場所で
2.あなたがくれたぬくもりが 深く深く 今遥かな時を越え 充ち渡ってく じっと心に 灯す情熱の炎も そっと傷をさする 悲しみの淵にも いまのすべては 未来の希望(過去のすべて) 必ず覚えてる(必ずまた会える) 懐かしい記憶で(懐かしい場所で)
2番の歌詞は括弧なしの部分。その後、括弧内となり、最後が括弧なしとリフレインされます。
「いのちの記憶」というタイトルに相応しい歌詞です。正に輪廻転生(りんねてんしょう)を感じさせる内容であり、「死」という一時の別れの後に再び蘇ってまた巡り会うという壮大な歌詞です。どれだけ、輪廻転生を積み重ねても「いのちの記憶」は積み重ねられ、一度結ばれた縁(えにし)は「いのちの記憶」に導かれるようにしてまた巡り会う運命なのだと読み取ることが出来るようです。鎮魂歌としても成立しています。
エンディングテーマ
「かぐや姫の物語」のエンディングテーマはそもそも主題歌である「いのちの記憶」です。各場面を振り返りながら流れるこの曲はとても感慨深いものとなっています。
高畑勲監督がこのいのちの記憶を「かぐや姫の物語」の主題歌に選んだ理由は残り少なくなってしまった自身の余命を知った上で、盟友・宮崎駿監督とスタジオジブリの仲間たちに捧げたメッセージだとも受け取る事が出来ます。
かぐや姫の物語のラストシーンの歌を紹介!
「かぐや姫の物語」のラストシーンを彩るのは久石譲さん作曲の「天人の曲」です。「天人の曲」についてですが、高畑監督からの注文は底抜けに明るい曲をというもので久石譲さんはサンバのリズムも含めたとても明るいテンポの曲を作曲されたわけです。しかし、この曲に寄せられた感想の多くは一言で表現するなら「怖い」。
曲についての感想が「人間風情がなにをしようとも無駄だ」「漂う無力感と絶望感」「滅茶苦茶トラウマになる」といったものばかり。「根源的な残酷さを感じさせる」など曲調の明るさにかえって血の気が引くという評価のようです。これが高畑監督の狙い通りなのだとしたなら、時折混ざってくる歌詞に込められた意味を深く考えることが空恐ろしく、超越者は感情もなく虫けらのように人間の力を払い除けると解釈出来るよう。
そして登場するのは仏様のように悟った人。「竹取物語」の考察で触れたように日本では月世界(夜の世界)の支配者は月読尊です。「竹取物語」の秘宝集めでも仏教的なものが含まれており、成立年代を考えれば古事記よりも仏教の世界観の方が上回っていると高畑勲監督は解釈されたようです。
皆さん純粋に曲だけを聴くと非常に素晴らしい曲だという評価なのですが、人間とは恐ろしいもので映像や物語と結びつくとどうしてもそちらに感情が支配されてしまうようです。それだけ物語と映像美が音楽と強い結びつきを持っているという証拠なのですが、「かぐや姫の物語」を一度でも観てしまうとこの場面の持つ意味が思い起こされて「怖くなる」と皆さんがお考えになるのを否定など出来ません。
かぐや姫の物語のわらべうたを紹介!
続いてご紹介するのは「かぐや姫の物語」の劇中歌「わらべうた」です。こちらは作詞を高畑勲監督と脚本担当の坂口理子さんが手がけ、作曲も高畑勲監督です。
わらべうたとは?
「わらべうた」は前述したように日本古来のわらべうた、童謡ではなく、劇中オリジナルの曲として作曲されています。
かぐや姫の物語に登場するわらべうたの歌詞を紹介!
「わらべうた」は「かぐや姫の物語」の劇中で子供たちが歌う童謡です。2番の歌詞に登場する「せんぐり」とは「順番に」という意味です。下に「わらべうた」の歌詞の全文をご紹介致します。括弧内は2番の歌詞になります。
1.まわれ まわれ まわれよ 水車まわれ まわって お日さん 呼んでこい まわって お日さん 呼んでこい 鳥 虫 けもの 草 木 花 春 夏 秋 冬 連れてこい×2(繰り返し)2.(1番の繰り返し)咲いて 実って 散ったとて 生まれて 育って 死んだとて 風が吹き 雨が降り 水車まわり せんぐり いのちが よみがえる×2
出典: https://thetv.jp
3.まわれ めぐれ めぐれよ 遥かなときよ めぐって 心を 呼びかえせ めぐって 心を 呼びかえせ 鳥 虫 けもの 草 木 花 人の情けを はぐくみて まつとしきかば 今かへりこむ
「わらべうた」は里山で元気いっぱいに生きた竹の子がそれを思い起こすたびに劇中で何度も歌われます。歌詞の3番は竹の子ことかぐや姫だけが知っていた本来の歌の続きであり、単独で「天女の歌」ともされます。一転して調子が変わって物哀しげな雰囲気を帯び、古歌を思わせる歌詞となります。この歌こそがかぐや姫が月世界から地上に来た動機のすべてです。
「駿河の国」の項で示したとおり羽衣伝説という形で月の天女たちは罪に落ちて地上に落とされました。しかし、穢れ多き俗界たる人間界にも美しいもの貴い物は溢れており、あるいは地上に残してきた想い人や我が子に対して捧げられた歌だと解釈できます。それに心惹かれかぐや姫のようにわざと罪に落ち、地上を目指す者は後を絶たない。
「かぐや姫の物語」のラストシーンに描かれた赤子はあるいは月に帰ったかぐや姫が翁や媼、捨丸を想い、季節の移ろいの中で生きる人々に向けて歌う歌を聴いた次のかぐや姫が現れ、そして歌に心惹かれて罪を犯し地上に落ちて生を満喫する。そして、敢えて逆行し輪廻の輪の中で精一杯に生きることを選択する誰かが現れる。そんな予兆を感じさせるものではないでしょうか?
