【キングダム】趙奢(ちょうしゃ)は三大天最強?史実上での活躍を紹介

キングダムにて旧三大天の1人とされながらも詳細は語られないままになっているのが趙奢です。趙括の父であもある趙奢は史実にもしっかりと名前を残し多くのエピソードが残っているキャラクターで史実では三大天の中でも最強だったのではないかとされる程の活躍を見せています。今回はキングダムの趙奢についてキングダムでは語られていない史実のエピソードなどをまとめて紹介していきます。

【キングダム】趙奢(ちょうしゃ)は三大天最強?史実上での活躍を紹介のイメージ

目次

  1. 趙奢(ちょうしゃ)は三大天最強?
  2. 趙奢の史実での実績や活躍
  3. 趙奢の史実での最後や死後
  4. 趙奢と山を取り敗北した馬謖の違いを考察
  5. 趙奢が田単を論破?
  6. 趙奢に関する感想や評価
  7. 趙奢まとめ

趙奢(ちょうしゃ)は三大天最強?

キングダムにて廉頗、藺相如と共に旧三大天の一角に名を連ねているのが趙奢です。今回はそんな趙奢についてキングダムでは語られていない史実のエピソードなどをまとめて紹介していきます。

キングダムの作品情報

キングダムの概要

趙奢の名前が登場するキングダムは2006年から週刊ヤングジャンプにて原泰久先生が連載している古代中国の戦乱時代の1つ、春秋戦国時代を舞台にしている物語です。500年近く続く春秋戦国時代の中でもその末期を題材としており、最終的に秦率いる贏政が中華統一を果たすまでを将軍の1人として贏政を支える信を主人公にして描く作品になっています。

日本にはあまり馴染みのない時代であった事から連載開始当初こそ人気は低迷していましたが壮大なストーリーと個性豊かなキャラクター性が高い人気を生み、同時に第17回手塚治虫文化賞のマンガ大賞に選ばれるなど評価も受けている作品です。メディアミックス展開も積極的に行われこれまでにVOMIC化、アニメ化、実写映画化などが行われています。

キングダムのあらすじ

キングダムの物語は春秋戦国時代の末期、贏政が秦王となった頃から描かれます。当初は下僕であった信が王弟に反乱を起こされ追われる身になって贏政を助ける事で平民となり、戦場でも徐々に活躍するようになります。そんな信達の1つ上の世代で秦を支えたのが六大将軍であり、その六大将軍を激戦を繰り広げたとして登場するのが趙奢を含む趙の三大天達です。

趙奢のプロフィール

趙奢は旧三大天の1人として廉頗、藺相如と共に紹介されるキャラクターです。キングダムではその後姿しか描かれておらず、既に亡くなっている為に活躍は乏しいですが、趙括の父親でもあり、趙の発展に大きく貢献した人物となっています。その為、キングダム上ではほとんど情報が出ないままになっているキャラクターです。

趙奢は三大天最強?

元々三大天はキングダムの年代から見て1つ前の世代であり、既に趙には三大天は誰も残っていません。藺相如は既に亡くなっており、唯一生存している廉頗も魏国に亡命した後です。そして趙奢も既に亡くなっています。しかし将軍としてはもちろん、政治家としても活躍しており、三大天で最強とも言える存在です。

TVアニメ「キングダム」公式サイト

趙奢の史実での実績や活躍

趙奢は史実で実在する

キングダムは史実である古代中国の春秋戦国時代を舞台としている漫画だけに史実に実在した人物が多く登場しています。各国の王達はもちろん、信や羌瘣、趙国でいえば李牧や龐煖などは史実にも名を残す人物であり、キングダムで語られるエピソードも多くは史実に残ったエピソードをモチーフにしています。

ただ春秋戦国時代は時代が古い事もあり記録が断片的であり情報も欠如している点が多い事からキングダムでは必要に応じてオリジナル要素を組み合わせたり改変する事で物語を成立させています。そんな史実とオリジナルが組み合わされたキングダムですが趙奢を含む三大天は史実にも実在しているキャラクターです。

