【キングダム】長平の戦いは史実にある?生き埋め事件の真相や場所を考察

キングダム作中で触れられた戦いで、最も悲惨な戦いと言われるのが長平の戦いです。そのエピソードから生まれた万極将軍のような存在を生むなど、過去の出来事ではない大きな戦いとして、語られています。この記事では、キングダムで描かれた長平の戦いについて、長平の戦い自体は史実で存在したのか、その場所はどこなのか、生き埋め事件の真相などをネタバレありでまとめて紹介していきます。

【キングダム】長平の戦いは史実にある?生き埋め事件の真相や場所を考察のイメージ

目次

  1. キングダムとは?
  2. キングダムの長平の戦いは史実にある?場所は?
  3. キングダムの長平の戦いの生き埋め事件の真相
  4. キングダムの長平の戦いで生き埋めにされた万極将軍を考察
  5. キングダムの長平の戦いに関する感想や評価
  6. キングダムの長平の戦いまとめ

キングダムとは?

キングダムの概要

キングダムとは、古代中国の春秋戦国時代末期を舞台とした、原泰久先生が連載する中国時代劇漫画です。中国の歴史上、初めて中華統一を果たした始皇帝と、その覇業を支えた李信を主人公にした物語として描かれています。連載開始当初は、馴染みのない時代や、絵柄などで苦戦したものの、少しずつ人気を獲得していき、連載誌である週刊ヤングジャンプを代表する作品の1つになりました。

キングダムはメディアミックス展開も積極的に行われた作品になっています。特にアニメ化は、断続的ながらも行われ続けており、2011年に初めてアニメ化されると、2023年までに4シリーズが展開、2024年には5シリーズ目が展開されることも発表されています。アニメ以外にも舞台化や、ゲーム化、実写映画化なども行われており、それぞれにしっかり人気を集めています。

キングダムのあらすじ

初陣となった蛇甘平原の戦いでの大活躍により、一気に百人将になった信。その初陣で出会った、六大将軍最後の生き残りである王騎の器の大きさに感じ入った信は、王騎の元で修行を行います。そして王騎が総大将となって起こった馬陽の戦いにおいて、信を隊長とした飛信隊が結成されます。この戦いにおいて、秦軍及び飛信隊が、対面することになったのが、この記事で紹介する長平の戦いに関連する万極将軍です。

TVアニメ「キングダム」公式サイト

キングダムの長平の戦いは史実にある?場所は?

長平の戦いは史実にある?

キングダムの物語の舞台となっている、春秋戦国時代は、古代中国、紀元前の出来事ということもあって、記録が詳細に残っているものとそうではないものの差がかなり激しくなっています。しかし、長平の戦いに関しては、しっかりと記録が残っているものになっており、史実にもあった戦いです。キングダムのメインの年代である春秋戦国時代末期から見ると数十年ですが、過去の戦いです。

しかし、この戦いは史実において『秦が中華統一を果たすまでに行った中で、最も悲惨な戦い』と言われるほどの戦いになっています。それが、しっかりと記録が残る要因にもなっているのです。ちなみに、史実の記録によると、長平の戦いは紀元前262年に起こったとされています。キングダムで長平の戦いについて描かれた馬用の戦いが、紀元前244年頃の戦いなので、およそ20年前の出来事です。

長平の戦いが起こった場所はどこ?

長平の戦いの舞台になったのは、当時の秦、趙、韓と3つの国の国境が交わるあたりです。現在の中国の行政区分でいうと、山西省高平市という場所です。当時、ここには長平城という城があり、紆余曲折を経て、秦と趙がここで戦うことになったのです。ちなみに、2023年現在は、この場所には長平の戦いに関する、博物館も設立されるなどしています。

長平の戦いでの生き埋め事件は史実でもあった?

