【るろうに剣心】瀬田宗次郎のモデルは沖田総司?縮地や片足けんけんの元ネタは?

『るろうに剣心』の瀬田宗次郎は、天才的な剣の腕前を持つ人気の美剣士です。瀬田宗次郎は沖田総司に似ているといわれますが、瀬田宗次郎のモデルは誰でしょうか?本記事では、るろうに剣心のモデルについて詳しく解説します。また、瀬田宗次郎の縮地や片足けんけんの元ネタについても説明します。瀬田宗次郎の生い立ちや活躍、能力や強さについてもまとめているため、ぜひ参考にしてください。

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目次

  1. 瀬田宗次郎とは?
  2. 瀬田宗次郎のモデルや縮地の元ネタは誰?沖田総司?
  3. 瀬田宗次郎の片足けんけんの元ネタは?
  4. 瀬田宗次郎は志々雄より強い?
  5. 瀬田宗次郎の実写映画キャスト
  6. 瀬田宗次郎の活躍をネタバレ
  7. 瀬田宗次郎のモデルに関する感想や評価
  8. 瀬田宗次郎のモデルまとめ

瀬田宗次郎とは?

瀬田宗次郎は、『るろうに剣心』に登場する敵キャラのうちの1人です。主人公と敵対関係にあるにも関わらず、かなり人気が高いキャラです。るろうに剣心にはいろいろなモデルや元ネタが存在しますが、瀬田宗次郎のモデルは誰でしょうか?本記事では、瀬田宗次郎のモデルに加え、縮地の元ネタや片足けんけんの元ネタなどを解説します。

るろうに剣心の作品情報

るろうに剣心は、すでに20年以上前に物語が完結している漫画です。しかし、根強いファンが多く、その人気は今でも衰えることはありません。数年前から漫画の続編が始まったことで、再び話題に上がることも多くなりました。また、2023年からは新たにアニメの放送も始まり、新規のファンも増えています。

新たにるろうに剣心のファンになった人の中には、るろうに剣心がどのような作品か詳しく知らない人もいるでしょう。瀬田宗次郎について見ていく前に、まずはるろうに剣心の作品情報をチェックしておきましょう。

るろうに剣心の概要

るろうに剣心とは、1994年から週刊少年ジャンプで連載が始まった漫画です。作者は和月伸宏さんで、正式名称は『るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-』です。連載は5年ほど続き、1999年の43号で最終回を迎えました。漫画の話数は全部で255話で、話の内容によって「東京編」「京都編」「人誅編」と大きく3つのエピソードに分かれています。

人誅編の中には、緋村剣心の過去エピソードである、「追憶編」も含まれています。るろうに剣心の「るろうに」は作者の和月伸宏さんによる造語で、「流れ者」や「放浪者」といった意味の言葉として使われています。るろうに剣心はタイトルからもわかるように、日本の明治時代が舞台となった漫画です。作中には実在した人物や事件なども登場し、うまくメインキャラと絡み合っています。

主人公の緋村剣心を始めとしたメインキャラはオリジナルキャラですが、実在する人物がモデルとなっていることが多いです。るろうに剣心の単行本は新書版に加えて完全版や文庫版も発売されており、シリーズ累計発行部数は7200万部を超しています。るろうに剣心が初めてアニメ化されたのは、1996年のことです。1998年に最終回を迎えるまで、全94話がテレビで放送されました。

るろうに剣心のテレビアニメは途中で原作に追いついてしまったため、途中からアニメのオリジナルストーリーとなりました。原作に沿った内容は京都編までで、原作の最終エピソードである人誅編はアニメになっていません。2023年から放送が始まったるろうに剣心のリメイク版アニメでは、人誅編まで放送するのではないかと期待されています。

るろうに剣心のあらすじ

幕末に維新志士として戦ってきた緋村剣心は、「人斬り抜刀斎」として恐れられる存在となっていました。剣心は多くの人の命を奪ってきた贖罪として、明治の世では逆刃刀を持ち、弱い立場の人々を救いながら旅をしていました。その旅の途中、剣心は東京で神谷薫と出会います。剣心は薫の家に居候することになり、徐々に絆を深めていきます。薫以外にも大事な仲間が大勢できた剣心は、今度は薫や仲間たちを守るために剣を振るうのでした。

