火垂るの墓のお母さんの死因は?ウジ・グロい包帯姿がトラウマシーン?

スタジオジブリ製作の名作映画、火垂るの墓。清太と節子、2人の兄妹が終戦前後の日本で懸命に生き抜こうとする物語です。そもそも兄妹が2人きりになってしまったのは序盤でお母さんが死んでしまったからです。火垂るの墓の作中ではお母さんの死因も明確に描かれています。今回は人によってそのお母さんの姿がトラウマシーンであるとさえ言われる火垂るの墓のお母さんの死因をまとめていきます。

火垂るの墓のお母さんの死因は?ウジ・グロい包帯姿がトラウマシーン?のイメージ

目次

  1. 火垂るの墓のお母さんの死因は何?ウジが湧くトラウマシーンも紹介
  2. 火垂るの墓とは?
  3. 火垂るの墓でお母さんが死ぬシーンまでのあらすじを紹介
  4. 火垂るの墓でお母さんの死因は?包帯姿はなぜ?
  5. 火垂るの墓のお母さんがグロい!ウジがたかる理由は?
  6. 火垂るの墓のお母さんの死はトラウマ?感想を紹介
  7. 火垂るの墓のお母さんが死んだあとのあらすじを紹介
  8. 火垂るの墓のお母さんについてまとめ

火垂るの墓のお母さんの死因は何?ウジが湧くトラウマシーンも紹介

火垂るの墓は比較的ハッピーエンドが多い、スタジオジブリの長編アニメーション映画において、数少ないバッドエンドで終わる映画です。主人公清太の死というバッドエンドに向かっていく物語では、その未来を避けられたかもしれない点がいくつもあります。その1つが清太のお母さんが死んでしまった事です。登場シーンが少ない為、あまり目立ちませんが作中にはしっかりとお母さんも登場しているのです。

しかし、お母さんは清太と節子に先駆けて死んでしまいます。未来である冒頭の清太の死を除けば、作中で最初に明確に死んだ事が分かるのもお母さんです。火垂るの墓では主人公である清太や妹の節子の死も明確に描かれていますが、お母さんの死因は清太達と違い、そのグロい姿からそのシーンがトラウマになってしまっているという人も多くなっています。

清太と節子のお母さんの死は火垂るの墓全体で見れば比較的序盤に描写されています。映画の冒頭で描かれる清太の死のインパクトも然る事ながら、お母さんの死はその前後の描写も相まってかなり強烈なシーンの1つです。今回は火垂るの墓で清太達よりも先に死んでしまったお母さんにスポットを当て、死因は何なのか、トラウマと呼ばれるシーンなどを紹介していきます。

火垂るの墓とは?

火垂るの墓はスタジオジブリの高畑監督が指揮を取って製作されたアニメーション映画が有名な作品ですが、野坂昭如さんが書いた短編小説を原作としています。野坂さん自身も戦争を経験しており、その時の体験を元に描かれた物語で、1967年に発表しました。同時期に発表された火垂るの墓のパラレルワールド作品「アメリカひじき」と共に第58回直木賞を一切の反対なく、満場一致で受賞した作品でもあります。

戦争映画は火垂るの墓以前にもありましたが、火垂るの墓は戦争をしている兵士を描くような作品でもなければ、政治的な動きを描くような作品でもありません。歴史に名を残したりするわけではない一市民の視点で描かれた物語です。原作者の野坂さんの体験を題材にしているだけあって、母の死や妹の死など火垂るの墓で描かれるエピソードのいくつかは実際に野坂さんが体験した事でもあります。

そんな野坂さんの短編小説を長編アニメーション映画したのがスタジオジブリの高畑監督です。1988年に「となりのトトロ」と同時上映で公開されました。基本的に原作を忠実に再現する形を取りながら、アニメ映画独自のシーンを入れるなどしてそのメッセージ性をより高められた映画になっています。随所にこだわりを見せた火垂るの墓は、公開当時にも多数の映画賞を受賞し、日本国内はもちろん、国外でも高い評価を受けた作品です。

アニメ映画版はもちろんの事、実写映画化、漫画化、実写ドラマ化、合唱組曲など、時代を考えれば実に多いマルチメディアに作品が広がっています。一番人気を誇るのはアニメ映画ですが、どの作品も高い評価を集めています。実現はしなかったものの、イギリスでも独自に実写映画化しようとする動きがあった事もある程で、国内外で高い人気を集めている作品である事は間違いありません。