長平城の戦いは、史実にも記録が残った戦いですが、キングダムでも話題になった生き埋め事件はどうかというと、これも記録に残っている史実の出来事です。史実の記録では、生き埋めの人数は20万人とも40万人とも言われています。ただ、この頃の歴史の指標や人口規模などから、数字に関しては水増ししている可能性もあると考察されています。とはいえ、生き埋め自体があったのは間違いありません。

長平城があったとされる現在の山西省高平市からは、2023年現在も、人骨が発見されたというニュースが出るほどになっているのです。ちなみに人骨以外にも、趙兵が使用したと思われる武器や防具なども多数発見されています。

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キングダムの長平の戦いの生き埋め事件の真相

長平の戦いが起こった理由

キングダムでは、六大将軍の時代に起こった出来事として語られた長平の戦いですが、この戦いは史実にも存在した戦いです。紀元前262年、秦は趙とも隣接する韓の野王という土地を獲得します。秦がこの土地を奪取したことで韓の上党郡という場所が韓の本土と飛び地になってしまいました。当時の韓の王である桓恵王は、これを秦に譲り渡すことを条件に秦と停戦を結ぼうとしました。しかし、これに反発したのが上党郡の民達です。

上党郡の民達は、秦に圧政を敷かれることを恐れて、趙への編入を希望したのでした。趙としては新しい土地、しかも相手から求められているので、統治も非常に楽な土地を手に入れるチャンスです。しかし、同時に、これを受け入れてしまうと秦に攻める口実を与えることになります。当時の趙王、孝成王は、悩んだ挙げ句これを受け入れることを決めました。

長平の戦いでの総大将の変更

当然、これには秦側は激怒します。上党郡を占拠した上で、趙にも攻撃を仕掛けるのです。この時仕掛けた場所が、上党郡の民が逃げ込んでいた長平城でした。この長平城という場所で、防衛を担当したのが、キングダムでも語られた廉頗でした。廉頗の巧みな守りは、長平城を2年もの間、守り続けたのです。

流石の秦側もこれには、疲弊の色が隠せなくなってきます。そこで情報戦を仕掛けました。『秦側が、趙括が指揮を取ることを恐れている』『廉頗が相手ならまもなく落とせる』という偽の情報を流したのです。これにより、趙は総大将を廉頗から趙括に変えてしまいます。秦としても、時間と人員をかけて総力戦となっていたこの戦いに、負けるわけにはいかなかったのです。

ちなみに同じ時期、秦でも総大将を変更しています。ここまでの長平の戦いを指揮していたのは、王騎将軍のモデルになったとされる王齕(オウコツ)将軍でした。秦は総大将を王齕から白起に変更したのです。白起は長平の完全包囲を行い、兵糧攻めを行います。対して、趙括は、この兵糧攻めに耐えられなくなると、最後には、自ら軍を率いて突撃を敢行。しかし、これも失敗に終わってしまうのでした。

長平の戦いで生き埋め事件が起こる

最終的に、白起がこの戦いを締めくくりましたが、趙兵の捕虜は実に20万人にも及びました。この時の白起には、その後も対趙に対して、攻めるつもりでいました。趙の王都である邯鄲までいくつもりでいたのです。その状態で20万人の捕虜を養うことは当然出来ません。かといって、この捕虜を解放してしまえば、先々の戦いでは、彼らは故郷を奪還するため死兵となって挑んできます。

結果的に、白起は、趙の戦力にもさせず、養う必要もなくなる方法として、生き埋めを選んだのです。最終的に趙は生き残り、その恨みが、キングダムで描かれる世代になって禍根になっています。しかし、白起としては、自ら趙にトドメを刺すつもりで、この判断をしたのではないか、と考察されています。

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キングダムの長平の戦いで生き埋めにされた万極将軍を考察

万極将軍のプロフィール

万極将軍は、『長平の戦いの生き残り』として登場したキャラクターです。自身も生き埋めにされた1人でしたが、なんとか地面から這い出すことができました。しかし、そこで父や兄を失うことになり、秦を恨むようになりました。その見た目は苦痛と秦への恨みで変わってしまったとされており、ギョロ目と長い白髪、黒い歯をしているのが特徴になっています。喋り方もどもったような特徴的な形になっているのです。

万極将軍の初登場

万極将軍がキングダムで初登場したのは、馬陽の戦いでのことです。この時は、龐煖の副将として登場したのです。この時は、馬陽の戦いの前にも趙は秦の城をいくつか落城させていますが、その過程で万極将軍は、赤子に至るまで虐殺するほどの行為に及んでいます。それも、長平の戦いの恨みからくるものであり、そこから長平の戦いについて描かれることになったのです。

万極将軍の強さ

万極将軍は、趙軍の中でも突出した強さを持ったキャラクターの1人です。『特攻の万極』と呼ばれるほど、攻めに強い将軍なのです。特に対秦の戦争では、長平の戦いの恨みから並々ならぬ強さを発揮します。万極将軍の強さの1つの要因になっているのが彼が率いている部隊にあります。この部隊は、万極将軍と同じく、長平の戦いの生き残り、生き埋めにされた者の遺族などで構成されているのです。

万極将軍の最後はどうなった?