瀬田宗次郎のプロフィール

るろうに剣心の瀬田宗次郎は、1861年(文久元年)9月の生まれです。初登場時は、満年齢で16歳でした。身長163cm、体重51kg、血液型はAB型です。瀬田宗次郎は「十本刀」と呼ばれる志々雄真の配下の1人で、十本刀の中では最年少です。しかし、その実力は他の十本刀をはるかに凌ぎ、志々雄の右腕として活躍しています。

小さい頃に志々雄に引き取られ、志々雄のもとで剣術などを磨きました。志々雄の配下の中では最も志々雄と付き合いが古く、志々雄からの信頼も厚い人物です。小柄な美青年で、常に優しげな笑みを浮かべています。

瀬田宗次郎の性格

るろうに剣心の瀬田宗次郎は常に笑顔を浮かべていることから、穏やかで優しい性格だと思われることもあります。しかし、瀬田宗次郎が笑っているのは「楽」以外の感情が欠如してしまったためで、決して穏やかな性格ではありません。瀬田宗次郎は志々雄真の命令であれば躊躇わずに暗殺を行う冷酷な性格で、罪悪感を覚えることもありません。また、例え仲間であっても、平然と捨て駒にすることもあります。

志々雄の「この世は弱肉強食」という考えに心酔しており、志々雄の言うことが絶対だと思って疑いません。笑いながら人を殺すような残忍な性格の瀬田宗次郎ですが、志々雄と会う前はまた違う性格をしていました。志々雄に出会う前の幼い瀬田宗次郎は、気が弱く心優しい少年でした。瀬田宗次郎は家族に虐められてもやり返すことは考えず、いつも1人で耐え忍んでいました。

人の痛みが想像できる優しい性格で、目の前に武器があっても積極的に使おうとは考えません。しかし、命の危機が訪れたため、死にたくない一心で家族を殺してしまいます。瀬田宗次郎はそれ以降、「弱肉強食」の考えが正しいと信じ、冷酷な性格へと変わっていきました。ただ、本心では家族を殺したくなかったと思っており、緋村剣心との戦いで感情に揺らぎが生じます。そして、剣心に負けたことで、改めて自分自身と向き合うことになります。

アニメーション「るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-」公式サイト

瀬田宗次郎のモデルや縮地の元ネタは誰?沖田総司?

るろうに剣心の瀬田宗次郎は、幼いながら天才剣士としての腕前を持つ人気キャラです。るろうに剣心の他のキャラにモデルが存在するように、瀬田宗次郎にもモデルが存在します。るろうに剣心の瀬田宗次郎のモデルとは、一体誰でしょうか?瀬田宗次郎のモデルが誰かは、作者の和月伸宏さんが「新選組一番隊組長の沖田総司」だと名言しています。

瀬田宗次郎と沖田総司は特徴が似ているため、モデルが沖田総司だと気づいていた人も多いでしょう。ここでは、るろうに剣心の瀬田宗次郎のモデルとなった沖田総司の人物像や強さ、瀬田宗次郎が使う縮地の元ネタについて解説します。

モデルの沖田総司の人物像や強さ

るろうに剣心の瀬田宗次郎のモデルである沖田総司が誰であるかは、ほとんどの人はすでに知っているでしょう。沖田総司は新選組の隊士として有名で、ファンも非常に多い人物です。沖田総司は9歳の頃に試衛館に入門し、めきめきと頭角を現します。15歳の頃には、試衛館の次期4代目である近藤勇よりも強かったようです。1863年に浪士組に参加し、京都の壬生村を目指します。