映画の公開以降、他のスタジオジブリ作品と同じく度々テレビでも放映される他、戦争という題材もあって学校の教材としても利用されるなど、多方面から評価を受けたまさに名作映画です。しかし清太や節子の死に逝く姿など基本的に悲しい事しか起きない火垂るの墓は名作であるとはしながらも視聴した人の中には「もう1度は見れない」という人も多い映画にもなっています。

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火垂るの墓でお母さんが死ぬシーンまでのあらすじを紹介

ここからは火垂るの墓を冒頭から一番のトラウマと言われるお母さんの死因となるシーンまでのあらすじを紹介していきます。

清太が死ぬというラストから描かれる物語

火垂るの墓は冒頭でエンディングがどうなるのかが描かれる形で物語がスタートします。三ノ宮駅の支柱にもたれかかった主人公の清太が朦朧とする意識でいる中、ゆっくりとその身体を倒し死んでしまいます。そして「昭和20年9月21日僕は死んだ」というナレーションが清太の声で入ります。三ノ宮駅には清太と同じように戦争孤児達が集まり死んでいました。明確な描写はありませんが、その様子から死因は衰弱死だと言われています。

駅構内という事もあり、清太達の遺体を片づける駅員達。駅員の1人が清太の死体からサクマ式ドロップの缶を見つます。しかし中にはドロップが入っておらず、適当に放り投げます。その中に入っていたのは先に死んでしまった妹節子の遺灰と遺骨でした。清太の身体から赤い幽霊のような存在になった清太が抜けだし、自身を見下ろすのです。そして先にその状態になった節子と共に、過去に戻るようにして物語がスタートします。

映画公開時はとなりのトトロと同時上映だった事もあり、この始まり方の衝撃はかなり強烈なインパクトを与えました。後述するお母さんの死因となるシーンに比べれば少ないものの、この冒頭からラストを描かれる事で既に観ていられない、トラウマだとする人もいる程です。

舞台は第二次世界大戦

ここで時間が清太や節子、そしてお母さんがまだ生きていた頃に戻ります。当時は第二次世界大戦の末期、度々空襲が行われ、怯えるように生活していました。清太は心臓の悪いお母さんと、まだ4歳の節子と3人で暮らしていました。父は海軍の大尉として艦隊に乗って戦場に出ており、一緒には暮らしていませんでした。

お母さんに心臓が悪いという描写もあり、詳しく描写はありませんが、清太は普段から家事などを行い、10も歳の離れた妹の節子の世話を良くしていたような様子が描かれています。それらの経験を元に後述する2人暮らしをなんとか成立させているのです。同時に節子も清太を信頼している様子が伺えます。

神戸大空襲を受けて防空壕へ

そして、神戸を襲う大規模な空襲「神戸大空襲」が行われます。多数の空爆が落ち、家屋が燃え盛る中、清太は心臓の悪いお母さんを先に防空壕に避難させて清太自身は以降の生活の事を考えてか米を始めとする非常食になりえる食糧などを庭に埋めてから節子と共に防空壕に向かいます。

ここで清太がお母さんを先に行かせてしまった事が、間接的にお母さんの死因の1つとなってしまいます。同時に清太がお母さんのグロいシーンに向かっていくわけです。もちろんここでの別れが清太と節子がちゃんと生きているお母さんを観る最後の元気な姿となりました。そしてその分かれてしまった命運の結果として、清太と節子も命を失う事になってしまうのです。

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火垂るの墓でお母さんの死因は?包帯姿はなぜ?

ここからはお母さんの死因と死因に繋がるあらすじなどを詳しく解説していきます。表現的にどうしてもグロい表現、言葉、画像が増えてしまうので苦手な人は注意してお読みください。

お母さんの姿は全身包帯姿

お母さんの後を追った清太でしたが、お母さんと上手く合流出来ませんでした。そこで清太は節子を一旦西宮の親戚に預けて、1人お母さんを探しに行きます。仮の病院となっていた小学校に運ばれたという話を聞き顔を出した清太はそこで一目観るだけでもグロい全身包帯姿のお母さんと対面する事になるのです。この時点ではかろうじてお母さんは生きていましたがうめき声を上げるのみで満足に会話をする事さえできませんでした。