史実①平原君が趙奢を恵文王(趙王)に推挙

趙奢は元々は田畑税を扱う役人でした。そんな趙奢はある時、戦国四君の1人、平原君の配下の領地から税が取り立てられていない事に気づきます。平原君とは戦国四君の1人で、当時の王である恵文王の弟に当たる人物です。普通なら尻込みしそうな相手ですが、趙奢は構わずに平原君の配下から税を取り立てようとし、結果的に9人の配下を死罪に処しました。

もちろんこれはすぐに平原君の耳に入り平原君は激怒します。すぐに趙奢を呼び出し詰問、彼を殺そうとしますが趙奢は毅然とした態度で以下のように答えます。

彼らは私腹を肥やしておりました。私は法に則っただけです。法が守られなくては国は繁栄せず、法を軽んじれば国は衰退します。そして王族であるあなたが法を守らなくては、一体誰が守るものでしょうか

王弟である平原君相手にこの答弁を行った事で趙奢はその勇気と見識の深さを平原君に認められます。そして平原君が推挙した事で恵文王に仕える事となり、趙奢は国の税管理を任される事になります。民にも貴族にも公平に税をかける趙奢のやり方は結果的に趙を豊かにし、国庫を満たして趙の国力を増強するのに貢献する事になるのでした。

史実②趙奢が将軍となる

あくまでも恵文王に仕えたのは国税の管理の為であり、いわば趙奢は文官でした。しかし紀元前280年斉の麦丘を攻め取る武功をあげます。これにより趙奢は文官としてだけでなく将軍、武官としても才能がある事を超国内に知らしめる事になります。

史実③趙奢の厳命

そんな趙奢の名が一気に高まる事になったのが閼与(あつよ)の戦いです。この戦いは秦が趙の南部地域に侵攻してきた事が発端です。侵攻の知らせを聞いた恵文王は家臣達を集めて意見を問います。その中にはキングダムでも活躍する廉頗、楽乗の姿もありました。この頃の廉頗、楽乗は既に名将として知られた存在です。しかしそんな彼らでも閼与(あつよ)の救援は不可能であると意見しました。

閼与(あつよ)までの道中は険しく突破出来ないとしたのです。そんな中で唯一対応可能であるとしたのが趙奢です。そこで恵文王は趙奢に軍を任せる事に決定、すぐに趙奢は出陣します。総大将として軍を率い閼与(あつよ)が迫る中、趙奢は今回の軍に参加した将軍達に厳命を出します。それは「今回の戦について諫言した者は死罪とする」という厳しいものでした。実際に進言した者も切り捨てるなどしています。

史実④秦の密偵に偽情報を知らせる

実は趙奢は自軍の中に秦の密偵がいる事を察していました。そこで趙奢は会議の場で「我らは邯鄲(趙の首都)の防衛に軸を置いている」という発言をします。もちろんこれには諸将は疑問を持ちますが上記の命令もあり、黙って頷くしかありませんでした。そして秦の密偵はこの偽情報をまんまと秦の総大将だった胡傷に伝えます。こうして秦側は救援がないと油断する事になるのでした。

史実⑤閼与の戦い

この偽情報により廉頗達が難しいと言っていた険しい道を秦の妨害なく突破する事に成功した趙奢は閼与(あつよ)に近い場所に布陣し秦軍との決戦を行う事になります。この時、趙奢の食客である許歴(きょうれき)という人物が「北の山に登るべき」と進言し周囲を焦られます。進言すれば死罪という厳命があった為です。しかし趙奢はこの進言を受け入れ北の山を取るべく軍を動かします。

許歴(きょれき)という人物は「進言すれば死罪」というのが秦軍の密偵を騙す為のものであり、もう大丈夫である事を見抜いていたのだと言えます。そして趙奢は北の山から秦軍に向かって逆落としを敢行し秦軍に大打撃を与える事に成功、秦軍を撤退に追い込みました。