浪士組分裂後は近藤らに従い京都に残り、後に新選組の一員となりました。沖田総司は新選組の一番隊組長を任せられ、芹沢鴨暗殺などの重要な任務をこなしていました。1864年の池田屋事件では、近藤とともに真っ先に池田屋に踏み込んだと伝わっています。1867年以降は体調の悪化により、活躍の場が少なくなっていきます。沖田総司の病気は改善することなく、1868年に千駄ヶ谷の植木屋で亡くなりました。

沖田総司が息を引き取ったのは、新選組の近藤の斬首から2ヶ月後のことでした。沖田総司は明るく陽気な人物であったと伝わっており、周囲の人間からも好かれていたようです。また、沖田総司が登場するフィクションの作品では、沖田総司は「美剣士」として描かれることが多いです。しかし、当時の記録に沖田総司が「美青年」だと書かれていることはなく、沖田総司が美青年であるという説には異議が唱えられています。

沖田総司の強さは新選組の中でもトップレベルで、沖田総司の剣は二番隊隊長の永倉新八から「猛者の剣」といわれていました。稽古で本気を出した沖田総司には、局長の近藤を始め、誰もが太刀打ちできなかったそうです。その腕前は倒幕派との戦いにおいても遺憾なく発揮され、沖田総司は倒幕派の志士たちを恐怖に陥れたといわれています。

瀬田宗次郎と沖田総司の共通点は縮地

るろうに剣心の瀬田宗次郎は、「縮地」という技を使うことで有名です。この縮地という技はるろうに剣心のオリジナル技ではなく、現在でも古武術で使われている歩法のことです。るろうに剣心で瀬田宗次郎の得意技として出てくる縮地は、この古武術の縮地が元ネタとなっています。ただ、瀬田宗次郎の縮地は「超神速の移動術」として使用されており、実在する縮地とは能力が異なります。

瀬田宗次郎のモデルである沖田総司は縮地を使うわけではありませんが、「三段突き」という高速技を使います。沖田総司の三段突きは、一瞬にして三度の突きを繰り出すという奥義です。瀬田宗次郎の縮地と沖田総司の三段突きは、高速技というところに共通点があります。

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瀬田宗次郎の片足けんけんの元ネタは?

るろうに剣心の瀬田宗次郎といえば、縮地とともに片足けんけんが有名です。瀬田宗次郎には沖田総司というモデルがいますが、片足けんけんにも元ネタはあるのでしょうか?ここでは、片足けんけんの元ネタについて考察してまとめています。

片足けんけんはアニメの何話で登場?

まずは、瀬田宗次郎の片足けんけんがアニメの何話で見れるか確認しておきましょう。るろうに剣心のアニメでは、54話の「飛天対縮地」で瀬田宗次郎の片足けんけんを見ることができます。瀬田宗次郎の縮地に関して、志々雄真は「目にも止まらない速さ」よりも速い、「目にも写らない速さ」だと説明していました。るろうに剣心の原作では、128話の「宗次郎出陣」で片足けんけんが出てきます。

片足けんけんの元ネタはある?

るろうに剣心の瀬田宗次郎のモデルが沖田総司であったように、片足けんけんも誰か使っていたという元ネタがあるのでしょうか?縮地は現在でも使える人がいますが、縮地の前に片足けんけんをするという人はいません。片足けんけんは誰かが使っていたというわけではなく、元ネタは存在しないようです。縮地とは違い、るろうに剣心の作中だけに出てくる、オリジナルの動作だと推察されます。

片足けんけんする必要はない?

元ネタやモデルが存在しない片足けんけんは、必要な行動なのでしょうか?実際の縮地では、片足けんけんをすることは絶対にありません。なぜなら、縮地は相手に動作を読み取られないようにする技だからです。縮地をする前に片足けんけんをしてしまっては、「今から縮地を使います」と相手にバラしていることになります。

瀬田宗次郎がるろうに剣心の作中で片足けんけんをしているのは、単なるパフォーマンスだといえるでしょう。ただ、瀬田宗次郎の縮地は脚力を使って速さを出す技であるため、脚力を溜めたり足を運びやすくするための動作だとも考えられます。また、るろうに剣心の原作では、瀬田宗次郎が戦い以外の場でも片足けんけんをしているシーンがあります。

瀬田宗次郎は緋村剣心との再戦に向かう前、志々雄たちと会話しながら片足けんけんをしていました。このシーンからも、瀬田宗次郎の片足けんけんは、気合を入れるときの動作であるとも考察できます。また、縮地をするたびに片足けんけんをしているため、癖になっているという可能性もあるでしょう。

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瀬田宗次郎は志々雄より強い?