包帯には全身から血が染み込んでおり、痛々しくこの姿だけでも十分にグロいです。見る影もないとはまさにこの事です。そしてこのお母さんのグロい全身包帯姿のシーンこそが火垂るの墓の中で最もトラウマだと言われるシーンです。そんなお母さんを清太もショックを受けて観ていられずに一度は小学校から逃げ出すようにでていってしまいます。

清太もなんとかその変わり果ててしまったお母さんを受け入れようと再度お見舞いにいきますが、その時には既にお母さんは死んでしまっていました。お母さんの遺体は同じく亡くなった人達と共に大きな穴で火葬される事になるのです。つまりお母さんの包帯姿は火垂るの墓の映画の中で何度か登場しており、よりいっそうリアルでグロい様子を演出しているのです。

直前に街は空襲を受けている

清太と節子が助かり、お母さんが死んでしまう。その命運を分けたのはやはり空襲で離れ離れになってしまった事です。街に空爆が降り注ぐ中、先に防空壕に向かうお母さんの側に空爆が落ちてしまうのです。流石に直接当たるようなシーンはありませんが、爆弾が当たった家屋が燃え落ちて人も巻き込まれているシーンなどが描かれており、その1人がお母さんだったのだと考えられます。

やけどは一部であれば直接死因になるような事はありません。しかし、全身を覆うやけどの量が増える程に死亡率が上がります。現在では全身に対してやけどの割合と年齢を足した時に100を越えると死亡率が50%を越えると言われています。もちろんすぐに病院に行くなどすれば助かる可能性は高くなりますが、戦時下、特に空襲を受けるような状況を考えればそれも難しいでしょう。

当然清太がお母さんを探しに出るまでにはある程度の時間が経過しているはずです。空襲が止むまで清太には節子を守る以外にできる事はありません。そして空襲が止みんだ後もお母さんが小学校に運ばれたのを知るまでにはさらに期間があったはずです。そして清太が辿り着いた時にはお母さんは全身包帯姿になってしまっていたのです。

先んじて防空壕に向かった母

上記でも触れたようにこの命運を分けたのはやはり清太がお母さんを先に防空壕に向かわせてしまった事でしょう。清太達と共に逃げていれば或いは死ぬ事はなかったかもしれません。もしお母さんがここで死ななければ当然その先の展開も変わったはずです。

お母さんは清太達を置いて先に逃げたわけではなく、清太が自分で判断して先に行かせたのです。まだ幼い節子を背負うとはいえ、心臓の悪いお母さんよりも早く非難できると考えたのではないでしょうか。現に清太も避難の際に目の前で家屋が燃え落ちてくるなどの場面に遭遇していますが、なんとか回避して無事に防空壕に辿り着いています。

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火垂るの墓のお母さんがグロい!ウジがたかる理由は?

お母さんの全身包帯姿がトラウマになる大きな原因はそのグロい描写にあります。先程まで生きた姿が描かれていたお母さんが全身包帯姿で描写されるだけでも十分にグロいと言えますが、やはりそのグロい描写を際立たせているのが清太が2度目にお見舞いに訪れた際にウジがたかっているシーンです。ここからはそもそもウジがたかる理由などを説明していきます。

生きていても腐ってる部分があればウジがたかる

ウジは死んでからたかるイメージがありますが、実際には生きていても焼けたりした腐った部分があればたかり始めます。しかも終戦間近である事を考えれば季節は夏に向かう頃であり、活発に動く時期でもあります。つまりお母さんが全身にやけどを覆った時点からウジ虫がたかる環境は出来上がってしまっているのです。

清太がお母さんの元に辿り着くまでの間、ある程度時間が経過しているのは間違いありません。空襲が終わり、節子を西宮に預けに行きそして清太がお母さんが小学校に運ばれたと知る、清太がお母さんの元に辿り着くまでには少なくともこれだけの過程を経ています。

明確にウジがたかる姿が描写されたのは清太が再度お見舞いに訪れた時です。清太が再びお見舞いに訪れる間がどれくらいの期間だったのかに関しては不明です。しかもその間のどのタイミングでお母さんが死んでしまったのかは不明です。しかし、ウジがたかるのが生きていてもであれば、やけどを負ってからある程度は期間があったのではないでしょうか。