史実⑥趙の三大天として後世に語り継がれる事に

この閼与(あつよ)の戦いで大勝利を収めた趙奢は邯鄲に凱旋し趙奢の活躍を褒め称えます。馬服君に封じ廉頗、藺相如と同じ地位を与えるのです。こうして趙はキングダムにて三大天として語られる事になる鉄壁のぶ感達を揃える事になります。ただキングダムと違い、史実では秦はこの3人が存命の間は趙への侵攻を控える程になっており、強大な力を持っていたのは明らかです。

史実⑦息子の趙括への危惧

そんな趙奢ですが、史実では閼与(あつよ)の戦い以上に有名なのが息子である趙括とのエピソードです。趙括は幼い頃から兵法をしっかりと学んでおり時に趙奢を論破する程にマスターしていました。しかし趙奢は趙括の事を決して評価しませんでした。ある時趙奢の妻がそれについて尋ねると趙奢は趙括が実際に実戦を積んでいるわけではないのに実戦を知っているかのように語る事を危惧していると答えました。

そして趙括が実際に将軍になれば趙軍は全滅するだろうとまで言い切るのです。この言葉に趙奢の妻は納得し以降趙括の評価を聞かなくなります。

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趙奢の史実での最後や死後

趙奢の史実での最後

キングダムには史実に実在する人物も数多く登場していますが、史実に名前を残している人物でも最後が描かれている人物は意外と少ないです。ですが趙奢については最後までしっかり描かれています。亡くなる直前、趙奢は妻に「趙括を将軍にするな」と遺言を残し趙奢は病にかかって亡くなってしまいました。趙奢の死はそのまま趙にも深い影を落とす事になります。

趙奢の妻は孝成王に諫言を言う

趙奢が亡くなった事で秦は控えていた趙への侵攻を再開します。紀元前262年元々秦は韓を攻めていました。秦の韓攻めにより孤立する形になった上党郡を趙が保護した事をきっかけにキングダムでも描かれている長平の戦いが起こります。この戦い、当初趙軍を率いていたのは廉頗でした。しかし秦の作戦により廉頗を解任、趙括を将軍とする事になるのです。

趙括が将軍になると聞いた趙奢の妻は孝成王と謁見、「趙括に軍を率いさせるな」という趙奢の遺言を伝えて趙括の将軍就任撤回を求めます。しかし孝成王はこの進言を受け入れる事はしませんでした。趙奢の妻は進言を諦める代わりとして「趙括が将軍となり敗北しても一族に罪が及ばないようにしてほしい」と懇願し、孝成王にこれを承認させます。

趙奢の予言が当たった?

そして総大将が趙括になった趙軍に対し、秦軍は裏で白起が総大将に変わっていました。この長平の戦いはキングダムでは王騎が趙括の首を取った形で終結が描かれています。史実でも大筋は変わっておらず、包囲を受けた趙括が打って出た結果敗れる結果になりました。そして趙軍は大敗北を喫する事になり、趙奢の予言は嫌な方向に的中してしまうのでした。

趙奢の子孫のその後

敗北してしまった趙括ですが、上記でも紹介したように趙奢の妻の懇願により一族が責任を負わされる事はありませんでした。その為もあって子孫は残っており、なんとキングダムで描かれる春秋戦国時代よりも後の時代である三国志の時代に子孫が残っています。三国志でも活躍する「馬騰」「馬超」「馬岱」などが趙奢の子孫です。

趙奢の一族はいつからかは不明ですが、氏を趙から趙奢が恵文王から封じられた馬服君から一文字取って「馬」を名乗るようになるのです。或いは趙括の敗北により名前を変えた方が都合が良かったのかも知れません。

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趙奢と山を取り敗北した馬謖の違いを考察

考察①趙奢が勝った理由

春秋戦国時代の趙奢とその子孫である馬謖は共に山に登って戦をした逸話が残っていますが勝利した趙奢に対し、馬騰は敗北したと対極の結果になってしまっています。何故このような事になったのかといえば趙奢が山に登った閼与(あつよ)の場合には趙側も秦側も出来る限り短期決戦を望んでいた事が上げられます。特に秦側は遠征してるわけなので兵糧の問題は非常に大きいです。