るろうに剣心の瀬田宗次郎のモデルや縮地の元ネタがわかったところで、続いて瀬田宗次郎の強さについて見ていきましょう。瀬田宗次郎の強さは志々雄真も認めており、剣心もその剣技にはかなり苦しめられました。では、瀬田宗次郎の強さはどの程度でしょうか?ここでは、瀬田宗次郎の強さや能力に加え、志々雄との強さの比較を説明します。

瀬田宗次郎の強さや能力

るろうに剣心の瀬田宗次郎には、「天剣」という字名があります。天剣とは、「天賦の才による剣」の略称です。瀬田宗次郎は武士の出ではなく、幼い頃に剣術を習ったことはありません。しかし、持って生まれた剣の才能があり、現在では剣心にも渡り合えるほどの剣技を身に着けました。また、瀬田宗次郎には「楽」以外の感情がなく、これが瀬田宗次郎の強さにもつながっています。剣心などの強い剣客は、相手の気を読んで攻撃を仕掛けます。

しかし、「楽」の感情しかない瀬田宗次郎は、戦闘中に殺気や闘気といった気を発することはありません。そのため、瀬田宗次郎の動きを読むことは難しく、先手を打つことが難しいのです。それに加えて、瀬田宗次郎は縮地で神速移動をするため、誰にもその攻撃を止めることができなくなります。剣心は戦闘中に瀬田宗次郎が感情を表したことで縮地を破りましたが、瀬田宗次郎が感情を欠落させたままであれば、敗北していた可能性もあります。

このように、縮地が得意な瀬田宗次郎ですが、縮地以外にも自分で名前をつけた必殺技があります。それは、「瞬天殺」という技です。瞬天殺は縮地で突進した後、抜刀術で相手にとどめを刺します。攻撃が命中すれば、技の名前通り瞬時に相手を殺すことができます。剣心は天翔龍閃の応用技で応戦し、瞬天殺に打ち勝ちました。

瀬田宗次郎と志々雄の強さを比較

るろうに剣心の作中で、瀬田宗次郎に「強くなれるでしょうか?」と訊かれた志々雄真は、「俺の次に強くなれる」と答えています。この頃の瀬田宗次郎はまだ子供だったといえ、志々雄は自分の強さは誰にも越せないという自信があったのでしょう。

瀬田宗次郎も志々雄も最終的には剣心に負けてしまいましたが、タフさや精神力の強さでいえば圧倒的に志々雄のほうが上です。速さだけであれば瀬田宗次郎のほうが志々雄よりも速く動けるでしょうが、総合的な強さでいえば志々雄のほうが上だと推察されます。

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瀬田宗次郎の実写映画キャスト

るろうに剣心の実写映画では、神木隆之介さんが瀬田宗次郎の役を担当しました。神木隆之介さんは原作の瀬田宗次郎の絵が自分にそっくりだと思い、オファーも来ていないのに勝手に縮地の練習をしていたそうです。ずっと役作りしていただけあって、神木隆之介さんの瀬田宗次郎は「イメージにぴったり」と評判でした。ここでは、るろうに剣心の瀬田宗次郎を演じた神木隆之介さんのプロフィールや、過去の主な出演作品を紹介します。

神木隆之介のプロフィール

神木隆之介さんは、1993年5月19日生まれのB型です。出身地は埼玉県富士見市で、現在の所属事務所はCo-LaVoです。神木隆之介さんは幼い頃に重い病気にかかりましたが、奇跡的に助かります。その思い出にと母親が事務所に応募し、合格したことで芸能界入りしました。