当時は治療もされずそのまま放置

もちろんやけどを負ったとしても適切に処理すればウジがたかる事はありません。しかし火垂るの墓の舞台は終戦前後、お母さんが死んだ時点ではまだ終戦前だったはずです。清太が全身包帯姿のお母さんと対面するシーンでも分かるように、お母さん以外にも似たような症状で運ばれてくる人は多いのです。反面薬などの数には限りがあります。どうしても重度の人は治療されずに放置される事も多かったのです。

加えてお母さんが全身やけどを負ったのは空襲の最中である可能性が高いです。直接描写があるわけではありませんが、おそらくお母さんを病院に運んだ人も直接病院に運んだわけではなく一度防空壕に運んだ後、空襲が止んでから病院となっている小学校に運んだのはでないでしょうか。そうなれば当然治療されたとしてもその間には既にウジ虫による浸食が始まってしまっているはずです。

もちろん防空壕に運ばれた時点で死んでしまう人も多くいたでしょう。そういう意味ではお母さんは病院に運ばれ、全身に包帯を巻いてもらえただけマシと言えるかもしれません。或いは運ばれた時点ではある程度助かる見込みがあったのかもしれません。しかし適切に対処するとまではいかずに放置されてしまった事で結果としてウジがたかってしまったのです。

そもそも「ウジがたかる」とは?

火垂るの墓に限らず死が描かれるシーンで表現される事が多いウジ。見た目がグロいので死体にさらにインパクトを与えられる事もあって利用される事の多い手法です。しかしそもそも、ウジはどこにいるものなのでしょうか。先に書いておきますが、安心して下さい。ウジ虫は普段から私達生きている人間の体内にいるわけではありません。

ウジ虫とはハエの幼虫です。ウジ虫の主食が腐った肉である事から、ハエ達が腐った肉に卵を植え付ける事で発生します。ハエ達も子孫を残す為に腐る前の肉よりも既に腐っている肉に好んで卵を植え付けるので、結果的に生命機能を失い肉がどんどん腐っていく死体にはウジ虫が発生する事になるのです。ウジ虫と同じく、ハエが死体に群がる様を描かれるのもこのような経緯があるからです。

火垂るの墓でお母さんが運ばれていたのは元々は小学校で、決して立派な病院というわけではありません。運ばれる前はもちろんの事、病院の中であっても他に比べてマシというだけで決して衛生的とは言えない状態です。加えて季節はこれから夏に向かう6月頃だと言われています。そのような時期にそのような場所に居れば当然ハエがたかる事になり、病院に居てもウジ虫がわいてしまったのでしょう。

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火垂るの墓のお母さんの死はトラウマ?感想を紹介

お母さんが死んでしまったトラウマとなるシーン。このシーンがトラウマとなるのはいくつかの理由があるようです。

生前の姿を知ってる分つらい

火垂るの墓では清太の回想も含めて度々お母さんが生きている頃の事が断片的に描かれています。特に清太がお母さんを探す場面では清太が思い出す形で海軍大尉の父も一緒に4人で記念撮影をしているシーンが描かれています。お母さんに甘えるような節子も描かれている所から、あの包帯姿のお母さんとの対面、そのような構成が余計にお母さんとの対面シーンをトラウマとして植え付ける役割を果たしています。

しかもそのような回想はお母さんが死んだ後にも行われます。それだけ清太の中でお母さんという存在が大きかったのです。歳の離れた妹がいるとはいえ、清太もまだ14歳、現在でいえば中学2年生であり、加えて普段は父が家にいない事からお母さんという存在がかなり大きなウェイトを占めていたのは間違いありません。そんな清太の気持ちが分かってしまうからこそあの包帯のシーンがトラウマになってしまうという人が多いです。

死体がリアルすぎる!