馬陽の戦いでは、万極将軍本人は、王騎軍の軍長達を追い込み、趙軍としては、王騎将軍を倒すという偉業を達成しました。しかし、李牧によって、戦いが終了したため、万極将軍も渋々帰ることになります。その後、合従軍編で再登場した万極軍は、飛信隊と対峙、万極自身も信と一騎打ちを行うのでした。信も万極のような立場に近かったため、その過去を知って同情してしまう一面もありました。

実際、この時恨みの乗った万極の猛攻に、信は一時は押されることになります。しかし、信は万極との対話で、嬴政がなぜ中華統一を果たそうとするのかという理由に気づけたのです。これにより、信は長平の戦いのようなことはもう2度と起こさせないとして、万極を討ち取ったのでした。同時に信は、自身が恵まれた環境におり、一歩間違えたら万極のようになっていた可能性もあるとして感じ入る部分も覚えています。

万極将軍は史実でも実在した?

キングダムにおいて、長平の戦いの犠牲者の体現者のような形で描かれた万極将軍。残念ながら、史実には万極将軍の記録はなく、キングダムオリジナルのキャラクターになっています。或いは、キングダムの万極将軍のように、長平の戦いからの生存者や遺児がいた可能性はありますが、記録には残っていません。

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キングダムの長平の戦いに関する感想や評価

ここからは、既にキングダムを読んだ人の、長平の戦いについての感想をネタバレありで、まとめて紹介していきます。キングダムにおいて長平の戦いのエピソードは、作中で描かれたわけではない戦いにおいて1番インパクトが強かったとする声が多い戦いになっています。そのインパクトの強さの要因になっているのがやはり、生き埋め事件です。

40万人の生き埋め事件は、インパクトが強すぎるとして、キングダムオリジナルの戦いだったという印象を与える結果になっています。実際には、数字の信ぴょう性こそ疑われているものの、長平の戦いと生き埋め自体は史実にもあった出来事になっています。まさか、長平の戦いと生き埋め事件が史実を元にしてると思わなかったとする声も見られているのです。

また、長平の戦いや生き埋め事件自体にも驚いたという声に合わせてあるのが、実際に長平城があったと思われる場所から人骨が見つかったというのにも驚いたとする声も見られます。数字自体はともかくとして、2000年以上までのこととはいえ実際にあったことというのが実感出来たと言われているのです。

キングダムでは、万極将軍や廉頗、六大将軍の過去として描かれた長平の戦いですが、やはり、万極将軍の過去のインパクトが強すぎたという声が多いです。長平の戦いのインパクトの強さがそのまま、万極将軍のインパクトに繋がったという声も多くなっています。特に、万極将軍は信と相対したこと、境遇的には信と近かったこともあって、その印象が強くなったとする声が多くなっています。

このような史実にもあった戦いをベースにしているからこそ、万極将軍のキャラクター性は強くなり、信との戦いが、心に刺さったという声も多くなっています。キングダムはどうしても、歴史的には勝者である秦の視点で描かれる物語であるため、その裏の側面を垣間見せてくれたキャラクターと言われることが多くなっているのです。

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キングダムの長平の戦いまとめ

キングダムの長平の戦いは史実にも行われ、詳細に記録が残っている戦いの1つです。長平城という場所で行われたこの戦いは、生き埋め事件が発生したこともあり、『秦の中華統一の過程で行われた1番悲惨な戦い』とも言われているのです。記録上の数字は盛られている可能性もありますが、生き埋め事件自体は実在し、事実、長平城があったと思われる場所からは大量の人骨が発見されたりもしています。

キングダムは、オリジナル要素と史実の記録をベースにしたものをうまく織り交ぜる作品です。長平の戦いや生き埋め事件は史実の記録ですが、万極将軍はオリジナルの要素になっています。キングダムはそれ以外のエピソードも上手く史実とオリジナルを織り交ぜた作品なので、史実も確認しながら追いかけてみましょう。

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