子役として順調にキャリアを重ね、成長してからも俳優として活躍し続けています。2001年には劇場版アニメ『千と千尋の神隠し』に坊役で出演し、声優デビューを果たします。その後も多くの劇場版アニメに出演しており、声優としても活躍中です。神木隆之介さんの趣味は、鉄道や写真撮影、漫画やライトノベルなどです。2023年には、20代の実力派俳優ランキングで1位を獲得しました。

神木隆之介の主な出演作品

瀬田宗次郎役の神木隆之介さんが出演した、主なテレビドラマと演じた役を紹介します。神木隆之介さんはこれまでに、『大河ドラマ  平清盛』の源義経、『探偵学園Q』のキュウ(連城窮)、『コントが始まる』の朝吹瞬太などを演じてきました。2023年の4月からは、『朝ドラ らんまん』の主人公である槙野万太郎役を担当しています。

映画では子役時代に『妖怪大戦争』の稲生タダシを演じ、日本アカデミー賞・新人俳優賞を受賞しました。その他に出演した映画と担当した役は、『バクマン。』の高木秋人、『3月のライオン』の桐山零、『大名倒産』の松平小四郎などです。

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瀬田宗次郎の活躍をネタバレ

るろうに剣心の瀬田宗次郎については、生い立ちや志々雄真との出会いも作中で詳しく描かれています。では、瀬田宗次郎はどのような人生を歩み、作中でどういった活躍を見せたのでしょうか?ここでは、瀬田宗次郎の生い立ちやこれまでの活躍を詳しく解説します。

ネタバレ①瀬田宗次郎の生い立ち

るろうに剣心の瀬田宗次郎は、ある米問屋の妾の子として産まれました。その後、両親が亡くなったことで、腹違いの兄の親族に引き取られます。ただ、現在の家族は瀬田宗次郎を不憫に思って引き取ったわけではなく、世間体を気にして養子に迎えただけでした。そのため、瀬田宗次郎は家族の厄介者として扱われ、毎日ひどい虐待を受けていました。

ろくな食事も与えられないままきつい労働を強いられ、殴る蹴るの暴行も日常茶飯事でした。瀬田宗次郎は他に生きる術を知らず、毎日を耐え忍んで過ごします。以前は虐待を受けるたびに泣いたり怒ったりしていた瀬田宗次郎でしたが、瀬田宗次郎がそういった感情を出すとさらに暴行はひどくなりました。

しかし、瀬田宗次郎が笑うと、相手は呆れてそれ以上は暴行を加えることはありませんでした。そのため、瀬田宗次郎は自分の身を守るため、何があっても笑顔でいるようになりました。こうして、自分を守るために常に笑顔でいた瀬田宗次郎は、そのうち「楽」以外の感情が欠如するようになるのでした。

ネタバレ②瀬田宗次郎と志々雄の出会い

ある日の夜、瀬田宗次郎が外の井戸にいると、どこからか悲鳴が聞こえてきました。様子を見に行った瀬田宗次郎は、そこで全身包帯まみれの男が警官を斬る現場を目撃します。その包帯まみれの男こそが、志々雄真でした。警官の殺害現場を見られた志々雄は瀬田宗次郎を殺そうとしますが、瀬田宗次郎が震えながらも笑っているのを見て殺すのをやめます。

志々雄は瀬田宗次郎に包帯と食料を持ってくるように命じ、その代わりに命は助けてやると言いました。瀬田宗次郎は志々雄を蔵にかくまい、世話をしながらいろいろと話をするようになりました。そして、志々雄から「弱肉強食」の話を聞かされ、宿代として1本の脇差しをもらいます。瀬田宗次郎は弱肉強食の話に心を動かされながらも、自分には無理だと思い、脇差しは返そうと考えていました。

その頃、瀬田宗次郎が志々雄をかくまっていることが家族にバレ、瀬田宗次郎は怒った家族によって殺されそうになります。命の危機を覚えた瀬田宗次郎は、必死で誰かに助けを求めました。しかし、誰も助けてくれないと悟ると、志々雄からもらった脇差しで家族を皆殺しにしたのでした。そして、瀬田宗次郎は志々雄についていくことを決め、この世は弱肉強食が絶対だと考えるようになったのです。