火垂るの墓では節子や清太の死も明確に描かれていますが、その中でも被災したという意味でダントツにリアルに描かれている死体がお母さんの死体です。清太や節子が衰弱死であるという事もあって同じ死体であってもグロいという印象は受けにくいです。そうなれば当然、全身に包帯を巻かれた上に血が目立ち、ウジも湧いているお母さんの死体のリアルさとグロい部分がより際立っています。

加えてその構成もトラウマとなるのに十分な構成です。お母さんが全身包帯姿で登場するのは2度あります。1度清太がショックを受け止めきれずに小学校から逃げ出してしまうからです。視聴する側からすれば2度目は全身包帯姿で登場する事は覚悟できます。しかしそこでさらにウジがたかくグロいシーンが描かれるのです。この2段構えはトラウマになる人がいてもおかしくないでしょう。

またこれは公開当時ではありませんが、特に最近のアニメは規制も強く、キャラクターの死を描く事はあっても死体を直接的に描かなかったり、その他のキャラクターのセリフやナレーションなどで説明するような事も多い事もあって、火垂るの墓のお母さん程明確なグロい死体をアニメとはいえ観ないという外的な要因も大きな要因の1つになっています。

ここで視聴を辞めてしまった人も多いほどのトラウマ

火垂るの墓を視聴した人の中には、「悲しすぎてもう1度は見れない」という人も多いですが、中には全体で見れば比較的冒頭に近いシーンであるお母さんの死体シーンがトラウマになりすぎてそこで視聴を辞めてしまっている人も多いようです。確かに全体的に悲しい映画ではありますが、インパクトという意味では冒頭の清太が死ぬシーンから始まる事とこのお母さんの包帯姿がダントツで強烈なシーンです。

特に映画公開以降、テレビで度々放映されるだけあって、テレビで初めて観るという人も多くなっています。自身の意志で視聴を辞められるからこそ、そこで視聴を辞めてしまうようです。

火垂るの墓のお母さんが死んだあとのあらすじを紹介

そんな強烈な印象を残しトラウマになってしまう程のお母さんの包帯姿ですが、あくまでも火垂るの墓の主人公は清太と節子の兄妹であり、物語全体で見れば序盤の出来事です。ここからは火垂るの墓でお母さんが死んでしまって以降の物語を紹介していきます。

追い出された兄弟

お母さんが死んでしまった事を知ると同時に清太は自身の家もまた焼け落ちてしまった事を知ります。住む家が無くなってしまった清太と節子は、西宮市にいる親戚の家に行く事になります。これは元々親戚同士で決めていた事のようで、或いは西宮の家が無くなる事があれば、清太達の家に叔母達が来るという展開もあったようです。清太が避難する前に庭に埋めていた食料を持っていった事で最初こそ歓迎を受けます。

しかし清太はそれ以上の事をせず、完全に居候状態になっていました。叔母に仕事に出るように勧められても節子の側を離れる事を嫌ってか出ようとしません。そうなれば当然叔母の態度も変化していきます。徐々に嫌味を言うようになり、死んでしまっているとはいえ、2人にとっては形見である清太達のお母さんの着物を売ってお米にしてしまう、自身の子と食事に差を付けるなどなど双方の関係は徐々に悪化していきます。

特に節子は明確に叔母に対して嫌悪を示すようになります。もちろん清太も決してそれらの叔母の行動を良く思っているわけではなく、居心地の悪さは感じていました。「あの家には帰りたくない」という節子の言葉が清太の背中を押し、2人で叔母の家を出る事にするのです。この決断が節子の死因を作り、清太の死因を作りだすことにもなるのです。

小さな防空壕で2人暮らし

頼るあての無い清太と節子は蛍が近くに住む、小さな防空壕でたった2人で生活を始める事になります。清太は生前お母さんが「もしもの時の為に」と取っていたお金を銀行から下ろしたり、空襲の隙をついて、盗みを働くなどしながらなんとか生き残ろうとします。時には盗みを見つかり派出所で顔の形が変わる程に殴られるなどしますが、節子を思い続け耐えていました。

嫌味を言う叔母が嫌いだった節子の喜ぶ顔だけが清太に残された希望であるかのように描かれていました。どこに行っても良い顔をされない清太と節子は、ここで本当に僅かの間とはいえ生き生きとした幸せな小さな家庭を築いて生活を送るのです。全体を通して救いがないだからもう1度は見れないと言われる火垂るの墓ですが、この僅かな時間こそが唯一救いと言えるシーンと言えるかもしれません。

崩壊する幸せ!そしてラストへ

もちろん、そんな生活も長くは続きません。食料はあっという間に底を付き、配給も満足に得る事ができません。最初に体調をおかしくしていったのは妹の節子でした。栄養失調により衰弱し始めてしまうのです。目も虚ろになりおはじきを大好きなドロップと思って舐めるなど思考力もかなり低下していしまいます。病院に連れていくも「滋養をつけるしかない」と言われてしまいます。