わらべうたの歌詞の意味
わらべうたの歌詞は前述のように高畑勲監督が書いたものです。水車というのが地球、あるいは宇宙を意味する輪を意味し、やはり読み解くと輪廻転生について歌ったものです。輪廻転生という考え方は仏教に基づく物だと考えられがちですが、実際は仏教、ヒンドゥー教といったインド哲学は勿論のこと古代ギリシアや古代エジプトでも考えられていたごく一般的なものです。
しかし、一神教の教えではほとんど採用されていません。「人は死んだら天国か地獄へ行く」という考え方、もしくは「死者は地の底で復活のときを待つ」のいずれかです。そしてこちらの方が信じる人々は数の上では圧倒的です。キリスト教やイスラム教が日本に馴染まなかった最大の理由がこの思想と関連していると考える方も多いようです。
わらべうた3番の歌詞の中で「呼びかえせ」と繰り返されていること、それは「帰りたい帰りたい」という切実な想いが込められているようです。受け止めようによっては地上に無念を残して逝った死者が墓の下から叫んでいるようにも解釈出来ます。曲の解釈次第でホラーチックになるという点では「天人の歌」にも相通ずるところがあるようです。
かぐや姫の物語の歌を作り上げた人とは?
スタジオジブリ作品と言えば作曲家の久石譲さんを外すことが出来ません。美しい映像に印象的な音楽を添えるということにかけてこの人の右に出る人はなかなか見当たらないでしょう。
「かぐや姫の物語」においても例外ではなく久石譲さんの作る印象に残る楽曲が各シーンを彩っています。そして主題歌「いのちの記憶」を作詞・作曲し歌い上げられた二階堂和美さん。
ご紹介では漏れましたが2012年にベーシストで僧侶の男性と再婚され、2013年4月28日に長女を2018年の1月28日に長男を出産されて1男1女の母親となられたようです。現在はそうした事情でオフィシャルブログでは昨年発表した新曲を最後に活動を休止されています。復帰後はまた主題歌「いのちの記憶」のような素晴らしい楽曲を聴かせて頂きたいですね。
最後に「わらべうた」を作詞した高畑勲監督。肺ガンにより82年の生涯を閉じられた高畑勲監督ですが8年もの構想を経て製作された「かぐや姫の物語」は生きとし生ける物全てへの諸行無常ゆえの愛情を、「かぐや姫」あるいは「竹の子」を通じて表現しました。生きることそして死ぬことはすべて流れの中に存在し、魂は何度でも経験を積み重ねながら強く逞しくある。これは彼自身に対しても同じ事が言えそうです。
かぐや姫の物語の主題歌の主題歌やED・わらべうたまとめ!
さて、「かぐや姫の物語」を彩る楽曲についてご紹介や考察も済みましたのでまとめに入ります。スタジオジブリの作品は必ず印象的な曲に彩られています。久石譲さんの曲に限らず「魔女の宅急便」「風立ちぬ」を彩った荒井由実(松任谷由実)さんの「ルージュの伝言」「やさしさに包まれたなら」「ひこうき雲」。「千と千尋の神隠し」を彩った木村弓さんの「いつも何度でも」。
枚挙に暇はありませんが「かぐや姫の物語」を彩った「いのちの記憶」「わらべうた」「天女の歌」は私たちが普段の生活の中で忘れがちになっている季節の移ろい、咲いては散る花々、様々な音色を奏でる虫たち、そして産まれてはやがて死んでいく命への賛歌に他ならず、「天人の歌」が示した天国で奏でられる美しい楽曲よりも遙かに魅力的であるのかも知れません。楽曲を中心に「かぐや姫の物語」を楽しまれては如何でしょうか?