ネタバレ③大久保の暗殺

志々雄真は明治政府に恨みを持つ者たちを集め、徐々に勢力を拡大していきました。小さい頃から志々雄とともにいた瀬田宗次郎も大きく成長し、十本刀の1人として頼れる存在になっていました。志々雄は内務卿の大久保利通が自分の暗殺を企んでいると知り、瀬田宗次郎を大久保のもとへ向かわせます。

瀬田宗次郎は驚くべき脚力で大久保が乗っている馬車に追いつくと、誰にも知られずに大久保を殺して立ち去りました。この後瀬田宗次郎は緋村剣心に志々雄に逆らわないように忠告しており、剣心は大久保の暗殺が志々雄の策略だと知るのでした。

ネタバレ④緋村剣心の戦い

緋村剣心は、志々雄真の企みを止めるため、京都に向かいました。しかし、志々雄は、京都ではなく東海地方の新月村という村を拠点としていました。剣心が斎藤一とともに志々雄の拠点としている館へ向かうと、そこには瀬田宗次郎が待ち受けていました。警戒する剣心でしたが、瀬田宗次郎は戦うためではなく単に案内役としてそこにいただけでした。その後、瀬田宗次郎は、剣心と斉藤を志々雄のもとへと連れて行きます。

そこへ、新月村を滅ぼした尖角が現れ、剣心と戦闘になりました。瀬田宗次郎は斉藤の隣に陣取り、一見穏やかに2人の戦いを観ていました。斉藤は隙を見て志々雄に攻撃をしようと考えていましたが、隣にいる瀬田宗次郎の動きが読めずに攻撃をし損ねます。尖角が剣心にあっさりと負けると、瀬田宗次郎は尖角の代わりに剣心の相手を任されました。

剣気をぶつけてもまったく動じない瀬田宗次郎を見て、剣心は先読みの攻撃が不可能だと悟ります。剣心は抜刀術で決着をつけることを決め、瀬田宗次郎との対決は抜刀術の打ち合いとなりました。瀬田宗次郎は剣心の逆刃刀を真っ二つに折り、自分の勝ちを確信します。しかし、瀬田宗次郎の刀も一瞬でボロボロとなっており、2人の勝負は引き分けで終わったのでした。

ネタバレ⑤緋村剣心との再戦

瀬田宗次郎が緋村剣心と再び剣を交えたのは、志々雄真の本拠地でのことでした。志々雄真配下の十本刀はほぼ全滅し、戦えるのは瀬田宗次郎だけとなりました。しかし、瀬田宗次郎は慌てることなく、余裕の表情で剣心のもとへと向かいます。久しぶりに対峙した2人は、前回の戦いで決着がつかなかった抜刀術で戦いを始めました。新月村では剣心の刀を一撃で折ってみせた瀬田宗次郎でしたが、今回は剣心の刀に傷ひとつつけられませんでした。

代わりに、瀬田宗次郎の刀にわずかにヒビが入ります。瀬田宗次郎はこの短期間でさらに強くなった剣心に感心しながらも、まだ自分の勝利を疑っていませんでした。瀬田宗次郎は新月村では見せなかった「縮地」を使い、剣心を翻弄します。剣心は瀬田宗次郎の感情欠如により攻撃の先読みができず、縮地による超神速の攻撃に苦戦します。ついに剣心に一撃を浴びせた瀬田宗次郎でしたが、完全に仕留められなかったことで徐々に苛立ちが生じます。

そして剣心との戦いの中で過去を思い出した瀬田宗次郎は、「不殺(ころさず)」の剣を振るう剣心に心を乱され、怒りを覚えます。これまで封印されていた「楽」以外の感情が表に出てしまったことで、瀬田宗次郎は剣心に動きを読まれてしまいました。しかし、剣心は瀬田宗次郎にとどめを刺さず、「今からでもやり直しはきかないか?」と問いかけます。