なんとか節子を回復させようと清太は走りまわりますが、そんな中で、日本が戦争に負けた事、そして唯一頼りにできると思っていた父の所属する連合艦隊が壊滅してしまい、父の生死も不明である事を知ってしまいます。また1つ希望が消えてしまう状態で、清太は節子の為にスイカを買い食べさせます。しかし清太の頑張りもむなしく節子は「にいちゃん、おおきに」というセリフを最後に息を引き取ってしまいます。

節子が死んだのは終戦から7日後の事でした。清太は節子を大切にしていた財布やお人形と共に火葬します。そして、その遺骨と遺灰を既に空になってしまっていたサクマ式ドロップの缶に詰めて防空壕を後にするのです。その後の様子はこれまで程は詳しく描かれていませんが、やがて清太は冒頭で最後を迎えた三ノ宮駅に辿り着きます。節子におよそ1カ月遅れて、清太もまた息を引き取るのです。
 

清太や節子の死因は基本的には衰弱死です。病気のようなシーンもありますが、肉が腐るような怪我などは負っていないのでトラウマになる程のインパクトを持つお母さんの死ぬ姿に比べればグロい要素もないのでトラウマとは言われません。ただし、突発的に死んでしまうお母さんよりも、その過程が描かれる清太や節子の方が悲しみを覚える人は多くなっており、「もう1度は観れない」と言われる映画になっています。

ラストに加えられたシーン

映画の原作となった野坂さんが描いた短編小説では上記の清太が死んだシーンで物語が終わります。しかし映画にはもうワンシーン付けくわえられています。火垂るの墓の物語は清太が赤い幽霊として観る悪夢です。理由は不明ですが清太と節子は成仏する事ができず、何度もこの物語を観る事になっているようです。清太達が時に捉われている間にも世界の時は進んでいきます。

終戦直後度重なる空襲により、焼け野原だった神戸の街は、その時の流れでどんどん復興し、やがて高層ビルが建ちながらぶようになり現代の姿が描かれます。しかし幽霊である清太と節子はその世界に触れる事は出来ず、ただただ眺めているだけで永劫の時が流れていきます。そんなシーンが付けくわえられる形でアニメ映画版は締め括られました。

原作にないこのオリジナルのシーンを加えた意味に関しては高畑監督を始めスタジオジブリ製作側は何も発表はしていません。清太と節子の2人が成仏できずにいるとすればそれは何故なのかなど一切の糸は不明です。だからこそネット上では多くの憶測を呼ぶシーンになっています。

火垂るの墓のお母さんについてまとめ

今回は火垂るの墓のお母さんの死因などについてまとめていきました。お母さん死後の清太を観ていると、お母さんは貯金をしていたり、かなり先の事を考えて生活していた様が伺えます。清太と節子の最大の不幸はこの良妻賢母の母を失う事になってしまった事でしょう。仮に住む家が無くなったとしてもお母さんさえ生きていればこうはならなかったのではないかと思えてしまうシーンが多数あります。

そんなお母さんだと分かってしまうからこそ、空襲による全身大やけどという死因、その後のウジがたかる全身包帯姿には強烈なインパクトがありそのグロい姿からトラウマになってしまう人も多いです。視聴者はもちろん、お母さんのそんなグロい姿を間近でみたはずの清太が一度は逃げ出しながらも母の死を受け入れその後も節子と共になんとかして生きて行こうとする姿にもまた泣けてしまいます。

当時学徒動員などで既に働くような人も多かった時勢とはいえ、清太はまだ14歳、節子は4歳です。そんな2人が頼る当ても無く、生活するにはあまりにも辛い世界です。もちろん清太や節子だけを甘やかすわけにもいかないですが、もう少し周囲が優しく諭す事は出来なかったのかと考えさせられてしまいます。

スタジオジブリの製作映画はどれも素晴らしいですが、火垂るの墓はベクトルこそ他のジブリ作品とは大きく違えど間違いなく歴史に名を残す名作映画の1つです。確かにトラウマになるようなシーンもある映画ですが、食わず嫌いをするべき作品でもありません。まだ観た事ないという人はグロいシーンがトラウマにならないように気を付けながらぜひ一度視聴してみる事をおすすめします。

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