元々山の上で戦うのは防御力に秀でている事、結果的にそれが秦側の退路を断つ事にも繋がった事が趙奢の勝利の要因であると言えます。

考察②馬謖が負けた理由

一方で馬謖が山に登って敗れた逸話が残っているのは街亭の戦いでの事です。この戦いは諸葛亮による第一次北伐の中で行われる戦いで、既に抑えた街亭という地を守る為の戦いでした。馬謖はこの街亭という地の守備を任されたのです。諸葛亮は街道を制圧するようにと命じますが馬謖は部下の進言も聞き入れずに山に登って防衛を試みます。結果的に敵将張郃に水源を断たれて敗北する事になったのです。

一見すると同じ防衛戦ですが、趙奢の場合は「相手が遠征している」のに対し、馬謖の場合は「遠征した先での守衛」であるという点で異なっています。裏を返せば相手の補給の余裕が違うのです。馬謖を倒した張郃には相手の兵糧が尽きるまで耐えられるだけの存分の補給と長期戦も辞さない姿勢があったのです。

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趙奢が田単を論破?

考察①田単が趙奢に意見する

趙奢のもう1つ残っているエピソードが田単との論戦です。恵文王が存命の頃、斉で名将と知られた田単が趙に渡り、宰相に就任します。そこで既に将軍として活躍していた趙奢に1つ意見をするのです。それは趙奢が毎回大軍を動員する事に大しての苦言でした。昔は3万の軍でも天下を取っていたとし、大軍を動かせばそれだけ食料を消費し、国庫を圧迫、さらには百姓も減る事につながる為です。

考察②趙奢が論破したが田単は納得していない?

これに対し趙奢は昔は国の規模も小さく乱立していたのに対し、現在は戦国七雄と呼ばれるまでに国の規模が大きくなり敵も10万、20万と当たり前に動員してくる時代であり、こちらも同じ数を用意するのは道理であるとして論破します。この論戦は田単が引き下がった事で終わったとされています。

しかし実は田単がこのような意見を言ったのにも明確な理由がありました。実は田単は斉にいた頃に、楽毅によって僅か2つしか城が無くなってしまった斉を、奇策と少数の兵で怒涛の反撃を繰り返して斉を復興したという過去を持っているのです。それ故に田単は実は納得していなかったのかも知れないとも考察されています。

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趙奢に関する感想や評価

ここから趙奢に関する感想を紹介します。キングダムで秦の面々が豪華であるように趙奢が生きた時代の趙も豪華なメンバーが集まっていたとする声は非常に多いです。キングダムでは時代的にどうしても省略されがちなだけにこの時代についてももっと詳しく描いてほしいという声も多くなっています。

また共に日本で人気の高いキングダムと三国志を繋ぐ存在の1つとして趙奢とその子孫について語る声も多くなっています。特に同じ山に登るエピソードを持つ趙奢と馬謖は比較対象になる事が多いです。

アニメキングダムでも趙の面々は多く取り上げられている一方でどうしても李牧以外は世代が異なる為、エピソードが断片的に語られる形になっているのがおしいという声も多いです。

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趙奢まとめ

キングダムでは直接的なエピソードは多く描かれていないものの、その活躍の痕跡が確かに見られるのが趙奢です。特に春秋戦国時代は長く続いた戦乱時代なだけに地続きに見ていくとより深まるという声も多いです。特にキングダムでは過去の戦いの中では一番影響のある長平の戦いに間接的に関わっている趙奢についてはぜひ知っておいて欲しいという声も多いです。

史実を知っている事でよりキングダムが面白くなるという声も多く、或いは今後趙奢の史実のエピソードがキングダムの中で登場する可能性もあります。趙奢のエピソードにも注目しながら視聴してみてはいかがでしょうか?

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