剣心の言葉に完全に精神が崩壊した瀬田宗次郎は、自分の世界を守るためにも必ず剣心を殺さなければならないと決意しました。そこで、瀬田宗次郎は自分が唯一名前をつけた「瞬天殺」という必殺技で、剣心を仕留めようとします。それに対して、剣心は飛天御剣流の奥義である「天翔龍閃」で対抗しました。2人の技の速さは互角でしたが、破壊力が勝っていた剣心の刀が瀬田宗次郎の刀を真っ二つに折ります。

瀬田宗次郎と剣心の再戦は、剣心の完勝に終わりました。瀬田宗次郎は剣心に負けたことで、自分が間違っていたのだと考えます。剣心に向かって「正しいのは緋村さんだった」と言いますが、剣心は瀬田宗次郎の言葉を否定します。自分の人生の中から本当の答えを見つけろと言われた瀬田宗次郎は、「厳しい人だな」と言いながら、目に涙を浮かべました。

剣心に志々雄の居場所を伝えた瀬田宗次郎は、剣心たちが去った後、駒形由美に天翔龍閃の正体について語ります。勝負には負けた瀬田宗次郎でしたが、剣心との戦いで天翔龍閃がどのような技かを見抜いていたのです。瀬田宗次郎は駒形由美に天翔龍閃について詳しく教え、それを志々雄に伝えるように頼みました。さらに、瀬田宗次郎は、幼い頃に志々雄からもらった脇差しも由美に託します。

自分を救ってくれた脇差しを宝物として大事にとっておいた瀬田宗次郎でしたが、それを志々雄に返すことで別れの挨拶としたのです。そして、志々雄と剣心の決着が着いた後、本当の自分を探すために旅に出るのでした。常に穏やかな笑顔を浮かべていた瀬田宗次郎でしたが、志々雄との別れを決めたときだけは、「哀」の感情を浮かべて涙を流していました。

ネタバレ⑥北海道編での再登場

るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-では、京都編以降瀬田宗次郎の出番はありませんでした。瀬田宗次郎がその後物語に登場したのは、るろうに剣心の続編となる『るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-・北海道編』でのことです。緋村剣心との戦いに敗れた後、瀬田宗次郎は5年もの間全国を旅していました。

旅の途中に立ち寄った北海道で、瀬田宗次郎はもと新選組の永倉新八と一戦を交えることになります。その後、瀬田宗次郎は永倉や久山安慈に同行することになり、その流れで剣心とも再会します。北海道で剣心と再会した瀬田宗次郎は、剣心の味方となって共闘することになります。

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瀬田宗次郎のモデルに関する感想や評価

実在する沖田総司の幼名は、文献によっては「宗次郎」と表記されていることもあります。沖田総司の幼名が宗次郎であることを知り、初めて瀬田宗次郎のモデルが誰かを悟ったというコメントがありました。漫画のキャラのモデルが誰であるかわかりにくいケースもありますが、瀬田宗次郎の場合は名前などからモデルがわかりやすいようです。

るろうに剣心には、瀬田宗次郎のモデルとなった沖田総司も登場します。漫画のキャラのモデルが同じく漫画のキャラとして登場するため、ややこしく感じる人もいるようです。瀬田宗次郎と沖田総司のキャラが似すぎていて、誰が誰だかわからなくなる人もいました。

るろうに剣心の瀬田宗次郎がきっかけで、モデルの沖田総司を好きになったというコメントが多く見られました。さらにそこから新選組のファンになった人もいて、瀬田宗次郎の人気が沖田総司や新選組の人気にも直結しているようです。

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瀬田宗次郎のモデルまとめ

るろうに剣心の瀬田宗次郎のモデルや、片足けんけんの元ネタなどをまとめました。るろうに剣心の瀬田宗次郎には沖田総司というモデルがいますが、片足けんけんには元ネタはありません。片足けんけんは特に誰が元ネタというわけではなく、瀬田宗次郎オリジナルの動作であるようです。瀬田宗次郎は北海道編にも登場しているため、今後も新たな活躍に期待が高まります。

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